医学講座

褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会

 平成21年3月28日(土)に、
 日本褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会が、
 札幌コンベンションセンターでありました。
 300人以上の看護師、医師、介護職員、研究者など
 多数の参加で会場は満席でした。
 日本褥瘡学会は、
 私の恩師である、
 大浦武彦先生が平成10年に設立されました。
      ■         ■
 褥瘡(じょくそう)とは床ずれのこと。
 ベッド上で寝ている時にできるきずです。
 高齢化社会を迎え、
 褥瘡で悩む多くの人を診察して、
 大浦武彦先生が専門的な予防と治療の必要性を考え、
 この学会を設立されました。
 最初の学会は東京の品川でありました。
      ■         ■
 第一回の学会なのに…
 会場は人であふれていました。
 その数の多さに私は驚きました。
 この10年間に褥瘡治療は大きく進歩しました。
 医学部や看護学部、看護学校でも、
 褥瘡の講義は少なく、
 医療従事者であっても、
 正しい知識を持っていませんでした。
      ■         ■
 大浦武彦先生は、
 日本全国、世界中を飛び回って、
 褥瘡の講演をなさり、
 その間に在宅診療もなさり、
 スーパーマンのように…
 褥瘡治療の教育と啓蒙をなさいました。
 その結果、
 一度に数百人の看護師さんなどが集まるほど、
 褥瘡学会を大きくなさいました。
 実にすごいことです。
      ■         ■
 3月28日の学会では、
 教育セミナーも開催されました。
 この10年間で進歩したものに、
 褥瘡予防マットレスがあります。
 ランチョンセミナーでは、
 ㈱モルテン
 梶原隆司様の講演がありました。
 私も実際にマットレスに寝てみました。
 もし万一寝たきりになったら、
 このマットレスだったら褥瘡ができないと思いました。
 介護・福祉系の方には
 是非参加していただきたい学会です。

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医療問題

安心LASIK

 今朝の朝日新聞に、
 視力回復手術
 被害防ぐには
 説明と検査_万全な眼科へ
 という記事が掲載されていました。
 東京都中央区保健所によると、
 銀座眼科でレーシック手術を受け、
 感染性角膜炎などになった方が、
 2009年3月27日現在、同眼科からの報告で75人。
 少なくとも4人は角膜移植の検討が必要。
 2人は今も入院している、
 と書かれていました。
      ■         ■
 2009年3月6日、東京地裁に提訴。
 医療問題弁護団によると、
 溝口院長との関連を
 確認できた被害報告は101件(3月26日現在)。
 調査中の報告もあり、
 「今後も増加することが予測される」という。
 健康被害を受けられた方に
 お見舞い申し上げます。
 一日も早い回復をお祈りいたします。
      ■         ■
 昨日、ニューヨークからお電話をいただいたように、
 日本でも米国でも、
 どんな先生を選んだらよいのか?
 実に難しい問題だと思います。
 ネットで【レーシック】と検索しても…
 たくさんのサイトが出てきます。
 大部分が特定のクリニックへ誘導する、
 広告目的のサイトです。
 同じことが【わきが】を検索しても言えます。
      ■         ■
 私はニューヨークからの相談者のために、
 英語で【わきが】を検索してみました。
 厳密には、英語に【わきが】に相当する単語がなく、
 わきの手術をしっかりしているクリニックを、
 英語で検索してみました。
 残念なことに、
 米国でも広告のサイトはたくさんありましたが、
 しっかりと手術を説明しているクリニックは、
 見つけられませんでした。
 相談者には別の方法をお教えしました。
      ■         ■
 レーシック手術は、
 確かに魅力的な手術です。
 朝日新聞には、
 慶応大学眼科の坪田一男教授のコメントが載っていました。
・日本眼科学会認定の専門医であること。
・術前の説明、術後のチェック体制がしっかりしていること。
・初めて受診した日に手術するのは望ましくない。
・手術までに2回程度は受診してもらう必要がある。
 この坪田先生の基準は一つの目安になります。
      ■         ■
 最後に、
 安心LASIKネットワークについて書かれていました。
 ここに掲載されている眼科でしたら、
 安心してレーシック手術を受けられる
 一つの目安になると思います。
 ただ、
 大学病院だから…
 大きな眼科の病院だから…
 絶対に安全というわけではありません。
 大学病院でも
 たくさんの医療事故や医療訴訟があります。
      ■         ■
 最後に先生を選ぶのは、
 あなた自身のです。
 いろいろな情報を集めて、
 実際にそのクリニックや病院へ行って、
 ほんとうに自分の大切な目を
 その先生にお願いしていいかどうか?
 ご自分で確かめるのです。
 彼氏彼女を選ぶのと
 同じです。
 最後は自分の責任で選ぶのです。

