昔の記憶
予備校の仲間
私は昭和48年(1973年)3月に、
札幌あ西高校を卒業しました。
現役で受けた…
札幌医大→不合格
弘前大学医学部→不合格
10月に行われた旭川医大→不合格
父親が弁護士がいいと言っていたので…
なんとなく受けた
同志社大学(法)だけ合格しましたが、
医学部を目指して予備校へ行きました。
■ ■
私が通った予備校は、
札幌予備学院医進コースでした。
今は、河合塾札幌校となり、
私が通った校舎はありません。
当時から、
医進コースには選抜試験がありました。
特待生制度もあったようですが…
私の成績では特待生にはなれませんでした。
予備校に行っても…
最初はあまりヤル気が出ませんでした。
■ ■
今の世代は…
予備校時代にも…
たくさんの友人ができるようです。
私の時代には、
予備校で友人ができて…
話すことはあまりありませんでした。
ただ、毎日同じ席に座って…
先生の講義を熱心に聴いていると…
不思議と同じ顔が集まってきます。
■ ■
中にはとても優秀な成績なのに…
模試で何度も10位以内に入っているのに…
どうしてこの人が…?
と思うような優秀な人が落ちて…
予備校にいることを知りました。
私の予備校時代に、
常にトップだったのは、
滝川高校出身の松倉さんという人でした。
彼はいつも千葉大(医)を
第一志望にしていました。
■ ■
予備校の…
一番前の席で、
いつも熱心に聴いていたのが…
さくらんぼさんにご紹介した、
山形県米沢市で活躍している、
循環器内科医の阿部秀樹先生です。
阿部先生は、
函館ラサール高校の出身です。
体型も今と変わらず…
毎日、一番前で聴いていました。
■ ■
私が札幌医大に入学した当時は、
札幌予備学院からの合格者が…
一番多かったので…
予備校で一緒だった仲間が…
大学でそのまま6年間同級生になりました。
18歳から…
55歳まで一緒なのは…
奥さんよりも長い年月です。
18歳で味わった挫折感は…
今となっては懐かしい想い出です。
大学を卒業して…
今年で30年になります。
昔の記憶
合格おめでとう
今日の北海道新聞朝刊に、
予備校の広告が掲載されていました。
河合塾、
駿台予備校、
代ゼミ、
の3校です。
昨日、発表された…
北海道大学前期合格者の、
顔写真と出身校が掲載されていました。
■ ■
合格者のみなさんに…
心から…
合格おめでとう!
と申し上げます。
私は…
一浪で札幌医大に合格しました。
当時は、
合格者の名前も発表されたため、
新聞記事として、
合格者の名前と出身校が掲載されました。
■ ■
北大の合格発表は、
TVで中継されて、
テレビで合格者名が読み上げられました。
札幌医大は…
TV中継はなく、
ラジオで合格者名が読み上げられました。
今は…
個人情報保護のために、
合格発表は受験番号だけです。
■ ■
新聞に掲載される、
予備校の広告だけが、
唯一、合格者を知る媒体です。
どの顔も真面目そうです。
知人の先生のご子息かなぁ…?
と思うような名前がありました。
そういえば…
お父さんに似ているなぁ…?
と思うこともあります。
■ ■
札幌市内の進学校ではなく、
地方の高校から、
北大に合格した顔もありました。
『がんばったね』
『よかったね』
という思いがします。
私は…
浪人は無駄ではないという考えです。
■ ■
予備校時代に…
苦労して勉強したことは、
必ず人生で役に立ちます。
あと一点、
あと一人、
で合格できたのに…
もう一度、確認しておけば…
ケアレスミスをしなければ…
合格できたのに…
という経験は必ず役に立ちます。
■ ■
不幸にして…
前期試験で不合格となったみなさん!
