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生態系からとらえた企業戦略

 今日は北海学園大学経営学部・大学院経営学研究科 ニトリ講座寄附講座、2007年度・後期講座の最終回へ行ってきました。
 今日の講師は、株式会社アレフの庄司昭夫社長でした。テーマは生態系からとらえた企業戦略
 株式会社アレフはビックリドンキーで有名な企業です。
 庄司社長は、環境問題に早くから取り組んでいらっしゃいました。
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 レストランで発生する生ゴミのリサイクル。
 雨水を貯水タンクを設置して、トイレの流し水に使用。
 ソーラーパネルや廃油ボイラーなどを早くから導入。
 企業として環境問題に積極的に取り組んでいます。
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 アレフは食材の生産から消費までの流れの中で、安全・安心へ取り組んでいます。
 その取り組みが、自然環境の保全に役立ち環境を守ります。
 人間の食物は、太陽・大地・空気・水がつくりだした自然の恵みです。
 自然を大切にする環境への取り組みは、人間の生命・健康に直結します。
      ■         ■
 アレフの2006年度、環境報告書から、
 水資源の枯渇と生態系に及ぼす影響、環境問題についてご紹介します。
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●水資源の枯渇
 トウモロコシ1㎏を生産するのに、約1100㎏の水が必要とされます。
 そのためアメリカの穀倉地帯といわれるコロラドやカンサスなどでは、以前から川の水枯れや地下水の枯渇が問題になっていました。
 トウモロコシの増産は、この傾向にさらに拍車をかける心配があります。
 2000年時点で地球上の約5億人の人ぴとが慢性的な水の不足に悩まされています。
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●生態系に及ぼす影響
 単一作物による大規模な農業は、それだけで生態系のバランスを崩す怖れがあります。
 しかも、栽培されるのは、環境リスクの点でも疑問の多い遺伝子組み換えトウモロコシです。
 トウモロコシ畑をつくるために、また中南米の森林が伐採されれば、森林のもつCO2を吸収し、酸素をつくりだす機能が損われます。
 もちろん、森林に生きるさまざまな生きものも、その場所を失います。
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●不足する食糧とエネルギー
 現在、世界で約8億5000万人の人ぴとが飢えや栄養不足に悩んでいます。
 毎日2万人以上の子供たちが、栄養不良やそれに関連する病気などで死んでいます。  世界の穀物生産量は2000年に消費量を下回り、年とともにその差が開いています。
 食糧となりうるトウモロコシをエネルギーに変えなければならない必然性にも疑問が湧きます。
      ■         ■
●環境問題の現れ方と本質
 環境問題には3つの特徴があります。
 ①長い時間をかけて進行し、結果として広範囲で多様な被害を生じさせる
 ②個々の問題が環境や経済を通して繋がっていて“で問題群”をかたちづくっている
 ③因果関係がまだ科学的に解明されていない問題が多い
 これらが環境問題を難しく、複雑にしています。
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 しかし地球は―つしかなく、その資源や自然の機能にも限りがあるという事実は変わりません。
 すべての経済活動も、突き詰めれば、地球の一部を加工したり、その機能を利用したりして人間の暮らしに役立てていることになります。
 たとえぱ森林の二酸化炭素を吸収し、酸素をつくりだすという働きを人工的に行うとして、その費用はいくらになるのでしょう。
 このような考え方で地球上のすべての価値を金額に検算するすることができます。
 この、地球の価値は、この先減ることはあっても決して増えることはありません。
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 農業の時代、一人あたりの1日のエネルギー消費量は釣1万2000kcal程度でした。
 しかし産業革命を節目にして、いまでは25万kcalにまで増えています。
 このままでは、地球も人間の社会も近い将来に破綻してしまうことは明らかです。
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 環境問題への取り組みには、つねに難しさがつきまといます。
 しかし、大きくて複雑な問題への取り組みこそ、私たちの生き方や社会、そして文明を前進させるチャンスだと思います。
 さまざまな試行錯誤や模索を怖れず、勉強を重ねながら、取り組んでいきたいと考えています。
 (以上、㈱アレフ2006年度環境報告書より引用)
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 今年の日本をあらわす漢字は『偽』だそうです。
 これほど食品の偽装が問題になった年はありませんでした。
 今日のお昼は家内とびっくりドンキーへ行きました。
 日替わりランチが一人\617で、二人で1,234円でした。美味しいお味噌汁がたっぷりついていました。
 今日の日替わりランチにも、新鮮な野菜とハンバーグがついていて、ご飯もとても美味しかったです。
      ■         ■
 自然を大切にして、自然と共存して、安全・安心して食べられる食材を入手する。
 企業が儲かるとか、売上がいくらではなく、いかに社会に貢献できるか、地球に優しいかで企業価値が決まる。
 これが64歳になられる庄司社長からのメッセージでした。
 庄司社長も小学生の時は成績が悪く、いつもビリかビリから2番目だったそうです。
 ビリを争ったのがミノル君だったとお話しされました。
 この他にも中国の仙人のお話しとか、陰と陽のお話しなどためになるお話しがたくさんありました。
 私たちも限りある地球の資源を大切にして、毎日生活したいものだと考えました。

