医療問題

博士号をお金で買う?

 平成20年1月6日、朝日新聞朝刊の記事です。
 ニセモノ社会5
 売られる博士号
      ■         ■
 文部科学省が昨年末、奇妙な調査結果を発表した。
 実態の伴わない博士号や修士号を発行する機関があり、
 そこから得た「ニセ学位」をもとに2004~2006年度に採用されたり昇進したりした教員が、全国4大学に4人いたという。
      ■         ■
 社会的に通用しない学位を発行するビジネスを「学位商法」と名付けて研究してきた静岡県立大の小島茂教授によると、
 発行機関は少なくとも数十ヵ所ある。
 一つの例はイオンド大学だという。
 その日本校のホームページには「文科省の所管する大学ではない」とある。
 総合学部や国際関係学部のほか、未知現象研究学部や催眠学部を置く。 
      ■         ■
 日本校を訪ねると、本部は、東京都杉並区の環状7号線沿いの雑居ビル内にあった。
 4階が事務所で、5階に応接室があった。
 「小島教授から誹謗中傷を浴びせられ、迷惑しているんだ」。
 高橋斎代表は激しい口調で切り出した。
 高橋代表らによると、日本校は1999年に株式会社として設立し、
 籍を置く学生約100人の大半は働きながら学ぶ社会人だという。
 「キヤリアアップを目指す社会人に門戸を開くのが狙いだ」
      ■         ■
 学生が社会で培った経験を査定評価し、単位に置き換える。
 名誉学士号や名誉修士号、名誉博士号を与えているという。
 「学位商法」との非難に対し、
 高橋代表は「非認定校と知ったうえで学位を受けて何が悪いのか。
 いろんな大学の形があっていい」と話した。
      ■         ■
 「非認定校」。この言葉には解説が必要だ。
 日本では、学位は基本的に文科省の認可した大学が発行する。
 米国では原則として、州当局から認証された民間団体が、学位を保証する。
 日米ともに、公式の認証を受けていない大学は「非認定校」として扱われ、
 学位に疑わしい点があるとされる。
 小島教授によると、非認定校は米国には300近くある。
 州が認証していない団体による「認定」をホンモノと信用させ、
 学位を売りさばくことが社会問題化した。
      ■         ■
 「ディプロマ・ミル」
 「ディグリー・ミル」
 などと呼ばれる。
 「学位工場」といった意味だ。 
      ■         ■
 日本の教育界では数年前から問題視されるようになった。
 たとえば九州産業大では昨年、博士号などを与える立場にある商学部の教授(64)が、非認定校のひとつで学位を取得していた疑いが浮上し、内部調査をした。
 大学の説明によると、この教授は、農協流通研究所主任研究員だった1989年、 雑誌広告で通信教育制の「クレイトン大学」を知った。
 3年間週1回程度、都内の日本人教官のもとへ通い、日本語で経営学の論文を書いた。
 授業料は年60万円。学位を得るまでに資料代を含め240万円かかった。
      ■         ■
 農協流通研の同僚の多くが博士号を持ち、大学などの教員に転職していた。
 この教授は「将来に備え自分も博士号を取っておいた方がよいと思った」と説明している。
 しかし、九州産業大が米国大使館などに確かめたところ、
 クレイトン大学は米国で非認定校として扱われていた。
      ■         ■
 考古学が専門の早大客員教授(64)の場合、
 同大の助教授だった1995年、パシフィック・ウエスタン大学」の博士号を取得した。
 長く非認定校と気づかなかったという。
 「当時は英語の論文力を試したかった。学費を30万円ほど納め、論文審査を受けた。インチキとか学位を金で買ったとか疑いもしなかった」
      ■         ■
 米国では、学位論文やリポート類に他人の書いたものを盗用する「ニセ論文」も横行している。
 盗用の有無を自動探知する事業を始めたジョン・ベリー氏によると、盗用かどうかの問い合わせは、
 日本を含む約90カ国から1日平均12万5千件寄せられる。
 全文の25%以上に「他人の文章」を含むものをニセ論文とすると、その数は約3割に上るという。
 「学位を勝手にプリントアウトしているようなものだよ」とベリー氏は話す。
      ■         ■
 学位は、中世ヨーロッパの大学における教授職の資格が起源とされる。
 「日本では90年代、大学院の充実を図ろうとしたことから、学位の氾濫が始まった。
 学位を持っていることが当然になり、学位を出す側の教員が博士号や修士号を持っていないと、周囲は認めてくれなくなった」
 札幌学院大の佐々木冠准教授は、学位商法の横行をそう分析する。
      ■         ■
 佐々木氏は昨年、この問題をゼミで取り上げた。
 安易に学位が取れることがどういうことか学生たちに考えてほしかった。
 「カタカナ名だと外国のちゃんとした大学と思われがちで、人物を見ない傾向がある」
 「ニセ学位は、何でもお金で買える風潮を反映している」。
 学生からはそんな反応が返ってきた。(松永住伸、田中久稔)
 (以上、朝日新聞から引用)
      ■         ■
 私は、平成6年3月に北海道大学から博士(医学)の学位をいただきました。
 私は大学院へは進学せず、北海道大学の研究生となりました。
 市立札幌病院の仕事が終わった後や、土日に北大に通い動物実験をしました。
      ■         ■
 私が使った実験動物はラット。
 体重が200~300g程度の白いネズミです。
 目が赤くて、真っ白でキレイなネズミでした 。
 そのネズミに麻酔をかけて、手術をして実験をしました。
      ■         ■
 大学の教授になろうと思っていたのはありません。
 私は頭が悪くて、北大医学部へ入学できなかったので、
 せめて博士号は北大からいただきたいと思ったのです。
 大学院へ進む道もありましたが、
 当時は私のように研究生となって働きながら勉強して、博士号を取得する人もいました。
      ■         ■
 私が知っている‘先生’でも、お金で博士号を取得した人がいます。
 自分なら、そこまでしなくても…と思います。
 しっかりとした研究をした人か、お金で買ったかは、意外とわかるものです。
 整形した二重よりも、バレやすいです。
      ■         ■
 その人の価値観の問題なので、
 お金で買った博士号で満足できるのでしたらそれもよいと思います。
 ただ、大学の教員となるのはどうかと思います。
 大学教員になるには、文科省の審査があったはずです。
      ■         ■
 私にとって、博士号を取得して一番よかったのは
 英語で論文を書くことを身につけたことでしょうか?
 博士号を持っていない‘先生’にも、立派な方はたくさんいらっしゃいます。
 肩書きや学位で惑わされないことも大切です。

