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面接試験の極意

 今日から、北海学園大学経営学部・大学院経営学研究科の㈱ニトリ寄附講座(後期)が開講になりました。
 2007年後期講座は経営者講座。今日から平成19年12月13日(木)まで7回開講されます。
 今年で3年目です。経営学を少しでも勉強したいと応募しましたが、すっかりファンになっています。勉強が楽しいです。
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 今日の講師は、イオン㈱元専務取締役の阪本美樹(サカモトヨシキ)先生でした。
 阪本先生は、宇治山田高校を卒業後、昭和37年に四日市にあった、岡田屋に就職。岡田屋さんの大番頭として、イオンの岡田会長とともに、現在のイオンを築いた方です。
 声が大きくて、関西弁のわかりやすい話し方で、あっという間に120分の講義が終わりました。誰一人として、居眠りしている人はいませんでした。
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 たくさんのお話から、冒頭、学生さんに面接試験の極意を伝授されたので、ご紹介します。
 会社に就職すると、会社は社会的基盤を与えてくれます。個人の生活基盤を与えてくれるのではありません。個人が裕福になる、幸せになるのは別の話しです。
 企業を選ぶのは恋愛と一緒です。この会社に就職したら有利だとか不利だとかを尺度にしてはいけません。
 あの人が好きだから一緒に居たいと思うのと同じです。その会社が好きか嫌いかが一番大切です。
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 会社が好きだったら、集中できます。闘争心ができます。行動ができます。
 企業は一流大学を出たから、高卒だからといって人を差別しません。イオンで働く24万人で東大卒の役員は一人しかいないそうです。阪本先生ご自身が高卒で、イオンの専務取締役にまで出世なさった方です。
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 ここからが面接試験の極意です。
 企業が欲しい人材は、協調性があり、リーダーシップを発揮して、継続性のある、ヤル気のある人です。
 面接試験では、いろいろな質問が出ます。これにどう答えるかで、点数が変わります。
 面接の評価は◎、○、△、×です。細かい点数まではつけられません。
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 学生時代にアルバイトをなさっていましたか?という質問が出ます。
 はい、4年間にたくさんのアルバイトをしました。は×です。
 はい、大学時代4年間は、ずっと同じアルバイトをしていました。が○です。
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 たくさんのアルバイトを次々と変えていたのは、継続性がないと見なされます。
 アルバイトをたくさんなさったのは、どうしてですか?という次の質問が待っています。
 はい、上司と合わなかったので、辞めて新しい仕事をみつけました。は×です。辞めたのを他人のせいにしています。
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 学生時代は何かクラブ活動をなさっていましたか?という質問が出ます。
 クラブ活動で部長とか副部長を経験していると、リーダーシップがあると判断されます。○です。
 ○○部に入りましたが、すぐに辞めました。はもちろん×です。
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 イオンやニトリに面接に行ったとします。
 当社にご応募いただきありがとうございました。どちらか当社の店に行かれたことがありますか?
 はい、○○店に参りました。あるいは、はい、○○店をいつも利用させていただいています。
 その店のどういうところに気がつきましたか?
 はい、○○……、と気の利いたことが言えれば○です。面接官に自分のよいところを売り込めれば◎です。
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 一般常識は最低でも5つ位、日刊紙で話題になっていることを知っておく必要があります。京都議定書とは何か?くらい知っておく必要があります。
 日本経済新聞まで読みなさい、とは言われませんでしたが、全国紙といわれる新聞を読むことが大切だとお話しされました。
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 阪本先生にとって、仕事は趣味と実益を兼ね備えたものでした。好きな仕事を選んでするのが大切で、好きですれば、ゴマをすっても気を使っても苦にならない。
 イヤイヤ仕事をするならお辞めなさいとお話しされました。
 美容外科という好きな仕事をさせていただき、私は幸せだと思いました。

