医療問題

電子カルテ

 医療法という法律で、
 カルテは5年間の保存義務があります。
 大学病院などでは、
 何十年分ものカルテを保管しています。
 その保管場所や管理が大変です。
 北大形成外科に勤務していた時は、
 古い外来棟にカルテがありました。
 手術記録などを調べるために、
 カルテ探しを何度もしました。
      ■         ■
 カルテの保管場所は
 掃除をしていませんでした。
 古いカルテを探しに行くと、
 必ず、鼻の中が真っ黒になりました。
 もちろん、手も真っ黒。
 白衣は汚れてもいいような、
 古い白衣を着て行きました。
 当時の北大には、
 診療情報管理士の方は
 いらっしゃらなかったと思います。
      ■         ■
 これからは電子カルテの時代だと思います。
 航空券の予約・発券もネットでできる時代。
 チケットはなくなり、
 携帯電話やカードで、
 ‘ピッ…’とするだけで、
 搭乗ができるようになりました。
 医療機関は、
 残念ながら…
 一番IT化が遅れている業種の一つです。
      ■         ■
 私たちが電子カルテの導入で、
 一番困るのが、
 過去のカルテを参照することです。
 昨年の朝日新聞の投稿には、
 韓国の先進的な病院を訪問する機会があった。
 そこでは1958年の開院以来、
 過去の入院診療録約100万件を
 すべてデジタル化して保存しており、
 診療録管理室には約50人のスタッフが配属されていた。

 とありました。
      ■         ■
 これは実にすごいことです。
 電子カルテの導入費用以上に、
 過去の100万件の入力費用がかかります。
 札幌市内の総合病院で、
 電子カルテが導入されました。
 担当の先生が、
 過去のカルテはどうやって見るのですか?
 と聞いたところ…
 『過去カルテの電子化は、
 予算に入っていません』
 とあっさり言われたそうです。
      ■         ■
 私が勤務医をしていた時代に、
 各病院にコンピューターシステムが入りました。
 毎日、快適に動いていたのではありません。
 システム障害が発生すると、
 院内放送で、
 『ただいま、システム障害が発生しています』
 『復旧の見通しは立っていません』
 『各部署では、手書き対応に変更してください』
 という
 悪夢の放送が流れました。
      ■         ■
 外来は私と看護師さんが一人だけ。
 患者さんには…
 『ごめんなさい』
 『今日、お薬を出すと、何時になるかわかりません』
 『申し訳ありませんが、次にしてください』
 『わかりました、先生も大変ですね』
 なんてことがありました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科でも
 電子カルテの導入を検討しています。
 今の電子カルテはかなり進歩したようです。
 過去カルテ入力など、
 難問がありますが、
 なんとか早期に導入しようと考えています。
 システム障害になっても、
 お薬は出せるように準備します。

