院長の休日
元に戻してください―美容外科医の苦悩―
美容外科医にも苦労はあります。
楽で儲かりそうだから…
とお考えの先生には、
絶対におすすめできません。
元に戻してください
は2008年8月13日の日記に書いてあります。
私は危ない患者さんには何度も説明しています。
手術をお断りすることもあります。
それでも…
元に戻してください…
という方が…
年に一人か二人はいらっしゃいます。
■ ■
ある程度経験を積んだ美容外科医でしたら、
元に戻してくださいは
必ず経験したことがある筈です。
そんな患者を手術するから悪いと言われる、
美容外科医や形成外科医がいると思います。
自分は経験を積んだ医師だから、
そんな人は絶対に手術しない。
と豪語する医師もいると思います。
でも…
それは経験を積んでいない証拠です。
■ ■
美容外科の技術は、
ある程度経験を積んで、
修行に励むと…
それなりに上達することができます。
私自身、技術的な問題で悩むことはありません。
自分ができる手術しかしません。
例えば…
骨を切る手術はしていません。
技術的にはできても、
通院でするにはリスクが高いからです。
■ ■
ところが…
読めないのが…
人の心です。
この人は眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)だから、
瞼(まぶた)を切って…
眼瞼挙筋(がんけんきょきん)という
筋肉を調節すると…
黒目が出るようになって…
おでこのシワもできなくなって…
肩こりも治るだろう…
でも…
顔は変わりますょ
■ ■
何度もご説明して、
手術をして、
私が見ても…
職員が見ても…
きれいになったのに…
新しい顔に馴染めない人が、
必ずいらっしゃいます。
お買い物に行って、
十分に考えて買ったのに…
デパートへ返品に行く人がいます。
■ ■
手術は…
返品がきかない商品です。
手術をしてくださいと頼んだのは本人で、
自己責任だから、
そんなの相手にしなければいいじゃん。
という人もいらっしゃると思います。
でも、
2時間もかけて…
丁寧に作った自分の‘作品’を…
否定されるようで…
とてもがっかりします。
■ ■
手術直後は、
ちょっと派手に見えるものです。
腫れが少ないといっても…
切って縫うのです。
麻酔もしますから、
腫れも必ずあります。
安静にしていれば、
時間とともに必ず快くなるのです。
この期間を待てない人が困るのです。
救急医の苦悩に比べると…
小さなことですが、なかなか大変です。
医療問題
救急医の苦悩
救急医は、
肉体的にキツイだけではなく、
精神的な苦悩もあります。
私が知っている優秀な救急医が、
救急を辞めてしまったことがありました。
自分たちは、
一生懸命治療しているというが…
ベジ(植物状態の人)をつくって…
患者さんや家族を苦しめているだけでは…?
という苦悩です。
■ ■
救急を担当したことがある医師であれば、
一度は…
先生、どうして私を助けたの?
どうして…
そのまま死なせてくれなかったの?
と言われた経験がある筈です。
不慮の事故や病気で…
救命救急センターへ
搬送される方だけではありません。
自ら命を絶って…
死に切れなくて…
搬送される方もいらっしゃいます。
■ ■
不慮の事故や病気で…
心肺停止状態で搬送されてくる方にも、
救命しても…
重度の後遺障害が残る人がいます。
本人はもとより、
家族にも…
莫大な医療費と…
介護負担という…
経済的にも大変な状況が…
明らかに見えている人がいます。
■ ■
私を含めて…
もし万一倒れたら…
その日から収入は途絶えます。
私は、
事業を営んでいますので、
患者さんや従業員が困ることがないように、
所得補償保険に入っています。
この保険金が、
税務調査で指摘され、
数百万円の税金を、
