医学講座

脂肪吸引の死亡事故

 平成21年12月11日、北海道新聞夕刊の記事です。
 品川美容外科を家宅捜索
 脂肪吸引の70代女性死亡
 東京都荒川区の女性が今月上旬、豊島区の品川美容外科池袋院で脂肪吸引手術を受けた2日後に自宅で死亡する事故があり、警視庁捜査1課は11日、業務上過失致死の疑いで港区や豊島区にある同外科の関係先3カ所を家宅捜索した。
 捜査1課によると、死亡したのは荒川区の前田京(みやこ)さん(70)。前田さんは今月2日、同外科池袋院で腹部の脂肪吸引手術を受けた。いったん帰宅し、4日に自宅で死亡した。捜査1課は司法解剖したが、死因は特定できなかった。
 手術は、腹部など脂肪を減らしたい部分に細い管を挿入して吸引する方法で行われ、美容整形では一般的とされる。
 捜査1課はカルテなどを押収し、手術の手順や術後管理などに問題がなかったか調べる。
 同外科は1988年に開業し、現在は全国21カ所で営業。脂肪吸引や豊胸、顔の美容整形などを専門としている。
 同外科広報は「捜索を受けたことは事実だが、詳しくは弁護士に聞いてほしい」としている。 (以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 残念な事故です。
 亡くなられた前田様のご冥福をお祈りいたします。
 昨夜のTVで遺影を拝見しました。
 ご遺族の方がお話しをされていました。
 遺影は…
 お若く…
 美しく…
 とても70歳には見えませんでした。
 せっかく美容外科にいらしていただいたのに…
 同業者の一人として申し訳なく思います。
      ■         ■
 報道されていない死亡事故は、
 他にもあります。
 今回の‘事故’は、
 ご自宅で死亡しているのが発見され、
 異常死として届けられ、
 司法解剖をされたことから、
 警察が捜査を開始しました。
 私が知っている‘事故’は、
 手術中や手術後に異常があり、
 そのまま大きな病院の、
 救命救急センターに搬送されました。
      ■         ■
 心肺停止状態で搬送されても、
 救命救急センターで蘇生(そせい)されます。
 生き返った状態で数週間存命し、
 その後に亡くなるというケースが大部分です。
 この場合も、
 異常死として警察に届けられ、
 司法解剖が行われます。
 警察に届けられても…
 マスコミに公表されることは少ないようです。
      ■         ■
 美容外科の手術で亡くなられた方が、
 実名を公表されて…
 遺影までTVで報道されるのは、
 極めて異例なことです。
 知らないところで、
 事故が起こり、
 そのまま示談で解決されているケースも
 私は何件か知っています。
      ■         ■
 事故がTVで報道されることにより、
 美容外科手術への‘警笛’となります。
 私はTVや新聞の報道でしか、
 事故の詳細がわかりません。
 ただ、美容外科医として言えるのは、
 脂肪吸引で腸管に穴をあけるのは…
 ありえないということです。
 何か他に原因があるように思います。
 品川美容外科が悪いように報道されていますが、
 もっと悪い美容外科がたくさんあります。
      ■         ■
 品川美容外科を擁護(ようご)するのではありません。
 美容外科業界では、
 ‘品川方式’と呼ばれて、
 無理な手術はしないというのが、
 私が知っていた時代の品川さんでした。
 残念に思うのは、
 手術後に…
 患者さんが痛みを訴えて電話した時に、
 すぐにいらしてもらえばよかったのに…
 という点です。
      ■         ■
 美容外科手術に限らず…
 外科手術の後には何が起きるかわかりません。
 札幌美容形成外科でも、
 70台の方の脂肪吸引をしました。
 手術後には、
 看護師が付き添って、
 ご自宅まで車でお送りしました。
 美容外科手術が悪いことだと思われると、
 とても残念です。
 私が夜間でも、
 連絡が取れるようにしているのは、
 事故を防ぐためです。
 亡くなられた前田京様のご冥福をお祈りします。

