医学講座
第34回日本熱傷学会①
平成20年6月28日(土)と29日(日)に
名古屋で第34回日本熱傷学会が開催されました。
私が医師になった、
昭和55年(1980年)に、
札幌で第6回日本熱傷学会が開催されました。
28年間の進歩というのは、
素晴らしいものです。
■ ■
今回の学会では、
聖マリアンナ医科大学形成外科の
熊谷憲夫教授の招待講演がありました。
‘皮膚再生医療による創傷治療’
というタイトルでした。
熊谷先生は、
日本における培養表皮移植のスペシャリストです。
今回の講演でも、
培養表皮移植の素晴らしさを見せていただきました。
■ ■
熊谷先生の講演をお聞きして、
正直なところ、
培養表皮移植を見直しました。
オブラートのように薄い培養表皮で、
よく治せるものだ…
というのが、
私の感想です。
■ ■
何度も書いていますが、
ふつうの人は、
培養表皮移植をすると、
どんなにひどいヤケドでも、
元のツルツルのお肌に戻せる…
と‘誤解’されます。
実際に、焼けただれてしまった皮膚を、
元に戻せるのではありません。
■ ■
今回の熊谷教授の講演をお聞きして、
先人の培養表皮に対する思い。
培養表皮移植の歴史。
現在の培養表皮移植の状況が、
とてもよくわかりました。
まだまだ私たち開業医が、
手軽に利用できる状況ではありませんが、
熊谷教授の聖マリアンナ医大形成外科でしたら、
世界一の治療が受けられます。
■ ■
私たち形成外科医が、
一番頭を悩ますのが、
ヤケドのキズ痕です。
若い女性に、
広範囲にヤケドの痕が残っている。
なんとかキレイにしてあげたいと思っても、
なかなか、
元のツルツルのお肌にはできません。
■ ■
もちろん培養表皮を使っても、
完全に元通りにはできません。
熊谷教授がスライドで見せてくださった症例は、
今まで私たちが考えていたより、
ずっとキレイになっていました。
費用も時間もかかりますが、
聖マリアンナ医大形成外科へ行けば、
かなり改善できると思います。
■ ■
神様がおつくりになった皮膚には、
表皮だけではなく、
真皮も、
毛も
汗腺も
神経も
皮脂腺などの付属器もあります。
培養できるのは、
今のところはこの一番上の
表皮だけです。
■ ■
将来、
表皮以外の皮膚成分も培養できるようなれば、
ヤケドやキズの治療は変わると思います。
火災や事故で
大ヤケドをした人の命を救うのが皮膚です。
救命のためには、
培養表皮だけではなく、
スキンバンクに保存された、
屍体皮膚も必要なのが現状です。
医療問題
山形大学の事件⑥
美容形成外科、
美容外科、
美容整形、
このうち厚生労働省が認めた、
正式な標榜科目名はどれでしょうか?