払ったこともとありました。
それでも働いているより収入は減ります。
■ ■
救命救急センターでかかる医療費は、
私たちの想像をはるかに超えた額になります。
重症熱傷(じゅうしょうのやけど)では、
一ヵ月に1,000万円を超えることもあります。
他にも高額となる治療はたくさんあります。
救命救急センターには、
長い間、入院していることはできません。
一定期間が過ぎて落ち着いたら…
今より治療が低下することがわかっていても…
他の病院へ転院させなくてはなりません。
■ ■
美容外科医にも、
さまざまな苦労があります。
苦悩もあります。
でも…
救急医の苦悩に比べると…
次元が違うように思います。
美容外科医にとっては…
二重の幅が左右で違う…
とかでも悩みになります。
■ ■
北大形成外科の同門である、
札幌中央形成外科の武藤英生先生が、
ご自身のブログで
医者は何のためにあるんだを書かれていました。
武藤英生先生は、
故武藤靖雄先生のご子息で、
札幌中央形成外科の理事長です。
とても真面目で優しい先生です。
私は、武藤先生のブログを楽しみに読んでいます。
今回のブログは、とても興味深い内容なので、
医学を志す人に、
是非読んでいただきたいと思いました。
医学講座
食べても太らない薬
平成21年9月12日(土)朝日新聞、天声人語です。
一線記者の頃、その日の仕事が終わると打ち合わせと称して繰り出した。飲むうちに日付が変わり、帰ればいいのにラーメンで締めるという日課である。その前にギョーザとビールがついた。
▼いま健診で怒られるたび、あれで10年は命が縮んだと悔やむが、ほろ酔いラーメンは体を張るに値する味だった。スープの背脂がぎっとり絡んだ太麺(めん)が、仕事漬けの身に一時の安息をくれた。目方と一緒に。
▼米ノースウエスタン大のチームが、夜食べると太ることをマウスの実験で確かめたそうだ。明るい時だけ食べられるグループと、暗い時だけのグループに分け、高脂肪の餌をやり続けた。6週間後の体重増加は「昼食組」の平均20%に対し、「夜食組」は48%に達した。
▼実験中の摂取カロリーと運動量に差はなく、寝るべき時間帯に食べたのがより肥えた理由とみられる。深夜には食べるなというメタボ予防の戒め通り、生活リズムを無視した暴食は体内時計が許さないらしい。
▼捨てる神あれば拾う神あり。京都大の上杉志成(もとなり)教授らのチームが、細胞内で脂肪ができるのを抑える化合物を見つけた。過食するマウスに4週間与えたところ、与えなかった一群に比べ体重は12%、血糖値は70%低くなった。脂肪肝も防げたという。
▼研究を重ねれば、いくら食べても太らない薬ができるかもしれない。朝から焼き肉、深夜にカツ丼。ついでに、飲むほどに肝臓が元気になるお酒が発明されたら人生は楽しかろう。ただし、使っても減らない財布があったらの話。見果てぬ夢のあれこれである。(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
こんな理想の薬ができたら、
売れるでしょうか?
よく夜勤をはじめた看護師さんが…
体重のコントロールができなくなってしまい、
急激に10㎏も太ったという悩みを聞きます。
夜、食べるのはよくないとわかっていても、
ついつい誘惑に負けてしまいます。
■ ■
女の子が好きな、
美味しい
お菓子
チョコ
ケーキ
アイス
ジュース
は美容の大敵です。
■ ■
身体に良いのは、
規則正しい3度の食事。
ご飯に納豆。
とわかっていても、
なかなか続けられません。
目の前に…
美味しいケーキがあるのに、
食べないのは…
自分だけ食べないのは…
勇気がいることです。
■ ■
私自身の食生活は、
褒められたものではありません。
まず超早食いです。
せっかく、作ったのに…
もう少し味わって食べてょ!
と何度言われたことでしょうか?
