昔の記憶

昔の札幌雪まつり

 私は小学校2年生の終わり、
 昭和38年3月に、
 札幌郡手稲町(さっぽろぐんていねちょう)から
 美唄市茶志内(びばいしちゃしない)へ転校しました。
 当時の北海道には、
 まだ石炭を採掘する炭鉱がたくさんありました。
 札幌には、大好きだった祖母の家があり、
 よく遊んでくれた親戚のおじさんもいました。
 子ども心に札幌を離れたくありませんでした。
      ■         ■
 札幌→美唄までは国鉄でした。
 当時はまだSLが走っていました。
 函館本線の電化もまだでした。
 今ではSLが珍しく、
 わざわざ割り増し料金を払ってSLに乗ります。
 当時はSLが引っぱる鈍行(どんこう)列車は、
 時間がかかりました。
 ディーゼル列車の準急(じゅんきゅう)に乗ると
 車内は蛍光灯で明るく、
 速いのでびっくりしました。
      ■         ■
 美唄に住んでいた頃、
 札幌へ行くのが楽しみでした。
 札幌へいったら、
 おばあちゃん家に泊まれる。
 おばあちゃんは、
 『けんちゃん、よく来たね』
 といつも大歓迎してくれました。
      ■         ■
 当時のおばあちゃん(母方の祖母)は、
 今の私より若かったと思います。
 30歳台で夫と死別。
 沖電気の社員だった祖父とは、
 私は仏壇の前の写真でしか
 会ったことがありません。
 母の一番下の弟(私の叔父)は、
 父親の顔を見たことがないそうです。
 祖母のお腹にいる時に、
 祖父が単身赴任先の中国で病死しました。
      ■         ■
 女手一つで5人の子どもを育てた祖母は、
 自分の娘の子ども(私)が
 可愛くて仕方がなかったのだと思います。
 母親から叱られても、
 いつも祖母が助けてくれました。
 昔の市立札幌病院の近くに住んでいたので
 市立病院のおばあちゃん
 と呼んでいました。
      ■         ■
 美唄へ転居してからも、
 毎年、札幌雪まつりには、
 連れてきてもらっていました。
 おばあちゃん家からすぐでした。
 当時は、
 いまとはスケールが違いましたが、
 毎年、札幌の雪まつりに来るのが楽しみでした。
 今でも雪まつりの頃になると想い出します。

“昔の札幌雪まつり”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