“電子カルテ”へのコメントを見る

昔の記憶

防災の日

 今日は防災の日です。
 私自身は災害の被害を
 受けたことはありません。
 ただ忘れられないのが、
 札幌医大の学生だった時に経験した
 有珠山の噴火でした。
      ■         ■
 札幌医大第二内科では、
 洞爺湖近くの壮瞥町(そうべつちょう)の
 集団検診を実施していました。
 壮瞥町(そうべつちょう)は、
 横綱北の湖の出身地です。
 小畑敏満(おばたとしみつ)さんが本名です。
 私たち学生は、
 第二内科が募集した
 集団検診の学生アルバイトとして
 検診のお手伝いをしていました。
      ■         ■
 壮瞥町役場近くの旅館に宿泊して、
 早朝から壮瞥町内の検診場所へ行き、
 採血や心電図の準備などをしていました。
 なかなか楽しいアルバイトで、
 そのバイトをきっかけにして
 第二内科に入局し、
 循環器内科医となった友人も
 たくさんいました。
 北の湖のご両親も
 検診にいらしたのを記憶しています。
      ■         ■
 噴火があった時、
 私は旅館の風呂に入っていました。
 同級生が、
 『本間、山が噴火したぞ!』
 『窓から見えるから見てみろ!』
 というので、
 風呂の窓を開けて見たのを覚えています。
 最初は青空に…
 きのこ雲ができて…
 ‘すっげぇ~!’
 てな、感じで眺めていました。
      ■         ■
 すごい!と感動したのは、
 最初のうちだけでした。
 きのこ雲はみるみるうちに…
 空全体に広がり…
 あっという間に青空がなくなり、
 夜のように真っ暗になりました。
 真っ暗になったのが先か?
 その後かは覚えていません。
 稲妻が走り、
 雷がゴロゴロごろごろと
 大きな音を出したかと思うと、
 あっという間に…
 泥の大雨が降ってきました。
      ■         ■
 『窓を閉めろ~!』
 誰かが叫んだように思います。
 旅館の屋根が抜けるか?
 と思うほどの泥の大雨でした。
 道路も通行止め。
 避難しようにも、外へ出られません。
 本当に怖い思いをしました。
 幸いなことに、
 ケガはありませんでした。
      ■         ■
 それからしばらくは、
 集団検診は中止となり、
 私たち学生も、
 道路にたまった火山灰の除去作業を
 お手伝いしました。
 一度しか経験したことがない、
 火山の噴火ですが、
 もう二度と体験したくはありません。
 自然の驚異は恐ろしいものです。 


札幌医大の学生だった時
後方に見えるのが有珠山
噴火はこの後で起こりました

“防災の日”へのコメントを見る

昔の記憶

高校進学

 私は大夕張の鹿島中学校を、
 昭和45年に卒業しました。
 当時の夕張市には、
 北炭、三菱という炭鉱会社があり、
 今よりずっと栄えていました。
 私が住んでいた大夕張にも、
 中学校が1校、高校が1校ありました。
 今は何もありません。
 ダムの底に沈むのを待っています。
      ■         ■
 中学校は一クラス40人程度で、
 A組からG組までの7クラスがありました。
 大部分の生徒は、
 地元の高校へ進学しましたが、
 北海道内の進学校である、
 函館ラサール高校(男子校)や
 札幌市内の公立高校、
 夕張市内でも大学進学率が高い、
 夕張北高へ進学する生徒もいました。
      ■         ■
 私の鹿島中学の先輩に
 Sさんという男子がいました。
 とても勉強ができました。
 Sさんは、鹿島中学校から、
 札幌南高に進学し、
 東大文Ⅰに現役合格しました。
 私たちの間では、
 ‘郷土の英雄’でした。
 Sさんは、
 その後、国家公務員上級試験を通り、
 官僚になられたと聞いています。
      ■         ■
 私たちの世代は、
 一生懸命勉強をして、
 ‘いい高校’から
 ‘いい大学’へ進学することが、
 ‘いい子ども’の条件だったように思います。
 親もそれを願って、
 経済的に苦しくても、
 子どもを札幌や函館の進学校へ出しました。
 それが親にとっての
 喜びだったようにも思います。
      ■         ■
 私が札幌西高校を卒業したのが
 昭和48年(1973年)3月でした。
 私は現役で札幌医大を落ちました。
 大夕張の鹿島中学校から
 函館ラサール高校へ行った友人も、
 北大を落ちました。
 同じく大夕張から札幌北高へ進学した友人も、
 北大を落ちました。
      ■         ■
 夕張から札幌と函館の進学校へ行った、
 私たち3人は
 全員第一志望の大学を落ちました。
 昭和45年に
 鹿島中学校を卒業した生徒のうち、
 ただ一人北大に現役合格したのが、
 大夕張で地元の夕張東高へ進学した
 I君でした。
 夕張北高に進学したT君も
 小樽商大に現役合格しました。
      ■         ■
 夕張から外の高校へ出た3人(私も含めて)が
 高校時代に勉強をサボったのではありません。
 おそらく夕張に残ったI君やT君が
 一生懸命、勉強したのだと思います。
 私は自分が卒業した、
 札幌西高が好きですし、
 札幌に出てきてよかったと思っています。
      ■         ■
 私たちの世代のエリートは、
 北大法学部や小樽商大という
 道内の難関大学を卒業して、
 北海道拓殖銀行に入行しました。
 ‘拓銀に入ったんだってねぇ~’
 ‘すごいねぇ~’
 ‘勉強できたからねぇ~’
 というコースでした。
 ところが、拓銀は経営破たん。
 人生なんてわからないものです。
      ■         ■
 私は、人間は目標へ向かって
 努力している間が、
 一番、夢があって充実していると思います。
 その時は気づかないけれど…。
 私も高校時代に、
 ボロ家で…
 勉強ができなくて…
 成績が上がらなくて…
 苦しんでいた時代があって
 よかったと思っています。
 自分が苦しんだ経験が、
 役に立っていると思います。


