昔の記憶

死後の願い

 私は、医師でありながら…
 平成元年(1989年)に
 市立札幌病院に勤務するまでは、
 脳死とはどんな状態か?
 知りませんでした。
 毎日救急部へ行って、
 重症の外傷や熱傷の患者さんを、
 救急の先生と一緒に治療していました。
 私はそこではじめて脳死の患者さんを診察しました。
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 それまでは、漠然としか脳死を知りませんでした。
 救命救急の現場で、
 脳死とはどのような状態であるかを知りました。
 実際に、そこでチーム協力者として働いてみて…
 脳死になった患者さんがどのような状態で、
 どのような経過を取るかわかりました。
 ご家族の苦しみや、
 経済的な負担もわかりました。
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 私は30歳台でした。
 自分が脳死になったら臓器提供をしようと思いました。
 ある日、腎バンクの登録希望者を募集していたので、
 私はすぐに腎バンクに登録しました。
 その後、臓器移植法が整備され、
 臓器提供意思表示カードを医師会でもらいました。
 腎臓提供カードから、
 1998年に臓器提供意思表示カードに切り替えました。
 私の臓器や組織は、
 ボロボロで使い物にならないかも知れませんが?
 自分の死後に臓器が役に立つなら喜んで提供します。
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 自分が死んでからも…
 誰かの役に立って、
 誰かの体の一部として‘生きて’いたいと思っています。
 前にも書きましたが…
 できれば…
 私の体の一部でも(キレイな)女性の中で‘生きて’いたい…
 というのがひそかな願いです。
 家内は…
 『そんなこと言ったって無理ょ』
 と冷ややかに見ています。
 さくらんぼさんにも叱られるかなぁ…?

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