医学講座
瞼(まぶた)の裏側
日本美容外科学会に出席するために、
横浜へ来ています。
札幌と比べると…
横浜は暑いです。
今日の最高気温は27℃です。
(札幌は20℃でした)
こんなのは暑いうちに入らないのでしょうが、
札幌育ちの私には、
関東での生活は無理なようです。
■ ■
昨日の日記に、
埋没法は2回まで
と書きました。
埋没法の手術をする時には、
瞼板法(けんばんほう)でも、
挙筋法(きょきんほう)でも、
必ず瞼をひっくり返して、
裏側を見ます。
■ ■
慣れないと…
瞼をひっくり返して、
裏側を見ること自体が…
難しいものです。
ふつうの形成外科医は、
瞼をひっくり返して、
裏を見ることをしません。
私も最初は…
上手にできませんでした。
■ ■
健康な人の瞼の裏側は、
キレイなピンク色です。
瞼板(けんばん)という白い組織の上に、
結膜(けつまく)があり、
そこに毛細血管があります。
教科書によると、
この毛細血管から、
目の角膜へ酸素や栄養を供給する、
と書かれています。
■ ■
角膜(かくまく)というのは、
光を通すために、
透明です。
血管はありません。
ソフトコンタクトで、
すっぽりと角膜を覆(おお)ってしまうと…
角膜に酸素が供給されず、
酸欠になるといわれています。
ですから長時間付けっ放しにできないのです。
■ ■
瞼板法(けんばんほう)で、
何回も埋没法手術を受けると…
この毛細血管がズタズタになります。
瞼の裏側がキズだらけになり…
角膜へ…
酸素や栄養の供給ができなくなります。
手術をする先生は、
キズだらけの瞼の裏側を見ます。
自分の身内だったら、
糸が4本も6本も入った瞼に、
更に糸を追加することはしないと思います。
■ ■
埋没法の保証とは、
この糸をむやみに追加して、
結果的に瞼をキズだらけにするだけです。
私は、
他院で埋没法を受けた…
眼瞼下垂症の方を手術する時に…
できるだけ埋没糸を除去しています。
追加料金もいただきません。
(保険の規定です)
■ ■
手術用顕微鏡で見て、
高倍率にして、
ようやく見える程度の糸もあります。
そんな糸でも、
毛細血管を傷つけています。
表面から見えない、
瞼の裏側には、
大切な役割があります。
どうか自分の目を大切にしてください。
医学講座
埋没法は2回まで!
埋没法が取れた!
保証付だから、
無料でお直ししてもらいましょう…!
何度、お直ししても、
取れちゃう埋没法
札幌美容形成外科にいらした時には、
何回、無料でお直ししたのかも?
忘れてしまったそうです。
■ ■
埋没法が取れるのには…
原因があります。
アレルギーで目をこする癖(くせ)がある方。
もともと眼瞼下垂症で、
埋没法に向いていない目だった方などです。
小学校の時からの、
学級写真を見てください。
顎を上げていませんか?
■ ■
写真屋さんで写真を撮る時に、
必ず、顎を引いてください
と言われる方。
眉が上がっているので、
前髪でいつも額を隠す方。
眉が上がっているので、
眉の上を剃って…
下に眉を書く方。
眼瞼下垂症の可能性があります。
■ ■
そもそも…
眼瞼下垂症なんて病気があるなんて…
医師国家試験にもめったに出ません。
看護師国家試験にも出ません。
医学部でも詳しく教えません。
看護学部でも、
看護学校でも教えません。
義務教育でも教えません。
医師でも、
知らない人はたくさんいます。
■ ■
眼瞼下垂症が有名になったのは、
ここ数年の間です。
NHKのためしてガッテンで、
信州大学形成外科の、
松尾清先生が有名にしてくださいました。
他院で埋没法で二重にならなかった方、
埋没法が取れた方、
には眼瞼下垂症が原因であったことが、
私の経験上、たくさんあります。
■ ■
先日いらしていただいた方は、
何と!
