昔の記憶

講義中の居眠り

 まみ子師長さんから、
 次のコメントをいただきました。
 先生の教育のお話とはちょっとズレてしまいますが・・・・。今日、看護学校へ皮膚科看護の講義に行って来ました。39名の学生の中で4名が90分間の講義中寝てました。名簿と席順を照らし合せて見ると寝ていた4名は働いていない学生でした。
 医師会の看護高等専修学校なので看護助手として働きながら学校へ来ている子も13名います。
 働いていない子は親が授業料を払ってくれているので、危機感がまったくないと思います。だから平気で講義中寝る事ができるのです。少ないお給料の中から自分で授業料を払っている子、バイトをしながら授業料を払っている子は寝たりしません。
 「私の講義がつまらなくて寝てしまったのならば、それは私にも責任がある。
 でも、今寝ていた人はこのあとの講義では寝ないでほしい。それは人としての礼儀である。」と言って帰って来ました。
      ■         ■
 お怒りはごもっともです。
 緊張感のない学生は居眠りをします。
 看護学校は、
 座席が決まっていて…
 講師にも座席表と名簿が配られます。
 欠席してもわかりますし…
 代変(だいへん)もできません。
 代変:代理で返事をすることの略です。
      ■         ■
 大学は席順は自由です。
 講義時間に平気で遅れて来る学生もいます。
 出席も2/3出れば…
 定期試験の受験資格は与えられます。
 俺はあと何回でヤバイ…。
 あと何回までOK…。
 とか…しっかりカウントしています。
 出席は、カードと呼ばれる薄い紙です。
 それに…
 学生番号と名前を記入します。
      ■         ■
 この紙は、
 講座によって日付を入れるところもあれば、
 大学から配布されたまま、
 日付も印もないカードを配る講座もあります。
 担当教員や、
 講座の秘書さんに任されています。
 秘書さん(ラボさんと呼ばれていました)は、
 若いお嬢さんが多かった記憶があります。
 部活で欠席する時に、
 秘書さんにお願いして…
 友人の分も、もらう学生もいます。
      ■         ■
 親は苦労して仕送りして、
 高い授業料を払って、
 子どもは勉強していると思っていても…
 授業に出ないで、
 代変してもらったり、
 出席カードをごまかしている学生もいます。
 私が学生だった時代にも、
 今の学生さんにもいます。
 さすがに実習ではごまかせませんが、
 広い講義室で100人も学生がいると、
 わからないこともあります。
      ■         ■
 現職の教授の中にも、
 学生時代に講義を聴かなかった人もいます。
 学生の手の内は…
 すべてわかっています。
 私は講義はサボりませんでしたし、
 毎回、前から2列目くらいで、
 真面目に聴いていました
 医学部に比べると、
 まみ子師長さん
 39人中、
 寝ていたのが4人は素晴らしいです。
      ■         ■
 居眠りしていた学生を擁護するつもりはありませんが、
 看護学校の学生さんは真面目です。
 東大や慶應の先生と話したことがありました。
 東大や慶應は、
 出席カードすらなかったので、
 ガラガラの講義もあったと聞きました。
 試験前に、
 他人のノートを借りて勉強すれば、
 試験をパスしてしまうような、
 優秀な学生ばかりだから…
 と先生が嘆いていた記憶があります。
 親は苦労して授業料を払っているので、
 学生さんにはしっかり勉強してほしいです。

