医学講座
生まれつきの病気
形成外科では、生まれつき体表面に何らかの病気がある赤ちゃんや子供さんを治療します。生まれつき、黒、青、赤や茶色の痣(アザ)がある子供さんがいます。大きさも1~2㎜の小さなものから、体表面の1/2程度までとさまざまです。アザの治療はレーザー機器のめざましい進歩により驚くほどキレイに治るようになりました。
生まれつき唇(くちびる)や口の中が割れている赤ちゃんもいます。口の中が割れて鼻と通じているとうまく母乳が飲めません。私は形成外科医時代に、唇(くちびる)や口の中が割れている赤ちゃんの手術が得意でした。最初の手術は生後3ヵ月目頃に行います。私が研修医をはじめた昭和55年当時は、北大形成外科にはたくさんの患者様がいらっしゃいました。当時は北海道内で手術ができる施設が少なかったことが原因だと思います。
くちびるが割れる病気は唇裂(シンレツ)と呼ばれます。約600人に1人発現するとされ、比較的頻度の高い形態異常です。種々の環境要因と遺伝的要素が複雑に関与して発現する(多因子遺伝)といわれています。兄弟に唇裂があった場合にはその発生率は若干高くなりますが、必ずしも遺伝するというわけではありません。
待望の赤ちゃんが生まれて、くちびるや口の中が割れていたり、鼻が曲がっていたりすると、お母さんは大きなショックを受けます。治療の第一歩は、お母さんに現在の医学でかなり快くなることを説明し、納得していただくことからはじまります。治療は長期間にわたり、必ずといっていいほど歯の矯正治療を必要とします。唇裂や口蓋裂(コウガイレツ)の方は矯正治療も健康保険でできます。
お母さんを絶望の淵から救い、赤ちゃんと向き合って治療を開始します。くちびるの手術は生後3ヵ月、体重が6kgになってからはじめます。生まれた時から、お付き合いするので、患者様は自分の子供のように思えることもあります。
昔の記憶
倒れた理由
昨日、はじめて見た子供の司法解剖で倒れたことを書きました。おそらく私が19歳だった頃です。一浪して入学したので、一年生の秋までは19歳でした。
解剖されていた子供は女の子でした。生まれつきの病気がありました。死ぬことはありませんが、染色体異常の病気なので治ることはありません。心臓疾患を合併することが多いので、普通の人に比べると短命だといわれています。
その子を殺してしまったのはお母さんでした。障害をもって生まれた子でしたが、一生懸命育てていたと思います。年齢は小学校入学前位でした。お母さんが将来を悲観してその子の首を絞めて殺してしまいました。お母さんも自殺を図りましたが、一命をとりとめ助かりました。
首を絞めて死ぬことを縊死(いし)と言います。頸部を圧迫されることにより、窒息状態となります。血液が脳に供給されなくなり、中枢機能が停止し亡くなります。ここまでは誰でも知っていることです。頚部を圧迫されると、圧迫されたところから上は鬱血(うっけつ)という状態になります。指を反対の手の指や輪ゴムで圧迫するとわかりますが、鬱血(うっけつ)すると紫色に変色します。
その子供の首には、紐(ひも)のようなあとが残り、首から顔面は紫色に変色していました。この子は染色体異常さえなければ、お母さんが殺すこともなかっただろうに…と考え始めました。そんなことを考えながら解剖を見学していたので冷静さを失いました。脳を取り出すために、頭部の皮膚を後ろからはがし、頭蓋骨を出して電動ノコで切りはじめました。キーンという音と骨を削って出る臭いで、自分の血の気がなくなっていきました。
殺された子供はかわいそうですが、殺してしまったお母さんのその後や、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんはどんな気持ちだったのか想像もできません。形成外科では生まれつき、顔や手などの体表面に異常がある赤ちゃんの手術をします。私は形成外科医になってからも、いつもこの子供のことを想い出して、少しでも本人や親・兄弟・親戚が気にならなくなるように…と願って手術をしていました。
医学講座
司法解剖
札幌医大に入学して、一番最初に見学した解剖が司法解剖です。解剖には大きく3種類があります。医学部の学生が勉強のためにさせていただく解剖を系統解剖と言います。昭和49年当時は入学して3年目から始まりました。現在は、大学によって異なりますが、札幌医大では1年目の冬から実施しています。ちょうど今頃は、昨年4月に入学した学生が解剖実習をしていると思います。
