医学講座

高須克弥先生のお言葉【梅澤文彦先生ご逝去】

 平成29年4月7日に届いた、
 日本美容外科医師会ニュースです。
 高須克弥先生が書かれた追悼文が掲載されていました。
 謹んで引用させていただきます。
 日本美容外科医師会ニュース2017年3月31日発行、117号
 梅澤文彦医学博士がご逝去
 平成29年1月19日に梅澤文彦先生がご逝去されました。83歳でした。
 梅澤先生は1960年に慶応大学医学部をご卒業された後、十仁病院の院長として診療を行うと同時に多くの後進の指導にあたられてきました。
 十仁病院は1933年「美は医の頂点にあり」をポリシーとし、故・医学博士梅澤文雄先生が開院されました。以来今日まで世界における美容整形のパイオニアとして常に最先端の技術と豊富な症例に基づき美容整形の普及とレベルアップに努められてきましたのは周知の通りです。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 梅澤文彦 医学博士
 十仁病院 院長
 一般財団法人日本美容医学研究会 会頭
 一般社団法人日本美容外科学会 会頭
 国際美容外科学会 会長
      ■         ■
 さようなら梅澤文彦先生
 また会う日まで

 日本美容外科医師会会長 高須克弥
 御訃報に接し、ただ茫然自失しております。梅澤文彦先生の温容に接することも、そのお声を聞くこともできなくなってしまいました。
 先生は小生の十年先輩でありました。全ての人がいずれは極楽浄土に旅立たねばならないと、僧侶である小生は悟っていたつもりでありましたが、やはり先生が去ってしまわれた今、先が暗くなり、どうにもならない空虚を覚え、哀切とも痛惜とも言いようのない気持ちを味わっております。
 先生と初めてお会いしたのは42年前でした。小生は30歳、文彦先生は40歳。それ以来小生は先生を学会では親分、私生活では兄貴として付き従っております。
当時、御尊父の梅澤文雄先生を盟主とする、現在の美容外科学会の前身である美容医学研究会は、修羅場を潜り技けた梁山泊の壮士のような美容整形の先生方の集まりでありました。
 怯える田舎者の小童を優しく導いてくださった十仁病院の若君への御恩は忘れることが出来ません。私淑し忠誠を誓って今までお仕えしてきました。
 アメリカ美容外科学会のリチャード・ウエブスター先生や国際美容外科学会のジョルジオ・フイッシャー先生、国際脂肪吸引学会のピエール・フルニエ先生、大韓美容外科の朴萬龍先生、南米美容外科学会のイヴォピタンギ先生… 梅澤文彦先生と二人三脚で世界中に人脈を拡げ、日本で盛大に国際学会を何回も開催しました。
 小生が仲間入りさせていただいた当時は日陰ものだった美容外科が、梅澤先生のアイデアと仁徳で大発展し、韓国や中国でも美容整形ブームが起こりました。指導した日本美容外科学会がアジアの美容外科界の盟主になりました。梅澤会頭はどこに行っても超VIPでしたね。面白かったですね。あの輝かしい日々がつい昨日のことのように思えます。
 梅澤文彦先生、高須克弥は先生の忠臣であり、子分であります。これからも後を慕ってお供して行きます。そちらでしばらくお待ちください。
 転生して、この次は、二人でもっと面白いことして遊びましょう。

「東方美容外科学会」重慶。ご機嫌な梅澤会頭。
梅澤先生の補佐ができて幸せでした。
(日本美容外科医師会ニュースより引用)

      ■         ■
 梅澤先生と高須先生の二人三脚で、
 日本美容外科学会が成長しました。
 私が参加しはじめた頃は、
 高須先生が活躍されていました。
 高須先生の国際学会では、
 私も発表させていただきました。
 なつかしい思い出です。
      ■         ■
 私は、
 日本人の美容外科に対する悪いイメージを、
 いいイメージにしてくださったのが、
 高須克弥先生だと思います。
 今のTVCMを見ても、
 高須先生のお気持ちが理解できます。
 プチ整形という言葉を考えられたのも、
 高須克弥先生です。
      ■         ■
 高須先生のお言葉通り、
 日陰ものだった美容外科が、
 梅澤先生のアイデアと仁徳で大発展し、
 韓国や中国でも美容整形ブームが起こりました。
 指導した日本美容外科学会が
 アジアの美容外科界の盟主になりました。