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院長の休日

教育費の大変さ

 赤ちゃんは可愛いですが…
 子育ては大変です。
 大きくなると教育費が大変です。
 私は公立大学で、
 授業料は一ヶ月分が3,000円でした。
 それでも予備校1年間+大学6年間は、
 お金がかかったと思います。
 私の弟は、
 芝浦工業大学という、
 東京の私大に行きました。
      ■         ■
 弟は大学の寮に入り、
 贅沢な暮らしはしていませんでした。
 それでも、
 学費と生活費を仕送りした親は、
 大変だったと思います。
 自分が親の年代になって気付きました。
 民主党が子ども手当を出すそうです。
 専門学校や大学生もお金がかかります。
 高校より上の学校へ行くのが贅沢でしたら…
 それは仕方のないことです。
      ■         ■
 これからの日本を支えるのは、
 専門性の高い教育を受けた…
 若い人です。
 人件費では、
 中国やベトナムにかないません。
 日本を支えるのは、
 外国にはない、
 高い知識と技術です。
 不況で学校へ進学できない…
 若い人が増えていると聞きます。
 勉強をしたいのに…
 進学できないのは残念なことです。
      ■         ■
 奨学金をいただいて…
 アルバイトをして…
 上の学校へ進学している人がいます。
 授業料免除の…
 特待生となった人もいます。
 苦学して勉強するのは、
 大変なことです。
 私は子ども手当もいいですが、
 もう少し、
 必死で仕送りしているのことも、
 国が考えてくれたら…と思います。
      ■         ■
 私は奨学金もいただかず、
 アルバイトのお金も、
 自分で使っていました。
 自分が親になって、
 子どもの教育費の大変さが
 身にしみてわかりました。
 私学は…
 お金がかかりました。
 私は家庭教師のアルバイトをしましたが、
 それ以上に、
 自分の子どもの家庭教師代がかかりました。
      ■         ■
 私は子どもの教育費を稼ぐために、
 函館の病院へ出張へ行きました。
 函館の看護師さんにも、
 大変お世話になりました。
 子どもの願いを叶えてあげるのが、
 親としての義務であり、
 楽しみであったのかもしれません。
 自分が親として苦労して、
 はじめて親の苦労がわかった気がします。
 苦労して勉強する人は偉いと思います。
 教育費のことも国は考えてほしいです。

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医学講座

目頭切開の手術法

 目頭切開の手術法には、
 何通りかの有名な方法があります。
 何通りもあるということは…
 どれにも長所も短所もあるということです。
 傷の形から、
 Z(ぜっと)法、
 W(だぶりゅ)法、
 などといわれます。
      ■         ■
 昨日の日記に書いたように、
 目頭というのは目立つ場所です。
 ちょっとした赤味や凹凸でも…
 気になるものです。
 目頭切開手術のコツは、
 切りすぎないことです。
 足りなければ、
 追加して切ることはできます。
 でも…切りすぎた目頭を、
 元に戻すのは容易ではありません。
      ■         ■
 私が行っている、
 目頭切開の手術法については、
 2007年4月17日の日記に書いてあります。
 2002年7月に、
 米国形成外科学会雑誌(PRS)に発表された、
 韓国テグ市の形成外科医、
 Cho先生の
 Medial Epicanthoplasty Combined with Plication of the Medial Canthal Tendon in Asian Eyelids
 という手術法です。
      ■         ■
 この手術法のポイントは、
 ただ目頭の皮膚を切るのではなく、
 内眼角靱帯(ないがんかくじんたい)という
 スジの処置をするところです。
 目頭を指で押さえると、
 少し硬いコロコロとした塊が触れます。
 このコロコロが、
 目頭を骨に固定している靱帯(じんたい)です。
 この靱帯を処理します。
      ■         ■
 ちょっと深いところにあるので、
 慣れない先生が手術をすると…
 涙小管(るいしょうかん)という、
 涙を通す管(くだ)を切ってしまうことがあります。
 そうすると、
 涙が溢れて、
 視界がぼやけてしまいます。
 涙は、
 この涙小管を通って…
 鼻へ流れます。
 ですから泣くと鼻水が出ます。
      ■         ■
 目頭をちょんと切って、
 目を大きくするのも、
 なかなか大変な手術です。
 決して大きな手術ではありませんが、
 先生によって結果が大きく変わります。
 美容外科を選ぶ時には…
 後悔しないように…
 慎重に選んでください。
 こちらのページには、
 あこさんの体験談が載っています。
 私は偶然に見つけました。
 私のことは書いていませんが…
 間違いなく私が手術した方です。