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医療問題

診療情報管理士

 平成19年12月11日(火)朝日新聞朝刊の投稿-私の視点-からの引用です。
 ◆カルテ 長期保存支える体制整備を
 診療情報管理士 枝光 尚美(エダミツ ナオミ)
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 山口普史氏の「カルテ長期保存し診療に生かせ」 (11月2日付本欄)を興味深く読ませていただいた。
 そのなかで山口氏はカルテなどの診療録が廃棄される背景として、医療紛争の増加に伴い診療録が裁判に使われる心配があるためと指摘されていたが、私の意見は少し違う。
      ■         ■
 医療機関が診療録を廃棄しているのは、来院しない患者の診療録を管理するために膨大な費用が必要で、保管場所の確保が困難なこと、法的にも長期保存が求められていないことが主な理由であると考える。
      ■         ■
 私が勤務する大阪府内の医療機関の医師は、自分たちの行った先進的な医療には数十年後にならないと評価できない場合があり、その評価を終えるまで診療録の廃棄はあってはならない、という。
      ■         ■
 実際に、薬害エイズやC型肝炎の原因となった血液製剤使用の確認では、医師法で保存が義務付けられている5年間を過ぎた問い合わせが相次いだ。
 その際、多くの医療機関で診療録が廃棄されていたために使用の有無の確認ができない事例が発生した。
 過去の診療録は、山口氏が述べておられるとおり、患者さん個人だけでなく国民の財産であることは明白である。
      ■         ■
 私の勤務先では、開院以来26年間すべての診療録が保存されている。開院後18年目に保管庫の確保が困難となったため、過去の記録の廃棄を検討したが、診療録の長期保存は、患者さんはもとより日本の医療の質向上のために不可欠であると判断し、スキャナーで読み取りデジタル化して保存するようになった。
      ■         ■
 しかし、このように長期保存をしても、診療報酬上の評価はほとんどない。いまの診療報酬制度では、診療情報を適切に管理している施設に対し、1入院につき30点(300円)の加算が認められているのみ。診療録は各医療機関の使命感によりかろうじて残されているのが現状だ。
      ■         ■
 私は今年6月、韓国の先進的な病院を訪問する機会があった。そこでは1958年の開院以来、過去の入院診療録約100万件をすべてデジタル化して保存しており、診療録管理室には約50人のスタッフが配属されていた。
 日本の医療機関でもここ数年、診療情報管理の必要性についての認識は高まっているものの、配置されている診療情録管理士は、まだまだ少ない。
      ■         ■
 診療情報管理士は一般には知られていない職種だが、1972年から養成が始まり、これまでに約1万4千人が誕生している。
 診療録を点検して記載の不備があれば医師や看護師に要請して、きちんと完成してもらうとともに、診療が終わると迅速に回収し、保管・管理にあたるのが仕事だ。
 貴重な臨床経過であっても、記録が不完全であれば、たとえ長期間保存しても将来、患者さんや医療の質向上には利用できない。
      ■         ■
 これら貴重な診療情報を社会に還元させるためには、長期保存を支える診療報酬上の評価を行うとともに、適切な診療録を作成できるような体制を整備するため、医療機関への診療情報管理士配置を義務付けることが望まれる。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私が今までに勤務した病院の中で、一番診療録(カルテ)の管理がしっかりしていたのが、労災病院でした。
 当時の労災病院は、労働福祉事業団という労働省の外郭団体が経営していました。
 北海道の労災病院は、岩見沢、美唄、釧路と産炭地に建設されました。
 産炭地では、珪肺症(ケイハイ)など、長期にわたって治療や経過観察が必要な疾患があります。
 労災では、必ず補償が絡むため、診療録の長期保存は必須です。
      ■         ■
 労災病院には、ベテランの診療情報管理士がいらっしゃいました。
 恥ずかしい話しですが、医学生はあまりカルテの記載方法について学びません。医師国家試験にも出題されません。
 偉い先生が書かれたカルテでも、ミミズが這ったような字で、何が書いてあるかさっぱり解読不可能なものもありました。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、私が医師になった頃の最初の仕事は、カルテに検査伝票を貼る、‘紙貼り’という単調な仕事でした。
 糊のつけ方が悪いと、カルテがくっついてしまいます。貼り方が悪くて先輩によく叱られたものです。
 内科では、患者さんが退院する時に、サマリーというまとめを書きました。これが結構厄介で、レポートとしてまとめるのが学生の勉強の一つでした。
      ■         ■
 労災病院では、カルテがしっかり書かれていないと、診療情報管理士(当時はカルテ室と呼んでいました)からお呼びがかかり注意を受けました。
 医師といえども、注意されたらしっかり書かなくてはなりません。注意していただいたおかげで勉強になりました。
 私どもの診療所を含めて、これからの時代は電子カルテだと思います。電子化なくしては、カルテの長期保存は不可能です。
      ■         ■
 電子カルテと診療報酬請求書(いわゆるレセプト)をドッキングさせたシステムが必要です。
 できればフォーマットを決めて、医療機関同士がお互いにファイルを交換できるようなシステムが望ましいと思います。
 こういう仕事は国が率先してして欲しいのですが、日本の厚生労働省では無理なようです。