“博士号をお金で買う?”へのコメントを見る

昔の記憶

新年家族会

 私が医師免許を取得したのが、昭和55年5月です。
 私は、北大形成外科に入局し、大浦武彦先生の門下に入りました。
 当時の北大形成外科は、まだ少人数で、実に家族的な医局でした。
      ■         ■
 教授が、一家の大黒柱。
 お父さんのような存在です。
 その下に、お父さんの弟レベルの先生が数人。
 私たちは、ちょうど息子くらいの年代でした。
      ■         ■
 毎年、お正月には医局の新年家族会がありました。
 医局員の奥さんや子供たちが全員ホテルに集合します。
 その前年に結婚した医局員は、奥さんを紹介するのが家族会でした。
      ■         ■
 昭和57年(1982年)1月4日、札幌グランドホテルで、
 第3回北大形成外科新年家族会が開かれました。
 私は、その前年に結婚したので、この時にはじめて家内を連れて参加しました。
      ■         ■
 私たちの仲人は、大浦武彦教授ご夫妻です。
 大浦教授婦人には、お会いしていますが、他の先生の奥様にお会いするのははじめてです。
 家内も、緊張して参加しました。
 写真で判別できるかどうかわかりませんが、
 最後列、左から2人目が私(当時27歳)。
 その、左下が家内(当時25歳)です。
      ■         ■
 最前列が、大浦武彦教授ご夫妻。
 その左が、皮膚科の三浦祐晶教授ご夫妻。
 右が、形成外科の濱本淳二助教授ご夫妻です。
      ■         ■
 最後列は、左から、現在、北海道がんセンター形成外科の皆川英彦 (みなかわ ひでひこ)先生
 私。
 元、北海道大学病院長の杉原平樹(すぎはらつねき)先生。
 蘇春堂形成外科、理事長の新冨芳尚(しんとみよしひさ)先生。
      ■         ■
 前から、2列目、左から、みなかわ眼科の皆川玲子先生(皆川英彦先生の奥様)。
 札幌市病院事業管理者、市立札幌病院長の吉田哲憲(よしだてつのり)先生と奥様。
 現在、北海道で有名な形成外科医はほとんどこの写真に写っています。
      ■         ■
 写真に写っている先生で、残念なことに故人となられてしまった先生もいらっしゃいます。
 最後列、右から5人目が、野崎敏彦先生です。
 野崎先生は、栃木県でお父様の病院を継いで、形成外科を開業していらっしゃいました。
 北大航空部に所属し、グライダーの名手でした。
 残念なことに、平成11年(1999年)にグライダーが墜落して亡くなってしまわれました。
 野崎敏彦先生が作られたHPは、亡くなってから10年近くも経つのに、まだ健在です。
      ■         ■
 大学病院の医局制度については、とかく悪い面ばかりが強調されています。
 私は、医療技術の継承。
 地域医療に対する貢献。
 など、良い面もたくさんあったと思います。
 私が、現在こうして開業医として生活できるのも諸先輩の教えのおかげです。
 もう一度、若い日に戻って、新年家族会に参加できたら…と思います。
      ■         ■

昭和57年1月4日
北大形成外科新年家族会

“新年家族会”へのコメントを見る

未分類

勝ち組?負け組み?

