医学講座
常に最善を尽くす
札幌美容形成外科には、
生活保護の方も…
ひとり親家庭の方も…
お医者さんも、
看護師さんも、
もちろん一般の方も…
患者さんとしていらしてくださいます。
ありがたいことです。
■ ■
診療内容に区別はありません。
お金がかからない方も、
3割負担の方も同じです。
手術に使う麻酔も…
糸も…
メスの刃も同じです。
もちろん手術内容も同じです。
■ ■
逆に…
内容を変えるほうが難しいです。
自由診療のもうかるお客さん最優先
自由診療は痛くない麻酔
糸も最高級の高い糸
…こんな美容外科は要注意です。
詐欺の可能性があります。
■ ■
自分には何の責任もないのに…
人は悩むことがあります。
脇のにおい
半分しか開かない目
そのように国から病気と認められている…
腋臭症や眼瞼下垂症はを治すのは、
われわれ形成外科医の役割だと信じています。
おしゃれでピアスをするのとは違います。
私は自分を信頼してくれる人には、
常に最善を尽くして手術をしています。
医学講座
宮内庁御用達2013
今の若い人にはなじみがない言葉です。
御用達(ごようたし・ごようたつ)
読めるでしょうか?
ネットで調べてみると…
大日本帝国憲法下において正式に許可されたものが名乗れる制度
日本国憲法下においては許可制はなくなり、
御用達制度自体も1958年に廃止された。
…と書かれていました。
■ ■
私の年代ですと、
宮内庁御用達のお菓子には…
菊の紋章が入っていて、
薄い和紙にお店の歴史などが書かれている…
…というイメージがあります。
上品で美味しいイメージがあります。
■ ■
宮内庁御用達の病院は宮内庁病院です。
一般の人には馴染みがなく…
私も詳しくは知りません。
知っているのは…
天皇陛下の心臓の手術を担当した先生くらいです。
宮内庁病院の先生ではありません。
■ ■
美容外科医や形成外科医で、
宮内庁御用達の先生は聞いたことがありません。
おそらくいないと思います。
天皇陛下の心臓手術を担当なさった先生が、
平常心で手術と話された記憶があります。
私たち外科医は、
常に最善を尽くして手術をします。
毎日、宮内庁御用達の緊張感で手術です。
そうしないとよい結果は得られません。
院長の休日
2013年積雪初日
今日は休診日です。
朝、起きると…
あたり一面真っ白な雪景色でした。
あっ…
雪だ!
正直な第一声です。
2011年積雪初日が
2011年11月17日でした。
■ ■
降った雪がとけて…
道路は水浸しです。
とても歩きにくいです。
車もすぐにドロドロになります。
凍結すると滑ります。
危険です。
■ ■
北国に住む者にとって…
大変な冬です。
自宅窓から…
北大病院がよく見えます。
研修医だったのは…
30年以上前です。
自宅窓から見える北大
遠くに見えるのが北大病院
手前が農学部です
医学講座
不安が強ければ…
当日手術
…という2009年2月20日の院長日記に書いてあります。
美容外科の手術は
変わるための手術です。
自然な仕上がりを目指していますが
他人から見て変化がないようにはできません。
まったくわからないようにするのは無理です。
■ ■
手術前は誰でも不安なものです。
明日は手術と考えると、
いろいろな不安が頭をよぎり
眠れなくなることがあります。
手術前夜は心配なものです。
■ ■
私が手術をさせていただいても、
100%満足のいく結果が得られるとは限りません。
お一人おひとりが違うので、
完全にオーダーメイドです。
左右の目でさえ、
違うものです。
両目をまったく同じようにするのは難しいことがあります。
■ ■
メール相談で、
違和感で他人にばれてしまいますか?
手術前に決めたラインと手術後の折り込みラインは完全に一致しますか?
おかしくなってしまうか怖くて出来ません。
40代でも違和感なく仕上りますか?
こんなことが書かれていれば、
手術はおすすめしません。
■ ■
手術前にHPなどで症例写真を見て、
自分の考えていたイメージと同じかどうか?
