院長の休日
札幌駅のラベンダー
JR札幌駅には、
大丸がある南口と
反対側の北口があります。
札幌駅北口には…
意外なところにラベンダーが咲いています。
このラベンダーを眺めるのが…
私の楽しみの一つです。
昨年もご紹介しましたが、
今日はもう少し詳しく説明します。
■ ■
北口には、
バスターミナルがあります。
団体観光バスは北口から出発します。
(定期観光バスは東口のエスタです)
この観光バスの他に、
札幌市内の路線バスの乗り場が、
北口にあります。
ちょうどそのバスが出る、
出口付近にラベンダーが咲いています。
■ ■
札幌駅から、
北8条西2丁目にある、
合同庁舎(北海道開発局や法務局があります)
へ向かって歩いて行く途中に、
自家用車の乗降場があります。
この乗降場の端に…
ラベンダーがひっそりと咲いています。
こんなところに咲いてくれて…
ありがとう!
と言いたくなるような場所です。
■ ■
今年は無粋な…
工事中の看板が立てられています。
ラベンダーを
札幌市が管理しているのか?
道路工事の
看板を立てた部署は違うのか?
わかりませんが、
ラベンダーはけなげに咲いています。
工事中の看板は、
ラベンダーの中よりも、
先の電柱の下が見やすいと思います。
■ ■
2009年6月28日と同じラベンダーですが、
わずか3日で、
蕾から開花しているのがわかります。
今日のラベンダーのように、
開花してしまうと…
ドライフラワーにはできません。
開花してしばらくすると、
ファーム富田では刈り取って、
ラベンダーオイルを作っています。
オイルを作る作業場では、
とてもよい香りがします。
■ ■

札幌駅北口のラベンダー
2009年7月1日

こんなところに咲いています
院長の休日
旅立ち日和
昨日tetsuko様からいただいたコメントです。
今日の空、きれいですね。
看取りの現場で言う、
『旅立ち日和』って、
ご存知でしたか。
今日のような、
初夏の晴れた日、
その日が近くなった患者さんが、
『こんな日に逝ってみたいもんだね、
この土地の、
一番きれいな空に昇るのは
気分のいいものだろうね』と、
笑顔で話してくださることがあるんですよ。
■ ■
人生の終わりに、
病気と向き合い、
受け入れた患者さんの言葉です。
残された者の気持ちをやわらげてくれるはず、
そんな思いでこのお話をしました。
しばらくたって、
先生、半泣きからいつもの表情に変わって、
「お義父さんもそうだったのかもしれない。
今日の空のように、
きれいな心の人だった。
空を見るたび、
お義父さんを思い出せるわ。」
■ ■
検診で伺った園の
園長先生が
長年同居していたお義父様を、
亡くされた時にかけられた
お言葉でした。
私の家内の父は、
4月の桜が満開の時に急逝しました。
毎年の命日には、
桜がとてもキレイに咲きます。
■ ■
私は医師でありながら、
看取りは、
数えるほどしか経験していません。
重い病で、
長く患う方と、
ご一緒にいると…
自分がのめり込みそうな性格なので、
看取りとは離れた
形成外科を選んだつもりでした。
■ ■
形成外科とか、
整形外科を選ぶ先生には、
患者さんの死と、
対面するのが苦手なので、
その科目を選ぶ人もいます。
いつかは対面しなければならない死は、
医療者側にとっても辛いものです。
私たち医師は、
『ご臨終です』
と申し上げると病室から去って、
死亡診断書を書きます。
■ ■
亡くなった患者さんの、
死後の処置をして、
ご遺族となられた家族へ、
慰めの言葉をかけるのは、
看護師さんです。
tetsuko様のお知り合いの
ベテランの看護師さんは、
さぞ優しい方なのだろうなぁ…
と考えてしまいました。
■ ■
先日、高校の同期が亡くなったと知らせが来ました。
高校一年の時に一緒だった男性です。
何の病気だったか?わかりませんが、
同年代の人が亡くなると、
考えさせられます。
辛いこともたくさんありますが、
こうして元気をいただくと、
頑張って元気なフリができます。
2009年6月も今日で最後です。
7月は元気が出ますように…
tetsuko様ありがとうございました。
院長の休日
医者としての幸せとは?
