医学講座
縫い方の練習
私が医学生だった30年前も、
現在の医学教育でも、
採血も
縫合法(ほうごうほう)も、
教室で勉強するだけで、
人間を
実験台にしての
練習はできません。
■ ■
採血でしたら…
学生同士で練習ができますが…
さすがに…
学生同士を
切って
縫う
のはできません。
人間にメス入れて
切るのは…
医師免許証を持った人にしか許されていません。
■ ■
私が札幌医大形成外科の講師をしていた
10年前に、
形成外科を選択した6年生の学生さんに、
縫合法という『縫い方』を教えました。
人の皮膚を縫うことはできないので、
皮膚に見立てた
医療用材料(スポンジ)を、
ナイロン糸という実際に使う糸で縫合します。
■ ■
ナイロン糸は高く、
一本、最低数百円はします。
学生実習でも、
手術に使う糸しか売っていません。
一人で何本も使います。
慣れない学生はすぐに糸を切ってしまったり、
針を曲げてしまったりします。
少ない予算で、
この糸を買うのも大変でした。
■ ■
糸も高価ですが…
持針器(じしんき)という、
針と糸をつかむ器械や、
先の細い摂子(せっし:ピンセットのこと)も、
高価です。
これらの器械を揃えるのにも、
お金がかかりました。
予算がなかったのです。
■ ■
不思議に思われるかもしれません。
医師免許証がないと…
切ったり縫ったりできないのに…
実際の医学教育では、
この切って縫う練習は、
必須科目ではありませんでした。
自動車の運転免許証を与えるのに、
学科だけで、
コースも路上もなしで、
ペーパーテストだけで免許をもらえるようなものです。
■ ■
美容師さん理容師さんの試験には、
実技があるようですが、
医師国家試験にも、
看護師国家試験にも、
実技試験はありません。
医師免許証をいただいても、
新米医師は何もできません。
■ ■
実際に医師免許証を取得してから、
はじめて手術を担当させていただきます。
医学部では実際にメスを持って、
切ることは教えてもらっていないのです。
医師免許取得前は、
仮免許なんてのはありません。
大学の実習で人間を
切ったり縫ったりはできないのです。
昔の記憶
採血の練習
私が医師免許証を取得したのが、
昭和55年(1980年)です。
今では信じられないことですが、
免許取立ての頃は、
採血も満足にできませんでした。
医師免許を取得するまでに、
私が採血をしたのは…
医学部の生化学実習で一度だけでした。
■ ■
私が採血をしたのは、
同期の三浦純一先生でした。
なんとか採血できましたが、
採血の痕が残りました。
私から採血したのも、
三浦純一先生でした。
学生同士で採血をしました。
三浦純一先生も
私の太くて見やすい血管からでも、
採血するのが大変でした。
■ ■
三浦純一先生は
旭川赤十字病院で、
長い間、小児科部長をした後で、
みうら小児科クリニックを開業されています。
今ではどんなに小さな子どもさんからでも、
採血ができると思います。
小児科の先生は採血のエキスパートです。
その生化学実習は、
採血の練習が目的ではなく、
血液中の脂質?か何かを測定するために、
血液を取る必要があったために、
学生同士で採血をしただけでした。
■ ■
看護師さんも、
看護師免許を取得するまでは、
患者さんからの採血はできません。
免許取得後に、
はじめて他人に針を刺せます。
最初は誰でも下手です。
何回も失敗して、
針を刺した回数が増えれば増えるほど、
上達するものです。
■ ■
中学校を卒業後に、
高校の衛生看護科に進学すると、
18歳で准看護師の免許証を取得できます。
大卒で保健師・看護師の免許証を持った人より、
高卒後に准看護師を取得。
実務経験を積みながら、
看護師となった方の方が、
採血も注射も上手です。
■ ■
私が北大形成外科の研修医となった頃は、
静脈注射は医師の仕事でした。
実際には、
看護師さんの方が、
はるかに上手でしたが、
研修医の仕事として、
私たちが注射針を刺していました。
忍耐強い患者さんが、
『先生、今日は3回まで』と
3回まで失敗しても許してあげるねと
注射をさせてくださいました。
■ ■
私に包帯の巻き方を教えてくださったのは、
