医学講座

帽子とマスク

 手術室に入ることを、
 入室(にゅうしつ)と言います。
 手術室に入った時間を…
 入室時間(にゅうしつじかん):
 午前8時45分などと…
 記録します。
 ICU(あい・しー・ゆー)(集中治療室)も、
 入室と言います。
      ■         ■
 手術室やICUに入る時は、
 帽子とマスクを着用します。
 私が医学生だった…
 30年前から同じです。
 変わったのは…
 帽子とマスクの素材です。
 30年前は…
 帽子もマスクも綿100%で、
 手術着と同じような材質でした。
      ■         ■
 帽子やマスクを着用する理由は、
 おそらく、
 私たちの髪が落ちたり、
 咳(せき)などによって、
 口の中の…
 ばい菌
 手術室に入れるのを防ぐためだと思います。
 私たちの髪には…
 花粉の時期になると…
 目に見えない花粉がついています。
      ■         ■
 どんなに毎日歯磨きをしても…
 私たちの口の中には、
 たくさんの細菌がいます。
 老人医療で
 口腔(こうくう)ケアーの重要性が言われるのも、
 口の中をキレイに保つためです。
 ですから…
 帽子もマスクも…
 自分の汚いものを…
 他に移さないのが主目的だと思います。
      ■         ■
 私が知っている美容外科の先生に、
 時間が短い手術でしたら…
 帽子もマスクもなさらない方がいらっしゃいます。
 美容外科医としては、
 長い経験を持った方です。
 その先生の手術で…
 感染してトラブルになった例はありません。
 意外と…
 帽子やマスクなしで手術をしても、
 問題が無いのかも知れません。
      ■         ■
 今の法律では、
 自動二輪車のヘルメットのように…
 手術中は…
 常に帽子とマスクを着用しなさい!
 という規定はありません。
 昔の綿のマスクは、
 顔への密着が今より少なく…
 すかすかしていて呼吸が楽でした。
 外科手術の後で、
 術後感染が問題になったのは、
 抗生物質の乱用が一因と言われています。
 マスクより…
 薬の使い方が感染の原因のような気もします。