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医学講座

ニューヨークからの相談電話

 今朝、午前5:20に電話が鳴りました。
 『お父さん電話。英語!』
 家内が寝ぼけ眼で電話を取りました。
 私は寝ていたのですが…
 “Hello! Good morning.”
 『もしもし、おはようござます。』
 と電話に出ました。
      ■         ■
 ちょっと暗い声の女性が英語で話してきます。
 こんにちは、ニューヨークからお電話しています。
 私はわきのことで悩んでいます。
 そちらのウエッブサイト(ホームページ)を見て
 お電話を差し上げました。
 半分眠っていた私は、
 ニューヨークからわきの相談で、
 電話が来たことがわかりました。
      ■         ■
 ニューヨークからの電話もよく聞こえます。
 相談者の方は、
 28歳の女性。
 職業は看護師さんです。
 ニューヨークでワキガ手術について調べ、
 何と!
 札幌美容形成外科の英文HPを見つけられて、
 相談のお電話をくださいました。
      ■         ■
 いろいろ調べてみると、
 わきの手術は日本の方が進んでいることがわかり、
 ホームページに書いてあった番号に、
 国際電話をかけてくださったそうです。
 過去に何度かメールでのご相談はありましたが、
 国際電話は今回を含めて3回です。
 勤務時間中に職員が電話を取ると、
 『先生、電話です。英語です!』
 と困った顔で、
 私のところへ子機を持って来ました。
      ■         ■
 ニューヨークの相談者の方は、
 看護師という職業で、
 わきの汗と臭いでほんとうに困っている様子でした。
 いつも臭いがするんじゃないかと心配です。
 シャワーは毎日、
 食事にも気をつけています。
 ベジタリアンにもなりましたが、
 残念なことに何も変わりません。
 周囲の人が私の臭いに気付いているか?と心配です。
      ■         ■
 わきの事で悩むのは、
 日本もニューヨークも同じですね。
 私は眠いのも忘れて、
 わきの手術は簡単ではないし、
 看護師さんだったら、
 一ヵ月近い休みが必要なこともあります。
 手術後の安静を保たなければ、
 血腫という術後合併症を起こすこともあります。
 などを…
 英語で説明しました。
      ■         ■
 さすがに日本に来て手術は無理なので、
 ニューヨークでアジア系の形成外科医を探すか、
 わきの手術をたくさんしている先生を見つけるように
 アドバイスをしました。
 家内は、
 日本はまだ5:20です。
 とどうして言わなかったの?
 と早朝の電話にちょっと怒っていました。
 私は怒るよりも…
 Thank you for listening to me and taking the time out to speak with me today. I really appreaciate it.
 お話しを聴いていただきありがとうございました。
 というメールが来て、
 時差のことも忘れて嬉しく思っていました。