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医療問題

医療クラーク

 平成19年12月10日(月)朝日新聞夕刊のコラム-窓 論説委員室から-の引用です。
 医療クラーク
 論説委員 梶本 章
      ■         ■
 医師にかわって、診療や患者への説明の記録といった書類を下書きする「医療クラーク」を導入してはどうか―。
 診療報酬の改定を議論している中央社会保険医療協議会で、厚生労働省がこんな方針を示している。
      ■         ■
 医療費の抑制に大なたをふるう同省にしては、珍しく、新たな費用を伴う提案だ。
 そのねらいは、病院からの医師離れ対策。
 猫の手も借りたいくらい忙しい勤務医の負担を少しでも軽くし、病院にとどまってもらおうというのだ。
      ■         ■
 たしかに医師の書く書類は多い。
 知人の勤務医は「毎日2時間くらい、診察が終わったあと、夜なべしていろいろな書類を書いている」という。
 医師が患者に診療内容をきちんと説明して同意を求める。
 このインフォームド・コンセントの導入が、書類を増やした大きな原因だ。
 この制度自体は当然のものだが、書類書きが医師の負担となっているのも否めない。
      ■         ■
 すでに、自腹を切って医療クラークを採用する病院は出始めている。
 「予算をやりくりして35人分の人件費をひねり出してます。
 きちんと保険制度の中で負担してもらえればありがたい」
 3年前から導入した東大病院の前院長、永井良三さんはそう語る。
      ■         ■
 医師には、専門分野でこそ思う存分、腕をふるってもらいたい。
 この小さな試みがどこまでのびるのか、注目していきたい。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 まったく同感です。大病院では、病棟の看護師を増やすと収入増になりますが、外来の看護師を増やしても収入増になりません。
 医師は外来で、朝から夕方まで、昼食も食べずに悪戦苦闘の毎日です。
 電子カルテになった病院では、PCに入力するのもすべて医師の仕事。
 音声入力システムがあればよいのに…と思ったことは何度もありました。
 システム障害が発生して、外来の端末から入力できなくなるとすべてパーです。
      ■         ■
 お薬を処方して処方箋を渡し、次回受診日の予約をとって、『はい、次の方どうぞ!』まで自分でしなくてはいけませんでした。
 一人にとってある予約時間は、平均10分から15分。ちょっと説明に手間取る方が出てきて、丁寧に30分も説明すると、途端に次の方の待ち時間が増えます。
      ■         ■
 お昼近くに予約になっていた方は、平均1時間待ちになり、『何のための予約診療?』と患者様からお叱りを受けます。
 医療クラークさんが、PCの入力や予約をしていただけるだけでも、病院勤務の医師はかなり楽になると思います。
 よい制度は一日も早く実行していただきたいものです。