まだ諦めないでください。
後期試験もあります。
運がよければ…
補欠合格というのもあります。
最後まであきらめないことです。
毎年、3月になると…
自分の受験生時代を想い出します。
矢野先生の、
受験生は、人生で一番ロマンチックな時期、
というお言葉を想い出します。
医療問題
医学部定員増の問題点
昨日の日記、
「NYの奇跡」機長さん引退に
教員定数も変えないで…
医学部の入学定員だけを増やしても…
技量不足の…
粗製濫造医師が増えるだけです。
解剖学など…
地味な基礎医学の教員は不足しています。
と書きました。
■ ■
医学部を卒業して…
医師国家試験に合格すると…
臨床研修制度があります。
今年の卒業生は、
2年間の臨床研修を受けます。
私の時にも臨床研修はありましたが…
今ほど厳格ではなかったので、
私が研修を受けたのは
形成外科以外では麻酔科だけです。
■ ■
医学部を卒業してから…
何科になるかは…
個人の自由です。
ふつうの医学生は…
自分の適性とか…
先輩の影響とか…
就職後の待遇とか…
自分の将来とか…
お給料とか…
いろいろなことを考えて…
自分の専門科目を選びます。
■ ■
一部の医学生は…
大学に残って…
教授になろう…
と考える人もいます。
自分は臨床家よりも
研究者に向いている…
と考えて大学に残る人もいます。
解剖学などの科目を選ぶ人は、
100人の卒業生がいても…
一人いればいい方です。
■ ■
医学に絶対必要な…
解剖学の教員は、
30年前から不足していました。
私が医学生だった30年前…
解剖学の教授は…
三橋公平先生という立派な先生でした。
助教授は…
医師ではなく人類学が専門の先生でした。
少ない教員で、
解剖学実習を教えてくださいました。
■ ■
私が解剖学教室で仕事をした、
村上弦教授は…
解剖学が大好きで…
臨床に通じる解剖学を教えていました。
医学生は…
ご遺体を解剖させていただいて、
人体の構造の細かさに驚き…
医学への造詣を深めます。
今でも少ない教員で、
労基法無視で教えているのが実情です。
定員を10人増やすだけでも…
実習がおろそかになります。
医学部の定員を増やすだけでは、
技量不足の医師ができる危険性があります。
院長の休日
「NYの奇跡」機長さん引退
平成22年3月4日、朝日新聞の記事です。
「NYの奇跡」機長、
30年の操縦士生活から引退
【ニューヨーク=山中季広】
故障した旅客機を
米ニューヨークのハドソン川に
無事に不時着させてたたえられた
USエアウェイズ社の
チェスリー・サレンバーガー機長(59)が
2010年3月3日、
現役最後の飛行を終え、
30年の操縦士生活から引退した。
■ ■
フロリダ州からノースカロライナ州への飛行を
無事に終えて会見。
「航空各社が経営難のため、
技量不足の操縦士を安い給料で雇ってきた。
もっと給料を上げて
経験豊富な操縦士を増やさないと、
空の安全は確保できない」と訴えた。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
30年の操縦士生活、
お疲れ様でした。
私の憧(あこが)れの職業は、
医師ではなく…
パイロットでした。
お客さんの命を預かるという…
共通点があります。
沈着…
冷静…
的確な判断を…
求められる職種です。
■ ■
私も医師になって30年です。
私は…
サレンバーガー機長の意見に賛成です。
ジェット機のような…
巨大な機体が空を飛ぶのです。
安全が一番大切です。
安い給料の技量不足操縦士
の飛行機には乗りたくありません。
■ ■
医療の世界にも同じことが言えます。
医師不足だから…
医学部の入学定員を増やしたり…
医学部を新設しようしています。
こんなことをしてもダメです。
今でも…
解剖学など…
地味な基礎医学の教員は不足しています。
■ ■
教員定数も変えないで…
医学部の入学定員だけを増やしても…
技量不足の…
粗製濫造医師が増えるだけです。
命にかかわるものは、
安ければ良いのではありません。
安全と安心が一番大切です。
緊急事態が発生しても、
的確に対応できるようになるには、
教育・経験・技量が必要です。
機長さんの言葉を、
航空政策を決める偉い人に聞いて欲しいです。
サレンバーガーさん
(以上、朝日新聞より引用)