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医学講座

インフルエンザとマスク

 昨日コメントをいただいた、
 インフルエンザとマスクのことが、
 今日の朝日新聞朝刊に掲載されていました。
 「マスクで予防」過信禁物
 「ウイルス髪や服にも」
 新型の豚インフルエンザの感染が広がる関西以外の地域でも、マスクを着けた人が目立ち始めた。薬局・薬店では品薄になるところも。日本では個人ができる感染予防策として定讐しているが、海外では様子が違うようだ。専門家から「期待しすぎないで」との声も出る。
 インフルエンザは、感染した人がくしゃみなどをした際に飛ぶしぶき(飛沫ひまつ)を周囲の人が吸い込むことで感染していく、とされる。
 外岡立人・元北海道小樽市保健所長はマスクについて、 「着ければ安全、と期待しすぎないほうがいい」。ウイルスを含んだ他人の飛沫が口から入るのを防ぐことができても、髪や衣服などに飛び散っている可能性もある。衣服などに付着したウイルスに触った手を口に運べば、そこから感染することもある。
 北里大学の和田耕治助教(公衆衛生学)らの実験によると、季節性インフルのウイルスは、不織布製マスクの表面上で8時間、感染力を持った状態が続いていたという。
 国立感染症研究所の岡部信彦・感染症情報センター長も、症状があったり、感染した人と濃厚に接触したりした人が、周囲に感染を広げないために着ける場合に意味があると指摘する。
 欧米、日本でも共通してあげられているのは「せきエチケット」。せきやくしゃみをする際はティッシュで鼻と口を覆い、使用したティッシュはすぐにごみ箱へ。そしてすぐに手を洗ってウイルスを洗い流す。英国政府は「自分を守るとともに周囲に広がりを防ぐため」と説明する。
 日本政府が今年2月につくったガイドラインでは、市区町村は住民らにマスク善用を勧めることになっている。
 ただ、政府の対策本部専門家諮問委員会が、神戸市の高校生らの新型インフル感染が確認された16日に出した「基本的対処方針」では、人込みでのマスクの着用を勧める一方、「屋外では相当な人込みでない限り、着用する意味はない」と詳しく説明した。
 英国政府が一般市民向けにつくったパンフレットでは、マスクについて「感染を防ぐという科学的根拠はない」と明記。世界保健機関(WHO)はマスク着用を医療関係者に勧めるが、市民には「口と鼻を触るのを控える」「人ごみを避ける」といった対策のほうがマスクよりも重要かも知れないと呼ぴかける。
 着用する人
 海外まばら
 アジアで最初の感染考が確認された香港。玄関口の香港国際空港では20日、入管や空港職員の大半がマスクで顔の半分を覆い、乗客にはマスクを無料で配っていた。
 だが、到着する乗客の大半はマスクをしていない。台湾から来たツアーガイドの男性は「2003年のSARS(新型肺炎)の時のように深刻ならともかく、まだマスクが必要とは思えない」と話した。
 香港や中国本土では街中でもマスク姿はほとんど見かけない。韓国も同様だが、例外は日本からの観光客。マスク姿でソウルの繁華街や高級ホテル周辺を歩き、珍しがる地元テレピ局からインタビューを受けたりしている。
 欧米の多くの国ではもともとマスクをする習慣がなく、薬局でもあまり売っていない。マスクをしているのは主にアジア系の人たちだ。
 一方、最初に感染が広がったメキシコでは政府がマスクの着用を奨励。買い求める人が薬局に殺到し、品薄になって価格が急騰する事駅が起きた。
 (香港=奥寺淳、ソウル=箱田哲也)
 各地で完売・品薄
 「石油ショック騒ぎのよう」
 マスクを探し、コンピニエンスストアなど6軒をまわった恵京都墨田区の出版社勤務の女性(32)は、とうとう手に入れられなかった。「全滅でした。薬局も売り切れ。首都圏で患者が出たと聞いて、すごく不安です』と話す。
 都内の薬局や薬店の店頭などからマスクが姿を消したのは、大阪府で感染者が確認された翌日の18日ごろからだ。箱入りの徳用マスクをまとめ買いする人たちの姿も目立っているという。
 在庫が尽き、「売り切れ」の張り紙を出した東京・銀座の薬局店主は「石油ショックのころ、トイレットペーパーがなくなった騒ぎを思い出す」と言った。
 日本衛生材料工業連合会によると、国内で年間に消費されるマスクは約20億枚。花粉症対策で3月まで大量生産され、4、5月は生産量を4分の1以下に落すのが普通だ。3月末時点で約1億枚の在庫があったが、今はほぽ底をついているという。
 急激な需要増に、医療品メーカー大手の興和(名古屋市)は、5月上旬だけで例年の5月分の約40倍を出荷。休日返上で生産しているが、それでも「追いつかない」という。
 品不足を反映し、インターネットのヤフーオークションでは16日、1980円で始まった医療用マスク50枚1箱の入札が、1万7千円にまで跳ね上がったケースもある。
 しかし、大手ドラッグストアチェーンの多くは、各店に週数回、数十個の入荷がある。大手コンビニエンスストアも在庫を確保できているという。一部の人や企業が買い占めをしなければ、必要な枚数は行き渡るようだ。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 長い記事を引用いたしました。
 どうやら…
 マスクでインフルエンザを予防しようというのは…
 無理なようです。
 自分が罹った時に…
 他人に移すのを防ぐには、
 効果があるようですが、
 予防にはやはり手洗いとうがいでしょうか?
      ■         ■
 私が院内感染対策委員をしていた時に、
 ためになることを教わりました。
 『鼻くそをほじらない!』
 あ~ら、
 私はそんな下品なことはいたしませんゎょ…
 とおっしゃるかたには関係ありません。
 私たち医療従事者の手には、
 さまざまなばい菌が付きます。
      ■         ■
 不用意に指で鼻腔を触ると…
 そこにばい菌をつけてしまいます。
 当時問題になっていたのが…
 MRSA(えむあーるえすえい)の
 鼻腔内保菌者でした。
 ある程度の頻度で鼻腔内に
 MRSAを持っている医療従事者がいました。
 一度ついてしまうとなかなかとれません。
      ■         ■
 インフルエンザ対策は、
 マスクよりも手洗い。
 鼻に指を入れる前には、
 十分に手を洗って、
 清潔にしてから、
 『鼻くそをほじり』ましょう。
 マスクをするよりも…
 外から帰ったらまず手を洗うことです。
 鼻炎で鼻が痒くても、
 やたらに触らないことです。