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大学とアルバイト

 私が札幌医大の教員になったのが平成10年(1998年)でした。44歳でした。
 札幌医大の教員は、北海道公立学校教員という地方公務員です。
 医科大学の‘先生’だから、さぞかしお給料がよいだろうと、‘普通’の方は想像されることと思います。
      ■         ■
 公務員はすべて俸給表という、給与表で給与が決まります。
 国立大学は、文部教官でした。国立大学病院の看護師さんは、文部技官でした。
 研修医は、公務員ではなく、非常勤職員で、私の時は任期が一日で日々更新という制度でした。
      ■         ■
 私は44歳で、北海道公立学校教員として北海道知事に採用されました。当時の知事は堀達也さんでした。
 私が北海道からいただくお給料は、帯広厚生病院時代と比べて2/3になりました。
 朝7:00過ぎには家を出て、帰るのは夜10:00頃でした。たまに徹夜の手術もありました。
 時間外手当は一切ありませんでしたし、タイムカードもありませんでした。
      ■         ■
 事務の方に伺ったところ、大学教員といっても、医師としての加算はなく、俸給表でみると、高校の先生+α程度の給与水準だそうです。同じ北海道の地方公務員でも、道立病院の医師職より給与が低いのが札幌医大の教員でした。
 大学の教員はお金がかかります。自分の生活費の他に、学会費、外国雑誌の購入、学会出張のお金(北海道から支給される額だけでは2回位しか行けません)。
      ■         ■
 学生さんに配るプリントを印刷したり、資料をコピーするのに、各医局にコピー機があります。このコピー機のリース代まで自分たちで分担して払っています。
 医局に設置してあるFAXの電話料金、FAX本体、電話加入権も自腹です。
 これだけの経費を、少ない給与から分担するのは大変なことです。
      ■         ■
 少ないお給料を補填(ホテン)してくれたのが、アルバイト収入でした。
 形成外科医だから、大手美容外科の札幌店へバイトに行っていたのではありません(お願いしてもおそらく不採用です)。
 北海道の地域医療を支える目的で、道内の医療機関へ‘出張’に行きました。これは程度の差こそあれ、どこの医学部でも同じだと思います。
      ■         ■
 公務員が、アルバイトをすることは地方公務員法で禁止されています。
 昔は、北大の先生が予備校で教えてくれたり、国立大学の先生が、旺文社の大学受験ラジオ講座で講師をしていました。
 公務員のアルバイト規制が厳しくなってから、予備校もラジオ講座も国立大学の先生はできなくなりました。
      ■         ■
 医科大学や医学部は、地方医療の支援という‘錦の御旗’のもとでアルバイトが‘許可’されていました。
 私が在籍していた時は、‘兼業願い’という書類を提出し、医学部長が決裁していました。
 私が記憶している範囲では、‘あなたはアルバイトが多すぎるから減らすように’と減らされた人は、いなかったと思います。
      ■         ■
 問題なのはここからです。当時の札幌医大では、内規で‘自分の年収まではアルバイトを認める’という不文律があったようです。規則に書いてあったとは思えませんが、なぁなぁで決まっていたようです。
 私が知っているある講師は、年収が3,000万円を超えていました。大学事務局は住民税を徴収するので、この事実を知っていましたが、まったくお咎(トガメ)なしです。
      ■         ■
 私は札幌医大の事務局長に話したことがありますが、問題ないとのことでした。ある講演会で、高橋はるみ知事に話したことがありましたが、調査はされませんでした。
 確かに、地方医療の支援は大切だと思いますが、どこの会社に自分の年収の2倍もアルバイトを認めるところがあるでしょうか?
 慢性的な赤字のため、札幌医科大学には北海道から毎年多額の公金が支出されています。

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大学というところ

 札幌医科大学に限らず、大学の教員になるには資格が必要です。もちろん大学を卒業していないと、大学の教員にはなれません。大学院を出ている人が望ましいですが、大学院を出ていない医学部の教授もたくさんいらっしゃいます。
 講師になるには、最低限、学位という博士号が必要です。学術論文も書いていないとなれません。手術が上手だとか、講義が上手だとか、医師として立派だとかはあまり関係ありません。
      ■         ■
 大学教員で一番評価されるのは、英文論文が何篇あるか?という書類上の‘業績’です。
 つまり、英語で論文を書くのが得意な人が、大学で偉くなれます。
 どんなに手術が上手でも、‘神の手’でも、外国の有名な雑誌に英文論文を書いていないと、教授にはなれません。
      ■         ■
 外国の雑誌といっても、書店で売っているような雑誌ではありません。一般の方は、まず目にすることがない、大学図書館にでも行かないと見ることができない学術雑誌です。
 形成外科では、PRS(ピーアールエス)と呼ばれる、米国形成外科学会雑誌が一番上位です。
      ■         ■
 雑誌にはそれぞれ、インパクトファクターというランキングがあります。
 このインパクトファクターが高い雑誌ほど、論文の価値があるとされています。
 医学部の教授選挙の時には、インパクトファクターが高い論文が何篇あるかが、最初の関門となります。
 どんなに素晴らしい先生でも、英文論文が一篇もなければ、医学部の教授にはまずなれません。
 論文は、ただ英語で書けばよいというものではありません。掲載されるには厳重な審査があります。
      ■         ■
 たとえばPRSは、米国形成外科学会の学術雑誌です。論文を書いたら、編集者のところへ送って審査を受けます。
 論文は3人の審査委員のところへ送られます。通常は、雑誌に出ている編集委員が論文の査読(サドク)という審査をします。編集長の判断で編集委員以外に送られることもあります。
 私は一度だけ、編集長から論文の審査を依頼されたことがありました。2週間以内に査読して送り返してください、という手紙とともに送られて来ました。とても驚きましたが、名誉なことなので、コメントを書いて返送しました。
      ■         ■
 論文は、何か新しいこと‘NEW(ニュー)’がないと採用されません。
 形成外科では、新しい手術法を見つけたとか、いままでの手術を何百例か検討したところ、こんな結果だったとか…。
 よい雑誌ほど審査が厳しく、採用される率は低くなります。
      ■         ■
 論文捏造(ネツゾウ)という話題が報道されることがあります。
 手術に関する論文で、データーを捏造しようと思っても難しいですが、基礎的な研究では捏造されることがあります。
 韓国で論文が捏造された事件が有名です。
 学術論文に嘘を書くなど、科学者として信じられないことですが、実際に嘘のデーターを書いて論文数を増やした先生もいるようです。
      ■         ■
 大学教授というと、人物・性格・医療技術のすべてが素晴らしい人という印象を持ちます。
 実際に素晴らしい教授が大部分です。ただ、なかには論文の数を増やすことだけに専念して、臨床医として実力が伴わない人もいました。
 よい美容外科を見分けるのは難しいですが、大学病院だからといって、100%信じてはいけません。
 美容外科に関しては、論文執筆も学会発表もしていないのに‘神の手’のような先生がいらっしゃいます。美容外科は、大学病院より開業医の方に上手な先生がいらっしゃると思います。