医師免許を持っていても間違う人がいます。
■ ■
正解は美容外科です。
いちばん一般的な美容整形は、
認められていません。
でも、
‘整形する’
という日本語を聞くと、
整形外科で骨の手術をするのではなく、
美容外科で
二重の手術や鼻を高くするする手術を連想します。
■ ■
形成外科は、
よく誤解されます。
最近では、
さすがに、
形成外科医です、
といって
整形外科医と間違える人は
少なくなりました。
でも、形成外科と美容外科は混同されます。
■ ■
いちばん多い誤解は、
山形大学医学部が間違った誤解です。
つまり、
事故などでできたキズを
キレイに治す手術は、
‘美容外科的手術’であるという誤解です。
これは、
私の先輩にあたる形成外科医が
長い年月をかけて保険適応にしてきた、
‘形成外科戦いの歴史’です。
■ ■
生まれつき、
耳がない子どもさんがいます。
今は、保険適応になっていますが、
昔は耳をつくる手術が
保険適応になりませんでした。
昭和50年の毎日新聞社会欄に
「ボク、左耳がほしい。健保なぜきかないの?」
という記事が出ました。
耳がない病気の子どもさんが、
当時の田中厚生大臣に手紙を書きました。
■ ■
その翌日に、
「左耳、手術できるよ」と、
田中厚生大臣が健康保険の適応を認め、
それが毎日新聞の記事になっています。
このことを書かれたのは
日本形成外科学会で、
長い間、社会保険委員をなさった、
東京厚生年金病院の故中村純次先生でした。
中村先生が、
1982年に
日本形成外科学会25周年記念誌に書かれました。
■ ■
キレイなるために
鼻を高くする、
おっぱいを大きくする、
これはもちろん美容外科の手術です。
保険はききません。
不慮の事故や
熱傷で
キズができてつっぱっている、
そのキズを少しでもよくしたい。
これは形成外科の手術です。
形成外科では保険診療で手術をしています。
■ ■
日本形成外科学会HPには、
次のように書かれています。
生まれつきの病気や
変形の治療、
外傷や熱傷(ヤケド)の治療、
ガン切除後の再建手術などは
健康保険の対象になります
■ ■
山形大学医学部に入院された患者様は
私の推測では、
健康保険の適応手術だったと思います。
それを
「美容的外科手術」
などと報道発表すること自体が、
形成外科を理解していない証拠なのです。
■ ■
同じような事故を防ぐためには、
山形大学医学部に形成外科をつくり、
形成外科の診療体制を確立することです。
それが患者様への償いになります。
私は、
今でも患者様の脚にはキズが残り、
少しでも、
それを改善したいと
願っていらっしゃると思います。
医療問題
山形大学の事件⑤
山形大学の医療事故は、
山形大学医学部が
形成外科のこと、
手術を希望する患者さんのことを、
軽視したために、
起こるべくして起こったと考えます。
山形大学医学部が
いかに形成外科を理解していなかったか?
ということは、
発表された文書を見ても明らかです。
■ ■
2007年1月の調査委員会発足の会見で、
事故のことを附属病院長から
「生命と関係ないいわゆる美容的外科手術」
と発表されました。
2007年12月19日に、
【医療事故に係る手術名訂正について】と
山形大学医学部附属病院長山下英俊先生の名前で
と訂正の公示が出ています。
「美容的外科手術」を
「形成外科的再建術」
と訂正させていただきます。
という内容です。
■ ■
何のことか?
よくわからない方がいらっしゃると思います。
大学当局は、
「美容的外科手術」と
「形成外科的再建術」
の違いすら認識していなかったのです。
本間先生、何?言ってんの?
『美容形成外科』って言うくらいだから、
美容も形成も同じでしょ?
という方がいらっしゃると思います。
■ ■
そこが大きな違いなのです!
「形成外科的再建術」であれば、
保険適応で手術をすることができます。
「美容的外科手術」であれば、
大学病院といえども、
絶対に保険適応にはできません。
保険適応にならない、美容的外科手術を、
保険請求していたとします。
そうすると、不正請求になります。
■ ■
不正請求をした病院は、
保険医療機関の取消しになることもあります。
社会保険事務局の調査が入って、
山形大学医学部附属病院が、
保険医療機関の取消し処分を受けると、