よく比較検討して考えてください。
私のように、
イメージは自然
ド派手な二重は作りません
と宣言している頑固じじいに、
ばっちり二重の平行型は無理です。
不安が強いなら手術はおすすめいたしません。
医学講座
第20回日本熱傷学会北海道地方会③
第20回日本熱傷学会北海道地方会で印象に残った発表です。
4.植皮術を必要としたアルカリ損傷の2例
○三浦隆洋、七戸龍司、堀内勝己、川嶋邦裕、吉田哲憲(市立札幌病院形成外科)
古川洋志、前田 拓(北海道大学形成外科)
化学損傷は、組織内に浸透した化学物質が、完全に中和あるいは除去されるまで組織障害が続くため、通常の熱傷と比較して進行性であり深達性損傷となりやすい。
特に水酸化化合物の強アルカリは組織障害が強い。
今回、我々は植皮術を必要とした強アルカリによる化学損傷2例を経験したので報告する。
症例1は59歳男性。仕事中に水酸化カリウムが両足および右手にかかり受傷した。2週間後に当科を紹介となり、潰瘍となった左足に対しデブリードマンを行い1週後に分層植皮術を施行した。
症例2は51歳男性。水酸化ナトリウムで自宅台所の排水管清掃を行っていた際に右手背から前腕にかけて受傷した。一部黒色壊死を起こしており,翌日当科を紹介され,10日後にデブリードマンおよび分肩植皮術を施行した。
■ ■
三浦先生は若い先生なのに、
発表がとてもよかったです。
内容も申し分なかった上に、
パワーポイントの使い方が上手でした。
センスの良さを感じました。
学生時代から上手だったそうです。
■ ■
アルカリ損傷は怖いです。
私には痛恨の誤診経験があります。
北海道で起こった事故で、
複数の救命救急センターが治療しました。
ドクターヘリで搬送して、
東京のスキンバンクからも、
皮膚をいただきました。
残念なことに…
どの施設でも救命できませんでした。
■ ■
狭い範囲のアルカリ損傷も怖いです。
三浦先生のご発表のように、
深くなって植皮術を要することがあります。
アルカリは身近にあります。
配管洗浄用の洗浄剤、
表示を良く読んでください。
強アルカリは怖いです。
■ ■
三浦先生のご発表によると、
受傷直後に、
できるだけ長時間流水で洗浄することが、
アルカリ損傷を深くしないコツです。
どんな薬剤を
どの程度の濃度で
どの位の時間接触したか?
できるだけ正確に伝えてください。
アルカリ損傷は深くなります。
注意してください。
医学講座
第20回日本熱傷学会北海道地方会②
第20回日本熱傷学会北海道地方会では、
招待講演として、
大阪府急性期・総合医療センター 救急科医長 松嶋麻子先生が、
『重症熱傷のチーム医療』について講演してくださいました。
とても勉強になりました。
重症熱傷の治療は大変です。
どうやって仲良くチームワークよく治療するかが大きな問題です。
■ ■
松嶋麻子先生は、
名古屋市立大学医学部をご卒業。
大阪大学医学部特殊救急部、
アラバマ大学、
社会保険中京病院を歴任された先生です。
重症熱傷の症例数が日本一多い、
名古屋の社会保険中京病院で、
4年間勤務されました。
■ ■
重症熱傷では、
皮膚が広範囲に損傷されます。
皮膚は外界から生体を守る重要な機能があります。
皮膚が無くなってしまうと、
すぐにバイ菌にやられてしまいます。
からだ中が傷だらけの状態です。
■ ■
多剤耐性菌という菌が猛威を振るって、
社会問題になったことがありました。
札幌医大高度救命救急センターが閉鎖されました。
再開までに長い時間がかかりました。
たまたま札幌医大が取り上げられましたが、
全国どこの施設でも悩んでいます。
熱傷治療の宿命ともいえる課題です。
■ ■
松嶋麻子先生のご講演で、
社会保険中京病院での取り組みが紹介されました。
全国の救急医が見学に訪れるそうです。
多剤耐性菌がゼロになったのではありませんが、
大きく改善しました。
熱傷治療ガイドラインが基本です。
耐性菌を持った患者さんと、
熱傷患者さんを隔離するそうです。
他にも細かな工夫を紹介してくださいました。
北海道の熱傷治療が少しでも進歩することを願っています。
松嶋先生ありがとうございました。
医学講座
第20回日本熱傷学会北海道地方会①
昨日(2013年11月23日土曜日)、
大浦憲子夫人の告別式の後、
第20回日本熱傷学会北海道地方会が開催されました。
今年の学会長は市立札幌病院救急救命センター、
牧瀬博先生です。
大浦先生の奥様が、
半年間の闘病生活を送られた、
市立札幌病院での学会は感慨深いものがありました。
■ ■
札幌美容形成外科は土曜日は診療しているのですが、
たまたま熱傷地方会で休診にしていました。
地方会のおかげで告別式に参列できました。
第1回日本熱傷学会北海道地方会の時、
私は市立札幌病院に在籍していました。
白土瑞江婦長さんが発表してくださり、
とても嬉しかった記憶があります。
それから20年目です。
■ ■
軽度の熱傷は形成外科だけでも治せますが、
重症熱傷を治療するには、
救命救急の知識と技術が不可欠です。
市立札幌病院救急部も、
発足当時は重症熱傷を治療していませんでした。
形成外科ができて…
救急と形成で治療しています。
■ ■
救急と形成がチームーワーク良く、
仲良く治療するのが大切です。
同じ病院なんだから
仲良く治療
あたりまえじゃん。
本間先生、何言ってんの?
