医療問題

医学教育と運転教習

 優しくて、腕がよい、
 お医者さんを
 育てるのは大変です。
 どんな職業でも
 同じだと思いますが、
 人にものを教えたり…
 教えられたり…
 というのは難しいことです。
      ■         ■
 一般の方は、
 医学部を卒業して、
 医師国家試験に合格すると、
 即、医師免許がもらえて、
 簡単な診察、
 簡単な処置、
 簡単な手術、
 などはできる……?
 と思われるかもしれません。
      ■         ■
 残念なことに、
 そもそも‘簡単な’
 診察・処置・手術なんてのが存在しません。
 採血や注射など、
 看護師免許でも、
 認められていることもできないのが、
 医師免許取得直後の新人医師です。
 医学部6年間の教育で、
 採血の実習はないか、
 あっても1~2回です。
 注射は免許がないとできないので、
 医師も看護師も、
 免許取得後に‘練習’します。
      ■         ■
 自動車でいうと、
 医師免許取得は、
 仮免許で、
 ようやく運転ができるようになったところ。
 教官席に座って、
 教習生と運命をともにして、
 いつも非常ブレーキを踏めるように…
 踏ん張っているのが、
 指導医です。
      ■         ■
 医学の難しいところは、
 仮免許運転中のプレートをつけた、
 自動車学校の教習車両ではなく、
 営業中の
 立派なリムジン?
 と思わせるような、
 有名な大病院で、
 路上教習を教えなくてはならないことです。
      ■         ■
 高いお金を払って、
 立派なリムジンに乗っている、
 つもりのお客様。
 実際の運転が、
 ベテランの運転手(指導医)ではなく、
 新人の見習い運転手(研修医)
 だと知ったら…
 即、他のタクシーに乗り換えるか、
 怒って、料金の返金を求めます。
 それができないのが、
 臨床研修指定病院です。
      ■         ■
 名門の大病院ほど、
 臨床研修を希望する研修医が集まります。
 その病院で、
 リスクがある…
 手術や検査を受けるとします。
 ‘あなたの検査は、新人の研修医が行います’
 ‘当院では、十分な初期研修を行っています’
 ‘万一、不測の事態が起こっても、ベテランの指導医が対処します’
 ‘研修医がこの検査を担当するのは、3回目です’
 ‘2回の検査では、問題はありませんでした’
 ‘ただ、指導医が15分で終わる検査に、1時間を要しました’
 ‘以上の説明を受け、検査に同意します’

 なんて同意書に署名・捺印ができますか?
      ■         ■
 実際には、上記のような同意書なしに、
 眠らされて…
 ぼぉ~っとしているうちに、
 検査や手術が終了します。
 練習台になる患者さんも大変ですが、
 詐欺のような…
 指導医を続けるのも疲れます。
 厚生労働大臣や
 厚生労働省のお役人に
 練習台になるボランティアをしていただくと、
 実態がよくわかると思います。