さくらんぼさんも診療が受けられなくなります。
これは、
【重大な誤り】です。
ちょっと、文言を誤りましたで、
済むことではありません。
■ ■
もし、山形大学医学部が
形成外科専門医に相談をして、
報道発表をしていれば、
絶対に「美容的外科手術」とは書きません。
山形大学医学部HPの記載です。
【医療事故に係る手術名訂正について】
山形大学医学部附属病院は、
平成17年5月に本院で手術された患者様が
術後経過不良となった件について、
平成19年1月に調査委員会発足の会見をした際、
現病及び診療科名等から患者様が特定されないよう
「生命と関係ないいわゆる美容的外科手術」
の表現を用いました。
■ ■
平成19年3月の調査結果報告の会見をした際は、
調査結果を踏まえ、
手術名は
「形成外科的再建術」
と訂正し、
診療科名と共に公表いたしました。
この案件に関しては、
「美容的外科手術」を
「形成外科的再建術」と訂正させていただきます。
平成19年12月19日
山形大学医学部附属病院長 山下英俊
■ ■
もっともらしく発表していますが、
読む人が読めば不正請求の疑いがあります。
山形大学は荻野先生を処分して、
安全対策を万全にしたと公表しています。
ところが、実際には
事故の後も、
発表の後も、
何も変わっていません。
残念なことに、山形大学医学部には、
形成外科的再建術を必要とする患者さんを
これからどうしようという姿勢がありません。
同じような形成外科患者さんの手術で、
また事故が起こる可能性も考えられます。
医療問題
山形大学の事件④
北海道には、
北海道大学医学部、
札幌医科大学、
旭川医科大学の
3つの医育機関があります。
旭川医科大学には形成外科はありません。
形成外科専門医もいません。
■ ■
東北には、
青森県→弘前大学医学部、
岩手県→岩手医科大学、
秋田県→秋田大学医学部、
山形県→山形大学医学部、
宮城県→東北大学医学部、
福島県→福島県立医科大学
の医学部があります。
このうち、秋田大学医学部と
山形大学医学部には形成外科がありません。
■ ■
日本の医学部や医科大学には、
形成外科専門医すらいないところがあります。
何回か書いたことがありますが、
もともと形成外科は、
皮膚科や整形外科の一部から独立しました。
北大に形成外科ができたのが、
昭和53年でした。
私の恩師である、
大浦武彦先生が血の出るような努力をされて、
北大に形成外科をつくられました。
■ ■
北大に形成外科ができたのは、
大浦先生の恩師である、
北大皮膚科教授の三浦祐晶先生のおかげだと
私は大浦先生から何度もお聞きしました。
大学や大きな総合病院に新しい診療科をつくることは、
大変なことだというのは、
私自身が肌で感じてきたことです。
北大では、皮膚科から別れて形成外科ができました。
当時の詳しいことはわかりませんが、
一般的には形成外科ができるということは、
皮膚科の教官が減るということです。
■ ■
私の推測では、
三浦先生は皮膚科の教官数が減っても、
形成外科という新しい科をつくって、
手術が必要な患者さんを助けたいと思われたのです。
三浦先生のような、
よき理解者がいないと、
形成外科のような新しい診療科はできません。
もちろん、北海道大学医学部付属病院長や
北海道大学総長の英断もあったと思います。
■ ■
北大と同じ昭和50年代前半から、
形成外科があった国立大学は、
東大、
京大、
長崎大学
だけだったように記憶しています。
私は、30年近く形成外科を専門としてきました。
私自身が、市立札幌病院で、
平成元年から平成6年まで、
皮膚科医師として形成外科の診療を、
6年間も担当しました。
■ ■
交通事故で顔の骨を骨折した患者さんが搬送されました。
救急部へ行って、
『手術が必要です』
『手術は○○のように行います』と
ご家族に説明しました。
何も状況がわからないご家族から、
『失礼ですが…、
皮膚科の先生に顔の骨の手術ができるのですか?』
というようなことを聞かれたことがありました。
■ ■
山形にも、
脚のキズをキレイに治したい。
脚にある、アザをキレイに治したい。
という患者さんが必ずいると思います。
形成外科がないので、
患者さんはどこを受診したらよいかわかりません。
病院の受付で聞いてもわかりません。
皮膚のキズだから皮膚科?
