院長の休日

札幌駅のラベンダー

 JR札幌駅には、
 大丸がある南口と
 反対側の北口があります。
 札幌駅北口には…
 意外なところにラベンダーが咲いています。
 このラベンダーを眺めるのが…
 私の楽しみの一つです。
 昨年もご紹介しましたが、
 今日はもう少し詳しく説明します。
      ■         ■
 北口には、
 バスターミナルがあります。
 団体観光バスは北口から出発します。
 (定期観光バスは東口のエスタです)
 この観光バスの他に、
 札幌市内の路線バスの乗り場が、
 北口にあります。
 ちょうどそのバスが出る、
 出口付近にラベンダーが咲いています。
      ■         ■
 札幌駅から、
 北8条西2丁目にある、
 合同庁舎(北海道開発局や法務局があります)
 へ向かって歩いて行く途中に、
 自家用車の乗降場があります。
 この乗降場の端に…
 ラベンダーがひっそりと咲いています。
 こんなところに咲いてくれて…
 ありがとう!
 と言いたくなるような場所です。
      ■         ■
 今年は無粋な…
 工事中の看板が立てられています。
 ラベンダーを
 札幌市が管理しているのか?
 道路工事の
 看板を立てた部署は違うのか?
 わかりませんが、
 ラベンダーはけなげに咲いています。
 工事中の看板は、
 ラベンダーの中よりも、
 先の電柱の下が見やすいと思います。
      ■         ■
 2009年6月28日と同じラベンダーですが、
 わずか3日で、
 蕾から開花しているのがわかります。
 今日のラベンダーのように、
 開花してしまうと…
 ドライフラワーにはできません。
 開花してしばらくすると、
 ファーム富田では刈り取って、
 ラベンダーオイルを作っています。
 オイルを作る作業場では、
 とてもよい香りがします。
      ■         ■


札幌駅北口のラベンダー
2009年7月1日


こんなところに咲いています

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院長の休日

旅立ち日和

 昨日tetsuko様からいただいたコメントです。
 今日の空、きれいですね。
 看取りの現場で言う、
 『旅立ち日和』って、
 ご存知でしたか。
 今日のような、
 初夏の晴れた日、
 その日が近くなった患者さんが、
 『こんな日に逝ってみたいもんだね、
 この土地の、
 一番きれいな空に昇るのは
 気分のいいものだろうね』と、
 笑顔で話してくださることがあるんですよ。
      ■         ■
 人生の終わりに、
 病気と向き合い、
 受け入れた患者さんの言葉です。
 残された者の気持ちをやわらげてくれるはず、
 そんな思いでこのお話をしました。
 しばらくたって、
 先生、半泣きからいつもの表情に変わって、
 「お義父さんもそうだったのかもしれない。
 今日の空のように、
 きれいな心の人だった。
 空を見るたび、
 お義父さんを思い出せるわ。」
      ■         ■
 検診で伺った園の
 園長先生が
 長年同居していたお義父様を、
 亡くされた時にかけられた
 お言葉でした。
 私の家内の父は、
 4月の桜が満開の時に急逝しました。
 毎年の命日には、
 桜がとてもキレイに咲きます。
      ■         ■
 私は医師でありながら、
 看取りは、
 数えるほどしか経験していません。
 重い病で、
 長く患う方と、
 ご一緒にいると…
 自分がのめり込みそうな性格なので、
 看取りとは離れた
 形成外科を選んだつもりでした。
      ■         ■
 形成外科とか、
 整形外科を選ぶ先生には、
 患者さんの死と、
 対面するのが苦手なので、
 その科目を選ぶ人もいます。
 いつかは対面しなければならない死は、
 医療者側にとっても辛いものです。
 私たち医師は、
 『ご臨終です』
 と申し上げると病室から去って、
 死亡診断書を書きます。
      ■         ■
 亡くなった患者さんの、
 死後の処置をして、
 ご遺族となられた家族へ、
 慰めの言葉をかけるのは、
 看護師さんです。
 tetsuko様のお知り合いの
 ベテランの看護師さんは、
 さぞ優しい方なのだろうなぁ…
 と考えてしまいました。
      ■         ■
 先日、高校の同期が亡くなったと知らせが来ました。
 高校一年の時に一緒だった男性です。
 何の病気だったか?わかりませんが、
 同年代の人が亡くなると、
 考えさせられます。
 辛いこともたくさんありますが、
 こうして元気をいただくと、
 頑張って元気なフリができます。
 2009年6月も今日で最後です。
 7月は元気が出ますように…
 tetsuko様ありがとうございました。

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院長の休日

医者としての幸せとは?