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医療問題

医学部定員増

 平成20年9月7日、朝日新聞朝刊、
 声の欄への投稿記事です。
 医学部定員増
 余裕ない現場
 勤務医 安達智江 (千葉県柏市46)
 医師不足解消のため、
 厚生労働省の検討会が
 医学部定員の大幅増を提言したのに対し、
 国立大学医学部長会議が
 教員や経費増を求める
 批判的な内容の要望書を出したという
 (8月28日朝刊)。
      ■         ■
 当然である。
 医師を教育養成するのは
 研究・臨床の現場で働く現役医師だ。
 教員が増えなければ、
 大学での基礎系講義には、
 学生が詰め込まれ、
 教員の目が届かなくなる。
      ■         ■
 臨床系の実習は大学病院で受ける。
 だが、新医師臨床研修制度の導入で
 医局の新人医師が激減し、
 人手不足で市中の病院から
 医師を引き揚げているような
 大学病院の医師たちに、
 増加した医学生を
 教育する余裕などあるだろうか。
      ■         ■
 卒業後に教育を受ける研修病院の
 勤務医も減少している。
 新しい臨床研修制度自体、
 新人医師の教育に
 うまく機能しているかどうかの
 評価もされていないのに、
 定員増で
 この制度にさらに負荷をかけることになれば、
 現場の混乱が増幅するだけである。
      ■         ■
 いまの状態での定員の大幅増は
 現場の医師をさらに疲弊させ、
 十分な教育を受けていない
 若手医師を誕生させるだけだろう。
 現状では、
 定員増は微増にとどめるべきだ。
 医師の粗製乱造となれば、
 将来に禍根を残す。
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 私もこの投稿者の先生に、
 まったく同感です。
 医学教育の現場の‘先生’
 臨床研修指定病院の
 指導医の‘先生’は
 くたクタに疲れています。
 学生や新人医師の教育は、
 本当に疲れるものです。
 自分ひとりで処置や手術をすれば…
 30分で済むものを…
 新人医師に指導をしながらすると、
 倍以上の時間がかかります。
      ■         ■
 その上、新人医師に何かをさせて、
 失敗されると…
 指導医の責任が問われます。
 誰だって、
 新人医師の…
 練習台にはなりたくありません。
 でも、‘練習台’になっていただく…
 患者さんがいないと、
 新人医師は上達しないのです。
 臨床研修指定病院になって、
 指導医になったからといって、
 医師の待遇が良くなることはありません。
      ■         ■
 医療という危険を伴う仕事を、
 研修医に教えるのは疲れます。
 もし、研修医が手術で失敗しても、
 それを回復できて、
 何もなかったかのように
 手術を終える知識と技術がなければ、
 研修医に手術を教えることはできません。
 教官パイロットが、
 訓練生に飛行を教える時、
 もし機体が傾いても、
 それを元に戻す技量が必要なのと同じです。
      ■         ■
 飛行機はお客さんを乗せないで、
 空(から)で飛ばして訓練ができますが、
 手術とか検査は、
 お客さんがいないと‘訓練’ができません。
 厚生労働省が考える方針には、
 どう考えても賛成できません。
 質の悪い、
 速成栽培の、
 お医者さんを、 
 粗製乱造して、
 将来困るのは国民です。

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医療問題

不正行為の代償

 私たち医師は、
 医学部へ入学するために、
 中学校→高校→(予備校)
 と
 他人が遊んでいる間も、
 必死に勉強して合格できました。
 医学部へ入学してからも、
 解剖学・生化学・生理学と
 それはそれは…
 気が遠くなるような量の勉強をします。
 ほぼ丸暗記です。
      ■         ■
 医学部も上の学年になると…
 お医者さんらしい勉強が増えます。
 そこそこ楽しいうちに…
 あっという間に6年間が過ぎます。
 厳しい卒業試験があり、
 これまた難関の医師国家試験があります。
 ようやく卒業できた…!!!
 医師免許証をいただいた…!!!
 と喜んだのもつかの間…
 免許証を取得しただけでは、
 何もできません。
      ■         ■
 医師免許証を取得してから、
 臨床研修がはじまります。
 毎日苦労しながら、
 先輩から手取り足取り教えてもらって、
 看護師さんから、
 『何もできない!』
 『へたくそ!』
 と言われても、
 じっと耐えて、耐えて、
 少しずつ上達して、
 10年程度かかって、
 ようやく専門医となります。
      ■         ■
 専門医になる前には、
 専門医試験があります。
 学会発表や論文作成もしなくては、
 専門医になれません。
 これが、
 平均的な医師像です。
 10代、20代、30代と
 明らかに他人より勉強をしないと、
 医師にはなれません。
 私のように50代になっても、
 勉強を続けないと、
 最先端の医学は実践できません。
      ■         ■
 これだけ苦労して、
 せっかく開業して、
 ようやく自分のお城で…
 自分の好きな仕事ができるのに、
 不正をして医師免許証をダメにする…
 という感覚が私には理解できません。
 まして、60歳を超えたら、
 お金なんてどうでもいいから、
 元気で働けて、
 患者さんに喜んでいただけるだけで…
 十分すぎると…
 私は思います。
      ■         ■
 不正や脱税をすると…
 逮捕されて刑務所行きです。
 医師免許証も停止です。
 運転免許証だって、
 取り消されて再取得は大変です。
 医師免許証を取り消されて、
 もう一度取得するのは、
 まず、絶対に不可能です。
 ですから、私は不正はしません。

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院長の休日

私の疑問?