中学3年の修学旅行
層雲峡にて(中央が私)
下唇が出ていると言われ
気にして下唇を噛んでいます


鹿島中学校があった
夕張市鹿島常盤町
手前はつり橋です

“高校進学”へのコメントを見る

昔の記憶

私が住んだ家

 私が子供の頃は、
 父親が勤務していた病院の社宅に住んでいました。
 生まれてから、小学校2年生までは、
 札幌郡手稲町字金山。
 小学校3年生から中学校1年生までは、
 美唄市茶志内町日東(ビバイシチャシナイチョウニットウ)。
 中学校3年間は、
 夕張市鹿島(ユウバリシカシマ)、通称大夕張(オオユウバリ)。
 高校1年生から、札幌市西区八軒(ハチケン)でした。
      ■         ■
 西区八軒の家だけが、父の所有でした。
 お金がなかったので、土地は長い間借地でした。
 昭和30年代に建てられ、
 昭和36年に購入した、中古の建売木造住宅でした。
 最初は、父の両親と弟妹が住んでいました。 
 私が札幌西高校へ入学したため、
 父の母親(私の祖母)が住んでいた家に住みました。
 当時は、こうして地方から札幌へ出てくる高校生がいました。
      ■         ■
 お世辞にも、立派な家とは言えませんでした。
 トイレは水洗式ではありません。
 私の家は、
 七畳くらいの一部屋に、
 私と弟と母親が
 寝泊りしているような家でした。
 壁が汚かったので、
 ペンキを買ってきて自分たちで塗りました。
 床は父親がフローリングを自分で貼りました。
      ■         ■
 高校時代、同級生に、
 『今度、本間の家(ホンマンチ)へ行ってもいぃ?』
 と言われるのが一番困りました。
 見栄を張っていたのではありませんが、
 友人に来てもらうような家ではありませんでした。
 友人の家は、
 西区西野の閑静な住宅地にあり、
 新築の立派な家でした。
      ■         ■
 私は、あまり贅沢はしません。
 着るものも、食べものも。
 ただ、家にはこだわりがあります。
 これは、高校生の頃に、
 ビンボーな家に住んでいたためだと思います。
 マンションや不動産の広告は好きなのでよく見ます。
 自分ではじめて新築した家は、
 張り切りすぎて、住宅ローン地獄になりました。
 米国のサブプライムローン問題がよく理解できます。
      ■         ■
 自分がコンプレックスを持ったことには、
 こだわりができるようです。
 私は、高校生の時に、
 自分も友だちの家のように…
 いつかは新築の立派な家に住みたい。
 と考えるようになったのだと思います。
 私は土をいじるのが好きですが、
 家の壁のクロスなどを補修するのも好きです。
 自分が住んでいる家はキレイに大切にしています。

