昔の記憶
死後の願い
私は、医師でありながら…
平成元年(1989年)に
市立札幌病院に勤務するまでは、
脳死とはどんな状態か?
知りませんでした。
毎日救急部へ行って、
重症の外傷や熱傷の患者さんを、
救急の先生と一緒に治療していました。
私はそこではじめて脳死の患者さんを診察しました。
■ ■
それまでは、漠然としか脳死を知りませんでした。
救命救急の現場で、
脳死とはどのような状態であるかを知りました。
実際に、そこでチーム協力者として働いてみて…
脳死になった患者さんがどのような状態で、
どのような経過を取るかわかりました。
ご家族の苦しみや、
経済的な負担もわかりました。
■ ■
私は30歳台でした。
自分が脳死になったら臓器提供をしようと思いました。
ある日、腎バンクの登録希望者を募集していたので、
私はすぐに腎バンクに登録しました。
その後、臓器移植法が整備され、
臓器提供意思表示カードを医師会でもらいました。
腎臓提供カードから、
1998年に臓器提供意思表示カードに切り替えました。
私の臓器や組織は、
ボロボロで使い物にならないかも知れませんが?
自分の死後に臓器が役に立つなら喜んで提供します。
■ ■
自分が死んでからも…
誰かの役に立って、
誰かの体の一部として‘生きて’いたいと思っています。
前にも書きましたが…
できれば…
私の体の一部でも(キレイな)女性の中で‘生きて’いたい…
というのがひそかな願いです。
家内は…
『そんなこと言ったって無理ょ』
と冷ややかに見ています。
さくらんぼさんにも叱られるかなぁ…?