病気で亡くなった方の死因を調べるために行うのが病理解剖です。病理解剖は大学以外でも病理医の先生がいる病院で行われます。病理解剖は厚生労働省の臨床研修指定病院になるための条件でもありました。患者様や患者様のご家族とよい関係でなければ、解剖の承諾をいただけません。病理解剖が多いというのは、よい病院の一つの指標とも言われています。
殺人事件で殺された。異常な状態で発見された死体などを捜査を担当する検察官や警察署長、海上保安庁などから嘱託を受けて執行するのが司法解剖です。医学部の法医学教室が担当します。札幌医大の八十島信之助先生は、中公新書から法医学入門という一般向けの本を出版されていました。私は大学に入学する前からこの本を読んでいました。高校生か予備校生の頃によく行っていた、地下鉄大通り駅近くにある‘リーブルなにわ’という本屋さんで見つけた記憶があります。
はじめて司法解剖(法医解剖)を見学した時は、正直なところ驚きました。自分は殺されて解剖までされたくないと思いました。司法解剖は裁判所の許可があれば、本人や家族の承諾がなくても行われます。また脳を調べるために頭蓋骨を切られ脳を摘出されます。体も必要な部位はすべて解剖されます(通常は胸部から腹部までを切って内臓を出します)。
医学生以外にも警察学校などから司法解剖の見学にいらしていました。柔道3段?いかにも強そうな警察学校の生徒さんが、解剖を見学して具合が悪くなって倒れるのを見ました。私は最初は少し怖かったですが、倒れることもなく見学していました。八十島先生が解剖なさる姿を見て法医学はすごいと思っていました。ところがある日、子供の法医解剖がありました。いつものように見学していたのですが、はじめて見る子供の解剖はダメでした。脳を取り出すために、電動ノコで頭蓋骨をキーンと切っている音を聞いていて、自分の血の気がなくなるのがわかりました。やっとの思いで解剖室を出て廊下を曲がって、売店の前にあるコーラの自動販売機の前まで来ました。ファンタグレープというグレープ飲料を買おうとしたところまで覚えていましたが、気が付くと売店のおばさんが『学生さん学生さん、大丈夫?』と私を助けてくれていました。これが私が倒れた第一回目でした。
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学生生活
今日は一部の大学の後期日程の合格発表が行われました。今週中には大部分の受験生の進路が決まると思います。不幸にして第一志望や第二志望に合格できなかった方もいらっしゃると思います。
私は人に自慢できるような大学に合格できなかった。とか、2浪も3浪もしたのに、こんな大学にしか合格できなかった。などと決して悲観しないでください。
医学部を例にとってみると、私などどう逆立ちしたって入学できないのが東京大学理科Ⅲ類。通称リサンです。この東大医学部を卒業しても、医師国家試験に不合格になる人もいます。あの王選手が手術を受けた、慶応大学医学部でも医師国家試験合格率は100%ではありません。
私が札幌医大に入学した昭和49年には、最高で8浪して入学した学友がいました。8年間予備校に通ったり、宅浪をしたりして、ついに合格したそうです。今ではとても流行っているクリニックの院長先生です。北大理学部や工学部、慶応大学経済学部、早稲田大学政治経済学部を卒業や中退して札幌医大に入学した学友もいました。
長い人生の中で、学生時代ほど自由な時間があり、何にも拘束されない時期はありません。せいぜい試験が辛いだけです。私はどんな大学でも恥ずかしいことはないと思います。そこで自分がどれだけ努力して勉強するかです。どの学部に行かれても、英語とPCだけはマスターするべきです。語学は若いうちしか伸びません。私のように美人の先生に惹かれて勉強するのもよいと思います。
女性の方は、2年も3年も遅れて入学したので、周囲に比べてオバさんになってしまった。と焦る方がいらっしゃるかもしれません。私から見ると18歳も20歳も22歳も同じです。30歳を過ぎていると、さすがに年齢の差は出ますが気にしないことです。50歳になって同窓会に出席してみると、自分より2歳も若かった人が自分より5歳も年上に見えることもあります。自分を磨いて、美容外科でシワや『たるみ』をとると10歳位すぐに若返れます。学生時代は夢を持って、勉強も恋愛もバイトもするべきです。それが将来の役に立ちます。