片目に糸が11本も入っていました。
瞼の裏側には、
無残な糸の痕が、
無数に残っていました。
リストカットの痕のような、
小さなキズが
たくさん瞼の裏側についていました。
角膜という…
大切な部分に傷がつくこともあります。
■ ■
埋没法は、
受けてもせいぜい2回までにしてください。
瞼板法2点留めだと、
これでも片目に
2×2=4本の糸が入っています。
何度も埋没法を受けるのは…
はっきり申し上げて危険です。
目というのは大切な器官です。
傷ついた角膜を
元に戻すことはできません。
無料保証は2回が限度です。
院長の休日
みんなおじさん
昨夜、
札幌西高3年7組の男だけのクラス会、
支三会がありました。
会場は札幌駅近くの…
「魚屋一丁」(札幌駅店:011-232-0022)
(札幌市北区北6条西1丁目(JR高架下))でした。
会費:5,110円
飲み放題でした。
■ ■
全員55歳のおじさんばかり。
担任の藤枝正道先生(日本史)は、
72歳でお元気でした。
今でも札幌福祉専門学校の校長先生です。
私たちが高校3年生の頃…
藤枝先生は35歳だったことに、
気づきました。
■ ■
先生は…
よく放課後の掃除の時間に、
教室に来られて、
みんなといっしょに…
話しをしながら掃除を手伝ってくださいました。
女生徒に…
圧倒的に人気があった先生でした。
愛妻家で知られていました。
■ ■
奥様は、
先生が東北大学の学生だった頃に、
お知り合いになったと記憶しています。
奥様のことを、
~ちゃん付けで呼んでいました。
私が高校生だった頃、
いつか藤枝先生のように、
素敵な奥さんをもらいたいと思っていました。
■ ■
昨夜集まった同級生。
一番遠くは、
大阪から来ました。
他に、神奈川、東京など、
声と話し方は変わりませんが、
全員おじさんになっていました。
単身赴任の支店長。
家に帰ると娘さんから煙たがられる人。
いろいろな55歳がいました。
■ ■
私を含めて、
眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)の同級生が、
たくさんいました。
パソコンを見ていると、
首が疲れて…
目がしょぼしょぼしてくる…
肩も腰も痛くなる。
としだなぁ~
私が携帯で、
眼瞼下垂症の症例写真を見せると…
え~っ!これ病気なの?
■ ■
この歳になって、
目が変わるとへんでしょ!
本間!俺が若い時に教えてくれれば…
俺の青春時代も変わっていたのに…
その時になって、
はじめて、
あぁ…
気にしていたんだ…
とわかりました。
■ ■
私が医師になった30年前でも、
眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)なんて、
特殊な病気だと思っていました。
歳をとれば…
誰でも瞼(まぶた)が下がってきて、
当然だと思っていました。
医学が進歩して、
手術で治せるようになりました。
今からでも遅くはないょ…
と次のクラス会で教えてあげようと思います。
次の幹事に私が指名されました。
昔の記憶
西高の想い出(遅刻)
札幌市中央区宮の森と
西区山の手の境界にある通りを、
通称、文化通りと言います。
由来は…?
文化人がたくさん住んでいたから…?
理由はわかりません。
私が昭和45年(1970年)に、
北海道札幌西高等学校へ入学した時には、
文化通りと呼ばれていました。
■ ■
当時は、
札幌に‘区’はありませんでした。
札幌に‘区’ができたのは、
1972年の札幌オリンピックの後です。
文化通りは、
何の変哲もない、
ふつうの住宅街の通りです。
■ ■
大夕張の山奥から、
札幌へ出て来た、
弱冠、15歳の私は、
毎日、この文化通りを通って、
札幌西高校へ通学しました。
西区八軒にあった古い家から、
バスで高校へ通っていました。
今でしたら…
自転車で通学したと思います。
■ ■
毎日、満員の市営バスに乗り、
慣れない札幌の生活でクタクタになって、
必死に通学していました。
私の家の近くに、
函館本線の開かず踏切がありました。
この踏切で待たされ…
バスが遅れた時は、
文化通りを、
重い鞄(かばん)を持って、
ダッシュしたものでした。
■ ■
私がダッシュしていた時には、
必ず、他にもダッシュしている生徒がいました。
中には、悠々と歩いている人もいました。
息切れがして、
途中で休むと…
無残な遅刻でした。
たまに、あと一歩のところで…
用務員のおじさんに、
玄関のドアをガチャンと閉められました。
■ ■
ドアが閉まった後は、
ボイラー室横の入口から入り、
外靴を持って…
とぼとぼと、
生徒玄関まで、
床の冷たさを感じながら…
惨(みじめ)めに歩いたものでした。
毎回、私以外にも、
遅刻組の生徒がいました。
3年間で、
数回遅刻しました。
■ ■
毎日、同じ時刻のバスに乗っても、
運悪く…遅刻することがありました。
高校に慣れてくると、
自転車通学をするようになりました。
自転車通学になってからは、
開かずの踏切を避けて通り、
遅刻もなくなりました。
遅刻も今となっては楽しい想い出の一つです。
■ ■
私が一度も遅刻や欠席をしなかったのは、
予備校時代でした。
出席は無かったと思いますが、
とにかく必死で勉強していました。
今晩は西高の仲間が男ばかり集まり、
クラス会をします。
昔の仲間は楽しいものです。
幹事は、
学校であまり勉強しないのに
東大に合格した有沢くんです。
あいつの頭はどうなっているのか?
