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医師とストレス

 自分で言うのも変ですが、医師はストレスの多い仕事です。
 ある開業医の奥様がおっしゃいました。『主人はストレスが多く、ちょっとでも触ると破裂しそうな風船のようです』と。
 これを言ったのは、私の家内ではありません。逆に、少しでもこの先生の奥さんのように、私の立場を理解してくれたらなぁ~と思っています。
      ■         ■
 医師にストレスがかかるのは、人間の生命という、世の中で、何よりも大切なものに係わる職業だからだと思います。
 どんなに医学が進歩しても、治せる病気はほんの一部で、医学はその病気といかに上手に付き合うかを指南するだけです。
      ■         ■
 私が忘れられない患者様の一人に、若くして悪性腫瘍で亡くなった女性がいます。
 その方は、ニキビのようなできものができ、大きくなってきたので、心配であるクリニックへ行ったそうです。
 悪性の疑いがあるから、手術をしなさい。と言われました。その先生が怖くて、母親にも言えず、お父さんのお墓へ行って泣いたりしていて、しばらく時間が経ってしまいました。
      ■         ■
 私が勤務していた、市立札幌病院へいらした時は、すでに鶉卵(ジュンラン、ウズラ卵)くらいの大きさになっていました。
 残念なことに、初診時に胸部写真で肺転移が見つかりました。悪性腫瘍の専門家や呼吸器科医と何度も相談して、手術をしましたが、肺転移は進行しました。
 家族や他科の先生とも相談し、本人に病名は告知せず、抗癌剤による治療をしました。
      ■         ■
 残念なことに、まだ20歳台半ばで、その方は亡くなってしまいました。
 今でもその方のお母様から、たまにお便りをいただきます。
 美人で、明るく、さわやかで、声がきれいな女性でした。学生時代はコーラスをなさっていらしたそうです。
      ■         ■
 私が形成外科を選んだ理由の一つは、形成外科では医師の技術一つで、どんなキズでも治せると考えたからです。
 大学教授でも、治せないキズがあることは、形成外科医になってわかりました。
 ケロイド体質という体質があります。遺伝することが多いのですが、どんなに丁寧に手術をしてもキズが盛り上がります。
 ケロイド体質でなくても、キズがキレイに治らないこともあります。
 また、術者がどんなに丁寧に手術をしても、手術後の安静を守っていただかなくてはキズはキレイになりません。
      ■         ■
 医師の力なんて無力なものです。自分がどうしても助けたいと願った方が亡くなってしまったりするとガックリします。
 手術で、どんな人でもキレイにできるなんて思っているのは、経験が少ない証拠です。
 長年やっていると、どんなに頑張っても力が及ばないこともあります。
 相性もあります。よくなったと思っても、本人が満足してくれなければ、何の役にも立ちません。
      ■         ■
 私のように開業医になると、医業以外のことでも苦労します。
 職員の採用、経営、労務管理などなど、ストレスの原因になることがたくさんあります。
 毎日、たくさんのストレスと闘って生きていかなくてはなりません。
 私は、お坊ちゃん育ちではありませんが、ストレスには弱い方です。安倍さんのように、すぐにおなかを壊します。
      ■         ■
 ストレスに晒されながらも、私が何とかやっていけるのは、大部分の方には、手術で満足していただいているからです。
 他院でうまく治らなかった方を‘修正’するのは、技術的には難しいことです。再手術が適応になると判断できれば、リスクもご説明した上で、手術をお引き受けすることもあります。
 難しいと思った手術で、予想以上の効果が出た時はうれしいものです。
 美容外科医は決して楽な商売でありません。たくさんのストレスと闘いながら、生計を立てています。