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昔の記憶

北大形成外科同門会2009

 昨日、北大形成外科から、
 同門会名簿が送られてきました。
 入局年度順になっています。
 私が28番目。
 一番若い先生は129番目でした。
 私の後に100人もいるのには驚きました。
      ■         ■
 2008年6月22日にも
 北大形成外科同門会というタイトルの日記があります。
 私を一人前の形成外科医に育ててくださった、
 北大形成外科の大浦武彦教授、
 同門の先輩にはいつも感謝しています。
 採血や点滴すら満足にできなかった私が、
 手術ができるようになったのは、
 北大形成外科のおかげです。
      ■         ■
 私は、大浦武彦教授が率(ひき)いる、
 北大形成外科へ入局しました。
 札幌医大を卒業して
 北大へ行くには少し勇気がいりました。
 私が北大へ行けたのは、
 松本敏明先生[札幌医大22期]、
 大岩彰先生[札幌医大26期]という、
 お二人の札幌医大の先輩がいらしたからでした。
      ■         ■
 特に大岩彰先生は、
 私が札幌医大に入学した時に、
 熱心に弓道部へ誘ってくださった先生でした。
 大岩先生の、
 『私でもやっているんだから大丈夫だょ』
 『おいで!』
 という一言で、
 私は安心して北大形成外科へ来ました。
 大岩先生はお忘れになっていると思いますが、
 私が北大を訪ねた時に、
 生姜焼き定食をごちそうしてくださいました。
       ■         ■
 私は…
 医師が有能かどうか…?
 仕事ができるか…?
 できないか…?
 は、卒業した大学よりも、
 医師としてどのような先輩について…
 どのような人生観を持って…
 どのような仕事をしたか…?
 によって決まると思います。
      ■         ■
 国立大学、
 公立大学、
 私立大学を問わずに…
 最近の医学生には…
 楽で儲かりそうだから…と…
 自分が将来進む科目を…
 決める人がいるそうです。
 美容外科は…
 お給料が高くて…
 当直がなくて…
 楽そうだから…
 なんて選ぶととんでもないことになります。
      ■         ■
 患者さんが急変しても…
 何もできずに…
 呆然(ぼうぜん)と…
 眺めているだけしかできない、
 ペパードライバーのような医師になる恐れもあります。
 将来後悔しないように、
 しっかりとした先輩がいる病院で、
 お給料が安くても、
 充実した研修先を選ぶべきです。
 若い時から高給を取りたければ、
 プロ野球選手を目指せばよいのです。
 明日は北大形成外科同門会総会があります。

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医療問題

よいお医者さんを育てるには…

 私は来年(2010年)で医師になって30年になります。
 医学部を志望して…
 一生懸命勉強していた頃には…
 まさか自分が美容外科医になるとは…
 夢にも思っていませんでした。
 予備校生の頃には…
 自治医大に入って…
 僻地のお医者さんになりたいとも思っていました。
      ■         ■
 医学部志望という日記を、
 2007年9月11日に書きました。
 医学部は他学部と比べると、偏差値が高く、
 今も昔も難関学部の一つです。
 苦労して医学部へ入学しても…
 授業時間数は多く、
 他学部と比べて学生時代の自由な時間がありません。
 とにかく覚えることがたくさんあります。
      ■         ■
 試験も多く、
 進級判定も厳しいため、
 ちょっと油断するとすぐに留年です。
 最後には医師国家試験があります。
 司法試験ほどではないですが、
 勉強しないと受かりません。
 卒業しても国家試験に受からないと、
 何の役にも立たないのが医学部です。
      ■         ■
 医学生にもいろいろな人がいます。
 男子学生にも、
 女子学生にも、
 いろいろな人がいます。
 他学部より個性的な人が多いと思います。
 (私自身も奇人変人の部類です)
 風俗が好きな医学生も先生もいます。
 お金儲けがしたいという医学生も先生もいます。
      ■         ■
 入学試験は公平な選抜試験です。
 どんな人を選ぶか…なかなか難しい問題です。
 国は『地域枠』で、
 僻地のお医者さんになる学生を募集していますが、
 18歳頃には…
 『僻地のお医者さんになりたい』と思っていても、
 入学後に心変わりすることもあります。
 心変わりした人を責めることもできません。
      ■         ■
 今の疲弊(ひへい)した医療を治療するには、
 僻地のお医者さんになってよかったぁ~
 と思えるような政策を考えることです。
 例えば…
 お金儲けばかり考えて…
 医療をお金儲けの道具にした‘先生’には、
 たくさんの税金を払っていただくのです。
 僻地のお医者さんになりたい。
 他人が敬遠する産科医になりたい。
 という政策を考えるのです。
      ■         ■
 お母さんから…
 信じられない金額の政治資金をいただいて、
 知らなかったという政治家では…
 とても解決できそうにはありません。
 一生懸命勉強して、
 医師になった人が、
 僻地の医師になってよかったと思えると…
 僻地のお医者さんも増えると思います。
 汗水たらして…
 一生懸命働いた人が、
 幸せになれるように、
 政策を考えていただきたいと思います。

