昔の記憶
昔の札幌雪まつり
私は小学校2年生の終わり、
昭和38年3月に、
札幌郡手稲町(さっぽろぐんていねちょう)から
美唄市茶志内(びばいしちゃしない)へ転校しました。
当時の北海道には、
まだ石炭を採掘する炭鉱がたくさんありました。
札幌には、大好きだった祖母の家があり、
よく遊んでくれた親戚のおじさんもいました。
子ども心に札幌を離れたくありませんでした。
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札幌→美唄までは国鉄でした。
当時はまだSLが走っていました。
函館本線の電化もまだでした。
今ではSLが珍しく、
わざわざ割り増し料金を払ってSLに乗ります。
当時はSLが引っぱる鈍行(どんこう)列車は、
時間がかかりました。
ディーゼル列車の準急(じゅんきゅう)に乗ると
車内は蛍光灯で明るく、
速いのでびっくりしました。
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美唄に住んでいた頃、
札幌へ行くのが楽しみでした。
札幌へいったら、
おばあちゃん家に泊まれる。
おばあちゃんは、
『けんちゃん、よく来たね』
といつも大歓迎してくれました。
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当時のおばあちゃん(母方の祖母)は、
今の私より若かったと思います。
30歳台で夫と死別。
沖電気の社員だった祖父とは、
私は仏壇の前の写真でしか
会ったことがありません。
母の一番下の弟(私の叔父)は、
父親の顔を見たことがないそうです。
祖母のお腹にいる時に、
祖父が単身赴任先の中国で病死しました。
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女手一つで5人の子どもを育てた祖母は、
自分の娘の子ども(私)が
可愛くて仕方がなかったのだと思います。
母親から叱られても、
いつも祖母が助けてくれました。
昔の市立札幌病院の近くに住んでいたので
市立病院のおばあちゃん
と呼んでいました。
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美唄へ転居してからも、
毎年、札幌雪まつりには、
連れてきてもらっていました。
おばあちゃん家からすぐでした。
当時は、
いまとはスケールが違いましたが、
毎年、札幌の雪まつりに来るのが楽しみでした。
今でも雪まつりの頃になると想い出します。