昔の記憶

床上排泄

 床上排泄(ショウジョウハイセツ)と読みます。
 ベッドの上でオシッコもウンコもすることです。
 ペルテス病になった5歳の私は、札幌の愛育病院に入院しました。昭和34年11月のことです。
 大腿骨という、太ももの骨の病気です。そのままだと、歩けなくなります。両親は焦ったと思います。
      ■         ■
 愛育病院は昭和32年8月に開設されました。財団法人小児愛育協会附属愛育病院。
 病床数32床、小児科、皮膚科、整形外科、耳鼻咽喉科の病院でした。
 北大医学部小児科の2代目教授、弘 好文先生を中心に地域の小児保健問題の研究と解決、及び育児指導を目的として小児総合病院建設の構想の下に作られました。
      ■         ■
 愛育病院へ入院した私は、まず腰から下のギプスをつけられました。
 大腿骨頭にかかる負荷を減らす目的だと思います。
 子供だった私は何と説明されたかは覚えていません。ギプスをつける時に暴れたので麻酔をかけられたような気もします。
      ■         ■
 ギプスは石膏でできているので、子供の私が暴れたところでびくともしませんでした。
 パンツの代わりに、セメントでできたズボンをはいているようなものです。
 オシッコとウンコをするために、チンチンのところとおしりには穴が開いていました。
 当然のことですが、トイレには行けません。
 ギプスをつけたその日から、ベッドの上でオシッコもウンコもしなくてはなりません。
 5歳の子供でも、これには参りました。
      ■         ■
 オシッコは尿瓶(シビン)でできるからまだマシです。
 問題はウンコでした。
 ウンコをする時は、カーテンをして他の子供から見えないようにしてしました。
 いくらカーテンをしても、臭いは容赦なくカーテンにこもります。
 5歳の男の子でも、クサイにおいには閉口しました。
 同室の子供から、ウンコ臭いなんて言われようものなら、ウンコが出なくなりました。
      ■         ■
 ウンコが出なくなるとお腹が痛くなります。
 ウンコがイヤでお腹が痛くなるので、食事も進みません。
 骨の病気で入院したのに、ウンコが最大の苦痛でした。
 子供の病院なので、同室者は子供ばかりでした。
 他の子供は、小児科の患者が大部分でした。
 ペルテスは私一人で、他の子供たちは元気に遊び回っていました。
 私だけ、24時間ベッドの上でした。次第にストレスが溜まりました。
      ■         ■
 同室の子供たちは腎臓病の子が多かったように記憶しています。
 食事の時間になると、『腎臓さんの食事ですよ!』と、腎臓病食がその子供たちに配膳されました。
 食事の時間は、私が優位でした。腎臓病の子供は、醤油が食べられませんでした。
 私はご飯に生卵をかけて食べられましたが、腎臓病の子は生卵に醤油をかけられませんでした。
      ■         ■
 病院で入院患者の部屋割りを決める時は、男性は男性。女性は女性。あかちゃんはあかちゃん。学童は学童と分けます。
 私は小学校入学前だったので、男の子も女の子も同じ部屋でした。
 自分の経験から、男性と女性は無理としても、できるだけ同じ病気の子が同じ病室で過ごせるとよいと思います。
      ■         ■
 たとえば乳癌が専門の病院があります。
 同じ部屋に術前の患者さんと術後の患者さん、新入りの患者さんがいらっしゃいます。
 私たち医療従事者が説明するよりも、先輩患者が自分の体験を元に‘説明’してくださると、実に安心することがよくあります。
 ベテランの看護師長は、ベッドの割り振りや部屋割りがとても上手です。
      ■         ■
 私は約一ヵ月入院しましたが、小児科の子供と仲良くなった記憶はありません。
 24時間、ベッドの上で、お風呂も入れない生活は苦痛でした。
 ギプスはつけたままなので、次第に痒くなります。
 ギプスの中が痒くても手や指は届きません。
 お箸で痒いところを掻いた覚えがあります。
      ■         ■
 5歳になると、入院していたことや辛かったことはよく覚えています。
 形成外科医になってからも、植皮術の後に床上安静が必要なことがありました。
 私は、5歳の時の体験から、できるだけ早くウンコだけはトイレでしてもらうように配慮していたつもりです。
 この他にも、自分の入院体験は役に立っています。また別の日に続きを書きます。