 梅澤先生が亡き後も
 高須克弥先生が、
 日本美容外科学会を発展させてくださることを願っています。
 梅澤先生のご冥福をお祈りしています。

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医学講座

フィブラストスプレー【査定】

 保険医療機関にとって、
 毎月、 
 月はじめは憂うつな時期です。
 レセプト請求という、
 保険請求業務があります
 毎月5日から10日までの間に、
 前月分を請求します。
 お金がかかっています。
      ■         ■
 このレセプトを基金というところでチェックして、
 翌月の20日過ぎに、
 銀行口座に振り込まれます。
 これが、
 保険医療機関の大きな収入源です。
 請求を間違ったり、
 不適切な請求があると、
 お金をもらえません。
      ■         ■
 大きな病院では、
 毎年の予算を組む時に、
 査定減という、
 赤字を、
 最初から予算に組んでおきます。
 どんなに適正な医療をしても、
 保険者という支払者側が、
 一方的に査定することがあります。
      ■         ■
 興味深いのは、
 健康保険の大元である、
 厚生労働省管轄の病院でも、
 査定されることがあります
 私は平等でいいことだと思います。
 厚生労働省管轄の病院で働くのは、
 私と同じような、
 ふつうの感覚を持った医師です。
 患者さんのためなら、
 査定減を覚悟で治療することもあります。
      ■         ■
 札幌美容形成外科のような民間の医療機関は、
 査定減が増えると、
 倒産の危機です
 せっかく治療したのに、
 保険者から、
 お金をもらえないと、
 赤字になります。
 札幌美容形成外科は査定減が少ないのですが、
 最近、査定減が目立つようになりました。
      ■         ■
 2017年4月に届いた、
 再審査等支払調整額通知票で、
 フィブラストスプレーを査定されました。
 B療養担当規則等に照らし、医学的に過剰・重複と認められるもの
 …がペナルティの理由です。
 査定内容です。
 フィブラストスプレー250 250μg(溶解液付)1瓶 860×1
 これを、
 フィブラストスプレー250 250μg(溶解液付)0.2瓶 187×1
 8600円の請求を1870円に減らされました。
 6730円損をしました
      ■         ■
 私の院長日記は同業の先生にも読んでいただいています。
 患者さんは他院で腹部の手術後に、
 難治性の潰瘍となった方です。
 紹介状持参で来院されました。
 フィブラストスプレーの適応だったので、
 私が患者さんに使い方を説明して、
 患部に噴霧して、
 処置の仕方もご説明いたしました。
      ■         ■ 
 問題は、
 処置に使ったフィブラストスプレーの量です。
 噴霧して使う薬剤なので、
 一度に一瓶全部は使い切りません。
 保険者は、
 使った分だけしか認めませんでした。
 それが1870円です。
 保険者の言い分もわからなくはないです。
 でもこの薬は高いお薬です。
      ■         ■
 使う前に必ず患者さんに説明しています。
 今までの治療で治らなかったので、
 高いですがいいお薬があります
 お使いになりますか?

 患者さん:お願いします
 そこで、
 私がパッケージを開封して、
 液を調整して、
 実際に処置をしました。
      ■         ■
 高いお薬なので、
 処置に使った残りを、
 患者さんに持って帰っていただきました。
 ご自宅で処置に使っていただき、
 他院で治らなかったキズは、
 ちゃんと治りました。
 ところが、
 札幌美容形成外科は査定を受けました。
      ■         ■
 メーカーの科研製薬に確認したところ、
 フィブラストスプレーを処置に使った場合は、
 一回分しか算定できないそうです。
 ですから、
 私のような場合は、
 たとえ処置に使っても処置薬剤としては算定せず、
 一本処方したことにして
 処方料も算定すると