と…よく思っていたものです。
昔の記憶
今から26年前…
今から26年前。
昭和58年(1983年)9月20日。
函館市本町33-2、
社会福祉法人函館厚生院函館中央病院で、
長女が生まれました。
その日は今日のように天気が良く、
私が出勤する時に、
家内を車に乗せて、
病院へ向かいました。
■ ■
当時、
私29歳、家内27歳。
函館中央病院形成外科に勤務していました。
4年目の形成外科医でした。
住んでいたのは、
函館市富岡町の、
キャッスル富岡という…
賃貸マンションでした。
病院が借り上げてくれた、
住宅でした。
■ ■
私は富岡町から、
車で通勤していました。
その日は、家内の定期健診の日でした。
家内は、
午前中に産婦人科で健診を済ませて…
中央病院の近くにある、
丸井今井デパートへ寄って…
自宅へ帰りました。
デパートにいる時に…
ちょっとお腹が痛くなったそうです。
そのままバスで自宅へ帰りました。
■ ■
私が形成外科の医局で、
お昼休みを取っていた時でした。
家内から電話がありました。
『ちょっとお腹が痛くて変なので…』
『病院へ行った方が良いか…?』
という内容でした。
先輩の石川先生が、
奥さんを迎えに行ったら…?
と言ってくださいました。
医局には製薬会社のMRさんがいらしていて…
僕の車で行きましょう
と言ってくださいました。
■ ■
MRさんに乗せていただき、
私は家内を迎えに行きました。
お腹が痛かったのは、
陣痛(じんつう)でした。
車の中でも、
そんなに苦しそうでもなく、
家内を産婦人科へ連れて行きました。
生まれそうになったら呼んでください。
そうお願いして、
私は形成外科外来で診察をしていました。
■ ■
外来をはじめて間もなく、
分娩室から電話がありました。
先生、もうすぐ生まれます。
分娩室へいらしてください。
助産婦さんからの連絡でした。
え~っ?
もう生まれるんですかぁ~?
私が分娩室へ着くと、
家内は苦しそうな顔をして、
分娩台の上にいました。
■ ■
初産は、
時間がかかるんじゃなかったかなぁ~?
