昔の記憶

マイクロサージャリー

 私たち形成外科医は、
 細かい作業をします。
 切断された指をつなぐには、
 髪の毛よりも細い糸で、
 血管や神経を縫います。
 この手術を…
 マイクロサージャリーと呼びます。
 山形大学整形外科の荻野利彦先生のように、
 手の外科を専門とする整形外科の先生も、
 マイクロサージャリーがお得意です。
      ■         ■
 マイクロサージャリーには、
 手術用顕微鏡(しゅじゅつようけんびきょう)が必要です。
 学校の理科室にあるような顕微鏡ではなく、
 私の背丈よりも高いような、
 大きな設備です。
 この顕微鏡…
 お高いのです。
 世界的に高性能の顕微鏡は、
 ドイツ製と言われています。
 カールツァイスや
 ライカという会社が有名です。
      ■         ■
 顕微鏡を使って手術をするのは、
 形成外科や整形外科の他に
 眼科
 脳神経外科
 耳鼻咽喉科
 があります。
 最初に使ったのは耳鼻科の先生だそうです。
 最近では、
 歯科や
 産婦人科でも
 手術用顕微鏡を使って
 手術をするところがあります。
      ■         ■
 形成外科医が
 マイクロサージャリーを使うのは、
 組織移植という分野です。
 事故やガンなどで、
 組織が大きく欠損した時に
 身体の他部位から、
 組織を移植します。
 血流がないと組織は死んでしまいます。
 そのために、
 血管を吻合(ふんごう)します。
 この血管が細いのです。
      ■         ■
 現在、日本の形成外科で、
 各大学の教授に就任されている先生は、
 このマイクロサージャリーがお得意で、
 たくさん英文論文を書いた方が多いです。
 ちょうど私が形成外科医として活躍した、
 今から20~25年前頃から、
 この手術が盛んになってきました。
 優秀な形成外科医になるためには、
 マイクロが必須科目になりました。
      ■         ■
 私は日本マイクロサージャリー学会の講習会に参加したり、
 北大に通ってマイクロの練習をしました
 手術用顕微鏡で拡大すると…
 信じられないほど良く見えます。
 今では、すいすい手術ができますが…
 最初は、
 拡大されているために…
 どこを見ているのかわからず…
 自分の指先を確認するのも大変でした。
 高価なマイクロ用の糸を、
 からませては…
 何本もダメにしてしまいました。
      ■         ■
 30歳台で習得した…
 マイクロの技術は、
 55歳のおっさんになっても役立っています。
 手術用顕微鏡があれば…
 若い人以上によく見えます。
 長年の経験が役に立ち、
 若い人に見えない、
 埋没法の糸も見つけられます。
 美容外科で、
 マイクロが役立つとは考えていませんでしたが、
 おじさん先生の強力な武器となり、
 腫れが少ない手術に役立っています。