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大学の講義
札幌医大に入学したものの、講義は予備校と比べて面白くなく、予備校のような緊張感もありませんでした。大学生は自分から進んで勉強するもの。というのが大学教員の共通した言葉でした。教員の仕事は学生を教育することですが、大学の教員には‘研究’という学生教育よりずっと大切な‘仕事’があります。教員の勤務評定は英文論文を何編書いたか?研究費をどの位もらったか?などにより文部科学省から評価され、大学全体の評価にもつながります。
100人近い学生さんを相手に、90分間休みなく講義をするのは疲れます。学生さんが居眠りをしない講義をするのは大変です。講義の資料を作成するのにも時間がかかります。自分で講義を担当するようになって、はじめて教員の苦労がわかりました。
私が看護学校や札幌医大で講義を担当した時は、できるだけわかりやすく形成外科を理解していただき、学生さんの記憶に残るように努力しました。医学部の学生や看護学生ですら形成外科と整形外科、形成外科と美容外科の違いを正確に言える人は多くはいません。ですから私は形成外科を宣伝するために、予備校の矢野先生の講義を頭に置きながらスライドや資料を準備しました。
私が札幌医大で30年以上前に受けた講義で記憶に残っているものは多くありません。ただ、講師の熱意が伝わってきた講義は今でも覚えています。四半世紀前以上前のお話しですが、少しずつご紹介していきたいと思います。
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大学一年生
一浪の末、札幌医大に入学したのが昭和49年です。当時は大学紛争が終わりかけていましたが、教室では毎日革マル派の先輩がアジ演説をしていました。入学してしばらくした頃です、6年生の先輩女子学生が白衣を着てヘルメットをかぶって教室に来て『キミタチワー!自己批判せヨ~!』と叫んで演説をはじめたのには驚きガッカリしました。
革マル派と民生派の対立もまだありました。札幌医大の先輩には学生紛争で殺された人もいると聞き恐ろしくなりました。授業は予備校の方がずっと充実していました。唯一、興味深く聴講したのが英会話です。25歳の金髪米国人の女性講師が先生でした。私はNHKのおかげで英語が得意になっていたところに、美人の先生のおかげでますます英語が好きになりました。下賎な動機だと笑われそうですが、このクラーク先生のおかげで英語がずっと好きになったことは間違いありませんでした。
大学に入るといろいろなクラブから勧誘がありました。最初は弓道部に入りました。アーチェリーのようなイメージを持って入部したのですが、古式豊かな日本の国技のようで私には合いませんでした。
大学一年生の頃は、車の免許をとったり、家庭教師のアルバイトをしたり、友人とユースホステルを使って旅行に行ったりしていました。勉強は試験に通る最低限しかしませんでした。
医学部らしい講義はなく、高校の延長のような講義を2年間聴いていました。唯一、医科大学らしいところは、司法解剖の見学でした。当時の八十島信之助教授は慶応大学から東京都監察医務院を経て札幌医大の教授になられた高名な先生でした。大学一年生が見学するのを許可され、一年生にも解剖しながら解説してくださいました。この時、法医学教室で助手をしていらしたのが、現在、公明党の参議院議員をなさっていらっしゃる、風間昶(かざま・ひさし)先生です。
私はせっかく苦労して札幌医大に入学しましたが、最初の2年間はあまり勉強もせず、予備校の講義を懐かしく思っていました。
昔の記憶
挫折感
合格発表の季節です。新聞には予備校の大きな広告が掲載され、有名大学に合格した方の嬉しそうな顔写真があります。一方で、無念の結果に肩を落としている方もいらっしゃると思います。
私は、札幌西高校から札幌医大を受けた18歳の春に不合格になりました。今から考えても、数学ができなかったためです。当時は、大きな問題が4問程度あり、最後の一問ができるかできないかで合否が決まりました。私の時は、確率・統計が最後の問題で、これがダメでした。
予備校の直前講習で類似問題が出て、これを受けていた人が合格できたという噂を聞きました。予備校の先生が問題を知っていたとは思えませんが、出題者の得意分野や過去問は十分に研究されていたと思います。後から知ったことですが、当時の入学試験問題は秋にはできていて、出題者も毎年苦労して問題を作成なさっていました。札幌医大の数学の教員は関川先生という優しい先生で、決して学生を試験で苦しめたり、落としたりなさらない先生でした。
