医学講座
医者冥利(みょうり)
医師になってよかったと思う瞬間があります。
それはお給料をいただいた時とか…
ではありません。
自分が他人の役に立った…!
と実感できた時です。
この院長日記でも…
何人かの先生の医者冥利を掲載しました。
■ ■
私が一番印象に残っているのが…
産科医冥利という
2007年10月29日に掲載した、
日本産婦人科医会会長、
浜松医科大学長の寺尾俊彦先生のエッセイです。
メディカルトリビューンという
医師向けの新聞に掲載されていました。
■ ■
以下が要旨です。
名古屋大学医学部附属病院に勤務していた40年前、
ある日、浜松から患者さんが診察にみえた。幼いころ、脊柱が湾曲する病気にかかり、身長が中学生位の方だった。
大学で福祉の勉強をしたという、とてもかわいらしい女性である。卒業後、高校教諭と結婚したが、出産はあきらめていた。どの産婦人科医に尋ねても無理とのこと。
しかし、愛する夫の子がどうしても欲しいと遂に名古屋まで来たという。
正直、私も無理かと思った。子宮が大きくなるにつれ腸の行き場がなくなり食事ができない、また、背骨が痛むのではないかと心配した。
しかし、話をしているうちに、この方の明るさと前向きな姿勢なら、ひょっとしていけるかもしれないと思うようになった。
結局、浜松から名古屋まで通っていただき、帝王切開で無事、男の子が誕生した。更に数年後には女の子が誕生した。
この男の子が名古屋大学医学部に入学し医師となった。
卒業後2年間の研修医期間を終え、私たちの産婦人科教室に入ってくれた。さらにまた、結婚し、私たち夫婦が仲人をさせていただいた。
最近、この夫婦にも赤ちゃんが誕生したが、将来きっと素晴らしい医師になってくれるに違いない。
■ ■
医師という仕事は、
ストレスの多い仕事です。
患者さんの死という…
避けては通れない場面と遭遇します。
どんなに頑張っても…
救命できないこともあります。
鹿野恒先生という日記に書いてあります。
そんな時には無力感に襲われます。
■ ■
美容外科や形成外科は…
想像以上に大変な仕事です。
結果が目に見えるために…
どんなに上手にできた!
…と、こちらが思っても…
患者さん(お客さん)が気に入らなければ…
零点と同じです。
■ ■
私にも…
形成外科医になってよかったと思ったことがあります。
私の顔を治してください
と頼まれて…
6時間30分もかけて治した方から…
結婚しましたと…
写真付の葉書をいただいた時。
昔、赤ちゃんの時に手術をした患者さんが
訪ねて来てくれてた時。
■ ■
美容形成外科医になってからは…
手術を受けていただいた方から
院長日記に…
手術を受けてよかったと
コメントをいただいた時。
苦労して手術してよかった!