…と言われそうです。
■ ■
ところが病院が大きくなればなるほど、
仲良くできないところがあります。
おれが、
俺が、
オレガがダメです。
優秀と言われる医師ほど、
俺がおれがの人がいます。
■ ■
牧瀬博先生と私は同期です。
牧瀬先生が市立札幌病院理事でずっと偉いです。
でも偉ぶらない、
とても優しい先生です。
牧瀬先生は人の和を作るのが上手です。
殺伐とした救急医療の現場で、
実に冷静に人の和を作ります。
牧瀬先生のお人柄がチームワーク作りに役立っていると思います。
昔の記憶
大浦憲子様の想い出③
今日は大浦憲子様の告別式でした。
私も家内と参列させていただきました。
たくさんのお花に囲まれた、
憲子夫人の遺影が、
優しいまなざしでした。
■ ■
大浦武彦先生が書かれた、
闘病記が会場にありました。
憲子闘病記
2013年5月9日(木)21時40分(引っ越しの前日)
二人で二階の荷物を整理したときに急に喉の痛みを訴え倒れ、市立札幌病院救急部に運ばれました。その後、大手術と言われる手術を三週間の間に四回受けたにもかかわらず、奇跡的に助かりました。これは、市立札幌病院心臓血管外科部長をはじめ救急部と循環器内科のチームの賜物でした。
8月中旬
市立札幌病院のチームワークのお蔭で次第に回復しICUより四階の循環器内科病棟に移ることが出来ました。本人の意識もクリアとなりやっと本人も武彦も生きる望みが出てきたので、二人で励まし合いながら頑張りました。
これは二人にとって楽しい一時期でもありました。食事の介助の喜び、リハビリの楽しみ、少しずつ回復が得られる喜びなど二人で実感したものです。
この喜びを教えてもらって本当に良かったと思います。
11月9日(土)20時30分突然の心停止と呼吸停止が起きました。これは医学的に原因不明です。
11月18日(月)
山谷神父さんに“病者の塗油”の祈りを受け、これに勇気づけられたのか六時間後に天国に召されました。
私は未だ信心が足りないのか、天国に召された彼女を心から喜べません。
現実的には喜びから奈落の底に突き落とされた感じで、彼女が可哀想で涙が止まりません。
大浦武彦
■ ■
私は大浦先生の涙をはじめて見ました。
大浦先生と憲子夫人は1960年6月12日にご結婚されました。
会場のビデオで、
憲子夫人が純白のウェディングドレスを着た、
結婚式の写真が流れました。
とても美しい方でした。
■ ■
お二人の息子さんがいらっしゃいます。
形成外科医と整形外科医のご子息です。
お二人とも優しくて優秀な医師です。
お孫さんが3人いらっしゃいます。
幸せなご家庭の写真が、
ビデオで走馬灯のように写りました。
■ ■
大浦先生が涙声で、
結婚以来ほんとうに幸せだった。
毎日作ってもらったお弁当が、
美味しくてありがたかった。
今は毎日コンビニのお弁当です。
憲子が作ってくれるお弁当をもう食べられないと思うと、
ほんとうに残念です。
ほんとうにありがとう。
…とあいさつされました。
■ ■
大浦先生ご夫妻は、
長年住み慣れた一軒家から、
札幌駅近くのマンションに引っ越す予定でした。
憲子夫人が選ばれたマンションです。
奥様はマンションに引っ越す前に倒れられました。
一人になってしまわれた大浦先生を、
できる限りサポートして差し上げます。
亡くなった憲子様のご冥福をお祈りいたします。
昔の記憶
大浦憲子様の想い出②
私が結婚したのは、
研修医2年目の7月でした。
家内が住んでいたのは、
兵庫県西宮市です。
自宅から通勤していました。