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ストレスに強くなる

 安倍首相が突然辞任し、海外からも酷評されています。
 昨日は、慶応病院で相川病院長以下が記者会見をしました。
 以下は朝日新聞から引用しました。
      ■         ■
 安倍首相が入院した慶応大学病院では、13日午後2時から、主治医の日比紀文・医学部教授(消化器内科)が記者会見し、「機能性胃腸障害が悪化し、全身が衰弱している」と病状を説明した。
 機能性胃腸障害は、ストレスや精神的な疲労が引き金となり、おなか上部の膨満感や灼熱(しゃくねつ)感、みぞおちの痛みなどの症状がある。
      ■         ■
 日比教授によると、安倍首相は、1ヵ月以上前から食欲不振や胃もたれなどの症状を訴えていた。当初は軽かったが、数週間前にウイルス性とみられる腸炎を起こすなどして悪化。シドニーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)から帰国した10日ごろから、疲労感も強くなった。「体重はここ数カ月で5キロほど減った。3、4日の入院が必要」と話した。
 辞任表明直後の12日夕方にも診察したが、13日はさらに衰弱が進み、「(公務の)緊張状態を続けるのは、少し難しいと判断した」という。ただ、「(進退について)総理にアドバイスしたことはない。数日前まで執務に全く支障はない状態だった」と強調した。
      ■         ■
 胃腸の病気に詳しい国立病院機構さいがた病院(新潟県上越市)の松枝啓院長は「薬で治療することもあるが、多くは生活習慣や食生活を改善し、ストレスを減らせば良くなる」としている。
      ■         ■
 「翼短かったタカ」… 安倍退陣、海外メディア辛らつ
 13日付米紙ワシントン・ポストは、安倍首相が7月末の参院選で惨敗して以来、「生けるしかばね」だったと酷評。
 ニューヨーク・タイムズは首相は「闘う政治家」と自らを表現したが、「明らかに闘う度胸を持っていなかった」と戦意喪失の様を紹介。タイミングも「不可解だ」としている。
 (平成19年9月13日朝日新聞より引用)
      ■         ■
 安倍晋三さんは私と同じ昭和29年9月生まれです。
 私たちが子供の頃は、テレビが普及しはじめ、鉄腕アトムやひょっこりひょうたん島を見て育った世代です。
 高校生の頃には、田中角栄さんが首相になりました。小学校しか出ていない、越後の田舎者が努力で首相になったと日本中が興奮しました。田中首相は、コンピューター付ブルドーザーと言われていました。
 本屋さんの店頭には、田中首相の日本列島改造論が高く積まれ、北海道も好景気になりました。
 その頃の北海道は、炭鉱が相次いで閉山し、今よりも元気がなかったように思います。その次にオイルショックがきて、トイレットペーパーがなくなりました。
      ■         ■
 安倍さんは、小学校から私立の成蹊学園へ入学。大学までエスカレーター式に卒業してます。
 父の安倍晋太郎さんが、1963年に選挙で落選するという‘苦労’はあったようですが、小学校3年生程度で、両親と離れて生活していたので、お金に困るようなことはなかったと思います。
      ■         ■
 人間はさまざまなストレスに晒されて生きて行きます。
 子供の頃から、転校が多かった人は、転校の度に新しい土地で友人を見つけなければなりません。何度も転校という試練が与えられると、自然とともだちを作る能力ができてきます。
 小さい頃から病気がちの人は、自然と上手に病気と付き合う方法を身につけるものです。
 何回も入試に落ちて浪人した人は、どうしたらショックから立ち直って、次のステップを踏み出すかを自然と身につけます。
      ■         ■
 こうした、さまざまな試練を経て人間は強くなります。温室栽培の植物より、自然の厳しい世界で育った植物の方が強いのと同じです。
 次の首相には、逆境にも強い人、自分も苦労して弱者の気持ちがわかる人になっていただきたいと願っています。
 ‘美しい国’は要りません。安心して暮らせる国づくりをしてください。安心して平和に暮らしていると、国は自然と美しくなります。人間も同じです。

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院長の休日

また旭岳登山

 2日間の休診日を利用して、また旭岳(2290m)へ行ってきました。
 7月13日に軽装で登山し、下山で転びエライ目に遭ったところです。
 今回は登山靴を購入し、再チャレンジしました。
      ■         ■
 登山靴は北大近くの秀岳荘で購入しました。秀岳荘は登山の専門店で、学生時代にたまに行っていました。
 山岳部やワンダーフォーゲル部の友人から教えられた気がします。
 久しぶりに行った秀岳荘は、登山が好きな人がたくさん来店していました。
      ■         ■
 7月に登山した時に、一番辛かったのが靴でした。
 ハイキング気分で、古いNIKEのランニングシューズで行ったのがそもそもの失敗でした。
 秀岳荘の店員さんに、旭岳でヒドイ目に遭ったので、靴を買いに来ました。とお願いして靴を選んでいただきました。
      ■         ■
 秀岳荘で薦められたのは、アシックスのフィールドウォーキングシューズでした。GⅡ-TREKKING-HIという製品です。
 軽くて、しっかりしていて、歩きやすいのが特徴です。
 この靴のおかげで、今回は足が痛くなりませんでした。7月に何回も転倒した下りも、一度も転倒せずに下りられました。秀岳荘の店員さんに感謝です。
 何でも専門家に相談して、アドバイスをいただくのはよいことです。
      ■         ■
 姿見駅(標高1595m)までは旭岳ロープウェイです。往復2,800円と少し高いですが、歩いて上がることを思えば仕方がありません。
 姿見駅から姿見ノ池(1665m)まではハイキングコースです。ここからが登山道になります。ガレ場と呼ばれる火山礫(カザンレキ)のゴロゴロした道です。
 7月は乾燥していて、足元が悪かったのですが、今回は雨があったせいか、適度に湿っていて、前回よりずっと楽でした。
      ■         ■
 旭岳へ行くと、どう見ても70歳以上のご夫妻が、ひょこひょこと上がっていらっしゃいます。
 私たち夫婦は私が53歳、家内51歳なのに、下手をすると70歳代と思われる、‘ベテラン’よりもよたよたしています。
 私は歩くのが早いので、ちょっと行っては休んで家内を待ち、1時間40分で頂上に着きました。
 残念なことに今回は、頂上からの展望は望めず、わずかに霧の間から山並みが見えた程度でした。
 紅葉は姿見ノ池付近で、はじまっていました。
 私はあまり趣味もないので、少しずつ山登りをはじめようかと考えています。