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昔の記憶

中川昭一さんの死を悼む

 中川昭一さんがお亡くなりになりました。
 中川さんは1953年7月19日生。
 私より一歳年上です。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 中川さんの選挙区は、
 北海道の十勝でした。
 私はJA帯広厚生病院に3年間勤務しました。
 3年間住んだ十勝は住みやすいところでした。
      ■         ■
 直接お会いしたことはありませんが、
 北海道民の一人として、
 頼もしく思っていました。
 はじめて十勝に行った時に、
 街が豊かな印象を受けました。
 十勝の農家が、
 とても立派なのに驚きました。
 私が勤務していた、
 JA帯広厚生病院は、
 頭にJAがつく、
 北海道厚生農業協同組合連合会
 (JA北海道厚生連)が経営する病院です。
      ■         ■
 JA帯広厚生病院は
 JA北海道厚生連の中でも、
 屈指の黒字病院でした。
 設備は‘超’一流でした。
 JAの豊富な資金力で、
 立派な病院ができていました。
 中川さんをはじめとする、
 有能な政治家の存在で、
 十勝地方の農業が豊かになりました。
 国の政策一つで、
 農業が左右されることを知りました。
      ■         ■
 十勝には、
 農業に関連した、
 農機具の会社もたくさんありました。
 農産物を加工する工場もありました。
 北海道の銘菓として有名な、
 六花亭も十勝に工場があります。
 北海道の中で、
 十勝地方だけは、
 どこか違う雰囲気があります。
      ■         ■
 開拓の時代に、
 十勝に入植した方々は苦労を重ねられたそうです。
 作物の作付けをする時には、
 国際相場を眺めながら…
 作付け計画を立てると聞いたこともありました。
 北海道の地方都市なのに…
 インターネットの普及も早かったと思います。
 私がインターネットをはじめたのも、
 帯広が最初でした。
 十勝の人々には、
 世界の穀物相場を
 見ているようなところがありました。
      ■         ■
 テレビで中川さんのご自宅を見ました。
 花を育てて、
 癒されている様子が写っていました。
 マスコミは、
 中川さんの悪いところばかりを報道しました。
 私はお酒を飲みませんが、
 周囲に‘酒癖の悪い人’はいました。
 酒を飲まない私が、
 ご自宅までお送りしたこともありました。
 ‘酒癖が悪い人’は、
 お酒を飲まない時は、
 真面目で、じっと耐えています。
      ■         ■
 ふだん抑えている分が…
 お酒で抑制がとれてしまうことがあります。
 北朝鮮拉致問題の、
 横田さんのお母さんが、
 とてもがっかりなさっていたのが印象的でした。
 北海道の中川事務所がTVに写っていました。
 鳩山さんの、
 お母さんが造ってくれた
 立派な事務所とは対照的で、
 質素な事務所に見えました。
      ■         ■
 亡くなってしまってから、
 何を言っても無駄ですが、
 あれだけ自分の失態をTVで報道されると、
 どんなに頑強な精神の持主でも落ち込みます。
 失態を演じたのは、
 もちろん自分の責任です。
 責任ある立場の人でしたら、
 自分の言動には気をつけるべきです。
 でも、もう少し…
 体調の異変に早く気付けば…
 こんなに早く亡くならなくてもよかったのに…
 と残念に思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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院長の休日

郷ひろみさん

 先日まみ子師長さんから、
 コメントをいただきました。
 郷ひろみは来年55歳になるそうです。
 おじさんに見えないのは
 やっぱりスターだからなのでしょう。
 私と一歳しか違わないのに、
 郷さんはすごいです。
 昨年11月の高須先生の学会で、
 郷さんを近くで見たことがあります。
 確かにお若かかったです。
      ■         ■
 スターが若いのは、
 それなりに努力なさっているからです。
 日々の食事や運動など、
 常に気を遣っていらっしゃると想像します。
 でなければ…
 私たちの年代では、
 すぐにメタボのおじさんになります。
 ステージを見て思ったこと…
 お客様に何を話そうか…?
 と常に考えているなぁ~と思いました。
 それでなければ…
 あのトークはできませんょ。
      ■         ■
 うちの奥さんも、
 郷ひろみさんの大ファンです。
 私は知らなかったのですが、
 結婚する前からファンだったそうです。
 先日、北海道厚生年金会館に、
 うちの奥さんも一人で行きました。
 まみ子師長さんは、
 すごく近い席だったそうですが、
 うちの奥さんは、
 必死で電話して、
 チケットを確保したのに、
 かなり後ろの席でした。
      ■         ■
 どういう訳か…
 わが家には、
 郷ひろみさんの、
 耳かきがあります。
 奥さんがコンサートで買ってきました。
 私もたまに使わせていただいています。
 なかなか使い心地のよい耳かきです。
 白い綿のようなものの位置に、
 郷さんの似顔絵がついています。
      ■         ■
 郷さんがコンサートで、
 次のように言われたそうです。
 僕はいつも皆さんに拍手をもらっているけど
 インフルエンザが心配なこの時期に
 僕のコンサートに来て下さった皆さんに
 今日は僕が拍手をしたいと思います。(拍手)
 皆さんは僕以外に誰に拍手をしたいですか?
 家族
 いっしょに来てくれた娘
 (長野県からわざわざ札幌のコンサートに来たそうです)等の声の後に・・・
 ‘皆さんの旦那さんもでしょう’
 ‘コンサートに行っておいでって出してくれたんでしょう!’
 と言って拍手しました。
      ■         ■
 さすが郷さん
 こう言っていただけると、
 来年も…
 郷さんのコンサートへ行っておいで!
 と言いたくなります。
 こう言っていただいて、
 私のご機嫌もよくなりました。
 お客さんのご主人にまで…
 お気遣いいただき、
 郷さんもさぞ大変なことと思います。
 私たちと同年代だからこそ…
 私たちおじさんの心理
 よくご存知なのだと思います。

