医学講座

瞼(まぶた)の裏側

 日本美容外科学会に出席するために、
 横浜へ来ています。
 札幌と比べると…
 横浜は暑いです。
 今日の最高気温は27℃です。
 (札幌は20℃でした)
 こんなのは暑いうちに入らないのでしょうが、
 札幌育ちの私には、
 関東での生活は無理なようです。
      ■         ■
 昨日の日記に、
 埋没法は2回まで
 と書きました。
 埋没法の手術をする時には、
 瞼板法(けんばんほう)でも、
 挙筋法(きょきんほう)でも、
 必ず瞼をひっくり返して、
 裏側を見ます。
      ■         ■
 慣れないと…
 瞼をひっくり返して、
 裏側を見ること自体が…
 難しいものです。
 ふつうの形成外科医は、
 瞼をひっくり返して、
 裏を見ることをしません。
 私も最初は…
 上手にできませんでした。
      ■         ■
 健康な人の瞼の裏側は、
 キレイなピンク色です。
 瞼板(けんばん)という白い組織の上に、
 結膜(けつまく)があり、
 そこに毛細血管があります。
 教科書によると、
 この毛細血管から、
 目の角膜へ酸素や栄養を供給する、
 と書かれています。
      ■         ■
 角膜(かくまく)というのは、
 光を通すために、
 透明です。
 血管はありません。
 ソフトコンタクトで、
 すっぽりと角膜を覆(おお)ってしまうと…
 角膜に酸素が供給されず、
 酸欠になるといわれています。
 ですから長時間付けっ放しにできないのです。
      ■         ■
 瞼板法(けんばんほう)で、
 何回も埋没法手術を受けると…
 この毛細血管がズタズタになります。
 瞼の裏側がキズだらけになり…
 角膜へ…
 酸素や栄養の供給ができなくなります。
 手術をする先生は、
 キズだらけの瞼の裏側を見ます。
 自分の身内だったら、
 糸が4本も6本も入った瞼に、
 更に糸を追加することはしないと思います。
      ■         ■
 埋没法の保証とは、
 この糸をむやみに追加して、
 結果的に瞼をキズだらけにするだけです。
 私は、
 他院で埋没法を受けた…
 眼瞼下垂症の方を手術する時に…
 できるだけ埋没糸を除去しています。
 追加料金もいただきません。
 (保険の規定です)
      ■         ■
 手術用顕微鏡で見て、
 高倍率にして、
 ようやく見える程度の糸もあります。
 そんな糸でも、
 毛細血管を傷つけています。
 表面から見えない、
 瞼の裏側には、
 大切な役割があります。
 どうか自分の目を大切にしてください。

“瞼(まぶた)の裏側”へのコメントを見る

医学講座

埋没法は2回まで!

 埋没法が取れた!
 保証付だから、
 無料でお直ししてもらいましょう…!
 何度、お直ししても、
 取れちゃう埋没法
 札幌美容形成外科にいらした時には、
 何回、無料でお直ししたのかも?
 忘れてしまったそうです。
      ■         ■
 埋没法が取れるのには…
 原因があります。
 アレルギーで目をこする癖(くせ)がある方。
 もともと眼瞼下垂症で、
 埋没法に向いていない目だった方などです。
 小学校の時からの、
 学級写真を見てください。
 顎を上げていませんか?
      ■         ■
 写真屋さんで写真を撮る時に、
 必ず、顎を引いてください
 と言われる方。
 眉が上がっているので、
 前髪でいつも額を隠す方。
 眉が上がっているので、
 眉の上を剃って…
 下に眉を書く方。
 眼瞼下垂症の可能性があります
      ■         ■
 そもそも…
 眼瞼下垂症なんて病気があるなんて…
 医師国家試験にもめったに出ません。
 看護師国家試験にも出ません。
 医学部でも詳しく教えません。
 看護学部でも、
 看護学校でも教えません。
 義務教育でも教えません。
 医師でも、
 知らない人はたくさんいます。
      ■         ■
 眼瞼下垂症が有名になったのは、
 ここ数年の間です。
 NHKのためしてガッテンで、
 信州大学形成外科の、
 松尾清先生が有名にしてくださいました。
 他院で埋没法で二重にならなかった方、
 埋没法が取れた方、
 には眼瞼下垂症が原因であったことが、
 私の経験上、たくさんあります。
      ■         ■
 先日いらしていただいた方は、
 何と!
 片目に糸が11本も入っていました。
 瞼の裏側には、
 無残な糸の痕が、
 無数に残っていました。
 リストカットの痕のような、
 小さなキズが
 たくさん瞼の裏側についていました。
 角膜という…
 大切な部分に傷がつくこともあります。
      ■         ■
 埋没法は、
 受けてもせいぜい2回までにしてください。
 瞼板法2点留めだと、
 これでも片目に
 2×2=4本の糸が入っています。
 何度も埋没法を受けるのは…
 はっきり申し上げて危険です。
 目というのは大切な器官です。
 傷ついた角膜を
 元に戻すことはできません。
 無料保証は2回が限度です。