 平成20年1月4日、朝日新聞朝刊の記事です。
 超える境界その3 成功
 足りないものは「普通」
      ■         ■
 先行き不透明な時代。あなたが重視するのは?
 収人、 職業、 学歴、 容姿……
      ■         ■
 「私って負け組?」。関東地方のマンションで一人暮らしする女性医師(29)がそう意識し始めたのは大学卒業後からだ。
 端から見れば、「勝ち組」かもしれない。都内の中高一貫の女子校から現役で国立大医学部に入り、付属病院の医師に。
 父は会社員、母は公務員の共働き家庭で育った。医師になるのは幼い頃から漠然と抱いていた夢だった。
      ■         ■
 童顔で、実年齢より若くみられる。「医師に見えない」と患者に言われることもままある。
 3年前、医学部時代から5年間付き合った彼に振られた。理由はよく分からない。
 自分より魅力的な女性を見つけたのではないかと思う。
 お互い医師になってから、2人で会う時間も日を追って減っていた。
      ■         ■
 その頃、「20代で結婚しないと負け組じゃないの?」。
 飲み会で、男性の先輩の言葉が胸に刺さった。
 他人からどう見られているか、神経質になった。
 1年前、高校の同窓会で久しぶりに級友と会った。
 結婚して子育て、仕事一直線のキャリアウーマン。
 自分よりオーラのある「大人の女性」に見えた。
      ■         ■
 書店で偶然、「かっこいい大人の女」を目指す本を見つけた。
 昨春、著者が東京・渋谷で開くマナースクールに入学。
 4ヵ月間、美しい話し方、立ち居振る舞いなどを学んだ。
 「他人と比較しても意味がない。 自分のライバルは明日の自分」。
 そんな講師の言葉に、プラス発想へと転換した。
 「将来は結婚もしたいし、仕事も続けたい。
 医師という職業だけで見れば勝ち組、恋愛では負け組かもしれない」
      ■         ■
 31歳、IT会社経営「でも負け組かも」 
 昨年12月下旬、川崎市の雑居ビルにあるIT会社が、新しい携帯電話サイトを立ち上げた。
 社員2人と事業を進める社長、岩崎聖侍さん(31)は2年前までは、東京簡易裁判所の書記官だった。 
      ■         ■
 3年前、古本屋で100円で買った一冊の本で人生が変わった。
 「金持ち父さん貧乏父さん」。安定した会社で定年まで働くより、不労所得で自由な毎日を過ごして独立するべきだと説く。
 「トンカチで頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた」
 不動産業を営んでいた父親が病気で他界し、バブル崩壊で膨れあがった借金数千万円を残していた。
 年収は約400万円。弁護士などにステップアップしない限り、将来は開けないと考えた。
      ■         ■
 ホリエモンや村上ファンドが株式市場を席巻し、マスコミを騒がせていた。
 「株で成功すれば『勝ち組』になれる」
 株の本を読みあさり、起業セミナーに片っ端から出た。
 在職中に副収入を得てから辞めようと決意したが、掛け持ちでできるほど器用ではなかった。
 「自分のやりたいことをやりなよ。応援するから」。
 背中を押してくれたのは結婚を決めていた彼女(29)だった。
 2006年春、辞職直前に結婚して自分を追い込んだ。
      ■         ■
 連日、朝から夜中まで、株式売買や先物取引でパソコンをにらむ。
 だが、貯蓄は減るばかり。
 一時は起業をあきらめかけたが、夏から、ホームページで証券会社の投資商品を紹介して得る手数料収入が増え始めた。
 秋には会社を設立し、年商3千万円を超すまでになった。
 書記官時代の同期、山形英世さん(32)は
 「辞める時はバカじゃないかと思った。人生が2度経験できるならまねしてみたいとは思うけど」
      ■         ■
 ただ、岩崎さんは、いま得ている収人は単なる「ブーム」と気付いている。
 借金返済にあてられる収益も上がっていない。
 「一流企業や国家公務員、金持ち……。
 勝ち組とは、安定あればこそと思われている。
 世間の社会的価値観から見れば、自分は負け組に見えるかもしれない」(上田学)
(以上、朝日新聞から引用)
      ■         ■
 医師や弁護士は社会的な地位が高く、高収入で「勝ち組」と思われているかもしれません。
 確かに、「普通の人」よりは、一見よさそうに見えます。
 ただ、実際のところは、決して楽な仕事ではありません。
      ■         ■
 もし、ほんとうの「金持ち父さん」になりたいのでしたら、医師はおすすめしません。
 私の札幌西高校450人の同期生の中で、一番のお金持ちは阿部修平さんです。
 スパークス・グループ株式会社 代表取締役社長 。
 資産運用の会社です。
 創業1989年7月1日
 資本金 118億601万円(2007年3月末現在)
      ■         ■
 一介の開業医など足元にも及びません。
 医師や弁護士のよいところは、困っている人の手助けができて、
 他人に喜んでいただける職業だということです。
 喜んでいただけることばかりではありません。
 こちらはよかれと思っていることでも、
 ‘お客様’のご満足をいただけないと、お叱りを受けることもあります。
 それでも、私がこの仕事を続けているのは、人をキレイにするのが好きだからです。
 

“勝ち組?負け組み?”へのコメントを見る

医学講座

コンブで毛が生える?