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医学講座

目頭切開のキズ

 最近、いただいたご相談です。
 同じような内容のメールを
 いくつかいただきました。
 他院での目頭切開の傷痕が赤く目立ちます。
 よくなる方法はありますか?
 北海道だけではなく、
 関東や関西からも…
 メールでご相談をいただきます。
      ■         ■
 私が顕微鏡を使って手術をしても…
 残念ながら…
 キズが赤く目立つ方がいらっしゃいます。
 目立ちやすい体質の方、
 目立ちやすい年齢があります。
 20歳台と10歳台では、
 10歳台の方が目立つことが多いようです。
 色白の方と色黒の方では、
 色黒の方が目立ちます。
      ■         ■
 キズは抜糸した時点では…
 まだくっついていません!
 キズが完全にくっついて…
 安定した状態になるには、
 手術から3ヶ月以上かかります。
 赤いキズを隠そうとして…
 コンシーラーを塗って、
 とれないのでゴシゴシこすって落とすと…
 キズはどんどん赤くなります。
      ■         ■
 一番大切なのは…
 キズに緊張をかけないことです
 キズにやさしくすることです
 赤くなったキズには、
 赤味を抑える薬をつけます。
 キズの状態によって、
 つける薬は違います。
 手術をしてくれた先生か、
 形成外科専門医の先生にご相談なさってください。
      ■         ■
 目頭切開は、
 目頭という見える場所を手術するので、
 どうしてもキズが気になります。
 気になって触りすぎると…
 キズが赤くなることがあります。
 手術後にお化粧をする時、
 お化粧を落とす時、
 きずにやさしくしてください。
      ■         ■
 こちらの日記は、
 2004年4月に私が手術を担当させていただいた、
 あこさんの日記です。
 左上のカレンダー
 2004年4月をクリックすると…
 手術前から
 手術直後、
 手術後数ヶ月の経過が
 とてもよくわかります。
 まだご覧になれますので、
 心配な方は是非参考になさってください。
 あこさんの日記はすでに終了されていますので、
 書き込みをなさっても返信はいただけません。
 ご了承ください。

上:手術前
中:手術直後
下:手術一ヶ月後
あこさんの日記より引用

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院長の休日

子育ての大変さ

 赤ちゃんはかわいいですね。
 光希くん、大きくなって、
 どんな人になるのか楽しみです。
 小さい時は、
 ケガをしたり、
 熱を出したり、
 その度にオロオロします。
 私も専門外のことは、
 小児科の先生にお願いしていました。
      ■         ■
 一番大変だったのが、
 釧路労災病院に勤務していた頃でした。
 上の子が3歳。
 下が1歳でした。
 よく熱を出して、
 小児科の先生にお世話になりました。
 病院の宿舎に住んでいたので、
 目と鼻の先に病院がありました。
 それでも大変でした。
      ■         ■
 釧路労災病院は忙しい病院でした。
 私は形成外科の患者さんを診るだけで、
 精一杯でした。
 土曜日も診療があり、
 日曜日も交替で回診でした。
 自分の子どもは、
 小児科の先生にお任せでした。
 優しい女性の先生がお二人でした。
 医師の家庭でもこんなものでした。
      ■         ■
 女医さんの家庭も大変でした。
 子どもさんが熱を出しても…
 先生のお母さんは休めません。
 子どもを預けるところがなくて…
 代わってくれる先生もいなくて…
 子連れで…
 当直をなさった先生もいらっしゃいました。
 子育ては大変です。
      ■         ■
 私が唯一得意だったのは、
 子どものケガの処置でした。
 子どもにとっては、
 お父さんが先生だと…
 辛いこともあったようです。
 処置の前に説教がありました。
 どこでこんなケガをしたの…?
 そこは危険だから…
 学校で行ってはいけない場所じゃないの…?
 ウェ~ん、ごめんなさい。
      ■         ■
 見ているだけの赤ちゃんはかわいいですが、
 育てるのは大変です。
 ご機嫌が悪いこともありますし、
 病気にもなります。
 でも…
 赤ちゃんのかわいい時期は、
 あっという間に過ぎてしまいます。
 気がついてみると…
 自分がじいちゃんです。
 神様から授かった宝物です。
 子育て、がんばってください。