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昔の記憶

東京が落選しました

 オリンピック候補地選考の中継を、
 昨夜、遅くまで見ていました。
 シカゴが最初に落選したのには…
 正直なところ驚きました。
 残念ながら…
 東京は落選してしまいました。
 リオデジャネイロは大喜びですね。
 ブラジル人は陽気で明るいです。
      ■         ■
 ブラジルは美容外科が盛んで、
 IT関連のビジネスも盛んです。
 以前の国際学会で、
 PCの不具合がありました。
 ブラジルの先生が、
 ブラジルから技術者を呼んで来て、
 (PCを)直しましょうか?
 と言っていたのを思い出します。
 リオデジャネイロで、
 立派なオリンピックを開催していただきたいです。
      ■         ■
 1964年に東京オリンピックが開催された時、
 私は小学校4年生でした。
 美唄(びばい)市の
 日東美唄(にっとうびばい)小学校、
 担任は村木先生という男の先生でした。
 小学校には、
 テレビが一台しかなかったように記憶しています。
 視聴覚教室という部屋で、
 何度かTV中継を見せてもらいました。
      ■         ■
 東洋の魔女といわれた…
 女子バレーボールの
 日紡貝塚女子バレーボールチーム。
 大松博文さんという名監督がいました。
 マラソンではエチオピアのアベベ。
 女子体操の
 チャスラフスカ(チェコスロバキア)は
 子ども心にも美しいという記憶があります。
      ■         ■
 昭和39年の日本は高度成長期でした。
 東海道新幹線が開通し、
 東京オリンピックを契機にして、
 日本は大きく変わりました。
 私が東京オリンピックで感動したのは、
 TVではなく、
 オリンピックの記録映画でした。
 当時のTVは白黒で、
 画質も今の携帯より悪いものでした。
      ■         ■
 私が住んでいた炭鉱街には、
 会館(かいかん)と呼ばれる、
 映画館がありました。
 小学校では、
 年に何回か、
 その会館を利用して、
 巡回映画という映画を見せてくれました。
 この映画で見た、
 東京オリンピックの印象が鮮烈でした。
      ■         ■
 北海道の札幌と美唄しか知らない小学生は、
 見たこともない…
 東京という街が…
 どんなところだろう…?
 と夢を膨らませたものでした。
 時代は変わり、
 中継で、
 海外の映像もリアルタイムで見れるようになりました。
 ブラジルも景気が悪いようです。
 オリンピックを契機に、
 ブラジルが発展してくれることを祈っています。