 平成20年1月3日、北海道新聞朝刊の記事です。
 コンブ仮根に発毛促進効果
 半年服用で76%が抜け毛・白髪減
 東京農大網走などが確認
      ■         ■
 【網走】植物の根に似た役割を果たすコンブの「仮根(かこん)」に、
 抜け毛を減らしたり、発毛を促す効果のあることが
 網走市の東京農業大学生物産業学部などのグループの研究で分かった。
      ■         ■
 仮根に含まれる豊富なミネラルなどが発毛を促している可能性があり、
 研究グループは有効成分を特定し、発毛剤の開発に乗り出したい考えだ。
      ■         ■
 研究グループは、
 東農大網走の西沢信教授(天然物化学)と
 製薬会社カイゲン(大阪)、
 毛髪製品製造・販売アートネイチャー(東京)。
      ■         ■
 仮根は、海底の岩場に張り付いて、
 マコンブなどのコンブの本体を支える器官で、
 カニの足に似ていることから「ガニアシ」とも呼ばれる。
 固くて食用には向かず、従来は廃棄されていた。
      ■         ■
 仮根にはコンブ本体の2.5-4倍のカリウムや
 3-4倍のカルシウムに加え、
 抗がん作用があるとされる
 ぬめり成分・フコイダンも含まれていることから、
 カイゲンは2001年から仮根を乾燥粉末にし、
 健康食品として販売していた。
      ■         ■
 ところが2006年、これを服用していた人から
 「頭髪が生えた」
 「白髪が黒くなった」
 などの事例が報告された。
      ■         ■
 カイゲンの志多伯(したはく)良博・食品事業部長代理は
 「思わぬ事例に驚いた」としている。
 カイゲンは以前、関連企業の研究員だった
 西沢教授に検証への協力を依頼し、
 さらに興味を持ったアートネイチャーも研究グループに加わった。
      ■         ■
 グループは2006年10月から、
 抜け毛や白髪を気にしている30-70歳代の男女111人に、
 仮根の粉末1グラムを毎日服用してもらった。
 この結果、1カ月で効果が出始め、
 6カ月間服用を継続した107人のうち76%の81人に、
 発毛促進や抜け毛・白髪の減少などの効果が確認された。
      ■         ■
 西沢教授は「仮根のどの成分が作用しているのか、まだ不明だ。
 豊富なミネラルなどで新陳代謝が高まり、
 末梢(まっしょう)血管の血行が改善されるなどして、
 髪が生えるのかもしれない」と話し、さらに研究を続けている。
      ■         ■

北海道新聞より引用
マコンブの仮根(ガニアシ)と
東京農大網走、西沢信教授

     ■         ■
 昔から、毛生え薬を発明したら、ノーベル賞と言われていました。
 コンブを食べると、髪が黒くなったり、濃くなるという話しも有名です。
 カイゲンという会社は、一流の製薬メーカーで、信用度も高い会社です。
 春から、縁起のいい話し…と北海道新聞社が掲載したと思います。
 ただ、私はこの話にすぐは同意できません。
 北海道新聞社も正直なのでしょう…
 西沢教授の頭に毛がありません…
      ■         ■
 カイゲンのHPを見ました。
 キングオブコンブ(3瓶セット)
 内容量 120カプセル×3瓶(3ヶ月分)
 通常価格 37,800円(本体価格 36,000円)
 ※3か月分トライアル価格 10%OFF 34,020円
 これは高い!
 1カプセル100円
 一日4カプセルで、一ヵ月12,000円です。
 しかも、医薬品ではなく健康食品です。
 一般的に健康食品や市販の薬は、医科向けに比べると割高です。
      ■         ■
 私のような、おじさんだけではなく、
 若い人も薄毛や抜毛で悩んでいます。
 男性だけではなく、女性にも多い悩みです。
 誤った、‘治療’を受けて、
 数百万円もかけて毛が生えない人もいます。
      ■         ■
 私は植毛など、毛の治療はしておりませんが
 毛で悩む方からご相談を受けて、
 専門医をご紹介することがあります。
 現在、明らかに効果が認められるのは
 ロゲインという、米国の薬です。
      ■         ■
 成分は、ミノキシジルと言います。
 日本国内でも、リアップという製品名で発売されています。
 リアップは濃度が2%です。
 米国で発売されている、ロゲイン(男性用)は5%です。
 特に、フォームタイプのロゲインがおすすめです。
 この、ネットのビデオに出てくる宣伝『使う?それともはげる?』
 というコピーが上手だと思います。
      ■         ■
 ロゲインフォームを3万円分も買えば、1年は使えます。
 安い市販薬(cheapotc.com)というサイトが安心です。
 私はここから購入することを、お客様にご紹介しました。
 6ヵ月で見事に生えました。
      ■         ■
 このロゲインフォーム(5%)は、男性専用で女性には使えないことになっています。
 ただ、米国の学会では、女性に使って効果が出ているという発表が出ているそうです。
 私は、頭髪専門医の先生に伺いました。
 効果が不確実な健康食品よりも、
 効果が確実でFDAに認可されている薬をおすすめします。
 ただ、ロゲインには副作用もありますので、
 注意をよくお読みになり、
 自己責任でお使いください。
 確実に効果があります。