姿見ノ池付近から
後方が旭岳です

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医療問題

天使病院理事長解任

 平成19年9月12日北海道新聞朝刊の記事です。
      ■         ■
 天使病院、西村理事長を解任 移管見直し 産科3医師は残留。
 妊娠後期から生後約一週間の「周産期医療」の拠点となっている天使病院(札幌市東区)の産婦人科医6人全員が退職を決めた問題で、同病院を経営する医療法人社団カレスアライアンス(室蘭)は9月11日、臨時の社員総会と理事会を札幌市内で開き、西村昭男理事長を解任し、新理事長に、同法人が経営する日鋼記念病院(室蘭)の勝木良雄・前院長を選んだ。西村氏が主導し、産婦人科医が退職理由に挙げていた天使病院の経営移管は再検討する方針で、6人のうち3人は勤務を続ける。
      ■         ■
 西村氏が天使病院の移管先としていたのは、西村氏が別に理事長を務める特定医療法人社団カレスサッポロ(札幌)。カレスアライアンスの一部理事は「産婦人科医全員が退職すれば、道央の周産期医療が崩壊する」などとして、理事長退任と移管撤回を求めていた。
      ■         ■
 社員総会では理事の1人が西村氏の理事解任動議を提出。賛成14、反対5、棄権2で解任された。10月に予定していた移管については再検討することを理事会で決めた。
 新理事長の勝木氏は2月に日鋼病院を退任したばかり。天使病院の院長も杉原平樹(つねき)氏から、カレスアライアンスの辻崎正幸理事に交代した。辻崎新院長は「移管の再検討は撤回に向けたもの」と説明している。
      ■         ■
 西村氏は1978年に日本製鋼所病院(現日鋼記念病院)院長に就任後、家庭医の育成や道内初の緩和ケア病棟の開設に乗りだし、道内地域医療の先駆者として注目を集めた。近年は病院の不動産を原資にした債券の発行や医療ビル建設を計画し経営拡大を図っていた。
 同氏は天使病院の移管について「札幌の病院はカレスサッポロに集約するため」と説明したが、カレスサッポロはそうした経営拡大の足場になっており、同病院の産婦人科医は「医療費抑制の時代に、破綻(はたん)は目に見えており、リスクの高い周産期医療は続けられない」と反旗を翻した。
      ■         ■
 西村氏は理事会後、記者会見し、「解任はクーデターで複雑怪奇。産婦人科医は現状に固執しただけ」と、2時間にわたり、産婦人科医や解任を決めた理事を批判した。カレスサッポロの理事長は引き続き務める。
 勤務継続を決めた天使病院産婦人科の吉田博科長は「道内の周産期医療が混乱しないよう、(早産や低体重児など)リスクの高い出産を受け入れる態勢をつくり直したい」と話している。
 一方、日鋼記念病院では、西村氏に近い医師2人が退職届を出した。勝木新理事長は「退職届を出した医師を説得し、地域医療の混乱を避けたい」としている。
 (平成19年9月12日北海道新聞朝刊より引用)
      ■         ■
 とうとう西村先生が解任されました。
 日鋼記念病院から産婦人科医がいなくなり、天使病院からも産婦人科医がいなくなる。
 これは尋常なできごとではありません。以前の医療法で、総合病院の規定がありました。最低限、内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科の5つの科がなければ、総合病院とは言えませんでした。
      ■         ■
 天使大学には、助産学専攻の大学院が設置されています。全国的にも助産学の大学院は珍しいのですが、大学と同じ名前の‘天使病院’から産婦人科医がいなくなっては、助産学の大学院もどこで研究するのでしょうか?
 カレスの西村理事長解任はこれからの医療業界を象徴したできごとだと思います。
 西村理事長は、北海道新聞社の報道にあるように、病院の不動産を元にファンドからお金を調達して経営を拡大してきました。
 一見すごいことに見えますが、‘医療はもうかる時代’は終わっています。
      ■         ■
 効率的な経営を求められると、医師の待遇はどんどん悪くなります。
 日鋼記念病院の研修医が『僕の給料は師長さんよりずっと低いんです』と嘆いていたのを覚えています。
 医療コンサルタントの方に伺うと、これから倒産する病院がどんどん出てくるそうです。
      ■         ■
 西村先生には、北大形成外科が大変お世話になり、毎年北大形成外科の忘年会にもいらしていただいていました。
 個人的には、西村先生がお気の毒だと思いますが、天使病院から産婦人科の灯が消えなくてよかったと安堵しています。
 医療経営はこれからますます厳しくなります。札幌美容形成外科の理事長は私です。医師一人で理事の医師も私一人です。
 解任されたり、倒産しないように頑張りたいと思っています。

