昔の記憶
形成外科のお母さん
今日から2012年4月です。
今日から4月
…という院長日記を、
5年前の2007年4月1日に書いています。
私の医師としてのスタートは、
1980年5月でした。
今から32年前です。
当時は医師国家試験が4月にありました。
■ ■
5月のGW明けから…
医師国家試験の合否もわからぬまま…
北大病院で研修医生活をはじめました。
実際には医師免許がなかったので、
仕事は限られていました。
履歴書上は、
北海道大学医学部附属病院形成外科にて研究に従事
…となっています。
■ ■
北大病院での仕事は、
外来で予診(よしん)という、
上の先生が診る前に、
患者さんから病歴を聞いてカルテに書く仕事。
検査の伝票を書く仕事。
患者さんの写真を撮る仕事。
写真の整理をする仕事。
医師免許証が必要な仕事はまれでした。
■ ■
それでも…
わからないことだらけでした。
定期処方は一週間分まで。
出せる日は何曜日だけ。
臨時処方は3日分まで。
いつでも出せる。
検査の受付は15:00まで。
それ以降は緊急検査だけ。
緊急検査の伝票は赤い別の伝票。
■ ■
私は25歳のお兄ちゃんみたいな先生でした。
私たちが頼りにしていたのが、
形成外科外来の畑端雅子(はたばたまさこ)さんという看護婦さんでした。
元北大第一外科の看護婦さんで、
私が医師になった当時は、
形成外科外来専従の看護婦さんでした。
■ ■
何かわからないことがあると…
何でも畑端(はたばた)さんに聞いていました。
形成外科のことは何でも知っていらして、
形成外科のお母さんのような存在でした。
大浦武彦教授の超忙しい外来でも…
てきぱきと何でもこなしていらっしゃいました。
■ ■
外来の処方箋は院外でした。
自分たちの薬は、
北大病院前のあさみ薬局にお願いしていました。
研修医なりたての私は、
院内処方と院外処方の違いもわからず…
患者さんへの説明もできませんでした。
■ ■
ガーゼの当て方から…
テープの貼り方まで…
畑端さん(はたばたさん)が…
私たち研修医に親切に教えてくださいました。
年齢的には、
私たちよりすこしお姉さんでした。
でも私たちにとっては…
形成外科のお母さんとも呼べる…
とても頼りになる存在でした。
30年以上たちますが…
いろいろ教えていただいたご恩は忘れません。
■ ■
4月から新生活を迎えるみなさん、
新しい土地で学校へ入ったり…
仕事をはじめられたり…
いろいろ大変だと思います。
最初はみんなできません。
謙虚に先輩の指導をお聞きして、
努力してがんばってください。
1980年北大形成外科入局当時
私、二期上の小椋哲実先生、同期の井川浩晴先生
北大病院6-3病棟ドクタールームで
医療問題
吉田哲憲先生退職
今日、平成24年3月31日付で、
札幌市病院事業管理者 病院局長
市立札幌病院院長の
吉田哲憲先生が退職されます。
吉田先生は私の恩師、
人生の師です。
困った時には吉田先生に相談。
とても頼りになる先輩です。
■ ■
吉田哲憲先生が、
市立札幌病院へ赴任なさったのは、
平成7年1月1日付でした。
当時の職位は、
皮膚科主任医長職、
最後に『職』の字がついています。
市立札幌病院には、
まだ形成外科がありませんでした。
■ ■
病院は今のヤマダ電機テックランド札幌本店
の場所にありました。
吉田先生の部屋は、
別館2階にあった、
市立札幌病院では一番狭い…
形成外科医局でした。
■ ■
形成外科専従の正職員は…
吉田哲憲先生お一人でした。
他に常勤嘱託医が一人でした。
北大から、
講師クラスの医師を迎えて…
新しい科をつくるというのに…
実にお粗末な部屋でした。
その部屋の前の住人が私でした。
■ ■
私は市立札幌病院に在職中、
新病院の設計図を北大へ持って行き、
吉田先生に相談していました。
外来のレイアウト…
病棟の処置室。
少しでも使いやすくするため…
札幌市建設局の設計担当の方と何度も相談しました。
■ ■
平成7年秋に現在地へ病院が移転新築され、