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昔の記憶

白い巨塔

 白い巨塔という小説がありました。TVドラマにもなりました。教授を狙う外科の財前五郎と対照的な内科の里見脩二の2人の先生が出ていました。
 医師になる前に山崎豊子さんの原作を、友人から借りて読んだことがありました。
 自分とは無縁の世界だと思っていました。医師になった私は、北大形成外科という、実に家庭的な雰囲気の医局で育ちました。
 将来、教授になりたいと思ったこともありませんでした。大学に残り偉くなりたいとも思っていませんでした。
      ■         ■
 私は北大形成外科の医局員として、市立札幌病院で形成外科の診療をし、北大で研究をして平成6年に学位(医学博士)をいただきました。
 私は北大形成外科の人事で、市立札幌病院から帯広厚生病院へ赴任しました。帯広へ行ったのが、平成7年1月のことでした。  
      ■         ■
 帯広厚生病院には平成10年3月まで3年3ヵ月勤めました。学位をいただいた後の、いわゆる‘お礼奉公’という勤務です。
 私も40歳を超えていたので、このまま総合病院の形成外科部長として一生を過ごすことに疑問を感じていました。
      ■         ■
 帯広厚生病院を退職する直前に、札幌医大皮膚科のJ教授から、札幌医大形成外科の非常勤講師になってくれないか?と頼まれました。前任の先生が転出され、形成外科の診療を指導できる人がいなくて困っているという理由でした。
 非常勤講師として週に一度、手術やカンファレンスの指導に札幌医大に行くようになったのが、平成10年4月でした。
 そのうち、再建手術という難しいレベルの手術も他科から依頼されるようになりました。J教授から、平成10年6月頃に常勤の講師になってくれないかと頼まれました。
 大学で働くのは大変そうでしたが、自分の出身大学で、友人もいたため、医育機関で教員として働くことにしました。
      ■         ■
 私は平成10年9月から、札幌医大形成外科で働き始めました。札幌医大は北海道が設立した公立大学です。前身は北海道女子医専という第二次世界大戦中にできた、専門学校です。
 白い巨塔で里見先生が‘飛ばされた’山陰の大学と札幌医大は同レベルです。白い巨塔は大阪の国立大学が舞台ですが、これが東京の旧帝大だったら、里見先生が‘飛ばされたのは’北海道の札幌医大だったかも知れません。
 東大・京大・慶応などの‘ブランド’と札幌医大は知名度も難易度も違います。
      ■         ■
 自分の出身大学ということもあり、私は札幌医大でのんびりしていたと思います。
 外科手術にはチームワークが大切です。一緒に働く仲間を信用しないと手術はできません。私の失敗は仲間だと思って、後輩を信用しすぎたことが原因でした。
 私は少しずつ、直属の上司である皮膚科のJ教授と合わないことを意識し始めました。
      ■         ■
 私がクビになる2年前に、J教授が医学部長に選出されました。医学部長選挙は助手以上の大学教員全員で一次選挙があり、この一次選挙で高得票を得ることが当選の第一歩です。
 最初の選挙の時は、J教授の指示で、私も友人・知人に投票を依頼しました。
 2年間の医学部長でJ教授は権力を持ち、次は学長を狙うと言われるようになりました。
 形成外科の処遇や治療方針でJ教授と合わなくなった私は、自分の職を賭けてJ教授に投票しませんでした。
      ■         ■
 平成14年1月に行われた医学部長選挙で、残念なことにJ教授は再選されました。
 その2ヵ月後に私はJ教授から、夜9時に医学部長室へ呼ばれ、解雇通告を受けました。
 私を陥れる策は、半年も前から周到に準備されていました。
 白い巨塔のことが頭をよぎりました。
 私はすぐに大学を辞めることを決意し、次の就職先を探しはじめました。
      ■         ■
 私のことを慕ってくれる後輩もいました。涙を流してくれた教授もいました。
 たくさんの先生に助けていただきました。北海道以外の先生にも助けていただきました。今でも、その時のありがたみは忘れていません。
 公務員だから、大学の教員だから、悪いことはしていないからといって安泰ではありません。
 身から出た錆(サビ)とはいえ、48歳で職を失った時は困りました。
      ■         ■
 医科大学の学長といえども、民間病院からお金をもらって逮捕されたり、科研費という研究費の不正使用で捕まる人がいます。奈良県立医大で2000年に起きた事件が有名です。
 札幌医大でも、悪いことをしている人がいました。残念なことですが、大学病院だから、教授だからといって信用はできません。
 たった4年間でしたが、私はとても貴重な体験をしました。自分が解雇されて、職を失う大変さも経験しました。白い巨塔もよく理解できるようになりました。
 一番の教訓は、信じてはいけない人がいるということを知ったことでした。