私が札幌医大の学生だった頃は、
大きな病院の院長とか、
○○部長とかになるのが、
医者として‘偉い’人なのかなぁ~?
と漠然(ばくぜん)と思っていました。
自分が院長になりたいとか、
○○部長になりたいとか、
思っていたのではありません。
自分の身の回りに、
そういう人がいなかったので、
漠然と思っていただけでした。
■ ■
当時は、
札幌医大を卒業しても、
大きな病院の院長には、
なれないと言われていました。
北海道内の大きな病院の院長は、
大部分が北大の卒業生で、
一部に東北大の先生がいらっしゃいました。
札幌医大は戦後に開学した公立大学です。
私が学生だった頃には、
まだ札幌医大の卒業生で
札幌医大の教授になった先生は、
数えるほどしかいませんでした。
■ ■
大学病院で偉いのは、
学長、
医学部長、
病院長、
各教授でした。
教授でも講義がつまらない人とか、
助教授とか、
講師の方が、
講義も面白くて、
学生に人気がある先生は…
たくさんいらっしゃいました。
■ ■
私が卒業して30年近くになりました。
札幌医大の教授の多くが、
札幌医大の卒業生です。
これがよいことか?
悪いことなのか?
は後世の判断になると思います。
北海道の大きな病院の院長は、
まだ北大出身の先生が多いですが、
札幌医大出身の院長も増えています。
昔は、
大病院の院長に就任するのが
医者としての‘出世’だと
思われていた時代がありました。
■ ■
最近は、
病院長に就任しても、
マスコミで報道されるのは、
謝罪の記者会見です。
公立病院の多くは赤字なので、
病院長は議会対応で大変そうです。
職員組合との交渉もあります。
大病院や中病院の院長も、
とてもお疲れの様子です。
■ ■
私が大病院に勤務していた時代に、
手術場の更衣室で、
当時の院長と一緒になったことがありました。
私:先生、おはようございます。
院長:おはようございます。
私:先生、楽しそうですね。
院長:手術場に来ると楽しいですよ。
いつもは、困った顔ばかりしていた院長が、
手術室では、とても楽しそうな笑顔でした。
■ ■
院長室で決済の書類に判を押したり、
議会で議員から追求されるよりも、
‘医者’として、
手術ができるのが…
‘楽しい’のだなぁと思いました。
大病院の院長が
黒塗りの院長車(多くはクラウンでした)
で送迎されたのは、
昔のことです。
今は専用車がある院長はほぼゼロです。
■ ■
私は、
医者として偉くなりたいとは思いません。
出世したいとも思いません。
少しでも、
他人の役に立って、
他人に喜ばれて、
私のことを覚えてくれている人が、
一人でも増えてくれれば、
それが医者としのて幸せだと思っています。
今日も
元気なフリをして頑張っています。
院長の休日
元気なフリ
元気がない時にも、
元気なフリをしているのは、
私も一緒です。
こんなちっぽけな、
極小企業の医療法人でも、
苦労が絶えません。
たとえ小さくても…
院長とか長と名の付く仕事には、
常にストレスが伴います。
■ ■
元気がない時に、
元気なフリをしているのは
辛いものです。
私はすぐに顔に出るので、
元気がないのは、
職員にも
患者さんにも
バレバレです。
日記でもばればれですね。
■ ■
私が元気を回復するのは、
手術をして、
キレイになられた患者さんから、
ありがとうございましたと
言っていただいた時、
お礼のメールをいただいた時、
日記に励ましのコメントをいただいた時などです。
生きている限り辛いことがありますが、
他の人に励まされて、
元気を回復しています。
■ ■
私は趣味らしい趣味がありません。
花を見るのが好きです。
自分の家の花は、
マンションに引越してしまったので、
残念なことに、