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院長の休日

トヨタ車の事故

 平成21年10月1日、朝日新聞朝刊の記事です。
 レクサス時速190キロ「アクセルが…」
 時速200キロ近い猛スピードで疾走する高級車から届いた悲痛な叫びが、運転席のフロアマットに潜む危険性を白日の下にさらけ出した。トヨタ自動車は、マットがずれてアクセルが戻らなくなる恐れから、同社にとって過去最大のリコール(回収、無償修理)を米国で実施する見通しとなった。同様の問題は日本でも、どんな車でも起こる可能性はある。
      ■         ■
 通信指令係「こちら緊急電話番号。どうしましたか」
 通報者「アクセルが動かない。トラブルが発生した。ブレーキも利かない」
 通信指令係「分かりました。車を止めることができないんですね」
 通報者「交差点が迫っている。交差点が迫っている。つかまって。祈って……」
 通信のやりとりを詳報した米ABCニュースなどによると、緊急通報があったのは8月28日。米カリフォルニア州サンディエゴ郊外を走行中のトヨタの高級車「レクサスES350」からだった。
      ■         ■
 運転者は州警察の高速隊員で、妻と13歳の娘、親族の男性の3人が同乗していた。事故直前には、操縦不能の状態で、時速は120マイル(約190キロ)に達していたとみられる。そのまま交差点に突入し、他車と衝突して大破し炎上。この4人が亡くなったという。通報がなければ、原因は何一つ分からずじまいになった可能性がある。
      ■         ■
 「緊急事態だ。対象の車に乗る人は、直ちにマットを取り外すよう強く要請する」
 トヨタが「カムリ」や「プリウス」など最大380万台をリコールする見通しを発表した9月29日、米運輸長官は異例のコメントをした。
 欧米メディアによると、同様の不具合の報告は100件以上あり、計5人が死亡したという。
 まだ、事故原因がフロアマットと特定されたわけではないが、トヨタはマットを固定する留め金を外したり、二重にマットを敷いたりすると事故につながりかねないと購入者に注意を促し始めた。
      ■         ■
 捜査当局は早い段階からマットに注目していたからだ。トヨタは2007年にも、事故車と同じ「レクサスES350」と「カムリ」の一部で、マットの不具合のため計約5万5千台をリコールしている。
 ただ、トヨタは「事故車には違うレクサス車用の純正マットが装着されていた」として、現段階では因果関係を否定している。社内には「普通のリコールとは少し違う。当局から指摘があったので対応策を考えたい」(幹部)との声もあり、米当局とは温度差を見せる。
      ■         ■
 最近の自動車では、アクセルが戻らない非常時の対処法が、わかりにくくなっているとの指摘もある。高級車を中心に普及してきたボタンでエンジンを始動・停止させる車では、走っている最中にエンジンを止めるには、ボタンを3秒以上押し続ける特殊な操作が必要だ。キーを回せばよかった従来の車に比べると、事前に知らなければ実行しにくい。この点が問題だという。
 国内ではフロアマットの危険性の指摘はあまり聞かれないが、アクセルペダルやフロアマットの構造は、日米で大差はない。(中川仁樹)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 レクサスといえば…
 トヨタの最高級車です。
 知人の米国人の先生が、
 米国では、メルセデス(ベンツ)と同等か、
 それ以上の人気があると話されたことがありました。
 亡くなられた
 州警察の高速隊員ご一家の
 ご冥福をお祈りいたします。
      ■         ■
 私たち北国に住む者は、
 スノーマットと呼ばれるマットを使います。
 冬期間はどうしても靴に雪が付きます。
 雪がついたままで車に乗ると、
 車内の暖房で雪がとけます。
 そうすると、
 車内がびちゃびちゃになります。
 ズボンの裾が汚れます。
      ■         ■
 融けた雪が夜間に凍ります。
 朝、マットはガチガチになっています。
 スノーマットは、
 黒いゴムでできています。
 お皿のように、
 ふちが盛り上がっているために、
 融けた雪が流れないようになっています。
 ゴムは凍っても硬くならないので、
 マットを取り出して、
 ぽんぽん…とすると、
 簡単に氷が落ちます。
      ■         ■
 はじめてこのスノーマットを使った時に、
 マットがアクセルを押しているのに気付きました。
 アイドリング時に、
 微妙に回転数が上がります。
 ふつうの運転者は気付きます。
 ですから…
 私はマットが原因で…
 190㎞ものスピードが出るとは考えられません。
      ■         ■
 昔の寒冷地仕様の自動車は、
 カローラクラスでも、
 マットがアクセルを押さないように、
 上からアクセルペダルを吊り下げる形になっていました。
 朝日新聞の記事の図(下記参照)
 と同じ形です。
 今の車は、寒冷地仕様でも、
 朝日新聞の記事の図とは逆に
 床にアクセルペダルがついています。
      ■         ■
 190㎞ものスピードは、
 よほどペダルを強く踏み込まないと出ません。
 レクサスなら出るのかも知れませんが…
 ふつうの乗用車では出ません。
 私は、
 事故の原因はマットではないと推測します。
 もっと他に原因があるように思います。
 安全に関することです…
 しっかりと調べていただきたいものです。
 トヨタ車以外も同じ構造になっています。