と…
医者冥利を実感しています。
これからもがんばりたいと思います。
医学講座
未熟児だった私医師に
平成22年7月21日、朝日新聞夕刊の記事です。
小さく生まれて
はぐ_Hug【育(はぐく)む】
未熟児だった私医師に
東京都内の大学付属病院の小児科病棟で、女性医師(29)が、忙しいながらも生き生きと子どもを診ている。おもちゃを手に子どもと一緒に遊びながら、体の具合を聞き出すこともある。
彼女自身、未熟児だった。
都内の日本赤十字病院で1980年8月30日、妊娠27週、1050㌘で産まれた。当時の主治医によると約50%の生存率だったという。肺が未熟で体重が増えず、母親(66)は不安が募った。医師になって2年目の主治医は重圧の中、夢中で治療した。
半年後に退院。順調に育っていった彼女に、産まれた時の周囲の苦労を知っている母親は「あなたは、みんなに支えられて育ってきたのよ」と何度も諭した。
高校3年の5月12日の「看護の日」。病院で看護体験をするという学校行事があった。彼女が選んだのは、自分が産まれた日赤病院だった。新生児集中治療室(NICU)で自分と同じ千㌘の新生児を見て、実際の小ささに驚いた。医師や看護師は24時間体制で新生児の命をつなぎとめる。その中には、生まれた時の彼女を覚えている看護師もいた。どれだけ周囲に支えられてきたのかを実感した。「恩返しをしたい」。小児科を目指すと決めた。
都内の医科大学に進んだ。研修医時代には、急患が途絶えることのない小児科の当直業務を経験するなど厳しい面を実感したが、信念を貢いて小児科を選んだ。
2年前のある日、母親から主治医の名前を初めて教えられ、30年も前のことで覚えていないかも知れないと思いながら手紙を出した。「未熟児の時はお世話になりました」。しかし「詳細に記憶している」と返事があり、会いに行った。「みんなに支えてもらったんだから、今度は君の番だね」と励まされた。
半年間のNICU勤務も経験した。担当した女児の母親に、自分も未熟児だったことを伝えると「うちの子もお医者さんになれるかも」と喜んでくれた。
昨春、病院からの帰り道にある女児の家を訪ねた。「何歳?]と聞くと、指を立てて1歳と教えてくれた。大きくなった姿を見て恩返しを少しでもできたかな、とうれしくなった。(沢伸也)
シリーズ「小さく生まれて」はこれで終わります。
「はぐ」担当記者がツイッターでつぶやいています。子育てをめぐる体験や記事への感想などを、ツイッター(http://twitter.com/asahi_hug)、またはメール(asahi-hug2010@asahi.com)でお寄せください。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私の後輩で、
自分の父親が盲人なので…
入学した時から眼科医になると言っていた先生がいます。
写真の腕前はプロ級で…
毎年、富良野や美瑛(びえい)の写真を…
年賀状で送ってくれました。
アレルギー性鼻炎に悩んでいたので…
耳鼻科医になった先生もいます。
医師を目指す理由はさまざまです。
■ ■
私もはじめて…
1000㌘以下の赤ちゃんを見た時には…
こんなに小さくて生きられるのだろうか…?
と思いました。
市立札幌病院のNICUで育てていただいた…
知人の子どもさんも大きくなりました。
500㌘の赤ちゃん㊤
500㌘の赤ちゃん㊥
500㌘の赤ちゃん㊦
の院長日記を読んでください。
■ ■
未熟児だった赤ちゃんを、
卒後2年目で懸命に助けた、
元主治医の先生は、
立派な女医さんになって訪ねてくれた先生を見て、
どんなに嬉しかったことでしょうか。
医者冥利(みょうり)に尽きる…
と思います。
未熟児だった子を…
立派に育てたお母さんにも拍手です。
医学講座
大森清一先生②
私が存じている大森清一先生は、
学会で最前列中央にお座りになり…
『警察病院の大森ですが…』
と発言される先生でした。
私の恩師、
大浦武彦先生は…
大森先生の弟子です。
■ ■
私たちの世代は…
大森先生の孫の世代です。
私が札幌医大の学生だった30年前。
実習で手術を見学していた頃です、
顔を縫うのに
どう見てもキズが残りそうな縫い方を見ました。
『病気が治ってもキズが残ったら
この人の人生はどうなるのだろう?』と思って、
図書館で形成外科の教科書を見つけました。
この教科書の著者が大森清一先生でした。
■ ■
医学部6年生の私は…
形成外科のことはまったく知りませんでした。
図書館で見つけた本も…
よく理解できませんでした。
本を読んだ(見た)だけでは…
形成外科医になりたいとも思いませんでした。
一つだけ理解したのは、
形成外科に行けば
傷をきれいにできる?