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医療問題

看護基準

 病棟に勤務する看護師さんの数によって、病院のランク付けがされています。
 患者さん一人当たりに対して、看護師さんの数が多いほど‘良い病院’と判断されます。
 厚生労働省が決めた看護基準です。
 2006年3月6日に出された、厚生労働省告示第93号(基本診療料の施設基準等)で国の基準が変わりました。
      ■         ■
 7対1入院基本料の施設基準というのが、国が決めた新しいルールです。
 ‘良い病院’にはご褒美として、たくさんお金が配分されます。
 診療報酬という病院の生命線ともいえる収入が、看護師の数によって決まります。
      ■         ■
 病院はホテルと同じで、患者さん一人当たり、一日いくらで入院費が支払われます。
 ホテルは☆の数で、ランクや料金が決まるそうですが、病院はいくら豪華に作っても料金は値上げできません。
 同じ病院の建物・設備でも看護師の数を増やすと、一日の入院費を増やしますというのが、厚生労働省が決めた方針です。
      ■         ■
 簡単に説明すると、看護師の数を増やすと、一日12,090円だった入院費が、15,550円に増えます。(一人当たり3,460円の増収になります)。
 病棟単位で計算するので、病棟の入院患者が50人だったとすると、一年で、
 3,460円×50人×365日=63,145,000円の増収になります。
      ■         ■
 看護師さんの人件費が増える分を差し引いても、病院は十分に‘儲かります’。
 これで、大学病院や公立病院も、なりふり構わず看護師を大量に募集しました。
 その結果、大病院に看護師が集まり、民間の中小病院や私たちのような診療所は看護師不足になりました。
 ある先生が、昨年から看護師を募集しても一人も応募がなかったと話されていました。
 当院はまだ応募者があるので、ありがたいと思っています。
      ■         ■
 ある大病院では、病棟の看護師が20人から30人に増えたそうです。
 しかし、その増えた10人が全員新人看護師。
 一番人件費が安いのが、卒業したての‘新人看護師’です。
 専門学校を卒業した看護師も大卒の看護師も、卒業したてでは何もできません。
      ■         ■
 医師も看護師も、現行法の下では、免許証を取得するまでは針一本刺せません。
 新人看護師は1~2週間の研修期間に針を刺す‘特訓’を受けます。
 静脈内留置針という点滴の針は、もっと難しいので、ベテランに付き添われて刺します。
      ■         ■
 4月~6月くらいまで、大病院へ入院すると、新人看護師の練習台になることを覚悟する必要があります。
 30人中10人が新人となった病棟は、当然、最初は看護の質が低下します。
 夜勤ができるようになるまで、最低数ヵ月。リーダーとして、チームをまとめられるようになるには最低一年近くかかります。
      ■         ■
 30人中10人が‘新人看護師’でも、国が決めた看護基準は満たされています。
 人件費が安く、収入が増えるので、その病院は潤います。
 これが、厚生労働省が決めた‘医療制度改革’です。
 だから私は厚生労働省が嫌いです。
      ■         ■
 保険診療をしていると、医療保険制度の矛盾を身にしみて感じることがあります。
 国民は、年金問題で相当頭に来て、選挙で自民党が大敗しました。
 医療は、国民が健康で文化的な生活を営むためになくてはならない制度です。
 厚生労働省は、もう少し国民のためになる政策を立案し実行して欲しいものです。