 私が札幌医大の学生だった頃は、
 大きな病院の院長とか、
 ○○部長とかになるのが、
 医者として‘偉い’人なのかなぁ~?
 と漠然(ばくぜん)と思っていました。
 自分が院長になりたいとか、
 ○○部長になりたいとか、
 思っていたのではありません。
 自分の身の回りに、
 そういう人がいなかったので、
 漠然と思っていただけでした。
      ■         ■
 当時は、
 札幌医大を卒業しても、
 大きな病院の院長には、
 なれないと言われていました。
 北海道内の大きな病院の院長は、
 大部分が北大の卒業生で、
 一部に東北大の先生がいらっしゃいました。
 札幌医大は戦後に開学した公立大学です。
 私が学生だった頃には、
 まだ札幌医大の卒業生で
 札幌医大の教授になった先生は、
 数えるほどしかいませんでした。
      ■         ■
 大学病院で偉いのは、
 学長、
 医学部長、
 病院長、
 各教授でした。
 教授でも講義がつまらない人とか、
 助教授とか、
 講師の方が、
 講義も面白くて、
 学生に人気がある先生は…
 たくさんいらっしゃいました。
      ■         ■
 私が卒業して30年近くになりました。
 札幌医大の教授の多くが、
 札幌医大の卒業生です。
 これがよいことか?
 悪いことなのか?
 は後世の判断になると思います。
 北海道の大きな病院の院長は、
 まだ北大出身の先生が多いですが、
 札幌医大出身の院長も増えています。
 昔は、
 大病院の院長に就任するのが
 医者としての‘出世’だと
 思われていた時代がありました。
      ■         ■
 最近は、
 病院長に就任しても、
 マスコミで報道されるのは、
 謝罪の記者会見です。
 公立病院の多くは赤字なので、
 病院長は議会対応で大変そうです。
 職員組合との交渉もあります。
 大病院や中病院の院長も、
 とてもお疲れの様子です。
      ■         ■
 私が大病院に勤務していた時代に、
 手術場の更衣室で、
 当時の院長と一緒になったことがありました。
 私:先生、おはようございます。
 院長:おはようございます。
 私:先生、楽しそうですね。
 院長:手術場に来ると楽しいですよ。
 いつもは、困った顔ばかりしていた院長が、
 手術室では、とても楽しそうな笑顔でした。
      ■         ■
 院長室で決済の書類に判を押したり、
 議会で議員から追求されるよりも、
 ‘医者’として、
 手術ができるのが…
 ‘楽しい’のだなぁと思いました。
 大病院の院長が
 黒塗りの院長車(多くはクラウンでした)
 で送迎されたのは、
 昔のことです。
 今は専用車がある院長はほぼゼロです。
      ■         ■
 私は、
 医者として偉くなりたいとは思いません。
 出世したいとも思いません。
 少しでも、
 他人の役に立って、
 他人に喜ばれて、
 私のことを覚えてくれている人が、
 一人でも増えてくれれば、
 それが医者としのて幸せだと思っています。
 今日も
 元気なフリをして頑張っています。

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院長の休日

元気なフリ

 元気がない時にも、
 元気なフリをしているのは、
 私も一緒です。
 こんなちっぽけな、
 極小企業の医療法人でも、
 苦労が絶えません。
 たとえ小さくても…
 院長とかと名の付く仕事には、
 常にストレスが伴います。
      ■         ■
 元気がない時に、
 元気なフリをしているのは
 辛いものです。
 私はすぐに顔に出るので、
 元気がないのは、
 職員にも
 患者さんにも
 バレバレです。
 日記でもばればれですね。
      ■         ■
 私が元気を回復するのは、
 手術をして、
 キレイになられた患者さんから、
 ありがとうございました
 言っていただいた時、
 お礼のメールをいただいた時、
 日記に励ましのコメントをいただいた時などです。
 生きている限り辛いことがありますが、
 他の人に励まされて、
 元気を回復しています。
      ■         ■
 私は趣味らしい趣味がありません。
 花を見るのが好きです。
 自分の家の花は、
 マンションに引越してしまったので、
 残念なことに、
 もう育てられません。
 通勤途中に見つけた花で、
 心を癒してもらっています。
 小さな花でも…
 よい香りがして、
 成長を眺めていると癒されます。
      ■         ■
 札幌は雨の多い6月でしたが、
 ここ数日でようやく夏らしくなりました。
 ラベンダーの花も、
 少しずつ開いてきました。
 私の好きな富良野のラベンダーは、
 札幌よりも少し遅れて咲きます。
 富良野のラベンダーは、
 早咲きから遅咲きまであります。
 7月下旬まで咲いていますが、
 咲いた順に刈り取られて、
 ラベンダーオイルの原料などになります。
 7月中旬頃がよい季節だと思います。