という程度でした。
■ ■
大森先生を知ったのは、
北大形成外科へ入局して、
大浦武彦先生が学会を開催された時が最初でした。
威厳と貫禄のある先生でした。
私たち孫の世代には…
優しい先生でした。
東京警察病院で修行を積まれた先生は、
日本中で形成外科を広められました。
大森清一先生は、
たくさんの形成外科教授を育てられました。
■ ■
今、日本形成外科学会の主なメンバーは
大森先生の孫の時代になっています。
若い先生が…
大森清一先生のお名前を知らなくても…
無理はないかも…?です。
私たちの世代は、
形成外科の教科書は
日本の大森先生と
米国のカンバースでした。
■ ■
大森清一先生のことについては…
塩谷信幸先生のブログにも掲載されています。
東大形成外科50周年
ムンテラの名手大森清一先生
再び大森先生
とても興味深い内容です。
大森先生のような先生は…
今は少なくなった気がします。
形成外科を志す若い先生は、
大森清一先生のことは覚えておいてください。
日本形成外科学会の父です。
マンガでわかる美容形成外科
Chapter“39” ワキガ手術と再発について

携帯電話でマンガを見る
まず、ワキガ手術はにおいのもととなる汗腺を取り去ってしまうものなので、一度切除した汗腺は再生しません。ですからワキガがガンのように再発することはまず考えられないのです。にもかかわらず、臭いがすると受診される方のケースには主に3つの原因が考えられます。
ワキガ手術を受けたのに再発?
ワキガ再発の原因と特徴
①汗腺の切除不足

- 毛が生えてくる。
- 手術後すぐにおう
- 「吸引法」に多い
においの原因となる汗腺がきちんと取れていないため、毛根も残り毛が生えます。
②範囲が足りない

- ベタベタした汗をかいてくる
- 手術後しばらくしてから気づく
- 「剪除法(センジョホウ)」に多い
切開線から胸のよこ、腕のつけ根などに取り残しが多い。
③手術は完璧でワキガ臭もない(汗の臭いを訴える)

- サラサラした汗が出る
- 汗の臭い
- 手術後数ヶ月して気づく
ワキガ独特の臭いはおさまりますが、サラサラした汗を分泌するエクリン腺からの汗が出ます。その汗の臭いが気になる場合が多いようです。
臭いも汗も限りなくゼロに近づけたい
- お休みはとれない!
- 傷跡も残したくない!
- 臭いも汗も限りなくゼロに近づけたい!
ワキガ手術はクリニックによっても違いますが、患者さんの要望を100%満たす方法はないと言えます。ワキガの手術は簡単なものではありません。汗腺をしっかり取ろうとすると、当然傷痕が治るには時間を要します。きちんとアフターケアをしなければ、つっぱったり、かたくなったりというトラブルを引き起こします。そのため、当院ではある程度の休みがとれて、アフターケアで来院できる方でなければ残念ながら手術はお受けしていません。
先生からひとこと
今回のように、ワキガで再発といわれるもののほとんどは「取り残し」です。ワキガ手術は、一度手術すると皮下に瘢痕(はんこん)と言われ、皮下組織が硬く厚くなる層ができます。どんなワキガ手術を受けても瘢痕が残り、再手術が難しくなります。そのため、手術はしっかりと医師と相談をして信頼できるクリニックでお受けすることをおすすめします。
ワキガ手術(両ワキ)
80,000円(保険適用) 所要時間約2時間
医学講座
大森清一先生①
平成22年7月17日の日本美容外科学会で、
大森喜太郎先生から資料をいただきました。
私も知らなかったことが多いので…
長文ですが引用して掲載しました。
特に最後の部分に、
大森清一先生の美容外科に対する思いが記載されています。
以下の資料は’KOLBEN(三角フラスコを意味するドイツ語)
という冊子に掲載された内容です。