朝日新聞より引用

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昔の記憶

私の若い頃

 私は1954年生まれです。
 昭和29年。
 日本がまだ高度成長する前です。
 米国は名犬ラッシーや
 英語の教科書で知る…
 夢の国でした。
 中学校一年生の英語教科書に出てきた、
 ブラウンさん一家は、
 グリーンフィールドという街に住んでいました。
      ■         ■
 私が住んでいた、
 炭鉱街の美唄(びばい)や夕張(ゆうばり)は、
 ちょうど石炭産業が崩壊し、
 次々と閉山(へいざん)していました。
 美唄の三菱炭鉱がなくなり、
 父親は大夕張の炭鉱病院へ転勤しました。
 私が小学校の頃の社会科の教科書には、
 北海道の産業として、
 石炭が大きく載っていました。
      ■         ■
 長崎県で最近脚光を浴びている、
 軍艦島こと端島(はしま)という炭鉱の島も、
 同じ三菱砿業㈱が経営していました。
 三菱砿業㈱の社員には、
 九州の端島から、
 北海道の美唄へ転勤となった人もいました。
 その九州から転勤して来た人の子どもが…
 美唄の小学校で…
 九州のアクセントで困っていました。
 はじめて見た雪は…
 どんな印象だったのだろう?と思います。
      ■         ■
 北海道空知地方にたくさんあった炭鉱は、
 一部を除いてなくなりました。
 夕張は炭鉱閉山後に作った観光施設が破綻し、
 膨大な借金返済で苦労しています。
 美唄は農業を中心とした町になっているようです。
 時代の移り変わりとともに…
 産業が変遷(へんせん)し、
 街も人も変わります。
 変わらないのは、
 山とか川のある風景や、
 その土地の言葉や習慣です。
      ■         ■
 私は炭鉱街で育ったので、
 ……だべぇ~
 とか
 ……だべさ
 とかの言葉に愛着を感じます。
 自分が子どもだった頃に、
 まさか美容外科医になるとは…
 夢にも思っていませんでした。
 札幌駅前で開業するとも…
 想像すらしていませんでした。
      ■         ■
 かつて私たちの憧れ(あこがれ)だった、
 アメリカのゼネラル・モーターズ(GM)が
 2009年6月1日に、連邦破産法11章を裁判所に申請しました。
 キャデラックに乗りたいと思ったことはありませんが、
 大統領専用車を作っていた会社が、
 破産法申請にはショックでした。
 日本経済(特に北海道経済)は、
 まだまだ厳しい状況が続きます。
      ■         ■
 私が住んでいた炭鉱は閉山しましたが、
 そこで生活していたかつての仲間は、
 私を含めて元気で頑張っています。
 産業がなくなっても、
 他人にできない…
 自分にしかできない仕事があって、
 少しでも社会の役に立っていれば…
 まだまだ北海道も日本も大丈夫だと、
 私は信じて働いています。


中学1年生の4月(向かって右)
向かって左は、荒木田和生くんです


中学校2年生の頃(シューパロ湖)
私は自転車が好きな少年でした


1976年の大学時代(33年前)、
友人と余市ニッカウヰスキー工場

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昔の記憶

9月の終わり

 今日で平成21年9月が終わります。
 毎朝、前を通って来る。
 札幌西武百貨店が今日で閉店します。
 五番館(西武の前)というデパートには、
 たくさんの想い出があります。
 一人の札幌市民として、
 閉店はとても残念に思います。
      ■         ■
 私が子どもの頃には、
 札幌駅前に国鉄バスの乗り場がありました。
 駅前から、
 手稲鉱山行きのバスに乗りました。
 私が住んでいたのは、
 手稲金山(ていねかなやま)の、
 栄町(さかえまち)でした。
 国道5号線から、
 すこし上がったところが栄町でした。
      ■         ■
 手稲鉱山通り(国道)→
 栄町(さかえまち)→
 滝見町(たきみちょう)→
 手稲鉱山(ていねこうざん)。
 とバス停がありました。
 今の北海道立子ども総合医療・療育センター
 の横をバスが通っていました。
 昔、医療センターの場所には、
 道職員住宅がありました。
      ■         ■
 札幌に来て、
 デパートの遊技場へ行くのが楽しみでした。
 私が好きだったのは、
 自動車の運転ができる遊具でした。
 一回10円を入れて…
 本物の自動車のハンドルのような…
 ハンドルを握り…
 ベルトコンベアーのような…
 動く道の上を、
 小型のジーブを走らせます。
      ■         ■
 この運転が意外と難しくて、
 ちょっと油断すると…
 すぐに脱輪でした。
 失敗して…
 もう一度10円を入れてくれたのが、
 私の祖母でした。
 親と行った時は、
 何度もやらせてもらえなかった記憶があります。
 お年玉をもらった時とか、
 何回か楽しんだ記憶があります。
      ■         ■
 私が子どもだった、
 昭和30年代後半は、
 デパートへ行くのが最高の贅沢でした。
 五番館の包装紙には、
 カトレアの花がついていました。
 五番館の向かい側には、
 ニシムラがありました。
 50年後に…
 札幌駅前通りで開業しているとは、
 夢にも考えませんでした。
      ■         ■
 西武百貨店が閉店する時代なのに…
 偏屈なおっさんの私が…
 診療を続けて行けるのは、
 ありがたいことです。
 皆様のご支援のおかげです。
 皆様に励ましていただき
 診療を続けています。
 ご声援に感謝しています。
 毎日、コメントをありがとうございます。
 これからも何卒よろしくお願い申し上げます。