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昔の記憶

医学部合格への道

 医師や弁護士だけが良い職業だとは思いません。
 納棺師も葬祭業も立派な職業です。
 果樹園や酪農業も立派な職業です。
 どんな職業でも、その道の苦労があります。
 苦労しなくては、よい製品はできません。
      ■         ■
 楽で儲かりそうだから…とお考えの人には、
 医師も弁護士もつとまらないと思います。
 私が尊敬する、
 弁護士の高橋智(さとる)先生も、
 毎日、早朝から深夜まで、
 お仕事をなさっていらっしゃいます。
 司法試験に合格するまで、
 北大法学部の給湯室
 朝から夜まで勉強されました。
      ■         ■
 国公立大学の医学部は難関です。
 合格するには、
 他人が遊んでいる間も…
 勉強するという努力が必要です。
 私はたくさんの先生に助けていただき、
 医学部に合格することができました。
 何十年たっても
 感謝の気持ちを忘れたことはありません。
      ■         ■
 私は小学校→中学校と、
 一番になったことはありませんが、
 美唄、夕張という炭鉱街の学校で、
 成績はそこそこよい方に入っていました。
 ところが…
 札幌西高校へ入学して、
 一気に順位は低下しました。
 世の中には
 頭が良い人がいるものだなぁ…
 とつくづく思いました。
      ■         ■
 夕張から札幌へ来て、
 勉強をサボったのではありません。
 毎日、高校で習ったことを復習して、
 次の日の予習をするだけで、
 夜遅くまでかかりました。
 部活をする余裕もありませんでした。
 高校へ入学した頃は、
 自分一人で勉強をしていました。
      ■         ■
 私の成績が少しずつ上昇しだしたのは、
 高校2年生の頃でした。
 仲の良い友人(男子)から、
 勉強法を教えてもらいました。
 国語が苦手だったので、
 国語が優秀な友人に聞きました。
 本間、本を読め。
 本間、新聞を読め。
 本と新聞を読む習慣は、
 この友人に教えてもらいました。
      ■         ■
 私が何とか…
 医学部の合格圏内に近づけたのは、
 予備校の講習で、
 生物の矢野雋輔先生の講義を
 お聞きしてからでした。
 自分が講義をする立場になってからは、
 少しでも矢野先生のように…
 学生さんに夢と希望を語るような、
 印象に残る講義を心がけています。
      ■         ■
 私が知っている人で、
 医師を目指していた人がいました。
 彼はとても性格のよい青年でした。
 ただ、何年受験しても合格できませんでした。
 しまいには、日本の医学部は難しいので、
 外国へ行って医師免許を取ると言っていました。
 彼が医師になったかどうかはわかりません。
      ■         ■
 一部の頭のデキが違う人は、
 塾にも予備校にも行かずに、
 難関の大学に現役合格ができます。
 でも…
 私のように凡人の頭では、
 勉強の仕方
 入試の傾向と対策
 面接の極意
 などを予備校の優秀な先生に教えてもらうのが、
 医学部合格への道です。