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失業した時

 私は2002年7月に札幌医科大学を退職しました。退職というと聞こえはいいですが、事実上は医学部長に追い出されました。
 私を札幌医科大学へ招いてくれたのも、追い出してくれたのも同じ人でした。
 48歳の時でした。子供はようやく大学に入ったばかりと、高校生の2人でした。2人とも私立で、お金がかかる時期なのに困りました。
      ■         ■
 その前から、嫌な予感がしていたので退職しようと考えていましたが、突然、解雇通告を受けたようなものでした。
 開業を考えましたが、資金も準備期間もありませんでした。
 その4年前に、美容外科医になろうと思っていました。
 解雇通告を受けてから、紹介していただいたり、自分で応募して、ほとんどの大手美容外科に面接に行きました。
 たくさん募集広告が出ていたので、簡単に就職できるだろうと安易に考えていました。結果は、不合格やら条件が合わないなどで、惨憺(サンタン)たるものでした。
      ■         ■
 技術的に問題があるとか、大学をクビになったからとかの理由ではありませんでした。
 私のように、大学の形成外科講師になってしまった人間は、チェーン店ではとても使いづらいのです。
 経営者の言う通りに、なんでもハイハイと手術を引き受ける‘先生’でなければ、チェーン店の美容外科医としては失格なのです。
      ■         ■
 チェーン店の美容外科は医師が経営しているところと、医師以外が経営しているところがあります。
 医師が経営しているチェーン店は、全て私よりも若い先生が経営者でした。
 自分より年長の、うるさそうな形成外科医を採用しても、うまく仕事をしてくれそうもない。今なら、よく理解できます。
      ■         ■
 大学は追い出されるは、次の就職先は見つからないは、開業するにも資金はないは、で本当に困りました。
 その時に助けていただいたのが、親しくしていた医療機器メーカーの社長さんでした。
 私の前任である、中央クリニックの社長さんを紹介してくださり、ようやく、私の就職先が見つかりました。
 今でも、紹介してくださった社長さんと、採用してくださった中央クリニックの社長さんに心から感謝しています。
      ■         ■
 形成外科医として十分な経験と知識があり、札幌の老舗美容外科で副院長も経験していました。
 ところが、チェーン店の美容外科は、手術件数の桁が違いました。
 普通、市立札幌病院などの総合病院では、手術日が決まっています。
 形成外科の手術日は多くて、週に3日、少ないところでは2日です。
 年間の手術件数も、数人の形成外科医がいて、多くても1,000件程度でした。
      ■         ■
 中央クリニック札幌院に私が在籍していた時は、一人でそれまでの数倍の手術をしました。
 毎日、朝から夜まで手術をしていました。
 医師になってはじめて、手術のしすぎで手に豆ができました。
 形成外科医の時は、手術する相手は‘患者様’でしたが、美容外科では‘お客様’でした。
 スタッフも美人の若い女性ばかりでした。私の生活はそれまでと一変しました。
      ■         ■
 今になって思うと、大学を辞めてよかったと、私を追い出してくれた医学部長にも‘感謝’しているくらいです。
 人生には、予期できないことがたくさんあります。自分が正しいと思ってしていたことでも、他人からは悪く思われ、職を失うこともありました。
 医師免許は、簡単に手に入れられるものではありませんが、医師免許があるからといって安泰ではありません。
 自分を助けてくれる人、自分を陥れる(オトシイレル)人。さまざまな人がいます。
 どんなことがあっても、しっかりと自分の考えを持ち、信念を貫くことが大切だと私は考えています。