もう育てられません。
通勤途中に見つけた花で、
心を癒してもらっています。
小さな花でも…
よい香りがして、
成長を眺めていると癒されます。
■ ■
札幌は雨の多い6月でしたが、
ここ数日でようやく夏らしくなりました。
ラベンダーの花も、
少しずつ開いてきました。
私の好きな富良野のラベンダーは、
札幌よりも少し遅れて咲きます。
富良野のラベンダーは、
早咲きから遅咲きまであります。
7月下旬まで咲いていますが、
咲いた順に刈り取られて、
ラベンダーオイルの原料などになります。
7月中旬頃がよい季節だと思います。

札幌駅北口のラベンダー
2009年6月28日
医学講座
手術回数と難易度
マイケル・ジャクソンさんが、
何回か鼻の手術を受けていたのは、
事実のようです。
これは一般論ですが…
手術回数を重ねると、
重ねただけ難易度が高くなります。
つまり…
患者さんは…
『ちょっと、ここをなおしてほしい!』
と思われても…
実際には難しいことが多いのです。
■ ■
二重も…
鼻も…
わきがも…
陥没乳首も…
あとから修正手術をするのが、
最初の手術よりも難しいのです。
これは、
最初の手術で、
瘢痕(はんこん)という、
キズができてしまうためです。
■ ■
前にどんな手術を受けたか…
『忘れました』という方もたくさんいらっしゃいます。
前に受けた手術のことを、
申告されない方もいらっしゃいます。
埋没法の糸でしたら、
わからなくなっていることもあります。
(20~30年も前に受けた手術ならなおさらです)
そうすると、
思わぬところに…
微妙なラインがはいってしまうことがあります。
■ ■
形成外科では、
事故で復元できないほどに変形した、
目や鼻をなおすことがあります。
そういう時には、
元の顔の写真や、
本物の人骨を手がかりに、
復元手術を行ないます。
美容外科の手術は、
形成外科よりも微妙で、
『ちょっとここを』
というご希望が、
なかなか難しいことがあります。
■ ■
大学病院で行なうような、
顔の骨の手術でも、
手術後にトラブルが生じることがあります。
骨がずれてしまったり、
神経が麻痺してしびれが残ったり、
予測できないような後遺症が残ることがあります。
MRSA(えむあーるえすえい)による、
術後感染もそうです。
こういうトラブルに、
いかに対処できるかは、
先生の腕によるところもあれば、
患者さんの体力によることもあります。
■ ■
私はマイケルさんの死は、
鼻の手術とは関係がないと推測します。
彼の場合は、
スターであることによる、
さまざまなストレスから、
いろいろな身体的な症状が出たのでは…?
と考えます。
偉大なスターは、
元気がない時でも、
ステージ上では…
‘元気なふり’を…
していなければなりません。
日本のスターがそう言っていたのを思い出しました。
偉大なマイケルの死を残念に思います。
医学講座
マイケル・ジャクソンさん
今朝からTVでマイケル・ジャクソンさんの
死亡が報道されています。
心から哀悼の意を表します。
マイケルさんの顔については、
さまざまな憶測や評判があります。
ネットで検索をしても、
たくさんのサイトが出てきます。
■ ■
彼の顔貌の変化が、
単なる
年齢に伴う変化ではないことがわかります。
耳の軟骨を鼻に移植したとか、
皮膚の病気だったという説も
ネット上に書かれています。
彼の顔貌は、
誰が見ても不自然です。
元の顔のほうがずっと素敵です。
■ ■
私は彼を手術した先生のことも知りませんし、
手術をしたかどうかもわかりません。
手術が成功したとか、
失敗だったとかいう前に、
私はマイケルさんは、
心の病気だったと推測します。
いろいろな事件が報道されています。
裁判で無罪だったこともありました。