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老舗の信用と「茶の心」

 平成19年12月9日(日)朝日新聞朝刊のコラム-補助線-からの引用です。
 船場吉兆を読み解く
 老舗(シニセ)の信用と「茶の心」
 編集委員 多賀谷克彦
      ■         ■
 大阪のビジネス街にある湯木美術館が11月、開館20周年を迎えた。
 日本料理店「吉兆」の創業者、故湯本貞一氏(1901~97年)が集めた茶道具を展示している。
 春、秋の一時期しか公開せず、今回は今日9日まで20周年の記念名品展が聞かれている。
      ■         ■
 湯木氏が大阪・新町の間□1間2分5厘(約1.8㍍)の店を、日本を代表する料理店に成長させたのは、この茶道への造詣が大きい。
 料理に四季を織り込み、創意工夫を重ねた。
 阪急電鉄の小林一三氏、電力の松永安左工門氏ら茶道を通じた財界の重鎮との親交も評価を高めた。
      ■         ■
 貞一氏の四女の娘婿、神戸吉兆の湯木喜和氏は貞一氏が店に来た時の緊張感が忘れられない。
 皿を出すと「もう1回つくってきて」。
 お造りを出すと「まな板と包丁持ってきて」。
 出来が悪かったときの口癖だ。
 座敷の生け花がおかしいと「はさみと新聞紙を持ってきて」と生け直し、茶道と同じくもてなしの心を示してみせた。
      ■         ■
 「料理屋とできものは大きいなったらつぶれる」
 「料理屋と屏風は広げすぎたら倒れる」
 喜和氏は、貞一氏からよく聞かされた。
      ■         ■
 フランス料理の辻静雄氏との対談をまとめた「吉兆料理花伝」では、
「質素から出た仕事じゃないといけません。華美に流れるともう上に花が無くなります」
 と料理人の心得を語っている。
      ■         ■
 5人の子どもたちの中では、船場吉兆を継いだ三女の娘婿が貞一氏と近く、よく教えを請う間柄だったという。
 その船場吉兆が、百貨店のテナントとして、菓子の賞味期限、消費期限を偽装したり、牛肉の産地を偽ったりする不祥事を起こした。
      ■         ■
 バブル後の本業不振から、総菜の販売を始めた料理店は多い。とくに、年末年始の外出を控えた「2000年問題」を機に、料亭のおせちを百貨店などでそろえる需要が高まった。
 座敷の上得意だった関西の金融業、製薬業の再編が進み、本社機能も東京に移った。
 だが、その場で料理を出す商売と持ち帰り総菜のビジネスモデルは大きく異なる。
 そこに先代がこだわった「茶の心」はあったか。
      ■         ■
 青山学院大学院の八田進二教授(会計監査論)は、内部統制に問題が生じやすい企業に、創案者の強い指導力で急成長した企業と、外部の目が入りにくい老舗を挙げる。
 食品に絡む不祥事を起こした「白い恋人」の石屋製菓、赤福、船場吉兆は、いずれも、これに当てはまる。
 貞一氏の孫、京都吉兆の徳岡邦夫氏は「ベールに包まれ、なんとなく金持ちが行く料理屋では生き残れない」と語る。老舗の信用は、歴史とのれんだけでなく、透明さが必要な時代になっている。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 美容外科も、「大きいなったらつぶれる」業種の一つかもしれません。
 大量生産はできません。下請けにも出せません。
 私は茶道はわかりません。ただ、料理と同じで、手術も一つひとつ手作りです。
      ■         ■
 美味しい料理を作って、お客さんに喜んでいただくと、また美味しい料理を作る元気が出ます。
 「茶の心」で料理を作り、お客様をもてなす。
 自分の技術で、喜んでいただき、自分もお客さんも満足できる‘医療’が提供できて、はじめて医師としての満足感が達成できます。