昭和35年1月の私です。
左下肢につけているのが装具。
(コルセット)です。

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昔の記憶

お医者さんごっこ

 私が子供だったのは、昭和30年代です。
 日本は戦後の混乱から、高度経済成長の時代に入っていました。
 ‘三丁目の夕日’は、昭和33年(1958年)の東京の下町が舞台として設定されています。
 私が育った、札幌郡手稲町も、三丁目の夕日と同じように、隣近所が親しくお付き合いしていました。
      ■         ■
 子供の遊びは、近くの雑木林でドングリを拾ったり、当時流行っていた、月光仮面のマネをしたり、チャンバラをしたり…。
 女の子は、おままごと遊びをして、それに加わったり…。
 ごく普通の子供の、ごくふつうのあそびでした。
      ■         ■
 ただ一つ違っていたとすれば、‘お医者さんごっこ’だと思います。
 病院職員の子供ばかりの集団です。お医者さんごっこも、ふつうの子供より知識がありました。
 子供は、お父さんと同じ職に就きました。
      ■         ■
・マーちゃんがお医者さん。お父さんは小山先生。
・はるみちゃん(マーちゃんの妹)が看護婦さん。お母さんが元看護婦さん。
・ひろすけちゃんが事務長さん。お父さんは小林事務長さん。
・まさるちゃんがレントゲン技師さん。お父さんは、レントゲン技師の草野さん。
・私が薬剤師。父は薬剤師。
 患者さん役が誰だったか?どうやったか?は覚えていません。
      ■         ■
 お医者さんのマーちゃんが‘診察’をして、看護婦さんのはるみちゃんが介助します。
 レントゲン技師のまさるちゃんがレントゲンを撮ります。
 注射は、看護婦さんのはるみちゃんが担当。
 薬剤師のケンちゃんは、マーちゃんが処方したお薬を作ります。
      ■         ■
 私は、土を集めて、サラサラにして、お薬を調合。
 木の葉っぱに包んで、「はい、お薬ができました」という係りでした。これは今でも覚えています。
 私はこの薬の係りが好きでした。
 少し大きめの葉っぱを集めて、さらさらにした土を、おままごとの皿に入れて調合しました。
 看護婦さんの、はるみちゃんが「はーい、お口を開けて!」と飲ませるマネをしていました。
      ■         ■
 お医者さんは、血も見なければいけないし大変だから、自分は薬剤師でよかった!と子供心に思ったのを覚えています。
 マーちゃんのようにお医者さんになりたいとは、まったく考えていませんでした。
      ■         ■
 子供たちは、親が働いている療養所へ遊びに行っていました。
 マーちゃんとはるみちゃんは、お父さんのいる医局へ。
 私は父がいた薬局へ行きました。
      ■         ■
 薬局には、今のような分包器(粉薬を紙の袋に入れる器械)はありませんでした。
 薬包紙という薄い紙を、調剤台の上に並べて、そこへ父が乳鉢で調合した薬を手際よく配分していました。
 怒ると怖い父でしたが、その時は子供心に『お父さんすごい!』と思いました。
      ■         ■
 その他に錠剤を作る器械があり、ゴットンごっとんと動いて錠剤ができていました。
 子供にとっては、イスと机と本しかない医局(お医者さんの部屋)よりも、いろいろな薬や器械がある薬局の方が楽しみでした。
 私は注射が嫌いでしたし、手術なんて考えただけで血の気が引いていました。
 その頃から考えると、よく形成外科医になったものです。
      ■         ■
 子供は地域が育てるものと言われます。
 親から教えられることの他に、近所のお兄さんお姉さんからもたくさんのことを教えられます。
 私の兄貴分はマーちゃんでした。マーちゃんは面倒見がよく、妹や私とよく遊んでくれました。
 私の一生の中で、手稲で過ごした7年間はとても貴重なものだと思っています。マーちゃんに感謝しています。