“私が住んだ家”へのコメントを見る

昔の記憶

ペット可の貸家

 平成6年は、
 今のように
 ネットが発達していませんでした。
 帯広に転勤する時は、
 家を探すのに苦労しました。
 愛犬のチェリーを飼っていたので、
 『犬を飼ってもOK』
 という貸家を探すだけで大変でした。
 帯広の職業別電話帳を、
 NTTでコピーして、
 札幌から片っ端から電話をしました。
      ■         ■
 帯広の不動産屋さんの中には、
 『イヌを飼ってもいいなんて大家さんはいませんよ!』
 とピシャリと言われたところもありました。
 ようやく何軒か目星をつけて、
 家内と帯広へ車で向かいました。
 12月10日の吹雪の日でした。
 夕張を過ぎた頃には、
 前方が雪で見えなくなり…
 このまま遭難するのでは?
 と思いました。
      ■         ■
 やっとの思いで、帯広に着きました。
 これは!
 と思っていた家は、×でした。
 最後にたどり着いた家は、
 不動産屋さんが終了してしまっていました。
 FAXしていただいた資料から
 その家を見に行きました。
      ■         ■
 外から家の中を見ると、
 明かりが点いていました。
 家内と、
 おそるおそるピンポンを押してみました。
 そこのお宅の奥様が出てきてくださいました。
 『私たちも貸家探しで苦労したのょ。』と
 とても親切に応対してくださいまいした。
 その奥様から、
 大家さんは
 大手住宅建材メーカーにお勤めであること。
 札幌に転勤で住んでいらっしゃること。
 住所と電話番号も教えていただきました。
      ■         ■
 札幌の大家さんのご自宅は、
 私が住んでいたのと同じ、
 西区山の手にありました。
 お電話をして、
 家内とチェリーを連れてお伺いしました。
 『この犬を飼ってもいい家が見つからないと、
 私は帯広厚生病院に赴任できません。』
 万一、犬が住宅を毀損(キソン)した時は、
 すべてこちらが費用を負担して直します。
 必死の思いで、お願いしました。
      ■         ■
 大家さんは、快く許可をくださいました。
 こうして、
 私は帯広厚生病院へ赴任できることになりました。
 今でこそ、
 ペット可のマンションや住宅が増えています。
 14年前は、
 まだペット可の家はありませんでした。
 その後、私は札幌の自宅を貸しました。
 もちろん『ペット可』です。
      ■         ■
 平成元年に、
 分不相応な家を建てて、
 住宅ローン地獄に陥っていた私は、
 平成7年1月に帯広に転勤して、
 自分の家を借りていただき、
 ローン地獄から
 脱出することができました。
 世の中何が幸いするかわかりません。
 今でも家を貸してくださった
 大家さんに感謝してます。


帯広でお借りした家
平成7年4月16日

“ペット可の貸家”へのコメントを見る

昔の記憶

帯広への転勤

 昨日も書きましたが、
 私は平成7年1月1日付けで、
 JA帯広厚生病院へ赴任を命じられました。
 北大形成外科の人事異動です。
 人事異動とは言っても、
 前任の市立札幌病院は、
 自己都合退職。
 『一身上の都合により…退職を…』
 という辞表を出して退職しました。
 正直なところ…
 退職したくはありませんでしたが、
 これが、医者社会の掟(おきて)でした。
      ■         ■
 せっかく家も建てて、
 子どもたちも、
 学校を変わりたくないと言っている。
 『お父さん一人で単身赴任してちょうだい!』
 と家内と喧嘩になりました。
 嫌がる家族を巻き込んで…
 正月早々、
 夜逃げのような引越しでした。
      ■         ■
 お世話になった
 市立札幌病院の婦長さんが、
 『先生、帯広は寒いから…』
 とカシミアのマフラーを
 プレゼントしてくださいました。
 マフラーも素敵でしたが、
 その心が、嬉しくて、
 そのカシミアのマフラーは
 今でも大切に使っています。
      ■         ■
 平成6年12月10日土曜日に、
 北大形成外科の忘年会を欠席して、
 早朝5時に札幌の家を出て、
 帯広まで家探しに行きました。
 その日は天候が悪く、
 途中から猛吹雪になりました。
 札幌→帯広の道にも
 慣れていませんでした。
      ■         ■
 日高の山を越えると、
 十勝平野は晴れていました。
 十勝地方は氷点下30度近くまで
 冷え込むことがある寒い土地です。
 太平洋側にあるので
 積雪量は日本海側の札幌と比較すると
 少ないのが特徴です。
 どこまでも続く、
 広大な畑が十勝地方の特徴です。
      ■         ■
 帯広は、確かに寒いのですが、
 冬でも晴れた日が多く、
 札幌に比較すると、
 お日様が輝いていました。
 家族はイヤイヤ付いて来たのですが、
 子どもたちはスケートを覚えたり、
 夏は釣りをしたり…
 夜空には満天の星があり…
 帯広での生活を楽しんで暮らしました。
      ■         ■
 帯広厚生病院は立派な病院でした。
 JA北海道厚生連の中でも、
 トップクラスの黒字病院でした。
 市立札幌病院では、
 買ってもらえなかった…
 ドイツ製の手術用顕微鏡も、
 ポンと買っていただけました。
 仕事は…
 ‘超’忙しかったのですが、
 充実した毎日でした。
 40歳から43歳までの、
 3年間勤務しました。