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医療問題

医学教育の現場では…

 私は平成10年(1998年)から平成14年(2002年)まで、
 札幌医大形成外科の講師をしました。
 信じてはいけない人に騙(だま)されて…
 残念な形で大学を追い出されましたが、
 学生さんに講義ができた楽しい想い出もあります。
 医学教育に対する、
 私なりの思いがあります。
 ‘医学部定員増’が話題になると、
 ひとことふたことも言いたくなります。
      ■         ■
 2006年10月23日の、
 2回目の院長日記に、
 医学部の教育というタイトルで書いてあります。
 現在の日本の医学教育では
 内科、外科、産婦人科など国家試験に必要な科目を
 すべて勉強します。
 これは日本国中どこの医学部でも医科大学でも同じです。
 6年間に学ぶ量は膨大なものになります。
      ■         ■
 順調に卒業できると
 6年間で医師国家試験受験資格が得られます。
 自動車学校でいうと
 卒業検定を受ける資格を得るわけです。
 自動車学校と違うのは
 医師国家試験に合格するまでは
 仮免許で運転もできないのです。
 ですから国家試験に合格するまでは
 実際に患者さんを縫合することはありません。
      ■         ■
 私が卒業した30年前と比べると…
 医学は格段に進歩しました。
 新しい薬や治療法、
 診断機器も比べものになりません。
 6年間の医学教育で教える量は膨大になりました。
 医師国家試験の問題数も日程も増えました。
 医学部の学生さんは、
 膨大な医学知識をとにかく詰め込まれます。
      ■         ■
 ところが…
 今も…昔も…
 卒業までに…
 他人に針を刺して採血することすら…
 正規の医学教育ではありません。
 看護師も同じです。
 医学部では、
 針と糸を使って縫う‘実習’はありません。
 キズを縫うことができなくても、
 医師免許証はいただけます。
      ■         ■
 つまり、
 医師免許証をいただても…
 看護師免許証をいただいても…
 採血すらできないのが…
 新人のお医者さんや看護師さんです。
 免許証をいただいてから、
 実際のトレーニングがはじまります。
 ほんとうの意味で、
 優秀な医師か?優秀な看護師か?は、
 卒業後にどんな先輩について、
 どんな指導を受けたかによって決まります。
      ■         ■
 2008年9月8日に
 医学教育と運転教習という日記を書きました。
 大きな病院で…
 手術や検査を受けるとします。
・あなたの検査は、新人の研修医が行います
・当院では、十分な初期研修を行っています
・万一、不測の事態が起こっても、ベテランの指導医が対処します
・研修医がこの検査を担当するのは、3回目です
・2回の検査では、問題はありませんでした
・ただ、指導医が15分で終わる検査に、1時間を要しました
・以上の説明を受け、検査に同意します
 なんて同意書に署名・捺印ができますか?
      ■         ■
 実際には、上記のような同意書なしに、
 眠らされて…
 ぼぉ~っとしているうちに、
 検査や手術が終了します。
 練習台になる患者さんも大変ですが、
 詐欺のような…
 指導医を続けるのも疲れます。
 千葉県の安達智江先生が、
 朝日新聞への投稿で指摘した点はこれです。
      ■         ■
 いいお医者さんを育てるのは大変です。
 現場の医師が、
 疲れ果てている現実を放置して、
 医学部の定員だけ増やしても、
 日本の医療はよくなりません。
 来年には、
 診療報酬が改定されて、
 医療機関の経営はますます苦しくなりそうです。
 単に医学部の定員だけ増やせばよいと考えている、
 国の方針は間違っています。