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医学部志望

 昨夜、知人のお嬢さんで、医学部志望の学生さんとお話しする時間がありました。誕生祝いのお花までいただき、心が和みました。この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
      ■         ■
 そのお話しの中で、いくつか私なりの考えを述べたので、整理する意味で、日記に書いてみます。
 大学の教員を4年間しました。最後は追い出されるように大学を辞め、辛い思いをしましたが、楽しい想い出もたくさんあります。
 一番の想い出は、延べ400人近い学生さんとじかに話しをし、実習を指導し、形成外科について私の考えを伝えられたことです。さまざまな学生さんがいらっしゃいました。
      ■         ■
 医学部は他学部と比べると、偏差値が高く、今も昔も難関学部の一つです。
 最近は入試制度が変わり、高校の成績が良ければ、推薦入学で入る学生さんもいます。
 高校の成績と、大学での面接・小論文程度で早々と合格が決まります。
 大学側も、慎重に判定していると思いますが、中には成績が良かったので『推薦で入っちゃった!』という感じの学生さんもいました。
      ■         ■
 明確な志望動機がなく、成績が良かったので、なんとなく医学部に入っちゃった人は苦労します。
 医学部は、授業時間数も多く、他学部と比べて学生時代の自由な時間がありません。とにかく覚えることがたくさんあります。
 試験も多く、進級判定も厳しいため、ちょっと油断するとすぐに留年です。目的がはっきりせずに入学した学生は、在学中に留年を繰り返し、退学になる人もまれにいます。
 最後には医師国家試験があります。司法試験ほどではないと思いますが、勉強しないと受かりません。卒業しても国家試験に受からないと、何の役にも立たないのが医学部です。
      ■         ■
 解剖学実習があります。最初は骨学(コツガク)といって、本物のヒトの骨をスケッチして、骨の構造や、骨についている筋肉、骨の穴を通る神経や血管を覚えます。
 次に、実際にご遺体を解剖して、人体の構造・機能を学びます。大学によって異なりますが、解剖体の関係もあって数ヵ月は週に何回も解剖実習です。
 怖いとか、気持ち悪いという感覚は、あっても最初だけです。覚える膨大な知識と、口頭試問による試験のために毎日勉強です。
 細い神経や血管を剖出(ボウシュツ)するのもかなり疲れる作業です。剖出とは脂肪などの中から剥がしてキレイに出すことをいいます。
 私はキレイに出すのが得意でした。時間がかかってもコツコツと解剖していました。
      ■         ■
 こうした医学部らしい授業が、早い大学で1年生から、遅い大学でも2年生には始まります。
 私の頃は、どの大学でも最初の2年間は、まるまる一般教養でしたので、この時に運転免許を取得したり、クラブ活動をしたりする時間がありました。
 現在は、国家試験の問題数も増え、専門科目がはじまる時期が早くなってきています。
 ゆっくり考える暇もなく、学生生活を送っていると、臨床実習がはじまります。
 最近の臨床実習では、OSCE(オスキー)という、模擬患者さんとの面接試験まであります。
      ■         ■
 OSCE(Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)、通称オスキーと呼ばれます。
 医学生に求められる臨床能力としては、①医療面接②身体診察③得られた情報から問題点を同定④必要な検査の選択と実施⑤検査結果の解釈⑥適切な治療計画の立案⑦インフォームド・コンセントの実施、などがあります。
 各大学でのOSCE実施状況では、医療面接、胸部診察、心音・呼吸音聴診、腹部診察、神経診察、バイタルサイン等が多く出題されています。
      ■         ■
 最初からできる学生はいません。話しをするのが苦手でも、訓練すればできるようになります。
 ただ、何のために自分は医師を選んだかが明確でない人は苦労します。
 何年も浪人して苦労して入学した学生。他大学を卒業後に一念発起して医学部を目指した学生は精神的にも強く頑張りがききます。
 以前にも書きましたが、浪人は無駄ではありません。精神力を鍛えるのは、不安に思いながらも、毎日努力する予備校時代だと思います。
 来年の栄冠を目指して、健康に気をつけて頑張っていただきたいと、心から応援しています。