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医学講座

深澤信博先生の文章

 メディカルトリビューンという
 お医者さん向けの情報誌があります。
 2009年3月19日号に、
 掲載された文章をご紹介いたします。
 国立高崎病院小児科の深澤信博先生です。
 リレーエッセイ547
 続・時間の風景
 50歳台後半
 ―小児科医の決意
 国立病院機構高崎病院救急外来部長(小児科)深澤信博
 私は,自治医科大学の1期生です。自治医科大学の1期生には,WHO西太平洋事務局事務局長の尾身茂氏を始め,自治医科大学,札幌医科大学,信州大学の医学部教授,日本家族計画所の所長,日本ヘルスプロモーターセンターのI氏など全国版の著名かつ才能豊かな先生方が存在します。しかし私のような1期生もいるのです。
      ■         ■
 そもそも自治医科大学は,日本の僻地医療の解消と地域医療の充実を目的に1972(昭和47)年に開設されました。授業料の全額と生活費の一部が貸与され,大学在学年数の1.5倍の期間,出身県の指定する医療機関に勤めれば返済の義務はなくなるという契約を交わす大学です。
      ■         ■
 昭和46年に高等学校を卒業し現役では医学部に入学できず浪人の身になりました。どこで自治医科大学の開校を知ったのか記憶にないのですが,受験大学が1校増えたことはうれしく(1浪していましたので国公立しか受ける余裕はありませんでした),試験に臨みました。
      ■         ■
 試験の結果は不合格でした。そのため,すでに合格していた工学部建築学科に入学する手続きをしましたが,補欠合格の知らせが入り,自治医科大学に入学することができました。現在の受験制度では補欠合格は存在しないとのことですが,正規の合格者に辞退が出たために入学資格が回ってきた訳です。
      ■         ■
 補欠入学者を誰に決めるかは内中書の内容,試験の点数,面接の状況などを総合して大学の理念にどれだけ合っているかを数授会や事務幹部の会議などで多くの時間をかけて検討したものと思います。ですから,補欠合格した自分は正規入学者よりもかえって大学から選ばれ望まれて採用されたのだと(勝手に)思い込んでいます。
      ■         ■
 この大学への恩(報恩)と感謝のため,“名医にはなれないが良医にはなろう,公的病院の勤務医として働こう”と心に決めました。卒業当時,すでに内科系は臓器別に専門が分かれ,また患者さんの全体を診るよう指導されていたため,小児科を選び,群馬大学小児科学教室に入局しました。
      ■         ■
 1年目は大学勤務,2年目から6年目までは関連病院の小児科勤務。7年目,8年目は僻地勤務で国保診療所勤務。診療所は職住一致で,妻はこの頃の生活が(出産もあり)一番思い出深いようです。その後,自治医科大学に戻り,昭和61年から平成1年の約3年間,消化器内科,循環器内科,呼吸器内科の3科をそれぞれ1年間ずつシニアレジデントの身分で研修させてもらいました。3年間の内科研修後は,また群馬に戻り小児科医として働くつもりでしたが,人事の時期ではなかったため,なかなか職場が決まりませんでした。
      ■         ■
 知人から,新しく小児科を開設したいと希望している病院があることを知らされ,妻と2人で面接に行きました。公的医療機関ではありませんでしたが,仮契約をしました。その帰る途中で,現在勤務している高崎病院(当時・国立高崎病院)のそばを通り,“こんな病院に勤められればいいね”と妻と話し合ったのを覚えています。その翌年の正月,実家に帰っていた私の元へ群馬大学小児科の医局長から“高崎病院勤務者が開業のため2月いっぱいでやめる。その後に勤めないか”との連絡がありました。公的医療機関の勤務を希望していましたのですぐに決めさせて頂き,その後現在まで20年にわたって勤めることとなりました。
      ■         ■
 私は医者となって今年で31年目になりますが,研究歴も専門性もない一般小児科医です。作家の見川鯛山氏が著書『医者ともあろう者が』でご自身のことを“日本でもめずらしい博士号のない医者”と述べていますが私もその一人です。しかし診療に関しては迅速さと患児やその家族に対しての誠実さを心がけ,地域医師会とも良好な関係を保つよう心がけています。
      ■         ■
 最近は小児の時間外医療についての様々な意見がありますが,家族の心配さを思えば“コンビニ化”もいたし方ないと考えています。体力が続く限りは診療依頼を拒まないつもりです。
      ■         ■
 オバマ大統領は就任演説の中で,“我々が直面している新しい試練に立ち向かうためには新しい道具が必要かもしれないが,成功するかどうかは労働と誠実さ,勇気,フェアプレー,忍耐,好奇心,忠誠心や愛国心などにかかっている。古くから言われていることだ。だが真実だ”と述べています。医療に関しても同様で,“迅速さや誠実さ”が大事なものと思います。
      ■         ■
 1年浪人したことが自治医科大学の開校と一致した,補欠合格が良医と地域医療を心がけるきっかけとなった,公的病院勤務の希望が突然かなったなど,私はまだ50歳代の後半ですが“人生は何が幸いするかわからない,努力+αがあるかもしれない”と思っています。
      ■         ■
 “現在の結果はその過去に原因がある。未来の結果は現在が原因する”と言う言葉があります。過去は変えられないが,未来は現在の生き方で変えられるというものです。幸せは他人に尽くせること,そしてその人の喜びと感謝の気持ちに共感できることと思います。これからの人生に向け,迅速性はだんだん落ちてきましたが,誠実さは失わないで診療に励むつもりです。
 (以上、メディカルトリビューンより引用)
      ■         ■
 私は補欠合格で医学部へ入学し、
 素晴らしい医師になられた先生を、
 何人も知っています。
 合否の分かれ目が、
 ほんの一点差であることは、
 現在の大学入試制度では珍しくありません。
      ■         ■
 北海道でも多数の自治医大卒業生が、
 活躍なさっていらっしゃいます。
 町立厚岸病院でご活躍の
 佐々木暢彦先生も、
 自治医大の卒業生です。
 これから医学部を目指す学生さん、
 医学生のみなさんに読んでいただきたいと思い、
 長文の記事を引用しました。