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医療問題

医学部定員増2009

 平成21年12月7日(月)、北海道新聞夕刊の記事です。
 医学部定員17人増
 道内10年度、文科省計画
 深刻化する医師不足対策として、文部科学省は12月7日、2010年度の大学医学部の入学定員について、国公私立61大学で計360人増やし、定員総数を過去最多の8,846人とする計画を公表した。私立大分については大学設置・学校法人審議会に諮問し、年内に決定する見通し。国立大は諮問がいらない。
 これにより、道内は北大が7人増の112人、旭川医大が10人増の122人、札幌医大は増員なしの110人で、3大学合計で17人増の344人になる。全国では国立大42校で265人増、公立大6校で25人増、私立大は13校で70人増。
 文科省は増員分について、医師不足に対応するため卒業後の地元勤務を前提に奨学金を出す「地域枠」などを設定。旭川医大は地域枠を活用し、北大は歯学部定員を振り替える。
      ■         ■
 私は、1974年(昭和49年)に札幌医大に入学しました。
 私が入学した年から、入学定員が80人→100名に増えました。
 私は運良く…
 増えた20人の定員増の中に入れたのだと思っています。
 当時の札幌医大には…
 道内出身者を入学定員の90%にするという不文律がありました。
 そうした、‘内規’が当時の文部省にバレて、
 国の補助金で運営している公立大学にふさわしくないという趣旨で
 撤廃されたと聞いています。
 2007年12月21日の日記に書いています。
      ■         ■
 2008年9月7日の日記にも、
 医学部定員増というタイトルの日記があります。
 千葉県の安達智江先生が、
 朝日新聞に投稿した原稿を掲載しています。
 安達先生は医療現場の混乱を指摘されています。
 北海道内の医学部定員を17人増やし、
 日本全国で360人の定員が増えます。
 私はこれで今の医師不足が解消されるとは…
 到底思えません。
      ■         ■
 来春入学した学生が、
 一人前の医師として活躍できるようになるには…
 医学部6年+臨床研修2年(現行制度では)=8年
 +研修期間(数年)で
 最低でも10~15年はかかります。
 私自身のことを考えると
 一人で独立してできるようになったのは、
 卒後10年程度経ってから…?
 だったように記憶しています。
      ■         ■
 医師不足解消の特効薬は、
 医師が働きやすい環境を作ることです。
 意外と盲点になっているのが、
 昨日の日記にも書いた、
 就労支援です。
 私が勤務医だった頃には、
 看護師さんの子どもは…
 院内保育所へ預けられましたが…
 女医さんの子どもは不可でした。
      ■         ■
 多くの働くお母さん先生は、
 無認可の保育所に預けるか…
 自分の親に育ててもらうか…
 高いお金を払って…
 ベビーシッターを頼むか…
 とにかく看護師さん以上に大変でした。
 子どもを預けるのに…
 私の当直料の何倍もかかる…
 と何人もの女医さんがこぼしていました。
      ■         ■
 国のお役人は気付いているのかどうか…?
 その辺は、わかりませんが、
 現在の医学部は、
 30~40%が女子学生です。
 私の頃は…
 せいぜい10%台でした。
 女医さんが増えています。
 結婚して→子どもを産んで→
 安心して働ける環境作りをすると…
 医師不足解消に役立つことは、
 現場の医師なら誰しも気付いています。