 査定は受けないそうです。
      ■         ■
 でも、、、
 そうすると、
 厳密には不正請求になります
 私は不正は大嫌いなので、
 そんな請求方法はしません。
 調整方法が難しい、
 高価なお薬は、
 しっかり説明をして、
 しっかり処置の仕方を教えて、
 はじめて薬の効果が得られます。
 製薬メーカーには、
 査定減にならない使い方を、
 ぜひ厚生労働省に認めてもらってほしいです。

科研製薬HPより引用

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医学講座

見えないところを丁寧に手術する

 立派なマンションを購入したら、
 土台に使ったくいが不十分で、
 マンション全体を取り壊すことになった、、、
 そんな話しがありました
 マンションを購入する時は、
 販売した会社や、
 建設会社を、
 信用して買います
 有名な会社なのに残念な結果になることもあります。
      ■         ■
 美容外科も同じです。
 有名な美容外科で、
 有名な先生が手術をしたのに
 キズが目立つ(泣)
 …という患者さんを診ました。
私:手術時間はどの位でしたか?
患者:40分くらいでした
私:うちだっら倍以上かかります
      ■         ■
 形成外科の手術は、
 皮下縫合とか
 真皮縫合しんぴほうごう
 …という抜糸しない、
 患者さんからは見えない部分を、
 いかに丁寧に手術するか?で、
 手術後の傷が決まります。
      ■         ■
 私が行うであろう真皮縫合の、
 半分以下で済ませる美容外科があります。
 理由は、
 時間をかけて手術をすると、
 売上が減るからです。
 マンションのように、
 全棟建かえにはなりませんが、
 せっかく手術を受けたのに傷が気になります。
      ■         ■
 私は、
 たとえ偏屈と言われても
 ストイックと言われても
 形成外科医として不満足な手術はしません
 見えない部分こそ、
 手を抜かずに、
 丁寧に手術をするのが、
 ほんとうの形成外科医だと思っています。

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医学講座

十仁スピリット2017

 梅澤文彦先生のご冥福をお祈りして、
 私の思いを書いてみます。
 今の日本で、
 一番多く美容外科手術をしているのは、
 派手に宣伝しているチェーン店の美容外科です。
 自由診療なので、
 宣伝量と価格競争で手術件数が決まります
      ■         ■
 手術件数が多いと、
 手術によるトラブルもあります。
 形成外科専門医と美容外科専門医を持った先生が手術をしても、
 大きな事故が起こることがあります。
 初期研修終了直後の、
 なんちゃって美容外科医や、
 なんちゃって美容外科医の、
 ちょっとお兄ちゃん美容外科医が、
 事故を起こすことがあります。
      ■         ■
 美容外科の老舗には、
 十仁病院や、
 高須クリニックがあります
 この2つの美容外科には、
 なんちゃっての先生はいません。
 優秀な美容外科医がいます。
 形成外科専門医を持っていて、
 さらに経験を積んだ先生たちです。
      ■         ■
 2017年4月現在で、
 日本の医学部で、
 美容外科を標榜している大学がいくつかあります。
 残念なことですが、
 大学病院で行われる美容外科手術は、
 きわめて少ないのが現実です。
 大学病院に、
 わざわざ美容外科手術で来る患者さんは少ないのです。
      ■         ■
 形成外科専門医を持っていても、
 実際に美容外科を学ぶのは、
 大学病院や公立病院の形成外科ではなく、
 アルバイト先の美容外科です
 今、日本で活躍している、
 形成外科専門医を持った美容外科医も、
 美容外科を学んだのは、
 有名で患者さんが多い市中の美容外科です。
      ■         ■
 十仁スピリット
 2008年5月12日の院長日記です。
 こんなことを書くと、
 十仁病院の梅澤先生に叱られるかもしれません…
 私が勝手につけた名前です。
 私に美容外科を指導してくださったのは、
 中央クリニック新宿院の日高士郎先生でした。
 日高先生は、東海大学医学部をご卒業後、
 正確に言うと、東海大学在学中から…
 美容外科に興味を持っていらした先生です。
      ■         ■
 日高先生に形成外科の講義をなさったのが、
 東海大学形成外科の谷野隆三郎教授でした。
 日高先生は東海大学卒業後に十仁病院へ入職。
 私が形成外科医として経験したのと同じ歳月を、
 美容外科医として活躍された、生粋の美容外科医です。
 日高先生と中央クリニック新宿院で、
 ご一緒に手術をさせていただいた日々は、
 私にとって何物にも代えがたい、
 貴重な財産となりました。
      ■         ■
 2002年(平成14年)春に札幌医大をクビになって
 毎日落ち込んでいて…
 うつ病になりかけていた私を救ってくれたのが、
 日高先生と中央クリニック新宿院のスタッフでした。
 人生でもっとも辛かった時期でした。
 この時期に、
 日高先生から教えていただいたのが、
 十仁スピリットです。
      ■         ■
 日高先生から教えていただいた…
 美容外科スピリット
 美容外科は技術だけでは食べて行けません
 お客様のニーズに合わせた手術や治療を提供できるのが
 美容外科だと日高先生から教えていただきました。
 私はまだまだ修行が足りません。
 横柄な形成外科医のままです。
 自分の考えに合わない手術はお引き受けしていません。
      ■         ■
 十仁系の日本美容外科学会に出席すると…
 この美容外科スピリットが気になります。
 私は自分の技術を安売りするつもりはありません。
 ただ、自分の技術を押し売りしてはいないか?と反省します。
 つまり、切らない手術を希望される方には…
 たとえ数年後には効果が少なくなる方法でも…
 お客様のニーズに合わせた手術を売ることができるのが
 真の美容外科医のような気がします。
      ■         ■
 その意味で、梅澤先生や高須先生の率いる、
 日本美容外科学会(十仁系)は、貴重な存在だと思います。
 私たち形成外科医は、
 技術重視のあまり…
 顧客の要望に耳を貸さない風潮がある?
 ような気がしています。
 美容外科が、大学病院よりも、
 新橋駅前で繁盛したのは…
 お客様に支持された賜物だったと感じています。