 昨日、耳鼻科の先生が不正をしたのが…
 どうも理解できないと書きました。
 医者になると…
 お金持ちになれる…
 というのは、
 遠い昔の話しです。
 労働や責任の重さから考えると
 決して割りの良い職業ではありません。
 医師優遇税制も死語です。
      ■         ■
 偏見があったらごめんなさい。
 お金持ちになりたいなら、
 投資家になるとか、
 投資家相手の職業とか、
 IT企業の社長さんとか、
 が…よいと思います。
 私たちのように、
 自分の手足を酷使して稼ぐ職業はダメです。
 手は2本、
 足も2本、
 しかないので、
 どう頑張っても限界があります。
      ■         ■
 高齢者が増えて、
 医療費が高騰すると、
 国が破産するので、
 医療費は毎年削減されます。
 これからも、
 夢のような話しはないと思います。
 医療機関の経営環境は、
 ますます悪くなります。
 一種の構造不況業種です。
      ■         ■
 私たちが、
 医師としての喜びを感じられるのは、
 他人から感謝された時です。
 ‘先生、ありがとうございました’
 と言っていただけるので、
 なんとか頑張っていられます。
 『オレは医者だから偉いんだ』
 なんて考えていたら…
 あっという間に倒産です。
      ■         ■
 私は大学病院をクビになって、
 失業しそうになって、
 一家四人が…
 明日からどうしよう…?
 と本当に困ったことがありました。
 今から6年前、
 平成14年(2002年)のことでした。
 その時に、
 中央クリニックの社長さんに
 拾っていただきました。
 ご恩は一生忘れないくらい感謝しています。
      ■         ■
 雇われ院長に採用していただいたので、
 一生懸命、働きました。
 まだ景気もよく、
 競争相手もあまりいなかったので、
 業績は上がりました。
 その結果、
 私は信じられないくらいの
 お給料をいただきました。
 その結果…
 私は信じられないくらいの
 税金を払うことになりました。
      ■         ■
 所得税は確定申告で
 3月に払います。
 その後に予定納税という、
 高額の税金がやってきます。
 つまり、
 一度、高額納税者になると、
 翌年も…
 高額の税金を払うことになります。
 納税の自転車操業です。
 まるで、税金を払うために…
 働かされているような感覚です。
 ごくふつうの勤務医をしていたので、
 これがイヤになりました。
      ■         ■
 よく医療法人○○○○と
 クリニックや病院を
 医療法人にするのは、
 個人経営から、
 法人にして、
 法人からお給料をいただくシステムです。
 医療法人には、
 さまざまな規制があります。
 儲かったからといって、
 簡単に経営者のお給料は増やせません。
 医療法人は、
 『医療を提供して社会に貢献する』
 という前提で認可されるからです。
      ■         ■
 私が疑問に思うのは、
 60歳も過ぎて…
 そんなにお金が必要でもない…
 ‘耳鼻科の先生’が、
 どうして自分の医師免許が危うくなるような、
 診断書を偽造しなくてはならなかったのか?
 という単純な疑問です。
 ‘先生’と同年代の、
 北大医学部35期の先生は、
 大多数が悠々自適、
 とても親切でお優しい先生ばかりです。