札幌駅北口のラベンダー
2009年6月28日

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医学講座

手術回数と難易度

 マイケル・ジャクソンさんが、
 何回か鼻の手術を受けていたのは、
 事実のようです。
 これは一般論ですが…
 手術回数を重ねると、
 重ねただけ難易度が高くなります。
 つまり…
 患者さんは…
 『ちょっと、ここをなおしてほしい!』
 と思われても…
 実際には難しいことが多いのです。
      ■         ■
 二重も…
 鼻も…
 わきがも…
 陥没乳首も…
 あとから修正手術をするのが、
 最初の手術よりも難しいのです。
 これは、
 最初の手術で、
 瘢痕(はんこん)という、
 キズができてしまうためです。
      ■         ■
 前にどんな手術を受けたか…
 『忘れました』という方もたくさんいらっしゃいます。
 前に受けた手術のことを、
 申告されない方もいらっしゃいます。
 埋没法の糸でしたら、
 わからなくなっていることもあります。
 (20~30年も前に受けた手術ならなおさらです)
 そうすると、
 思わぬところに…
 微妙なラインがはいってしまうことがあります。
      ■         ■
 形成外科では、
 事故で復元できないほどに変形した、
 目や鼻をなおすことがあります。
 そういう時には、
 元の顔の写真や、
 本物の人骨を手がかりに、
 復元手術を行ないます。
 美容外科の手術は、
 形成外科よりも微妙で、
 『ちょっとここを
 というご希望が、
 なかなか難しいことがあります。
      ■         ■
 大学病院で行なうような、
 顔の骨の手術でも、
 手術後にトラブルが生じることがあります。
 骨がずれてしまったり、
 神経が麻痺してしびれが残ったり、
 予測できないような後遺症が残ることがあります。
 MRSA(えむあーるえすえい)による、
 術後感染もそうです。
 こういうトラブルに、
 いかに対処できるかは、
 先生の腕によるところもあれば、
 患者さんの体力によることもあります。
      ■         ■
 私はマイケルさんの死は、
 鼻の手術とは関係がないと推測します。
 彼の場合は、
 スターであることによる、
 さまざまなストレスから、
 いろいろな身体的な症状が出たのでは…?
 と考えます。
 偉大なスターは、
 元気がない時でも、
 ステージ上では…
 ‘元気なふり’を…
 していなければなりません。
 日本のスターがそう言っていたのを思い出しました。
 偉大なマイケルの死を残念に思います。

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医学講座

マイケル・ジャクソンさん

 今朝からTVでマイケル・ジャクソンさんの
 死亡が報道されています。
 心から哀悼の意を表します。
 マイケルさんの顔については、
 さまざまな憶測や評判があります。
 ネットで検索をしても、
 たくさんのサイトが出てきます。
      ■         ■
 彼の顔貌の変化が、
 単なる
 年齢に伴う変化ではないことがわかります。
 耳の軟骨を鼻に移植したとか、
 皮膚の病気だったという説も
 ネット上に書かれています。
 彼の顔貌は、
 誰が見ても不自然です。
 元の顔のほうがずっと素敵です。
      ■         ■
 私は彼を手術した先生のことも知りませんし、
 手術をしたかどうかもわかりません。
 手術が成功したとか、
 失敗だったとかいう前に、
 私はマイケルさんは、
 心の病気だったと推測します。
 いろいろな事件が報道されています。
 裁判で無罪だったこともありました。
      ■         ■
 美容外科も形成外科も、
 人の顔を変えることができます。
 形成外科は、
 事故やケガで変形した鼻を治します。
 美容外科は、
 病気ではない人の鼻をキレイにします。
 私が札幌美容形成外科を開業する時に考えた、
 イメージは自然
 自然な仕上がりを大切にします
 というコピーがあります。
      ■         ■
 私は形成外科医ですから、
 ものが見やすくなるとか、
 生活が快適になるとかの手術が好きです。
 いくら患者さんのご希望でも、
 私が不自然だと思う手術はおすすめしません。
 マイケルさんのことはわかりませんが、
 患者さんのご希望通りに手術を繰り返していると、
 自然な仕上がり
 維持できなることがあります。
      ■         ■
 美容外科医の中には、
 患者さんのご要望に答えて、
 日本人→西洋人
 の顔を作ってしまう先生もいらっしゃいます。
 私は、
 イメージは自然にこだわります。
 できないものは『できません』と
 申し上げます。
 形成外科医から美容外科医に、
 なりきれていないのかもしれません。
 マイケル・ジャクソンさんのご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