 心から梅澤文彦先生のご冥福をお祈りしています

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医学講座

梅澤文彦先生ご逝去

 昨日、日本美容外科学会新聞、
 2017年3月31日(金)
 第021号が届きました。
 そこに、
 梅澤文彦先生の訃報が掲載されていました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 偉大な先生でした
      ■         ■
 梅澤文彦先生ご逝去
 梅澤文彦先生が、本年1月19日未明にご逝去されました。
 先生はまさに日本の美容外科のパイオニアであり、美容医療を日本に根付かせ発展させた最大の功労者でありました。
 また戦後、美容外科医学の元祖とも言える十仁病院の院長として実践面においても自ら美容医学の技術の発展に尽力されました。
 当学会は先代の梅澤文雄先生の時代の1966年、当時の文部省から認可され、文彦先生が継承された1985年には、第2回国際美容外科学会も学会長として日本で開催致しました。
 先生は「美容も立派な医療であり、人を幸せにする医学である」ということを広く定着させることに生涯をかけて尽力されて来られました。
 その後、学会長の皆様、理事の皆様、その他各方面の方々のご協力により、当学会は着実に発展してきて、本年5月には「第105回日本美容外科学会」が森上和樹学会長のもと盛大に開催されることとなり、梅澤先生も大変喜んでおられることでしょう。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 保志名 勝

(以上、日本美容外科学会新聞より引用)

      ■         ■
 とても残念で悲しいです。
 2016年11月8日のFBには、
 胃カメラしてきました。
 問題ありませんでした!