昼食も約5分以内です。
それも遅い時は、
夕方です。
■ ■
私が体重をなんとか維持しているのは、
食べる量を調節しているからだと思います。
たくさん食べた翌朝は…
ご飯を減らしてもらいます。
間食もしません。
飲むのは…
水とコーヒーだけです。
カロリーを計算しているのではありませんが、
食べ過ぎると…
胃が受け付けなくなります。
■ ■
結婚した直後に…
一時期、幸せ太り♡したことはありますが、
30年間…
身長171㎝
体重58~60㎏を維持しています。
最近は60㎏を切ったほうが…
何となく調子が良いようです。
食べても太らない薬よりも、
食べない努力をするのが、
健康的な生活だと思います。
院長の休日
琴似(ことに)の鮓佐(すしさ)さん
私の誕生日には、
たくさんのお祝いをいただき、
ありがとうございました。
おかげ様で、
元気な55歳になれました。
高須先生からも、
ambloへコメントをいただきました。
何かやりなさい
という先生のご指示にしたがって、
何かやろうと思います。
■ ■
今日は息子の誕生日です。
釧路や函館では小さかった息子も、
24歳になりました。
9月11日が誕生日。
米国のナイン・イレブンです。
あの事件が起きた2001年に、
ぼくの誕生日は、忘れられない日になった。
と言っていたのが、
高校生でした。
時が経つのは早いものです。
■ ■
昨夜は、
私の誕生祝いと、
息子の誕生祝いを兼ねて、
琴似(ことに)の鮓佐さんへ行きました。
私の数少ない贅沢の一つです。
鮓佐さんの、
鮓(すし)は
お鮨の鮨ではなく、
魚へんに作るの…
鮓です。
佐々木さんの佐をつけて、
鮓佐です。
■ ■
ご主人の佐々木隆さんとは30年のお付き合いです。
昭和28年生まれの56歳。
私より一つ年上です。
佐々木さんとはじめて出会ったのは、
琴似にあった‘琴ずし’というおすし屋さんでした。
麻酔科研修をしていた時に、
先生、琴似に美味しいおすし屋さんがある
と教えていただいたのが、
琴ずしでした。
琴ずしのご主人は山口さんという職人さんでした。
今は‘すし処さっぽろ’という、
高級なお店を経営なさっていらっしゃいます。
■ ■
佐々木さんは、
脱サラして琴ずしに就職されました。
琴ずしのご主人だった山口さんも、
脱サラ→転職→すし職人という、
転職成功組のお一人です。
佐々木さんが独立されてからは、
私は鮓佐の、
常連になりました。
私は鮓佐のおすしを食べさせていただくと、
また明日から元気で働こう
という意欲が出ます。
■ ■
新鮮で美味しいのに、価格は手ごろです。
佐々木さんがお一人で握って
お茶まで出してくださいます。
中トロ
ウニ
イクラ
カニ
美味しい食材ばかりです。
カウンターで食べても安心価格です。
知る人ぞ知る、こだわりのおすし屋さんです。
■ ■
鮓佐(すしさ)
札幌市西区24軒4条5丁目9-1
地下鉄琴似駅5番出口から徒歩2分
地下鉄東西線の通りの上
交差点の角のお店です
電話:011-622-6797
営業時間:12:00~22:00
定休日:第2第4水曜日
価格:一人前1,300円~
ウニが入った特上は2,100円
カウンター7席+小上り
お電話で予約なさって行かれるのがベストです。
医療問題
救急医療の大変さ
私は救急の専門医ではありません。
救急医療に、
それほど詳しい訳でもありません。
救急医と、
一時期、いっしょに働いた経験だけです。
私の偏見が混じっているかも知れませんが、
救急医療がいかに大変かを記載します。
■ ■
私たちのような開業医や、
病院の外科医は、
定期手術(ていきしゅじゅつ)といって、
予(あらかじ)め手術の予定を立てて、
その計画通りに手術をします。
あなたの手術は、
来週月曜日の朝9:00からです。
というように予定を立てます。
■ ■
その間に、
十分な検査や、
術前検討会などで、
手術についての‘下調べ’もできます。
自分一人で難しい手術でしたら、
大学などに応援を頼むこともできます。
手術を受ける患者さんにも、
手術を執刀する外科医にも、
十分に準備する時間があります。
■ ■
外来で診察をしてから、
患者さんとの信頼関係を築き、
それから手術に臨みます。
救急医療は、
ある日突然に…
瀕死(ひんし)の重傷となった方が…
救急車で搬送されて来ます。
瞬時に判断して、
緊急手術となることもあります。