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医療問題

聴覚障害不正問題

 昨日、出勤途中に札幌駅前を歩いていると
 駅前の北海道銀行の前に、
 たくさんの報道陣が集まっていました。
 夜、帰る時にもまだカメラを構えていました。
 報道関係の方も
 朝早くから夜遅くまでご苦労様です。
      ■         ■
 このビルで開業している、
 耳鼻科の先生が、
 耳が聞こえる人に…
 『聞こえない』
 という診断書を書いて、
 不正に身体障害者手帳を取得させた
 という疑いで、
 昨日、家宅捜索を受けました。
 テレビのニュースには、
 北海道警察の捜査員が、
 ダンボール箱に入れた書類を、
 夜遅くに運び出すところが映っていました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科があるのが、
 札幌市中央区北3条西3丁目
 このビルがあるのが
 札幌市中央区北4条西3丁目
 です。
 こんなに近くなのに…
 私はこちらの先生とは面識もなく、
 不正の疑いがあるのが…
 ここの耳鼻科だとは、
 まったく知りませんでした。
      ■         ■
 耳鼻科医は73歳。
 北大医学部35期(昭和34年卒業)の先生です。
 私は、なぜ不正をしたのか…?
 不思議でたまりません。
 私が開業している札幌駅南口地区は、
 美容外科の激戦区です。
 札幌美容形成外科の他に、
 大手美容外科2軒。
 個人の形成外科が1軒あります。
      ■         ■
 物価が上がっているのに、
 美容外科の料金だけは下がっています。
 経営はなかなか大変です。
 それでも、
 私と従業員が食べてゆける収入はあります。
 札幌駅周辺にある、
 耳鼻科は
 問題となっている先生だけです。
 近くに競争相手はいません。
 どこの耳鼻科も混んでいます。
 どう考えても、
 不正なんかしなくても、
 十分に食べてゆけるはずです。
      ■         ■
 聴力検査というのは、
 ヘッドホンのような器械を両耳につけます。
 ピッピッピッピッ…
 という小さな音が聞こえてきます。
 音が聞こえてきたところで、
 手に持ったボタンを押して、
 聴力を測ります。
 2級の障害に相当する聴力ですと、
 両耳から騒音のような音がしても
 じっと耐えて…
 頭が割れそうになっても耐えて…
 じっとボタンを押すのを待ちます。
      ■         ■
 簡単な仕組みなので、
 誰かに一度、
 不正の仕方を教えてもらえば、
 やり方はすぐにわかります。
 聴力検査の時に、
 騒音をガマンさえすれば…
 2級になれるのです。
      ■         ■
 私が知っている耳鼻科の先生は、
 とても真面目で優しい人ばかりです。
 自分が小さい時から、
 アレルギー性鼻炎で悩んだので、
 耳鼻科医になって… 
 苦しんでいる人を治したいと、
 大学院で研究した先生もいました。
 今は開業されて繁盛しています。
 この事件の
 真相が解明される日を待っています。


ビルの前の報道陣


ビルの前の看板

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医療問題

釧路労災病院不正

 平成20年9月3日、北海道新聞朝刊の記事です。
 釧路労災病院
 室長が1600万円着服
 【釧路】釧路労災病院(釧路市、小柳知彦院長)の
 遠藤芳彦・地域医療連携室長(52)が、
 十年間にわたって診断書の作成費など
 約1600万円を着服していたことが9月2日、分かった。
 同病院は同日付で懲戒解雇処分にするとともに、
 釧路署に告発する方針を発表した。
      ■         ■
 同病院の調査では、
 室長は2001年から今年七月にかけて、
 特定疾患の医療受給者証の交付に
 必要な診断書の発行に際し、
 本来は患者が会計課に支払う
 一通3,150円の作成費を直接受け取り、
 病院に納めなかった。
 また、1998年から釧路管内釧路町が同院に支払った
 高額療養費の一部も着服していた。
      ■         ■
 今年5月、患者が室長への支払い方法を
 会計課に相談して発覚した。
 室長は旅行などに使ったと認め、全額弁済した。
 同病院は小柳院長ら
 関係者19人も減給などの処分とした。
 長期間、発覚しなかったことについて同病院は
 「診断書の発行と入金を照合するシステムがなかった」
 と陳謝した。
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 昨夜テレビを見ていたら、
 小柳先生が悲痛な表情で映っていました。
 先生は、元北大泌尿器科教授。
 北海道大学病院長も歴任された、
 優しくて優秀な泌尿器科医です。
 北大の定年後に、
 釧路労災病院院長に就任されました。
      ■         ■
 私は、釧路労災病院に勤務した、
 20年前に遠藤さんにお世話になりました。
 正直なところ、
 『えっ???…』
 『まさか?あの遠藤さんが…?』
 というのが私の実感です。
 医療相談室で、
 患者さんの困りごとに、
 親切に相談にのっていただいていました。
 『まさか?』
 『どうして?』
 という思いは今でも消えません。
      ■         ■
 私が勤務した当時の釧路労災病院は、
 初代院長の
 新田一雄(にったかずお)先生が築かれた
 全国一の黒字労災病院でした。
 ニッタビジョンというか…
 ニッタマインドというか…
 優秀な外科医であった、
 新田先生の手づくり病院という感じでした。
      ■         ■
 新田先生は、
 北大第一外科助教授から
 釧路労災病院長になられました。
 新田先生が着任した当時の、
 病院建設地は、
 釧路湿原のはずれにあり、
 雨が降ると、
 膝まで泥に埋まるような
 土地だったと聞いていました。
 そこに、職員が力を合わせて、
 立派な病院をつくりました。
      ■         ■
 私が勤務したのは、
 2年間程度ですが、
 たくさんの患者さんの手術をしました。
 札幌から離れていたので、
 簡単に北大に応援を頼めません。
 手術中に…
 『本当に困った!』
 ことが何度かありました。
 何度か困って…
 それを乗り越えて、
 腕を磨きました。
      ■         ■
 新田一雄(にったかずお)先生は、
 私が尊敬する院長のお一人です。
 残念なことに…
 新田先生はお亡くなりになりました。
 遠藤さんは、
 新田先生の時代に、
 釧路労災病院へ採用された方です。
 もし…
 新田先生がご存命だったら…
 『おい、遠藤!』
 『なんてことしたんだ、バカ野郎!』