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医師とストレス

 自分で言うのも変ですが、医師はストレスの多い仕事です。
 ある開業医の奥様がおっしゃいました。『主人はストレスが多く、ちょっとでも触ると破裂しそうな風船のようです』と。
 これを言ったのは、私の家内ではありません。逆に、少しでもこの先生の奥さんのように、私の立場を理解してくれたらなぁ~と思っています。
      ■         ■
 医師にストレスがかかるのは、人間の生命という、世の中で、何よりも大切なものに係わる職業だからだと思います。
 どんなに医学が進歩しても、治せる病気はほんの一部で、医学はその病気といかに上手に付き合うかを指南するだけです。
      ■         ■
 私が忘れられない患者様の一人に、若くして悪性腫瘍で亡くなった女性がいます。
 その方は、ニキビのようなできものができ、大きくなってきたので、心配であるクリニックへ行ったそうです。
 悪性の疑いがあるから、手術をしなさい。と言われました。その先生が怖くて、母親にも言えず、お父さんのお墓へ行って泣いたりしていて、しばらく時間が経ってしまいました。
      ■         ■
 私が勤務していた、市立札幌病院へいらした時は、すでに鶉卵(ジュンラン、ウズラ卵)くらいの大きさになっていました。
 残念なことに、初診時に胸部写真で肺転移が見つかりました。悪性腫瘍の専門家や呼吸器科医と何度も相談して、手術をしましたが、肺転移は進行しました。
 家族や他科の先生とも相談し、本人に病名は告知せず、抗癌剤による治療をしました。
      ■         ■
 残念なことに、まだ20歳台半ばで、その方は亡くなってしまいました。
 今でもその方のお母様から、たまにお便りをいただきます。
 美人で、明るく、さわやかで、声がきれいな女性でした。学生時代はコーラスをなさっていらしたそうです。
      ■         ■
 私が形成外科を選んだ理由の一つは、形成外科では医師の技術一つで、どんなキズでも治せると考えたからです。
 大学教授でも、治せないキズがあることは、形成外科医になってわかりました。
 ケロイド体質という体質があります。遺伝することが多いのですが、どんなに丁寧に手術をしてもキズが盛り上がります。
 ケロイド体質でなくても、キズがキレイに治らないこともあります。
 また、術者がどんなに丁寧に手術をしても、手術後の安静を守っていただかなくてはキズはキレイになりません。
      ■         ■
 医師の力なんて無力なものです。自分がどうしても助けたいと願った方が亡くなってしまったりするとガックリします。
 手術で、どんな人でもキレイにできるなんて思っているのは、経験が少ない証拠です。
 長年やっていると、どんなに頑張っても力が及ばないこともあります。
 相性もあります。よくなったと思っても、本人が満足してくれなければ、何の役にも立ちません。
      ■         ■
 私のように開業医になると、医業以外のことでも苦労します。
 職員の採用、経営、労務管理などなど、ストレスの原因になることがたくさんあります。
 毎日、たくさんのストレスと闘って生きていかなくてはなりません。
 私は、お坊ちゃん育ちではありませんが、ストレスには弱い方です。安倍さんのように、すぐにおなかを壊します。
      ■         ■
 ストレスに晒されながらも、私が何とかやっていけるのは、大部分の方には、手術で満足していただいているからです。
 他院でうまく治らなかった方を‘修正’するのは、技術的には難しいことです。再手術が適応になると判断できれば、リスクもご説明した上で、手術をお引き受けすることもあります。
 難しいと思った手術で、予想以上の効果が出た時はうれしいものです。
 美容外科医は決して楽な商売でありません。たくさんのストレスと闘いながら、生計を立てています。