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医学講座

鼻毛の白髪(シラガ)

 3月14日に鼻毛のレーザー脱毛をしてもらい、快適に過ごしていました。
 レーザーで脱毛してもらうと、毛が焦げた(コゲタ)臭いが鼻に残り、半日くらいは何を嗅いでも、毛の臭いがします。
 そのうち臭いはなくなり、鼻毛が伸びてこなくなります。
 レーザーを照射する時に冷却ガスが出るため、少しびっくりしますが、痛みは軽度で、この位で鼻毛が伸びてこないのでしたら快適です。
      ■         ■
 3月にレーザーを照射してから、しばらく快適だったのですが、夏頃から少しずつ気になるようになりました。
 私は、オッサンなので、毛が生える周期が長いのだと思います(一般的に若い人ほど早く毛が伸び、レーザーの回数も多く必要とします)。
 先日、ヒマな時間があったので、看護師に頼んで2回目の鼻毛レーザー脱毛をしました。
 前回に照射してくれたのと同じ看護師です。
      ■         ■
 何回か照射してくれた後で、
『先生、白髪(シラガ)があってレーザーが反応しません!』と言われました。
 あぁ、白髪は反応しないよねぇ~。と軽く流したものの、正直なところ『鼻毛まで白髪になって、トシだなぁ~』と思いました。
 この半年くらいの間に、『信頼の絆(キズナ)』が切れたりして、心労が重なり、めっきり白髪が増えました。
      ■         ■
 高校2年生の時に、倫理社会の先生で奥村先生という先生がいらっしゃいました。哲学者風の立派な先生でした。
 私は倫社は得意科目ではなく、カルトルもショーペンハウアーもデカントもすっかり忘れてしまいました。
 ただ一つだけ覚えているのは、奥村先生が夏休み明けの授業で、『鼻毛が白髪になってショックだった』と話されていたことです。
 当時は、鼻毛も白髪になるのかなぁ~程度にしか考えていませんでしたが、いざ自分の鼻毛が白髪になって、『レーザーが反応しません』と言われて、その奥村先生のお気持ちがよくわかりました。
 こんなことしか覚えていなくて、奥村先生ごめんなさい。
      ■         ■
 年齢を感じる時は、人によってさまざまです。私のように鼻毛の白髪で感じる人はマレだと思います。
 年齢とともに最初に来るのが視力の低下です。幸い私は裸眼で新聞も論文も読めますが、手術の時は眼鏡を取替え、ルーペや顕微鏡を使います。
 ルーペや顕微鏡は30歳台の若い頃から使っていますし、手術時の眼鏡も20歳台からです。慣れている昔のままです。
 一番年齢が出るのは、手術や仕事に対するヤル気のように思います。今となっては、12時間も24時間もかかるような手術は‘絶対’にできません。
 シワや『たるみ』は年齢を重ねてからでも取れますが、鼻毛は白髪になるとどんなレーザーでも抜けません。
 鼻毛の脱毛をお考えの方は、白髪にならないうちにお薦めします。