 と怒られたことと思います。
 でも新田先生だったら…
 更生して出直す道をくださったと思います。
      ■         ■
 病院長というのも無力なものです。
 職員を信頼して仕事を任せなければ、
 病院は運営できません。
 私たち医師は、
 基本的に仲間や職員を信用しています。
 最初から疑っている院長などいません。
 最後に責任をとって謝罪するのが院長です。
 信頼関係が成り立たないところでは、
 医療はできません。
 そこが他の企業と違うところです。
 信頼を裏切った遠藤さんの責任は重いですが、
 是非更生して、
 また患者さんの役に立って欲しいと願っています。
 とても仕事ができる方でした。
 残念に思っています。

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医療問題

電子カルテ

 医療法という法律で、
 カルテは5年間の保存義務があります。
 大学病院などでは、
 何十年分ものカルテを保管しています。
 その保管場所や管理が大変です。
 北大形成外科に勤務していた時は、
 古い外来棟にカルテがありました。
 手術記録などを調べるために、
 カルテ探しを何度もしました。
      ■         ■
 カルテの保管場所は
 掃除をしていませんでした。
 古いカルテを探しに行くと、
 必ず、鼻の中が真っ黒になりました。
 もちろん、手も真っ黒。
 白衣は汚れてもいいような、
 古い白衣を着て行きました。
 当時の北大には、
 診療情報管理士の方は
 いらっしゃらなかったと思います。
      ■         ■
 これからは電子カルテの時代だと思います。
 航空券の予約・発券もネットでできる時代。
 チケットはなくなり、
 携帯電話やカードで、
 ‘ピッ…’とするだけで、
 搭乗ができるようになりました。
 医療機関は、
 残念ながら…
 一番IT化が遅れている業種の一つです。
      ■         ■
 私たちが電子カルテの導入で、
 一番困るのが、
 過去のカルテを参照することです。
 昨年の朝日新聞の投稿には、
 韓国の先進的な病院を訪問する機会があった。
 そこでは1958年の開院以来、
 過去の入院診療録約100万件を
 すべてデジタル化して保存しており、
 診療録管理室には約50人のスタッフが配属されていた。

 とありました。
      ■         ■
 これは実にすごいことです。
 電子カルテの導入費用以上に、
 過去の100万件の入力費用がかかります。
 札幌市内の総合病院で、
 電子カルテが導入されました。
 担当の先生が、
 過去のカルテはどうやって見るのですか?
 と聞いたところ…
 『過去カルテの電子化は、
 予算に入っていません』
 とあっさり言われたそうです。
      ■         ■
 私が勤務医をしていた時代に、
 各病院にコンピューターシステムが入りました。
 毎日、快適に動いていたのではありません。
 システム障害が発生すると、
 院内放送で、
 『ただいま、システム障害が発生しています』
 『復旧の見通しは立っていません』
 『各部署では、手書き対応に変更してください』
 という
 悪夢の放送が流れました。
      ■         ■
 外来は私と看護師さんが一人だけ。
 患者さんには…
 『ごめんなさい』
 『今日、お薬を出すと、何時になるかわかりません』
 『申し訳ありませんが、次にしてください』
 『わかりました、先生も大変ですね』
 なんてことがありました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科でも
 電子カルテの導入を検討しています。
 今の電子カルテはかなり進歩したようです。
 過去カルテ入力など、
 難問がありますが、
 なんとか早期に導入しようと考えています。
 システム障害になっても、
 お薬は出せるように準備します。