■ ■
美容外科も形成外科も、
人の顔を変えることができます。
形成外科は、
事故やケガで変形した鼻を治します。
美容外科は、
病気ではない人の鼻をキレイにします。
私が札幌美容形成外科を開業する時に考えた、
イメージは自然
自然な仕上がりを大切にします
というコピーがあります。
■ ■
私は形成外科医ですから、
ものが見やすくなるとか、
生活が快適になるとかの手術が好きです。
いくら患者さんのご希望でも、
私が不自然だと思う手術はおすすめしません。
マイケルさんのことはわかりませんが、
患者さんのご希望通りに手術を繰り返していると、
自然な仕上がりを
維持できなることがあります。
■ ■
美容外科医の中には、
患者さんのご要望に答えて、
日本人→西洋人
の顔を作ってしまう先生もいらっしゃいます。
私は、
イメージは自然にこだわります。
できないものは『できません』と
申し上げます。
形成外科医から美容外科医に、
なりきれていないのかもしれません。
マイケル・ジャクソンさんのご冥福をお祈りいたします。
医学講座
熱傷用ベッドの管理
高価な熱傷用ベッドは、
維持管理にもお金がかかります。
白い砂のような、
シリコンコートした‘ビーズ’と呼ばれる、
‘砂’を交換する必要がありました。
この‘砂’が高価でした。
25年前で、
交換には100万円以上かかりました。
米国製の高級車は、
維持費がかかるのと同じです。
■ ■
患者さんがベッドに寝て、
やけどした部位から、
滲出液(しんしゅつえき)が出ると…
その分だけビーズが汚れます。
固まったビーズが、
ベッドの底に溜まりました。
また、
白いナイロンの布が、
ビーズの拡散を防いでいました。
丈夫な布でしたが、
これに穴を開けると、
砂がこぼれてきました。
■ ■
間違って、
鋭利な刃物で布に穴をあけると、
交換するのに何万円もかかりました。
穴を塞がないと、
ビーズがこぼれてきて、
床に落ちると、
すごく滑りました。
とにかく扱いが面倒な器械でした。
患者さんにも、
ベッドの上に物を載せないでくださいと、
お願いしていました。
■ ■
私が医師になった、
30年前に、
このベッドがあったのは、
北大形成外科、
美唄労災病院形成外科、
釧路労災病院形成外科
の3施設だけだったと思います。
労災病院は、
医師や看護師のお給料は低かったのですが、
その分、設備は立派でした。
■ ■
私は釧路労災病院形成外科にも勤務しました。
釧路は霧の街です。
私が赴任したのは、
7月でしたが、
まだストーブをつけていました。
夏に発生する海霧のために、
日照時間が少ないのが特徴でした。
釧路労災病院のベッドは、
北大より新しかったと思います。
釧路労災病院のベッドだけ、
この‘砂’の交換が余計に必要でした。
■ ■
私は院長の新田一雄先生に呼ばれました。
何でうちの病院のベッドだけが、
毎年100万円以上もかけて、
ビーズ交換をしなければならないのか?
不良品ではないのか?
ちゃんと調べなさいと指示されました。
確かに、院長のおっしゃる通りでした。
釧路労災病院は、
日本一の黒字労災病院でしたが、
それは新田先生の経営の賜物でした。
■ ■
私はメーカーに指示をして、
‘砂’を米国へ送って分析してもらいました。
その結果は、
釧路の霧のため、
‘砂’が水分を吸ってしまい、
それで劣化が早く進むということでした。
霧が原因だったのか?
ほんとうかどうか?
今でもわかりません。
私の自動車も釧路へ行って、
マフラーが腐蝕しました。
■ ■
それ以来、
熱傷用ベッドは使っていない時も、
定期的に電源を入れて、
ビーズを動かしていました。
市立札幌病院へ行ってからも、
この定期的な空運転をしました。
その成果のためか?