“埋没法は2回まで!”へのコメントを見る

院長の休日

みんなおじさん

 昨夜、
 札幌西高3年7組の男だけのクラス会、
 支三会がありました。
 会場は札幌駅近くの…
 「魚屋一丁」(札幌駅店:011-232-0022)
 (札幌市北区北6条西1丁目(JR高架下))でした。
 会費:5,110円
 飲み放題でした。
      ■         ■
 全員55歳のおじさんばかり。
 担任の藤枝正道先生(日本史)は、
 72歳でお元気でした。
 今でも札幌福祉専門学校の校長先生です。
 私たちが高校3年生の頃…
 藤枝先生は35歳だったことに、
 気づきました。
      ■         ■
 先生は…
 よく放課後の掃除の時間に、
 教室に来られて、
 みんなといっしょに…
 話しをしながら掃除を手伝ってくださいました。
 女生徒に…
 圧倒的に人気があった先生でした。
 愛妻家で知られていました。
      ■         ■
 奥様は、
 先生が東北大学の学生だった頃に、
 お知り合いになったと記憶しています。
 奥様のことを、
 ~ちゃん付けで呼んでいました。
 私が高校生だった頃、
 いつか藤枝先生のように、
 素敵な奥さんをもらいたいと思っていました。
      ■         ■
 昨夜集まった同級生。
 一番遠くは、
 大阪から来ました。
 他に、神奈川、東京など、
 声と話し方は変わりませんが、
 全員おじさんになっていました。
 単身赴任の支店長
 家に帰ると娘さんから煙たがられる人
 いろいろな55歳がいました。
      ■         ■
 私を含めて、
 眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)の同級生が、
 たくさんいました。
 パソコンを見ていると、
 首が疲れて…
 目がしょぼしょぼしてくる…
 肩も腰も痛くなる。
 としだなぁ~
 私が携帯で、
 眼瞼下垂症の症例写真を見せると…
 え~っ!これ病気なの?
      ■         ■
 この歳になって、
 目が変わるとへんでしょ!
 本間!俺が若い時に教えてくれれば…
 俺の青春時代も変わっていたのに…
 その時になって、
 はじめて、
 あぁ…
 気にしていたんだ…
 とわかりました。
      ■         ■
 私が医師になった30年前でも、
 眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)なんて、
 特殊な病気だと思っていました。
 歳をとれば…
 誰でも瞼(まぶた)が下がってきて、
 当然だと思っていました。
 医学が進歩して、
 手術で治せるようになりました。
 今からでも遅くはないょ…
 と次のクラス会で教えてあげようと思います。
 次の幹事に私が指名されました。

“みんなおじさん”へのコメントを見る

昔の記憶

西高の想い出(遅刻)