北大形成外科外来の看護師、
畑端雅子(はたばたまさこ)さんでした。
何かわからないことがあると、
はたばたさ~ん
はたばたさ~ん
と頼って、
教えていただいていました。
■ ■
処方箋の書き方や、
軟膏の塗り方を教えていただいたのも、
ガーゼのたたみ方を教えてくださったのも、
外来の畑端さんでした。
こうして、私は少しずつ成長しました。
今日があるのは、
みなさまのおかげです。
30年経っても…
私を教育してくださった方に感謝しています。
昔の記憶
第二志望
私は高校生の時から
北大に憧れ(あこがれ)を持っていました。
予備校で習った生物の矢野雋輔先生や、
高校一年で数学担当だった原田先生が、
北大のおおらかさ、
素晴らしさを何度も語ってくださったからです。
一浪しても、
北大(医)の合格レベルは高く、
理科で物理が必須だったこともあり、
私は最初から北大(医)を諦めていました。
■ ■
札幌医大を卒業して、
北大形成外科の研修医になることにしました。
2008年1月16日の経歴詐称
という日記に書いてあります。
札幌医大6年生の時に、
北大形成外科の大浦武彦教授の、
特別講義をお聴きして、
北大へ行くことに決めました。
北大の研修医になるのに、
試験はありませんでした。
■ ■
大浦武彦教授は、
北大の卒業生も、
札幌医大の卒業生も、
まったく差別することなく教育してくださいました。
私にとって、
医師免許証を取得してから、
晴れて第一志望の
北大(医)の研修医となれました。
■ ■
私の人生にとって、
大浦武彦先生の弟子にしていただいたことが、
貴重な財産となりました。
ご恩は一生忘れません。
今、こうして札幌美容形成外科で診療ができるのも、
大浦先生はじめ、
北大形成外科の諸先輩に教えていただいたからです。
免許取り立てのころは…
ほんとうに何もできませんでした。
■ ■
大学医学部で学ぶのは6年間です。
主として基礎医学や臨床医学の
知識を身につけて、
医師国家試験を受けます。
医師としての技術や能力は卒業してからです。
どんなに偏差値の高い大学を卒業しても、
卒業後に受けた教育が悪いと…
医療事故常習者になってしまいます。
■ ■
私はとてもラッキーでした。
大浦武彦先生や
吉田哲憲先生という、
素晴らしい先輩に、
医師としての基本を教えていただきました。
今春の入学試験で、
第一志望の大学を諦めて、
第二志望の大学に入学した方へのメッセージです。
■ ■
医師免許証はどこで取得しても同じです。
卒業後に第一志望の大学や病院で、
研修を受けることによって、
人生は変わります。
重要なのは、
よい指導者につくことです。
私の友人や先輩・後輩医師には、
有名国立大学卒以外で
素晴らしい先生が何人もいます。
入学した大学で人生が決まるのではありません。
昔の記憶
医学部合格への道②
私が卒業したのは、
国公立大学医学部の中では、
ランクが下の、
札幌医科大学です。
それも約30年前です。
偉そうなことは言えませんが、
これから医師を目指す方へのアドバイスです。
■ ■
東大理Ⅲや慶応(医)など、
超難関の医学部ではありません。
志(こころざし)を持って、
サラリーマンの子弟でも行ける、
ふつうの国公立大学医学部への、
合格への道です。
最難関の東大理Ⅲでも、
医師国家試験合格率は100%ではありません。
入学後に留年する人もいます。
国家試験に合格していただける、
医師免許証は国立でも私立でも同じです。
■ ■
札幌市内で進学校といわれる、
札幌南や札幌北でも、
現役合格が難しいのが、
国公立大学の医学部です。
先日ご紹介した、
深澤信博先生の文章
にありましたが、
医師となった喜びを感じられるのは、
幸せは他人に尽くせること,
そしてその人の喜びと感謝の気持ちに
共感できることです。
■ ■
医師になって30年が経ちます。
私は深澤先生のように立派な医師ではありません。
苦労して勉強して
医師になってよかった
と思うのは、
先生、ありがとうございました
と言っていただけた時です。
時には予想外の結果で、
苦言をいただくこともあります。
そういう時にも、できる限りのことをいたします。
■ ■