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医療問題

増えてほしい苦労人の医師

 平成21年3月25日、朝日新聞
 声の欄への投稿です。
 増えてほしい
 苦労人の医師
 精神保健福祉士
 薮 純子 (東京都新宿区 48)
 精神科の外来受付で、
 「医師に会いたい」という女性が
 「入院患者さんを診ているのでだめ」と
 強い口調で断られていた。
 別の医師が対応してくれるといいのにと思った。
       ■         ■
 私の知っている精神科医には名医が多いが、
 別の病院で目撃した例に、
 こんなことがあった。
 患者が病気で働けず、
 親の死後どうしたらいいのか困惑していると、
 担当医師が「親は必ず死ぬよー」。
 患者はショックを受けたに違いない。
       ■         ■
 医師は確かに正しいことを言っている。
 しかし、
 病人にそんな言い方をしてはいけない。
 ショックで自殺でもしたらどう責任を取るのだろう。
 患者は
 「まだまだ大丈夫ですよ」
 言われて、
 やっと自立に向けて頑張る気になるものである。
       ■         ■
 医師は医学部受験を勝ち抜いてきた
 「お坊ちゃま成功者」が多い。
 それでも、
 感受性の強い優しい人や
 挫折を乗り越えてきた苦労人なら、
 患者と共感できる医師になれる。
 そんな精神科医が多く生まれることを望む。
 (以上、朝日新聞より引用)
       ■         ■
 現役合格をした優秀な学生さんを
 否定するのではありません。
 ただ、
 「お坊ちゃま成功者」
 という言葉がぴったりの学生さんが、
 現実に存在します。
 小さい時から、進学塾に通い。
 名門校でもトップクラスの成績でないと、
 有名国立大学医学部に、
 現役合格はできません。
      ■         ■
 私の身近に、
 中学2年生の時に、
 病気になって病院へ行き、
 『先生、ぼくの病気は治るんですか?』
 と医師に尋ねたところ、
 『あぁ、一生治りません。』
 と言われショックを受け、
 それから医学部を目指した医学生がいます。
      ■         ■
 彼は苦労して、
 浪人して…
 医学部へ進学しました。
 『一生治りません』と言われた病気とも、
 上手に付き合って、
 今のところ元気に学生生活を送っています。
 彼が苦労人だとは思いませんが、
 少なくとも他の人よりは、
 他人の苦しみが理解できると思います。
      ■         ■
 他にも、
 小さい頃からアレルギー性鼻炎に悩まされて、
 耳鼻科医師になった先生。
 小さい頃からアトーピー性皮膚炎に悩まされて、
 皮膚科医師になった先生。
 自分の父親が盲人なので、
 眼科医師になった先生。
 たくさんの
 ‘病人’の苦しみを知っている、
 先生がいます。
 みなさんとてもよい先生です。

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昔の記憶

浪人は無駄ではない

 毎年、今の時期になると、
 新聞に各予備校の宣伝が掲載されます。
 有名大学へ合格した生徒さんが、
 顔写真入りで載っています。
 おめでとう
 心から祝福のエールを送ります。
      ■         ■
 残念なことに…
 志望校に合格できず、
 浪人が決まった人も、
 たくさんいらっしゃると思います。
 予備校の学費を負担する親は大変ですが、
 私は自分の経験から、
 浪人は無駄ではない
 と声を大にして言います。
      ■         ■
 私は4年間、
 札幌医大形成外科の講師として働きました。
 思い出したくもないような、
 嫌な出来事もありましたが、
 たくさんの学生さんと話しができ、
 私の考えを伝えることができたのは、
 人生で有意義な期間でした。
      ■         ■
 その時に感じたことですが、
 現役で優秀な成績で合格した学生さんより、
 何年も苦労して入学した学生さんが、
 いいお医者さんになります。
 教科書や参考書、
 試験問題など…
 一度見ただけで、
 写真に撮ったように覚えてしまう、
 超優秀な学生さんがいます。
      ■         ■
 そういう人は試験には強いし、
 要領よく定期試験をクリアーし
 6年間で卒業します。
 今の医師国家試験は、
 すべてペーパーテストで決まります。
 面接や実技試験はありません。
      ■         ■
 医師国家試験に合格して、
 研修医として働きはじめた先生
 朝、顔も洗わないで、
 髭(ひげ)も剃らないで、
 歯も磨かないで、
 病院に来て私に叱られた人がいました。
 電話が鳴っても、
 『………もしもし………』
 しか言えない人がいました。
      ■         ■
 医学部では礼儀作法は教えません。
 電話応対の仕方も教えません。
 今はOSCE(オスキー)という、
 模擬患者さんとの医療面接があります。
 昔より少しはマシになった?
 かも知れませんが、
 社会常識がない人も医師になれます。
      ■         ■
 浪人して苦労して、
 挫折感を味わうことは、
 人生にとってとてもよい肥料だと思います。
 医療者以外に進む人にも大切なことです。
 私が尊敬する、
 弁護士の高橋智先生も、
 北大法学部の給湯室で苦労なさった時代のことを
 何度も書かれています
      ■         ■
 浪人が決まった皆さん、
 元気を出してがんばってください
 おじさんは応援しています
 現役合格した
 優秀な学生さん
 受験勉強で選択科目になかった…
 社会常識も勉強しましょう。
 本や新聞を読むことをおすすめします。
 社会人となってから役立ちます。