と考える余裕もなく、
産婦人科の松浦敏章先生に取り上げていただき、
無事に長女は生まれました。
助産婦さんから、
安産でよかったですね
と褒めていただきました。
当時はビデオはなく、
カメラとテープレコーダーで、
分娩の様子を記録しました。
■ ■
私の両親も、
家内の両親も、
初孫の誕生を喜んでくれました。
私の両親は、
札幌から車で飛んで来ました。
家内の両親には、
まず、母親に来てもらい…
約1ヶ月の間、
函館に滞在してもらって、
お世話になりました。
義父は一ヶ月後に、
母親を迎えに来て会ってくれました。
■ ■
今のように携帯もなく。
もちろんメールで画像を送ることもできません。
まだ青函連絡船があった時代でした。
26年前に生まれた娘は、
親の元を離れて…
自由に生活しているようです。
信頼の絆(きずな)を切られて…
もうすぐ3年になります。
親の私は、
悪いことをしないで…
他人の役に立つことをしていて欲しいと、
願っています。
院長の休日
親も見ている院長日記
今日からシルバーウイークです。
秋のゴールデンウイークではなく、
シルバーウイークという名前が好きです。
‘後期高齢者’という名前は嫌いです。
毎年、敬老の日の前後に…
長い休みがあるのはよいことだと思います。
おかげさまで、
札幌美容形成外科は…
手術予約で一杯です。
■ ■
昨日の日記に、
83歳と81歳の私の親が、
パソコンでメールをしていることを書きました。
私は知らなかったのですが、
この院長日記をよく読んでいるらしいです。
私は、
実家へは帰らないし、
行っても用事が済むと、
すぐに帰ります。
親孝行な息子ではありません。
■ ■
同じ札幌市内に住んでいても、
用事がなければ電話もしません。
朝から夜まで働いているので、
時間がないこともあります。
便りがないのは…
よい便りということにしています。
55歳のオッサンになっても、
息子のことは心配なので、
親は院長日記で安否を知っているようです。
■ ■
親はコメントをくださる方のことを知っていて、
いつも感謝しています。
毎日、コメントをくださって…
ありがたいねぇ~
いただいたコメントは、
私の一番の励(はげ)みになっています。
毎日、ありがとうございます。
院長日記のネタに困ることもなく、
いただいたコメントをネタに、
新しい日記を考えています。
■ ■
そういえば…
私の息子も、
部活のホームページ係りをしています。
私も、
息子が作ったHPをたまに見ます。
息子のHPは、
私のように毎日更新はありません。
毎日更新していたら、
おそらく私も見ていると思います。
■ ■
もし、
この院長日記が更新されないと、
私が倒れたとか…
病気になったとか…
思われそうなので…
なかなか…
本日休診にもできません。
拙い(つたない)内容で申し訳ございませんが、
細々と続けたいと思っています。
なかなか親孝行はできないので…
せめて院長日記だけは続けます。
院長の休日
75歳の手習い
私の両親、
父親(83歳)
母親(81歳)
がパソコンでメールをしていると、
昨日の日記に書きました。
父親は私が中学生の頃、
三菱砿業㈱三菱大夕張炭鉱に、
薬剤師として勤務していました。
会社が坑内の安全管理のために導入した、
最新鋭のコンピューターで、
薬剤の在庫管理を始めたのがきっかけで、
コンピューターに取り組みました。
■ ■
毎日、コンピューターと悪戦苦闘していました。
今のノートPCより機能が悪いコンピューターが、
専用の部屋に設置されて、
エアコンまで完備されていた時代でした。
大変だ、たいへんだ
コンピューターはすごい
これからはコンピューターの時代だ
ということを、
40年前に言っていました。
炭鉱には、
優れた人材が揃っていました。
炭鉱会社の専門家から、
コンピューターを教えていただいたのが父です。
■ ■
濱本淳二先生にお世話になった、
上原貢様も、
父にコンピューターとコンピューターで知り合った、
三菱砿業㈱職員のお一人です。
NHKの大学講座で法律を勉強した父は、
独学でコツコツ勉強したのでしょう。
炭鉱病院で、
当時としては画期的な、
薬剤在庫管理システムはじめました。
退職後も、
父はノートパソコンを使っていました。
■ ■
母親は、
ごくふつうの主婦でした。
家計が苦しかったので、
森永製菓の工場のパート従業員→
→不況でリストラ→
日本団体生命保険の外交員→
三菱信託銀行の財形貯蓄の外交員→
北海道不動産鑑定士協会のパート事務員
と働きました。
家計が苦しかった原因は、
私と弟の教育費でした。
■ ■
母親は働いたおかげで、
たくさんの人脈を築きました。
最後に働いていた時代には、
コピーを取るのが仕事でした。
PCには触ってもいませんでした。
もちろんワープロも使えませんでした。
電話とFAXは活用していましたが、
父親のノートパソコンには、
見向きもしていませんでした。
■ ■
今から6年前、
75歳頃だったと記憶しています。
何を考えたのか…?