熱傷用ベッドの管理

 高価な熱傷用ベッドは、
 維持管理にもお金がかかります。
 白い砂のような、
 シリコンコートした‘ビーズ’と呼ばれる、
 ‘砂’を交換する必要がありました。
 この‘砂’が高価でした。
 25年前で、
 交換には100万円以上かかりました。
 米国製の高級車は、
 維持費がかかるのと同じです。
      ■         ■
 患者さんがベッドに寝て、
 やけどした部位から、
 滲出液(しんしゅつえき)が出ると…
 その分だけビーズが汚れます。
 固まったビーズが、
 ベッドの底に溜まりました。
 また、
 白いナイロンの布が、
 ビーズの拡散を防いでいました。
 丈夫な布でしたが、
 これに穴を開けると、
 砂がこぼれてきました。
      ■         ■
 間違って、
 鋭利な刃物で布に穴をあけると、
 交換するのに何万円もかかりました。
 穴を塞がないと、
 ビーズがこぼれてきて、
 床に落ちると、
 すごく滑りました。
 とにかく扱いが面倒な器械でした。
 患者さんにも、
 ベッドの上に物を載せないでくださいと、
 お願いしていました。
      ■         ■
 私が医師になった、
 30年前に、
 このベッドがあったのは、 
 北大形成外科、
 美唄労災病院形成外科、
 釧路労災病院形成外科
 の3施設だけだったと思います。
 労災病院は、
 医師や看護師のお給料は低かったのですが、
 その分、設備は立派でした。
      ■         ■
 私は釧路労災病院形成外科にも勤務しました。
 釧路は霧の街です。
 私が赴任したのは、
 7月でしたが、
 まだストーブをつけていました。
 夏に発生する海霧のために、
 日照時間が少ないのが特徴でした。
 釧路労災病院のベッドは、
 北大より新しかったと思います。
 釧路労災病院のベッドだけ、
 この‘砂’の交換が余計に必要でした。
      ■         ■
 私は院長の新田一雄先生に呼ばれました。
 何でうちの病院のベッドだけが、
 毎年100万円以上もかけて、
 ビーズ交換をしなければならないのか?
 不良品ではないのか?
 ちゃんと調べなさいと指示されました。
 確かに、院長のおっしゃる通りでした。
 釧路労災病院は、
 日本一の黒字労災病院でしたが、
 それは新田先生の経営の賜物でした。
      ■         ■
 私はメーカーに指示をして、
 ‘砂’を米国へ送って分析してもらいました。
 その結果は、
 釧路の霧のため、
 ‘砂’が水分を吸ってしまい、
 それで劣化が早く進むということでした。
 霧が原因だったのか?
 ほんとうかどうか?
 今でもわかりません。
 私の自動車も釧路へ行って、
 マフラーが腐蝕しました。
      ■         ■
 それ以来、
 熱傷用ベッドは使っていない時も、
 定期的に電源を入れて、
 ビーズを動かしていました。
 市立札幌病院へ行ってからも、
 この定期的な空運転をしました。
 その成果のためか?
 それ以来、ビーズの劣化は少なくなりました。
 私は、今でも釧路労災病院の新田院長を、
 素晴らしい院長だったと尊敬しています。