■ ■
検査も十分にできないまま、
救急ホールで手術をはじめることもあります。
ある救命救急センターに、
外傷患者さんが搬送されて来ました。
救命するために…
処置をして、
血だらけになりました。
そこらじゅうに血がついた後で、
検査室から緊急電話がありました、
HIV陽性です
■ ■
幸い、医療従事者への、
HIV感染はありませんでした。
血液を介して感染する、
HIV、
肝炎など、
現場の医療従事者には、
常に感染の危険があります。
待ったなしの救急医療には、
こうしたリスクもあります。
■ ■
現在の法律では、
無保険者だからと…
診療を拒否することはできません。
明らかに治療費が払えず、
公費(お役所からのお金)で、
治療費を払っていただけない方でも、
病院は診療をしなければなりません。
公立病院だけではなく、
民間病院でも同じです。
■ ■
医療の特殊性もあります。
お金がなくて…
一週間も…
何も食べていない人がいたとします。
市役所に食事を求めて来ても、
国会議事堂に来ても、
ただで食事は出してもらえません。
手続きをして、
申請してからでないと、
何もいただけません。
■ ■
病院は…
公立でも民間でも、
救急車で搬送された人を、
お金が無いという理由で断ることはできません。
重症で、
何度も手術をして、
治療費が数百万円になっても…
保険がない人にも
お金がない人にも
平等に医療を提供しなくてはなりません。
■ ■
以外と知られていない事実ですが、
大きな病院には、
医業未集金という、
患者さんから、
いだだけなかった治療費が
かなりあるのが現実です。
私が知っている限り、
国はその補償をしてくれません。
医学的にも、
経済的にも、
高度の救急医療の提供には、
たくさんの問題点があります。
医療問題
救急の日
今日は救急の日です。
私は形成外科医として、
長い間、救急医療のお手伝いをしました。
形成外科で関係するのは、
顔のケガ。
熱傷(やけど)などです。
救命救急センターでないと助からない、
重症の患者さんの治療も経験しました。
■ ■
TVで見る…
救急病棟の先生は、
かっこ良くて…
さっそうと働いていらっしゃいます。
実際の救急医療の現場は、
大変なものです。
55歳のおじさん先生には、
とても救急当直はできません。
■ ■
救命救急センターへ搬送される方には、
今朝まで元気だったのに、
突然倒れて…
意識を失って…
呼んでも返事をしてくれなくなった…
冷たくなって…
もう帰らぬ人になってしまった。
という例もたくさんあります。
市立札幌病院に勤務していた20年前に、
救急部でたくさんの患者さんをみました。
■ ■
私は救急で仕事をしてから、
人生観が変わりました。
ドナーカードを持ったのも、
救急部へ行ってからです。
死んで灰になるよりは、
死んでからも…
他の人の役に立ちたいと思いました。
苦しんで死ぬのは嫌ですが、
脳死になったら…
組織すべてを差し上げます。
■ ■
救急車に‘患者として’
乗ったことはありません。
同乗者としては、
何度か乗りました。
私の母親が…
一度お世話になったことがあります。
救急隊員の方は、
とても親切丁寧でした。
言葉遣いも丁寧で、
公務員の見本のような方でした。
■ ■
救急の仕事は大変です。
救急医も大変です。
民主党政権になって、
日本は変わるようです。
国民が安心して暮らせる世の中にして欲しいです。
救命救急というのは、
私たちの生活に必要なものです。
日本全国どこにいても、
最高の救急医療が受けられるような、
医療システムを作っていただきたいです。
院長の休日
55歳になりました
今日で55歳になりました。
幸いなことに…
開業医という、
定年のない仕事に就いています。
この10年でとしをとりました。
外見的にも、
機能的にも、
お直しが必要な年齢となりました。
■ ■
家内からも…
職員からも…
先生もそろそろ…
と言われています。
一番、感じているのは…
自分自身です。
手術用顕微鏡やルーペのおかげで、
見ることに不自由はしていません。
手術は下を見る作業なので、
瞼が下がってきてもできます。
■ ■
私の視力は高校生の頃…
両眼とも2.0でした。
大学生の時、
組織学実習で顕微鏡を見た頃から…
近視になりました。
運転免許証は、
今も裸眼のままでOKです。
視力がいい人は…
早く老眼になる…?