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院長の休日

はたらくお母さん

 平成21年12月5日(土)
 北海道新聞朝刊『いずみ』への投稿です。
 小学校3年生の田代楓花(ふうか)ちゃん、です。
 はたらくお母さん
 私の家には、お父さんはいません。お母さんが、かんごしの仕事をしながら1人で、私とお兄ちゃんを育ててくれています。
 お兄ちゃんは、学校がおわるとサッカー少年団へ行くので、私は、1人でおるすばんをします。外が暗くなると、さみしい気もちになるけど、お母さんが帰ってくるとだっこをしてくれるので、さみしい気もちをわすれます。
 私は、お母さんのお手つだいをします。おちゃわんをあらったり、お米をといで、すいはんきのタイマーをおします。ときどき、せんたくものをたたみます。お母さんは「ふうか、ありがとう。ふうかが女の子でたすかるわ」と、ほめてくれます。
 私が、ねつをだしても、お母さんは仕事を休めないことがあります。そんな時は、お母さんの病院にいって、ベッドにねています。ベッドにねながらお母さんの仕事をみています。てきぱきと、かんじゃさんにちゅうしゃをしたり、けつあつをはかったりします。
 はたらくお母さんをみて私は、「かっこいいなあ」と思います。私は、はたらいているお母さんが大好きです。お母さん、お仕事から帰ってきたら、またいっぱいだっこしてね。毎日、お仕事してくれてありがとう。おつかれさま。私も、しょうらいは、かんごしさんになりたいので、しっかりべんきょうしたいと思います。
 田代楓花(9歳・小学3年)=渡島管内
      ■         ■
 私は、楓花(ふうか)ちゃんのような子が大好きです。
 2009年10月18日の日記に書いた、
 新聞配達の日
 苫小牧市の亀尾優希さん(9)も…
 お母さんの新聞配達のお手伝いをしている、
 素敵な女の子です。
 小さい頃から、
 親の苦労を見て育った子は、
 立派な大人になります。
      ■         ■
 看護師さんの子どもたちは、
 院内保育園で一日を過ごし、
 大好きなお母さんの帰りを待っています。
 私が病院に勤務していた頃…
 お母さんの業務が5時で終わらず…
 延長保育の時間も過ぎてしまい…
 病棟の詰所で…
 お母さんの仕事を見ている子がいました。
      ■         ■
 忙しい病院では、
 日勤者(にっきんしゃ)の業務が、
 5時で終わるどころか…
 夜の9時にまでなることもありました。
 保育園の子どもたちは、
 保育園が終了後…
 病棟で…
 お母さんの仕事(看護計画や記録)を見ながら、
 お菓子を食べて待っていました。
      ■         ■
 駄々をこねることもなく…
 お腹がすいたとも言わず…
 じっと絵本を読んで待っていました。
 クリスマスになると、
 その子たちが、
 患者さんへプレゼントを渡してくれる、
 天使の役割もしてくれました。
 今でも懐かしく想い出します。
 もう、大人になっていることと思います。
      ■         ■
 働くお母さん看護師さんの多くは、
 自分の親に協力してもらって、
 子育てと仕事を両立させていました。
 朝5時に起きて、
 掃除・洗濯をして、
 子どものお弁当まで作って、
 仕事に来ているお母さん看護師さんもいました。
 今は院内保育も改善しているでしょうか…?
 でも、子どもが熱を出した時は、
 やはりお母さんです。
 この辺の就労支援を充実させることが、
 国の政策として大切だと思います。

