昔の記憶
鬼(おに)と仏(ほとけ)
いつの時代にも…
鬼と呼ばれる先生もいれば…
仏(ほとけ)といわれる先生もいます。
私が教員の時には、
学生から…
撃墜王(げきついおう)と恐れられていた先生がいました。
私が札幌西高校の生徒だった40年前は、
鬼は英語の福原俊明先生でした。
■ ■
自分が教える立場になってみると…
教育にかける情熱があるからこそ…
鬼(おに)とか…
撃墜王(げきついおう)と…
呼ばれることがわかりました。
試験で落とされる学生も大変ですが、
追試験をする教員も大変です。
■ ■
自分の学生時代を振り返ってみても…
試験がなければ勉強はしませんでした。
それも…
切羽詰ってこなければ…
なかなか勉強に集中できませんでした。
ふだんは勉強していないのに…
不思議と試験に通る人がいます。
よく観察していると…
短期決戦型で集中力がすごいです。
■ ■
私のような凡人が、
医師免許を取得して、
医師になれたのは…
鬼のような先生が、
一生懸命指導してくださったからです。
英語の福原俊明先生は、
とても熱心な先生でした。
札幌西高校の後で札幌大学の教授に就任されました。
■ ■
昔の…私と同年代の…
西高生の多くが福原俊明先生に感謝しています。
福原先生には、
偶然にも…
新婚旅行へ行く飛行機でお会いしました。
私のような者でも覚えていてくださり…
家内を紹介した記憶があります。
■ ■
まみ子師長さんは…
43人中21人が60点以下の赤点でした
…と凹んでいらっしゃいましたが…
きっと学生さんたちは…
将来…
♡天使のまみ子♡と…
覚えていてくださると思います。
医学講座
マイナー科の定期試験問題
まずは今日のお題の説明からです。
医科では、
内科や外科などをメジャー、
皮膚科、
眼科、
形成外科などを
マイナーと呼びます。
大きな科と小さな科の違い。
メジャーリーグとマイナーリーグの違いのようなものです。
■ ■
皮膚科の…
まみ子師長さんから…
次のコメントをいただきました。
関係なくて申し訳ありませんが、
看護学校の皮膚科試験の解答が終わり凹みました。
43人中21人が60点以下の赤点でした。
でも100点の生徒さんが一人いました。
過去問に頼らずに、
新しい問題を考えて、
サービス問題も取り入れて・・・
頑張ったんですが。
やっぱ教え方に問題あったんでしょうか?
ここ出ますよ。
ここも出ますよ。
と教えてあげた所以外は全滅の生徒さん、
もう少し幅を広げましょう。
■ ■
私はまみ子師長さんの…
教え方に問題があったとは思いません。
正直に申し上げて…
私は皮膚科は苦手でした。
病名の難しい漢字が読めませんした。
尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)⇒いぼのことです。
足白癬(あしはくせん)⇒足の水虫です。
伝染性軟属腫(でんせんせいなんぞくしゅ)⇒みずいぼです。
■ ■
今の学生さんは、
私たちの頃とは勉強法も違います。
スマートホンとPCを駆使して、
ネットで情報を見つけます。
過去問も昔はコピーして持っていましたが、
今はネット上にPDFファイルでUPしてあったりします。
とにかくインターネットは…
学生の勉強法も変えました。
■ ■
自分自身もそうですが…
試験勉強で覚えた知識は…
たとえ徹夜で勉強しても…
試験が済んだら悲しいほど忘れてしまいます。
逆に…
授業中に先生が何気なく言ったひとことを…
ずっと忘れずに覚えていることもあります。
■ ■
私は、
講義の目標を…
国家試験に通る最低限の知識は忘れない。
忘れても…
後で勉強した時に思い出せる程度の知識は講義で教える。
…ということにしています。
後は…
将来、医療現場で働いた時に困らないように…
院内の各種委員会で困らないように…
働いて困った時にどう対処するか…?