形成外科も晴れて診療科として認められました。
新病院での業績が認められ、
吉田先生は院長に就任されました。
しかも…
市立札幌病院140年以上の歴史で、
はじめて病院長が特別職になりました。
私にとって実に感慨深いものがあります。
■ ■
病院長に就任されてからも…
看護師さんを副院長に登用されたり…
長年の懸案であった分院を統合されたり…
救命救急センターや周産期センターを充実されたり…
私が知っているだけでも、
たくさんの業績を残されました。
ほんとうにご苦労様でした。
■ ■
多くの先生が、
病院長に就任されると…
患者さんの診療から離れられます。
時間がないからです。
でも…
吉田哲憲先生は、
院長に就任されてからも…
学会にも、
外来にも、
病棟にも来られました。
■ ■
4月からも形成外科の診療を続けられるそうです。
これからも、
北大形成外科同門会長として、
皮膚悪性腫瘍の権威として、
ご活躍されることを祈念しています。
吉田哲憲先生、
ほんとうにありがとうございました。
医学講座
わきが手術は難しいです
どんな手術にも…
リスクも…
合併症もあります。
簡単な手術はありません。
開業して手術件数が増えてから…
手術の難しさを痛感しています。
難しい手術はワキガです。
■ ■
形成外科の進歩⑦【わきが手術】
で引用した、
クロスクリニックの石川浩一先生のお言葉です。
腋臭症の治療という本に書かれています。
治療効果は真皮内の汗腺組織をより完全に切除することにより得られるが,
皮膚を薄くすればそれだけ術後合併症の危険性や瘢痕拘縮の可能性が増える。
■ ■
わきがの症状には個人差があります。
腋毛の範囲も…
皮膚の厚さも…
毛の量も…
人によってまったく違います。
身長や体重によっても違います。
■ ■
わきが手術できれいに治りやすいのは…
細身の女性で…
腋毛の範囲が少ない人です。
手術する面積が少ないと…
手術後の回復が早いです。
もちろんタバコを吸わない人です。
■ ■
反対に…
治りが悪い人は…
汗をかく範囲が広い方です。
脇毛の範囲が広い人です。
手術をする面積が広くなると…
どうしても皮膚血流が悪くなります。
■ ■
皮膚は完全に血流が無くなっても…
全層植皮という手技と同じメカニズムで…
血流が再開します。
ちょっと難しい言葉ですが…
ラベンダーを切って…
土に植えて水を与えると根が生えるのと同じです。
■ ■
皮膚にも…
毛細血管という根があります。
根を切ってもまた生えます。
この根が…
うまくのびると生きますが…
はえた根が切れてしまったり…
条件が悪いと枯れてしまいます。
枯れた状態が皮膚の壊死(えし)です。
■ ■
ラベンダーの挿し木をした時に…
根がはえるまでそっとしておくのと同じで、
わきが手術をした後は、
腕を動かさず…
ワキを固定して安静にしています。
この安静が一番大切です。
わきが手術後の固定に書いてあります。
良い結果を出すためには、
患者さんご自身のケアーも大切です。
院長の休日
高須シヅ先生の命日2012
今日(3月29日)は高須シヅ先生の命日です。
亡くなられてから…
もう2年も経ちます。
今朝、高須克弥先生のブログで知りました。
8:28に更新なさっていらっしゃいます。
高須先生の想いが伝わります。
■ ■
私が好きな高須先生のブログに、
シヅ先生の肖像画 …という
2010年4月28のブログがあります。
この絵は
僕たちが知り合った十八才のとき
僕がシヅ先生をモデルにして描いたんだ
プロポーズするとき
プレゼントしたんだ
ラッカーとニスを使って描いたから
なんか安っぽい仕上がりになって
「漫画の看板みたいね(^O^)」って
笑われたもんだ
とっくに
ゴミになってると思っていたが
シヅ先生のクローゼットに大切にしまわれていた
保存状態が良好で
半世紀経過しているが
いま描いたようにみずみずしい
「あまり似てないわよ(^0^)/」って言ってたけど
よく似てるじゃないかね?