私26歳、家内24歳でした。
若かったです。
■ ■
昔は、
教室の教授に仲人をお願いするのが常識でした。
私より上の先輩は、
全員、大浦武彦先生ご夫妻が仲人です。
今の若い先生はわかりませんが、
私が北大に在籍したいた頃は、
私も下の先生の結婚式に招待されていました。
■ ■
結婚式の前に、
大浦先生お宅にごあいさつに伺うのが通例でした。
私の場合、
家内も仕事をしていたので、
家内が札幌に来れる日に合わせて…
大浦先生のお宅におじゃましました。
家内はとても緊張していました。
■ ■
笑顔で迎えてくださったのが
大浦憲子夫人でした
憲子夫人は…
とてもよく気がつく方でした。
私も気がつく方ですが…
私の数倍、いや数十倍も気がつく奥様でした。
玄関を入ると、
よい香りがしました。
■ ■
私が札幌美容形成外科で、
よい香りのおもてなしをしているのは、
実は大浦憲子夫人のマネです。
よい香りは、
緊張を和ませてくれます。
最初は緊張していたのに…
大浦夫人のおもてなしでリラックスしました。
■ ■
居間に案内され、
出していただいたのが桜湯(さくらゆ)でした。
ピンクのきれいな桜の花が、
茶碗の中で開いていました。
私はそれまで見たことがなく、
おそらく家内もはじめてだったと思います。
大浦先生のお宅で、
お互いのことや家族のことなどをお話ししました。
■ ■
大浦憲子様は、
私たち夫婦の人生の師です。
いろいろなことを教えていただきました。
美味しい調味料を教えていただき、
今もわが家の味となっています。
今日は奥様のお通夜です。
謹んでご冥福をおいのりいたします。
ありがとうございました。
昔の記憶
大浦憲子様の想い出①
私が北大形成外科に入局したのが25歳でした。
今から34年前です。
札幌医大を卒業して北大病院の研修医になりました。
北大のことは何もわかりませんでした。
廊下で教授とすれ違っても…
何科の教授かもわかりませんでした。
■ ■
同期のいがちゃんこと、
井川浩晴先生から、
ほんまちゃん
あの先生が…
(医師)国家試験出題委員の…
葛西教授
…と教えてもらいました。
■ ■
入局した年に、
第6回日本熱傷学会が札幌で開催されました。
第1回国際熱傷学会アジア太平洋地区会議も行われました。
私が北大形成外科で仕事をはじめたのが、
1980年5月。
学会は、
1980年6月18日(水)19日(木)でした。
形成外科のことも、
熱傷のこともさっぱりわかりませんでした。
■ ■
学会には、
米国からJohn A. Boswick教授ご夫妻など、
世界中から偉い先生がたくさんいらっしゃいました。
学会で私が命じられたのが、
写真係でした。
熱傷のことはわかりませんでしたが、
学会にいらした先生の奥様をご案内し、
札幌市内の観光案内で写真係をしました。
■ ■
25歳の私が写真係。
大浦武彦先生が49歳。
奥様の憲子様が44歳でした。
はじめて大浦先生の奥様を見た時、
なんて上品できれいな方だろう
…と思いました。
■ ■
奥様は外国の先生の奥様たち。
東京警察病院の大森清一先生の奥様。
日本形成外科学会や日本熱傷学会重鎮の先生の奥様たちを、
実に丁寧におもてなししていらっしゃいました。
日本の茶道・華道・着物、
日本舞踊などを上手にご紹介していらっしゃいました。
Boswick教授の奥様から、
私が撮った写真がとても気に入ったと、
帰国後にデンバーから写真集を送ってくださいました。
忘れられない思い出です。
私はおもてなしの心を大浦憲子様からご指導いただきました。