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院長の休日

孫が大きくなりました

 育児休業中の職員が、
 赤ちゃんを連れてきてくれました。
 もう7ヶ月になりました。
 大きくなるのは早いものです。
 昨年の今頃は、
 お母さんのお腹の中でした。
 赤ちゃんは…
 幸せを運んでくれます。
 みんなの顔が笑顔になります。
      ■         ■
 わぁ~かわいいと…
 他の職員も笑顔になります。
 私を見て笑ってくれました
 最近、人見知りをするようになったそうです。
 じいちゃんとわかっているのか…?
 抱っこしても泣きませんでした。
 腕と下肢に湿疹がありましたので、
 クリニックにあった軟膏を処方しました。
 子育ては大変ですが、
 赤ちゃんはかわいいものです。
      ■         ■
 私の年代。
 早い人は…
 じいちゃん
 ばあちゃん
 になっています。
 自分自身のことを想い出してみると…
 結婚してからしばらくは、
 実家には寄り付きませんでした。
 奥さんと喧嘩もせずに…
 道内のいろいろなところへ行っていました。
      ■         ■
 子どもが生まれると…
 たまに実家へ子どもを預けに行きました。
 子どもは、
 じいちゃん
 ばあちゃんに、
 五番館デパートへ連れて行ってもらい、
 遊技場で遊ばせてもらって、
 サクランボがのった、
 パフェを食べさせてもらうのを、
 楽しみにしていました。
      ■         ■
 じいちゃんばあちゃんは、
 実家に寄り付かなくなった息子(私)が
 嫁と孫を連れてきてくれるので…
 それなりに楽しみにしていたようです。
 今から20年も前なので、
 私の親もずっと元気でした。
 親は…
 孫と遊ぶのを、
 楽しみにしていたようです。
      ■         ■
 私は自分の孫と遊ぶのは…
 残念ながら…
 無理なようなので…
 陰ながら…
 職員の子育てを応援したいと思っています。
 それにしても…
 ♡孫はめんこい♡ものです。