なんて感じで皮膚科をすすめられたことも
実際にありました。
■ ■
もし、山形大学医学部に形成外科があれば、
形成外科専門医が最初から診察し、
入院・手術計画を立て、
患者さんやご家族に説明していたと思います。
そうすれば、形成外科の中で
手術法についてカンファレンスがあり、
術後も形成外科専門医がチェックできたはずです。
患者さんがご不幸だったのは、
しっかりとした形成外科の診療体制がなかったことです。
形成外科専門医として本当に申し訳なく思います。
医療問題
山形大学の事件③
ここからの記載は、一般的な術後経過です。
私は山形大学と何の関係もなく、
手術に入ったわけでもありません。
ひとりの形成外科専門医の推測です。
山形大学の先生は、
下腿のキズを丁寧に縫合したと思います。
手術終了時には何の問題もなく、
無事に終了してよかったよかった!
と手術を終わりました。
■ ■
手術のトラブルは手術後に起こります。
術後出血、
術後感染、
術後の肺合併症、
など
手術の後の管理が大切です。
外科医は、
研修医時代に先輩からイヤというほど叱られて
術後管理を覚えます。
■ ■
手術が終わると、
患者さんは入院していた皮膚科病棟へ帰りました。
ご家族が心配してお待ちになっています。
ふつうの一般的な大学病院でしたら、
患者さんの術後管理は入院している病棟、
すなわち皮膚科病棟で行います。
問題はそこからです。
■ ■
病棟へ戻ってから、
手術後の腫れが出てきます。
手術直後は問題がなくても、
手術後の腫れ(医学用語で腫脹(しゅちょう)といいます)
によって、血流障害が出ることがあります。
病棟では、担当の看護師が
術後の観察をします。
■ ■
麻酔が切れて、
腫れが強くなってくると、
患者さんは痛みを訴えます。
術後の一過性の痛みか?
合併症による痛みか?
の判断が重要になります。
持続硬膜外麻酔という麻酔が効いていると、
痛みを訴えないことがあります。
その時は、足先の血流を見て判断します。
■ ■
ベテランの看護師が夜勤をしていると、
すぐに判断ができて、医師へ報告されます。
報告先は、皮膚科の当直医です。
皮膚科の当直医は患者さんを診察して、
異常が認められれば、主治医へ報告します。
主治医は、診察をして、
自分で対応ができなければ、
手術を手伝ってくれた形成外科専門医へ報告します。
これが、大学病院のごく一般的な流れです。
■ ■
病棟での責任者は、
①主治医
②病棟医長(ふつうは皮膚科の准教授か講師)
③皮膚科診療科長(皮膚科教授)
④附属病院病院長
となるのが一般的です。
実際に毎日回診して、キズを診るのが、
研修医+指導医(皮膚科)
何か問題が生じたら…
整形外科の形成外科専門医に連絡!
というのが、
日本における平均的な医学部附属病院です。
■ ■
白い巨搭でおなじみの教授回診。
浪速大学医学部第一外科では、
外科の財前教授が回診をしていました。
内科の里見助教授は、外科の回診には来ません。
山形大学の患者様は、
皮膚科に入院されていたので、
ふつうの医学部附属病院であれば、
診療科長である皮膚科教授が責任者です。
皮膚科病棟の教授回診は皮膚科教授がします。
教授が不在の時は、准教授がします。
■ ■
医療事故の報告も同じです。
このような、事故があった際には、
まず担当した診療科の皮膚科医師から
診療科長の皮膚科教授に報告が上がり、
そこから病院長へと報告が上がるのが
一般的なルールです。
■ ■
山形大学の患者様の主治医は
皮膚科医師であり、
手術に際して、
皮膚科から整形外科に組織的な要請はなく、
整形外科の所属である形成外科専門医に
直接執刀をお願いしたことで、
結果的に、整形外科内でのカンファレンスがおこなわれず、
整形外科長(荻野教授)に状況が伝えられないまま
医療事故になりました。
■ ■
私は、
患者様が、
もし整形外科病棟へ入院されていたら…
この事故は防げたと考えます。
整形外科の病棟では、
術後に下肢の状態をチェックするのは…
日常茶飯事。
どんな新人のナースでも、
患者さんの訴えを見逃すはずはありません。
■ ■
荻野教授の指揮監督下であれば、
必ず教授回診で善処されたと思います。
この事故は、
荻野教授の守備範囲以外の部署で起こりました。
ですから、
処置が後手後手になったのだと推測します。
私は荻野教授の手術を知っています。
とても丁寧でキレイな手術をなさる先生です。
問題なのは山形大学医学部の診療体制なのです。
その理由を次に書きます。
医療問題
山形大学の事件②
報道発表によると、
20代の女性患者さんの医療事故の原因は
コンパートメント症候群です。
コンパートメント症候群?って何?