それ以来、ビーズの劣化は少なくなりました。
私は、今でも釧路労災病院の新田院長を、
素晴らしい院長だったと尊敬しています。
医学講座
熱傷用ベッド
今日はやけどの患者さん用の
特殊なベッドの解説です。
熱傷用空気流動ベッド
(ねっしょうようくうきりゅうどうべっど)
と厚生労働省の書類に書いてあります。
私たち形成外科医は、
エアーベッド
Air Floating Bed
(えあー・ふろーてぃんぐ・べっど)
とも呼んでいました。
■ ■
もともと米国で開発されたベッドです。
全身に大やけどをすると、
体を動かしただけでも痛みます。
痛みを感じないほど…
(神経まで焼けてしまうと痛みを感じません)
やけどをしてしまうこともあります。
こうなっても…
体を動かすことができません。
じっとしていると…
からだ中が
褥瘡(じょくそう:床ずれ)になってしまいます。
■ ■
私が医師になった、
30年前には、
このベッドが北大形成外科にありました。
当時で、
一台が約1,000万円もしました。
米国製の高級車より高価でした。
深さ50㎝くらいの、
箱型のお風呂を想像してください。
その平べったいお風呂が、
機械の上に載っているとお考えください。
ふつうのベッドより、
高い位置に寝るようになっています。
■ ■
お風呂の中には、
マットレスの代わりに、
白い砂のようなものが入っています。
その砂が、
空気で流動する仕掛けになっています。
砂の上には、
薄い白いナイロンの布が張ってあり、
空気で流動する砂が、
その布の下でボコボコ動きます。
■ ■
はじめてこのベッドに寝てみた時は、
ちょうど海の上に寝ているような気分でした。
機械の音が、
ウーンと聞こえます。
身体が
フワフワと浮いているような感じでした。
実際にこのベッドに患者さんが寝ると、
フワフワしているので、
乗り物酔いになる方がいらっしゃいました。
■ ■
やけどの患者さんだけではなく、
褥瘡(じょくそう)の手術後の患者さん、
大きな手術をした後で、
動けない(動かせない)患者さんの
手術後にも使いました。
価格が高いだけではなく、
重さも約1トン近くありました。
ですから、
現在の市立札幌病院を設計する時には、
そのベッドを置くスペースだけ、
床を補強したほどでした。
■ ■
私が市立札幌病院へ赴任した20年前には、
北海道でこのエアーベッドがあるのは、
限られた施設だけでした。
ベッドは温度管理が難しく、
寝たきりで
起き上がることもできないので、
痰の排出などを気をつけないと、
術後の合併症を起こすこともありました。
せっかくの高価なベッドが
活用されていませんでした。
■ ■
私が赴任してから、
この1トンもある重いベッドを
4階の皮膚科病棟から、
1階の救急病棟まで、
何度も往復させました。
私と看護師さんが運びましたが、
一度はお見舞いに来ていらした、
警察署長さんに
お手伝いしていただいたこともありました。
懐かしい想い出の一つです。
医学講座
熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)
さくらんぼさんから
熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)について、
ご質問がありました。
やけどに効く温泉について、
お聞きになったことがあると思います。
ある種の温泉は、
やけどに効きます。
生理的食塩水(0.9%)と同じ濃度の食塩水は、
キズにしみません。
生理的食塩水は、
目に入っても、
鼻に入っても痛くありません。
■ ■
やけどをすると、
皮膚がただれて、痛みがあります。
キズからは滲出液(しんしゅつえき)という
黄色の液体が出てきます。
皮膚というバリアーがなくなるので、
ばい菌が悪さをして化膿することもあります。
生理的食塩水で、
キズをキレイに洗い流すと、
ばい菌の数が減ります。
痛みもなく、キズをキレイにできます。
これがやけどの温浴療法(おんよくりょうほう)
の原理です。
■ ■
やけどの患者さんにとって、
ガーゼ交換や、
キズの処置は、
痛くてつらいものです。
特にキズにガーゼが固着(こちゃく:くっつくこと)てしまうと…
はがす時に血が出たりして、
それはつらいものです。
生理的食塩水で濡らしてから、
ガーゼを剥がすと痛みも無く、
ばい菌を洗い流して、
キズをキレイにすることができます。
■ ■
やけどだけではなく、
他のキズの処置でも、