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ストレスに強くなる

 安倍首相が突然辞任し、海外からも酷評されています。
 昨日は、慶応病院で相川病院長以下が記者会見をしました。
 以下は朝日新聞から引用しました。
      ■         ■
 安倍首相が入院した慶応大学病院では、13日午後2時から、主治医の日比紀文・医学部教授(消化器内科)が記者会見し、「機能性胃腸障害が悪化し、全身が衰弱している」と病状を説明した。
 機能性胃腸障害は、ストレスや精神的な疲労が引き金となり、おなか上部の膨満感や灼熱(しゃくねつ)感、みぞおちの痛みなどの症状がある。
      ■         ■
 日比教授によると、安倍首相は、1ヵ月以上前から食欲不振や胃もたれなどの症状を訴えていた。当初は軽かったが、数週間前にウイルス性とみられる腸炎を起こすなどして悪化。シドニーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)から帰国した10日ごろから、疲労感も強くなった。「体重はここ数カ月で5キロほど減った。3、4日の入院が必要」と話した。
 辞任表明直後の12日夕方にも診察したが、13日はさらに衰弱が進み、「(公務の)緊張状態を続けるのは、少し難しいと判断した」という。ただ、「(進退について)総理にアドバイスしたことはない。数日前まで執務に全く支障はない状態だった」と強調した。
      ■         ■
 胃腸の病気に詳しい国立病院機構さいがた病院(新潟県上越市)の松枝啓院長は「薬で治療することもあるが、多くは生活習慣や食生活を改善し、ストレスを減らせば良くなる」としている。
      ■         ■
 「翼短かったタカ」… 安倍退陣、海外メディア辛らつ
 13日付米紙ワシントン・ポストは、安倍首相が7月末の参院選で惨敗して以来、「生けるしかばね」だったと酷評。
 ニューヨーク・タイムズは首相は「闘う政治家」と自らを表現したが、「明らかに闘う度胸を持っていなかった」と戦意喪失の様を紹介。タイミングも「不可解だ」としている。
 (平成19年9月13日朝日新聞より引用)
      ■         ■
 安倍晋三さんは私と同じ昭和29年9月生まれです。
 私たちが子供の頃は、テレビが普及しはじめ、鉄腕アトムやひょっこりひょうたん島を見て育った世代です。
 高校生の頃には、田中角栄さんが首相になりました。小学校しか出ていない、越後の田舎者が努力で首相になったと日本中が興奮しました。田中首相は、コンピューター付ブルドーザーと言われていました。
 本屋さんの店頭には、田中首相の日本列島改造論が高く積まれ、北海道も好景気になりました。
 その頃の北海道は、炭鉱が相次いで閉山し、今よりも元気がなかったように思います。その次にオイルショックがきて、トイレットペーパーがなくなりました。
      ■         ■
 安倍さんは、小学校から私立の成蹊学園へ入学。大学までエスカレーター式に卒業してます。
 父の安倍晋太郎さんが、1963年に選挙で落選するという‘苦労’はあったようですが、小学校3年生程度で、両親と離れて生活していたので、お金に困るようなことはなかったと思います。
      ■         ■
 人間はさまざまなストレスに晒されて生きて行きます。
 子供の頃から、転校が多かった人は、転校の度に新しい土地で友人を見つけなければなりません。何度も転校という試練が与えられると、自然とともだちを作る能力ができてきます。
 小さい頃から病気がちの人は、自然と上手に病気と付き合う方法を身につけるものです。
 何回も入試に落ちて浪人した人は、どうしたらショックから立ち直って、次のステップを踏み出すかを自然と身につけます。
      ■         ■
 こうした、さまざまな試練を経て人間は強くなります。温室栽培の植物より、自然の厳しい世界で育った植物の方が強いのと同じです。
 次の首相には、逆境にも強い人、自分も苦労して弱者の気持ちがわかる人になっていただきたいと願っています。
 ‘美しい国’は要りません。安心して暮らせる国づくりをしてください。安心して平和に暮らしていると、国は自然と美しくなります。人間も同じです。

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院長の休日

また旭岳登山

 2日間の休診日を利用して、また旭岳(2290m)へ行ってきました。
 7月13日に軽装で登山し、下山で転びエライ目に遭ったところです。
 今回は登山靴を購入し、再チャレンジしました。
      ■         ■
 登山靴は北大近くの秀岳荘で購入しました。秀岳荘は登山の専門店で、学生時代にたまに行っていました。
 山岳部やワンダーフォーゲル部の友人から教えられた気がします。
 久しぶりに行った秀岳荘は、登山が好きな人がたくさん来店していました。
      ■         ■
 7月に登山した時に、一番辛かったのが靴でした。
 ハイキング気分で、古いNIKEのランニングシューズで行ったのがそもそもの失敗でした。
 秀岳荘の店員さんに、旭岳でヒドイ目に遭ったので、靴を買いに来ました。とお願いして靴を選んでいただきました。
      ■         ■
 秀岳荘で薦められたのは、アシックスのフィールドウォーキングシューズでした。GⅡ-TREKKING-HIという製品です。
 軽くて、しっかりしていて、歩きやすいのが特徴です。
 この靴のおかげで、今回は足が痛くなりませんでした。7月に何回も転倒した下りも、一度も転倒せずに下りられました。秀岳荘の店員さんに感謝です。
 何でも専門家に相談して、アドバイスをいただくのはよいことです。
      ■         ■
 姿見駅(標高1595m)までは旭岳ロープウェイです。往復2,800円と少し高いですが、歩いて上がることを思えば仕方がありません。
 姿見駅から姿見ノ池(1665m)まではハイキングコースです。ここからが登山道になります。ガレ場と呼ばれる火山礫(カザンレキ)のゴロゴロした道です。
 7月は乾燥していて、足元が悪かったのですが、今回は雨があったせいか、適度に湿っていて、前回よりずっと楽でした。
      ■         ■
 旭岳へ行くと、どう見ても70歳以上のご夫妻が、ひょこひょこと上がっていらっしゃいます。
 私たち夫婦は私が53歳、家内51歳なのに、下手をすると70歳代と思われる、‘ベテラン’よりもよたよたしています。
 私は歩くのが早いので、ちょっと行っては休んで家内を待ち、1時間40分で頂上に着きました。
 残念なことに今回は、頂上からの展望は望めず、わずかに霧の間から山並みが見えた程度でした。
 紅葉は姿見ノ池付近で、はじまっていました。
 私はあまり趣味もないので、少しずつ山登りをはじめようかと考えています。