“帯広への転勤”へのコメントを見る

院長の休日

カーナビ2008年問題

 私は13年前の、
 1995年(平成7年)1月1日付けで、
 JA帯広厚生病院形成外科
 主任医長として赴任しました。
 帯広は、食べ物が安くて美味しく、
 住みやすい街でした。
 ただ一つだけ困ったのが、
 夜道の運転でした。
      ■         ■
 十勝地方は道路も整備されていて、
 農道でも立派に舗装されていました。
 ある夜に、帯広空港から帰る途中で、
 道に迷いました。
 前の車について走っていて、
 いつもと違う道へ
 迷い込んでしまいました。
 土地勘がないところで、
 畑の真ん中で…
 自分が今、
 どちらに向いているのかも…
 わかりませんでした。
      ■         ■
 今でしたら携帯にもGPSがついています。
 当時は磁石も持っていません。
 冬だったので、道路標識もわかりません。
 ようやくの思いで、家に帰りました。
 道に迷ったおかげで、
 私はカーナビを購入しました。
 12年前のカーナビがまだ活躍しています。
      ■         ■
 そのカーナビが、
 8月下旬から位置がずれるようになりました。
 何回か調節して、
 位置異常を直してもすぐに戻りました。
 10年以上も使ったのだから…
 壊れても仕方がないね。
 と諦めていました。
      ■         ■
 新しいカーナビを購入しようか?
 とkakaku.com
 を検索していたところ…
 偶然、2008年問題というのを
 見つけました。
 GPSの耐用年数が
 2008年8月17日で切れるので
 古いカーナビは位置異常を起こすのだそうです。
      ■         ■
 kakaku.comのおかげで
 今日、カーナビを無償修理していただきました。
 正常になるまで、
 4日程度かかるそうですが、
 これでまたしばらく使えそうです。
 地図データーは古くなっていますが、
 位置は正確なのでまだ使えます。
 同じような症状が出ている方は、
 メーカーにお問い合わせください。