ネットで検索すると、いろいろな説明がでてきます。
どの説明を読んでも、あまりピンときません。
■ ■
話しをわかりやすくするために、
ブーツを例にとってお話しします。
女性が冬に履くブーツ。
いろいろなデザインがあります。
たいていのブーツに、ファスナーがついています。
体重が増えて、脚(下腿)が太くなったとします。
昨年は履けたブーツがきつくて入りません。
ショックです。
■ ■
気に入っていたブーツで、
あまり痛んでもいないので、
無理やりファスナーを引っ張り上げて…
ブーツが裂けそうになるくらい…
無理矢理ブーツを履きます。
ようやく入りました。
パンパンになったまま、朝お出かけします。
■ ■
最初はなんとかガマンできていても、
そのうち痛みで耐えられなくなってきます。
でもファスナーを緩めると、
ブーツが脱げてしまい歩けません。
仕事中に靴屋さんに行くこともできません。
痛みをガマンして歩いていると、
そのうち感覚が麻痺してしまいます。
■ ■
仕事で外回りをしている。
通勤に長時間かかる。
きついブーツを長時間履いて、
歩いていると、脚がパンパンになってきます。
感覚が麻痺しても歩いていると、
脚がしびれて、最後には血流が止まってしまいます。
これがコンパートメント症候群の原理です。
■ ■
つまり、脚をしめつけて血流が悪くなる病態です。
ブーツで…
そこまでガマンする人はいないでしょうが、
真冬の寒い時期などにガマンしていると
足先の感覚がなくなってしまうのと同じです。
痛みを感じているうちは大丈夫ですが、
きついブーツを履いたまま、
酔って泥酔してしまったりすると…
大変なことになります。
脚が壊死(えし)してしまいます。
■ ■
日本救急医学会HPの説明です。()内は私の捕捉です。
(下腿のように)複数の筋肉がある部位では,
いくつかの筋ごとに,
骨,筋膜,筋間中隔などで
囲まれた区画に分かれて存在する。
その区画のことをコンパートメントという。
■ ■
骨折や打撲などの外傷が原因で
筋肉組織などの腫脹(しゅちょう)がおこり,
その区画内圧が上昇すると,
その中にある筋肉,血管,神経などが圧迫され,
循環不全のため壊死や神経麻痺をおこすことがある。
これをコンパートメント症候群という。
とくに多くの筋が存在する
前腕,
下腿や
大腿部で起きやすい。
■ ■
骨折や打撲だけではなく
ランニングやジャンプなどの
激しい運動によってもおこりうる。
強い疼痛が特徴であり,
他に
腫脹(しゅちょう),
知覚障害,
強い圧痛などがみられる。
処置が遅れれば筋肉壊死や神経麻痺をおこす。
筋区画内圧が40mmHg以上であれば,
筋膜切開(減張切開)が必要となる。
■ ■
コンパートメント症候群は珍しい病態ではありません。
整形外科医、
救急医、
外科医、
形成外科医
であれば、
必ず知っているべき病態です。
■ ■
救急医学会HPにあるように、
処置が遅れれば後遺障害が残ります。
逆に処置が早ければ
後遺障害を残さずに治癒することもあります。
きついブーツだって、
早く脱げば脚はしびれませんし、
後遺障害が残るようなことはありません。
残念なのは、
山形大学医学部付属病院で
どうして早く処置ができなかったか?です。
この理由は、別の日に書きます。
医療問題
山形大学の事件①
さくらんぼさんが、
何回かコメントしてくださっている事件のことです。
私が山形大学の事件を知ったのは、
さくらんぼさんからの、一通の相談メールでした。
最初に、
手術を受けながら、後遺障害が残ってしまった患者様に、
一人の形成外科医として、心からお詫びいたします。
詳細は
山形大学職員組合ホームページに
荻野先生の裁判を支援する会として記載されています。