 札幌市中央区宮の森と
 西区山の手の境界にある通りを、
 通称、文化通りと言います。
 由来は…?
 文化人がたくさん住んでいたから…?
 理由はわかりません。
 私が昭和45年(1970年)に、
 北海道札幌西高等学校へ入学した時には、
 文化通りと呼ばれていました。
      ■         ■
 当時は、
 札幌に‘区’はありませんでした。
 札幌に‘区’ができたのは、
 1972年の札幌オリンピックの後です。
 文化通りは、
 何の変哲もない、
 ふつうの住宅街の通りです。
      ■         ■
 大夕張の山奥から、
 札幌へ出て来た、
 弱冠、15歳の私は、
 毎日、この文化通りを通って、
 札幌西高校へ通学しました。
 西区八軒にあった古い家から、
 バスで高校へ通っていました。
 今でしたら…
 自転車で通学したと思います。
      ■         ■
 毎日、満員の市営バスに乗り、
 慣れない札幌の生活でクタクタになって、
 必死に通学していました。
 私の家の近くに、
 函館本線の開かず踏切がありました。
 この踏切で待たされ…
 バスが遅れた時は、
 文化通りを、
 重い鞄(かばん)を持って、
 ダッシュしたものでした。
      ■         ■
 私がダッシュしていた時には、
 必ず、他にもダッシュしている生徒がいました。
 中には、悠々と歩いている人もいました。
 息切れがして、
 途中で休むと…
 無残な遅刻でした。
 たまに、あと一歩のところで…
 用務員のおじさんに、
 玄関のドアをガチャンと閉められました。
      ■         ■
 ドアが閉まった後は、
 ボイラー室横の入口から入り、
 外靴を持って…
 とぼとぼと、
 生徒玄関まで、
 床の冷たさを感じながら…
 惨(みじめ)めに歩いたものでした。
 毎回、私以外にも、
 遅刻組の生徒がいました。
 3年間で、
 数回遅刻しました。
      ■         ■
 毎日、同じ時刻のバスに乗っても、
 運悪く…遅刻することがありました。
 高校に慣れてくると、
 自転車通学をするようになりました。
 自転車通学になってからは、
 開かずの踏切を避けて通り、
 遅刻もなくなりました。
 遅刻も今となっては楽しい想い出の一つです。
      ■         ■
 私が一度も遅刻や欠席をしなかったのは、
 予備校時代でした。
 出席は無かったと思いますが、
 とにかく必死で勉強していました。
 今晩は西高の仲間が男ばかり集まり、
 クラス会をします。
 昔の仲間は楽しいものです。
 幹事は、
 学校であまり勉強しないのに
 東大に合格した有沢くんです。
 あいつの頭はどうなっているのか?
 と…よく思っていたものです。