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医学講座

新型インフルエンザ2009

 少し古くなりましたが、
 平成21年5月14日、朝日新聞朝刊の記事です。
 オピニオン_私の視点
 新型インフル_検疫より国内態勢整えよ
 木村もりよ
 医師、厚生労働省検疫官
 成田空港の飛行機内の検疫で、大阪市の高校生らが新型インフルエンザに感染していることが見つかり、政府は「水際作戦」をさらに徹底するという。今回のことは、ウイルスの国内侵入を未然に防いだ成功例に見えるかもしれないが、実は無意味で、この労力は国内対策の充実に向けるべきだと考えている。
 まず、新型インフルエンザの潜伏期間は最長1週間とされ、短期間の旅行や出張で帰国する人は検疫で把握することが難しい。いまの機内検疫はインフルエンザが広がっているメキシコ、米国、カナダからの直接の帰国者が対象で、これらの国から別の国を経由して帰国すれば対象にはならない。ウイルスはすでに国内に入っていると見るべきだ。
 世界保健機関(WHO)も5月7日に改めて見解を示し、①検疫に疾患の広がりを減らす機能はない②国際交通に大きな影響を及ぼす方策をとる国はWHOに公衆衛生的な理由と、効果があるという証拠を提出しなければならない――としている。
 この無意味な検疫のために、多くの医療関係者が動員され、防護服と息苦しいマスクをつけて朝から晩まで働いている。検疫のために、体温がわかるビデオカメラのようなサーモグラフィーを1台200万円超で151台も購入している。
 秋以降に本格化するとみられる国内での感染の広がり(第2波)と、今後、強毒化する可能性を考えれば、機内検疫で使っている労力や資金は、「発熱外来」をはじめとした国内態勢の整備に向けるべきだ。
 日本の医療機関の多くは個室の診察室がなく、通常の外来とは別に新型インフルエンザの疑いがある患者を診る場所が必要だ。そのため、公立病院などに、ウイルスの拡散を防ぐため、外よりも気圧が低い「陰圧室」を持つプレハブを建てる。
 体調が悪い人は、まず、自宅静養をする。そのうえで、どうしても薬がほしい、重症化しそうだという患者は、発熱外来に来てもらう。
 問題は、コレラやチフスの流行を受けて半世紀以上も前に作られた検疫法が今も生きていることにある。この法律は、患者が発生した船を浦賀沖に留め置いた悠長な時代のものだ。検疫法は厚生労働省が所管しているが、国内で患者が発生した後は都道府県が実質上の実施主体である感染症法での対応になる。ただ、都道府県は財政難でもあり、対策のための資金がすぐに出てこない。
 今のままでは、第2波が来たときは同じ検疫の繰り返しになる。新型インフルエンザが検疫法に入っている以上身動きが取れない。新型インフルエンザ、新型肺炎SARSや天然痘など、社会機能をマヒさせるかもしれない感染症については、改めて法律を作り、厚労省が直轄で国内対策にも取り組める体制が必要だ。
      ◇         ◇
 米ジョンズ・ホプキンス大公衆衛生大学院疫学部修士課程修了。近著に「厚生労働省崩壊 「天然痘テロ」に日本が襲われる日」。
 (以上、朝日新聞より引用) 
      ■         ■
 この木村先生の記事が出たのが、
 先週の木曜日です。
 先生が原稿を執筆されたのは…
 それより数日前だと予測されます。
 今、新型インフルエンザは、
 関西を中心に広まっており、
 札幌で感染が確認されるのは、
 時間の問題だと(私は)思います。
 木村先生の予想通りに感染が拡大しています。
      ■         ■
 木村先生は
 お医者さん向けのm3.com(エムスリードットコム)で
 咳エチケットを徹底して、
 発熱や咳がひどい時には
 学校や会社を休む、
 具合が悪かったら自宅で静養する、
 それでもどうしても具合が悪かったら、
 「ここの病院に行ってください」、
 こうしたことを
 国は繰り返し国民に訴えればいいだけです。
 今やるべき対策は非常にシンプルです。
 と述べられています。
      ■         ■
 お医者さんの間では…
 厚生労働省の対応は、
 きわめて不評です。
 国は予算の使い方を間違っています。
 今の世の中…
 お金がなくて医療機関にかかれない人が、
 たくさんいることを認識すべきです。
 マスクに効果があるのなら…
 タダでたくさん配るべきです。
      ■         ■
 私は昔から…
 ファッションなどには疎く(うとく)
 流行遅れもいいとこなのですが…
 インフルエンザや風邪には、
 真っ先にかかっていました。
 インフルエンザワクチンは、
 毎年必ず2回打っています。
 今回はワクチンが入手できないので、
 手洗いをいつも以上にして、
 体力を消耗しないように…
 健康管理に気をつけます。