この医療事故は形成外科に関係があります。
新聞記事や職員組合HPによると次の通りです。
■ ■
2005年5月一人の女性患者さんが、
下肢の手術のために、
山形大学病院の皮膚科に入院しました。
主治医は皮膚科の先生です。
手術を引き受けて、
入院の指示をした皮膚科には、
形成外科専門医はいませんでした。
もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
経緯はわかりませんが、
整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
■ ■
手術の結果が思わしくなく、
結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は思います。
その事実については、一人の形成外科医師として、
患者様に本当に申し訳なく思います。
皮膚科に入院していた患者様は、
2005年8月山形県外の病院に転院。
2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
初めて明るみに出ました。
■ ■
2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
2007年11月山形大学教育研究評議会が
荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
それは手術を執刀した形成外科専門医が
整形外科の所属だったからです。
荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
■ ■
その結果、さくらんぼさんが書かれていたように、
ある日、大学病院へ行ったら、
突然、荻野教授の名前がなくなっていた…
という事態になったのです。
皮膚科の担当医は2007年8月までに
定年退職および転出。
何の処分も受けなかったようです。
■ ■
私は、
もし山形大学に形成外科があって、
形成外科の担当教官がいれば、
この事故は防げたと思います。
山形大学の診療体制が事故の原因です。
荻野教授を処分しても、
何の問題解決にもなりません。
荻野先生を頼っている、
たくさんの患者さんが心配しています。
この事件に関して数回に分けて記載します。
院長の休日
チェリー1周忌
愛犬のチェリーが亡くなって、
6月18日で一年になりました。
18日は、特に何も行事はしませんでした。
チェリーが亡くなって一年だね…
と話した程度です。
■ ■
6月19日に知り合いのお宅へ伺いました。
そのお宅では、
シェルティーを3匹飼っていらっしゃいました。
チェリーと同じ位の年令の
お母さんワンコとその仔犬たちでした。
残念なことに、
3匹ともチェリーより先に旅立ってしまいました。
■ ■
チェリーにも
一匹、子どもがいました。
メスのクッキーという名前でした。
北見の知人のお宅で、
大切に飼っていただいていましたが、
チェリーより早く亡くなってしまいました。
人間の世界より、
イヌの世界の方が、
親より先に亡くなる仔犬が多いようです。
■ ■
シェルティーを3匹飼っていらしたお宅では、
奥様がすっかり元気をなくされていました。
最後のワンコが亡くなってから…
約2年間、ペットがいませんでした。
そのお宅に、仔犬がやってきました。
まだ、4ヵ月のシェルティーです。
東京のブリーダーさんが大切に育てたワンコです。
■ ■
19日に、そのワンコと遊ばせていただきました。
ともておりこうなワンコでした。
まだ、4ヵ月なのに…
とてもおりこうでした。
チェリーが4ヵ月の時はどうだったかなぁ~?