ソリを引くのがマーちゃん
その後ろが妹のはるみちゃん
最後尾が私(ケンちゃん)です

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昔の記憶

ペルテス病

 私は幼稚園の時にペルテスという病気になりました。
 50年も経った現在でも原因不明の病気です。
 6歳前後の男の子に多く、大腿骨という太ももの骨の頭(骨頭といいます)が徐々に崩れてきます。骨の血流障害が原因ですが、なぜ血流障害になるかはわかっていません。
      ■         ■
 大腿骨は、体を支えるために、太く丈夫にできています。
 テーブルの脚と同じで、ぐらぐらすると困るので、体についている部分は、骨盤という骨にがっちり食い込んでいます。
 骨盤に食い込んでいる部分も、動かないと脚を開いたり、前後に動かしたりできないので、ベアリングのように丸くなっています。
 この丸くなっている部分が、崩れていびつになるので歩けなくなるのがペルテス病です。
      ■         ■
 私の初発症状は、『歩き方が変!』だったようです。
 少し、痛みもありましたが、耐えられない激痛ではありません。
 手稲療養所で外科の近江谷先生がレントゲンを撮って診て下さいました。
      ■         ■
 レントゲンは暗い少しひんやりした部屋で撮られました。
 レントゲンを撮ってくださったのは、まさるちゃんのお父さんです。
 レントゲン室は現像液の臭いがする部屋でした。
 私はレントゲンは好きでした。なぜかというと、ただじっとしていれば終わるからです。
 注射のように痛いこともありません。
 レントゲンを見てもあまり変化がなかったようです。外科の近江谷先生は股関節脱臼を疑われました。
      ■         ■
 股関節脱臼にしては治らないので、私は北大病院へ紹介されました。
 北大でかかったのは整形外科でした。
 私は子供だったので、外科も整形外科もわかりません。
 当時の整形外科は外科から分かれて独立し、まだ10年くらいだったようです。
 整形外科といえば、美容整形?といわれ、骨折は『骨接ぎ』といわれる整骨院に行っていた時代でした。
      ■         ■
 北大でついた診断名がペルテス病。
 整形外科ではレントゲンを撮られ、診察室を歩かされました。
 『向うの壁まで歩いて行って、戻ってきて。』
 整形外科医は歩行分析をして、診断をつけたのだと思います。
 今ならわかるのですが、5歳の子供には『何でボクは歩かされるんだ?』
 『注射よりマシだけど、早くしてよ!』という思いでした。
      ■         ■
 私は入院治療が必要であること。
 その後も、装具を着用しなければならないこと。
 しっかり治療しなければ、歩けなくなること。などの説明を受けたはずです。
 自分では覚えていませんが、両親や祖母が心配したのは想像できます。
      ■         ■
 北大病院が満床だったのでしょう。私は知事公館の近くにある愛育病院という北大の関連病院へ入院しました。5歳の時でした。
 入院したのは11月。期間は約一ヵ月でした。
 入院中のことは今でもよく覚えています。
 私が医師になってからも、5歳の時に入院した経験は生きていました。
      ■         ■
 5歳の子供でしたが、入院中にはいろいろ辛いことがありました。
 たった一ヵ月の入院でしたが、貴重な体験でした。
 自分が入院したから、医師を目指したのではありません。
 ただ、自分が入院したからわかることがありました。50年たっても生きています。
 別な日に私の入院生活について書きたいと思います。

手稲療養所の慰安旅行で行った洞爺湖です
父と一緒に行ったようです。病気になる前です。

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医療問題

職場でのうつ

平成19年11月23日北海道新聞朝刊の記事です。
 広がる職場でのうつ
 鍵は上司、同僚の「支え」
 じっくり話を聞いて
 復職支援、きめ細やかに
      ■         ■
 企業や官公庁、団体などで、うつ病で休職する人が増えている。
 背景には、長時間労働や成果主義、上司による嫌がらせ(パワーハラスメント)によるストレスなどがあるとみられ、専門家は職場での予防対策を訴えている。
 職場の部下や同僚がうつ病になったとき、私たちはどう接し、どう支えればいいのか。当事者や専門家の話を聞きながら考えた。きょうは「勤労感謝の日」。(村田泉)
      ■         ■
 道内のサービス業に勤務する二十代男性Aさんは、「仕事のストレス」で抑うつになり二ヵ月間、休職した経験をもつ。
 休職前は、いつも疲れが抜けないほか、手が震えたり、言葉がうまく出ないなどの身体的症状もあったが、苦しみながら約一年、働き続けた。
 現在は職場復帰しているAさんはこう振り返る。「職場に理解があり、復帰後しばらくは時短勤務を認めてもらったのも良かった。あのまま病院にいかずにいたら、どうなっていたかわからない。つらいときは、すぐに受診すべきです」
      ■         ■
 部下や同僚の心身の不調に気付いても、対応の仕方がわからず、戸惑う人は多い。
 NPO法人、勤労者心の健康づくり協会(札幌)の久村正也会長(心療内科医)は、「職場のメンタルヘルス(心の健康)のかぎを握る、直属の上司の声のかけかたが重要」と言う。
      ■         ■
 久村会長によると、うつ病の人は自分自身への嫌悪感や無能力感に苦しんでいることが多く、「このごろ、どうしたんだ」 「甘えている」といった言葉は症状を悪化させる可能性もある。
 また、腫れ物に触るようにしたり「気分転換したら?」などの、当たり障りのない励ましも禁物。
 「元気ないようだけど、どこか調子悪いんじゃないか?」と、体の話から人ると本人も受け人れやすいという。
      ■         ■
 本人が話し始めたら、じっくり話を聞き、一緒に問題を解決しよう、という姿勢を示すことが人切だ。
 すぐに病気と決めつけるのは論外。「本人から十分話を聞いた上で、上司が会社の産業医や外部専門機関に受診の必要性を相談する」のが良いようだ。
      ■         ■
 同僚ができることは何だろう。
 久村会長は「うつの人は『この人には話してもいい』と相手を選択して相談することが多い」と説明する。
 相談を受けた人はやはりしっかり話を聞き、「支える」というメッセージを伝えることが人切だという。
      ■         ■
 うつ病で休職した場合は、治療と十分な休養が必要だ。
 道立精神保健福祉センターの田辺等所長(精神科医)は「かつてのうつ病は、40代ぐらいの働き盛りが中心だったが、最近は幅広い年齢に広がっており、個人に合わせた、よりきめ細かな復職支援が必要になっている。
 管理職は自身の異動の際、部下の症状をきちんと引き継ぐほか、復職後も産業医などと連携しケアをすることが必要」と言う。
(以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 医療関係者にも『うつ病』は広がっています。
 信じられないことですが、病棟の看護師さんに『ばか!あほ!無能!』呼ばわりされて、落ち込む研修医は山ほどいます。
 大学で勉強した医学と、現実の‘医療’のギャップに悩む研修医もいます。
      ■         ■
 美容外科医もストレスの多い職種です。
 どんなに丁寧に手術をしても、お客さんが‘NO(ノー)’と言ったら価値がなくなってしまいます。
 高度の専門職、知識や技術が要求される職種にはストレスがつきものです。
      ■         ■
 経営者にもストレスは溜まります。私の一ヵ月の勤務時間は200時間を越えています。もちろん、こうして日記を書いている時間や、自宅でメールに返信している時間は含まれていません。
 たとえ自己満足でも、自分の考えを伝え、残すことに意義があると考えています。
 私が何とかやって行けるのは、たとえ一人でも私の‘勤労’=‘手術・診療’に‘感謝’してくださる方がいらして、日記を読んでくださる方がいらっしゃるからです。
 今日も拙い(ツタナイ)日記を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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市立病院の会