なかなか
こっちを向いてくれない光希くん
ご機嫌な光希くん

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昔の記憶

台風の怖さ

 台風18号が日本を襲っています。
 山形のさくらんぼさんが心配です。
 丹精込めたラ・フランスの収穫時期です。
 まだリンゴもあります。
 どうしていらっしゃるか心配しています。
 被害が少ないことを祈念しています。
 テレビでは収穫前に落ちてしまった
 リンゴが写っていました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科を開業した、
 2004年に…
 台風18号が札幌を襲いました。
 私は出勤してきましたが、
 駅前通りの街路樹が、
 何本もやられました。
 北大構内のポプラ並木も…
 無残に倒れました。
 道庁の樹木も、
 北大植物園の木も、
 無残に倒れてしまいました。
      ■         ■
 以前にも書いたことがあります
 樹木が倒れるほどの強風の中、
 手術を受けにいらしていただきました。
 旭川の方でした。
 私も職員も、
 手術はキャンセルだろうと思っていました。
 JRのダイヤも乱れていました。
 私は当時、JRで通勤していました。
 私の列車は動きましたが、
 旭川からは無理だろうと思っていました。
      ■         ■
 意外にも…
 予定時間よりも早く、
 その患者さんが来院されました。
 おはようございます。
 大丈夫でしたか?
 はい、心配だったので…
 昨夜から参りました。
 ようやく休みを取って、
 準備万端整えたので、
 どうしても手術を受けたかったそうです。
 私も職員も感動しました。
      ■         ■
 北海道に台風が上陸することはマレです。
 結婚する時に、
 北海道に台風はまず来ない
 と言ってしまいました。
 実際、私の記憶でも…
 台風で学校が休みになったことは、
 数えるほどもありませんでした。
 北海道で学校が休校になるのは、
 冬の大雪か吹雪でした。
      ■         ■
 ところが皮肉なことに、
 私が結婚した翌月の…
 昭和56年8月上旬に、
 低気圧と台風の影響で、
 なんと石狩川が氾濫しました。
 札幌市内でもあちこちで冠水しました。
 私の実家の地下室にも浸水し、
 ボイラーがダメになりました。
      ■         ■
 農家の方にとって、
 秋は一番の繁忙期です。
 山形ではラ・フランスの収穫がはじまったばかりです。
 せっかく丹精込めて作った果物が、
 台風にやられては大変です。
 さくらんぼさんも、
 さぞお疲れのことと思います。
 今日のコメントはお休みなさってください。
 被害が少ないことを祈念しています。 


倒れたポプラ並木
2004年9月
北大HPより引用

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昔の記憶

手術用顕微鏡の想い出

 私が市立札幌病院へ赴任したのが、
 平成元年4月(1989年)、
 今から20年前でした。
 当時の市立札幌病院は、
 現在、ヤマダ電機がある場所でした。
 私は形成外科医でありながら、
 皮膚科医師として採用されました。
 形成外科がなかったからです。
      ■         ■
 大きな病院や、
 大学病院に、
 形成外科を作るのは大変でした。
 新しい標榜科目を開設したり、
 医師の定員を増やすには、
 札幌市議会の承認が必要でした。
 形成外科を作るには、
 予算も必要です。
 赤字の病院には予算がありませんでした。
      ■         ■
 私が赴任しても、
 形成外科の手術に必要な手術器械がありません。
 他科の器械で間に合うものもありましたが、
 細かい手術をするのに必要な、
 専用の手術器械がありませんでした。
 私の仕事は、
 まず、必要最低限の器械のリストを作って、
 院長決裁をいただくことからはじまりました。
      ■         ■
 この手術器械…
 意外と高価です。
 例えば…
 組織や糸を切る鋏(はさみ)、
 鼻毛切りの鋏を…
 ちょっと大きくした程度でも、
 ドイツ製のよく切れる…
 スーパーカットという鋏は、
 一つ1万円以上しました。
 針を持つ持針器(じしんき)というのも、
 先が細い特殊なものは一つ数万円もしました。
      ■         ■
 中でも高価だったのが、
 手術用顕微鏡でした。
 ドイツ製の高性能の顕微鏡。
 お値段は…
 ドイツ製高級車の…
 最上位車種より高価でした。
 定価は一台2,000万円以上しました。
 とても買っていただけませんでした。
 耳鼻科や眼科、脳外科には、
 それぞれ専用の顕微鏡がありました。
      ■         ■
 今から考えると…
 他科の顕微鏡でも使えないことはありません。
 他科の顕微鏡を使うには、
 対物レンズを交換したり、
 付属品を交換する必要がありました。
 見る目的が違うため、
 微妙に違うのです。
 一番困るのは、
 他科が使っている時は使えないことでした。
 それにレンズ一個買うにも
 数十万円もしました。
      ■         ■
 困った私は、
 担当副院長に相談して、
 メーカーから借りて…
 手術用顕微鏡を使っていました。
 高級車を来年は買うから…
 試乗車を貸してください。
 とタダ乗りしていたようなものでした。
 ある患者さんの手術を予定して、
 顕微鏡を借りる手配をしていました。
      ■         ■
 手術の直前になって…
 代理店から…
 『申し訳ございません』
 『顕微鏡の手配ができませんでした』
 と連絡がありました。
 手術予定はすでに立ててあり、
 患者さんは手術を待っていました。
 外傷による組織欠損だったため、
 手術が遅れるとそのまま回復も遅れます。
      ■         ■
 私は患者さんと家族にお詫びしました。
 正直に…
 申し訳ありません
 手術用顕微鏡の手配ができず…
 手術が延期になります…
 若い男性患者さんで、
 職業は整備士さんでした。
 市立病院で…
 設備がないから手術できないなんて…
 いったいどういうことですか?
      ■         ■
 お怒りはごもっともです。
 ただひたすらお詫びするだけでした。
 担当副院長にも来てもらって…
 私といっしょに謝ってもらいました。
 なにぶんにも…
 予算がなく…
 お怒りはごもっともで…
 何とも歯切れの悪いお詫びでした。
      ■         ■
 私は、次の手術日を確約し、
 代理店が、
 学会でその顕微鏡を使うことを、
 失念していたたこと。
 安易に手配ができたと連絡してきたこと。
 他の代理店に変えて、
 次の手術日には、
 必ず手術用顕微鏡が手配できることをご説明して、
 患者さんからお許しをいただきました。
      ■         ■
 こんな苦い想い出がある…
 手術用顕微鏡です。
 その翌年には、
 別の内科系副院長が、
 本間くん、困っているって聞いたよ
 と言って、
 ポンと顕微鏡の予算を付けてくださいました。
 その時にどんなに嬉しかったかは、
 20年経っても忘れられません。