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医学講座

単純性血管腫(たんじゅんせいけっかんしゅ)

 単純性血管腫(たんじゅんせいけっかんしゅ)は、
 いわゆる赤アザのことです。
 日本形成外科HPの記載は、
 単純性血管腫はポートワイン血管腫とも呼ばれ、
 真皮の毛細血管の局所異常で、
 通常皮膚の膨隆を伴わず明瞭な境界線があり、
 均一の紅斑を呈します。
      ■         ■
 色は明るいピンク色から濃い紫色まであります。
 その血管腫の主病変が真皮のどこに位置するかで、
 浅在性、
 深在性、
 びまん型に分類されます。
 発症は生下時よりみられ自然消退しませんが、
 皮膚の厚さが加齢に伴って厚くなるため褪色する場合もあります。
 しかし反対に色が濃くなったり、
 腫瘤を形成する場合もあります。
      ■         ■
 発生の頻度は、
 男性より女性に多く、
 好発部位は顔面と頸部ですが、
 四肢にも比較的多く見られます。
 治療としては現在では
 色素レーザー治療が第一選択となっています。
 (以上、日本形成外科HPより引用)
      ■         ■
 ちょっと難しい表現ですが、
 生まれつき顔や首などにある、
 赤い色をしたアザが、
 単純性血管腫だとお考えください。
 写真を掲載してほしいというご要望がありましたが、
 残念なことに…
 掲載許可をいただいた写真がありません。
 ネットで検索すると出てきます。
 昨日の苺状血管腫も同じ理由で写真はありません。
 申し訳ございません。
      ■         ■
 苺状血管腫はふつう生まれつきありません。
 最初に出た時は、
 私たちにもわからないこともあります。
 ちょっとした…
 ぽつんとした…
 赤い斑点のこともあります。
 単純性血管腫は、
 はっきりとわかるものが大部分です。
      ■         ■
 この単純性血管腫にも…
 キャンデラ社の
 Vbeam(ブイビーム)というレーザーが、
 とてもよく効きます。
 残念なことに…
 日本で保険適応になるには、
 厚生労働省の承認が必要です。
 この承認がまだ下りていないのです。
 発売されてから…
 5年近くになるのに、
 まだ正式に認可されていません。
      ■         ■
 保険医療機関では、
 未承認の医療機器を使って、
 保険診療はできません。
 せっかくよい機器があって、
 それでたくさんの赤ちゃんが救われるのに…
 ‘承認がないので保険外です’は
 とても残念なことです。
 一日も早く承認が下りることを願っています。
 あざのレーザー治療は
 札幌スキンケアクリニック
 いぐち皮フ科形成外科クリニック
 林形成外科クリニック
 をおすすめいたします。

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医学講座

苺状血管腫(いちごじょうけっかんしゅ)