 

フェイスブックより引用

 上の写真が載っていました。
      ■         ■
 毎年の日本美容外科学会では、
 最前列でしっかり見ていらっしゃいました。
 私の記憶が正しければ、
 梅澤文彦先生は、
 1934年1月(昭和9年1月)生まれで、
 83歳です。
 まだまだお元気でご活躍していただきたかったです。
      ■         ■
 私が札幌医大を追い出されて
 中央クリニック札幌院の院長に就任したのが、
 2002年でした。
 今から15年前です。
 当時は、
 日本形成外科学会専門医が、
 十仁系の日本美容外科学会(JSAS)に参加するのは、
 おきてやぶりのような感じでした。
      ■         ■
 チェーン店の美容外科に就職するのも、
 ご法度という雰囲気がありました。
 ですから、
 私は国際学会でしか発表しませんでした。
 上海の学会に着いたら、
 十仁病院院長の梅澤文彦先生が
 わざわざ私のところへいらしてくださり
 「先生ようこそこの学会にいらしてくださいました
 とおっしゃってくださいました。
      ■         ■
 少し肩身の狭い思いで参加した私は、
 VIPの梅澤先生から歓迎されて、
 とても嬉しく思いました。
 上海の学会では韓国や台湾、中国の先生と親しくなりました。
 日本に帰ってから
 韓国の先生から韓国へ講演に来てくれないか?
 …とメールをいただきました。

      ■         ■
 今でこそ日本美容外科学会(JSAS)に、
 現役の形成外科教授が参加して、
 特別講演をする時代になりました。
 日本形成外科学会の偉い先生の中には、
 日本美容外科学会(JSAS)を嫌う先生もいます。
 でも、
 私は十仁病院院長梅澤文彦先生の、
 寛容な心を忘れません。
 梅澤先生安らかにお休みください。
 日本美容外科学会に迎えてくださり、
 ほんとうにありがとうございました。

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医学講座

美容外科医の特徴

 今日は2017年4月3日(月)です。
 今日から新しい仕事の方もいると思います。
 通勤途中で、
 新人と思われる、
 若い方を見かけました。
 ちょっと不安そうに、
 期待に胸をふくらませて歩いていました。
      ■         ■
 つたない院長日記が、
 意外なところでヒットして、
 相談メールをいただくことがあります。
 住所
 氏名
 電話番号
 相談内容

 までしっかり書いてあるのに、
 肝心の
 どこのクリニック
 何先生

 …が書いていないことがあります。
      ■         ■
 ちゃんと書いてくれればわかるのに、、、
 …と思うことがあります。
 美容外科医によって、
 手術に特徴があります。
 私なら絶対にしない手術でも、
 やってくれる先生もいます。
 その代わり、
 手術後にはかなり腫れる先生がいます。
      ■         ■
 私は形成外科専門医で、
 2つの日本美容外科学会に毎年出ています。
 大手美容外科の、
 初期研修終了後のお兄ちゃんみたいな先生、
 お化粧が上手なお姉ちゃん先生のことは知りません。
 でも、
 全国に知っている先生がたくさんいます
      ■         ■
 おすすめの先生や、
 おすすめしない先生がいます。
 もともといい先生だった人でも
 経営方針で、
 手術や治療まで変わってしまった先生もいます
 他院で手術を受けた後で、
 困ってメール相談をいただく時には、
 先生の名前を書いてください。
      ■         ■
 私は根が正直で真面目です
 困っている人には、
 なるべく親切に返信を書いています。
 62歳の役割だと思っています。
 ちゃんと書いてくれると、
 より正確に返信ができます。
 毎日下のマンガのように、
 私が直接返信をしています。

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医学講座

顔面神経マヒと朝戸裕貴先生

 聴神経腫瘍ちょうしんけいしゅようは、
 頭の中にできる腫瘍です。
 手術をすると、
 顔面神経麻痺になることがあります。
 聴神経腫瘍ちょうしんけいしゅようの手術は耳鼻科でします。
 顔面神経再建を耳鼻科から依頼されたことがありました。
      ■         ■
 顔面神経再建の思い出
 2011年9月14日の院長日記です。
 忘れられない患者さんです。
 先生、
 私の顔、
 ちゃんと動くようになるのですか?