と聞いたことがあります。
■ ■
幸い私は、
老眼鏡なしで…
新聞も書類も読めます。
私の父が…
老眼鏡なしで…
83歳の今でも…
新聞を読めます。
親からもらったよい目に感謝しています。
■ ■
手も震えません。
優秀な外科医の中にも、
若い時から…
手が震える先生がいらっしゃいます。
幸いなことに、
私は手が震えて困ったことは、
一度もありません。
手が震えたのは…
一番最初に住宅ローンを借りて…
書類に印鑑を捺印した時だけです。
■ ■
一番の問題はやる気です。
こればかりは…
年齢とともに衰えます。
この院長日記を通じて…
たくさんの方から応援していただいています。
毎日、元気を…
いただいています。
ほんとうにありがとうございます。
自分の子どもと同年代の…
若い職員からも、
元気をもらっています。
偏屈ながんこ親父に…
これからも、ご支援をお願いいたします。
昔の記憶
この10年…
明日は私の55歳の誕生日です。
昔でしたら…
定年退職の日です。
今でも…
公務員には、
勧奨退職という制度があり、
55歳で退職すると…
退職金が15%割増しされるそうです。
民間企業に勤務する友人にも、
役職定年というのがあるそうです。
■ ■
10年前は、
1999年(平成11年)でした。
私は…
札幌医大形成外科講師として勤務していました。
『英文論文を2編書いたら助教授』
という…
上司の言葉を信じて…
英語と悪戦苦闘して…
IBMのノートPCで…
毎晩、論文を書いていました。
■ ■
函館の病院へ当直のアルバイトに行っては、
当直室でノートPCに向かっていました。
函館の看護師さんにも、
病棟の師長さんにも、
薬局の先生にも、
臨床検査室の技師さんにも、
売店のおばちゃんにも、
お掃除をしてくださる女性の方にも、
給食を運んでくださる方にも、
事務の方にも、
同僚の先生にも、
経営者の理事長ご夫妻にも、
大変お世話になりました。
■ ■
私は函館の病院が好きでした。
療養型の老人病院でしたが、
若いスタッフが、
毎日、お年寄りのお世話をしていました。
残念なことに…
当直の夜も論文を書いて…
英文論文は2編以上書きましたが…
助教授にはしてもらえませんでした。
4年間講師のままで、
大学を追い出されました。
私の前任者である、
旭川赤十字病院の阿部清秀先生も、
私以上にひどいやり方で、
大学を追われました。
■ ■
私は、大学を追われた時に、
計画を立てました。
札幌医大に形成外科をつくろう。
私は大学を追い出されましたが、
形成外科に興味を持ってくれた学生はいました。
学問として、
臨床科目として、
独立した形成外科をつくろうと思いました。
私のような思いは、
もう他の人にはさせたくないと思いました。
■ ■
形成外科を自分の支配下に置き、
私を騙(だま)した教授を、
医学部長の席から引きずり下ろそうと考えました。
やり方は簡単でした。
悪いことをたくさんしていたので、
ちょっと内部告発をしただけです。
その医学部長は野心家で、
次は学長を狙うと噂されていました。
学長にだけは…
絶対にさせない!
私の執念で阻止しようと考えました。
■ ■
大学の教員なんて…
弱いものです。
一番弱いのは、
マスコミです。
新聞によく出ている…
研究費の不正など…
そこら中でしていました。
私が内部告発した‘事件’は、
朝日新聞とNHKにより、
私が退職した翌年の1月に、
大々的に報道されました。
■ ■
予想外だったのは…
全国の他大学への波及でした。
どこも同じようなことをしていたようです。
朝日新聞社とNHKのおかげで、
新聞、TVは…
連日、札幌医大の不正を報道してくれました。
私を得意気に追い出した医学部長は、
処分を受けました。
札幌医大はようやく、
形成外科の教授を公募して、
現在の形成外科教授が就任しました。
■ ■
私の手法は、
少し手荒かったのですが、
こうでもしないと、
札幌医大には、
形成外科はできませんでした。
私の人生の中で、
この10年間の…
一番大きな出来事は、
この内部告発でした。
■ ■
私は今、小さなクリニックの院長です。
治療方針も自分で決められるし、
好きな手術を毎日しています。
自分が窮地に陥(おちい)った時に、
助けていただいた恩は忘れません。
これからの10年は、
少しでも自分の力で、
困っている方の、
力になるような仕事をしたいと思っています。
健康に注意して、
元気で働きたいと思っています。
昔の記憶
失業の経験
医者は失業しない。
大学教授には、失職の心配がない。
ふつうの人は、
こう思います。
ふつうの人であった私も、
自分が失業するまでは、
職を失うと思ったことは…
一度もありませんでした。
大学の医局に在籍していれば…
待遇に文句を言わなければ…
職を失うことはありませんでした。
■ ■
病院はつぶれない
銀行はつぶれない
と思われていた時代もありました。
今は…
病院も銀行も…
つぶれる時代になりました。
真面目で…
優秀な…
大学教授でも、
失職の危機にさらされることがあります。
■ ■
私は自分が職を失った時に、
もがき苦しみました。
職を失って、
『明日からどうしよう…』
と思ったのも事実です。
それ以上に、
裏切られたという思いと…
気付かなかった自分は…
何て愚(おろ)かだったのか?