’KOLBENがどこの出典かはわかりません。
■ ■
私の思い出
じやんけんで負けたのが運命の分かれ道
東京警察病院名誉院長
大森清一
アウトドアスポーツに熱中した学生時代
――先生のお生まれはどちらですか。
大森_東京は日本橋生まれです。家は、鮫津の浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の下屋敷があったところの近でした。秩父銘仙の問屋をしていて、母がそこの一人娘だった。父は入り婿で、家の商売をやらずに当時の中学で物理の教師をしていました。
――すると、先生が医学の道に進まれたのは、お父さまの影響でしょうか。
大森_いや、僕が医者になったきっかけというのはそんな大層なもんじやなくてね。まあ、家が商売をしていたから多少の小金はあったわけだ。で、一高に入る前に、別に就職を考えなくてもいい専門を選ぼうと思った。医学部に入れば何年でも医局にいればいいし、その間、好きなことをやっていられるという、不届きな理由で医学部を選んだんだよ(笑)。
だから、大学在学中もアウトドアスポーツに熱中して、ラグビーだ、水泳だ野球だと、遊んでばかり。一日の大半を戸外で過ごして、帰ってくれば食べて寝る、勉強はどうしてもなおざりだったね。
――随分健康的な学生生活でしたね(笑)。
大森_そうだね。だが、後年、この時に培った体力やバイタリティが大いに役だったのではないかな。卒業も間近になって、何科をやろうかということになった時、外科を希望したのだが、一諸にスポーツをやってきた親友もやはり外科志望だった。だけど仲が良すぎて、一諸にいたら遊んてばかりいるに違いない。そこで二人でじゃんけんをしたら、僕は負けてしまった。で、皮膚科・泌尿器科なら欠員があるということでそこに入ったんです。人生の大事を決めるにしては、ひどいもんだね(笑)。しかし、結果的には、それが僕の運命を決めたわけです。
あざの治療から傷痕をきれいにする形成外科の道に
――そんな先生が、形成外科の確立に力を注がれるようになったのには、どんなきっかけがあったのでしょう。
大森_入局後二年半位の時、あざを治療する部屋に行くことになっている。そこに行くと百五十名位のあざの患者さんがジーッと私の治療を待っている。随分長く通ってきていてもあまりよくなっていない。人三化七のような患者を診て悩んだ。そこで、あざを治すにはどうしたらいいのかに真剣に取り組み始めたんだ。当時は若い医者は珍しい病気に取り組んで学会で発表するという風潮であったが、僕は命にかかわらない、ありふれた病気でも、実際にその病気で苦しんだり悩んだりしている人が多い病気を、ほうっておいてはいけないと思ったんだな。そこであざ治しの医者になろうと志して、ドライアイスで凍らせてあざを取るなど、一定の治療方針の確立に努めました。とはいうものの学生時代に勉強していない付けが回ってきて、知らないことばかり。必要に迫られて懸命に本を読んだものでした。
――警察病院にでられたのはいつごろですか。
大森_昭和十七年かな。当時の東大皮膚科の教授は、カビの研究などで有名な太田正雄先生でした。太田先生は木下杢太郎というペンネームで文化人としても名を知られた方であった。その太田先生は皮膚科の外科的治療にも関心を持たれていた。私が警察病院の部長になれば東大の講師になる。そうすれば一つのテーマに取り組めるということだったので、あざの治療をテーマにしていただいた。これには、先生はあまり乗り気でなかったが、三日間お願いしてやっと許可が得られた。これには、一ヵ月に一度はケースを教授にお見せするという条件付であった。