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医学講座

乳がんになったら…

 劔持先生の奥様
 HIROKO様のお言葉です。
 ある日突然「あなたはガンです。」
 ショックは大きいですよ。
 私は20年以上…
 総合病院の形成外科医として勤務ました。
 乳がんの手術に入ることは少なかったですが…
 私の身近には何人も…
 乳がんの方がいらっしゃいました。
      ■         ■
 ベテランの女医さんでも、
 経験を積んだ看護師長さんでも、
 自分ががんとわかった時のショックは…
 隠しきれないものです。
 特に看護師長などの重責に就いていると…
 長期の休みを取るのも大変です。
 先生…
 実は…
 手術を受けることに…
      ■         ■
 突然のことでこちらも驚きです。
 えぇ…?
 執刀は外科の○○先生…?
 それなら大丈夫ですょ。
 私がお休みの間は…
 副師長の○○さんが…
 先生にもご迷惑をおかけすると思いますが…
 仕事のことは心配しないで…
 治療に専念してください。
      ■         ■
 20年も病院に勤務していると、
 こんなことが何回かありました。
 幸い…
 手術を受けた方は皆さんお元気で、
 今も看護職として働いていらっしゃいます。
 無事に定年を迎えられて…
 年賀状で…
 元気を知らせてくださる方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 もし万一…
 がんになったら…
 いい先生を見つけて…
 治療に専念することです。
 手術をどこで受けるべきか…
 美容外科の選択以上に悩むところです。
 乳がんの程度(病期や進行度)にもよりますが、
 私は浅石先生のような…
 乳腺外科の専門医に相談するのがよいと思います。
      ■         ■
 乳腺クリニックには、
 先生や看護師さんの他に…
 頼りになる…
 同病の患者さんがいらっしゃいます。
 「大丈夫ょ!」
 「私も手術を受けたのょ…」
 という言葉が元気をくれます。
 浅石先生の札幌ことに乳腺クリニックでは、
 朝夕に患者さんが仲良く体操をして、
 コミュニケーションをとっていらっしゃいます。

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昔の記憶

おっぱいチーム

 私が札幌医大の学生だった30年前…
 札幌医大第一外科に…
 おっぱいチームがありました。
 札幌医大第一外科は、
 臓器別にいくつかのチームに分かれていました。
 おっぱいチームのトップが、
 30台で講師に昇進された、
 浅石和昭先生でした。
      ■         ■
 浅石先生は、
 髪を短くして、
 ケーシーと呼ばれていた、
 半袖の白い白衣が似合う外科医でした。
 歯切れの良い講義は学生の人気でした。
 浅石先生に憧れて…
 浅石先生の人柄に惹かれて…
 乳腺外科医になった先輩がたくさんいました。
      ■         ■
 当時は、
 今のように診断機器が発達していませんでした。
 浅石先生の、
 慣れた外科医の手が、
 乳がんを一番よく見つけられる。
 という言葉が印象に残っています。
 乳腺と甲状腺を扱うのが、
 乳腺・甲状腺チームで、
 おっぱいチームと呼ばれていました。
      ■         ■
 浅石先生のチームに、
 兄弟3人で入られたのが、
 岡崎3兄弟と呼ばれる、
 岡崎稔先生[21期](札幌乳腺外科クリニック)、
 岡崎裕先生[24期](新札幌乳腺クリニック)、
 岡崎亮(あきら)先生[28期](札幌乳腺外科クリニック)、
 です。
 末弟の亮(あきら)先生には、
 私が札幌医大在職中にお世話になりました。
      ■         ■
 浅石先生が率(ひき)いた
 おっぱいチームは、
 札幌市内で
 札幌ことに乳腺クリニック(浅石和昭先生)
 札幌乳腺外科クリニック(岡崎稔先生)
 新札幌乳腺クリニック(岡崎裕先生)、
 として…
 札幌市内はもとより、
 北海道の乳がん治療に大きく貢献しています。
      ■         ■
 浅石先生は、
 2009年11月5日と6日に、
 京王プラザホテル札幌で、
 第19回日本乳癌検診学会を開催されました。
 約1,500人の参加者があり大成功で終了しました。
 浅石会長のお言葉です。
 日本女性の乳癌は1995年より年齢調整罹患率では女性の癌の第1位となっており、現在罹患数は年間5万人以上と推測されます。また死亡数も2006年には11,177人と漸増し、欧米では乳癌死亡数が減少しているのに、日本では受診率が低く、未だ死亡率が低下に至っておりません。
 本学会は検診によって早期の乳癌を発見し、乳癌による死亡の減少に寄与することを目的とした学会であり、本学会の役割は今後益々重要と成って参ります。(学会HPより引用)