今朝の札幌西武

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昔の記憶

人生で一番ロマンチックな時期

 毎年秋になると、
 予備校時代に矢野雋輔先生が言われた、
 受験生は人生で一番ロマンチックな時期
 という言葉を想い出します。
 私が札幌医大に合格できたのは、
 矢野先生のおかげです。
 形成外科医になれたのは、
 恩師の大浦武彦先生のおかげです。
 ご恩は一生忘れません。
      ■         ■
 必死で勉強していて、
 彼女もいない不遇な青春時代でした。
 こんなに辛いのに、
 どうしてロマンチックなのだろう…?
 と不思議に思っていました。
 どんなに勉強しても、
 成績はそれほどUPしないし。
 来年、合格できるという保証もない。
 自分の周囲を見回すと…
 偏差値75で落ちた人がいる。
      ■         ■
 勉強をして、
 自分の実力を知れば知るほど…
 不安になっていたものでした。
 自分の実力がわからない時は、
 偏差値60ちょっとでも合格した人もいるから、
 自分もひょっとしたら…?
 合格できるかも…?
 なんて考えたこともありました。
      ■         ■
 55歳という年齢になり、
 自分が生きてきた年月より、
 残された年月が少なくなりました。
 矢野先生も…
 もうこの世にいらっしゃいません。
 この年齢になって想うことは、
 やはり…
 矢野先生のお言葉は正解で、
 自分が努力して目標に向かっている時が、
 人生で一番ロマンチックな時期だということです。
      ■         ■
 昨日の日記にあった、
 クジャクの羽を広げている時は…
 若い人の特権です。
 男性も女性も、
 人生で一番美しい時期です。
 羽を広げたクジャクは、
 餌(えさ)を取ることはできません。
 美しい代わりに何もできません。
 生きていくためには…
 餌を取らなければなりません。
 羽を広げて子育てはできません。
      ■         ■
 受験生の頃は、
 自分で餌を取る心配をしなくても、
 親が餌を取ってくれました。
 たとえ貧しい餌でも、
 お腹が減って…
 餓死することはありませんでした。
 受験生の時期は、
 自分の夢に向かって努力している、
 人生で最も充実した時期だったと思います。
 55歳になって気付きました。