“コンブで毛が生える?”へのコメントを見る

院長の休日

年賀状

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。
 ありがとうございました。
 昨年は、遅配や誤配が目立ちましたが、今年はしっかり届いています。
 民営化前は、1月2日はお休みだったと記憶しています。
 今年は、2日の今日も、しっかり届けていただきました。
 ありがとうございます。
      ■         ■
 新聞で、たくさんの高校生が活躍してくれている様子が報道されていました。
 お正月も返上で、郵便局でアルバイトをしてくれた、高校生に感謝です!
 私が高校生の時は、受験勉強でアルバイトどころではありませんでした。
 成人式も、予備校で迎えました。
 今より、ずっと雪が多かったので、家の前の雪かきは私の仕事でした。
      ■         ■
 昨年も書きましたが、昔、治療した患者様から年賀状をいただくと嬉しいものです。
 特に、ガンの治療をした方からのお便りは、‘お元気でよかった’と嬉しくなります。
 ガンも早期発見、早期治療で治るようになりました。
 また、決して諦めないことも大切です。
      ■         ■
 赤ちゃんの時に手術した方のお母さんから、
 『結婚することになりました』
 とお便りをいただきました。
 ほんとうによかったと思います。
 形成外科医をしていて、よかったと思います。
      ■         ■
 札幌美容形成外科のお客様からもいただきました。
 私が直接手術をしたのではなく、他の先生をご紹介しただけの方もいらっしゃいます。
 治療がうまくいって、お元気になられたと知ると、こちらも元気をいただきます。
      ■         ■
 美容外科医仲間の先生からもいただきました。
 どの先生も、『大変です!』と書かれています。
 景気が悪くなると、美容外科の‘売り上げ’は減ります。
 特に、北海道は灯油の値上がりで打撃を受けました。
 灯油が1㍑100円では、
 形成外科や美容外科のように‘急がない手術’は敬遠されます。
 道職員の給与削減も響いています。
      ■         ■
 札幌美容形成外科も経営は楽ではありません。
 競合店が増えて、競争が激しくなる一方です。
 大手、美容外科のチェーン店では、美容外科が儲からないので、眼科のレーシックに資本を集中しているようです。
      ■         ■
 先日ジャミックジャーナルという、医師向けの転職情報誌が届きました。
 ある、大手美容外科チェーン店の美容皮膚科医の年俸が2,000万円~。
 同じチェーン店が経営する、レーシック専門の眼科医の年俸が4,000万円~でした。
 お金儲けを目指している、医学生は、美容外科医ではなく、眼科医を目指しなさいということでしょうか?
      ■         ■
 私は、お金儲けを目指すつもりも、
 レーシックの眼科を経営するつもりもありません。
 自分の、形成外科医・美容外科医としての技術で、
 一人でも多くの方に喜んでいただければ…
 と思って手術をしています。
      ■         ■
 北海学園大学経営学部のニトリ講座で学びました。
 お客様を大切にして…
 お客様に喜んでいただけるクリニックは潰れないと…。
 今年も精一杯頑張りたいと思っています。
 何卒よろしくお願い申し上げます。

“年賀状”へのコメントを見る

院長の休日

謹賀新年

 皆様、あけましておめでとうございます。
 2008年の元旦は、穏やかな一日でした。
 札幌の天気は、快晴。
 積雪はほぼゼロです。
      ■         ■
 本間家は、
 私の父、本間寛(ホンマユタカ)、大正15年生、81歳。
 私の母、本間瑞子(ホンマミズコ)、昭和3年生、79歳。
 家内の母、片寄登喜子(カタヨセトキコ)、昭和9年生、73歳。
 私、本間賢一(ホンマケンイチ)、昭和29年生、53歳。
 私の妻、本間和子(ホンマカズコ)、昭和31年生、51歳。
 この5人で、新年を迎えました。
      ■         ■
 5人の年齢を合計すると、なんと337歳。
 平均67.4歳。
 高齢化社会を象徴するような、日本の家族です。
      ■         ■
 私の父は、12月31日に稲積記念病院を退院させていただきました。
 急性胆嚢炎で、『死ぬかもしれない!』と思ったほど苦しんでいたのが、何とか退院させていただきました。
 担当の、長岡先生と院長の松嶋先生には、本当にお世話になりました。
 ありがとうございました。
      ■         ■
 お正月は、日本人にとって特別な行事です。
 家族が揃って、『あけましておめでとう』と、無事に新年を迎えられたことを喜び合います。
 今年も、無病息災。
 無事に、一年間を過ごすことができるように祈って、食事をします。
 特に、私の父のように、高齢になると、その気持ちが強くなります。
      ■         ■
 31日は、紅白を見ながら過ごしました。
 私は、ふだんあまりTVを見ないのですが、今年は紅白を楽しませていただきました。
 レコード大賞のコブクロ。
 先日、NHKのトップランナー再放送で、たまたま、2007年4月7日に放送された、コブクロを見ました。
 宮崎出身でサニックスという会社のセールスマンだった小渕健太郎さん。
 堺市の堺東銀座通り商店街でストリート・ミュージシャンをしていた黒田俊介さん。
 黒田さんが、小渕さんに必死の思いで声をかけて、グループを結成したことを知りました。
      ■         ■
 コブクロは、息子が車のCDで聴いているのを、そのまま私と家内が聴いています。
 いい曲だと思います。
 ストリートミュージシャンから成功したというのも好きです。
      ■         ■
 ZARD(ザード)の坂井泉水(サカイ イズミ)さん。
 亡くなってしまったのは残念ですが、亡くなった後で紅白初出場。
 生きている間に出演できていたら…どんなに喜んだことだったでしょうか。
 一青窈(ヒトト ヨウ)さんのハナミズキ。
 この曲もよかったと思います。
      ■         ■
 年末にゆっくり紅白を見ることができたので、楽しめました。
 笑福亭鶴瓶(ツルベ)さんの司会もよかったと思います。
 
