昔の記憶

はじめての葬儀

 急性心筋梗塞で急逝した岳父の葬儀は、
 はじめての経験でした。
 家内と母は、呆然(ぼうぜん)とし、
 何も考えられない状態でした。
 義弟は、
 『どうしたんや…?』
 『じいちゃん』と号泣しましたが、
 気を取り直しました。
 義弟と私が親戚と相談しました。
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 頼りになったのは、
 島根県からいらした、本家のご長男でした。
 私より少し年上で、当時40歳台でした。
 義父の長兄はすでに他界していました。
 本家のご長男は葬儀や死後の手続きなど、
 何でも熟知していました。
 すごいと思いました。
 恥ずかしながら…
 私は54歳なのに、
 本間家の家紋も知りません。
 学校では教えてくれない、
 世間の常識が欠落していることを知りました。
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 家内は神戸で育ちましたが、
 子どもの頃は国鉄の官舎に住んでいました。
 義父が国鉄を退職後に、
 奈良県香芝市(かしばし)の新興住宅地に住みました。
 香芝市は奈良時代からの古い町並みと、
 しっかり整備された新興住宅地の、
 2つの異なったタイプの町並みがありました。
 浄土宗の林法寺は、
 実家からすぐ近くで、
 古い町並みと新しい街の境界にありました。
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 新興住宅地の場合、
 檀家でもない限り、
 お寺とのお付き合いはありません。
 私たちも実家へ帰る度に、
 お寺があることは知っていました。
 でも、まさかそこのお寺にお世話になるとは、
 夢にも思っていませんでした。
 山田様という和尚様が、
 おじいちゃんにお経を上げに来てくださいました。
 さすが奈良のお坊さんは徳の深い方でした。
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 地元の葬儀社の方がいらっしゃいました。
 葬儀をどこで行うか?
 参列者の数は?
 はじめての私たちには、
 想像もつかないことばかりでした。
 祭壇の大きさ?
 予算?
 何から何までわかりません。
 ここでも本家のご長男が活躍されました。
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 『うちは○○人やったけど…』
 『おじさんは、現職やから…』
 と参列者の数は、経験者でも想像がつきません。
 おじいちゃんの会社の方が、
 アドバイスをくださいました。
 退職後9年とはいえ、
 大鉄工業というJR西日本の軌道工事をする、
 大阪支店大阪営業所長をしていました。
 亡くなって葬儀にいらしていただいた方から、
 私はあらためて義父の偉大さを知りました。
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 葬儀社が推薦してくれたのは、
 地元の町内会館でした。
 実家から比較的近くでした。
 当時は今のようにセレモニーホールというような、
 葬儀専門のホールは近くにありませんでした。
 私は義弟とその会館を下見に行きました。
 夜遅くで閉まっていましたが、
 外観だけで狭いのがわかりました。
 ここでは(参列者が)入らないと直感しました。
 その足で林法寺へ行きました。
 立派な門がある大きなお寺でした。
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 亡くなった夜は、
 島根県からいらした親戚から、
 おじいちゃんの生い立ちや、
 今までの生活などをお聞きしました。
 私はそれをメモして、
 おじいちゃんの歴史と簡易家系図をつくりました。
 そのメモを清書して、
 翌日、義弟や親戚とお寺に持参しました。
 お寺で葬儀を営めないか?と
 ご住職の山田様にお願いしました。
 山田様はお話しを聞いて下さり、
 お寺の本堂での葬儀を承諾してくださいました。
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 お寺の境内には桜が咲き、
 立派な本堂に祭壇ができました。
 おじいちゃんの歴史から、
 慈徳大願居士という戒名をいただきました。
 小学校を出て国鉄に就職。
 働きながら定時制高校を卒業し、
 大阪工業大学2部へ進学、
 卒業はできなかったらしいですが、
 国鉄の保線区長にまでなったおじいちゃんに、
 ぴったりのいい戒名だと思っています。
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 私は家内には、よく文句を言っていますが、
 義父のことを立派な人だと尊敬しています。
 4月5日に義父の17回忌がありました。
 私は行けませんでしたが、
 家内と義母に
 一日の京都旅行をプレゼントしました。
 私の義父に対する供養です。

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