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昔の記憶

マイクロサージャリー

 私たち形成外科医は、
 細かい作業をします。
 切断された指をつなぐには、
 髪の毛よりも細い糸で、
 血管や神経を縫います。
 この手術を…
 マイクロサージャリーと呼びます。
 山形大学整形外科の荻野利彦先生のように、
 手の外科を専門とする整形外科の先生も、
 マイクロサージャリーがお得意です。
      ■         ■
 マイクロサージャリーには、
 手術用顕微鏡(しゅじゅつようけんびきょう)が必要です。
 学校の理科室にあるような顕微鏡ではなく、
 私の背丈よりも高いような、
 大きな設備です。
 この顕微鏡…
 お高いのです。
 世界的に高性能の顕微鏡は、
 ドイツ製と言われています。
 カールツァイスや
 ライカという会社が有名です。
      ■         ■
 顕微鏡を使って手術をするのは、
 形成外科や整形外科の他に
 眼科
 脳神経外科
 耳鼻咽喉科
 があります。
 最初に使ったのは耳鼻科の先生だそうです。
 最近では、
 歯科や
 産婦人科でも
 手術用顕微鏡を使って
 手術をするところがあります。
      ■         ■
 形成外科医が
 マイクロサージャリーを使うのは、
 組織移植という分野です。
 事故やガンなどで、
 組織が大きく欠損した時に
 身体の他部位から、
 組織を移植します。
 血流がないと組織は死んでしまいます。
 そのために、
 血管を吻合(ふんごう)します。
 この血管が細いのです。
      ■         ■
 現在、日本の形成外科で、
 各大学の教授に就任されている先生は、
 このマイクロサージャリーがお得意で、
 たくさん英文論文を書いた方が多いです。
 ちょうど私が形成外科医として活躍した、
 今から20~25年前頃から、
 この手術が盛んになってきました。
 優秀な形成外科医になるためには、
 マイクロが必須科目になりました。
      ■         ■
 私は日本マイクロサージャリー学会の講習会に参加したり、
 北大に通ってマイクロの練習をしました
 手術用顕微鏡で拡大すると…
 信じられないほど良く見えます。
 今では、すいすい手術ができますが…
 最初は、
 拡大されているために…
 どこを見ているのかわからず…
 自分の指先を確認するのも大変でした。
 高価なマイクロ用の糸を、
 からませては…
 何本もダメにしてしまいました。
      ■         ■
 30歳台で習得した…
 マイクロの技術は、
 55歳のおっさんになっても役立っています。
 手術用顕微鏡があれば…
 若い人以上によく見えます。
 長年の経験が役に立ち、
 若い人に見えない、
 埋没法の糸も見つけられます。
 美容外科で、
 マイクロが役立つとは考えていませんでしたが、
 おじさん先生の強力な武器となり、
 腫れが少ない手術に役立っています。