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札幌西高3年7組

 昨夜、高校3年生の時の仲間、男ばかり12人と担任の先生が集まり、クラス会がありました。
 高校卒業以来、35年ぶりに会った昔の仲間もいて、楽しい時間を過ごしました。例外なく、全員どうみてもオッサンでした。
 メタボリック症候群かなぁ~?と思われる体型の仲間もいました。
      ■         ■
 昨夜集まった仲間は、勉強ばかりしていたというより、西高の自由を謳歌していたような仲間です。
 現在の立場は、それぞれ社会的に重要なポジションに就いている人が多く、いろいろな話しを楽しく聞きました。
 進学した大学はさまざまで、東大・慶応・早稲田をはじめとして、有名大学へ進んで、偉くなっている仲間もたくさんいました。
 同窓会のよい所は、どんなに偉くなった仲間でも、昔のまま『おぉ!○○、お前!』と呼び合えることです。
      ■         ■
 昔の仲間と会って思うことは、『人柄、性格、声、字』は昔と変わらないなぁ…。ということです。
 昔から、何となくボ~っとしているようで、よく人の世話をしていたやつは、その才能を認められて、大会社の人事労務担当の部長になっていました。そいつはクラス委員でした。
 適材適所とはよく言ったものです。世の中はうまくできているなぁ~と思いました。
      ■         ■
 真面目で、しっかり勉強していたやつは、今も研究者として活躍していました。
 自分がした研究が、後世の役に立つように、何年先でもよいから評価されるような研究をしたいと言っていました。
 自由が好きだったやつは、会社勤めが性に合わないので、自分で事業を始めたと話していました。
 私と同じ医師になったやつは、小児の腎臓病の専門医になり、日本で一番多くの小児腎移植をしていると話してくれました。
 寮に住んでいて、毎日たくさんの悪友が部屋に集まっていたやつは、今でも人当たりが良く、地域の社会教育主事として活躍しています。
      ■         ■
 家族構成もさまざまで、大部分の友人は子供がそろそろ独立する頃でした。
 一番元気なやつは、下の子供がまだ6歳なので、子供が成人するまでは、現役でバリバリ働くと言っていました。
 昨夜感じたのは、進学した大学、就職した会社、現在の社会的地位なんていうのは、その人の幸せとは関係ないなぁ~ということでした。
 自分が幸せかどうかは、どのくらいお金持ちだとか?どんな立派な会社で偉くなっているか?とかは関係ないと思いました。
      ■         ■
 自分が好きなこととをして、それが社会の役に立って、後世に評価されるような仕事ができて、自分が満足できる。
 これが、その人が幸せかどうか?のポイントのような気がしました。
 担任だった藤枝正道先生は70歳の古希になられたそうです。道立高校の校長を定年退職された後も、専門学校の校長先生として活躍されていらっしゃいます。
 西高の時から、女生徒に圧倒的な人気があった先生です。今もロマンスグレーの素敵な先生でした。
      ■         ■
 札幌西高等学校は自由な雰囲気の学校でした。
 生徒の自主性を尊重する学校でした。昭和48年に制服が自由化され、その年に私は卒業しました。
 西高の時に、医学部を目指しましたが、まさか美容外科医になるとは夢にも思っていませんでした。
 現在の私は、好きな仕事をさせていただき、元気に働いています。何年後かにまた仲間と会ったときにも、元気に働いていたいと思います。

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昔の記憶

53歳になりました

 今日は私の53歳の誕生日です。
 2006年11月11日の日記にも書きましたが、私は昭和29年(1954年)9月8日に市立札幌病院で生まれました。当時の市立札幌病院は札幌市中央区北1条西9丁目にありました。
 母親の実家が、北1条西10丁目にあったので、市立札幌病院が選ばれたのだと思います。
      ■         ■
 当時の写真を見ると、私の祖母が初孫の私を嬉しそうに抱いているのが写っています。
 祖母は平成10年に亡くなりましたが、私のことをとてもかわいがってくれたのを、よく覚えています。
 昭和29年の札幌は、まだ舗装されていない道路が多く、石山通りと呼ばれている、西10丁目通りも未舗装の砂利道でした。
 現在もある、桜木モータースという自動車修理工場の裏に、祖母が住んでいた2軒続きの貸家がありました。
      ■         ■
 今からは想像できないと思いますが、札幌市内にも馬が1000頭もいて、馬車を引っ張り働いていました。
 私が子供の頃は、春先に、乾燥した馬糞が風に乗って舞う、「馬糞風(ばふんかぜ)」が当時の市民の悩みでした。
 馬のしっぽの下に受ふん装置の装着を義務付ける条例が1954年に制定されています。のどかな時代に思えますが、馬糞の臭いは強烈でした。今でも、札幌競馬場厩舎の側を通ると、風向きによって馬糞の臭いがします。
      ■         ■
 子供の頃の私は丈夫な方ではなく、よく病気をしていたようです。
 母乳もあまり飲まなく、苦労して育てた様子がアルバムから伺えます。
 父親は、現在の札幌市手稲区金山にあった三菱砿業の結核療養所に勤務する薬剤師でした。
 当時の手稲は札幌郡手稲町と言い、現在の手稲本町に役場がありました。
 手稲金山には金を掘る鉱山があったそうですが、私が子供の頃にはすでに閉山していました。
      ■         ■
 鉱山の遺産として、ずり山があり、そこへ行くと光った石がありました。父親にその光った石をとってもらったのを、宝物のようにしていた記憶があります。
 現在、札樽(サッソン)自動車道、金山パーキングがある付近に私の家がありました。
 裏の山に登ると、石狩湾がキレイに見えて、遠くには増毛連邦が見えます。
 休日に裏山へ連れて行ってもらうのが好きでした。ですから私は今でも、山や高いところから景色を眺めるのが好きです。
      ■         ■
 私の両親は、53年後に自分の子供が医師になって、美容外科を開業しているとは夢にも思っていなかったと思います。
 私自身も、子供の頃に美容外科医になろうとは考えもしませんでした。
 ただ、子供の頃に見たものや、育った環境は、私の生き方に影響を与えたと思います。手稲の緑豊かで、海が見える山の近くに住んでいたので、自然が好きになっただと思います。
      ■         ■
 日本の美容外科では、70歳になっても現役で働いていらっしゃる先生もいらっしゃいます。
 私は、自分の定年を65歳くらいかなぁ…?と考えています。65歳だと、あと12年です。
 この一年は、私にとってとても辛い一年でした。人生、いつどんなことが起こるかわかりません。
 自分の寿命があと何年あるか?わかりませんが、少しでも世のため人のためになることをしたいと考えています。