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医学講座

ガン検診のすすめ

 昨日の日記で、
 劔物(けんもつ)先生の奥様、
 HIROKO様が
 嫌がらずに積極的にガン検診を受ける事です。
 と教えてくださいました。
 けんしんが大切なことは、
 誰でもわかっています。
 でも…
 けんしんって保険が効かないし…
 高いんじゃないかしら?…
 という不安もありますね。
      ■         ■
 けんしんを入力して、
 変換すると…
 健診
 検診が出てきます。
 健康保険では、
 健康診断をすることはできません。
 ここでいう健康診断とは、
 年に一度、
 職場で義務づけられた健康診断などを意味します。
 がんになった人が、
 定期的に病院でチェックしてもらう…
 検診には保険が適用されます。
      ■         ■
 微妙なのが…
 乳がんが心配なので…
 はじめてガン検診を受ける場合です。
 私は健康でどこにも異常はありません。
 でも、乳がんが心配なので…
 マンモグラフィーをしてください。
 と乳腺クリニックを受診すると…
 健康診断の扱いとなり、
 保険適応にならない可能性があります。
      ■         ■
 お利口なかかり方は次のようになります。
 以前から、乳房のしこりが気になっていました。
 最近、少し大きさが変化したように感じます。
 知人が乳がんで亡くなりました。
 心配なので来院しました。
 これなら、
 乳腺専門医の診察も、
 マンモグラフィーも、
 細胞診(さいぼうしん)という組織検査も、
 すべて健康保険が適用できます。
      ■         ■
 患者さんが受診した動機は、
 健康診断ではなく、
 乳房のしこりが主訴になります。
 ちょっとした違いですが、
 これだけで保険医療機関としては、
 大違いなのです。
 受診するのは、
 乳がんの手術をたくさんしている、
 乳腺専門クリニックがベストです。
      ■         ■
 ホテルのように立派な…
 検診専門のクリニックもあります。
 でも…
 実際に乳がんを手術して、
 乳がんのことを知り尽くしている、
 乳腺外科医が一番です。
 札幌乳腺外科クリニック
 札幌ことに乳腺クリニック
 TEL : 011-622-2221
 住所 : 〒063-0812 北海道札幌市西区琴似2条2丁目5-15
 をおすすめいたします。