“カーナビ2008年問題”へのコメントを見る

未分類

北京オリンピックの少女

 北京オリンピック開会式に
 赤い服を着た、
 可愛い少女が出ていました。
 朝日新聞の記事です。
 少女の歌声は「口パク」
 五輪開会式、舞台裏に別の子
 2008年8月13日0時15分
 開会式でソロで歌い、
 「天使の歌声」と人気を集めていた林妙可ちゃん(9)が、
 実は「口パク」だったことを音楽総監督の陳其鋼氏が
 中国の通信社、中国新聞社の取材に告白した。
 舞台裏で別の女の子が歌っていたという。
 インターネット上では
 「純粋な子どもにうそをつかせるのはよくない」
 と批判が出始めた。
      ■         ■
 陳氏によると、
 楊沛宜ちゃん(7)という別の子の歌声だった。
 選考の際、沛宜ちゃんの歌声が一番よかったが、
 見た目がよりかわいらしい妙可ちゃんが
 舞台に出ることになったという。
 陳氏は
 「対外的なイメージと国益を考えて採用した方法だ」
 と説明した。
 沛宜ちゃんは
 「歌声だけでも披露できて満足、悔しくはない」。
 ネット上の批判は、
 当局が次々と削除している。(峯村健司)
  (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 北海道新聞には次の記事が掲載されました。
 歌った少女は「傷心」
 五輪開会式の“口パク”(2008年8月23日 22:41)
 【北京23日共同】
 北京五輪開会式の“口パク”問題で、
 実際に革命歌曲を歌った少女、
 楊沛宜さん(7)について、
 担任の教師が23日までに、
 自身のブログで
 「がっかりし、傷ついているようだ」
 と近況を伝え、
 「楊さんを二度と傷つけないでほしい」と訴えた。
      ■         ■
 教師によると、
 楊さんは18日に
 口パクをした林妙可さん(9)が
 出演した娯楽番組を興奮した様子で見た。
 しかし、
 司会者が、実際には楊さんが歌ったことを紹介しなかったため、
 がっかりした表情を浮かべ、
 ひと言も口をきかずに就寝。
 翌朝、
 楊さんが歯形が残るほど強く
 自身の腕をかんでいたのを家族がみつけた。
      ■         ■
 両親はメディアの取材から守るためとして、
 楊さんを「遠く」に移したという。
 教師は、
 楊さんが林さんを含め
 一緒に開会式の練習をした子どもたちに
 会いたがっているとしている。
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私は開会式をTVで見た時に
 中国にも可愛い女の子がいるなぁ~
 と思いました。
 また、中国人が可愛いと感じる
 女の子が、二重まぶたで…
 パッチリとした目の子なんだなぁ~
 と思いました。
      ■         ■
 私は2002年に上海で行われた
 国際美容外科学会に参加しました。
 香港の学会には、
 1998年に一度行っていましたが、
 上海ははじめてでした。
 そこの第九人民病院というところで、
 ライブサージャリーという
 手術の実演がありました。
      ■         ■
 そこへ行って驚いたのは、
 中国でも二重、豊胸、脂肪吸引という
 美容外科手術が盛んなことでした。
 中国全土から、
 富裕層のお金持ちがやって来て、
 手術を受けていました。
 病院には、
 美容外科のフロアーがありました。
 そこだけは、
 内装が豪華で…
 待合の椅子も革張りのソファーでした。
      ■         ■
 一般の外来が、
 失礼ながら、
 かなり昔の日本の病院というイメージだったので、
 その乖離(かいり)に驚きました。
 中国は、日本以上に
 『美』を追求する国である、
 という印象を受けました。
      ■         ■
 私は、
 実際に歌った楊沛宜(Yang Peiyi)ちゃん(7)
 を気の毒に思いました。
 とても可愛らしい少女だと思います。
 AFP NEWSでは
 丸顔で歯並びがあまりよくなかったため、
 中国の正しいイメージを表現していないとして、
 中国政府が置き換えを命じた。