と思い出していました。
■ ■
私の小さい頃からの夢は、
戸建の家に住んで、
イヌを飼うことでした。
昨年までは、チェリーがいました。
一軒家に住んでいました。
チェリーが亡くなって、
家も引っ越しました。
家内はもうイヌは飼わないと言っています。
■ ■
わが家は、まだ当分イヌを飼う雰囲気ではありません。
もうしばらく、喪に服して、
他に楽しみを見つけて暮らします。
シェルティーを見るとチェリーを想い出します。
かわいいワンコでした。
チェリーの子ども
クッキーの写真です
昔の記憶
切断指再接着
平成20年6月21日の日記に、
北海道で最初に、
切断指再接着を成功させたのが、
薄井正道先生と書きました。
切断した指を、
世界ではじめてつないだのが、
1965年、
奈良医大整形外科の玉井先生と小松先生でした。
これは今でも、欧米の教科書に記載されています。
■ ■
北海道で最初の成功例は、
1974年、
北海道大学整形外科の薄井正道先生でした。
1974年3月(昭和49年3月)でした。
当時、私は一浪の末に、
札幌医大から合格通知をいただいていました。
ようやく試験勉強から開放され、
毎日、ぼ~っとしていました。
■ ■
当時は朝日新聞を購読していました。
夕刊の記事だったと思います。
『せっちゃん、指くっついた!』
という見出しで、
写真入りの記事が掲載されました。
何気なく、読んでいると…
その記事に載っていたのは、
私の夕張市立鹿島中学校の同級生でした。
■ ■
間違いなく、
鹿島中学3年A組で、
渡辺煕(わたなべひろし)先生のクラスで、
同級生だった、○○勢津子さんでした。
新聞記事を見た第一印象。
『キレイになったなぁ!』
■ ■
私が大夕張で同級生だったのは、
15歳の時でした。
面倒見のよい、明るい子でした。
目がパッチリと大きかった印象があります。
それから4年が経過していました。
私19歳、彼女も19歳です。
同じ班だったこともあり、
中学校ではよく話していました。
■ ■
彼女は、南大夕張の木工場で作業中、
誤って指を切断してしまいました。
南大夕張から、北大まで搬送され、
薄井正道先生に手術を受けました。
切断された、
おや指の血管と神経をつないで、
再接着術に成功しました。
■ ■
札幌医大に合格したばかりで、
私には何の医学的知識もありませんでした。
新聞に掲載されていた彼女を見て
ただただ驚きました。
笑顔で『先生ありがとう!』と言っているのは
4年前に同じクラスで勉強していた子でした。
すごいなぁ。
痛かっただろうなぁ。
そんな思いが頭をめぐりました。
■ ■
お見舞いに行こうかなぁ?
一人では行きにくいなぁ…
シャイな私は、友人に頼んで、
一緒に北大病院まで行ってもらいました。
北大病院の整形外科病棟まで行きました。
病棟の看護婦さんに、
『あのぅ~、指の○○さんのお見舞いに…』
と言ったところ、
『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
と言われました。
■ ■
『あっ、それじゃこれ渡してください。』
と
持って行った、お菓子を置いて、
シャイな私は逃げるように帰ってきました。
看護婦さんが、
『ちょっと待っててくれればいいのに…』
『きっと残念がるゎ…』
と言われたのを覚えています。
新聞に出ていた○○さんが、
とてもキレイになっていたので、
私は会うのが恥ずかしかったのです。
■ ■
その後、35年が経過しました。
私は○○さんにお会いしたことがありません。
医師になってから、
薄井先生に、話したことがあります。
先生もよく覚えていらして、
『あぁ、せっちゃんいい子だった。』
『確か、天理市へ行かれてその後診ていない…』
というようなことを話した記憶があります。
■ ■
日記に書いた、
土田芳彦先生は薄井先生の弟子。
薄井正道先生は、
現在、釧路市の東北海道病院院長をなさっていらっしゃいます。
もし、山形で切断指や重症四肢外傷になったら、
山形大学医学部整形外科に
荻野利彦教授がいらっしゃいます。
山形大学整形外科は、
一度に多数の指の再接着に成功し、
TVや新聞で報道されたこともあります。
荻野教授も
薄井先生と同じ、北大整形外科上肢班でした。