祖母に産湯に入れてもらっている私です
53年前はタライでした

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医療問題

出産費用未払い

 2007年9月7日の北海道新聞朝刊の記事です。
      ■         ■
 奈良、札幌の受け入れ拒否 「受診しない妊婦にも責任」
 出産費用未払い背景
 奈良県や札幌で、救急搬送された妊婦の受け入れを医療機関が相次いで断った問題で、拒否された患者全員が出産まで一度も産科を受診してなかったことから、産婦人科医の間で批判の声が上がっている。背景には札幌市内だけで年間1000万円を超す出産費用の未払いがあり、救急態勢の改善だけで問題は解決しない。
 「病院や役所ばかり責められるけど、妊娠6カ月まで医者に行かない妊婦がそもそも悪い」
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 札幌市内の総合病院の産婦人科で働く40代の男性医師は、奈良の女性の自己責任を問う。奈良の女性も、札幌で5回以上受け入れを断られた女性5人も、全員に産科の受診歴が無かった。
 「妊娠したかなと思ってから出産まで約280日。その間、一度も受診しないというのは確信犯ですよ」。札幌市産婦人科医会の遠藤一行会長も語気を強めた。
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 通常の患者は妊娠の兆候に気づいた時点で産科にかかる。容体が急変しても、119番通報すれば、かかりつけ医に運ばれる。国民健康保険なら一人35万円の出産育児一時金も支給される。
 遠藤医師が「確信犯」と嘆く患者の大半は国保の保険料が未納、または無保険者という。保険料未納なら、失業や災害など特別な事情がない限り一時金は差し止められる。保険を使えないので妊娠しても産科にかからず、陣痛が始まってから119番通報する。
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 「救急車に乗れば必ずどこかの病院に行けますから。無事産んだら、退院する段になってお金がない、と。ひどい場合は子供を置いて失踪(しっそう)する。病院はやってられませんよ」。遠藤医師は嘆く。
 同医会の調査によると、2006年度に、救急指定を受けた札幌市内の14医療機関だけで、出産費用の未払いは26件、総額1000万円を超す。同医会理事で市立札幌病院の晴山仁志産婦人科部長は「予想より多い数字」と驚いた。
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 医療機関からみると、かかりつけ医がおらず、救急搬送される妊婦は、未熟児などの危険性が不明でリスクが高い上、出産費不払いになる可能性も高く、受け入れを断る病院が出てくる。
 ただ、産科にかからない妊婦を責めるだけでは、子どもの生命は守れない。胆振管内で産婦人科を開業する60代の男性医師は「産科に行かない妊婦にはそれぞれ事情がある。救急態勢以外に、母親側の背景を検討して対策を講じないと、問題は繰り返される」と訴えている。
 (北海道新聞2007年9月7日朝刊の記事より引用)
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 9月4日の日記に書いた、『産み逃げ』はまだあったようです。
 事情はあると思いますが、私が聞いた産婦人科の先生のお話では、『お父さんが誰?』か見当もつかない妊婦さんがいるそうです。
 性の解放で、誰とでも簡単に関係を持ってしまう女性が増えています。
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 そもそも、妊娠・出産は、悪阻(ツワリ)があったり、行動が制限されたり、産む女性にとってはあまり快適なものではないはずです。
 そのため、神様は動物には‘発情期’といサイクルをつくり、人間には‘性の快楽’という悦びをお与えになったのです。
 あまり快楽だけを追求すると困るので、コロンブスの昔から梅毒などの性感染症をお作りになったのも神様です。
 ‘種の保存’というのは自然界に必要欠くべからざるものです。
 医学が発達したからといっても、自然の前には医学も無力です。
 自分の体は自分で守るしかありません。臨月になって陣痛がはじまってから119番をしても、誰も助けてくれなくなります。