突然、パソコンを触りはじめました。
もちろんキーボードも、
スイッチの入れ方も知りませんでした。
ぽちポチと、
あ・い・う・え・お
を入力していました。
■ ■
どうせやるなら、
ローマ字変換がいいよ、
という私と父のアドバイスで、
ローマ字かな変換にしました。
本人に確認したところ、
まず忘れていた…
ローマ字を覚えることから…
はじめたそうです。
こうして少しずつ、
パソコンを覚えて行ったようです。
■ ■
今では、
メールに写真を添付して送ったり、
自分の弟たちと、
メールでやり取りをしたり…
父親以上にパソコンを活用しています。
昨日も、
自分の弟(79歳)からメールで送ってきた、
写真を見せてくれました。
私はたまにしか実家へは行かず、
親にメールもしません。
息子としては…
75の手習いで覚えたパソコンで、
元気でいて欲しいと願っています。
院長の休日
電話帳の将来
札幌市内でNTTの電話帳が配布されています。
昨年も電話帳広告のことを、
5月29日の日記に書きました。
札幌美容形成外科の電話帳広告は、
毎年、小さくなってきています。
一番、大きく出したのは…
開業した5年前でした。
■ ■
電話帳広告の申し込みは、
開業前から契約して…
料金を前払いで払いました。
北海道は広いので…
札幌近郊や
旭川
帯広
苫小牧
といった地域にも出しました。
■ ■
電話帳の広告費がどの位するか…?
ご存知ないと思います。
発行部数や、
大きさによっても異なります。
札幌美容形成外科では、
一番大きく出した年は、
3/4ページ大、
つまり一ページの75%の広告でした。
(一ページは高くて出せませんでした)
■ ■
この3/4ページの広告を、
札幌市内のタウンページ
(形成外科と美容外科)
に出した広告費が、
一年分で、
なんと約500万円もしました。
無名の札幌美容形成外科を、
電話帳で知ってもらうための広告費が、
一年間で500万円です。
5年前は、
電話帳で、
お電話をくださる方が、
かなりいらっしゃいました。
■ ■
ところが…
年々、電話帳を見て、
お電話で相談して、
手術を受けたいという方が減っています。
NTTではデーターをくれませんが、
電話帳の発行部数が、
年々減っていると思います。
電話帳は家デンのある家庭、
それも…
NTTと契約を結んでいる家庭にしか配布されません。
■ ■
若い人は家デンを持っていません。
携帯で十分です。
私たちの年齢ですと、
電話帳を調べる習慣があります。
ところが、
私の息子に聞いても…
電話帳を調べたことはないようです。
調べるのはネットです。
HPに詳しく書いてあります。
■ ■
後期高齢者である、
私の母親(81歳)に聞いてみました。
新しい電話帳来た?
電話帳見てる?
見てないよ。
字が小さくて読めない。
分類が細かすぎて…
どこを調べたらいいかわからない。
調べるならパソコン
字も大きくできて読みやすい。
■ ■
なるほど…と思いました。
私の両親は携帯は持っていませんが、
パソコンでメールをやっています。
電話もIP電話です。
高齢者にとって、
設定で字を大きくできるPCは、
確かに便利です。
NTTの電話帳担当者は、
とても真面目でよい方なのですが…
コンビニで無料配布するなどしないと…
電話帳の将来は危ういと思います。
昔の記憶
私の顔を治してください
市立札幌病院に勤務していた、
ある時期のことでした。
救急部に一人の女性が搬送されてきました。
現在、北海道大学救急医学講座教授の
丸藤哲(がんどうさとし)先生が、
手術中の私のところへ、
わざわざいらしてくださいました。
同じ病院内で、
救急の先生が担当医のところへいらっしゃるのは、
よほどのことです。
■ ■
本間先生、
申し訳ありませんが、
この手術が終わったら、
大至急、救急ホールにいらしていただけませんか?