 とありました。
 7歳と9歳では骨格の成長も違います。
 歯列矯正だけで十分美人になれます。
 どうかめげずに成長してほしいと願っています。


2002年、上海にて

“北京オリンピックの少女”へのコメントを見る

医学講座

血液検査

 札幌美容形成外科では、
 手術を受けていただく前に
 血液検査をしています。
 これは、
 私が総合病院の形成外科医として、
 働いていた時から同じです。
 歯医者さんで抜歯をする時には、
 血液検査をしないようですが、
 病院の形成外科では…
 血液検査をしてから手術をするのが、
 日本ではふつうです。
      ■         ■
 血液検査の内容です。
 CBC(シービーシー)という、
 全血球計算で、
 血液中の
 赤血球、白血球、血小板
 を調べます。
 生化学検査というのもしています。
 肝臓や腎臓の機能をチェックします。
 血糖値も調べます。
      ■         ■
 梅毒、
 B型肝炎
 C型肝炎、
 HIV(エイズ)、
 などの感染症の検査もします。
 手術をして、
 血が止まらなかった困るので、
 凝固系検査というのもします。
 幸いなことに…
 私が今までに検査をした、
 1万例以上の検体で、
 HIV陽性となった例はありません。
      ■         ■
 検査結果が出て、
 手術ができないこともあります。
 昨日書いた…
 糖尿病で手術ができない方。
 札幌美容形成外科の検査で、
 はじめて糖尿病が見つかった方。
 数は多くありませんが、
 未治療の糖尿病患者さんが、
 まだ、かなりいらっしゃると思います。
      ■         ■
 一番多い検査値異常は、
 鉄欠乏性貧血です。
 札幌美容形成外科は、
 女性のお客様が多いので…
 当然といえば、当然の結果です。
 軽度の鉄欠乏性貧血でしたら、
 手術は可能ですが、
 鉄剤(てつざい)という、
 鉄が入った錠剤を内服していただきます。
      ■         ■
 女性は、生理で血が失われるために
 どうしても貧血傾向になります。
 消化管から、
 目に見えないような出血があることも
 考えられます。
 サプリメントで鉄を補給しようとしても、
 お金ばかりかかって、
 効率的に摂取できません。
 食生活に問題がある女性も
 鉄欠乏性貧血になります。
 データーによっては、
 専門医をご紹介しています。
      ■         ■
 お酒の飲みすぎで
 肝機能障害になっている方もいます。
 自覚症状がないために、
 知らずにお酒を飲み続けると
 入院が必要になることもあります。
 男性に多いのが
 高尿酸血症です。
 痛風という病気になります。
 血液検査の結果は、
 簡単な説明の紙と一緒に
 封筒に入れてお渡ししています。
 ささやかなサービスです。
 検査は
 BMLという一流の検査会社に検査をお願いしています。

“血液検査”へのコメントを見る

医学講座

糖尿病とキズの治り

 糖尿病とは、
 オシッコに糖が出る病気です。
 血液の中に、
 どの位、ブドウ糖が含まれているか?
 という数値を血糖値(けっとうち)といいます。
 ふつうは食後に高くなります。
 糖尿病の患者さんは、
 血糖値が正常の数倍にもなります。
 そうすると、
 多くなった分がオシッコに出てしまいます。
      ■         ■
 難しく説明すると…
 インスリンという
 膵臓から放出されるホルモンが
 少ないと血糖値が上がります。
 インスリンは糖を細胞に取りこみ、
 エネルギーにする作用をします。
 ふつうは、食事をすると、
 膵臓からインスリンが出て血糖を下げます。
      ■         ■
 糖尿病になると…
 キズの治りが悪くなります。
 糖尿病で血管がもろくなり、
 血液の循環が悪くなるためです。
 また、糖尿病になると、
 バイ菌に弱くなります。
 すぐに化膿しやすくなります。
 これも…
 糖尿病でキズが治りにくい原因です。
      ■         ■
 糖尿病になると…
 神経も障害されます。
 感覚が悪くなります。
 ちょっとケガをしても、
 痛みを感じなくなります。
 そうすると…
 小さなケガを繰り返すことになります。
 神経が障害されて、
 男性ではインポテンツになることもあります。
      ■         ■
 糖尿病の方に多いのが、
 足のケガです。
 感覚がないので…
 ケガをしやすく、
 化膿しやすいので悪くなります。
 血液の循環が悪いので…
 キズの治りも悪いのです。
 糖尿病が原因で、
 足を切断することもあります。
      ■         ■
 美容外科のように、
 緊急を要さない手術は、
 糖尿病がコントロールされていないと、
 施術しないのが医師の常識です。
 困るのが、
 本人も自覚していない糖尿病です。
 手術をしてしまってから、
 キズの治りが悪くて
 気づくのでは遅いのです。
      ■         ■
 糖尿病でも、
 しっかりコントロールしていれば、
 手術を受けることはできます。
 札幌美容形成外科では、
 信頼できる糖尿病専門医を
 ご紹介しています。
 糖尿病が原因で
 失明したり、
 人工透析になる方もいらっしゃいます。
 家系に糖尿病の方がいる方…
 メタボ体型の方は
 一度は検査を受けることをおすすめします。

“糖尿病とキズの治り”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