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昔の記憶

中川昭一さんの死を悼む

 中川昭一さんがお亡くなりになりました。
 中川さんは1953年7月19日生。
 私より一歳年上です。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 中川さんの選挙区は、
 北海道の十勝でした。
 私はJA帯広厚生病院に3年間勤務しました。
 3年間住んだ十勝は住みやすいところでした。
      ■         ■
 直接お会いしたことはありませんが、
 北海道民の一人として、
 頼もしく思っていました。
 はじめて十勝に行った時に、
 街が豊かな印象を受けました。
 十勝の農家が、
 とても立派なのに驚きました。
 私が勤務していた、
 JA帯広厚生病院は、
 頭にJAがつく、
 北海道厚生農業協同組合連合会
 (JA北海道厚生連)が経営する病院です。
      ■         ■
 JA帯広厚生病院は
 JA北海道厚生連の中でも、
 屈指の黒字病院でした。
 設備は‘超’一流でした。
 JAの豊富な資金力で、
 立派な病院ができていました。
 中川さんをはじめとする、
 有能な政治家の存在で、
 十勝地方の農業が豊かになりました。
 国の政策一つで、
 農業が左右されることを知りました。
      ■         ■
 十勝には、
 農業に関連した、
 農機具の会社もたくさんありました。
 農産物を加工する工場もありました。
 北海道の銘菓として有名な、
 六花亭も十勝に工場があります。
 北海道の中で、
 十勝地方だけは、
 どこか違う雰囲気があります。
      ■         ■
 開拓の時代に、
 十勝に入植した方々は苦労を重ねられたそうです。
 作物の作付けをする時には、
 国際相場を眺めながら…
 作付け計画を立てると聞いたこともありました。
 北海道の地方都市なのに…
 インターネットの普及も早かったと思います。
 私がインターネットをはじめたのも、
 帯広が最初でした。
 十勝の人々には、
 世界の穀物相場を
 見ているようなところがありました。
      ■         ■
 テレビで中川さんのご自宅を見ました。
 花を育てて、
 癒されている様子が写っていました。
 マスコミは、
 中川さんの悪いところばかりを報道しました。
 私はお酒を飲みませんが、
 周囲に‘酒癖の悪い人’はいました。
 酒を飲まない私が、
 ご自宅までお送りしたこともありました。
 ‘酒癖が悪い人’は、
 お酒を飲まない時は、
 真面目で、じっと耐えています。
      ■         ■
 ふだん抑えている分が…
 お酒で抑制がとれてしまうことがあります。
 北朝鮮拉致問題の、
 横田さんのお母さんが、
 とてもがっかりなさっていたのが印象的でした。
 北海道の中川事務所がTVに写っていました。
 鳩山さんの、
 お母さんが造ってくれた
 立派な事務所とは対照的で、
 質素な事務所に見えました。
      ■         ■
 亡くなってしまってから、
 何を言っても無駄ですが、
 あれだけ自分の失態をTVで報道されると、
 どんなに頑強な精神の持主でも落ち込みます。
 失態を演じたのは、
 もちろん自分の責任です。
 責任ある立場の人でしたら、
 自分の言動には気をつけるべきです。
 でも、もう少し…
 体調の異変に早く気付けば…
 こんなに早く亡くならなくてもよかったのに…
 と残念に思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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