札幌西高校の同期生に本間光一くんという優秀な生徒がいました。私が本間賢一で光一くんとは一字違いでした。この本間光一くんが、札幌医大に現役で合格しました。もちろん私より優秀で数学もできました。
私が不合格だった昭和48年当時は、大学合格者の氏名と出身校が新聞に掲載されました。私の友人で‘賢一’と‘光一’を間違えた人はいませんでしたが、親の知り合いで間違えた人はいました。『息子さん札幌医大に合格なさった?』『いいえ、息子は落ちました。あの方は一字違いのお友だちです』。親に聞いた人はずいぶんバツの悪い思いをなさったことでしょう。
本間光一くんは優秀な皮膚科医になられ、北区あいの里で本間皮ふ科クリニックを開業なさっています。物静かで優しい先生です。たまに患者様をご紹介していただきます。
浪人が決まって、私は札幌予備学院の医進コースに入りました。最初はあまりヤル気が出ませんでしたが、私以外にもたくさんの人が落ち、中にはどうしてこの人が?と思うような優秀な人がいることを知りました。予備校当時に一緒だった人が、たくさん医師となり活躍しています。不合格はつらい体験ですが、挫折感を味わった事は、私の人生にとって有意義だったと思います。私は1年間の予備校生活の後、札幌医大に合格できました。
予備校の1年間は人生の中でもっとも勉強した1年でした。こうして毎日日記をつけるのも、その当時に経験した『継続は力なり』という教訓から生まれた習慣だと思います。一度決めたら最後まで頑張る力は予備校時代に培われました。
今年、不運にも志望校に合格できなかった皆さん。どうか頑張ってください。1年間努力すれば必ず成果は出ます。自分で決めた目標に向かって努力している時が、人生の中でもっとも充実している時期だと私は思います。応援しています。
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チェリー15歳の誕生日
皆様にご心配をおかけした愛犬のチェリーが、今日15歳の誕生日を迎えました。昨年10月22日に胸にできた腫瘍を手術したところ、悪性リンパ腫でした。カツラ犬猫病院を受診し、腎不全とわかり抗がん剤は使えませんでした。平成18年11月1日の検査データーは尿素窒素(BUN) 114.0mg/dl、クレアチニン 3.6mg/dlと腎不全でした。
11月の時点で、余命は1~3ヵ月と言われ、クリスマスまでもつか?お正月は越えられるか?という状況でした。
1月中旬からは食べ物も受け付けなくなり、最後だと思ってメロンを買ってきました。結果的にこのメロンが効果的でした。ドッグフードには見向きもしなかったのに、メロンだけは食べました。生まれてはじめて、皮ではなく身の柔らかい方を食べたので美味しかったのでしょうか?一日2回、メロンを1/6ずつ食べました。一日で1/3個。3日で一個の計算です。メロンは一個\1,000なので一日\333になります。中野商店のご主人から、たまに熟れ過ぎたメロンを安く分けていただいていますので、実際はもう少し安く上がっています。
腎臓の働きは、簡単にいうと血液をろ過して老廃物を尿として出すことです。ですから腎臓病の食事療法は、タンパク質と塩分を制限して、体内に老廃物をためないようにすることです。
メロンにあるのは糖分と水分と食物繊維。腎臓に悪いタンパク質とカリウムもあると言われていますが、肉よりはずっと少ないと思います。最後だからと思って買ったメロンのおかげで、ダメだと思ってから2ヵ月になりました。うれしい誤診(誤算)です。
抗がん剤も人工透析もせず、美味しいメロンだけを食べてチェリーは生きています。毎日、小屋で寝ていることが多く、私の顔を見てもしっぽも振ってくれませんが、最後までメロンを食べさせるつもりです。私も、目を落とすまで自宅で過ごし、好きなものを食べて、人生を終えたいと思います。意識がなくなってからの延命治療はお断りします。脳死になったらドナーになります。
小屋の中のチェリー
(2007年3月16日)
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北大生協の食堂
3月1日に北大をご紹介いたしました。今日は北大生協の食堂をご紹介いたします。