 昨日は日帰りで東京へ行ってきました。
 年に一度のキャンデラユーザーズミーティングです。
 昨年さくらんぼさんから、
 舌を噛みそうな題名とコメントをいただきました。
 確かにその通りですね。
 キャンデラは米国に本社がある、
 レーザー機器の会社です。
 日本法人は1989年に設立されました。
 数あるレーザー機器の会社の中でも、
 地道に研究開発を重ねている、
 真面目な会社だと思います。
      ■         ■
 私たち形成外科医は、
 アザの治療を専門としていました。
 形成外科はメスを使って切除したり、
 組織を移植したりして、
 アザを治療してきました。
 ところがメスを使う治療には、
 限界があります。
 ちょうど私が医師になった…
 1980年頃からレーザー機器の研究開発が進みました。
      ■         ■
 現在、日本でレーザー治療の権威
 と言われる先生は…
 この頃から…
 地道に治療を続けられた先生です。
 昨日の研究会で、
 あらためてレーザー機器の進歩が、
 素晴らしいものであることを再認識しました。
 また、
 まだまだ発展する可能性があることも…
 よく理解できました。
      ■         ■
 苺状血管腫(いちごじょうけっかんしゅ)
 という‘病気’があります。
 私たちが医師国家試験を受けた頃は、
 自然に治るので治療の必要がないが○でした。
 すぐに治療が必要であるは×と習いました。
 日本形成外科HPを読んでも…
 残念なことに…
 自然に治癒することが…
 と書かれています。
      ■         ■
 私はもし、自分の身内に…
 この苺状血管腫が見つかったなら…
 すぐにレーザー治療を受けさせます。
 苺状血管腫は…
 赤ちゃんの病気です。
 レーザー機器の進歩で、
 画期的に治るようになりました。
 小児科の先生や、
 保健師さん、
 看護師さん、
 には自然治癒というのを…
 固く信じていらっしゃる方も多いようです。
      ■         ■
 確かに赤みは消えますが…
 シワシワのスポンジ状のような…
 痕が残ることがあります。
 また、
 血管腫が大きくなって、
 変形が残ることもあります。
 赤ちゃんの時に起こる、
 血管の異常増殖が原因なので、
 できはじめのほんの小さなうちに…
 レーザー治療をすると…
 驚くほどきれいに治ります。
      ■         ■
 治療開始が早ければ早いほど…
 治療回数が少なくて済みます。
 この苺状血管腫に…
 一番よく効くのが…
 キャンデラ社の
 Vbeam(ブイビーム)というレーザーです。
 赤ちゃんの肌に、
 ぽつんと赤い斑点があったら、
 ちょっと苺状血管腫のことを…
 思いだして下さい。

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昔の記憶

函館の想い出⑦

 函館にはお鮨以外にも…
 美味しいお店がたくさんありました。
 先生、美味しいカレーがある
 と教えていただいたのが…
 小いけのカレーでした。
 函館山のふもと近くの
 宝来町(ほうらいちょう)というところにありました。
      ■         ■
 最初に赴任した、
 昭和57年(1982年)には、
 創業者である故小池義次郎様がお元気でした。
 お店奥の厨房で、
 寡黙に料理を作られていたのが印象的でした。
 評判通りに美味しいカレーでした。
 私は北大生協のカレーや
 ハウスのカレーでも、
 十分に美味しいと思いますが、
 ここのカレーは格別でした。
      ■         ■
 「洋食の小いけ」として有名でした。
 カレー以外のカツレツも
 美味しかった記憶があります。
 お店はどちらかというと地味で、
 場所も電車通りから少し入った…
 目立たない場所にありました。
 今は、
 二代目のご子息が継承されているようです。
      ■         ■
 ネットで検索すると…
 印度カレー小いけがありました。
 もう一つ…
 元祖インドカレー小いけというお店もあるようです。
 こちらの元祖小いけは、
 創業者の使用人が受け継ぎ、
 「小いけ本店」は
 創業者のご子息がその後、
 近くに起業したらしい
 とネットに記載がありました。
 味は元祖小いけの方が…
 元の小いけの味らしい…?です。
 伝統の味を継承するのは、
 なかなか難しいものがあります。
      ■         ■
 その他にも…
 函館にはたくさんの美味しいお店があります。
 今は、もっと…
 おいしいお店が増えていることと思います。
 私が住んでいた頃は、
 函館ドックも…
 北洋漁業も…
 まだまだ盛んな時代でした。
 私の大好きな街、
 函館が…
 もっともっと…
 元気になってほしいと願っています。