姿見ノ池付近から
後方が旭岳です

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医療問題

天使病院理事長解任

 平成19年9月12日北海道新聞朝刊の記事です。
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 天使病院、西村理事長を解任 移管見直し 産科3医師は残留。
 妊娠後期から生後約一週間の「周産期医療」の拠点となっている天使病院(札幌市東区)の産婦人科医6人全員が退職を決めた問題で、同病院を経営する医療法人社団カレスアライアンス(室蘭)は9月11日、臨時の社員総会と理事会を札幌市内で開き、西村昭男理事長を解任し、新理事長に、同法人が経営する日鋼記念病院(室蘭)の勝木良雄・前院長を選んだ。西村氏が主導し、産婦人科医が退職理由に挙げていた天使病院の経営移管は再検討する方針で、6人のうち3人は勤務を続ける。
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 西村氏が天使病院の移管先としていたのは、西村氏が別に理事長を務める特定医療法人社団カレスサッポロ(札幌)。カレスアライアンスの一部理事は「産婦人科医全員が退職すれば、道央の周産期医療が崩壊する」などとして、理事長退任と移管撤回を求めていた。
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 社員総会では理事の1人が西村氏の理事解任動議を提出。賛成14、反対5、棄権2で解任された。10月に予定していた移管については再検討することを理事会で決めた。
 新理事長の勝木氏は2月に日鋼病院を退任したばかり。天使病院の院長も杉原平樹(つねき)氏から、カレスアライアンスの辻崎正幸理事に交代した。辻崎新院長は「移管の再検討は撤回に向けたもの」と説明している。
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 西村氏は1978年に日本製鋼所病院(現日鋼記念病院)院長に就任後、家庭医の育成や道内初の緩和ケア病棟の開設に乗りだし、道内地域医療の先駆者として注目を集めた。近年は病院の不動産を原資にした債券の発行や医療ビル建設を計画し経営拡大を図っていた。
 同氏は天使病院の移管について「札幌の病院はカレスサッポロに集約するため」と説明したが、カレスサッポロはそうした経営拡大の足場になっており、同病院の産婦人科医は「医療費抑制の時代に、破綻(はたん)は目に見えており、リスクの高い周産期医療は続けられない」と反旗を翻した。
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 西村氏は理事会後、記者会見し、「解任はクーデターで複雑怪奇。産婦人科医は現状に固執しただけ」と、2時間にわたり、産婦人科医や解任を決めた理事を批判した。カレスサッポロの理事長は引き続き務める。
 勤務継続を決めた天使病院産婦人科の吉田博科長は「道内の周産期医療が混乱しないよう、(早産や低体重児など)リスクの高い出産を受け入れる態勢をつくり直したい」と話している。
 一方、日鋼記念病院では、西村氏に近い医師2人が退職届を出した。勝木新理事長は「退職届を出した医師を説得し、地域医療の混乱を避けたい」としている。
 (平成19年9月12日北海道新聞朝刊より引用)
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 とうとう西村先生が解任されました。
 日鋼記念病院から産婦人科医がいなくなり、天使病院からも産婦人科医がいなくなる。
 これは尋常なできごとではありません。以前の医療法で、総合病院の規定がありました。最低限、内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科の5つの科がなければ、総合病院とは言えませんでした。
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 天使大学には、助産学専攻の大学院が設置されています。全国的にも助産学の大学院は珍しいのですが、大学と同じ名前の‘天使病院’から産婦人科医がいなくなっては、助産学の大学院もどこで研究するのでしょうか?
 カレスの西村理事長解任はこれからの医療業界を象徴したできごとだと思います。
 西村理事長は、北海道新聞社の報道にあるように、病院の不動産を元にファンドからお金を調達して経営を拡大してきました。
 一見すごいことに見えますが、‘医療はもうかる時代’は終わっています。
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 効率的な経営を求められると、医師の待遇はどんどん悪くなります。
 日鋼記念病院の研修医が『僕の給料は師長さんよりずっと低いんです』と嘆いていたのを覚えています。
 医療コンサルタントの方に伺うと、これから倒産する病院がどんどん出てくるそうです。
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 西村先生には、北大形成外科が大変お世話になり、毎年北大形成外科の忘年会にもいらしていただいていました。
 個人的には、西村先生がお気の毒だと思いますが、天使病院から産婦人科の灯が消えなくてよかったと安堵しています。
 医療経営はこれからますます厳しくなります。札幌美容形成外科の理事長は私です。医師一人で理事の医師も私一人です。
 解任されたり、倒産しないように頑張りたいと思っています。