 今年も一年よろしくお願い申し上げます。
 元日から日記を読んでいただきありがとうございました。

本間家のお正月です

“謹賀新年”へのコメントを見る

未分類

2007年を振返り

 今日は大晦日です。
 最後まで、つたない日記を読んでいただき、ありがとうございます。
 昨年も書きましたが、美容外科は年末が一年で一番忙しい時期です。
 お正月休みという、年に一度の長期休暇を利用して、たくさんの方が手術を受けてくださいます。
 札幌美容形成外科も、31日は手術はありませんでしたが、手術後の抜糸や診察をいたしました。
      ■         ■
 とうとう、日記を毎日更新して、365日、一日も休みませんでした。
 ‘継続は力なり’は、代々木ゼミナールの玄関に大きく書かれている言葉です。
 私は、予備校時代から、この‘継続は力なり’を座右の銘としてきました。
 皆様のアクセス数に励まされて、忙しくても、疲れていても、毎日欠かさず更新しました。
 実は、かなり苦労して書いています。
      ■         ■
 平成19年12月18日からは、新しいフォームを、クロスロードの須崎克之さんに制作していただきました。
 携帯から読む時に、読みやすくなったと好評をいただいています。
 2008年からは、新しいフォームだけになります。
      ■         ■
 今年は、マスコミの方にも読んでいただきました。
 私が、今年、一番嬉しかったのは、週刊文春の取材を受けたことでした。
 自分が愛読している、週刊文春から取材申し込みのお電話を受けた時には、まさかと思いました。
 ライターの恵原さんは、医師以上に医学知識に富んだ方でした。
 私が、知らない‘医学常識’をたくさん教えていただきました。
 平成19年9月30日の日記に書いた、自殺予防ケアは、患者さんの家族にFAXして差し上げ、自殺予防に役立ちました。
      ■         ■
 この日記の目的は、私の考えや夢・ロマンなどを書き残すためです。
 形成外科の専門雑誌に、いくら論文を書いたところで、一般の方の目にとまることはありません。
 日記は、世界中の方にリアルタイムで読んでいただけます。
 コピー&ペーストでどこかに貼り付けられる可能性もあります。
 それだけ、私の考えが広く伝わるのでよいことだと思っています。
 ホームページの良いところは、自分の考えをダイレクトに伝えることができる点です。
 私のような‘変人’でも、信用して手術を受けていただくには、日記を読んでくださるのが一番の早道です。
      ■         ■
 2007年は、皆様にとって、どんな年でしたでしょうか?
 私にとっては、‘厄年か?’と思うような、実に多難な年でした。
 家庭内のゴタゴタから、多難な年のはじまりでした。
 札幌美容形成外科が入居している、スノー会舘ビルの建替え問題もありました。
      ■         ■
 どちらも、解決はしておりません。
 ビルの建替えは、当初の計画より、大幅に遅れそうです。
 他テナントの問題もあり、最低でもあと一年は現在地で診療を続けられる見込みです。
 大家さんとの関係は良好です。
 トラブルもありません。
 ただ、交渉は私が診療の合間にできるほど簡単ではないので、弁護士さんにお願いしました。
      ■         ■
 弁護士さんに交渉をお願いしたのは、スムーズに交渉を進めるためです。
 補償など、お金が絡む問題は、法律の専門家に論理的に公正に対処していただくのが一番だと思っています。
 もし、仮店舗での診療になったとしても、札幌駅から徒歩5分以内という立地条件は厳守したいと思います。
 医療業を営む者としては、患者様の利便性を第一に考えたいと思います。
      ■         ■
 今年もたくさんの方に助けていただき、一年が終わりました。
 この場をお借りして、心から御礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。
      ■         ■
 私自身は、どの位の方のお役に立ったか?わかりません。
 ご迷惑をおかけしたり、苦情を申し立てられた方もいらっしゃいました。
 この場をお借りして、お詫び申し上げます。
 本当に申し訳ございませんでした。
 来年も、微力ながら少しでも社会のお役に立ちたいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
      ■         ■
 最後に、お正月も返上して頑張っていらっしゃる受験生の皆さん。
 努力は必ず報(ムク)われます。
 体調に気をつけて頑張ってください。
 皆様、よいお年をお迎えください。