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昔の記憶

函館の想い出⑥

 函館の想い出で忘れられないのは、
 何と言っても…
 美味しいお鮨です。
 今は函館にも回転寿司がありますが、
 私が住んでいた20年前には、
 まだ、あまりありませんでした。
 函館には、
 たくさんの有名なおすし屋さんがあります。
 ただ、小さな子ども連れで…
 気軽に行けるところは…
 なかなか見つけるのは大変でした。
      ■         ■
 私は湯の川にあった、
 鮨長(すしちょう)さんという…
 小さなおすし屋さんへ行っていました。
 最初に函館へ行った…
 昭和58年(1983年)に、
 マツダ自動車のショールームへ行って、
 そこのセールスさんに紹介していただきました。
 マツダの車は買いませんでしたが…
 紹介していただいたおすし屋さんには、
 長い間お世話になりました。
      ■         ■
 湯の川にホテル新松という旅館があり、
 そこの斜向かいの床屋さんの隣が、
 鮨長さんでした。
 中村さんというご主人が、
 奥さんとお二人で
 おすし屋さんをなさっていらっしゃいました。
 お嬢さんがお二人いらしゃいました。
 ちょうど子どもが生まれて、
 子育てに苦労していた私たちには、
 よき人生の先輩でもありました。
      ■         ■
 ご主人が握ってくださる
 お鮨も最高でしたが、
 奥様が作ってくださったお吸い物が…
 これまた最高でした。
 お給料が出た後とか…
 実家から親が来た時とか…
 お客さんがいらした時とか…
 回数は多くはありませんでしたが、
 よく利用させていただきました。
      ■         ■
 私も家内もお鮨が大好きで、
 家内はお鮨が食べたいから…
 北海道へお嫁に来た!
 というほどです。
 結婚する前も…
 フレンチや
 イタリアンの
 レストランなんて…
 行ったことはありませんでした。
 札幌ではお鮨かラーメン。
 大阪では、
 うどんかお好み焼きでした。
      ■         ■
 函館の鮨長さんに…
 もう一度行きたいと思っていたのですが、
 残念なことに…
 おすし屋さんがあった場所は、
 道路の拡張工事でなくなっており…
 検索してもわかりませんでした。
 美味しいお鮨の想い出といっしょに…
 ご夫婦で仲良く…
 鮨店を切り盛りされていた、
 中村さんの笑顔が忘れられません。

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昔の記憶

函館の想い出⑤

 泥棒に入られた後も、
 函館の人たちは親切でした。
 警察では、
 防犯について教えていただきました。
 当時…
 私のように泥棒に入られる家が…
 連続してありました。
 札幌へ帰ってきてから…
 少年の窃盗団が捕まったと報道されました。
 指紋が一致しなかったのか?
 私には泥棒が捕まったという知らせは、
 ありませんでした。
      ■         ■
 警察の話しでは…
 少年犯罪の検挙はなかなか難しく…
 現行犯でなければ、
 逮捕するのは困難だと話されていました。
 靴の足跡や、
 手口から、
 少年らの犯行と推測されたようです。
 平松様からいただいたコメントのように、
 少年犯罪には難しいものがあります。
      ■         ■
 警察で教えていただいた教訓です。
 ①泥棒が入りやすい家がある。
 ②泥棒に‘留守’を教えている家がある。
 ③泥棒が入りにくい家にする方法がある。
 でした。
 たけさんからいただいたコメントのように…
 奥さんは病院で仕事している間怖かった…
 らずべりーさんからいただいたコメントのように…
 道路沿いなのもあったのでしょうか…
 泥棒さんの嗅覚なんでしょうか…
 平松さんからいただいたコメントのように…
 道路沿いの角地…
 警察から気をつけるように言われた…
      ■         ■
 私が住んでいた家は、
 これらがすべて該当(がいとう)していました。
 中央病院の先生の家
 と書かれていたのではありません。
 他と違っていたところでは…
 札幌ナンバーのマークⅡがとまっていた。
 でも、私の家の2階は、
 南茅部からいらした社長さんの、
 立派な白いクラウンでした。
 函館ナンバーの白いクラウンでした。
 問題は一階でした…
      ■         ■
 家内は用心深い人で、
 ちょっと外出するにも…
 必ず鍵をかけていました。
 夜は電気を消して…
 外出時にも、
 電気を消していました。
 つまり車が無くて…
 電気が消えていれば…
 留守を泥棒に知らせているようなものでした。
      ■         ■
 一番の問題点は、
 泥棒が入りやすい侵入口があったことでした。
 隣家との間は…
 狭い通路で…
 人がいても道路や家から見えない位置でした。
 そこに、トイレの窓がありました。
 そういう侵入口があり、
 入りやすい家を、
 泥棒は‘仕事’がない昼間に…
 普通の格好をして、
 下見をしているのだそうです。
      ■         ■
 泥棒は…
 留守になった私の家を狙って…
 深夜にやってきました。
 家の前は五稜郭公園のお堀です。
 誰にも見られません。
 お隣の家からも、
 トイレの窓から侵入するところは見えません。
 誰もいない家に入って、
 堂々と?現金だけを狙ったのでした。
 見つかっても…
 五稜郭公園に逃げる方法がありました。
      ■         ■
 家内は、
 泥棒に入られた家で…
 私が当直の夜などに、
 もし、また泥棒が来たら…?
 と思うと安心して眠れないと言いました。
 私は湯の川にあった、
 セキュリティハウスという、
 防犯の専門店へ行きました。
 店主の村山様が、
 親切に防犯について教えてくださいました。
      ■         ■
 外出する際に…
 電気を全部消さず、
 何かテレビかラジオの音がするだけでも違うと…
 教えていただきました。
 泥棒が…
 入りにくい家は、
 居るのか…?
 居ないのか…?
 わかりにくい家だそうです。
      ■         ■
 借家だったので、
 防犯装置はつけられませんでしたが、
 大家さんが、
 トイレの窓に柵をつけてくださいました。
 いろいろな防犯装置があることを、
 その時に勉強しました。
 函館で泥棒に入られたおかげで…
 防犯に対する認識ができました。
 札幌美容形成外科には…
 SECOMの監視カメラもついています。
 セキュリティにお金をかける大切さを、
 函館で知りました。