院長の休日
父の誕生日2010
今日3月4日は、
私の父の誕生日です。
今年は年男です。
大正15年(1926年)3月4日生です。
寅年です。
84歳になりました。
毎年、2~3人ずつ…
同級生が亡くなり…
残っているのは一桁になったそうです。
■ ■
私の父親の世代は、
戦争で徴兵された時代でした。
父親は、
徴兵されるのがイヤで、
徴兵免除になる、
薬学専門学校へ進学したそうです。
実際には、
召集令状が来る前に終戦になり、
同級生で戦争へ行ったのは、
志願兵だけだったそうです。
■ ■
私の祖父(父の父)は…
81歳で亡くなりました。
私は自分の父より…
長生きできる自信はありません。
昨年の誕生日には、
定山渓温泉に行きました。
今年は…
大雪山の旭岳温泉に行きました。
旭岳の麓(ふもと)にある温泉です。
■ ■
私はこの旭岳温泉が好きです。
札幌からは遠い温泉ですが、
何度入っても…
湯疲れしない温泉です。
山の中の温泉なので…
とても静かです。
木に囲まれた温泉です。
雪が真っ白でキレイです。
■ ■
夏と秋には、
旭岳登山をしました。
とても雄大でキレイな山です。
旭岳は冬のスキーで有名です。
私も昔はスキーをしましたが、
最近はしていません。
ロープウェイで…
スキー客と一緒に上がり、
またロープウェイで下りてきました。
■ ■
今日の旭岳は…
父親の84歳の誕生日を祝うように…
すっきりと晴れてくれました。
スキーや
ボードを楽しんでいる人が
たくさんいらっしゃいました。
来年も…
どこかの温泉で…
85歳の誕生日が祝えるといいなぁ~
と思っています。

84歳の父と私(旭岳)
医学講座
熱傷治療のスタッフ
どんなに優秀なお医者さんでも…
一人では絶対にできないのが…
重症熱傷の治療です。
救命率が上がったのは、
救急医療の進歩によります。
全身管理ができる…
救急専門医や、
ICUの看護師さんが、
常に状態を見て対応してくださるので、
急性期の死亡率が激減しました。
■ ■
救急医療が進歩した…
今でも大変なのが、
焼けてしまった皮膚の手術です。
どんなにバイオ技術が発達しても、
死体から採取した…
ヒトの皮膚には叶いません。
スキンバンクがなければ…
救命率は上がりません。
■ ■
救急医…
形成外科医…
看護師…
の他に…
薬剤師…
管理栄養士…
理学療法士…
作業療法士…
病院中の医療スタッフがかかわります。
■ ■
各部門に分かれている…
医療スタッフが、
一人の熱傷患者さんのために、
全力で取り組まなければ…
重症熱傷は助かりません。
また助かった後も、
施設入所や、
リハビリ施設でお世話にならなければ…
簡単に社会復帰はできません。
■ ■
重症熱傷から回復しても…
元の身体には戻れません。
下肢を切断した人もいました。
精神的にも大きなダメージを受けます。
もともと精神疾患を持った人が、
自殺企図で重症熱傷となることもあります。
そうすると…
精神神経科の先生にお世話になります。
■ ■
札幌医大高度救命救急センターには、
優秀なスタッフが揃っています。
院内感染が問題となったので、
札幌医大微生物学講座と共同で
耐性菌(たいせいきん)の研究も進んでいます。
2年間も熱傷治療をしていないと、
せっかく築いた熱傷チームも…
ばらばらになってしまいます。
北海道知事の英断で、
この問題を何とかしていただきたいと…
一人の北海道民として願っています。
医学講座
重症熱傷の処置
重症の熱傷(やけど)は…
処置が大変です。
熱傷患者さんは意識があります。
ちょっとやけどをしても痛いのに…
身体の半分以上が焼けていると…
その処置は想像を絶するものがあります。
医師一人と
看護師2~3人で、
最低1時間以上かかります。
■ ■
昔は熱傷処置室で…
ガウンを着て…
白い長靴を履いて…
処置をしたものでした。
長靴でなければ…
処置をする側の足も…
汚れてしまうからです。
処置中にも…
患者さんの状態をチェックしないと…
血圧が下がってしまうこともあります。
■ ■
身体中が…
包帯でぐるぐる巻きになります。
ガーゼなどの量も半端ではありません。
処置の前に…
看護師さんが…
軟膏をのばして準備しておきます。
この準備にも時間がかかります。
処置が終わると…
汚物の処理や…
処置室の清掃と消毒があります。