勉強は孤独です。
自宅に引きこもっていると
自分を見失う恐れがあります。
朝、早くから夜遅くまで、
全員が勉強をしている環境にいると、
自然と勉強するようになります。
成績を向上させるコツとポイントは、
よい先生や参考書を見つけることです。
■ ■
私は回転寿司に行くと、
隣の人が注文した美味しそうなネタを、
注意深く見ています。
そうすると、
美味しいネタがわかります。
受験勉強も同じです。
予備校の自習室などを利用すると、
成績がよい人がどんな勉強をしているかわかります。
友だちになって、
話しをするのもよい方法です。
■ ■
高校生向けの予備校の授業は、
先生がよければ成績UPにつながります。
進学校と呼ばれる学校でも、
科目によって先生を選ぶことはできません。
予備校の授業は、
先生を選択して受けることができます。
私は化学の授業で自分の医進クラスではなく、
他クラスの授業を聴きに行きました。
その橋本先生は北大理学部の大学院生でしたが、
とても明快な授業でした。
■ ■
お金持ちになりたいなら、
医学部を受験することはおすすめしません。
投資家や上場企業の社長さん、
IT関連の社長さんをおすすめします。
他人の役に立ちたい
自分も困ったので
医学を勉強したい
という人に医学部へ進学して欲しいと思います。
人生は何が幸いするかわからない、
努力+αがあるかもしれない
という深澤先生のお言葉に同感です。
医学部を目指して頑張ってください。
昔の記憶
四浪(よんろう)
平成21年4月1日、北海道新聞『いずみ』への投稿です。
四浪
この春、四浪の末、
息子が大学生になる。
息子はひたすら勉強し、
親は祈り続けた。
■ ■
去年の合格発表の日。
「最後の1年で結果を出せなかった。もういいだろう」
と主人に言われ、
「母さんごめんね」
と声を上げて泣いた息子。
その姿を見て、
なんとかしてやらなきゃ、と思い、
主人に
「もう1年やらせて」と頼み込んだ。
■ ■
そうやって与えたこの1年が、
息子にとって、
かえってつらいものになっていないだろうか、
あの時
あきらめさせるべきだったんではないか、
と何度も後悔しかけた。
■ ■
合格ラインに届かなかったセンター試験。
それでも志望を変えずに
逆転を狙って出願した2次試験を経て、
息子は執念で合格を勝ち取った。
いろんな人に
いろんなことを言われた4年間だった。
■ ■
高校卒業後、
社会人になった娘は、
精神的に大きな支えとなってくれた。
この結果ですべてが報われた。
「親として間違いじゃなかった」
と思わせてくれた息子に、
私は心から感謝した。
■ ■
合格発表後の息子の声は、
明るくて大きい。
生き生きとした息子の声を、
久しぶりに聞いた気がする。
一番つらかったのは本人だっただろう。
■ ■
この4年間を思えば、
今後の6年間、
医学生として
息子は頑張り続けられるはずだ。
浮かれることなく、
責任重大な職業を
選ぼうとしていることを忘れないで。
本当に見たかった桜が、
ようやくわが家に咲きそうだ。
平松奈緒美(45歳・パート)
=十勝管内音更町
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
平松様に心からおめでとうございますと
祝福のメッセージをお送りします。
私は4年間、
札幌医科大学形成外科の講師として働きました。
その間、400人の医学生に、
形成外科の講義をしました。
四浪(よんろう)なんてふつうです。
社会人経験者も、
妻帯者もいました。
■ ■
補欠合格で入学しようと、
四浪で合格しようと、
医師としての資質には、
まったく関係ありません。
むしろ、
ご子息は素晴らしいお医者さんになれます。
私の同級生を見ても、
四浪以上で入学して、
素晴らしい院長になっている先生が何人もいます。
■ ■
卒後30年もして同期会をすると、
現役合格で一番若い先生が、
一番老けて見えたりすることもあります。
4年間は決して無駄ではなかったのです。
むしろ現役合格で入学後に、
大学に失望してやる気を無くする人もいます。
多浪して入学した学生さんは、
大学に対する情熱が違います。