SECOMに守っていただいています

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昔の記憶

函館の想い出④

 楽しいことばかりだった函館にも、
 忘れられない嫌な想い出があります。
 泥棒に入られたことです。
 1988年8月、
 私は一週間の夏休みを、
 濱本淳二先生からいただきました。
 家内の両親が住んでいた、
 大阪府吹田市(すいた)に行きました。
      ■         ■
 当時は関西国際空港はなく
 (1994年9月4日開港です)、
 大阪国際空港(伊丹空港)が関西の空港でした。
 家内の両親は、
 伊丹空港まで出迎えてくれ、
 『よう来たなぁ!』と
 大歓迎してくれました。
 義父は国鉄を定年退職し、
 大鉄工業というJR西日本の軌道工事をする、
 大阪支店大阪営業所長をしていました。
 会社近くのマンションに住んでいました。
      ■         ■
 大阪は暑いなぁ~~
 と言いながら、
 エアコンをつけて寝ていました。
 (北海道ではエアコンをつけて寝るのは
 一般的ではありません)
 深夜0時過ぎでした…
 函館から電話がありました。
 『こんばんは、函館の…』
 お隣のゆりちゃんのお母さんからでした。
      ■         ■
 『夜遅くにごめんなさい』
 『中央病院の看護婦さんに聞いてお電話しました』
 今のように携帯電話はありません。
 私たちが持っていたのはポケットベル。
 それも北海道内だけがエリアでした。
 ゆりちゃんのお母さんは、
 看護婦さんでした。
 大阪の家内の実家に行くことは、
 話していたようですが、
 連絡先までは知らせていませんでした。
 とっさに‘病院の詰所だったらわかる…かも?’
 と聞いてくださったのでした。
      ■         ■
 『今、本間さんの家に泥棒が入っているみたいです。』
 『110番して、主人が見に行っています。』
 『石を踏む音がして…』
 『お留守な筈なのに、電気が点いたんです。』
 どろぼう?
 眠気は一気に吹っ飛び、
 私たちは大パニックになりました。
 さぁ大変。
 貴重品は?
 何がどこにある??
 通帳と印鑑は???
      ■         ■
 110番で警察が来てくださり、
 犯人は玄関から逃走した後でした。
 警察に連絡をすると、
 被害届けを出さなければいけないとのことでした。
 深夜の大阪で、
 眠れぬ一夜を明かしました。
 当時はネットもないので、
 PCで飛行機の予約状況もわかりません。
 唯一できたのが、
 プッシュホンによるダイアル予約でしたが、
 それも夜間は運用停止でした。
      ■         ■
 眠れぬ夜を明かして…
 私だけ函館へ戻ることになりました。
 朝一番で全日空予約センターに電話しました。
 残念なことに、
 飛行機は満席。
 大阪→東京も
 東京→函館も満席です。
 すぐに伊丹空港へ向かって、
 空席待ちの券をいただきました。
 運良く…
 最後の一人で東京行きに乗れ、
 羽田でまた空席待ちでした。
      ■         ■
 羽田でも運良く空席ができ、
 函館行きに乗れました。
 お昼過ぎには函館に到着し、
 五稜郭のアパートに行ってみると…
 わが家には、無残に足跡が残っていました。
 犯人は複数犯でした。
 指紋を採取していただき、
 私の指紋も取られました。
 盗まれたのは現金でした。
      ■         ■
 被害届けは…
 一万円札が何枚、
 五千円札が何枚、
 千円札が何枚、
 500円が何枚、
 百円が何枚、
 50円が何枚、
 10円が何枚、
 と全部記入しなくてはいけません。
 こんなこと?
 私にはわかりませんでした。
      ■         ■
 家内に電話しながら、
 被害届けを書きました。
 現金の被害も大変でしたが、
 貴重な私の夏休みの一日と
 大阪⇔函館の航空券代が痛かったです。
 結局、泥棒は捕まりませんでした。
 警察の話では、
 複数の少年による犯行とのことでした。
 被害届けを出した後で、
 私は大阪へ向いました。
 よい人ばかりの函館にも…
 残念なことに泥棒がいました。
 この泥棒の‘おかげ’で、
 本間家の防犯意識が変わりました。