“西高の想い出(遅刻)”へのコメントを見る

昔の記憶

今から26年前…

 今から26年前。
 昭和58年(1983年)9月20日。
 函館市本町33-2、
 社会福祉法人函館厚生院函館中央病院で、
 長女が生まれました。
 その日は今日のように天気が良く、
 私が出勤する時に、
 家内を車に乗せて、
 病院へ向かいました。
      ■         ■
 当時、
 私29歳、家内27歳。
 函館中央病院形成外科に勤務していました。
 4年目の形成外科医でした。
 住んでいたのは、
 函館市富岡町の、
 キャッスル富岡という…
 賃貸マンションでした。
 病院が借り上げてくれた、
 住宅でした。
      ■         ■
 私は富岡町から、
 車で通勤していました。
 その日は、家内の定期健診の日でした。
 家内は、
 午前中に産婦人科で健診を済ませて…
 中央病院の近くにある、
 丸井今井デパートへ寄って…
 自宅へ帰りました。
 デパートにいる時に…
 ちょっとお腹が痛くなったそうです。
 そのままバスで自宅へ帰りました。
      ■         ■
 私が形成外科の医局で、
 お昼休みを取っていた時でした。
 家内から電話がありました。
 『ちょっとお腹が痛くて変なので…』
 『病院へ行った方が良いか…?』
 という内容でした。
 先輩の石川先生が、
 奥さんを迎えに行ったら…?
 と言ってくださいました。
 医局には製薬会社のMRさんがいらしていて…
 僕の車で行きましょう
 と言ってくださいました。
      ■         ■
 MRさんに乗せていただき、
 私は家内を迎えに行きました。
 お腹が痛かったのは、
 陣痛(じんつう)でした。
 車の中でも、
 そんなに苦しそうでもなく、
 家内を産婦人科へ連れて行きました。
 生まれそうになったら呼んでください。
 そうお願いして、
 私は形成外科外来で診察をしていました。
      ■         ■
 外来をはじめて間もなく、
 分娩室から電話がありました。
 先生、もうすぐ生まれます。
 分娩室へいらしてください。
 助産婦さんからの連絡でした。
 え~っ?
 もう生まれるんですかぁ~?
 私が分娩室へ着くと、
 家内は苦しそうな顔をして、
 分娩台の上にいました。
      ■         ■
 初産は、
 時間がかかるんじゃなかったかなぁ~?
 と考える余裕もなく、
 産婦人科の松浦敏章先生に取り上げていただき、
 無事に長女は生まれました。
 助産婦さんから、
 安産でよかったですね
 と褒めていただきました。
 当時はビデオはなく、
 カメラとテープレコーダーで、
 分娩の様子を記録しました。
       ■         ■
 私の両親も、
 家内の両親も、
 初孫の誕生を喜んでくれました。
 私の両親は、
 札幌から車で飛んで来ました。
 家内の両親には、
 まず、母親に来てもらい…
 約1ヶ月の間、
 函館に滞在してもらって、
 お世話になりました。
 義父は一ヶ月後に、
 母親を迎えに来て会ってくれました。
      ■         ■
 今のように携帯もなく。
 もちろんメールで画像を送ることもできません。
 まだ青函連絡船があった時代でした。
 26年前に生まれた娘は、
 親の元を離れて…
 自由に生活しているようです。
 信頼の絆(きずな)を切られて…
 もうすぐ3年になります。
 親の私は、 
 悪いことをしないで…
 他人の役に立つことをしていて欲しいと、
 願っています。

“今から26年前…”へのコメントを見る

院長の休日

親も見ている院長日記

 今日からシルバーウイークです。
 秋のゴールデンウイークではなく、
 シルバーウイークという名前が好きです。
 ‘後期高齢者’という名前は嫌いです。
 毎年、敬老の日の前後に…
 長い休みがあるのはよいことだと思います。
 おかげさまで、
 札幌美容形成外科は…
 手術予約で一杯です。
      ■         ■
 昨日の日記に、
 83歳と81歳の私の親が、
 パソコンでメールをしていることを書きました。
 私は知らなかったのですが、
 この院長日記をよく読んでいるらしいです。
 私は、
 実家へは帰らないし、
 行っても用事が済むと、
 すぐに帰ります。
 親孝行な息子ではありません。
      ■         ■
 同じ札幌市内に住んでいても、
 用事がなければ電話もしません。
 朝から夜まで働いているので、
 時間がないこともあります。
 便りがないのは…
 よい便りということにしています。
 55歳のオッサンになっても、
 息子のことは心配なので、
 親は院長日記で安否を知っているようです。
      ■         ■
 親はコメントをくださる方のことを知っていて、
 いつも感謝しています。
 毎日、コメントをくださって…
 ありがたいねぇ~
 いただいたコメントは、
 私の一番の励(はげ)みになっています。
 毎日、ありがとうございます。
 院長日記のネタに困ることもなく、
 いただいたコメントをネタに、
 新しい日記を考えています。
      ■         ■
 そういえば…
 私の息子も、
 部活のホームページ係りをしています。
 私も、
 息子が作ったHPをたまに見ます。
 息子のHPは、
 私のように毎日更新はありません。
 毎日更新していたら、
 おそらく私も見ていると思います。
      ■         ■
 もし、
 この院長日記が更新されないと、
 私が倒れたとか…
 病気になったとか…
 思われそうなので…
 なかなか…
 本日休診にもできません。
 拙い(つたない)内容で申し訳ございませんが、
 細々と続けたいと思っています。
 なかなか親孝行はできないので…
 せめて院長日記だけは続けます。