はじめて北大構内に入られた方は、その広さに驚かれると思います。地下鉄で2駅分(さっぽろ→北12条→北18条)はあります。私は休診日などに北大生協北部店に行きます。
北部店は医学部や歯学部から近いので医学書のコーナーがあります。生協で医学書を購入すると割引があるので、専門誌の年間購読も25年前からずっと生協でしています。
北部店だけに行くのでしたら、北18条駅から行くのが近いのですが、私は夏は自転車で、冬は天気がよければ札幌駅から歩いて行きます(かなり遠いのでおすすめしませんが…)。
春になってから行かれるのでしたら、北13条通からイチョウ並木の下を歩くのがお薦めです。医学部附属病院駐車場の横を通り、歯学部の前を過ぎてT字路になります。
正面が工学部です。T字路を右に曲がり、医学部の前を通り左手にわき道に入る道路が見えます。そこを入って行くと図書館の裏に生協があります。
古い2階建ての建物ですが、学生さんの自転車がたくさんあるのでわかります。1階が食堂部です。昔は、あまり美味しいとは思わなかったのですが、久しぶりに食べてみると実に安くて美味しいのです。ヒレカツ\199、ライスM\115、味噌汁\31、ポテトサラダ\63、合計\408でした。
他に牛トロ丼M\399、札幌味噌ラーメン\357、親子丼 \420、など他では食べられない価格で昼食が食べられます 。営業時間は10:00-18:30。日曜祝日は休みで、土曜日は14:00までのことが多いようです。詳しくは北大生協北部食堂011-729-9545へお問い合わせください。
4月になると北大の新入生はもちろん、近隣の女子大や短大の子もたくさん北大にいらっしゃいます。サークルのマネージャーになる子もいます。生協北部店2階では、各サークルの勧誘やミーティングなども行われています。素敵な彼が見つかるかもしれません。
医学講座
鼻毛の脱毛
札幌医大の学生だった頃のことです。大学病院の口腔外科で親知らずの手術を受けました。先輩に親知らずを抜いていただきました。まだ20台前半の若い頃です。
その時に、歯科衛生士さんがブラッシングの指導をしてくださいました。ブラッシング指導を受けたのははじめてでした。
歯科の診察台に横になって、キレイな衛生士さんに言われました。『はい、こちらの鏡で歯をご覧になってください』
札幌美容形成外科で使用しているような、大きな丸い鏡を持って自分の歯を見ました。
鏡の中の私の口を見ると。ゲゲっと!なんと鼻毛が生えていました!しかも両方の鼻から!美人の衛生士さんは、バス法や奥歯の磨きかたなどを親切丁寧に指導してくださるのですが、私は鼻毛が気になり上の空で聞いていました。
それ以来、私は鼻毛トラウマになり、歯科を受診する時は必ず鼻毛をチェックして切っていました。よく切れる鼻毛鋏を買いました。
鋏で切って毛先が鋭角なり刺さりやすいためでしょうか?左の鼻だけ、たまに鼻毛が皮膚に刺さって炎症を起こします。年に1~2回軟膏治療を必要としていました。ところが体調が悪かったのか、とうとう2007年1月に、鼻毛が皮膚を貫通して小鼻の上に難治性の毛のう炎をつくりました。マスクで隠していたので気づかれなかったと思いますが、本人には辛い症状でした。
毛巣瘻(もうそうろう)という、毛が原因でできる病気があります。お尻の割れ目に両方から毛が生えて、それが刺さって炎症を起こす病気です。手術で原因となっている毛を毛根から切除します。私の場合はこれが鼻にできたとても珍しいケースでした。
ようやく治ったと思ったら、また3月上旬に左鼻に炎症を起こしました。明らかに鼻毛が皮膚に刺さって炎症を起こしています。意を決して、看護師さんに頼み、鼻毛のレーザー脱毛をしました。かなり痛いだろうと覚悟していたのですが、毛がこげる臭いはしたものの、痛みは軽度でガマンできる範囲でした。
以前に勤務していたクリニックで、10年前に北海道で2台目のレーザー脱毛機を導入しました。この時、ヒゲ脱毛のモニターになり、とても痛かった苦い経験がありました。今回もかなり痛いだろうと目を閉じて頑張っていましたが、冷却ガスが出るタイプのためか痛みは以前とは比べ物にならないほど軽度でした。
レーザー脱毛の効果は抜群で炎症を起こしていた皮膚も快くなりました。当院の脱毛料金表に‘鼻毛’はございませんが、悩んでいらっしゃる方にはお薦めします。これで長年のトラウマともお別れできるのであれば十分に価値がある治療だと思いました。