昔の記憶
手術場の看護婦さん
私が医師になったのが、
昭和55年(1980年)です。
当時は、中央手術室のことを、
手術場(しゅじゅつば)と呼んでいました。
術場(じゅつば)とも呼びました。
おそらく、今でもそう呼んでいると思います。
‘術場の忘年会’なんて呼び方をします。
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麻酔科の先生や
手術場の看護婦さんは、
毎日、たくさんの手術を見ます。
病院職員の中で、
病院長よりも手術のことを知っているのが、
麻酔科医と中央手術部の看護師です。
誰が上手で、誰が下手か?
この手術なら、○○先生が上手!
なんてことを…
一番よく知っています。
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一般病棟の看護師さんと違い、
仕事の相手は看護師⇔外科医です。
私が医師になりたての頃は、
医師免許を取得したのに、
消毒一つ満足にできず、
毎日、まいにち先輩から叱られていました。
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当時の手術室ナースは、
グリーンのキャップに、
グリーンのマスクでした。
目しか見えませんでしたが、
とても精悍に見えました。
あんなに器械の種類があるのに、
どうやって覚えるのだろう?
と感心するほど、てきぱきしていました。
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外科医は育てるのに時間がかかります。
私は、あまり要領の良い方ではなかったので、
手術が上達するまで時間がかかりました。
よく,
時間がかかるとか、
遅いとか叱られました。
研修医時代には、
何人もの術場の看護婦さんに、
いろいろ教えていただきました。
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そんな私でも中堅となって、
医長とか部長とかの職位になりました。
嬉しかったのは、
術場の看護婦さんから、
本人の手術を頼まれた時でした。
ちょっとした縫合でも、
形成外科の先生に縫ってもらうと違うから…
と頼まれた時でした。
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自分の仕事が評価されていると感じると、
人間は働く意欲が出ます。
毎日たくさんの手術を見ている、
手術室のスタッフから評価されるのは、
病院長に褒められるより嬉しいことがあります。
(私は院長から褒められたことはありませんが…)
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今でも、たまに…
昔、お世話になった手術室のスタッフが
札幌美容形成外科へいらしてくださいます。
すると…
とても嬉しくなります。
真面目に、
キレイに、
手術していたのを、
評価していただいた気分です。