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医療問題

産科医逮捕のショック

 福島県大熊町の県立大野病院事件の続きです。
 この事件の特殊性は医師が逮捕された点でした。検察は証拠隠滅の恐れがあるからと、逮捕に踏み切りましたが、医療関係者からは多くの抗議がありました。
 下は2006年3月11日の読売新聞福島版の記事です。
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 医療関係者「手術ができなくなる」 検察側「胎盤無理にはがした」
 「地域医療を守る努力を重ねてきた加藤医師の尊厳を踏みにじる異例の事態」――。いわき市医師会の石井正三会長は2006年3月8日、相馬郡、双葉郡医師会長とともにいわき市内で会見を開き、3医師会の連名で逮捕に抗議する声明を読み上げた。県内の医師約1500人で構成される「県保険医協会」(伊藤弦(ゆずる)理事長)も県警に「(逃亡や証拠隠滅の恐れがなく)逮捕は人権を無視した不当なもの」とする異例の抗議文を送付した。
 県立大野病院で唯一の産婦人科医として年間約200件のお産を扱ってきた加藤容疑者の逮捕後、福島県内外の医師や関係団体が次々と反発する声を上げている。
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 神奈川県産科婦人科医会は「暴挙に対して強く抗議する」との声明を出し、産婦人科医を中心に県内外の医師19人が発起人となった「加藤医師を支援するグループ」は10日現在、全国の医師約800人の賛同を得て、逮捕に抗議するとともに募金活動を行っている。
 こうした医師らの反応の背景には、医師不足による産婦人科医1人体制や緊急時の血液確保に時間を要する環境など、事故の要因として医師個人だけの責任に帰すべきではないと考えられる問題が指摘されている事情がある。
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 また、子宮と胎盤が癒着する今回の症例は2万人に1人程度とされ、治療の難易度も高いことも「下手すると捕まると思うと、手術ができなくなる」(浜通りの産婦人科医)との心情を引き起こしているようだ。
 一方、事故調査委員会が「癒着胎盤の無理なはく離」を事故の要因の一つとし、医療ミスと認定しているのは明白な事実。「医療事故情報センター」(名古屋市)理事長の柴田義朗弁護士は「あまり情報がないまま、医者の逮捕はけしからんという意識に基づく行動という気はする」と指摘する。
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 片岡康夫・福島地検次席検事は2006年3月10日、逮捕や起訴の理由について説明し、「はがせない胎盤を無理にはがして大量出血した」とした上で、「いちかばちかでやってもらっては困る。加藤医師の判断ミス」と明言。手術前の準備についても「大量出血した場合の(血液の)準備もなされていなかった」と指摘した。
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 加藤容疑者の弁護人によると、加藤容疑者は調べに対して「最善を尽くした」と供述し、自己の過失について否認している。公判では、過失の有無について弁護士8人による弁護団と捜査当局の主張が真っ向から対立すると見られる。判決の内容次第では、医師の産婦人科離れに拍車がかかる可能性もはらんでおり、全国の医療関係者がその行方を見守っている。
 (読売新聞福島版2006年3月11日の記事より引用)
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 この事件は現在、裁判が行われています。裁判の公判傍聴記録がネットで公開されています。
 私は、被告の加藤克彦先生は100%無罪になると確信しています。もし、私が亡くなった妊婦さんの身内だったとしても、訴えたりしません。
 私は加藤先生とまったく面識もなく、ただ同じ医師という同業者だけの関係です。
 私は今まで四半世紀以上を500床以上の総合病院で働いてきました。どんなに万全の準備をして手術に臨んでも不測の事故は起こります。
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 この事件で、検察側は癒着で胎盤が剥がれなかった時点で、子宮摘出に踏み切らなかったことを‘過失致死’の原因として挙げています。
 子宮を摘出したら、二度と子供は産めなくなります。死ぬよりはマシですが、産婦人科医としてはできるだけ子宮を残したいと全力を尽くします。
 形成外科で出血多量で死ぬ手術は極めてマレですが、私が北大形成外科にいた時に1万㏄の輸血を準備して手術に臨んだことがありました。
 新聞社や放送局に取材していただき、新米医師の私は血液センターへ行って採血のお手伝いをしました。
 幸い手術は成功しましたが、大量の新鮮血を準備することはとても大変でした。
 もし検察側が勝訴すると、日本で癒着胎盤の妊婦さんは‘最悪の場合は子宮を摘出することに同意します’と念書をいただかないと手術をしてもらえなくなります。

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