しっかり勉強して落第率も低いです。
(100人入学すると6年間で10人以上落第します)
■ ■
札幌医科大学の入学式は
4月3日(金)ですね。
医学部は入学後も勉強が厳しいです。
実習もあり、レポートもあります。
6年後には難関の医師国家試験もあります。
医学部と保健医療学部だけの
札幌医科大学は、
総合大学に比べて欠点もあります。
ただ、よいところもたくさんあります。
医師国家試験合格率は北大(医)より上です。
■ ■
平松さんのお母さん、
ご苦労様でした。
よかったですね。
私の後輩となった平松君へ、
入学おめでとう
大いに青春を楽しんでください。
よい先輩や素敵な彼女を見つけてください。
心から4年間の努力に敬意を表します。
6年間勉強して、
素晴らしいお医者さんになってください。
医学講座
埋没法が取れた②
埋没法が何度も取れるのは…
原因があります。
技術的に未熟な先生が
手術をした不幸な例もありました。
最近多いのは…
眼瞼下垂症の方に、
埋没法の手術をした例です。
下垂の程度にもよりますが、
埋没法で眼瞼下垂症が一時的に治ることがあります。
でも取れてしまうのです。
■ ■
患者さん本人が、
眼瞼下垂症に気付いていないことも、
多数あります。
小学校から学級写真を撮ります。
小学校・中学校の写真を見ると…
いつもあごを上げています。
高校生くらいになると、
目を大きく見せようとして、
懸命に眉を上げて…
目を大きくして写真を撮っています。
眉が上がっているのを隠すために…
前髪を下げて眉を隠しています。
■ ■
こんな方は、
教室の一番前で…
見上げるようにして黒板を見るのが苦手です。
子どもなのに肩が凝っていて、
おでこにしわができています。
本人も両親も
気付いていないことが大部分です。
アイプチをするようになっても、
なかなか決まりません!
■ ■
勇気を出して美容外科へ行き、
念願の二重を手に入れたのに…
わずか数ヵ月でラインが薄くなってきました。
保証つきだったので、
もう一度、お直しの手術を受けました。
それなのに…
また数ヵ月でラインが薄くなってきました。
他の美容外科へ行き、
高い埋没法を受けました。
それなのに…
二重のラインは消えてしまいました。
■ ■
私のところへいらした時には、
片目に8本ずつ、
合計16本の糸が入っていた方も…
いらっしゃいました。
手術前の写真は、
証拠隠滅のために、
ありませんでした。
どこの美容外科で何回手術をしたかも?
正確に覚えていらっしゃいませんでした。
■ ■
眼瞼下垂症の手術をしました。
埋没法の糸を取るだけで大変です。
何本入っていたか?
わからないという方は、
糸を探すだけでも大変なのです。
(糸を外す料金は保険の規定でいただきません)
ためしてガッテンのおかげで、
有名になった眼瞼下垂症ですが、
まだまだ…
一般の方には知られていない病気が、
眼瞼下垂症です。
医学講座
褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会
平成21年3月28日(土)に、
日本褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会が、
札幌コンベンションセンターでありました。
300人以上の看護師、医師、介護職員、研究者など
多数の参加で会場は満席でした。
日本褥瘡学会は、
私の恩師である、
大浦武彦先生が平成10年に設立されました。
■ ■
褥瘡(じょくそう)とは床ずれのこと。
ベッド上で寝ている時にできるきずです。
高齢化社会を迎え、
褥瘡で悩む多くの人を診察して、
大浦武彦先生が専門的な予防と治療の必要性を考え、
この学会を設立されました。
最初の学会は東京の品川でありました。
■ ■
第一回の学会なのに…
会場は人であふれていました。
その数の多さに私は驚きました。
この10年間に褥瘡治療は大きく進歩しました。
医学部や看護学部、看護学校でも、
褥瘡の講義は少なく、
医療従事者であっても、
正しい知識を持っていませんでした。
■ ■
大浦武彦先生は、
日本全国、世界中を飛び回って、
褥瘡の講演をなさり、
その間に在宅診療もなさり、