もしかしたら
「上手ね!ステキね!才能あるわね!」なんておだてたら
舞い上がりやすい僕は
今頃
売れない漫画家になってたかもしれない
絵を大切にしてくれて
ありがとう
ホントは
僕の才能
認めてくれてたんだね
大切にしてくれて
ありがとう
■ ■
私は残念なことに…
シヅ先生と直接お話ししたことはありませんでした。
高須先生を支えて…
妻であり、
母であり、
医師であった立派な先生です。
■ ■
子育てをしながら…
医師として活躍され…
子どもさんも皆勤賞です。
なかなかできることではありません。
シヅ先生から…
夫婦円満、
家庭円満のこつを、
じっくりと伺ってみたかったと思います。
■ ■
高須克弥先生も…
星野シヅ先生も…
とても素敵な青春時代をいっしょに過ごされ…
たくさんの夢を語られたことと思います。
素敵な先生を亡くしました。
ご命日に、
札幌から手を合わせて…
ご冥福をお祈りしています。
医学講座
立派な息子に育てる方法
男の子が生まれたらという、
2011年8月29日の院長日記に書いてあります。
あかちゃんのちんちんは…
おむつを替えるたびに…
少しずつ引っ張って…
皮を剥いてあげる
そうすると…立派になる
■ ■
泌尿器科の先生から伺ったお話しです。
若い女性にも…
是非、覚えておいていただきたいです。
男性にとって…
粗ちん
短小
小さい
小指大
とても屈辱的な言葉です。
■ ■
一流大学を卒業していても…
どんなに大金持ちでも…
博士号を持っていても…
体格が良くても…
有名選手でも…
やくざの親分さんでも…
とにかく息子が小さいと…
とても悩みます。
■ ■
女性からの…
何気ない一言で…
あら…(ちいさい)
…と言われただけで…
一生、立ち直れなくなります。
赤ちゃんの時から…
重度の真性包茎のままですと…
成長が障害されます。
■ ■
人間の皮膚は伸びます。
アフリカのある種族は、
下口唇が大きいほど美人です。
口唇に器具をつけて…
少しずつ伸ばします。
医療でもティシューエクスパンダーという装置があります。
風船で皮膚を進展する仕組みです。
■ ■
赤ちゃんのちんは、
全員、包茎です。
成長とともに…
少しずつ剥けてくるのが普通です。
ところが…
小さい頃に炎症を起こしたりすると…
皮が硬くなって…
剥けない子がいます。
■ ■
そのまま…
身体だけ大きくなっても…
男性として大切な息子は背が伸びません。
身長だけ170センチになっても…
ちんは子どものまま…
…というかわいそうな子がいます。
将来、彼女ががっかりしないように…
あかちゃんのうちから…
ちんをきたえてください。
院長の休日
雪印パーラー改装中
札幌美容形成外科の階下にある、
雪印パーラーが改装工事中です。
なんと…
51年ぶりの全面改装工事です。
雪印パーラーは、
奥さんと最初に出会った…
思い出の場所です。
■ ■
今から5年前には、
ビルの建てかえ計画が出ました。
さすがに築50年を過ぎているので…
仕方のないこと…
…と半分諦めていました。
それが…
リーマンショックや不況の‘おかげ’で…
無くなってしまいました。
■ ■
ビルのオーナー様も代わり…
今のオーナー様は、
6階で営業されている、
コンタクトオフ様です。
あと10年くらいは…
改築はないようです。
■ ■
雪印パーラーさんのオープンは、
4月25日(水)です。
新しい店舗が楽しみです。
ビルがあと10年改築しないようなので…
私もあと10年くらいは…
このまま診療を続けようと思っています。
病気をしないように気をつけます。
昔の記憶
劔物 修(けんもつおさむ)先生の想い出
私が劔物先生とご一緒だったのは、
劔物先生が東邦大学から北大へ赴任された直後でした。
毎週金曜日に、
北大病院の中央手術部で、
手術場会議(しゅじゅつばかいぎ)がありました。
各科が…
翌週の手術予定を持ち寄って、
調整する会議です。
■ ■
麻酔科研修の想い出④に書きました。
手術室看護師の数や、
麻酔科医の数には限りがあります。
全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
人的な余裕がありませんでした。
■ ■
今はどうかわかりませんが、
看護師さんの数が足りないので…
直接介助は無しでお願いします。
【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
とか