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昔の記憶

防災の日

 今日は防災の日です。
 私自身は災害の被害を
 受けたことはありません。
 ただ忘れられないのが、
 札幌医大の学生だった時に経験した
 有珠山の噴火でした。
      ■         ■
 札幌医大第二内科では、
 洞爺湖近くの壮瞥町(そうべつちょう)の
 集団検診を実施していました。
 壮瞥町(そうべつちょう)は、
 横綱北の湖の出身地です。
 小畑敏満(おばたとしみつ)さんが本名です。
 私たち学生は、
 第二内科が募集した
 集団検診の学生アルバイトとして
 検診のお手伝いをしていました。
      ■         ■
 壮瞥町役場近くの旅館に宿泊して、
 早朝から壮瞥町内の検診場所へ行き、
 採血や心電図の準備などをしていました。
 なかなか楽しいアルバイトで、
 そのバイトをきっかけにして
 第二内科に入局し、
 循環器内科医となった友人も
 たくさんいました。
 北の湖のご両親も
 検診にいらしたのを記憶しています。
      ■         ■
 噴火があった時、
 私は旅館の風呂に入っていました。
 同級生が、
 『本間、山が噴火したぞ!』
 『窓から見えるから見てみろ!』
 というので、
 風呂の窓を開けて見たのを覚えています。
 最初は青空に…
 きのこ雲ができて…
 ‘すっげぇ~!’
 てな、感じで眺めていました。
      ■         ■
 すごい!と感動したのは、
 最初のうちだけでした。
 きのこ雲はみるみるうちに…
 空全体に広がり…
 あっという間に青空がなくなり、
 夜のように真っ暗になりました。
 真っ暗になったのが先か?
 その後かは覚えていません。
 稲妻が走り、
 雷がゴロゴロごろごろと
 大きな音を出したかと思うと、
 あっという間に…
 泥の大雨が降ってきました。
      ■         ■
 『窓を閉めろ~!』
 誰かが叫んだように思います。
 旅館の屋根が抜けるか?
 と思うほどの泥の大雨でした。
 道路も通行止め。
 避難しようにも、外へ出られません。
 本当に怖い思いをしました。
 幸いなことに、
 ケガはありませんでした。
      ■         ■
 それからしばらくは、
 集団検診は中止となり、
 私たち学生も、
 道路にたまった火山灰の除去作業を
 お手伝いしました。
 一度しか経験したことがない、
 火山の噴火ですが、
 もう二度と体験したくはありません。
 自然の驚異は恐ろしいものです。 


札幌医大の学生だった時
後方に見えるのが有珠山
噴火はこの後で起こりました

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昔の記憶

高校進学

 私は大夕張の鹿島中学校を、
 昭和45年に卒業しました。
 当時の夕張市には、
 北炭、三菱という炭鉱会社があり、
 今よりずっと栄えていました。
 私が住んでいた大夕張にも、
 中学校が1校、高校が1校ありました。
 今は何もありません。
 ダムの底に沈むのを待っています。
      ■         ■
 中学校は一クラス40人程度で、
 A組からG組までの7クラスがありました。
 大部分の生徒は、
 地元の高校へ進学しましたが、
 北海道内の進学校である、
 函館ラサール高校(男子校)や
 札幌市内の公立高校、
 夕張市内でも大学進学率が高い、
 夕張北高へ進学する生徒もいました。
      ■         ■
 私の鹿島中学の先輩に
 Sさんという男子がいました。
 とても勉強ができました。
 Sさんは、鹿島中学校から、
 札幌南高に進学し、
 東大文Ⅰに現役合格しました。
 私たちの間では、
 ‘郷土の英雄’でした。
 Sさんは、
 その後、国家公務員上級試験を通り、
 官僚になられたと聞いています。
      ■         ■
 私たちの世代は、
 一生懸命勉強をして、
 ‘いい高校’から
 ‘いい大学’へ進学することが、
 ‘いい子ども’の条件だったように思います。
 親もそれを願って、
 経済的に苦しくても、
 子どもを札幌や函館の進学校へ出しました。
 それが親にとっての
 喜びだったようにも思います。
      ■         ■
 私が札幌西高校を卒業したのが
 昭和48年(1973年)3月でした。
 私は現役で札幌医大を落ちました。
 大夕張の鹿島中学校から
 函館ラサール高校へ行った友人も、
 北大を落ちました。
 同じく大夕張から札幌北高へ進学した友人も、
 北大を落ちました。
      ■         ■
 夕張から札幌と函館の進学校へ行った、
 私たち3人は
 全員第一志望の大学を落ちました。
 昭和45年に
 鹿島中学校を卒業した生徒のうち、
 ただ一人北大に現役合格したのが、
 大夕張で地元の夕張東高へ進学した
 I君でした。
 夕張北高に進学したT君も
 小樽商大に現役合格しました。
      ■         ■
 夕張から外の高校へ出た3人(私も含めて)が
 高校時代に勉強をサボったのではありません。
 おそらく夕張に残ったI君やT君が
 一生懸命、勉強したのだと思います。
 私は自分が卒業した、
 札幌西高が好きですし、
 札幌に出てきてよかったと思っています。
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 私たちの世代のエリートは、
 北大法学部や小樽商大という
 道内の難関大学を卒業して、
 北海道拓殖銀行に入行しました。
 ‘拓銀に入ったんだってねぇ~’
 ‘すごいねぇ~’
 ‘勉強できたからねぇ~’
 というコースでした。
 ところが、拓銀は経営破たん。
 人生なんてわからないものです。
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 私は、人間は目標へ向かって
 努力している間が、
 一番、夢があって充実していると思います。
 その時は気づかないけれど…。
 私も高校時代に、
 ボロ家で…
 勉強ができなくて…
 成績が上がらなくて…
 苦しんでいた時代があって
 よかったと思っています。
 自分が苦しんだ経験が、
 役に立っていると思います。


