昔の記憶
信じてはいけない人
次の文章は2008年度版、北大形成外科年報(教室発行の小冊子)に投稿して、内容不適切でボツになった原稿です。いつか、このHPで公開することにしていました。
関堂充教授就任祝賀会の翌日にあえて掲載します。教授と講師では立場が大きく違いますが、同じことが繰り返されないように、私が犯した人生で最大の失敗をここに記載します。
信じてはいけない人
医療法人札幌美容形成外科 理事長 本間賢一
この同門会・教室年報は、北大形成外科の同門だけではなく、日本全国の形成外科学教室へ配布されます。
私の原稿は、私のことを、快く思っていない人に読まれることも覚悟の上で、書いています。
自分の、人生で最大の失敗について、私からのメッセージです。どうか同じ過ちを繰り返さないでください。
医療は、医師と患者間の信頼関係があって、はじめて成り立ちます。
医師と医師、医師とパラメディカルの間にも信頼関係が必須です。
外科は、チーム医療です。チームの仲間を信頼しなければ、手術はできません。
術者は、助手が採取してくれる皮弁の血管に異常がないことを信じています。
病棟では、しっかりと術後管理をしてくれていることを信じています。
医療人として生きていく上で、同僚を信頼することは、すべてのはじまりです。
私は、1974年(昭和49年)に札幌医大に入学し、1980年(昭和55年)に卒業しました。
1980年に北大形成外科へ入局。1998年(平成10年)に帯広厚生病院を退職するまで、18年間、北大と北大の関連病院にお世話になりました。
1998年9月から、札幌医大形成外科に勤務しました。卒業以来18年ぶりでした。
札幌医大形成外科は、1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)まで、15年間にわたり、阿部清秀先生が基礎をつくられました。
私が札幌医大に呼ばれたのは、阿部先生が旭川赤十字病院へ転出され、唇顎口蓋裂の手術ができる医師がいなくなったためでした。北大形成外科と比べて、当時の札幌医大形成外科のスタッフはマイクロを使った再建もできませんでした。
私を札幌医大に呼んだのは、当時の皮膚科教授で形成外科教授を兼務していた人でした。
『英文論文をあと2編書いたら、助教授にする』というのが、私を誘った時の言葉でした。
私が、1998年(平成10年)9月に赴任した時は、形成外科は附属病院の診療科で、講師1、助手1(皮膚科から借り)の定員でした。そこへ私が赴任して、講師2、助手1となりました。
卒業後18年も経っていましたが、母校だけあって、手術症例はすぐに集まりました。耳鼻科の再建手術が多く、英文論文になった手術症例もありました。
私は、もともと教育職に就く気はありませんでした。札幌医大では、北大形成外科の先生の助けをお借りして、教育や研究に情熱を傾けました。私なりに努力していました。
札幌医大へ赴任して、2年も経つと、私は教授と合わないことに気づきました。
教授は学内で権力を得て、医学部長に就任しました。任期は2年でした。
2期目の医学部長選挙の時に、私は対立候補に投票しました。
残念なことに、私が支持した対立候補の先生は落ちました。
2002年(平成14年)1月のことでした。
私は、札幌医大を去って、開業する道を模索しはじめていました。
そんな中、2002年(平成14年)3月7日(木)21:00に、私は医学部長室に呼ばれました。
医学部長は得意そうな笑顔で、医局員が書いたという手紙を読み上げました。
医学部長の傍には、私が札幌医大に赴任以来、‘信頼’していた助手がいました。
半年も前から、周到に準備された計画であったことを後から知りました。
私を札幌医大に呼んだのも、私を札幌医大から追い出したのも、同じ人でした。
私は、最初からその教授を信用していませんでした。
いつかは、そのような日が来ることを予測していました。
ただ、同じ形成外科の助手がグルとは…
同じ形成外科の講師がグルとは…
半年も前から周到に準備されていたとは…
愚かな私は、全く気づいていませんでした。
自分を追い出したい人がいると、自分に味方してくれる人もいるものです。
失意のどん底から救ってくれたのは、自分を慕ってくれた‘仲間’でした。
私は、約4ヵ月の間、診療・教育から一切外されました。
一日も早く出て行ってくれという態度が見えていました。
48歳にして、職を失いました。
そんな時に、私の力になってくれたのが、北大形成外科の先輩やかつての同僚でした。
『本間先生が、そんなこと、するはずがない』
『札幌医大も、よほど追い出すネタがなかったんだね』
『本間ちゃん、元気出せよ』
どんなに私を元気づけてくれたことでしょうか。
人生には、いろいろなことがあります。
自分を引っ張ってくれる人がいて、出世できることもあります。
自分を陥れる人のために、職を失うこともあります。
失意のどん底に落ちた時に、助けてくれた恩は一生忘れられません。
今、私は、札幌医大を追い出されて、本当によかったと思っています。
何の未練もありません。
泥足で、蹴られて、追い出されたようなものですが、背中を押してくれた人に感謝しています。
私は、北大形成外科という、とても良い環境で育ちすぎました。
純培養で育ったので、仲間を疑うことを知りませんでした。
外科医は、仲間に嘘をついたり、裏切ったりしないと思っていました。
世の中には、信じてはいけない人がいます。
自分の最愛の妻でさえ、平気で嘘をついて騙すような人は、簡単に他人を騙します。
そのことに気づいたのは、自分が騙された後でした。
世の中には、良い人もいれば、悪い人もいます。
論文に嘘を書く人も、データーを捏造する人もいます。
権力のトップに立った人は、権力を行使すれば何でもできると思っています。
ただ、嘘をついたり、人を陥れる人は、自分も仕返しをされると気づくべきです。
科研費の不正。所得税の不正申告。
権力の座から、引き摺り下ろされる材料はいくらでもあります。
残念なことに、私の同期で、私を助けてくれた人が…
私と同じような目に遭ってしまいました。
陥れられた、悔しい思いは、当事者でなければわかりません。
私は声を大にして言います。
『元気出せよ』
『先生がそんなことするはずないよ!』
『今にきっといいことがあるよ!』
『俺たち、北大形成外科の同期じゃないか!』