そのうちに私は、あざを取ったあとをきれいにすることにも関心を持ち始めた。患者にとっては、傷痕がきれいになって初めて治ったと思えるのですから。当時の日本でも植皮ということが一部で行われていましたが、やはり形成外科の先進国はイギリスやアメリカで当時は、バースキーの書いた本が唯一無二のテキストでしたね。僕が日比谷の米軍図書館に通いつめて、皮膚外科のことを集めた本を書いたのもこの頃です。また東大にいた時、二年先輩の整形外科の教授の三木威勇治さんに「日本は遅れている。外国の雑誌を読め、どんどん実験しろ」と言われましたが、その助言は僕にと実に貴重だったと思います。
「知らないことは誰にでも訊け」の精神で世界中を飛び回る
――先生は随分頻繁に外国に行かれたそうですね。
大森_そう、最初は昭和二十五年に八か月間アメリカに行った。ある時、院長がここに百万円ある。この金で誰か留学してこないか」とおっしやった。部長も誰も手を挙げないので僕がろくに英語もできないのに図々しく「行きます」と言ったんだ。なにしろ、日本には形成外科のトレーニングをできるところがないのだから、ぜひアメリカに行きたかった。便宜上、ハーバードの皮膚科の卒後教育課程に入学したが、講義はエスケープして形成外科の手術をたくさん見せてもらった。その時皮膚をどんな厚さにも切れるダーマトームという器具を見て、帰ってから警察病院の院長に購入の許可を頼んだ。
また、相手がどこの誰でも、優秀な技術を持っていたり、優れた治療効果をあげていれば、どんどん行って教えを乞うという精神で世界を飛び回って学んだ。語学も徐々に進歩した。なかったら、また翌年出かけて行く、それでもだめならまた見せてもらう、そうやって僕は自分の技量や考えかたの水準を少しずつ上げてくることができたんだと思っています。そして、そういう僕のやり方を支持して世界を見て歩く機会を与え下さったのが、当時の警察病院院長の塩沢総一先生です。大切な恩人の一人ですね。
国際熱傷学会での万雷の拍手が生涯最高の光栄
――先生は日本形成学会の創設者でもいらっしやいますね。
大森_いや、なりゆきでね。先に話した三木先輩が東大の形成外科、当時はまだ形成診療班でしたが、それを作って下さった。1995年には国際形成学会がスタートするなどの情勢で、三木先生と「そろそろ科として独立させないといけない」ということになり、昭和三十二年には集談会をもって、その後、形成外科学会となった。その時は「形成美容外科会」にしようという動きもあったんだ。というのも、当時は美容整形で問題があいつぎ、美容整形の医師にも正しい訓練を積んでもらうことの必要が実感されていたわけです。もっとも、日本では会費を払えば会員ということで、のちに国際学会で「会員は約四百名です」と自慢したら「すごい、それだけの人をどうやって訓練したのか」と訊かれて、冷汗をかいたこともありますが。
――多くの国際会議を経験していらして、一番心に残っていることは?
大森_1974年の第四回国際熱傷学会で発表した時のことですね。顕微鏡下で直径一ミリほどの血管を縫って血管付の皮膚および皮下脂肪を移植する手術は、1972年頃から臨床に応用していたのだが、それをこの学会では「遊離皮弁で治す」という演題で話すことになっていた。ところが手違いで、学会の最後に出席者全員が一堂に会したしたところで発表するはめになった。終わった途端、会場は万雷の拍手に包まれたのです。中には立って何か叫んでいる人もいる。この時ほど光栄に思ったことはありませんでした。帰ってきて仲間と悦びを分かちあいましたが、心の中は躍るようでした。当時としてはまったく新しい治療法でしたから。
その翌年、パリで開かれた国際形成外科学会では、アジア及び南半球を代表して祝辞を述べるという栄誉を得ました。これは、白人も含めた地域の代表に黄色人種の日本人がついに選ばれたという意昧て感慨深いものがありました。
――先生がこれからなさろうと思っていらっしやることは?