この手術は次週にまわしてください。
という調整の会議でした。
この会議に出るのが、
形成外科ではチーフレジデントでした。
私も半年間出席しました。
■ ■
劔物先生は、
札幌医大卒業生として、
はじめて北大医学部の臨床系教授に就任されました。
私たち札幌医大の卒業生としては、
とても名誉なことでした。
しかし…
劔物先生が赴任されてからは大変でした。
■ ■
麻酔科医の数は少なく、
依頼されたすべての手術の麻酔を、
安全にかけるのは大変なことです。
ある日の手術場会議で…
麻酔科医局長だった佐々木先生が、
申し訳ございませんが…
この手術は無理…と言いかけたところ…
新任の劔物教授が、
その麻酔は私がかけますから
引き受けてください
と言われたのを…
今でもはっきり覚えています。
■ ■
劔物先生は、
手術場では厳しい先生でした。
優秀な麻酔科の先輩ですら、
『劔物先生からがっつり怒られた』
…と伺ったことがありました。
眼鏡の奥に鋭い目がありました。
その鋭い目のさらに奥には…
とても優しい目がありました。
3月28日が命日です。
心からご冥福をお祈りしています。
【訂正】
今まで札幌医大同窓会名簿と北大医学部の記載を見て、けんもつ先生を劒物と表記していましたが、劔物の誤りでした。
先生ごめんなさい。
昔の記憶
劔物 修(けんもつおさむ)先生一周忌
劔物 修(けんもつおさむ)先生一周忌のDVDをいただきました。
きっかけは…
私の院長日記でした。
【劔物】という字を検索したところ…
私の院長日記がヒットしたそうです。
毎日続けていると…
思いもかけず良いことがあります。
■ ■
DVDを製作してくださったのは、
劔物先生の音楽の師匠である、
中川文雄様です。
中川様は、
すすきので…
CLUB@JAZZ.COM「ドットコム」を経営していらっしゃいます。
■ ■
劔物先生は晩年、
中川様とごいっしょに…
フルートを演奏なさったり、
作曲もされたそうです。
素晴らしいDVDでした。
タイトルは…
『おげんきでいらっしゃいますか』
■ ■
劔物先生はよく、
『お元気でいらっしゃる?』
…と話されました。
昨日は、
東京でご親族が集まって、
一周忌の法要が営まれたそうです。
■ ■
私は家内と中川さんのお店に伺い、
劔物先生が作曲された曲を、
中川様のピアノで聴かせていただきました。
劔物先生を偲んで…
とてもよい時間を過ごせました。
中川様ありがとうございました。
CLUB@JAZZ.COM「ドットコム」
〒064-0805
札幌市中央区南5条西3丁目
第4グリーンビルB1
電話:011-561-4868
ラーメン横丁のお隣のビルの地下
白い扉のお店です。
院長の休日
朝日新聞_天声新語から③
朝日新聞の読者が書いた
【天声新語】
入選作です。
福島県須賀川市 主婦 浅見美奈子さん(50)
「このきれいな夕日がずっとみられたらいいね」「50年先だって夕日はきれいだよ」。これは「ALWAYS三丁目の夕日」のラストシーン、親子の会話である。数年前、映画でこのシーンを見た時は家族の小さな幸せに胸熱くした。
▼しかし、先日、同じ映画を見たところ、このなんでもない小さな願いが、いかにすばらしい願いか、そして、それが、もろくも崩れることがあるのだと、福島にいて重く感じている。
▼原発事故が起きて1年たつが、いまだに除染が進まない。放射能を含んだ土、植物の仮置き場、中間貯蔵施設が決まらない。それが決まらないから除染ができない。除染ができないから故郷へ戻れない。福島は答えのきわめて出にくい問題に直面している。どうすればいいのか。
▼こんな時、幼稚な発想だが、ウルトラマン世代の私は、ウルトラマンに頼りたくなる。汚染された物を地球の外へ持っていってほしくなる。しかし、すぐにこれは、人間のエゴだと気づく。
▼人間が作り出した原発の汚染物は地球で処分し、手にあまる原発は人間がなだめ、全て廃炉へ持っていくべきだと考える。理想論かもしれないが、福島にいる私にとっては、この答えしか考えられないし、出せない。
▼「三丁目の夕日」の一平君(息子)の言った「50年後の夕日」の約束は、大人の一人として守らねばならない。福島の原発事故、放射能への挑戦は、これからも続く。日本、いや世界中の科学者の良心の赤い灯にも似た真っ赤な夕日を取り戻すまで。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