私は平成元年4月(34歳)から平成6年12月(40歳)まで、市立札幌病院に勤務しました。
 人間は成長する過程でどんな人と出会い、どんな影響を受けるかで、その人の人格や人間性が形成されます。
 医師も、成長する過程で、どんな先輩や同僚と出会い、どんな経験を積むかで、医師としての技量や人格が形成されます。
 私は医師としての‘青春時代’を市立札幌病院で過ごしたことにより、目に見えない貴重な財産を得ました。
      ■         ■
 市立札幌病院には、とても優秀な医師が集まっていました。
 各科の連携がよく、ちょっと困ったことがあると、いつでも誰とでも気軽に相談できる雰囲気がありました。
 どんなに医学書を紐解いても、経験を積んだ先輩に聞くことにはかないません。
 生き字引と言える専門家が各科にいました。他科の医師と交流を深めることが何よりの勉強になりました。
      ■         ■
 一年に2回、元市立札幌病院に勤務した医師の仲間が集まって勉強会をしています。
 総勢10人に満たない会ですが、それぞれが持ち回りで講師を担当します。
 昨夜は、私が講師を担当し「美容形成外科の実際」というタイトルで発表させていただきました。
      ■         ■
 会のメンバーは次の通りです。
河野通史(コウノミチフミ)先生。北大51期(昭和50年卒)
 こうの内科。
 札幌市中央区大通西24丁目1-10円山公園メディカルビル3F
 電話:011-631-1181
 元市立札幌病院リウマチ血液内科部長。
 優秀で、優しく丁寧な先生です。会のBrainです。
小泉 眞(コイズミマコト)先生。北大52期(昭和51年卒)
 小泉呼吸器科・内科クリニック
 札幌市中央区南1条西27丁目1番41号
 電話:011-632-8881
 元市立札幌病院呼吸器科内科医長。
 呼吸器内科の専門医です。奥様とご一緒に開業なさっていらっしゃいます。会の中心メンバーです。
小泉洋子(コイズミヒロコ)先生。北大52期(昭和51年卒)
 小泉皮膚科クリニック
 札幌市中央区南1条西27丁目1番41号
 電話:011-632-8484
 元北海道大学医学部皮膚科助教授。
 優しい先生です。元北大医学部で助教授をなさっていらっしゃいました。とても優秀な先生です。とても偉い先生だったのに、その偉さを出さない先生です。実力があります。
辻永宏文(ツジナガヒロフミ)先生。北大55期(昭和54年卒)
 日之出内科クリニック
 札幌市中央区南1条西4丁目13日之出ビル7階(三越西向い)
 電話:011-200-7757
 元北海道大学医学部第一内科、麻酔科。元国立札幌病院救命救急センター
 とても優しい先生です。北大時代に麻酔をかけていただいたことがあります。麻酔科と呼吸内科をなさっていらした先生です。いびき(睡眠時無呼吸)の治療にも力を入れていらっしゃいます。
松永 崇(マツナガタカシ)先生。北大59期(昭和58年卒)
 松永内科クリニック
 札幌市西区西町北20丁目3-10SR宮の沢メディカルビル3階
 電話:011-669-3666
 元市立札幌病院消化器内科。
 優しい先生です。とても優秀な先生です。消火器病、肝臓病の専門家です。私の家族や職員もお世話になっています。
羽田 均(ハネダ ヒトシ)先生。北大60期(昭和59年卒)
 はねだ内科クリニック
 札幌市西区発寒6条3丁目2-10
 電話:011-666-2227
 元市立札幌病院呼吸器内科。
 優しくてとても優秀な先生です。呼吸器の専門家です。JR発寒中央駅前にあります。
      ■         ■
 昨夜のメンバーは私を入れて7人でした。
 発表が終わった後で、食事会です。開業医ならではの、いろいろな悩みを打ち明け、相談できます。
 こういう会に出席して親交を深めることは、何よりのストレス解消になります。
 診療科を問わず、開業医は開業医としての悩み苦しみがあります。
 昔の仲間と、先輩と楽しく時間を過ごしました。また明日から頑張ります。