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院長の休日

ガン治療推進チャリティーコンサート

 平成21年12月1日の北海道新聞朝刊に、
 次の記事が掲載されていました。
 妻の遺志継ぎがん治療応援
 札響、あす慈善公演
 「がんに苦しむ人に手を差し伸べるのが私の最後の使命」という亡き妻の遺志を実現しようと、がん治療推進チャリティーコンサーートが2日、札幌コンサートホール・キタラ (札幌市中央区)で開かれる。麻酔科医として、治療に当たった夫が企画し、札幌交響楽団(札響)が演奏する。売り上げは妻の遺言に従い、全額をがん治療の研究費として北大医学部に寄付する。
 元北大医学部教授で、北海道社会保険病院顧問の劔物(けんもつ)修さん(69)=札幌市中央区=。妻の弘子さんは2007年暮れに卵巣がんと診断され、2009年8月19日に70歳の生涯を閉じた。
 2人は修さんが東京から小樽に疎開した幼いころに知り合った。終戦の年だった。その後、医師と服飾デザイナーと歩む道は違ったが、「出会って63年、結婚して45年。こんなに長い間付き合えたのは、僕たちの誇り」と修さん。
 最愛の人の病気が分かると、修さんは自ら主治医のー人となり、一緒にがんと戦った。二人三脚の治療によって、あと半年と言われた余命は、1年8ヵ月まで延びた。
 弘子さんは最後に「わがまま」を言った。「葬儀はしないで。その代わりにがん治療の重要性をみんなに伝えてほしい」。修さんが「それならキタラでお別れ会をやろう」と言うと、弘子さんは「すてき」とうなずいた。
 修さんは古くから札響を支援する会員で、協力を求めたところ、札響側も快諾。2人と親交のある札響正指揮者の高関健さんが指揮し、弘子さんが大好きだったというビバルティ「四季」の「冬」やサンサーンス「白鳥」などを演奏する。ロビーには献花台や、がん治療に関するパンフなどを置いたブースを設ける。
 修さんは話す。「コンサートが、がんの知識を深めるきっかけになれば弘子も喜ぶ。僕も医師として引き続き、がん治療に当たる」
 開演は2日午後6時半。チケットは3千円で、キタラ011-520-2000で扱っている。
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 昨夜、キタラのコンサートへ行って来ました。
 素晴らしいコンサートであり、
 お別れ会でした。
 劔物修(けんもつおさむ)先生は、
 私の札幌医大の先輩です。
 札幌医大の卒業生としてはじめて、
 北大医学部の臨床系教授に就任されました。
 私が北大病院でチーフレジデントをしていた、
 昭和60年11月でした。
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 劔物先生は札幌医大麻酔科から、
 東邦大学医学部麻酔科教授に就任されていました。
 北大医学部麻酔科の教授選で選ばれ、
 東京から札幌へ戻って来られました。
 当時の北大は麻酔科医不足で、
 手術申し込みをしても、
 麻酔科医が足りないので、
 手術ができないこともありました。
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 麻酔科医局長だった佐々木先生が、
 申し訳ございませんが…
 この手術は無理…と言いかけたところ…
 新任の劔物教授が、
 その麻酔は私がかけますから
 引き受けてください
 と言われたのを…
 今でもはっきり覚えています。
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 劔物先生は、
 高橋長雄先生の弟子です。
 平成21年6月7日の葬儀では、
 弔辞を読まれました。
 奥様の死期が迫っていた中で、
 恩師の弔辞を読まれた先生は、
 どんなお気持ちだったのだろうか…?
 と考えながらコンサートをお聴きしました。
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 昨夜の追悼コンサートは、
 私が今までに参列した、
 どのお葬式やお別れ会より、
 素晴らしい会でした。
 ロビーには献花台が置かれ、
 先生と奥様の楽しそうな写真が、
 たくさん飾られていました。
 今年の春には、
 弘前の桜を見に行かれたようでした。
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 70歳という年齢は、
 まだまだ若すぎる歳です。
 どんな名医の奥様でも…
 あっという間に他界されてしまいました。
 奥様からのメッセージが、
 プログラムに同封されていました。
 みなさん、がん検診を受けてください
 心からHIROKO様のご冥福をお祈りいたします。
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 本日はコンサートにおいで下さり有り難うございます。
 さて、日本人の2~3人に1人はガンと言われています。
 ある日突然「貴方はガンです。」ショックは大きいですよ。
 ガンの治療には早期診断と早期治療が最も大切です。
 嫌がらずに積極的にガン検診を受ける事です。
 怖がらずにガンと正面から向かい合うのです。
 ガンの診断と治療の向上は日進月歩です。
 子宮頸癌にはワクチンが使用出来る様に成りました。
 胃ガンの多くはピロリ菌が関係しています。除菌する事です。
 卵巣ガンは発見しにくいガンの代表です。
 女性は40歳を過ぎたら、腹部のエコー検査と血液検査を
 定期的に受ける事が大切です。
 ガンの免疫治療(遺伝子治療)も始まりました。
 近未来に人類はガンを必ず克服します。
 皆さん、もっとガンについての正しい知識を知る事が大切ですよ。
 HIROKO

「2人で一つ。いつもそぱにいる存在だった」
と遺影を持ちながら弘子さんとの思い出を話す修さん

(北海道新聞より引用)

(プログラムより引用)
HIROKO様が描かれた絵です

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