と自分が嫌になりました。
忠告してくださった先輩もいたのに…
もっと注意すべきだった…
■ ■
幸いなことに、
私はたくさんの人に支援していただき、
再起することができました。
高須克弥先生からいただいたコメントです。
そうだよ
逆境の時ほど本当の友人が発見できるんだ。
落ち目の時は友人を見極めるチャンス。
よかったと思いなさいね。
ほんとうに…
ありがたいお言葉です。
■ ■
私が職を失ってから、
7年になりました。
その間に、
中央クリニック札幌院院長→
札幌美容形成外科の開業→
医療法人の設立と
あっと言う間の7年でした。
48歳→55歳になりました。
苦しい時代でしたが、
失業の経験は、
自分にとってよかったと思います。
■ ■
人生には、
さまざまな失敗があります。
信じてはいけない人に騙(だま)されたのは…
自分に…
見分ける眼力がなかったからです。
医師とか弁護士は、
困っている人を助ける職業です。
自分に困った経験がなければ、
親身になって、
相手の立場にたって、
助けてあげることはできません。
■ ■
自分が職を失って、
唯一、気になっているのが…
私を頼ってくださっていた、
患者さんのことです。
術後の経過が良い方ばかりではありませんでした。
何度も手術をやり直した方のことが、
今でも気がかりです。
申し訳ないことをしました。
ごめんなさい…
と謝りたいです。
■ ■
今は、
小さなクリニックの院長です。
私を信頼してくださる、
患者さんや従業員を、
裏切らないように…
毎日、精一杯がんばっています。
雇用を守って、
従業員を失業させないように、
がんばっています。
医学講座
失業と‘うつ病’と眼瞼下垂症
世の中は不景気です。
昨年秋からの、
100年に一度の大不況。
失業率は上がったままです。
不景気によるリストラ。
解雇。
とても他人事とは思えません。
私も48歳で職を失いました。
■ ■
幸いなことに、
私はたくさんの方に助けていただき、
何とか再起することができました。
家内にも助けてもらいました。
毎日、文句ばかり言っていますが…
あの時のことは感謝しています。
私も、
職を失った時に、
うつ病になりかけていたと…
思います。
■ ■
私がうつ病にならなくて済んだのは、
私を拾ってくださった、
中央クリニックの社長さんと、
あたたかく迎えてくれた
中央クリック新宿院のスタッフの皆さん、
私を指導してくださった、
日高士郎先生のおかげです。
今でも感謝の心を忘れたことはありません。
■ ■
札幌美容形成外科へも、
不況でリストラに遭い、
うつ病になった方がいらっしゃいます。
うつ病の治療は、
もちろん精神神経科の先生です。
ある程度、
うつ病が快くなり…
外出もできるようになった方が…
眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)で
受診されました。
■ ■
‘うつ状態’に不安がある方は…
メンタルクリニックの先生にご相談してから、
手術を行っています。
明らかに回復なさっていらっしゃる方は、
相談せずに手術をすることもあります。
今までに何人か…
うつ病の方の
目の手術をしました。
■ ■
黒目の半分が隠れていて、
視界が狭く、
ものが見ずらかったのが…
ぱっちりとした目になりました。
皆さん、
視界が明るくなり
気分もすっきりした
と喜んでくださいました。
■ ■
特に女性は…
目が大きくなって、
憧れの二重にもなれて…
これでがんばって働けます
と元気になられます。
解雇によって職を失い、
病気になって…
生活保護を受けていらっしゃる方も、
医療保護で手術を受けられます。
私は人を元気にする手術が好きです。