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「ひととき」から

 平成19年11月21日朝日新聞-ひととき-への投稿です。
 「しゅくだい」
      ■         ■
 娘の幼稚園では週に一度、絵本の貸し出しがあります。
 先日、5歳の娘が借りてきた本は「しゅくだい」という絵本。いつものように夜寝る前にお布団で読み始めました
      ■         ■
 あらすじは、主人公のもぐらのもぐくんが、学校の先生から[おうちの人にだっこしてもらうこと」という宿題を出されます。
 けれど、もぐくんのお母さんは、生まれたばかりの赤ちゃんのお世話で大忙し。
 ちゅうちょして、なかなか「しゅくだい」を言い出せません。でも、最後は、家族みんなから抱きしめてもらうというお話です。
      ■         ■
 ふと、我が家の風景がだぶり、ドキリとしました。
 幼稚園にも慣れ、ほとんどのことが自分でできるしっかりものの娘だから、下の1歳の弟にばかり手をかけていたことに気づかされたのです。
 そういえぱ、最近ギューしてあげてないな。
 さびしかったかな。
      ■         ■
 読んだあと、隣の布団で聞いていた娘に「おいで」と声をかけました。そして、お布団の中で思い切り抱きしめました。
 気恥ずかしそうにしていた娘ですが、ギューした後すぐに、幸せそうに寝息をたてて眠ってしまいました。
 偶然借りてきた本なのでしょうが、心に残る一冊との出会いになりました。
 それ以来、心をこめて、2人の子どもたちに「しゅくだい」をする毎日です。
 川崎市 主婦 34歳
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 子供が小さい頃、よく『お父さん、早く帰ってきて遊んでね』と言われました。
 地方の病院にいた頃は、臨時手術でもない限りは、午後8時頃までには帰宅するようにしていました。
 下の子が生まれると、どうしても下の子にてがかかるので、上の子は淋しがります。
      ■         ■
 私は日曜日や休日は、なるべく子供と遊ぶようにしていたつもりです。
 釧路にいた頃は、子供と屈斜路湖までハクチョウに餌をやりに行ったりもしました。
 小さな子供さんがいるご家庭では、できるだけ子供さんと接してあげてください。
 一生に一度しかない楽しい時期です。