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医学講座

熱傷用ベッド

 今日はやけどの患者さん用の
 特殊なベッドの解説です。
 熱傷用空気流動ベッド
 (ねっしょうようくうきりゅうどうべっど)
 と厚生労働省の書類に書いてあります。
 私たち形成外科医は、
 エアーベッド
 Air Floating Bed
 (えあー・ふろーてぃんぐ・べっど)
 とも呼んでいました。
      ■         ■
 もともと米国で開発されたベッドです。
 全身に大やけどをすると、
 体を動かしただけでも痛みます。
 痛みを感じないほど…
 (神経まで焼けてしまうと痛みを感じません)
 やけどをしてしまうこともあります。
 こうなっても…
 体を動かすことができません。
 じっとしていると…
 からだ中が
 褥瘡(じょくそう:床ずれ)になってしまいます。
      ■         ■
 私が医師になった、
 30年前には、
 このベッドが北大形成外科にありました。
 当時で、
 一台が約1,000万円もしました。
 米国製の高級車より高価でした。
 深さ50㎝くらいの、
 箱型のお風呂を想像してください。
 その平べったいお風呂が、
 機械の上に載っているとお考えください。
 ふつうのベッドより、
 高い位置に寝るようになっています。
      ■         ■
 お風呂の中には、
 マットレスの代わりに、
 白い砂のようなものが入っています。
 その砂が、
 空気で流動する仕掛けになっています。
 砂の上には、
 薄い白いナイロンの布が張ってあり、
 空気で流動する砂が、
 その布の下でボコボコ動きます。
      ■         ■
 はじめてこのベッドに寝てみた時は、
 ちょうど海の上に寝ているような気分でした。
 機械の音が、
 ウーンと聞こえます。
 身体が
 フワフワと浮いているような感じでした。
 実際にこのベッドに患者さんが寝ると、
 フワフワしているので、
 乗り物酔いになる方がいらっしゃいました。
      ■         ■
 やけどの患者さんだけではなく、
 褥瘡(じょくそう)の手術後の患者さん、
 大きな手術をした後で、
 動けない(動かせない)患者さんの
 手術後にも使いました。
 価格が高いだけではなく、
 重さも約1トン近くありました。
 ですから、
 現在の市立札幌病院を設計する時には、
 そのベッドを置くスペースだけ、
 床を補強したほどでした。
      ■         ■
 私が市立札幌病院へ赴任した20年前には、
 北海道でこのエアーベッドがあるのは、
 限られた施設だけでした。
 ベッドは温度管理が難しく、
 寝たきりで
 起き上がることもできないので、
 痰の排出などを気をつけないと、
 術後の合併症を起こすこともありました。
 せっかくの高価なベッドが
 活用されていませんでした。
      ■         ■
 私が赴任してから、
 この1トンもある重いベッドを
 4階の皮膚科病棟から、
 1階の救急病棟まで、
 何度も往復させました。
 私と看護師さんが運びましたが、
 一度はお見舞いに来ていらした、
 警察署長さんに
 お手伝いしていただいたこともありました。
 懐かしい想い出の一つです。

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医学講座

熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)

 さくらんぼさんから
 熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)について、
 ご質問がありました。
 やけどに効く温泉について、
 お聞きになったことがあると思います。
 ある種の温泉は、
 やけどに効きます。
 生理的食塩水(0.9%)と同じ濃度の食塩水は、
 キズにしみません。
 生理的食塩水は、
 目に入っても、
 鼻に入っても痛くありません。
      ■         ■
 やけどをすると、
 皮膚がただれて、痛みがあります。
 キズからは滲出液(しんしゅつえき)という
 黄色の液体が出てきます。
 皮膚というバリアーがなくなるので、
 ばい菌が悪さをして化膿することもあります。
 生理的食塩水で、
 キズをキレイに洗い流すと、
 ばい菌の数が減ります。
 痛みもなく、キズをキレイにできます。
 これがやけど温浴療法(おんよくりょうほう)
 の原理です。
      ■         ■
 やけどの患者さんにとって、
 ガーゼ交換や、
 キズの処置は、
 痛くてつらいものです。
 特にキズにガーゼが固着(こちゃく:くっつくこと)てしまうと…
 はがす時に血が出たりして、
 それはつらいものです。
 生理的食塩水で濡らしてから、
 ガーゼを剥がすと痛みも無く、
 ばい菌を洗い流して、
 キズをキレイにすることができます。
      ■         ■
 やけどだけではなく、
 他のキズの処置でも、
 生理的食塩水で洗うことは、
 キズにとってよいことです。
 小さなキズややけどでしたら、
 ベッドサイドや
 洗面器を使ってもできます。
 問題なのは…
 全身の大やけどです。
 ベッドの上で処置をすると、
 水浸しになります。
      ■         ■
 そこで考えられたのが、
 熱傷浴室でした。
 やけどの患者さん用のお風呂です。
 ステンレスでできていて、
 横になったまま入れます。
 お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れます。
 そうすると、
 生理的食塩水と同じ0.9%の濃度になります。
 このお風呂でやけどのキズを洗い、
 軟膏処置をするのが、
 形成外科研修医の仕事でした。
      ■         ■
 私が形成外科医の卵になった、
 約30年前は、
 私の仕事はやけど患者さんの風呂入れでした。
 白いゴム長を履いて、
 茶色のゴムの長い前掛けをつけて、
 看護婦さんといっしょに、
 一日、数人の処置をしたこともありました。
 熱傷浴室は、
 寝たまま入れるお風呂なので、
 寝たきりで動けない方の、
 入浴にも使っていました。
      ■         ■
 ところが…
 30年の間に時代は変わりました。
 院内感染の原因として、
 この熱傷浴室が問題になりました。
 キズを洗い流すのは、
 今でもよい方法なのですが、
 MRSA(えむあーるえすえい)や
 多剤耐性緑膿菌などが、
 熱傷浴室で感染して問題となりました。
      ■         ■
 日本では、
 まだ熱傷浴室を使っている施設が多いと思いますが、
 一部の救命救急センターでは、
 感染の問題から廃止してしまったところもあります。
 ご自宅で、
 お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れて、
 それをペットボトルなどに入れて、
 キズを洗い流すのは、
 痛くなくてよい方法です。
 キズの処置として、
 覚えておかれるとよいと思います。