 手術は完璧にしましたが、
 100%動くようになると言うことはできませんでした。
      ■         ■
 この2011年9月14日の院長日記を、
 ある患者さんが読んでくださいました。
 私の院長日記がきっかけとなり、
 獨協医科大学形成外科教授の
 朝戸裕貴先生に診ていただきました。
 その方から、
 御礼のメールをいただきました。
      ■         ■
 教授という偉い立場の方なので、、、
 と心配していたのですが、
 とても優しい笑顔で
 包み込むような雰囲気でお話をされる方でした。
 本間先生のブログで記述がなかったら、
 知る由もなく受診を考える事もありませんでした。
 先生のブログに本当に感謝しています。
 ありがとうございます。

      ■         ■
 お役に立ててよかったです。
 2011年9月14日の院長日記を、
 もう一度掲載します。
 私は札幌医大形成外科の講師を、
 平成10年(1998年)から14年(2002年)までの4年間勤めました。
 最後は、
 医学部長から…
 泥足で蹴られて追い出されました
 仲間だと思っていた同僚にも…
 見事に裏切られました
      ■         ■
 残念な4年間でしたが…
 医師として貴重な経験もできた4年間でした。
 一番の想い出は、
 耳鼻科の先生とたくさんの再建手術ができたことです。
 英文論文にした…
 チンの皮で気管を作る
 …という手術もあります。
      ■         ■
 耳鼻科というと…
 耳、鼻、のどを診るお医者さんのイメージがあります。
 優しい先生が多く…
 額帯鏡(がくたいきょう)という…
 大きな丸い鏡をつけて、
 その真ん中から…
 耳や鼻やのどを診てくれるイメージです。
 今は高性能のカメラで見てくださるクリニックもあります。
      ■         ■
 耳は、
 頭蓋骨とつながっています。
 耳鼻科医は脳の一部も診たり、
 頭蓋骨の中も手術をします。
 私が頼まれたのは…
 頭蓋内の顔面神経が…
 腫瘍に巻き込まれていて…
 切除しなければならないので…
 そこに神経移植をしてほしいという内容でした。
      ■         ■
 患者さんは…
 まだ若い女性でした。
 顔面神経の根っこを…
 数センチ切断してしまう手術です。
 手術前には正常だった顔が、
 手術後には片側がまったく動かなくなります
 神経を切断しなければ…
 腫瘍は切除できません。
 待ったなしです。
      ■         ■
 神経移植はそれまでにも経験がありましたが、
 頭蓋内の移植ははじめてでした。
 神経をつなぐ技術には自信がありましたが…
 果たして正常に機能するか?わかりません。
 患者さんへの説明は、
 切断された神経の断端に、
 他の神経を移植します。
 数ヶ月~1年で回復する見込みです。
 …という内容でした。
      ■         ■
 手術は無事に終わりました。
 頭蓋内への移植ははじめてでしたが…
 神経そのものは正確につなげました。
 他の神経を橋渡ししました。
 問題は、
 その神経を移植した場所です。
 骨の真上でした。
 血流の悪い場所でした。
 皮膚や粘膜だったら移植しても着きません。
      ■         ■
 術後2ヵ月しても…
 麻痺した側の顔の表情は…
 まったく動きませんでした。
 先生、ほんとうに動くようになるのですか…?
 もし動かないなら…
 早めに他の方法で治した方がいい…
 …と言う先生もいらっしゃるようです
      ■         ■
 患者さんの不安はもっともです。
 当時、東大病院形成外科では…
 顔面神経麻痺の再建を盛んになさっていました。
 患者さんのご希望で…
 当時、東大形成外科で助教授をなさっていらした、
 朝戸裕貴先生(現、獨協医科大学形成外科教授)にお願いして、
 セカンドオピニオンをいただきました。
      ■         ■
 私が紹介状を書いて…
 患者さんは東大病院まで行かれました。
 朝戸先生のセカンドオピニオンは、
 今すぐに再手術をしないで、
 もう少し神経の回復を待ってみましょうでした。
 私も患者さんも安心して待つことにしました。
      ■         ■
 東大から帰って数ヶ月後でした…
 先生うごいてきました
 患者さんの麻痺した顔面が…
 わずかに動き出しました。
 少しずつですが…
 麻痺していた顔面が動くようになりました。
 手術後一年もすると、
 日常生活で不自由することはなくなりました。
 神経移植は回復まで時間がかかります
 患者さんも医師も…
 じっと待つ長い時間が必要です。