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セルフスタンド

平成19年11月18日北海道朝刊の記事です。
 軽油 ガソリン車に
 軽だから…安いから…
 セルフ式利用者 トラブル多発
      ■         ■
 道内のセルフ式ガソリンスタンドで、ガソリンエンジンの車に誤ってディーゼルエンジン用の軽油を入れてしまうトラブルが今夏以降、急増している。
 日本自動車連盟(JAF)北海道本部によると、誤給油による出動は今年6月から10月末までで96件に達した。
 ガソリン価格高騰で割安なセルフ式の利用者が増え、「軽自動車だから軽油」という勘違いや軽油の低価格に目を奪われて間違う例が多いという。
      ■         ■
 「エンジンが止まってしまいそうだ」。今年6月ごろ、札幌市南区のスタンドに軽乗用車に乗った30代の男性が助けを求めてきた。男性は一キロほど離れたセルフ式スタンドで給油。
 従業員が確認すると伝票に「軽油」の文字。男性は「『軽』だから軽油と思いこんでいた。友人から借りた車なのに…」と肩を落とした。
      ■         ■
 タンクから軽油を抜きガソリンを入れ直すと、ガソリン代のほかにタンク洗浄費など約三千円がかかった。
 対応した男性従業員(38)は「安く済ませようとセルフに行ったのに、高くついて気の毒だった」と振り返る。
      ■         ■
 石油情報センター(東京)によると、今年の道内のガソリン平均小売価格は3月まで下落を続けたが、その後上昇。8月には一リットル143.7円と1987年の調査開始以来の最高値を記録した。
      ■         ■
 一方、道内のセルフ式スタンドは今年3月末で5年前の7倍以上の297店に増えた。セルフ式を併置する札幌市内のスタンドは「ガソリンが高くなるにつれて一円でも安くとセルフ給油する人が増え、現在は8割がセルフ給油」と話す。
      ■         ■
 JAF道本部は「誤給油はセルフの少ない時代はほとんどなかったが、価格上昇とともに増えてきた」と言い、8月には、走行中にエンジンが不調になったドライバーからの出動要請が25件に達した。
 中には「一番安い燃料を」と軽油を入れてしまった例もあった。
      ■         ■
 ガソリン車に軽油を入れると最初は走行できるが、やがてエンジンが停止。軽油を抜き取り内部を洗浄した上、部品交換が必要なケースもある。
 札幌市内のディーラーは「燃料の入れ替えと整備で一万円から三万円かかる場合もある」と話す。
      ■         ■
 セルフ式に限らず、給油ノズルは軽油が緑、レギュラーが赤、ハイオクは黄と色分けして区別できるようになっており、JAF道本部は「大切な車のため、自分の車の燃料の種類をしっかりと確認して」と訴えている。
(以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 私はセルフスタンドを利用しています。家内がガソリンを入れる時もセルフです。
 自分でガソリンと軽油を間違えたことはありませんが、昔、アルバイトの店員さんに間違えて軽油を入れられたことが一度だけありました。
 店長さんが、平謝りに謝っていました。
 色さえ間違わなければ、セルフスタンドは安全だと思います。
      ■         ■
 ガソリンや灯油が値上がりすると、美容外科は不景気になります。厳しい冬を迎えるのに‘整形’どころではありません。
 形成外科の保険診療は、生活保護の方も、ひとり親家庭の方も受けられます。
 ワキガ手術などは保険診療で受けると、セルフスタンド以上に‘お得’です。
 せっかく高い税金や保険料を払っているのですから、有効にご利用なさってください。

軽油の誤給油が急増しているセルフ式スタンド
給油ノズルは軽油、レギュラー、ハイオクで色分けされている
札幌市手稲区 (北海道新聞より引用)

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医療問題

飛び込み出産

平成19年11月18日朝日朝刊の記事です。
 「飛び込み出産」急増
 たらい回しの一因、背景に経済苦
      ■         ■
 妊婦健診を一度も受けず、生まれそうになってから病院に駆け込む「飛び込み出産」が増えている。
 今夏、奈良など各地で妊婦の搬送受け入れ拒否が発覚したが、病院側が断った理由の一つは「未受診」だった。
 医師からは「妊婦としての自覚をもって」と悲鳴が上がる。
 一方で、未受診には分娩(ぶんべん)できる施設の集約化や格差拡大による経済苦なども背景にある。
      ■         ■
 「出血が止まらない。たぶん妊娠している」
 仙台市立病院(若林区)に9月上旬の日曜日、30代女性が飛び込んできた。
 健診を受けたことがなく、妊娠何週目かも分からない。診察したところ切迫早産で、胎児の体重は2千グラムをわずかに上回る程度と思われた。
      ■         ■
 「緊急帝王切開が必要。出産後にすぐに新生児集中治療室(NICU)もいる」と判断されたが、医師がほかの処置中だったため、別の病院に搬送した。赤ちゃんは無事に生まれたが、「もし受け入れ先がなかったらどうなっていたか」と同病院の産婦人科部長は振り返る。
      ■         ■
 神奈川県産科婦人科医会が、周産期救急搬送システムの8つの基幹病院を調べたところ、2003年に20件だった飛び込み出産は、2007年1~4月に35件。通年では100件を超える見込みだ。
 妊婦の救急搬送の受け入れ拒否の原因として、医師やNICU不足のほかに、「未受診」があるといわれる。未受診に特徴的なのは、リスクの高さと出産費用の未払い問題だ。
      ■         ■
 日本医科大多摩永山病院の中井章人教授が、1997年1月~今年5月に同病院で飛び込み出産をした妊婦41人を分析したところ、子が死亡したのは4例。周産期(妊娠22週~生後1週間)の死亡率は、通常の約15倍だった。
 未受診だった理由で最も多かったのは、「経済的な理由」で12人。41人のうち11人は出産費用を病院に支払わなかった。
      ■         ■
 搬送受け入れ拒否問題を受け、奈良県立医大が緊急調査をしたところ、同大学病院への飛び込み出産は1998~2006年に50件。妊婦・新生児ともに異常は多く、妊婦の胎盤早期剥離(はくり)は2人で通常の10倍、呼吸障害など治療が必要な新生児は19人と通常の約20倍だった。
 小林浩教授(産婦人科)は「未受診だとリスクが非常に高い。妊婦さんも家族もそのことをよく知って、必ず健診を受けてほしい」と話す。
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 ただ、未受診の背景にあるのは経済苦だ。生活保護の出産扶助を利用した人は、1997年は全国で839人だったが、2006年は1396人に増えた。
 健診費用は1回5千円~1万円程度。厚生労働省によると、健診は14回程度が望ましく、最低5回は必要とする。だが自治体の公費助成は平均2.8回にとどまる。
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 茨城県立医療大学の加納尚美教授(助産学)は「国は妊娠・出産に関し最低必要な医療内容と費用を算出し、その部分は公費で手当てしてほしい」と話す。
(以上、朝日新聞より引用)
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 結婚して、妊娠し出産する過程は、家族から祝福され、家庭に幸せを運びます。
 ただ、中には望まれない妊娠もあり、親や親戚からも祝福されない妊娠もあります。親が刑務所に入ってしまうケースもあるそうです。
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 経済的に厳しい状況で、‘間違って’妊娠してしまうケースもあり得ます。
 望まれない妊娠、間違っちゃった妊娠でも、医療機関にかからず出産することは危険です。
 病院も出産費用を払ってもらえなければ倒産します。
 せめて、生み逃げした費用程度は公費で補填してくれたら、産科を開業している先生も助かると思います。
 今は病院が損をするだけで何の補償もありません。
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 公費負担の問題もあります。平成19年11月19日の北海道新聞朝刊によると、全国平均が2.8回。北海道は2.3回です。
 都道府県別で妊婦健診の公費負担が最多なのは、秋田県で10.0回。以下、福島5.8回、石川・山梨が5.0回です。
 お金がないから健診に行きたくとも行けない。健診費用の他に、北海道では交通費もかなりかかります。
 少子高齢化を解消するためには、子供を生みやすく育てやすい環境作りが大切だと思います。

