昔の記憶
中川昭一さんの死を悼む
中川昭一さんがお亡くなりになりました。
中川さんは1953年7月19日生。
私より一歳年上です。
心からご冥福をお祈りいたします。
中川さんの選挙区は、
北海道の十勝でした。
私はJA帯広厚生病院に3年間勤務しました。
3年間住んだ十勝は住みやすいところでした。
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直接お会いしたことはありませんが、
北海道民の一人として、
頼もしく思っていました。
はじめて十勝に行った時に、
街が豊かな印象を受けました。
十勝の農家が、
とても立派なのに驚きました。
私が勤務していた、
JA帯広厚生病院は、
頭にJAがつく、
北海道厚生農業協同組合連合会
(JA北海道厚生連)が経営する病院です。
■ ■
JA帯広厚生病院は
JA北海道厚生連の中でも、
屈指の黒字病院でした。
設備は‘超’一流でした。
JAの豊富な資金力で、
立派な病院ができていました。
中川さんをはじめとする、
有能な政治家の存在で、
十勝地方の農業が豊かになりました。
国の政策一つで、
農業が左右されることを知りました。
■ ■
十勝には、
農業に関連した、
農機具の会社もたくさんありました。
農産物を加工する工場もありました。
北海道の銘菓として有名な、
六花亭も十勝に工場があります。
北海道の中で、
十勝地方だけは、
どこか違う雰囲気があります。
■ ■
開拓の時代に、
十勝に入植した方々は苦労を重ねられたそうです。
作物の作付けをする時には、
国際相場を眺めながら…
作付け計画を立てると聞いたこともありました。
北海道の地方都市なのに…
インターネットの普及も早かったと思います。
私がインターネットをはじめたのも、
帯広が最初でした。
十勝の人々には、
世界の穀物相場を
見ているようなところがありました。
■ ■
テレビで中川さんのご自宅を見ました。
花を育てて、
癒されている様子が写っていました。
マスコミは、
中川さんの悪いところばかりを報道しました。
私はお酒を飲みませんが、
周囲に‘酒癖の悪い人’はいました。
酒を飲まない私が、
ご自宅までお送りしたこともありました。
‘酒癖が悪い人’は、
お酒を飲まない時は、
真面目で、じっと耐えています。
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ふだん抑えている分が…
お酒で抑制がとれてしまうことがあります。
北朝鮮拉致問題の、
横田さんのお母さんが、
とてもがっかりなさっていたのが印象的でした。
北海道の中川事務所がTVに写っていました。
鳩山さんの、
お母さんが造ってくれた
立派な事務所とは対照的で、
質素な事務所に見えました。
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亡くなってしまってから、
何を言っても無駄ですが、
あれだけ自分の失態をTVで報道されると、
どんなに頑強な精神の持主でも落ち込みます。
失態を演じたのは、
もちろん自分の責任です。
責任ある立場の人でしたら、
自分の言動には気をつけるべきです。
でも、もう少し…
体調の異変に早く気付けば…
こんなに早く亡くならなくてもよかったのに…
と残念に思います。
心からご冥福をお祈りいたします。