私の家はこの道沿いでした

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昔の記憶

函館の想い出③

 小児科の大先輩の先生から…
 なるべく子どもさんと遊んであげてください
 と助言をいただいたことがありました。
 長女が原因不明の高熱と、
 肝機能異常で、
 天使病院に入院した後で、
 小児科部長だった、
 南部春生(なんぶはるお)先生に
 お礼に伺った時でした。
      ■         ■
 長女の病名は伝染性単核球症でした。
 かかりつけの小児科で点滴をしても治らず…
 血液検査で異常が見つかったので…
 大きな病院に入院して治療…
 と言われて…
 家内はパニックになって電話をしてきました。
 ちょうど長女が一歳頃で、
 私が形成外科メモリアル病院に
 勤務していた時でした。
      ■         ■
 これには面食らいました。
 肝機能の数値も3桁になっていて、
 どうしたの…?
 とにかく天使病院だったら安心だから…
 程度しか私にも言えませんでした。
 一歳頃は、
 母体からの免疫が薄れてきて…
 いろいろな病気で熱を出します。
 伝染性単核球症は、
 わかってしまえば怖くない病気です。
      ■         ■
 当時の天使病院は、
 子どもでも親の付き添いは無しでした。
 結局、一週間の入院で無事に治りましたが…
 診断がつくまでは心配でした。
 考えなくてもよいような、
 最悪の病名まで頭に浮かびました。
 なるべく子どもさんと遊んであげてください
 という南部先生のお言葉は、
 当時はよくわかりませんでした。
      ■         ■
 54歳という年齢になるとよくわかります。
 仔犬と同じで、
 子どもは小さいうちが一番可愛いのです。
 大きくなったら…
 どんなに遊ぼうと言っても…
 勝手に自分たちでどこかへ行ってしまい…
 親とは遊ばなくなります。
 そのうち、家にはいなくなります。
 自分たちもかつてそうだったことに…
 自分が親になって気付きました。
      ■         ■
 私の父親は、
 私が子どもの頃に、
 よく手稲の裏山へ連れて行ってくれました。
 そこからは…
 石狩湾や遠くに増毛(ましけ)の山が、
 とてもキレイに見えました。
 だから…?
 私は今でも山や高いところが好きです。
      ■         ■
 函館にいた時は、
 近くの公園や…
 海など…
 できるだけ子どもと出かけました。
 長男はまだ3歳だったので、
 覚えていないようです。
 私にとっては、
 いいお父さんだった…
 なつかしい時代です。


1988年8月14日
函館港の船です

 

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