ふだんは冷静な丸藤先生が、
その時は、少し違って見えました。
幸い、短い手術だったので、
私は手術室があった2階から、
地下の救急ホールへ向かいました。
■ ■
救急ホールには、
一人の若い女性患者さんが横になっていました。
私が着くと…
その方は…
私の顔を治してください
と弱々しい声で言いました。
交通事故で、
搬送されてきた患者さんでした。
私はモデルをしています
キズを治すプロを自認していた私も、
驚くほどのケガでした。
■ ■
将来ある若い女性の顔のケガは、
形成外科医にとって大変難しい手術です。
少しでも後遺障害を少なく、
元通りに治してあげたい…。
という思いがあります。
ところが…
まったく元通りにすることは、
限りなく不可能に近いこともあります。
自分にはできないので…
ブラックジャックを呼びたいと思うこともあります。
■ ■
私の顔を治してください
と頼まれた私は、
丸藤先生に全身麻酔をかけていただき、
その日の予定をすべてキャンセルして、
6時間30分をかけて、
その女性の顔を手術しました。
今までの形成外科医人生の中で…
一番重症だった顔のケガでした。
幸い、
手術後の安静も守っていただき、
経過も順調でした。
■ ■
私がJA帯広厚生病院へ転勤してからも、
修正手術を受けに、
帯広までいらしてくださいました。
明るく…
前向きな性格の女性でした。
その後は、
年賀状のやりとり程度が続いていました。
私は元気で働いていることを知り、
安心していました。
■ ■
事故から約10年が経過していました。
私が、
信じてはいけない人に騙されて、
人生で一番落ち込んでいた時期に、
一枚の葉書をいただきました。
先生、結婚しました。
隣にいるのは…
毎日お見舞いに来てくれていた彼です。
一枚の葉書には、
結婚式の写真がついていました。
■ ■
その写真を見て…
私は、
落ち込んでいて…
一度は辞めようと思った形成外科医を
続けることにしました。
今、私が形成外科医を続けているのは、
この女性からの葉書のおかげです。
写真は本人の承諾を得て掲載していますが、
気の弱い人は
最後の写真を見ないでください。
結婚式の写真
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気の弱い人は
この先を
見ないでください!
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受傷時です
医学講座
元には戻せません
プチ整形という言葉があります。
整形は簡単で…
気に入らなければ…
すぐに元に戻せる…
という誤った認識があります。
糸で留める埋没法でも、
簡単には戻せません。
埋没法で固定する手術より、
糸を取る手術の方が難しいのです。
■ ■
眼瞼下垂症などの切る手術は、
元の通りに戻すことは不可能です。
メスを入れて剥離(はくり)という操作をすると、
そこには瘢痕(はんこん)というキズができます。
眼瞼挙筋(がんけんきょきん)という筋肉を操作すると、
目が大きくなります。
手術後に気に入らないから…
元に戻してくださいと言われても…
元に戻すことはできません。
■ ■
形成外科や美容外科の手術は、
大部分が緊急性がありません。
手術を受ける前に、
少しでも迷いがあるのでしたら、
私は手術をおすすめしていません。
せっかくいらしていただいたのに、
という気持ちもありますが、
その方が、本人のためだと思うからです。
■ ■
昨日の日記に書いた、
危ない患者さんという言葉に、
コメントをいただきました。
不適切な表現で申し訳ございません。
美容外科の業界ではよく使われています。
コメントをいただいた方は、
他の形成外科で手術を受けられ、
症状が快くなられたとのことです。
上手な先生に手術をしていただいて、
よかったと思います。
■ ■
ただ…
1年3ヶ月経った今でも、
やはり以前から私の顔を知っている人には
「整形したのではないか・・」と
疑念を持たれているのではないかと
いつもハラハラ・ドキドキしながら会っています
という文を読んだ時に、
やはり私は手術をお引き受けしなくてよかった。
私の判断は誤っていなかったと思いました。
■ ■
眼瞼下垂症の診断は、
診断する医師によって異なります。
一部の眼科医の間では、
形成外科医は手術をしすぎているという批判もあります。
厚生労働省が定めた、
明確な診断基準や、
手術適応の基準はありません。
一般的に眼科医より、
形成外科医の方が診断基準が広いと思います。
■ ■
他の大きな病院で…
眼瞼下垂症ではないと診断されてた方を、
私が眼瞼下垂症と診断することもあります。
コメントをいただいた方のように、
私が、眼瞼下垂症は軽度で、
手術をしても
頭痛や肩こりが100%治るとは言えない。
と判断することもあります。
頑固な肩こりや頭痛には、
頭痛専門のクリニックをご紹介することもあります。
■ ■
一番の問題は、
自分の顔が変わることに抵抗がある…
ということです。
眼瞼下垂症の手術は保険適応でできますが、
元に戻す手術には保険が効きません。
また、100%元通りに戻すこともできません。
元に戻した方が良いのではないかなどと、
随分と悩んだものでした。
と書かれていました。
■ ■
悩んで、
元に戻す手術の相談を受けても…
私には、よい答えはありません。
私たち美容形成外科医にとっても、
元に戻してください
と言われるのは、
大変なことなのです。
決して小さなことではありません。
言葉足らずで不快な思いをおかけして、
申し訳ございませんでした。
手術適応は慎重に決めているのです。