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昔の記憶

本間家のルーツ

 さくらんぼさんから、
 3月21日に山形の風景を送っていただきました。
 おくりびとに映っていた、
 山形の雄大な風景は、
 どこの山なのだろう…?
 と考えていました。
 山形へ行ったことはありませんが、
 さくらんぼさんの果樹園から見える、
 遠くの山並みを反対側から見た風景だろうか…?
 などと考えていました。
      ■         ■
 3月21日の山形は風が強く、
 強風の中でハウス栽培用の、
 パイプを組み立てていらっしゃると伺いました。
 美味しい果物を作るのは、
 ほんとうに大変なことだと思います。
 毎日、ご苦労様です。
 おくりびとを見てから、
 山形へ行ってみたくなりました。
 とてもきれいなところですね。
      ■         ■
 北海道はもともと蝦夷(えぞ)の地でした。
 明治時代に私たちの先祖が、
 日本全国から入植しました。
 本間家のルーツについてはよく知りません。
 私が高校生の頃に、
 本間家の、
 遠い親戚という方がいらしたことがあります。
 私の父で2代目。
 私は3代目です。
      ■         ■
 私の家は屯田兵ではなく、
 祖父は郵便局や国鉄に勤務していたと聞いています。
 ルーツをたどると、
 新潟県の佐渡島だそうです。
 山形県酒田市には、
 本間美術館があります。
 私は行ったことがありません。
 こちらの本間様とも、
 何らかのつながりがあるようです。
 明治時代に私の先祖が、
 北海道に来なければいけなくなったのは?
 何か理由があるのだと思います。
      ■         ■
 市立札幌病院に勤務していた時に、
 同じ本間姓の先生がいらっしゃいました。
 その本間先生は、本間様
 末裔(まつえい)だと話されていました。
 どこかで、ご先祖様がいっしょなのかも?です。
 私が知っている山形は、
 東京行きの飛行機の窓から見える、
 蔵王連峰だけです。
 航路にもよるようですが、
 お天気がよいと見えることがあります。
 昔は、
 皆様の右手に蔵王がご覧いただけます
 と機内アナウンスが流れたこともありました。
 時間ができたら山形へ行ってみたいです。


2009年3月21日
山形の風景


2008年5月17日
山形の風景

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医学講座

性同一性障害

 おくりびとの冒頭の場面は、
 美しい女性の葬儀からはじまります。
 実際の撮影は女優さんだったと思いますが、
 後の場面で、
 美しい女性に、
 男性器ついている
 ことがわかります。
 死化粧を男性用にするか?
 女性用にするか?
 とご両親に問う場面がありました。
      ■         ■
 美しい女性として、
 死化粧を施していただき、
 お父さんが感謝の言葉を述べていました。
 男に生まれた息子
 女の格好になって、
 亡くなってしまった。
 息子がこんなになってしまってからは、
 毎日、喧嘩ばかりだった…
 と話されていました。
      ■         ■
 性同一性障害
 (GID:Gender Identity Disorder)
 という診断名は、
 私が医学生だった30年前にはありませんでした。
 日本精神神経学会は、
 生物学的には完全に正常であり,
 しかも自分の肉体がどちらの性に属しているかを
 はっきりと認識していながら、
 その半面で、
 人格的には自分が別の性に属していると確信している状態
 と定義しています。
      ■         ■
 1997年に
 日本精神神経学会から
 「診断と治療のガイドライン」が発表されました。
 性別適合手術(Sex Reassignment Surgery:SRS)が
 埼玉医大倫理委員会から承認を得て、
 厚生省公衆衛生審議会精神保健福祉部会、
 中央児童福祉審議会母子保健部会の了承を受けて、
 1998年10月16日に、
 埼玉医大総合医療センターで、
 形成外科の原科孝雄教授により
 実施されました。
      ■         ■
 原科孝雄先生は、
 マイクロサージャリーの権威です。
 事故で陰茎を失った男性に、
 遊離皮弁という技術で
 陰茎再建手術をなさいました。
 札幌で行われた国際学会の時に、
 原科先生のご発表がありました。
 同時通訳の女性が、
 スライドを見て思わず『わぁ~』と
 声を上げたのを覚えています。
      ■         ■
 形成外科の進歩にもかかわらず、
 男性器をつくるのはとても難しい手術です。
 特に機能する
 伸びたり縮んだりする
 のは…不可能に近いとお考えください。
 私が知っている範囲の知識では、
 立っておしっこができて、
 おしっこが漏れないようにするのも、
 なかなか大変な手術です。
      ■         ■
 男性器どころか?
 肉の塊がついただけで、
 おしっこは漏れてしまい、
 立っておしっこができない男性器も
 たくさんあると思います。
 男性女性への手術も大変です。
 つくった腟の中に毛が生えてしまったり、
 小さくなってしまったり…
 とにかく性器をつくる手術はとても大変なのです。
      ■         ■
 うちの奥さんを含めて、
 大部分の一般市民の方は、
 外国へ行けば…
 簡単に
 取ったりつけたりしてくれる
 と思われている?ようですが、
 神様がおつくりになった外性器は、
 簡単にはつくれません
      ■         ■
 埼玉医大で行われていた
 性別適合手術(Sex Reassignment Surgery:SRS)は、
 原科教授の定年退職によって中断されています。
 現在、日本でGIDの治療を積極的に行っているのは、
 ナグモクリニックです。
 山口悟先生をGIDセンター長とし、
 豊胸術や乳房切除術などの胸の手術によって、
 性同一性障害の患者さんを治療しています。
 タイまで行って手術を受ける方もいらっしゃいますが、
 結果は必ずしも満足できるとは限らないようです。