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カンニングで仕事を覚える

 今日から4月です。
 新年度のはじまりです。
 今日は土曜日なので、
 来週月曜日、
 2017年4月3日から仕事の人が多いと思います。
 私が医師免許を取得した、
 1980年は4月に医師国家試験がありました
 4月1日はまだ最後の勉強をしていました。
      ■         ■
 医師として認められたのは、
 1980年5月26日です。
 医籍いせきという、
 お医者さんの戸籍のようなところに登録され、
 登録番号が通知されて、
 はじめて医師としての仕事が可能になります。
 免許証をいただいたのは、
 保健所を通して申請するので、
 さらにその後でした。
      ■         ■
 どの職種でも同じです。
 受験勉強は、
 予備校の先生が親切丁寧に教えてくれます。
 社会人の新人教育も、
 一応オリエンテーションはありますが、
 実際に現場に出て、
 先輩の仕事を見て覚えます。
      ■         ■
 今までは絶対にしてはいけなかった、
 カンニングで仕事を覚えます。
 先輩の仕事を見て、
 どうやったら早く正確にできるか、
 カンニングするのです。
 職場によってやり方が違います。
 電子カルテもシステムが違うと、
 オーダーの入れ方も違います。
      ■         ■
 医師2年目
 2011年5月13日の院長日記です。
 卒後2年目の私は、
 医師としては…
 何もできませんでした。
 救急搬送された患者さんを診ても…
 ただおろおろするような…
 ひよっこ医師でした。
      ■         ■
 形成外科医とは名ばかりで、
 大学病院の業務は、
 検査の伝票を書いたり
 (昔の検査オーダーは手書きでした)、
 処方箋を書いたり
 (処方箋も手書きでした)、
 患者さんの写真を撮ったり
 (これだけは自信がありました)、
 医師とは関係のない業務でした。
      ■         ■
 手術室では、
 メスは持てませんから、
 術野の消毒をしたり、
 被布(おいふ)という布をかけたりするのが、
 新米医師の仕事でした。
 カンファレンスの資料を揃えたり、
 患者さんのスライド整理も、
 重要な仕事でした。
      ■         ■
 上の先生が手術した患者さんの、
 ガーゼ交換をしたり、
 軟膏処置をしたりするのが、
 新米形成外科医の仕事です。
 最初から、
 切ったり縫ったりはできません。
 今から考えると、
 こうした時間があってよかったと思います。
      ■         ■
 先輩が手術をしても、
 経過が良い患者さんばかりではありません。
 困った時にどうする?
 どう対処する?
 …という…
 教科書に書いていないことを、
 身をもって体験できるのは、
 こんな時しかありません。
      ■         ■
 北大形成外科は、
 大浦武彦先生を頂点として、
 優秀な先輩がたくさんいらっしゃいました。
 卒後2年目の私が得意だったことは、
 やけどの患者さんの風呂入れでした。
 熱傷浴室という日記に書いてあります。
 若い女性の顔にメスをいれるなんて…
 とても考えられませんでした。
      ■         ■
 専門医を取得後も、
 できる手術は限られていました。
 手術後の経過がよくない患者さんもいました。
 毎日必死で仕事をしていました。
 30代前半が一番大変でした。
 釧路労災病院手術室
 2011年8月17日の院長日記に書いてあります。
 2017年4月から新人になった方への助言です。
 頭で考えるのではなく、
 身体で覚えてください
 反射的に仕事ができるようになります。
 上手にカンニングで仕事を覚えてください。

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昔の記憶

2017年3月31日

 今日で3月も終わりです。
 あっという間に3ヵ月が過ぎました。
 去年の3月31日は何をしていたかなぁ~
 すぐに思い出せませんでした。
 院長日記を見ました。
 セピア色の写真2016-2
 そうだ
 親父の葬儀で火葬場に行ってたんだ。
      ■         ■
 すぐに思い出せないところが、
 年齢としなのかなぁ~?と思います。
 でも、
 命日は覚えていても、
 火葬場に行った日は?
 思い出せないものです。
 一年前は晴れのいい天気でした。
 昨夜の札幌はたくさん雪が降りました。
      ■         ■
 札幌市には2つの火葬場があります。
 札幌市HPによると、
 亡くなられた方の住所または葬儀場の住所が
 豊平川
 東側(白石区、豊平区、厚別区、清田区、南区)の場合は「里塚斎場」を、
 西側(中央区、北区、東区、西区、手稲区)の場合は「山口斎場」を
 ご利用いただきますようご協力をお願いいたします。