“親も見ている院長日記”へのコメントを見る

院長の休日

75歳の手習い

 私の両親、
 父親(83歳)
 母親(81歳)
 がパソコンでメールをしていると、
 昨日の日記に書きました。
 父親は私が中学生の頃、
 三菱砿業㈱三菱大夕張炭鉱に、
 薬剤師として勤務していました。
 会社が坑内の安全管理のために導入した、
 最新鋭のコンピューターで、
 薬剤の在庫管理を始めたのがきっかけで、
 コンピューターに取り組みました。
      ■         ■
 毎日、コンピューターと悪戦苦闘していました。
 今のノートPCより機能が悪いコンピューターが、
 専用の部屋に設置されて、
 エアコンまで完備されていた時代でした。
 大変だ、たいへんだ
 コンピューターはすごい
 これからはコンピューターの時代だ
 ということを、
 40年前に言っていました。
 炭鉱には、
 優れた人材が揃っていました。
 炭鉱会社の専門家から、
 コンピューターを教えていただいたのが父です。
      ■         ■
 濱本淳二先生にお世話になった、
 上原貢様も、
 父にコンピューターとコンピューターで知り合った、
 三菱砿業㈱職員のお一人です。
 NHKの大学講座で法律を勉強した父は、
 独学でコツコツ勉強したのでしょう。
 炭鉱病院で、
 当時としては画期的な、
 薬剤在庫管理システムはじめました。
 退職後も、
 父はノートパソコンを使っていました。
      ■         ■
 母親は、
 ごくふつうの主婦でした。
 家計が苦しかったので、
 森永製菓の工場のパート従業員→
 →不況でリストラ→
 日本団体生命保険の外交員→
 三菱信託銀行の財形貯蓄の外交員→
 北海道不動産鑑定士協会のパート事務員
 と働きました。
 家計が苦しかった原因は、
 私と弟の教育費でした。
      ■         ■
 母親は働いたおかげで、
 たくさんの人脈を築きました。
 最後に働いていた時代には、
 コピーを取るのが仕事でした。
 PCには触ってもいませんでした。
 もちろんワープロも使えませんでした。
 電話とFAXは活用していましたが、
 父親のノートパソコンには、
 見向きもしていませんでした。
      ■         ■
 今から6年前、
 75歳頃だったと記憶しています。
 何を考えたのか…?
 突然、パソコンを触りはじめました。
 もちろんキーボードも、
 スイッチの入れ方も知りませんでした。
 ぽちポチと、
 あ・い・う・え・お
 を入力していました。
      ■         ■
 どうせやるなら、
 ローマ字変換がいいよ、
 という私と父のアドバイスで、
 ローマ字かな変換にしました。
 本人に確認したところ、
 まず忘れていた…
 ローマ字を覚えることから…
 はじめたそうです。
 こうして少しずつ、
 パソコンを覚えて行ったようです。
      ■         ■
 今では、
 メールに写真を添付して送ったり、
 自分の弟たちと、
 メールでやり取りをしたり…
 父親以上にパソコンを活用しています。
 昨日も、
 自分の弟(79歳)からメールで送ってきた、
 写真を見せてくれました。
 私はたまにしか実家へは行かず、
 親にメールもしません。
 息子としては…
 75の手習いで覚えたパソコンで、
 元気でいて欲しいと願っています。