さくらんぼさん、
北海道まで来なくても大丈夫ですょ。
医療問題
北大形成外科同門会
昨夜、北大形成外科同門会の会議がありました。
同門会というのは、
北大形成外科で修行をした仲間医師の集まりです。
今は、北大形成外科には所属していなくて、
病院勤務や開業をしている医師が
同門会の主要メンバーになります。
OBによる親睦団体というところです。
北大形成外科では、
現在、北大形成外科に在籍している医局員も
教室会員となります。
教授や准教授、講師、助教というスタッフの他に
研修医も教室会員です。
■ ■
北大で研修した仲間の会ですから、
30年近くも、ずっと顔見知りです。
遠い親戚よりも、自分にはずっと身近な存在です。
自分にいろいろなことを教えてくれた、
大切な先輩であり、
自分が手術を教えた、
かわいい後輩も同門会員です。
業界の親睦団体と違うのは、
師弟関係であったり…
よき相談相手であったり…
私に言わせると、
形成外科という、自分にとってかけがいのない
もう一つの‘親兄弟・親戚’以上の関係が同門会です。
■ ■
最近の若い先生は、
卒後に大学病院の医局に入らず、
すぐに市中病院や民間病院で臨床研修をします。
結果的に、大学に残る人が少なくなっています。
確かに、昔から医局制度には問題もありました。
ただ、私にとっては良い制度で
良い時代でした。
採血や点滴すら満足にできなかった私が、
手術ができるようになったのは、
北大形成外科のおかげです。
■ ■
私は、大浦武彦教授が率いる、
北大形成外科へ入局しました。
現在の私があるのは、
大浦武彦先生や北大形成外科の先輩のおかげです。
いつも感謝しています。
札幌医大から北大へ行くことは少し勇気がいりました。
私が北大へ行けたのは、
松本敏明先生、
大岩彰先生という、
お二人の札幌医大の先輩がいらしたからでした。
■ ■
特に大岩彰先生は、
私が札幌医大に入学した時に、
熱心に弓道部へ誘ってくださった先生でした。
大岩先生の、
『私でもやっているんだから大丈夫だょ』
『おいで!』
という一言で、
私は安心して北大形成外科へ来ました。
大岩先生はお忘れになっていると思いますが、
私が北大を訪ねた時に、
生姜焼き定食をごちそうしてくださいました。
■ ■
松本先生は、アクティブで激しい先生です。
レーザーのスペシャリストです。
大岩先生は、穏やかで優しい先生です。
巻き爪という、手術が難しい爪の病気に、
独自の大岩法という、手術法を考案されました。
あまり知られていませんが、
私は今でも素晴らしい手術法だと思っています。
大岩先生は現在は形成外科を離れていらっしゃいますが、
同門会にはいつもいらしてくださいます。
■ ■
同門会の会議で、
最近、医局を離れる先生のことが話題になりました。
全国どこの大学の形成外科でも、
専門医も取らずに、大学を去る先生がいらっしゃいます。
どこへ行くのも、
職業選択の自由という、
日本国憲法が定めた基本的人権です。
形成外科や自分の将来のことを考えてのことです。
私は、北大形成外科は円満退局しましたが、
札幌医大は追い出されました。
■ ■
前にも書いたことがありますが、
48歳にして職を失い、
路頭に迷いました。
子どもにもお金がかかる時期だったので、
本当に困りました。
私は幸いなことに、
中央クリニックの社長さんに拾っていただきました。
中央クリニックも円満に退職させていただき、
札幌美容形成外科を開業できました。
■ ■
私は自分の生き方が正しいとか、
大学を辞めて美容外科医になるのが悪いとか、
言うつもりはまったくありません。
一度しかない人生ですから、
自分の思うように生きるのがいいと思います。
ただ、
私が札幌医大を追い出された時に、
精神的な力になってくれたのが、
北大形成外科の先輩や後輩でした。
■ ■
医師にもたくさんの悩みや苦しみがあります。
悩んだり苦しんだりした時に、
相談できる先輩がいるのは、
本当にありがたいことです。
これは苦しんだ人にしかわかりません。
そんな時に相談できる先輩を持つには、
北大形成外科同門会は最適なところだと思います。
私は、自分が一度、
奈落の底へ落ちて助けてもらったので、
後輩が困っていたら、
できるだけのことをしたいと思っています。