 …と書いてありました。
      ■         ■
 豊平川で分けているとは知りませんでした。
 私は豊平川の西側なので、
 山口斎場です。
 斎場から、
 手稲の山がきれいに見えました。
 親父は薬剤師という仕事が好きだったんだと、
 息子の私は思います。
 薬のことはよく知っていました。
      ■         ■
 昨年1月に市立札幌病院に入院させていただいた時に、
 看護師さんから、
 今日の治療薬という本をお借りして、
 病室で読んでいたのには驚きました。
 眼鏡なしで、
 小さな字を読んでいました。
 私は形成外科が好きです
 いくつまでできるかわかりませんが、
 親父を見習って、
 70歳くらいまでは、
 元気で診療を続けたいと思います。

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医学講座

一番優しいヘルパーに

 平成29年3月30日、朝日新聞朝刊、ひとときへの投稿です。
 一番優しいヘルパーに
 夫は現在82歳。71歳の時にアルツハイマー型認知症と宣告された。
 「負けてたまるか」「勝ってやる」が彼の口癖になり、進行を遅らせることができるならと小学生のドリルを始めたが、それが2人のストレスになりすべてのドリルを捨てた。2人寄り添う生活をすればいいと思うと気持ちが楽になった。
 それから11年、週5回のデイサービスと月2回のショートステイが入る生活。家では私もヘルパーだ。だったら、一番優しいヘルパーでいたいと思う。
 在宅介護できるのは介護サービスがあるから。デイのスタッフさんに支えられていることを感謝したい。
 老老介護の末に殺傷、というニュース。私も同じような思いをすることがある。怒りと情けなさで暴言を吐く、今まで知らない自分に出会う。そんな私を夫は理解できず、嫌な感情のみ彼の心に残すが、暴言のことは忘れてくれる。
 人にはいくつかの人格があり、環境や理性でコントロールされていると思う。夫が病気を背負うことがなければ、私は「もう1人の私」に出会うことがなかったかもしれない。結婚50年がたった今、明日も柔らかな日差しの中で過ごそう。
 (相模原市 中村順子 主婦 76歳)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 私の親は、
 子供の前で、
 よく夫婦喧嘩をしていました
 小さい頃から、
 親の夫婦喧嘩を見ていた私は、
 将来結婚するなら、
 絶対に喧嘩しない女性ひとと結婚しよう!
 …と高校生の頃から思っていました。
      ■         ■
 そう思って結婚しましたが、
 私のは、
 子供が誕生した頃から崩れました。
 人生で最良の時
 25歳の研修医時代に、
 家内と2DKの公団住宅で
 新婚生活をはじめた頃だったような気がします

      ■         ■
 本間家では、
 よく夫婦喧嘩をします。
 私も言いますが、
 奥さんもすごいです。
 喧嘩になると、
 暴言も出ます。
 奥さんは、
 関西弁になります
 迫力があります
      ■         ■
 投稿者の、
 相模原市の中村順子様はすごいです。
 ご主人が
 71歳の時にアルツハイマー型認知症と宣告され、
 それから11年
 週5回のデイサービス
 月2回のショートステイが入る生活。
 家では私もヘルパーだ
 だったら、

 一番優しいヘルパーでいたいと思う。
      ■         ■
 私は今年63歳、
 家内は61歳です。
 毎日、喧嘩しながら、
 札幌美容形成外科で働いています。
 もし、
 奥さんが
 アルツハイマー型認知症になったら、
 一番優しい主治医でいたいと思います。
 でも、できるかどうかわかりません。
 自信もありません。
 私がアルツハイマー型認知症になったら、
 奥さんは、
 一番優しいヘルパー
 …になってくれるかなぁ~?

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