大森_僕は今でも何か新しいことを見つけたくてしょうがない(笑)。もう一つには美容外科にもっと日が当たるようにしたい。アメリカでは、必要に応じて若々しく見えるために美容手術を受けるのはあたりまえです。乳癌で乳房を失った女性が乳房をとりもどしたいと思うのは当然でしょう。それはみかけの良さだけでなく、心の健康にとっても大事なことです。また、若い医師を中心に「恥すかしがらないでものを訊ける会」を開くことです。海外の一流の医者や研究者も呼んで意見を聞く。聞く方も質問を用意して、知識を吸収し、大いに議論もし、進歩していってほしい。それが今の僕の願いです。
大森先生ご略歴
明治39年東京に生まれる
大正15年第一高等学校卒業
昭和6年東京帝国大学医学部卒業
同医学部皮膚科泌尿器科副手を経て
17年東京警察病院皮膚科泌尿器科部長
/東京大学医学部講師
25年アメリカ留学(形成外科を志す)
32年日本形成外科学会誕生(創設に携わる)
43年東京大学医学部教授(形成外科診療科)
東京警察病院副院長
47年同病院院長
53年同病院名誉院長
●学会活動
日本形成外科学会第4回・第13回会長
日本美容外科学会第1回・第2回会長
1975~83年国際形成外科学会理事
83~84年国際美容外科学会(ISAPS)会長
85年~同学会理事
日本形成外科学会名誉会員
日本皮膚科学会名誉会員
日本熱傷学会名誉会員
日本美容外科学会名誉会員(JSAPS)
以上、’KOLBENより引用
■ ■
長文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
最後に書かれていた、
美容外科にもっと日が当たるようにしたい。
アメリカでは、必要に応じて若々しく見えるために美容手術を受けるのはあたりまえです。
乳癌で乳房を失った女性が乳房をとりもどしたいと思うのは当然でしょう。
それはみかけの良さだけでなく、
心の健康にとっても大事なことです。
この文章を読んでいただきたかったのです。
■ ■
私は、日本の形成外科の創始者である、
大森清一先生は、
美容外科にもっと日が当たるようにし、
美容外科が広く国民に支持され、
受け入れられることを願っている思います。
2つの日本美容外科学会が統合され、
美容外科が発展すると、
大森先生は喜ばれると思います。
マンガでわかる美容形成外科
Chapter“38” ワキガと手術の年齢

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欧米ではワキガ手術をすることは稀ですが、日本人は体臭が少ないので臭いを嫌う傾向があります。今回はワキガについて手術の方法や、手術を受けるのに適した年齢などについてお話します。まずはワキガについてよく知ってから手術を受けましょう。
ワキガ手術と年齢
小学生

- 腋毛が生えていない。
- アポクリン腺が発達していない。
- ワキガの臭いはしない。
- 高学年になると、成長とともに少しずつ気になるようになる。
手術時期ではない
ワキガ体質なので、清潔に気をつけるように、それとなく注意してあげる。
中学生

- 腋毛はだいぶ生え揃うが、親に比べると薄く範囲も狭い。
- ワキガを自覚する時期
- 生長にともなって皮膚が伸びる時期なのでキズが目立ちやすい。アポクリン腺が未発達な状態で手術をすると、手術後にアポクリン腺が増えて症状が再発する可能性がある。
手術にはまだ早い時期
汗の量が増えてくる時期。制汗剤などで対処する。ワキを清潔にして、下着をこまめに取り替える。本人が悩んでいれば、医療機関を受診して相談する。
高校生~大学生

- 腋毛が親とほぼ同じ程度に濃くなる。
- アポクリン腺の発達が完了する
- 臭いが気になるようになり、ブラウスやシャツが黄色くなる。
- アポクリン腺が発達し終わっているので、手術後に”再発”する恐れはない。
手術が可能になる時期
社会人になると長期の休みが取れないので、その前に手術を受ける。手術を受けるまでは、ワキを清潔にして、臭いに気をつける。手術を受けるには、周囲の協力が必要。一人暮らしをはじめる前に手術を受ける。
アポクリン腺の発達について
人の汗腺は2種類あります。毛穴とつながって表皮に開口するアポクリン腺がワキが臭の原因となります。アポクリン腺の数には個人差があり、耳垢が湿っている人は思春期以降に発達します。子供には腋毛が生えていないので、アポクリン腺も未発達です。赤ちゃんから小学生まではワキガはありません。小学生でも高学年になると、臭いが気になることがあります。「小学生でも手術はできますか?」と聞かれることがあります。女の子でしたらお母さん、男の子はお父さんと同じくらいの腋毛が生えることが、手術時期のひとつの目安です。汗腺が発達する前に手術をすると、その後に臭いが気になることもあります。
ワキが手術の適齢期って?