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院長の休日

奥様粗末に扱ってませんか

 平成21年9月27日、朝日新聞朝刊、
 ひとときへの投稿です。
 奥様粗末に扱ってませんか
 世の中高年のご主人様方に申し上げます。あなた方は、奥様をあまりに粗末に扱ってはおられませんか。
 まだお互いが独身のころ、意中の彼女のハートを射止めんとなさっていた折は、羽を広げたクジャクよろしく、愛や理想を語っていらっしゃいましたよね。
 ところが結婚を境にどうでしょうか、その変わりようは。あなた方が家族を養うため、外で懸命に働いていらっしゃるのはよく理解しております。納期に追われ、上司に叱責(しっせき)され、取引先のクレームに平身低頭。本当に大きなストレスを抱えつつも、毎日、ご出勤になっている。誠に頭が下がります。
 しかしながら、だからといって奥様に対し、無関心で無遠慮な振る舞いをなさるのはいかがかと存じます。いまだに封建時代のような思想を捨てきれない男性の何と多いこと。
 一生、あなた様に連れ添う覚悟で結婚し、支えて下さっている女性に感謝なさっていますか。下着を別に洗われる、とお嘆きのご主人様。当然の報いでございます。いま一度、ご自省なさいませ。
 奥様を大切になさっているご主人のご家族は円満で、お子様たちもたいそうお幸せです。あなた様のご家族が、かくありますよう、心からお祈り申しております。
 (兵庫県姫路市_高馬(こうま)元美_英会話講師46歳)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 昨日は出張帰りで忙しく、
 朝刊をゆっくりと読む時間がありませんでした。
 ひとときは、
 毎日、楽しみに読むのですが、
 昨日は読みませんでした。
 夜、私がPCでメールのご返事を書いていると…
 家内が、優しく、
 時間があったら
 今日のひとときを読んで。
 と先に寝てしまいました。
      ■         ■
 なるほど…
 確かに粗末に扱ってますねぇ…
 反論させていただくと、
 お互いに独身の頃は…
 こちらが羽を広げたクジャクでしたら…
 そちらは可憐(かれん)な小花のように…
 おとなしく、つつましくなさっていましたね。
 昔は…
 お若く、美しく、おとなしそうに見えましたねぇ。
      ■         ■
 お医者様のお仕事は大変ですね…
 なんて…
 宮内庁御用達のようなお言葉で、
 言ってくださったのは…
 はるか昔ですねぇ。
 どんなご家庭でも…
 結婚して何十年も経てば…
 同じようなもの…?
 ではありませんか?
      ■         ■
 この不景気な時代に、
 極小企業クリニックの経営は大変ですょ。
 患者さんからの細かいご要望にお応えして、
 たまには厳しいクレームをいただいて落ち込み…
 日々手術をして、
 従業員の雇用を守るのは大変なことです。
 この院長日記
 一日も休まずに苦労して続けています
 たまに院長婦人の日記
 を書いてほしいと思います。
      ■         ■
 今日は奥様から、
 日記のネタをいただいたので、
 粗末に扱っていないか?
 よく反省してみます…。
 私は…
 決していい夫ではありません。
 自覚していますょ。
      ■         ■
 私は…
 自分の仕事には責任を持って、
 決していい加減な手術や治療はしません。
 仕事でクタクタになります。
 その分…
 家では、
 いい加減な夫なので、
 奥様から、
 言われるのだと思います。
 家でも無理していい夫ぶっていると、
 疲れて死んでしまうと思います。
 これが私の本音です。

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医学講座

第32回日本美容外科学会(横浜)③

 昨夜、札幌へ帰ってきました。
 新千歳空港に到着すると…
 外気温は12℃でした。
 寒かったです。
 やはり北国だと思いました。
 寒くても…
 私は住み慣れた札幌が好きです。
      ■         ■
 昨日は学会の最終日でした。
 最後まで熱心な討論がありました。
 昨日の発表で参考になったのは、
 千葉大学 形成・美容外科、
 金沢雄一郎先生のご発表でした。
 最近の大学病院は、
 形成外科ではなく、
 形成・美容外科
 美容外科が付くようになりました。
      ■         ■
 演題名は、
 眼瞼下垂症手術における上眼瞼内側の挙上困難の成因の検討と対策
 というちょっと難しいものです。
 簡単に言うと…
 眼瞼下垂症手術をした時に、
 内側(目頭側)だけ…
 挙上が不完全になる例があります。
 目頭側だけ、
 二重の線が不自然になることがあります。
      ■         ■
 金沢先生は、
 この原因を分析されました。
 眼瞼挙筋の解剖を詳しく調べて、
 対策を考えられました。
 眼瞼挙筋の解剖を調べるといっても…
 私たちのような開業医にはできません。
 大学でしたら、
 解剖学教室があります。
      ■         ■
 私は札幌医大の教員だった時に、
 文部科学省から、
 解剖学の教員免許をいただきました。
 どんなに優秀な医学生でも、
 学生時代に…
 眼瞼挙筋の解剖を詳しく調べた人は、
 まず…絶対にいません。
 眼瞼挙筋は、
 保存遺体で見ると、
 筋肉には見えません。
      ■         ■
 医学生の解剖実習では、
 せいぜい瞼板(けんばん)という、
 白い組織を確認して終わりです。
 眼瞼挙筋を見つけたとしても、
 白い膜にしか見えませんし…
 それが筋肉だとはわかりません。
 金沢先生は、
 この眼瞼挙筋の解剖を示してくださり、
 わかりやすく解説してくださいました。
      ■         ■
 若い先生なのに…
 手術は丁寧で、
 優秀だと思いました。
 仕上がりもキレイでした。
 この研究は
 英文論文にしても良いと思いました。
 大学の先生には、
 解剖学など、
 医学の基礎に基づいた研究をしていただき、
 美容医学の発展させて欲しいと思いました。
 金沢先生ありがとうございました。

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