朝日新聞から引用

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ラベンダー畑14㌶

平成19年11月16日北海道新聞朝刊の記事です。
 ラベンダー どーんと14㌶
 ファーム富田 上富良野に来年6月
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【上富良野」上川管内中富良野町の人気観光農園「ファーム富田」(富田均社長)が、国内最大規模となる広さ約14㌶のラベンダー畑を隣町の上富良野町東中地区に造成し、来年6月から観光客らに無料で公開する。
 同地区は富良野地方のラベンダー畑の発祥の地で、公開後は新たな観光スポットになりそうだ。
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 ファーーム富田は6㌶のラベンダー畑を含めた約12㌶の花畑を無料で公開している。栽培したラベンダーのオイルを使って香料なども自家製造しており、年間に百万人を超す観光客が訪れる。
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 今回は、オイルの増産用に5年前からラベンダーを植えていた隣町の畑を新たに観光農園として整備し、一般に公開することにした。
 新しい畑は現在の花畑から6㌔ほど東側の田園地帯にあり、畑から雄大な十勝岳連峰がのぞめる。今秋から見晴らし台や売店の建設に着工。
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 オープン後は専用の機械によるラベンダーの刈り取り作業も一般に公開する予定だ。
 東中地区は富良野地方で最初にラベンダーを栽培した畑があった地区。富田社長は「訪れた人がラベンダーの歴史を振り返るきっかけになってほしい」と話している。
(以上、北海道新聞より引用)
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 ファーム富田は、中富良野にある有名な観光農園です。
 オーナーの富田忠雄さんが、合成香料の普及で‘絶滅寸前’だったラベンダーを育て、北海道でも有数の観光地になさいました。
 私は、もともと花好きだったので、これだけ有名になる前、駐車場が砂利だった頃から行っていました。
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 今回、北海道新聞に掲載されていた場所は、ファーム富田の‘ほ場’として使われていた場所です。
 2007年6月に発行された、ラベンダークラブの機関紙、‘花人たち’に地図と場所が掲載されていました。
 下の写真は、‘花人たち’に載っていた写真です。十勝連峰がすぐ近くに見えます。
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 住所は、上富良野町東6線北16号と書いてあります。
 ファーム富田から、線路を越えて十勝岳方向へなります。
 来年の7月には、キレイなラベンダーが咲くと思います。楽しみです。