ワキが手術には適さない年齢・時期があります。いつが一番適した年齢か?というと最低一週間以上の休みと、その後の通院が可能な時期が手術の適齢期です。社会人になると休みが取れないので、高校卒業前後がチャンスです。高校卒業後に進学する人は大学生の間もチャンスです。受験が終わった後は長い休みが取れます。その前に手術をするのが一番だと考えられます。実際に当院で手術を受けられる方の大部分が18歳位から20代前半までです。手術を受けるには周囲の協力が必要です。一人暮らしをはじめる前に手術を受けることをおすすめします。バイトをはじめる前。彼氏や彼女ができる前というのも大切なポイントです。
体験者からひとこと
汗のにおいだけではなく、服についた黄色い汗ジミにも悩まされていたのですが、手術をしてからはまったく気にならなくなりました。わきを気にせず堂々とできるのが嬉しくてたまりません!長い休みを利用したので、アフターケアも万全にできました。早めに手術を受けて良かったです。
先生からひとこと
当院ではワキにある余分なアポクリン腺を取るという方法を採用しています。約1cm未満という小さなキズでアポクリン腺と毛根をしっかり取ります。とても効果的な方法ですが、しっかり汗腺をとればとるほど術後のアフターケアが大切になります。術後は定期的に来院していただき、キズの管理をしています。他の医院で術後の通院は2回だけなどという所もありますが、キレイに仕上げるには術後のケアが大切です。通院できない方の手術は残念ですがお引き受けできません。
ワキガ手術(両ワキ)
80,000円(保険適用) 所要時間約2時間
医学講座
第108回日本美容外科学会(札幌)
平成22年7月17日(土)に、
札幌市北区北8条西4丁目の、
札幌アスペンホテルで、
第108回日本美容外科学会が開催されました。
こちらの美容外科学会は、
形成外科系の美容外科学会です。
今回は、
札幌スキンケアクリニックの
松本敏明先生が組織会長でした。
■ ■
松本先生が選ばれたテーマは…
シンポジウム
「次世代に伝えたい美容医療を求めて」
蘇春堂形成外科、新冨芳尚(しんとみよしひさ)先生が座長。
1.日本美容外科学会の成立とその経緯
平賀形成外科、平賀義雄先生
2.警病形成外科第2期の黄金時代を振り返って
当山美容形成外科、當山 譲先生
3.美容外科開業医と臨床形成美容外科医会
セブンベルクリニック、渡部純至先生
4.美容医療協会の成立と美容医療啓蒙活動
中野坂上クリニック、古川晴海先生
5.国際美容外科学会との関係
クリニカ市ヶ谷、大森喜太郎先生
6.美容外科の成り立ちと大森清一先生
北海道大学名誉教授、大浦武彦先生
■ ■
6人の日本を代表する先生が、
形成外科系の美容外科学会の成り立ち、
大森清一先生が考えていらした、
形成外科と美容外科の関係について、
私たちにもよくわかるように、
詳しく講演をしてくださいました。
正直なところ…
これだけのお話しをお聞きしたのは…
私もはじめてでした。
■ ■
6人の先生の講演の中で、
大浦武彦先生のご講演が最高でした。
形成外科⇔美容外科の関係が…
実によく理解できました。
ヤスミクリニックの木村知史先生が、
私より先にご自身のブログで解説してくださっています。
木村先生のことは、
2009年9月26日の院長日記でもご紹介しています。
勉強熱心で進歩的な先生です。
■ ■
大浦先生のお話しの要点です。
大森清一先生は、
形成外科と美容外科は車の両輪
とお考えでした。
大森先生ご自身も、
積極的に美容外科手術を執刀され、
美容外科の重要性は強く認識していらっしゃいました。
フェイスリフト手術などを…
山王病院でなさっていらしたそうです。
■ ■
ところが…
巷(ちまた)では、
悪い‘美容整形’が死亡事故を起こし、
誇大広告と悪徳商法で、
マスコミに大きく報道されるような事件が多発。
美容整形の社会的地位は地に落ちていました。
形成外科を発展させるためには、