福島県に住む人にとって、
実に深刻な問題です。
50年後には…
私は生きていませんが…
自分たちが生きている間に、
何とか英知を集めて解決したいです。
■ ■
今の私には何もできませんが、
自分たちの子孫に、
負の遺産を残したまま…
死にたくはないです。
何とか自分たちが生きている間に、
美しい国を取り戻したいです。
昔の記憶
朝日新聞_天声新語から②
朝日新聞の読者が書いた
【天声新語】の続きです。
今日は2つ目の優秀作です。
作者はなんと高校生の女の子です。
すごいです。
大学生でもこれだけ書ける人はまれです。
■ ■
天声新語
優秀作(冨永格論説委員選)
広島市安佐南区 高校生 森岡真菜さん(18)
精神分析学者フロムの主著に「自由からの逃走」がある。自由を獲得した人間が、束縛からの自由がもたらす孤独や不安に耐えきれず、自由から逃走するというものだ。日本でも、投票率の低下や若者の政治離れなど、民主主義という自由からの逃走をよく見かける。
▼昨年起こった東日本大震災では、原発事故や被災地に対する政府の対応に、国民はいらだちを覚えただろう。異常な放射能の値については「人体に影響はない」の一点張り、視察に行った大臣は被災地を「死の町」と言った。
▼今、人々はこの現状に立ち向かうために、新たな挑戦をしている。国民は脱原発を訴え、原発がある自治体と計画中の自治体の一部は、原発交付金をもらうことを拒絶した。人々が新しい世の中を作るために動き出した。阪神淡路大震災の年をボランティア元年と呼ぶなら、東日本大震災の年を挑戦元年と呼びたい。
▼挑戦元年は、日本だけでなく世界にとっても挑戦の年であった。リビアでは、独裁者のカダフィ氏を倒し新たな政府を作り始め、アメリカでは、格差社会に不満を持つ人々がウオール街を占拠し、その行動が世界に広がった。
▼日本をはじめ、世界各地に人々の「新しい世の中」を求める声が上がっている。これは一種の自由を求める声であるといえよう。もう、「自由からの逃走」の時代は終わったのだ。
▼「新しい世の中」を求めて新たな挑戦を始めた私たちを、ぜひフロムに見てもらいたい。「自由からの逃走」ではなく「自由への奔走」をしている姿を。
■ ■
――受賞者から
世界のうねりフロムに絡め
新聞で募集を知り、私も受験に挑戦していたので、応募しようと決めました。
日本では去年、東日本大震災が起き、中東・北アフリカでは民主化運動が進み、ウオール折からは「格差社会」への抗議行動が世界に広がりました。すごい勢いで世界中が動いていることを実感していました。
フロムの「自由からの逃走」は、倫理の授業で習いました。これらのことを絡めて書くことにしましたが、書きたいことがまとまらず、下書きを繰り返し、受験勉強の合間を縫って仕上げました。
多くの方の中から私の作品が選ばれて、とてもうれしいです。先生からは 「天声人語を読んだり、書いたりすると集中力がつく」と言われ、年明けから毎日書き写しています。4月からは大学生。小学校の先生をめざします。子どもたちに新聞の良さを伝えていけたら、と思っています。
講評
筆はやや硬いが、しっかり時事コラムになっています。政治に背を向けたかに見えたた大衆が原発事故で目覚めた日本。世界でもアラブの春、ウォール街占拠と「自由への奔走」が始った、という前向きの視点が若者らしくて好感を持ちました。
(論説委員・「天声人語」筆者 冨永格)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私がこの天声新語を取り上げたのは、
若い人に…
新聞を読んでほしいからです。
新聞の活字からは、
ネットにはない情報が伝わります。
紙面はどんなPC端末より見やすいです。
■ ■
新聞は一度に目に入る情報量が違います。
若い医師や看護師にも…
新聞を読んでほしいです。
優秀な成績で国家試験をパスしても…
患者さんと上手に会話ができない医師がいます。
マークシート式の国家試験に合格しても…
患者さんに紙に書いて説明できない【先生】もいます。
■ ■
高校生で、
これだけの文章を書けるのは素晴らしいことです。
私が毎日、院長日記を書けるのも…
高校生の時に…
現代国語の先生から…
新聞を読むことをすすめられたからです。
私は成績優秀者ではありませんでしたが…
札幌西高校で…
一番得意だったのが【現代国語】でした。
担当だった教頭の林先生に感謝しています。
受賞者、森岡真菜さん
(朝日新聞より引用)