中学3年の修学旅行
層雲峡にて(中央が私)
下唇が出ていると言われ
気にして下唇を噛んでいます


鹿島中学校があった
夕張市鹿島常盤町
手前はつり橋です

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昔の記憶

私が住んだ家

 私が子供の頃は、
 父親が勤務していた病院の社宅に住んでいました。
 生まれてから、小学校2年生までは、
 札幌郡手稲町字金山。
 小学校3年生から中学校1年生までは、
 美唄市茶志内町日東(ビバイシチャシナイチョウニットウ)。
 中学校3年間は、
 夕張市鹿島(ユウバリシカシマ)、通称大夕張(オオユウバリ)。
 高校1年生から、札幌市西区八軒(ハチケン)でした。
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 西区八軒の家だけが、父の所有でした。
 お金がなかったので、土地は長い間借地でした。
 昭和30年代に建てられ、
 昭和36年に購入した、中古の建売木造住宅でした。
 最初は、父の両親と弟妹が住んでいました。 
 私が札幌西高校へ入学したため、
 父の母親(私の祖母)が住んでいた家に住みました。
 当時は、こうして地方から札幌へ出てくる高校生がいました。
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 お世辞にも、立派な家とは言えませんでした。
 トイレは水洗式ではありません。
 私の家は、
 七畳くらいの一部屋に、
 私と弟と母親が
 寝泊りしているような家でした。
 壁が汚かったので、
 ペンキを買ってきて自分たちで塗りました。
 床は父親がフローリングを自分で貼りました。
      ■         ■
 高校時代、同級生に、
 『今度、本間の家(ホンマンチ)へ行ってもいぃ?』
 と言われるのが一番困りました。
 見栄を張っていたのではありませんが、
 友人に来てもらうような家ではありませんでした。
 友人の家は、
 西区西野の閑静な住宅地にあり、
 新築の立派な家でした。
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 私は、あまり贅沢はしません。
 着るものも、食べものも。
 ただ、家にはこだわりがあります。
 これは、高校生の頃に、
 ビンボーな家に住んでいたためだと思います。
 マンションや不動産の広告は好きなのでよく見ます。
 自分ではじめて新築した家は、
 張り切りすぎて、住宅ローン地獄になりました。
 米国のサブプライムローン問題がよく理解できます。
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 自分がコンプレックスを持ったことには、
 こだわりができるようです。
 私は、高校生の時に、
 自分も友だちの家のように…
 いつかは新築の立派な家に住みたい。
 と考えるようになったのだと思います。
 私は土をいじるのが好きですが、
 家の壁のクロスなどを補修するのも好きです。
 自分が住んでいる家はキレイに大切にしています。

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