外科系医師のサポートが必要。
そこで不本意ながら…
形成外科は美容をいたしません…と宣言し…
まず形成外科を認めてもらった。
■ ■
大浦武彦先生は、
もう、過去のことを言わずに…
2つの日本美容外科学会を統一する時期です。
と実に歯切れよく解説してくださいました。
ヤスミクリニックの木村知史先生が書かれているように…
平成の竜馬、新冨先生が
おーい、いい加減にせんかい
全美容外科が潰れるぞ
と統一に向けて動いていることに…
エールをおくられていました。
■ ■
私は恩師の大浦武彦先生が、
2つの美容外科学会の統一に向けて…
力強いお言葉をくださったことに…
心からありがとうございましたと言いたい気持ちです。
素晴らしい恩師を誇りに思います。
新冨芳尚先生と
高須克弥先生のお力で、
なんとか2つの美容外科学会が
1つになってくれたらと願っています。

大浦武彦先生(懇親会で)
マンガでわかる美容形成外科
Chapter“37” 他人に打ち明けづらい体の悩み

携帯電話でマンガを見る
気になるけれど、恥ずかしかったり、普段見せないような部位だったりで、人にはなかなか相談しづらい。そんな悩みを抱えた方が札幌美容形成外科にもたくさん来診されます。今回は「気にし過ぎだったらどうしよう?」「やっぱり恥ずかしい」と、手術をためらっている方のために、中でも需要の多い「陥没乳頭」、「ワキガ」、「婦人科形成」の手術についてお話します。
陥没乳頭
症状
乳首が乳輪の下に臍のようにもぐってしまっている状態です。陥没した部分に分泌物がたまりやすく、バイ菌が感染すると膿が出てくることもあります。また、乳首が陥没しているので赤ちゃんが乳首をくわえられずに授乳障害を起こします。
治療法
手術で乳腺を傷つけないように注意して、乳首を引き出して固定します。手術後の授乳はもちろん可能です。
注意点
授乳障害のある場合は保険適用になります。実際に授乳中には手術できません。出産可能な年齢の方は保険適用にできます。残念ですが閉経後の方は保険適用にはなりません。また、妊娠中は薬の投与の制限があるため、妊娠前の手術が必要です。
陥没乳頭手術(両胸)
約60,000円 所要時間120分
ワキガ
症状
人が持つ2種類の汗腺のうち、匂いのもととなる汗腺(アポクリン腺)が発達しているため、汗のニオイがきつくなります。洋服に黄色い汗ジミができる方はアポクリン腺からの汗によるものです。
治療法
およそ1cm未満の切開口から皮膚の裏側にまわり、余分なアポクリン腺を取り除きます。
注意点
術後の皮膚をきれいに完治させるにはアフターケアが大切です。一ヶ月はまめに来院していただくことになります。
ワキガ手術(両ワキ)
80,000円(保険適用3割負担の場合) 所要時間約120分
婦人科形成
症状
足を閉じた状態での陰部のはみだし部分が大きいため、トイレで用を足すときに尿が飛び散り不潔になる、下着がこすれて痛みが出る、炎症をくりかえすため黒ずんでしまうなどの問題点があります。
治療法
余分な部分を手術により切除して整えます。
注意点
手術の上で最も心配されるトラブルが術後の出血です。札幌美容形成外科では手術後ゆっくりお休みしていただき、出血がないことを確認してから帰宅していただきます。
婦人科形成手術
170,000円 所要時間約120分
保険診療と自由診療について
ワキガや陥没乳頭の手術には健康保険が適用されます。婦人科形成の手術でも、保険適応にして差し上げたいと思うほど高度な方もいらっしゃいます。残念ですが、現在の日本の医療制度では、婦人科形成の手術は保険適応にはできません。札幌美容形成外科では、できるだけ低コストで手術を受けていただけるように努力をしています。費用が不安な方へは医療ローンの制度もあります。
クリニック内でプライバシーは守られますか?
当院では待合室も個室風に仕切られています。他の患者様と顔を合わせずにお待ちいただけます。また、相談はすべて個室で行います。