“75歳の手習い”へのコメントを見る

院長の休日

電話帳の将来

 札幌市内でNTTの電話帳が配布されています。
 昨年も電話帳広告のことを、
 5月29日の日記に書きました。
 札幌美容形成外科の電話帳広告は、
 毎年、小さくなってきています。
 一番、大きく出したのは…
 開業した5年前でした。
      ■         ■
 電話帳広告の申し込みは、
 開業前から契約して…
 料金を前払いで払いました。
 北海道は広いので…
 札幌近郊や
 旭川
 帯広
 苫小牧
 といった地域にも出しました。
      ■         ■
 電話帳の広告費がどの位するか…?
 ご存知ないと思います。
 発行部数や、
 大きさによっても異なります。
 札幌美容形成外科では、
 一番大きく出した年は、
 3/4ページ大、
 つまり一ページの75%の広告でした。
 (一ページは高くて出せませんでした)
      ■         ■
 この3/4ページの広告を、
 札幌市内のタウンページ
 (形成外科と美容外科)
 に出した広告費が、
 一年分で、
 なんと約500万円もしました。
 無名の札幌美容形成外科を、
 電話帳で知ってもらうための広告費が、
 一年間で500万円です。
 5年前は、
 電話帳で、
 お電話をくださる方が、
 かなりいらっしゃいました。
      ■         ■
 ところが…
 年々、電話帳を見て、
 お電話で相談して、
 手術を受けたいという方が減っています。
 NTTではデーターをくれませんが、
 電話帳の発行部数が、
 年々減っていると思います。
 電話帳は家デンのある家庭、
 それも…
 NTTと契約を結んでいる家庭にしか配布されません。
      ■         ■
 若い人は家デンを持っていません。
 携帯で十分です。
 私たちの年齢ですと、
 電話帳を調べる習慣があります。
 ところが、
 私の息子に聞いても…
 電話帳を調べたことはないようです。
 調べるのはネットです。
 HPに詳しく書いてあります。
      ■         ■
 後期高齢者である、
 私の母親(81歳)に聞いてみました。
 新しい電話帳来た?
 電話帳見てる?
 見てないよ。
 字が小さくて読めない。
 分類が細かすぎて…
 どこを調べたらいいかわからない。
 調べるならパソコン
 字も大きくできて読みやすい。
      ■         ■
 なるほど…と思いました。
 私の両親は携帯は持っていませんが、
 パソコンでメールをやっています。
 電話もIP電話です。
 高齢者にとって、
 設定で字を大きくできるPCは、
 確かに便利です。
 NTTの電話帳担当者は、
 とても真面目でよい方なのですが…
 コンビニで無料配布するなどしないと…
 電話帳の将来は危ういと思います。

“電話帳の将来”へのコメントを見る

昔の記憶

私の顔を治してください

 市立札幌病院に勤務していた、
 ある時期のことでした。
 救急部に一人の女性が搬送されてきました。
 現在、北海道大学救急医学講座教授の
 丸藤哲(がんどうさとし)先生が、
 手術中の私のところへ、
 わざわざいらしてくださいました。
 同じ病院内で、
 救急の先生が担当医のところへいらっしゃるのは、
 よほどのことです。
      ■         ■
 本間先生、
 申し訳ありませんが、
 この手術が終わったら、
 大至急、救急ホールにいらしていただけませんか?
 ふだんは冷静な丸藤先生が、
 その時は、少し違って見えました。
 幸い、短い手術だったので、
 私は手術室があった2階から、
 地下の救急ホールへ向かいました。
      ■         ■
 救急ホールには、
 一人の若い女性患者さんが横になっていました。
 私が着くと…
 その方は…
 私の顔を治してください
 と弱々しい声で言いました。
 交通事故で、
 搬送されてきた患者さんでした。
 私はモデルをしています
 キズを治すプロを自認していた私も、
 驚くほどのケガでした。
      ■         ■
 将来ある若い女性の顔のケガは、
 形成外科医にとって大変難しい手術です。
 少しでも後遺障害を少なく、
 元通りに治してあげたい…。
 という思いがあります。
 ところが…
 まったく元通りにすることは、
 限りなく不可能に近いこともあります。
 自分にはできないので…
 ブラックジャックを呼びたいと思うこともあります。
      ■         ■
 私の顔を治してください
 と頼まれた私は、
 丸藤先生に全身麻酔をかけていただき、
 その日の予定をすべてキャンセルして、
 6時間30分をかけて、
 その女性の顔を手術しました。
 今までの形成外科医人生の中で…
 一番重症だった顔のケガでした。
 幸い、
 手術後の安静も守っていただき、
 経過も順調でした。
      ■         ■
 私がJA帯広厚生病院へ転勤してからも、
 修正手術を受けに、
 帯広までいらしてくださいました。
 明るく…
 前向きな性格の女性でした。
 その後は、
 年賀状のやりとり程度が続いていました。
 私は元気で働いていることを知り、
 安心していました。
      ■         ■
 事故から約10年が経過していました。
 私が、
 信じてはいけない人に騙されて、
 人生で一番落ち込んでいた時期に、
 一枚の葉書をいただきました。
 先生、結婚しました。
 隣にいるのは…
 毎日お見舞いに来てくれていた彼です。
 一枚の葉書には、
 結婚式の写真がついていました。
      ■         ■
 その写真を見て…
 私は、
 落ち込んでいて…
 一度は辞めようと思った形成外科医を
 続けることにしました。
 今、私が形成外科医を続けているのは、
 この女性からの葉書のおかげです。
 写真は本人の承諾を得て掲載していますが、
 気の弱い人は
 最後の写真を見ないでください。