■ ■
一人の処置に…
慣れないと半日かかることもありました。
この処置を…
手際よくするには、
医師も…
看護師も…
慣れた人でなければできません。
2年間もの間…
熱傷患者を診ていないと…
慣れたスタッフもいなくなります。
■ ■
一人の重症熱傷患者さんが入院すると…
『あぁ…』
『これで…』
『2ヵ月は土日も休みなしだなぁ…』
と思ったものです。
少ない医師で…
土日も毎日ガーゼ交換。
休日は…
看護師の数も少ないので…
大変な思いをして…
熱傷患者さんの処置をしました。
医療者側にも大変なのが…
重症熱傷の処置です。

処置中の私です(2001年)
転院して来た患者さんです
医療問題
重症熱傷の治療
高度救命救急センターでも…
重症熱傷の患者さんの救命は、
とても大変なことです。
一施設で…
一度に治療できる…
重症熱傷患者さんには限りがあります。
無理をして収容しても…
全員亡くなってしまいます。
■ ■
全身の半分以上が焼けてしまった…
重症熱傷は、
外傷の中でも、
もっとも侵襲(けがの程度)が大きいです。
胃癌の手術や…
脳腫瘍の手術よりも…
ずっと身体の負担が大きいのが…
重症熱傷です。
■ ■
救命救急センターがなかった時代には、
形成外科、
外科、
皮膚科などで…
熱傷(やけど)の治療をしていました。
私の幼馴染(おさななじみ)だった、
お医者さんの子どもが、
大ヤケドで亡くなってしまいました。
当時は外科か皮膚科の先生が診たと思います。
■ ■
私が医師になった30年前は、
形成外科だけで熱傷の治療をしていました。
はっきり言って…
50%以上のⅢ度熱傷は、
救命できませんでした。
補液や呼吸管理という…
全身管理ができなければ…
重症熱傷は救命できません。
■ ■
皮膚が焼けると…
焼けたところが身体中の‘水’を奪います。
火を消すために水をかけるようなものです。
身体中の‘水’が足りなくなるので、
たちまち血圧は下がり、
おしっこが出なくなります。
広島の原爆で亡くなった方が…
『水をくれ…』と最期に言ったのは…
このためです。
■ ■
重症熱傷の患者さんが搬送されると、
まず点滴を何本もします。
‘ルートを取る’と業界では呼びます。
何リットルも点滴をするので、
身体はパンパンになります。
焼けた部分の皮膚は伸びないので、
皮膚を切開して、
血液循環を維持します。
これを減張切開(げんちょうせっかい)といいます。
■ ■
一般の外傷(腹部損傷など)に比べて、
何倍も人手がかかるのが…
重症熱傷の治療です。
救急のスタッフを総動員しても、
一人の治療に何時間もかかります。
その間に…
救急隊や…
一次二次の病院から、
受入要請の依頼が入ります。
熱傷患者さんを治療中だからといって…
他の外傷を断ることもできません。
■ ■
熱傷治療には、
熱傷用ベッドなど…
高価な特殊設備も必要です。
設備面でも…
重症熱傷の治療ができる施設は
極めて限られています。
札幌医大高度救命救急センターには、
設備も優秀な先生も、
優秀な看護師さんも揃っています。
2年間もの受入中止で…
貴重な医療資源が使えないのは、
とても残念なことです。
医療問題
札幌医大の熱傷患者受入中止問題
昨日の日記に書いた…
小学生の子どもさんが…
札幌→東京まで、
自衛隊機で
搬送されなけれならなかったのには、
大きな理由があります。
札幌医科大学高度救命救急センターが、
2年間もの間、
熱傷患者診療を停止しているためです。
■ ■
札幌市内には、
重症熱傷の治療ができる施設として、
①市立札幌病院、
②北海道大学病院先進急性期医療センター
③札幌医科大学高度救命救急センター
の3つがあります。
このうち最も熱傷治療の歴史が古いのが、
札幌医科大学高度救命救急センターです。
■ ■
私が学生だった30年前から…
札幌医大には、
北海道が作った…
道民のための大学…
道民のための大学病院…
という意識がありました。
札幌医大高度救命救急センターは、
災害外傷部という、
地下にあった救急部がはじまりでした。
■ ■
私が学生の頃から、
札幌医大には、
重症熱傷の患者さんが搬送されていました。
学生実習で…
はじめて重症熱傷の患者さんを見た時…
‘うゎ…すごいなぁ…’
と思ったのをよく覚えています。