“2007年を振返り”へのコメントを見る

院長の休日

はじめてのクロール

 私は、2002年(平成14年)12月から、宮崎先生のおすすめでスポーツクラブへ通うことになりました。
 私が選んだのは、スイミング。
 日本人の恥と言われた、屈辱からです。
      ■         ■
 最初に入ったクラスが‘はじめてのクロール’でした。
 クロールどころか、バタ足も満足にできませんでした。
 何度か、家内に教えを請いましたが、
 『バタ足になっていない』
 『膝が曲がっている』
 そんなこと言われたって、本人は膝が曲がっているかどうかが、わからないのですから…。
 昔、スキーを教えてあげたこともあったのに…
 家内には冷たく見放されました。
      ■         ■
 はじめてのクロールの担当は、若くて美人の先生でした。
 お名前は愛先生でした。
 夜、20:00~20:50までのコースで、週に一回でした。
 一クラス約15人程度でしたが、男性は私を入れてわずか数人。
 大部分が、若い女性ばかりのコースでした。
      ■         ■
 若いお嬢さんのクラスで、先生も若い女性の先生。
 一見、よさそうに思えますが、48歳のおじさんには、恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。
 私の良きクラスメイトになってくれた、数少ない男性が、元拓銀マンだった杉山さんでした。
 杉山さんがいなければ続かなかったと思います。
      ■         ■
 はじめてのクロールでは、まず、息のしかたから教えてくださいました。
 『はい、本間さん、ぱぁして!』
 『ぱぁ。ゲボ…(水を飲んだ音)』
 何度、プールの美味しい水を飲んだことかわかりません…。
 鼻から空気を出すことや、水を飲まないで、空気だけ吸う‘わざ’を親切に教えてくださいました。
      ■         ■
 次は、バタ足。
 膝が曲がっていると言われても、本人はまっすぐにしているつもりです。
 プールサイドにつかまって、ばたばたバタバタ。
 先生が、足を引っぱって、曲がらないようにバタ足を教えてくださいました。
 次は、ビート板につかまって、バタ足で15mを往復です。
 もう一回するんですかぁ~?って言いたくなるほど、疲れました。
      ■         ■
 はじめて、数ヵ月は、本当に泳げるようになるのか…?という毎日でした。
 25mプールを、さっそうと泳いでいる人を見て、自分もいつかは25mを泳げるようになりたい…と思っていました。
 たまに、どう見ても70歳を超えていると思われる女性が、25mどころか、数百mを悠々と泳いでいる姿を拝見しました。
 家内の母は、70歳を超えていましたが、水泳が上手でした。
 私と同じように、50歳近くではじめたそうです。
      ■         ■
 一度、家内の母と一緒にプールへ行きました。
 『あまり、力を入れないで、ゆっくりと泳ぎはったらいい(関西弁です)』
 『賢一さんも、必ず泳げるようになりますよ』
 『足は、そんなにバタバタすると疲れるから、もう少しゆっくりがいい』
 さすが、苦労して覚えた、おばあちゃんは指導が上手でした。
      ■         ■
 バタ足の次に苦労したのが、肩でした。
 男性は女性よりも、肩関節の可動域がせまいようです。
 50肩にはなっていませんでしたが、とにかく腕を回すのがきつかったです。
 特に苦労したのが左。
 ようやく腕を回すことができるようになるまでに、数ヵ月かかりました。
      ■         ■
 はじめてのクロールは、6ヵ月毎に新しいクラスになります。
 はじめて、一年近く経った頃には、あまり無理をせずに泳げるようになりました。
 最初に通ったスポーツクラブは、今は通いづらいので別のクラブに通っています。
 はじめてのクロールから5年経った今は、毎回300mくらい泳いでいます。もちろんノンストップです。
 開業してからは、ハワイに行く時間がなくなってしまいましたが、日本人の恥は返上しました。
 いつか時間ができたら、またハワイの海へ行ってみたいと思っています。
 スイミングも継続は力なりです。
 きっかけを下さった宮崎先生と、根気よく教えてくださった先生に感謝しています。

“はじめてのクロール”へのコメントを見る

院長の休日

日本人の恥

 私は、札幌の手稲→美唄→夕張→札幌で育ちました。
 どちらかというと、海より山で育ったので、泳ぐのは苦手でした。
 昭和45年4月に札幌西高校へ入学して、初めて体育で水泳を習いました。
 西高では、水泳は必修でした。
 確かクロールで25m泳げないと、進級できませんでした。
 温水プールでもない、屋根もない屋外プールで、ブルブル震えながら水泳授業がありました。
      ■         ■
 西高の時は、25mは泳げなかったのですが、何とか進級はできました。
 途中で、立って休んででも、25mまでたどり着けば‘合格’させていただきました。
 その後、泳ぐ機会もなく、何十年も過ぎました。
      ■         ■
 平成14年(2002年)に大学を追い出されて、美容外科の雇われ院長にさせていただきました。
 大学を辞めると、もう休めないだろうと思い、辞める直前に有給休暇を使って、ハワイへ行きました。
 4泊6日で一人10万円程度のパックツアーでした。家内と息子の3人で行きました。もちろんエコノミークラスです。
      ■         ■
 宿泊はシャワーの出があまりよくないようなホテルでした。
 いつかは、Hiltonに泊まってみないなぁ~。と思いながら、ABCマートでおにぎりを買って食べていました。
 私は、人が多い、ワイキキビーチには行かず、レンタカーを借りて、北のWaimea Beach Park(ワイメアビーチパーク)へ行きました。
 ハワイの海はとてもキレイで、熱帯魚やカメが泳いでいました。
 私は、ABCマートで買った、浮き輪につかまり、熱帯魚やカメを見て楽しんでいました。
      ■         ■
 日本人の旅行者は少なく、私たち親子くらいでした。
 砂浜の岩陰で休んでいる時に、米国本土からいらしたご一家と英語で話していました。
 私が医師で、これから美容外科医になると話すと、奥さんからたくさんの質問を受けました。
 2002年でしたが、ボトックスによるシワ取りについてたくさん聞かれました。
 ハワイにまで行って、質問を英語で受けるとは夢にも思っていませんでしたが、楽しく会話していました。
      ■         ■
 息子に、英会話の大切さを話して、ちょっと得意になっていました。
 ところが、息子と家内いわく。
 『お父さん、赤い浮き輪につかまってカメを見ていた時に笑われていたょ!』
 『何っ?溺れて(オボレテ)死ぬより、浮き輪の方が安全だよ…』と言ってはみたものの…
 『お父さん、カッコ悪いよ。日本人の恥だょ!』
      ■         ■
 家内は、中学校の時に水泳部だったらしく、泳ぎは上手でした。
 息子も子供の時にスイミングを習ったので、一応、泳げました。
 カナヅチは私だけでした。
 でも、スイミングに行くチャンスもなく、2002年8月から、私は中央クリニック札幌院の院長にさせていただきました。
      ■         ■
 中央クリニックは、とにかく、めちゃくちゃ忙しい美容外科でした。
 2002年8月には、まだ競合するクリニックが少なかったこともあり、毎日朝から夜まで手術でした。
 私は手術のしすぎで、手に豆ができ、腰痛になりました。
 中央クリニックが入居している、都心ビルに、北大の先輩である、宮崎先生が整形外科を開業していらっしゃいます。
      ■         ■
 宮崎先生に腰痛をご相談すると、『本間先生、何か運動している?』と聞かれました。
 『忙しいですし、時間もないので、運動はしていません』と答えると、宮崎先生は…。
 『これあげるから、行ってごらん』とスポーツクラブの招待券をくださいました。
 そこで、私は48歳にしてスイミングをはじめることになりました。
 入ったクラスが、‘はじめてのクロール’でした。
 続きはまた別の日に書きます。