結婚式の写真
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
気の弱い人は
この先を
見ないでください!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

受傷時です

“私の顔を治してください”へのコメントを見る

医学講座

元には戻せません

 プチ整形という言葉があります。
 整形は簡単で…
 気に入らなければ…
 すぐに元に戻せる…
 という誤った認識があります。
 糸で留める埋没法でも、
 簡単には戻せません。
 埋没法で固定する手術より、
 糸を取る手術の方が難しいのです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症などの切る手術は、
 元の通りに戻すことは不可能です。
 メスを入れて剥離(はくり)という操作をすると、
 そこには瘢痕(はんこん)というキズができます。
 眼瞼挙筋(がんけんきょきん)という筋肉を操作すると、
 目が大きくなります。
 手術後に気に入らないから…
 元に戻してくださいと言われても…
 元に戻すことはできません。
      ■         ■
 形成外科や美容外科の手術は、
 大部分が緊急性がありません。
 手術を受ける前に、
 少しでも迷いがあるのでしたら、
 私は手術をおすすめしていません。
 せっかくいらしていただいたのに、
 という気持ちもありますが、
 その方が、本人のためだと思うからです。
      ■         ■
 昨日の日記に書いた、
 危ない患者さんという言葉に、
 コメントをいただきました。
 不適切な表現で申し訳ございません。
 美容外科の業界ではよく使われています。
 コメントをいただいた方は、
 他の形成外科で手術を受けられ、
 症状が快くなられたとのことです。
 上手な先生に手術をしていただいて、
 よかったと思います。
      ■         ■
 ただ…
 1年3ヶ月経った今でも、
 やはり以前から私の顔を知っている人には
 「整形したのではないか・・」と
 疑念を持たれているのではないかと
 いつもハラハラ・ドキドキしながら会っています
 という文を読んだ時に、
 やはり私は手術をお引き受けしなくてよかった。
 私の判断は誤っていなかったと思いました。
      ■         ■
 眼瞼下垂症の診断は、
 診断する医師によって異なります。
 一部の眼科医の間では、
 形成外科医は手術をしすぎているという批判もあります。
 厚生労働省が定めた、
 明確な診断基準や、
 手術適応の基準はありません。
 一般的に眼科医より、
 形成外科医の方が診断基準が広いと思います。
      ■         ■
 他の大きな病院で…
 眼瞼下垂症ではないと診断されてた方を、
 私が眼瞼下垂症と診断することもあります。
 コメントをいただいた方のように、
 私が、眼瞼下垂症は軽度で、
 手術をしても
 頭痛や肩こりが100%治るとは言えない。
 と判断することもあります。
 頑固な肩こりや頭痛には、
 頭痛専門のクリニックをご紹介することもあります。
      ■         ■
 一番の問題は、
 自分の顔が変わることに抵抗がある…
 ということです。
 眼瞼下垂症の手術は保険適応でできますが、
 元に戻す手術には保険が効きません。
 また、100%元通りに戻すこともできません。
 元に戻した方が良いのではないかなどと、
 随分と悩んだものでした。
 と書かれていました。
      ■         ■
 悩んで、
 元に戻す手術の相談を受けても…
 私には、よい答えはありません。
 私たち美容形成外科医にとっても、
 元に戻してください
 と言われるのは、
 大変なことなのです。
 決して小さなことではありません。
 言葉足らずで不快な思いをおかけして、
 申し訳ございませんでした。
 手術適応は慎重に決めているのです。
 

“元には戻せません”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