花人たちから引用
オーナーの富田忠雄さんです

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医療問題

中国臓器移植

平成19年11月16日朝日新聞朝刊の記事です。
 中国 臓器移植なぜ厳格化?
 「不透明な提供過程」批判受け
 中国で臓器移植手術の仲介をしていた日本人男性が、臓器売買などの疑いで中国当局に逮捕された。この男性を通じ、多くの日本人患者が、日本よりも容易に手術ができるという中国で移植を受けていた。米国に次ぐ世界第2の「臓器移植大国」と呼ばれている中国だが、なぜ管理強化へと姿勢を転じたのか。(瀋陽=古谷浩一)
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 今年9月11曰、上海の浦東国際空港。フィリピンへ向かうため出国審査を受けていた50代の日本人男性が突然、多数の公安関係者に囲まれ、拘束された。
 男性は遼寧省瀋陽に本部を置く「中国国際臓器移植支援センターの長瀬博之代表。2日後、瀋陽の公安当局に身柄を移された後、逮捕された。
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 中国公安省の10月中旬の発表によると、逮捕容疑は、長瀬容疑者が代表を務める瀋湯の経営コンサルタント会社が同センターの名義で臓器移植に関する業務をしたのは、登録の範囲を超えた活動に当たる、という「不法経営」。さらに「臓器売買を禁じる衛生省の関連規定に違反」というものだった。
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 同センターはウェブサイトで腎臓や肝臓の移植手術を紹介していた。これを通じ、2004~2005年に上海や瀋陽で手術をした日本人は100人以上に上る。拠点を中国に構えたのは、日本の臓器移植法が営利目的での海外での臓器あっせんを禁じているためだった。
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 中国は「臓器移植大国」である。
 90年代以降、留学帰りの医師らが多臓器同時移植や小児肝移植といった難しい手術を次々と成功させた。「2006年の肝移植は計3千件以上」(衛生省幹部)という。
 ただ、制度づくりは遅れている。国際人権団体は、臓器提供の過程が不透明だと批判。臓器の多くが死刑囚のものと言われ、死刑執行にかかわる役人の腐敗行為も指摘されている。
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 批判を受け、中国政府は今年5月、臓器売買を厳格に禁じる臓器移植法を施行した。衛生省は、臓器移植は「中国公民の需要を優先する」とし、特別許可がなければ外国人への移植手術を禁止すると通知した。
 衛生首の黄潔夫次官は「中国の臓器移植の発展は急速で、多くの倫理問題が出ている。臓器売買を行い、ネツト上で患者を募るといった問題も生じている」と中国メディアに語る。こうした取り締まり強化の流れの中で、長瀬容疑者の逮捕は起きた。
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 捜査関係者は事件の詳細を明かそうとしない。
医療関係者に現金を渡した疑いが持たれているのは確かだが、長瀬容疑者は「日本人患者に早く手術の機会を回してもらうためで、臓器売買行為とは違う」と主張している模様だ。
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 日本では臓器提供を何年も待つ患者がいるが、同センターを利用すれば、申し込みから数週間で手術を受けることもできた。費用は腎臓移植で600万~750万円。米国などで手術を受けるのに比べ格安だった。
 紹介を受け、腎臓移植をした日本人男性(63)は日本で移植を受けるのがあまりにも難しいことが問題だ」。別の60代の男性は「今でも長瀬さんには心から感謝している」と語る。
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 勾留中の長瀬容疑者はこう漏らしているという。「信念を持ってやったこと。やりがいのある仕事だった」
長瀬容疑者一問一答
 長瀬容疑者は昨年初め、瀋陽市内の事務所で朝日新聞記者の取材に応じていた。
 悩んでいる人助ける
 中国水準極めて高い
-なぜ中国で?
「中国に来れば、悩んでいる人を助ける機会があると思った。中国へ手術をしに行くのは死にに行くようなものだと言う人がいるが、まったく違う」
-いつ始めたのか。
「2003年11月。友人の肝臓移植を巡って状況を知りたいと思い、こちらの病院を調べた」
-死刑囚の臓器を使っているのか。
「関知していないので分からない。別の問題だ。全部がそういうものではないだろう」
-ひどい仲介業者もいるようだが。
「高額の仲介料で質の悪い医療機関を紹介する者もいるのは事実だが、中国でも医師と病院を選べば水準は極めて高い。あまり待たずに手術ができるのは患者にとって大きなチャンスだ」
(以上、朝日新聞より引用)
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 中国で腎臓移植を受けて、元気に働いている日本人がかなりいます。
 病院さえ選べば、中国でも‘安全’に手術を受けられました。海外で修行を積んだ中国人医師の医療技術レベルはかなり高いです。形成外科でも同じです。
 問題なのは、死刑囚の臓器を不法に入手している?という疑惑でしょうか?
 日本人が、もっと多くドナー登録をして、臓器移植が進まなくては移植医療は進歩しません。
 私のように死んで灰になるより、誰かの体の中で生き延びよう考えるのは、生命倫理に反しているのでしょうか?

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