スーパーマンのように…
褥瘡治療の教育と啓蒙をなさいました。
その結果、
一度に数百人の看護師さんなどが集まるほど、
褥瘡学会を大きくなさいました。
実にすごいことです。
■ ■
3月28日の学会では、
教育セミナーも開催されました。
この10年間で進歩したものに、
褥瘡予防マットレスがあります。
ランチョンセミナーでは、
㈱モルテンの
梶原隆司様の講演がありました。
私も実際にマットレスに寝てみました。
もし万一寝たきりになったら、
このマットレスだったら褥瘡ができないと思いました。
介護・福祉系の方には
是非参加していただきたい学会です。
医療問題
安心LASIK
今朝の朝日新聞に、
視力回復手術
被害防ぐには
説明と検査_万全な眼科へ
という記事が掲載されていました。
東京都中央区保健所によると、
銀座眼科でレーシック手術を受け、
感染性角膜炎などになった方が、
2009年3月27日現在、同眼科からの報告で75人。
少なくとも4人は角膜移植の検討が必要。
2人は今も入院している、
と書かれていました。
■ ■
2009年3月6日、東京地裁に提訴。
医療問題弁護団によると、
溝口院長との関連を
確認できた被害報告は101件(3月26日現在)。
調査中の報告もあり、
「今後も増加することが予測される」という。
健康被害を受けられた方に
お見舞い申し上げます。
一日も早い回復をお祈りいたします。
■ ■
昨日、ニューヨークからお電話をいただいたように、
日本でも米国でも、
どんな先生を選んだらよいのか?
実に難しい問題だと思います。
ネットで【レーシック】と検索しても…
たくさんのサイトが出てきます。
大部分が特定のクリニックへ誘導する、
広告目的のサイトです。
同じことが【わきが】を検索しても言えます。
■ ■
私はニューヨークからの相談者のために、
英語で【わきが】を検索してみました。
厳密には、英語に【わきが】に相当する単語がなく、
わきの手術をしっかりしているクリニックを、
英語で検索してみました。
残念なことに、
米国でも広告のサイトはたくさんありましたが、
しっかりと手術を説明しているクリニックは、
見つけられませんでした。
相談者には別の方法をお教えしました。
■ ■
レーシック手術は、
確かに魅力的な手術です。
朝日新聞には、
慶応大学眼科の坪田一男教授のコメントが載っていました。
・日本眼科学会認定の専門医であること。
・術前の説明、術後のチェック体制がしっかりしていること。
・初めて受診した日に手術するのは望ましくない。
・手術までに2回程度は受診してもらう必要がある。
この坪田先生の基準は一つの目安になります。
■ ■
最後に、
安心LASIKネットワークについて書かれていました。
ここに掲載されている眼科でしたら、
安心してレーシック手術を受けられる
一つの目安になると思います。
ただ、
大学病院だから…
大きな眼科の病院だから…
絶対に安全というわけではありません。
大学病院でも
たくさんの医療事故や医療訴訟があります。
■ ■
最後に先生を選ぶのは、
あなた自身の眼です。
いろいろな情報を集めて、
実際にそのクリニックや病院へ行って、
ほんとうに自分の大切な目を
その先生にお願いしていいかどうか?
ご自分で確かめるのです。
彼氏や彼女を選ぶのと
同じです。
最後は自分の責任で選ぶのです。
医学講座
ニューヨークからの相談電話
今朝、午前5:20に電話が鳴りました。
『お父さん電話。英語!』
家内が寝ぼけ眼で電話を取りました。
私は寝ていたのですが…
“Hello! Good morning.”
『もしもし、おはようござます。』
と電話に出ました。
■ ■
ちょっと暗い声の女性が英語で話してきます。
こんにちは、ニューヨークからお電話しています。
私はわきのことで悩んでいます。
そちらのウエッブサイト(ホームページ)を見て
お電話を差し上げました。
半分眠っていた私は、
ニューヨークからわきの相談で、
電話が来たことがわかりました。
■ ■
ニューヨークからの電話もよく聞こえます。
相談者の方は、
28歳の女性。
職業は看護師さんです。
ニューヨークでワキガ手術について調べ、
何と!