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医学部志望

 昨夜、知人のお嬢さんで、医学部志望の学生さんとお話しする時間がありました。誕生祝いのお花までいただき、心が和みました。この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
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 そのお話しの中で、いくつか私なりの考えを述べたので、整理する意味で、日記に書いてみます。
 大学の教員を4年間しました。最後は追い出されるように大学を辞め、辛い思いをしましたが、楽しい想い出もたくさんあります。
 一番の想い出は、延べ400人近い学生さんとじかに話しをし、実習を指導し、形成外科について私の考えを伝えられたことです。さまざまな学生さんがいらっしゃいました。
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 医学部は他学部と比べると、偏差値が高く、今も昔も難関学部の一つです。
 最近は入試制度が変わり、高校の成績が良ければ、推薦入学で入る学生さんもいます。
 高校の成績と、大学での面接・小論文程度で早々と合格が決まります。
 大学側も、慎重に判定していると思いますが、中には成績が良かったので『推薦で入っちゃった!』という感じの学生さんもいました。
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 明確な志望動機がなく、成績が良かったので、なんとなく医学部に入っちゃった人は苦労します。
 医学部は、授業時間数も多く、他学部と比べて学生時代の自由な時間がありません。とにかく覚えることがたくさんあります。
 試験も多く、進級判定も厳しいため、ちょっと油断するとすぐに留年です。目的がはっきりせずに入学した学生は、在学中に留年を繰り返し、退学になる人もまれにいます。
 最後には医師国家試験があります。司法試験ほどではないと思いますが、勉強しないと受かりません。卒業しても国家試験に受からないと、何の役にも立たないのが医学部です。
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 解剖学実習があります。最初は骨学(コツガク)といって、本物のヒトの骨をスケッチして、骨の構造や、骨についている筋肉、骨の穴を通る神経や血管を覚えます。
 次に、実際にご遺体を解剖して、人体の構造・機能を学びます。大学によって異なりますが、解剖体の関係もあって数ヵ月は週に何回も解剖実習です。
 怖いとか、気持ち悪いという感覚は、あっても最初だけです。覚える膨大な知識と、口頭試問による試験のために毎日勉強です。
 細い神経や血管を剖出(ボウシュツ)するのもかなり疲れる作業です。剖出とは脂肪などの中から剥がしてキレイに出すことをいいます。
 私はキレイに出すのが得意でした。時間がかかってもコツコツと解剖していました。
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 こうした医学部らしい授業が、早い大学で1年生から、遅い大学でも2年生には始まります。
 私の頃は、どの大学でも最初の2年間は、まるまる一般教養でしたので、この時に運転免許を取得したり、クラブ活動をしたりする時間がありました。
 現在は、国家試験の問題数も増え、専門科目がはじまる時期が早くなってきています。
 ゆっくり考える暇もなく、学生生活を送っていると、臨床実習がはじまります。
 最近の臨床実習では、OSCE(オスキー)という、模擬患者さんとの面接試験まであります。
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 OSCE(Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)、通称オスキーと呼ばれます。
 医学生に求められる臨床能力としては、①医療面接②身体診察③得られた情報から問題点を同定④必要な検査の選択と実施⑤検査結果の解釈⑥適切な治療計画の立案⑦インフォームド・コンセントの実施、などがあります。
 各大学でのOSCE実施状況では、医療面接、胸部診察、心音・呼吸音聴診、腹部診察、神経診察、バイタルサイン等が多く出題されています。
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 最初からできる学生はいません。話しをするのが苦手でも、訓練すればできるようになります。
 ただ、何のために自分は医師を選んだかが明確でない人は苦労します。
 何年も浪人して苦労して入学した学生。他大学を卒業後に一念発起して医学部を目指した学生は精神的にも強く頑張りがききます。
 以前にも書きましたが、浪人は無駄ではありません。精神力を鍛えるのは、不安に思いながらも、毎日努力する予備校時代だと思います。
 来年の栄冠を目指して、健康に気をつけて頑張っていただきたいと、心から応援しています。

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