生理的食塩水で洗うことは、
キズにとってよいことです。
小さなキズややけどでしたら、
ベッドサイドや
洗面器を使ってもできます。
問題なのは…
全身の大やけどです。
ベッドの上で処置をすると、
水浸しになります。
■ ■
そこで考えられたのが、
熱傷浴室でした。
やけどの患者さん用のお風呂です。
ステンレスでできていて、
横になったまま入れます。
お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れます。
そうすると、
生理的食塩水と同じ0.9%の濃度になります。
このお風呂でやけどのキズを洗い、
軟膏処置をするのが、
形成外科研修医の仕事でした。
■ ■
私が形成外科医の卵になった、
約30年前は、
私の仕事はやけど患者さんの風呂入れでした。
白いゴム長を履いて、
茶色のゴムの長い前掛けをつけて、
看護婦さんといっしょに、
一日、数人の処置をしたこともありました。
熱傷浴室は、
寝たまま入れるお風呂なので、
寝たきりで動けない方の、
入浴にも使っていました。
■ ■
ところが…
30年の間に時代は変わりました。
院内感染の原因として、
この熱傷浴室が問題になりました。
キズを洗い流すのは、
今でもよい方法なのですが、
MRSA(えむあーるえすえい)や
多剤耐性緑膿菌などが、
熱傷浴室で感染して問題となりました。
■ ■
日本では、
まだ熱傷浴室を使っている施設が多いと思いますが、
一部の救命救急センターでは、
感染の問題から廃止してしまったところもあります。
ご自宅で、
お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れて、
それをペットボトルなどに入れて、
キズを洗い流すのは、
痛くなくてよい方法です。
キズの処置として、
覚えておかれるとよいと思います。
昔の記憶
ヤマダ電機と旧市立札幌病院
2009年6月19日(金)にオープンした、
ヤマダ電機
テックランド札幌本店
札幌市中央区北1条西8丁目1-2
TEL: 011-205-8001
へ行ってきました。
この札幌市中央区北1条西8丁目には、
平成6年(1994年)まで、
市立札幌病院がありました。
■ ■
私は平成元年(1989年)から、
平成6年(1994年)まで、
この市立札幌病院で
医師としての青春時代を送りました。
ヤマダ電機のお隣には、
当時の病棟の一部がまだ残っています。
地下が救急部の
救急ホール、
CT室、
救急部の医局、
救急の当直室、
など救急関係の部門でした。
■ ■
1階が救急部の病棟、
2階が中央手術室、
3階からが病棟。
私が働いていた病棟は、
4階にありました。
通称1-4(いちのよん)
1病棟(いちびょうとう)
4階(よんかい)
なので
いちのよん
でした。
■ ■
今でも、この病棟の横を通ると、
当時のことを懐かしく思い出します。
私が働いてた、
1-4(いちのよん)
は放射線科と皮膚科の病棟でした。
病棟婦長は、
野切光子さんでした。
とても優秀な婦長さんでした。
朝は他のスタッフよりも早くいらして、
各病室を回って、
約50人近い患者さんのことを、
すべて把握していらっしゃいました。
■ ■
私が赴任してから、
形成外科の患者さんも、
積極的に受け入れてくださいました。
使われていなかった、
熱傷用の浴室を使ったり、
熱傷用のベッドを、
引っ張り出してきて、
整備して使いました。
今考えても…
病棟のスタッフもよくやってくれたと思います。
■ ■
ヤマダ電機は、
北1条の西8丁目と9丁目の間に
またがってあります。
ちょっとわかりにくい表現ですが、
この8丁目と9丁目の間から、
大通り公園が見えます。
駐車場から見た、
大通り公園が、
ちょうど旧市立札幌病院の
正面玄関から見た風景といっしょでした。
■ ■
同じ場所から見ているので、
同じ光景がみえるのは当たり前なのです。
ただ、
20年の間に、
病院→STVのスピカというホール
→ヤマダ電機と変わりました。
ヤマダ電機には、
トイレットペーパーやティッシュ
飲料水やお菓子まで売っていました。
■ ■
時代の流れとはいえ、
電気屋さんで、
お菓子まで売っているのには、
ほんとうに驚きです。
これから札幌の街がどう発展していくのか?
札幌駅前通りがどう変わるのか?
もう少し私も長生きして、
時代の移り変わりを見ようと思います。
昨日の日記にたくさんのコメントを
ありがとうございました♪