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医療問題

フィブリン糊とC型肝炎

 フィブリン糊を使用した患者様が、C型肝炎になったと新聞で報道されています。
 私も、市立札幌病院に勤務していた時にフィブリン糊を使用しました。
      ■         ■
 私が使用した製品は、日本臓器製薬という会社が、オーストリアのイムノ社から輸入した製品でした。製品名はティシールです。
 昭和63年1月20日に承認され、私が使用した段階で、2年以上経過し、有害事象は報告されていませんでした。
 当時はHIVについての認識がありました。この製剤は加熱処理による不活化で安全だと認められていました。
 もちろん、C型肝炎になることは‘絶対に’考えられませんでした。
      ■         ■
 私がこの製剤を使用したのは、重症の外傷で神経断裂があった方でした。
 日本マイクロサージャリー学会の学術講習会で、信州大学の先生がティシールを使用すると神経が回復する率が高いと教えてくださいました。
 神経は生体組織ですが、顕微鏡でみると電気の線のような構造をしています。
      ■         ■
 神経が断裂すると、あたかも電気器具の線が切れたように、細い繊維がたくさん束になっている様子がわかります。
 一本いっぽんを、細かく縫合できない時に、大まかに神経線維を引き寄せておき、フィブリン糊で周囲を固める方法を教わりました。
 実際にこの方法で、断裂した神経を修復すると、それまでより回復が早く認められました。
      ■         ■
 細い電線の束を繋いで、周囲にアロンアルファーのような糊をつけます。
 そうすると、ただ単に電線を繋ぐよりも確実に電流が流れます。
 私が手術をした方も、フィブリン糊を使用するようになって、手術成績が向上しました。
      ■         ■
 今回、問題になっているのは、旧ミドリ十字が販売した分だと推測します。
 私が、使用した製品とは別です。
 ただ、絶対に大丈夫か?と問われると、確信は持てません。
 できれば、血液検査で肝機能とC型肝炎ウイルスのチェックをするべきです。
      ■         ■
 ところが、その当時のカルテがあるかどうかわかりません。
 医療法で定められた保存期間は5年間です。
 市立札幌病院の倉庫へ行って調べると、手掛りがあるかもしれませんが、既に焼却されていればアウトです。
 また、私は現在、市立札幌病院の職員ではありませんから、自分で調べる訳にも参りません。
      ■         ■
 個人情報保護の観点から、私の手元には患者様のリストはありません。
 製薬会社には、何年何月にどこの病院へ納入したという記録があります。ただ、15年以上も前ですと???です。
 やはり、最後は国の責任で調べるべきです。
 認可したのは国。私たち医師も患者も、肝機能障害になるとわかっていれば、危険な薬は使いませんでした。

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ミシュランと焼き芋

 平成19年12月7日(木)朝日新聞朝刊への投稿-ひととき-からです。
 ミシュランと焼き芋
      ■         ■
 夫がさっそくミシュランガイド東京版を買ってきた。
 せっかく東京に住んでいるんだから三ツ星レストランに行かない手はないと言う。
 1回は行ってみたいねと相づちをうちながら、フランスの古城にいるような雰囲気というレストランの写真に見入った。
      ■         ■
 この豪華なシャンデリアの下で、メタボな夫としばらく美容院もごぶさたな私と、緊張しいの娘とキレやすい息子がフレンチを食べる?
 お父さんはおならで退場かも?
 粗相があったら飛んで行けるよう、お店の人がすぐ後ろで見張っているんじゃない、と皆で大笑い。
      ■         ■
 ページをぱらぱらめくると8万円という数字が目に入った。
 1人1食分の金額だ。うちの1ヵ月の食費より多いじゃない。
 だれがこういう店に行くのかねえ、どうすれば8万円なんて数字が出てくるんだろう、と侃々諤々(カンカンガクガク)。
      ■         ■
 なんだか腹がたって夕食のカレーをしゃにむに食べた。
 実家から送ってきた大きいジャガイモや、生協から届いた素性の確かそうな豚小間を使った小細工なしのカレーだ。
 「おいしかった。ごちそうさま」と娘が席を立った。
      ■         ■
 早食いの夫はとっくにカレーを食べ終わり、ちょっとだけと言って焼き芋をほおばっている。
 「ミシュラン片手に焼き芋か」と夫がため息まじりにつぶやいたので、ふきだしてしまった。
 (東京都板橋区 パート 51歳)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私は美食家ではありません。今日の夕食はアジの干物でした。
 私は和食が好きで、油が多い食べ物はどちらかというと苦手です。
 今日のアジはとても美味しくいただきました。
 8万円のレストランは行ったことがありませんし、行く気もありません。
      ■         ■
 ミシュランの三ツ星は、東京で外国人を接待するのに良いレストランだという評判を聞いたことがあります。
 私の贅沢は、鮓佐というおすし屋さんへたまに行って、ご主人とお話しをしながら、美味しいお鮨をいただくことです。
 フレンチも嫌いではありませんが、一人一万円でも‘高い’と思います。
 私は貧乏舌なのかもしれません。大学生協の食堂でも十分に美味しいと思います。ミシュランのお店には行けません。