…ということを体験をもとに話しています。
■ ■
試験問題は、
過去の国家試験問題、
自分の過去問などを少しずつ変えて出しています。
毎年、落ちる人はいません。
内科や小児科などと違って…
マイナーな科はこれでいいと思います。
将来、困った時に…
看護学校で習ったまみ子師長さんの顔が浮かべば…
講義は成功だと思います。
■ ■
私も苦労して問題を作りました。
試験問題作成の難しさ
試験問題作成
試験問題
…と過去の日記にも書いてあります。
ご批判もあると思いますが…
マイナー科の定期試験問題は、
国家試験に通る最低限の知識…
…で良いのではないでしょうか?
医学講座
ドライアイと眼瞼下垂症手術
ドライアイという病気は、
ドライ=かわく
アイ=目
…の通り、目がかわく病気です。
形成外科ではなく、
眼科で治療します。
■ ■
ひとくちにドライアイといっても、
さまざまな原因があります。
ドライアイの程度も、
さまざまです。
ちょっと目が乾く程度から…
涙腺分泌の機能がほぼゼロの人もいます。
■ ■
ドライアイの人が…
眼瞼下垂症手術をすると…
悪化する恐れがあります。
眼瞼下垂症手術の前には、
眼科専門医とよく検討をします。
軽度のドライアイでしたら…
手術をすることもあります。
■ ■
私自身はドライアイではありません。
一年前に手術をしていただき、
一週間、
仕事を休んで自宅で目を閉じていました。
一週間後に仕事を再開した時…
困ったのが鼻水でした。
■ ■
風邪を引いたのかなぁ~?
…と思ったほど…
一日中、ティッシュが離せませんでした。
後から考えると…
目が大きくなったので、
目を保護するために…
知らない間に…
自分で涙を多く出していたのです。
■ ■
眼瞼下垂症手術で…
ドライアイがよくなった患者さんがいる…
…と他の先生から聞いたことがあります。
ドライアイがある方は、
慎重に手術適応を決めて、
控えめに目を開くことで、
悪化させない方法もあります。
困っていらっしゃる方は、
相談にいらしてください。
医学講座
眼瞼下垂症手術後の視力変化
私は57歳のおっさんですが、
新聞は眼鏡なしで読みます。
運転免許証も眼鏡使用ではありません。
目はいい方だと思います。
それでも…
眼鏡はたくさん持っています。
40歳台から……
おそらく10個以上は眼鏡を作りました。
■ ■
私がお世話になっているのは、
富士メガネです。
細かい作業をするので、
仕事中は2つのメガネを使い分けています。
車の運転も…
昼用…
夜用…
…と2つあります。
■ ■
40台は徐々に視力が変化するので、
その度に作り変えました。
メガネ屋さんが驚くほど…
細かい字を見る用…
仕事用…
パソコン用…
見え方は人によって違うので…
ほんとうに微妙です。
■ ■
強度近視で、
長い間ハードコンタクトを使っていらした、
40歳以降の方に手術をすると…
ほぼ例外なく…
手術後に見えにくくなったと言われます。
眼瞼下垂症手術の後は、
原則として眼鏡です。
コンタクトはしばらくできません。
■ ■
強度近視の方など、
眼科的な問題がありそうな患者さんは、
眼瞼下垂症手術の前に、
道庁前眼科の、
吉田篤先生に診ていただいています。
私も診ていただいている、
優しい先生です。
■ ■
眼瞼下垂症手術は、
まぶたを調節する手術です。
眼球そのものには手術操作は加わりません。
それでは…
なぜ視力が変化するのでしょうか?
手術後に眼鏡が合わなくなったと言った人を、
何人か眼科の先生に診ていただきました。
■ ■
複数の眼科専門医の意見は、
強度近視+眼瞼下垂症で…
もともと目を細めてものを見ていた。
下垂を治して…
目が大きくなったので、
絞りを開いたカメラのように…
ピントが合わなくなった。
…という結論でした。
■ ■
若い人は…
目に調節力があるので、
症状がでなくても…
40歳以降の方は、
調節力が低下しているので、
見えなくなったと訴えられるようです。
数ヶ月で少しずつ戻ることが多いですが、
どうしても不自由な方には、
高くない眼鏡を作るようにお話ししています。
■ ■
私自身は、
もともと視力がそれほど悪くないせいか…?