2002年7月24日(ハワイにて)
日本人の恥と言われて
スイミングを始めるきっかけとなりました

“日本人の恥”へのコメントを見る

医療問題

弁護士の力

 昨日、ご紹介した、高橋智(タカハシサトル)先生が担当された事件です。
 平成19年12月6日(木)北海道新聞夕刊の記事です。
 留辺蘂の診療報酬詐取
 院長に無罪判決
 札幌地裁
 診療報酬の架空請求で約920万円をだまし取ったとして、詐欺などの罪に問われた北見市留辺蘂町旭一区、「小助川クリニック」院長小助川治被告(46)の判決公判が12月6日、札幌地裁で開かれ、井口実裁判官は無罪(求刑・懲役四年)を言い渡した。
      ■         ■
 小助川被告は、2005年2月から7月にかけて、札幌の医療事務会社社長(詐欺などの罪で一審有罪確定)と同クリニック事務員(同)に指示し、実際には行っていない虚偽の診察内容を記した診療報酬明細書を作成させ、北海道国民健康保険団体連合会などから、約920万円をだまし取ったとして起訴された。
      ■         ■
 公判で小助川被告は、診療報酬の水増し請求があった事実は認めたが、「不正に関与していない」として無罪を主張していた。
 弁護人の高橋智弁護士は「客観的な証拠はなく、水増しを実行した医療事務会社社長の供述で罪をかぶせられた、典型的な冤罪(エンザイ)事件」と話している。
(以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 この事件に関して、高橋先生はご自身のSammy通信で次のように書かれています。
 2007/12/06
●詐欺事件で一審無罪判決をとりました。
 本日、診療報酬請求をめぐる詐欺事犯で、無罪判決をとりました。裁判に約1年を要しました。
 事案は、病院の事務方と外部委託業者が診療報酬を水増し請求していたことに、病院長も共謀者として関与していたとして、逮捕勾留起訴されたという案件でした。
      ■         ■
 共謀を裏付ける事実はないこと、病院は当時健全経営をしており不正をする理由は全くないこと、病院長はそのような不正を行うような人格ではないことなどを一貫して主張して参りました。
 病院長は逮捕・勾留されても、一貫して容疑事実を否認していました。
 保釈を求める嘆願書が数千通患者の皆さんや地域の皆様から寄せられました。
 皆さん、病院長の無罪を確信していました。
 本当に、無罪判決が出てよかったと思っています。
      ■         ■
 反響も大きく、年内10件目の無罪事件(昨年は2件)としてテレビや新聞で大きく取り上げられていました。
 特に、読売新聞の記事はよかったと思いました。
 私にとっては、弁護士生活16年目にして、通算4件目の無罪判決(器物損壊事件、放火事件、控訴審で逆転有罪判決が出て現在上告中の特別背任罪)でした。
(以上、Sammy通信より引用)
      ■         ■
 私は、小助川先生と面識はなく、同じ札幌医大の卒業生という関係だけです。
 診療報酬の不正請求は、診療所や病院にとって命取りになります。
 公的な病院ですら、不正請求で指定取り消しを受けたところがあります。
 最近は、レセプトという、診療報酬請求書を紙に印刷せず、磁気媒体で提出する医療機関もあります。
 紙で一枚一枚チェックしていた時代はともかく、磁気媒体で操作を加えられると、院長でもわかりません。
      ■         ■
 確かに、医療機関の経営者として、実際の診療と報酬が合わないことに気づかなかったのは、落ち度があると思います。
 ただ、診療報酬が振り込まれるのは、診療した2ヵ月後以降になります。
 一人ずつ、○○さん、○○円と明細がついてくるのではありません。
 まとめて、お金が振り込まれるので、ちょっと位、増えても減っても気づかないことは考えられます。
      ■         ■
 小助川先生は、地域住民に信頼されており、『不正なんかする先生ではない』という信念が、無罪判決を勝ち取ったのだと思います。
 高橋先生のHPには、北大法学部時代に苦労した、給湯室の話しなどもあります。
 ぜひ一度ご一読いただけると幸いです。

“弁護士の力”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