昔の記憶
はじめての葬儀
急性心筋梗塞で急逝した岳父の葬儀は、
はじめての経験でした。
家内と母は、呆然(ぼうぜん)とし、
何も考えられない状態でした。
義弟は、
『どうしたんや…?』
『じいちゃん』と号泣しましたが、
気を取り直しました。
義弟と私が親戚と相談しました。
■ ■
頼りになったのは、
島根県からいらした、本家のご長男でした。
私より少し年上で、当時40歳台でした。
義父の長兄はすでに他界していました。
本家のご長男は葬儀や死後の手続きなど、
何でも熟知していました。
すごいと思いました。
恥ずかしながら…
私は54歳なのに、
本間家の家紋も知りません。
学校では教えてくれない、
世間の常識が欠落していることを知りました。
■ ■
家内は神戸で育ちましたが、
子どもの頃は国鉄の官舎に住んでいました。
義父が国鉄を退職後に、
奈良県香芝市(かしばし)の新興住宅地に住みました。
香芝市は奈良時代からの古い町並みと、
しっかり整備された新興住宅地の、
2つの異なったタイプの町並みがありました。
浄土宗の林法寺は、
実家からすぐ近くで、
古い町並みと新しい街の境界にありました。
■ ■
新興住宅地の場合、
檀家でもない限り、
お寺とのお付き合いはありません。
私たちも実家へ帰る度に、
お寺があることは知っていました。
でも、まさかそこのお寺にお世話になるとは、
夢にも思っていませんでした。
山田様という和尚様が、
おじいちゃんにお経を上げに来てくださいました。
さすが奈良のお坊さんは徳の深い方でした。
■ ■
地元の葬儀社の方がいらっしゃいました。
葬儀をどこで行うか?
参列者の数は?
はじめての私たちには、
想像もつかないことばかりでした。
祭壇の大きさ?
予算?
何から何までわかりません。
ここでも本家のご長男が活躍されました。
■ ■
『うちは○○人やったけど…』
『おじさんは、現職やから…』
と参列者の数は、経験者でも想像がつきません。
おじいちゃんの会社の方が、
アドバイスをくださいました。
退職後9年とはいえ、
大鉄工業というJR西日本の軌道工事をする、
大阪支店大阪営業所長をしていました。
亡くなって葬儀にいらしていただいた方から、
私はあらためて義父の偉大さを知りました。
■ ■
葬儀社が推薦してくれたのは、
地元の町内会館でした。
実家から比較的近くでした。
当時は今のようにセレモニーホールというような、
葬儀専門のホールは近くにありませんでした。
私は義弟とその会館を下見に行きました。
夜遅くで閉まっていましたが、
外観だけで狭いのがわかりました。
ここでは(参列者が)入らないと直感しました。
その足で林法寺へ行きました。
立派な門がある大きなお寺でした。
■ ■
亡くなった夜は、
島根県からいらした親戚から、
おじいちゃんの生い立ちや、
今までの生活などをお聞きしました。
私はそれをメモして、
おじいちゃんの歴史と簡易家系図をつくりました。
そのメモを清書して、
翌日、義弟や親戚とお寺に持参しました。
お寺で葬儀を営めないか?と
ご住職の山田様にお願いしました。
山田様はお話しを聞いて下さり、
お寺の本堂での葬儀を承諾してくださいました。
■ ■
お寺の境内には桜が咲き、
立派な本堂に祭壇ができました。
おじいちゃんの歴史から、
慈徳大願居士という戒名をいただきました。
小学校を出て国鉄に就職。
働きながら定時制高校を卒業し、
大阪工業大学2部へ進学、
卒業はできなかったらしいですが、
国鉄の保線区長にまでなったおじいちゃんに、
ぴったりのいい戒名だと思っています。
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私は家内には、よく文句を言っていますが、
義父のことを立派な人だと尊敬しています。
4月5日に義父の17回忌がありました。
私は行けませんでしたが、
家内と義母に
一日の京都旅行をプレゼントしました。
私の義父に対する供養です。