視力変化については、
まったく感じませんでした。
運転免許証と…
パスポートの写真とは…
かなり変わった感じがしますが…
免許証は手術前の目です
1年後の目です
医学講座
手術後に困ったこと
私が手術後に一番困ったのは…
自分のまつ毛が目に入ることでした。
手術で目が大きくなったので、
知らないうちに入るのだと思います。
鏡で見ても…
自分ではなかなか取れません。
■ ■
クリニックに着いてから、
何度も看護師さんに取ってもらいました。
気付くのは…
だいたい朝です。
右目のこともあれば…
左目のこともありました。
違和感があります。
■ ■
生理的食塩水で…
目を洗ってみたこともありますが…
取ってもらうのが一番楽でした。
自分で取る時は、
拡大鏡になった鏡が便利です。
下まぶたに入るので…
下まぶたを引っぱって…
よく見るとまつ毛がいました。
■ ■
まつ毛が入るのは、
半年くらい続いたと思います。
最初の3ヶ月くらいが…
一番多く…
感覚としては…
3日に一度くらいの割合で…
どちらかの目に入っていた気がします。
■ ■
私が手術をさせていただいた患者さんでも、
同じようにまつ毛が入っていた方が、
何人かいらっしゃいました。
私が一番多かったように思います。
手術後一年の今は、
まつ毛が入って困ることもなくなりました。
目が大きくなって見やすくなると…
一時的に困ることもあります。
医学講座
手術後一年の経過
自分で体験してみて…
やはり…
傷が治るには…
時間がかかるなぁ…
…とつくづく思います。
医師は経過はわかっても…
感覚まではわかりせん。
患者さんになってみて…
はじめて感覚がわかりました。
■ ■
手術したなぁ~
…という感覚は、
手術から半年は続きます。
見た目も違いますし…
瞼を触ると…
自分の瞼が…
手術したんだから…
そっと触って…と言っています。
■ ■
私は典型的なおっさんなので…
女の人が嫌う…
おしぼりで顔を拭くのが好きです。
顔を洗うのも好きですし…
お風呂上りには…
タオルでよく顔を拭きます。
タオルでごしごしが好きでした。
■ ■
このタオルで顔を拭くのが…
なかなかできません。
まぶた以外は大丈夫ですが…
傷に触るとまずいので…
手術から半年は…
そっと洗うだけでした。
今でも前のようにごしごしはしていません。
■ ■
手術から2ヵ月は…
寝ている時に目に触らないように、
アイマスクをしてい寝ていました。
アイマスクをすると…
真っ暗でよく眠れました。
途中で取れていたこともありましたが…
アイマスクは効果的でした。
■ ■
今は近くで傷を見ても…
よくわからないほどきれいです。
手術をしてくださった、
聖路加国際病院形成外科の、
大竹尚之先生のおかげです。
ある程度の年齢になって、
まぶたが下がってきたら…
手術で治すと快適になれます。
自分の体験からもおすすめします。
医学講座
手術一年後です
今日で私が手術をしていただいてから…
ちょうど一年です。
お風呂上りの赤味もなくなり、
顔もふつうに洗えます。
今日の院長日記には、
手術後の写真を並べてみました。
手術後に目を閉じて…
PCもTVも新聞も見ないで
安静にしていると…
腫れが早く取れます。
手術前です
デザインです
24時間後です
48時間後です
7日後です
4週間後です
8週間後(2011年1月24日)
8ヵ月後です
1年後です
院長の休日
手術前日から一年
私が目の手術をしていただいて、
明日でちょうど一年になります。
とても快適になりました。
手術をしてくださった、
聖路加国際病院形成外科の、
大竹尚之先生に感謝しています。
■ ■
自分では患者さんに、
最低、一週間のお休みが必要です
…なんて偉そうなことを言っているのに…
いざ自分が手術を受けることになると、
なかなか一週間の休みが取れません。
こまったなぁ…
患者さんに何かあったら…
どうしようかなぁ…
■ ■
そんな風に悩んでいた私の背中を…
ぽんと押してくださったのは…
私が手術をさせていただいた、
看護師さんでした。
先生、休みなんて…
取ろうと思って…
えぃって取らないと…
取れないですょ!