まさか自分が熱傷治療をすることになるとは…
夢にも考えませんでした。
■ ■
ロシアから来た…
有名なコンスタンチンくんを治したのは、
私の先輩である阿部清秀先生です。
北海道で、
歴史と実績があり、
高度救命救急センターに指定されている、
札幌医科大学附属病院が、
院内感染の後処理のために、
2年間も重症熱傷患者の受け入れをしていません。
■ ■
医科大学には、
①診療
②教育
③研究
という3つの役割があります。
熱傷治療に関して言えば…
札幌医大で現在行われているのは、
③の研究だけです。
■ ■
昨日の学会でも、
札幌医科大学救急・集中治療学講座と
微生物学講座の…
耐性緑膿菌(たいせいりょくのうきん)についての
素晴らしい研究成果が発表されていました。
昨年夏に…
もし札幌医大病院で、
小学生の子どもさんを受け入れてくれたら…
わざわざ自衛隊機で…
東京まで搬送しなくてもよかったのです。
■ ■
小学生の子どもが…
身内も友だちもいない東京で…
数ヶ月も入院して、
大きな手術を受けなくてもよかったのです。
私はとても残念に思いました。
札幌医大の浅井教授も…
無念の表情をしていらっしゃいました。
大学の教授でも、
組織が決めたことには抵抗できません。
札幌医大高度救命救急センターの
浅井康文教授は立派な先生です。
■ ■
昨日の地方会で、
浅井教授が残念そうに…
札幌医大で治療できなくて、
申し訳ございません。
と話されていたのが印象的でした。
院内感染対策も大切ですが、
2年間も受入停止をする必要性の…
エビデンスレベルがどの程度なのか?
一人の医師として疑問に思います。
■ ■
この院長日記を…
ぜひマスコミの方に読んでいただき、
札幌市と北海道内の…
重症熱傷治療の危機的状況について、
広く世間に知らせて欲しいと思います。
北海道の高橋はるみ知事さん。
もし…
あなたの子どもさんや
お孫さんが…
大やけどをしたら、
東京まで自衛隊機で搬送しますか?
医療問題
第16回日本熱傷学会北海道地方会
今日は北海道大学学術交流会館で、
第16回日本熱傷学会北海道地方会がありました。
北大正門を入った左手にある建物です。
昨年は大雪で来れなかった、
まみ子師長さんも
学会に参加してくださいました。
■ ■
今日は10題の演題がありました。
今日の学会で印象に残ったのが…
市立札幌病院救命救急センターの
牧瀬博先生の発表でした。
小児重症熱傷患者の東京への搬送経験
という演題でした。
■ ■
昨年夏に、
札幌で小学生の子どもさんが、
遊んでいる時に、
何かが爆発して、
全身に大やけどをしました。
体の約70%が焼けてしまった…
きわめて重症なやけどです。
■ ■
設備が整っている、
救命救急センターでも…
命が助かるかどうか…?
というほど重症のやけどです。
重症のやけどの患者さんは、
たくさんの人手や設備が要ります。
救命救急センタでも…
一度に入院できる…
重症熱傷の患者さんは限界があります。
■ ■
子どもさんが搬送された時に、
市立札幌病院には…
3人の重症熱傷患者さんが入院していました。
それ以上の患者さんが入院しても、
人的にも…
設備面でも…
十分な治療ができません。
札幌市内には、
他の救命救急センターがありますが、
そちらも満床でした。
■ ■
小学生の子どもさんを助けるには…
設備の整った…
熱傷治療の専門施設へ搬送する必要がありました。
これだけのやけどを助けられる施設は限られています。
牧瀬先生は、
悩んだ末に…
東京の杏林大学救命救急センターへ依頼しました。
牧瀬先生のネットワークです。
■ ■
やけどの子どもさんは、
医師2人が付き添って、
市立札幌病院→救急車で
丘珠空港→自衛隊機で
立川基地→救急車で
杏林大学救命救急センターへ
搬送されました。
■ ■
何度かの大手術で、
子どもさんの命は助かりました。
札幌→東京への搬送は、
患者さんにも…
医療者側にも…
とても大変なことです。
狭い航空機の中では、
十分な処置ができません。
■ ■
牧瀬先生のご発表を聴いて…
子どもさんの命が助かって…
ほんとうによかったと思いました。
ご両親や
ご家族も
何ヵ月も東京へ行かなければならず、
とても大変なことだったと思いました。
東京まで行かなくても…
重症のやけどが治せるとよいのにと思います。