札幌美容形成外科の英文HPを見つけられて、
相談のお電話をくださいました。
■ ■
いろいろ調べてみると、
わきの手術は日本の方が進んでいることがわかり、
ホームページに書いてあった番号に、
国際電話をかけてくださったそうです。
過去に何度かメールでのご相談はありましたが、
国際電話は今回を含めて3回です。
勤務時間中に職員が電話を取ると、
『先生、電話です。英語です!』
と困った顔で、
私のところへ子機を持って来ました。
■ ■
ニューヨークの相談者の方は、
看護師という職業で、
わきの汗と臭いでほんとうに困っている様子でした。
いつも臭いがするんじゃないかと心配です。
シャワーは毎日、
食事にも気をつけています。
ベジタリアンにもなりましたが、
残念なことに何も変わりません。
周囲の人が私の臭いに気付いているか?と心配です。
■ ■
わきの事で悩むのは、
日本もニューヨークも同じですね。
私は眠いのも忘れて、
わきの手術は簡単ではないし、
看護師さんだったら、
一ヵ月近い休みが必要なこともあります。
手術後の安静を保たなければ、
血腫という術後合併症を起こすこともあります。
などを…
英語で説明しました。
■ ■
さすがに日本に来て手術は無理なので、
ニューヨークでアジア系の形成外科医を探すか、
わきの手術をたくさんしている先生を見つけるように
アドバイスをしました。
家内は、
日本はまだ5:20です。
とどうして言わなかったの?
と早朝の電話にちょっと怒っていました。
私は怒るよりも…
Thank you for listening to me and taking the time out to speak with me today. I really appreaciate it.
お話しを聴いていただきありがとうございました。
というメールが来て、
時差のことも忘れて嬉しく思っていました。
昔の記憶
医学部合格への道
医師や弁護士だけが良い職業だとは思いません。
納棺師も葬祭業も立派な職業です。
果樹園や酪農業も立派な職業です。
どんな職業でも、その道の苦労があります。
苦労しなくては、よい製品はできません。
■ ■
楽で儲かりそうだから…とお考えの人には、
医師も弁護士もつとまらないと思います。
私が尊敬する、
弁護士の高橋智(さとる)先生も、
毎日、早朝から深夜まで、
お仕事をなさっていらっしゃいます。
司法試験に合格するまで、
北大法学部の給湯室で
朝から夜まで勉強されました。
■ ■
国公立大学の医学部は難関です。
合格するには、
他人が遊んでいる間も…
勉強するという努力が必要です。
私はたくさんの先生に助けていただき、
医学部に合格することができました。
何十年たっても
感謝の気持ちを忘れたことはありません。
■ ■
私は小学校→中学校と、
一番になったことはありませんが、
美唄、夕張という炭鉱街の学校で、
成績はそこそこよい方に入っていました。
ところが…
札幌西高校へ入学して、
一気に順位は低下しました。
世の中には
頭が良い人がいるものだなぁ…
とつくづく思いました。
■ ■
夕張から札幌へ来て、
勉強をサボったのではありません。
毎日、高校で習ったことを復習して、
次の日の予習をするだけで、
夜遅くまでかかりました。
部活をする余裕もありませんでした。
高校へ入学した頃は、
自分一人で勉強をしていました。
■ ■
私の成績が少しずつ上昇しだしたのは、
高校2年生の頃でした。
仲の良い友人(男子)から、
勉強法を教えてもらいました。
国語が苦手だったので、
国語が優秀な友人に聞きました。
本間、本を読め。
本間、新聞を読め。
本と新聞を読む習慣は、
この友人に教えてもらいました。
■ ■
私が何とか…
医学部の合格圏内に近づけたのは、
予備校の講習で、
生物の矢野雋輔先生の講義を
お聞きしてからでした。
自分が講義をする立場になってからは、
少しでも矢野先生のように…
学生さんに夢と希望を語るような、
印象に残る講義を心がけています。
■ ■
私が知っている人で、
医師を目指していた人がいました。
彼はとても性格のよい青年でした。
ただ、何年受験しても合格できませんでした。
しまいには、日本の医学部は難しいので、
外国へ行って医師免許を取ると言っていました。
彼が医師になったかどうかはわかりません。
■ ■
一部の頭のデキが違う人は、
塾にも予備校にも行かずに、
難関の大学に現役合格ができます。
でも…
私のように凡人の頭では、
勉強の仕方
入試の傾向と対策
面接の極意
などを予備校の優秀な先生に教えてもらうのが、
医学部合格への道です。