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子どもの死

 映画おくりびとでは、
 何回も子どもの葬儀の場面がありました。
 赤ちゃんの誕生はうれしいものですが、
 大きくなってからは…
 さまざまな問題が生じることがあります。
 本間家も例外ではありません。
 おくりびとのように、
 お前の育て方が悪かったからだ。
 育てたのは、私一人じゃない。
 と家内と何度も大喧嘩になりました。
 それはそれは悲惨なものでした。
 私の人生も変わりました。
      ■         ■
 私たち医師は、
 子どもさんの死という、
 親にとっては
 もっとも辛い場面にも遭遇します。
 形成外科では死ぬことは稀(まれ)ですが、
 顔や身体に大けがをして、
 搬送されてくる子どもさんが
 いらっしゃいます。
      ■         ■
 若いお嬢さんが、
 元の顔がわからないくらい…
 顔が変形してしまった例も…
 何度も経験しました。
 事故の前の写真を持ってきてください。
 なるべく元に近づけるように手術します。
 こう…ご家族にお願いすることがありました。
      ■         ■
 先生に写真を持ってきてといわれたから…
 家中を探して…
 一番きれいに…
 可愛く写っている写真を…
 必死で見つけました。
 あるお母さんが、
 手術からかなり経ってからお話ししてくださいました。
      ■         ■
 おくりびとで、
 暴走族と思われる少年たちが、
 若い女性の葬儀に来ていました。
 おそらくそのお嬢さんは、
 暴走族の交通事故で亡くなったのだと…
 推測しました。
 私は何度も若者の交通事故の手術をしました。
 中には…
 無免許、盗難車、酒気帯び…
 という事故もありました。
      ■         ■
 後部座席に乗っていた、
 若者3人のうち2人は死亡。
 残った一人も重症で、
 顔にも身体にも大けがをしていて…
 顔の手術を何回もしたお嬢さんが…
 いらっしゃいました。
 お母さんが心配して、
 毎日、病院へいらしていました。
      ■         ■
 その頃は、
 私の子どもは小さかったので、
 そのお母さんの気持ちは、
 わかったようでいて、
 わかっていなかったことに気付きました。
 親なんて無力なものです。
 成人した子どもには、
 日本国憲法が保障した、
 基本的人権があります。
      ■         ■
 成人に達した子どもは、
 どこに住もうと
 どんな職業に就こうと
 だれと結婚しようと
 自由です。
 日本国憲法が保障しています。
 親が何と言っても無駄です。
 飼い犬でしたら、
 首に縄をつけておけますが、
 人間にはつけられません。
      ■         ■
 子どもには、
 縄(なわ)の代わりに…
 ‘教育’をつけて、
 していいことと悪いことを教えたつもりでした。
 ところが… 
 見事に信頼の絆を切られ、
 父親として、教育者として、医師としての自信を失いました。
 映画おくりびとを見て、
 私のような親が…
 一人ではないことに気付きました。

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