…と助言をいただきました。
■ ■
あのひとことがなかったら…
私はずっと手術を受けなかったと思います。
背中を押していただき、
ほんとうに感謝しています。
人間、いつ誰にお世話になるかわかりません。
■ ■
手術の前日に、
東京に着きました。
築地市場をぶらぶらして、
病院の近くのホテルに宿泊しました。
前の晩は、
次の日の手術に備えて…
早めに寝ました。
■ ■
手術日の朝は早起きして、
風呂に入って、
髪も洗って、
準備を整えました。
聖路加国際病院は、
朝ごはんを食べないで受診でしたので、
チェックアウトをして病院へ行きました。
■ ■
患者として受診してみると、
聖路加国際病院は、
職員の方も、
ボランティアの方も、
とても優しくて素敵な方ばかりでした。
さすがキリスト教の病院は、
雰囲気が違うと感じました。
■ ■
私は不思議と緊張もせず、
手術前日もよく眠れました。
安心して手術を受けられました。
東京へ行ったのが、
一年前だったなんて信じられません。
おかげさまで楽になりました。
大竹先生、ありがとうございました。
昔の記憶
頼りになる先輩
頼りになる先輩
信頼できる先輩
…がたくさんいることが、
質の高い研修につながります。
私は、
幸いなことに…
先輩に恵まれました。
■ ■
昨日の日記でご紹介した、
飯田和典先生は、
頼りになる兄貴分でした。
先輩の車はかっこよく、
先輩の奥様は素敵でした。
自分もいつかは先輩のようになりたいと…
思っていました。
■ ■
北大の医局では、
形成外科のことだけではなく、
阪大で研修した時のことや、
飯田先生のふるさとである、
熊本県人吉のお話しもよく聞かせていただきました。
30年前のことですが…
今でも楽しく思い出します。
■ ■
医師免許を取得しただけでは、
悲しいくらい何もできません。
採血だって、
注射だって、
看護師さんの方がずっと上手です。
患者さんからも、
研修医が採血するのを嫌がられます。
■ ■
医師になって6年目の先生と、
卒業したての1年目は…
雲泥の差があります。
飯田先生のように、
阪大特殊救急部という、
日本でも最高級の救急で研修を積んだ先生は、
とても頼りになる先輩でした。
■ ■
よい先輩から、
よい指導を受けるのは、
とても楽しいことです。
20台だった私の青春時代です。
これから医師になる人や、
研修医の先生には、
たくさんの頼りになる先輩と出会ってほしいです。
医療問題
何でも聞ける先輩
病院で仕事をしていて大切なのが、
何でも聞ける雰囲気です。
こんなこと聞いたら…
ばかだって思われるよなぁ~
でも…
わかんないなぁ~
まぁ、いいっかぁ~
やっちゃえ~
■ ■
これが医療事故の原因です。
ふだんから、
先輩と仲良く話しができる職場は、
ちょっとしたことでも聞けます。
彼氏や
彼女のこと、
今晩の夕食のことなど…
気軽に話せる先輩がいることが、
とても大切な職場の条件です。
■ ■
私が北大形成外科に入局した30年前、
何でも話せる先輩がいらっしゃいました。
何も仕事ができなくて…
落ち込んでいた時にも…
本間、みんな最初はできない
…と言ってくださった先輩は、
とても励みになりました。
■ ■
私の北大形成外科の先輩に、
飯田和典先生がいらっしゃいます。
飯田先生は、
北大51期で私の5年先輩です。
阪大特殊救急部で研修された、
とても頼りになる先輩でした。
■ ■
飯田先生は、
病棟や外来で、
直接いろいろなことを教えてくださいました。
先生の車は、
当時、若者のあこがれだった、
RX-7(あーるえっくす・せぶん)
…というスポーツカーでした。
■ ■
何もできない私にとって…
阪大特殊救急部で研修なさった…
飯田和典先輩は、
何でもできる先輩でした。
口数が多い先生ではありませんでしたが、
話すととてもおもしろい先輩で、
いろいろなことを教えてくださいました。
■ ■
形成外科メモリアル病院では、
手術中のトラブルから救っていただきました。
私にとって忘れることができない先輩です。
医師でも、
看護師でも、
何でも聞ける先輩がいることが、
医療事故を防ぎ、
自分自身のキャリアUPにつながります。
私は飯田和典先生に感謝しています。