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昔の記憶

ヤマダ電機と旧市立札幌病院

 2009年6月19日(金)にオープンした、
 ヤマダ電機
 テックランド札幌本店
 札幌市中央区北1条西8丁目1-2
 TEL: 011-205-8001
 へ行ってきました。
 この札幌市中央区北1条西8丁目には、
 平成6年(1994年)まで、
 市立札幌病院がありました。
      ■         ■
 私は平成元年(1989年)から、
 平成6年(1994年)まで、
 この市立札幌病院で
 医師としての青春時代を送りました。
 ヤマダ電機のお隣には、
 当時の病棟の一部がまだ残っています。
 地下が救急部の
 救急ホール、
 CT室、
 救急部の医局、
 救急の当直室、
 など救急関係の部門でした。
      ■         ■
 1階が救急部の病棟、
 2階が中央手術室、
 3階からが病棟。
 私が働いていた病棟は、
 4階にありました。
 通称1-4(いちのよん)
 1病棟(いちびょうとう)
 4階(よんかい)
 なので
 いちのよん
 でした。
      ■         ■
 今でも、この病棟の横を通ると、
 当時のことを懐かしく思い出します。
 私が働いてた、
 1-4(いちのよん
 は放射線科と皮膚科の病棟でした。
 病棟婦長は、
 野切光子さんでした。
 とても優秀な婦長さんでした。
 朝は他のスタッフよりも早くいらして、
 各病室を回って、
 約50人近い患者さんのことを、
 すべて把握していらっしゃいました。
      ■         ■
 私が赴任してから、
 形成外科の患者さんも、
 積極的に受け入れてくださいました。
 使われていなかった、
 熱傷用の浴室を使ったり、
 熱傷用のベッドを、
 引っ張り出してきて、
 整備して使いました。
 今考えても…
 病棟のスタッフもよくやってくれたと思います。
      ■         ■
 ヤマダ電機は、
 北1条の西8丁目と9丁目の間に
 またがってあります。
 ちょっとわかりにくい表現ですが、
 この8丁目と9丁目の間から、
 大通り公園が見えます。
 駐車場から見た、
 大通り公園が、
 ちょうど旧市立札幌病院の
 正面玄関から見た風景といっしょでした。
      ■         ■
 同じ場所から見ているので、
 同じ光景がみえるのは当たり前なのです。
 ただ、
 20年の間に、
 病院→STVのスピカというホール
 →ヤマダ電機と変わりました。
 ヤマダ電機には、
 トイレットペーパーやティッシュ
 飲料水やお菓子まで売っていました。
      ■         ■
 時代の流れとはいえ、
 電気屋さんで、
 お菓子まで売っているのには、
 ほんとうに驚きです。
 これから札幌の街がどう発展していくのか?
 札幌駅前通りがどう変わるのか?
 もう少し私も長生きして、
 時代の移り変わりを見ようと思います。
 昨日の日記にたくさんのコメントを
 ありがとうございました♪

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