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マスコミからの取材

日記をつけてよかったなぁ~と思うことの一つにマスコミからの取材があります。
 拙い(ツタナイ)日記でも、毎日書いてUPしていると、マスコミ関係の方の目に留まることがあります。
 営業目的ではない、読者に正しい情報を伝えるために取材を受けると嬉しくなります。
      ■         ■
 平成19年6月9日に書いた、加湿器によるヤケドは、私がマスコミに直接訴えたはじめてのケースでした。
 毎年、この時期になり、電気店で加湿器が販売されるようになると、当時のことを思い出します。
 スチーム式加湿器や炊飯器から出る水蒸気は危険です。
 まさかと思いますが、ヤケドで指が曲がってしまい手術が必要になります。
      ■         ■
 私は、帯広厚生病院形成外科に在職中に、この加湿器によるヤケドを発表しました。
 医師は、学会発表をすると、その発表を論文として投稿し学会誌に掲載されます。
 ところが、学会誌は専門誌のため、書店では販売されず、学会員と大学図書館程度にしか頒布されません。
 いくら学会誌に、『スチーム式加湿器は危険です』と論文を書いたところで、国民の目にはとまりません。
 スチーム式加湿器によるヤケドは、学会誌には論文を書きませんでした。
      ■         ■
 札幌医大に赴任してからも、スチーム式加湿器でヤケドをして、指が曲がってしまった子の手術をしました。
 その子のおばあちゃんが、
 『本当に子供に悪いことをしました』
 『私は、加湿器から出る湯気で子供がヤケドをして、指が曲がってしまうなんて、考えもしませんでした』
 といわれたので、これは何とかしないとダメだと考えました。
      ■         ■
 東京で行われた、日本熱傷学会で発表しました。
 学会の取材にマスコミの方が来ることもありますが、世界的な大発見でもない限り新聞で取り上げてはくれません。
 私は学会へ出発する前日に、各新聞社のHPからアドレスを探し、こんな発表をするので取材してくださいとメールを出しました。
 一番早く取材にいらしていただいたのが読売新聞社でした。
 私は学会場のホテルで取材を受け、資料を読売の記者さんにお渡ししました。
      ■         ■
 最初の記事は、私が発表した日の夕刊(全国版)に掲載されました。
 その後、朝日新聞が日曜版の記事として取り上げてくれました。
 朝日の記事を読んでくださった、国民生活センターの方が調査をしてくださいました。
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 国民生活センターで取り上げてくれて、スチーム式加湿器の危険性を啓蒙(ケイモウ)してくれました。
 その結果増えたのが、ハイブリッド式加湿器と気化式加湿器です。
 気化式加湿器でしたら、熱くなることもなく、小さな子供さんがいらしても安全です。
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 昨日は醜形恐怖症についての取材を受けました。
 醜形恐怖症は、北海道大学精神神経学講座の小山教授から直接お電話をいただき、当院としても積極的に取り組むことにした経緯があります。
 私が醜形恐怖症に取り組むのは、7月24日に書いた、一人の若者の死のためです。
 私が手術をしたのではありませんが、医師として自分がかかわった人が亡くなってしまうのは残念で、一番心に残るからです。

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夕張市立鹿島中学校

 平成18年11月8日の日記に書いたように、私は夕張市立鹿島中学校を昭和45年3月に卒業しました。
 卒業時のクラスは、3年A組でした。担任は渡辺熈(ワタナベヒロシ)先生、担当は社会科でした。
 当時の夕張市は、まだ炭鉱が栄えており、商店街も、街自体も繁栄していました。
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 私が住んでいた大夕張(オオユウバリ)は、夕張市役所があった、夕張本町から、バスで約1時間弱、山奥へ入ったところにありました。
 夕張川の源流である、シューパロ川があり、夕張岳が見える、風光明媚な場所でした。
 そこに、小学校2校、中学校1校、高校が1校ありました。
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 私は中学1年の5月に、美唄市茶志内から、夕張市鹿島へ引っ越しました。
 引っ越した当時にいじめられたのは、昨年11月8日に書いた通りです。
 私がいじめられた時に助けてくれたのが、同級生のT君でした。
 T君は、私を助けた覚えはないと言いますが、私はしっかり覚えています。
 T君は、小樽商科大学を卒業して、札幌銀行へ入行。今は札幌市内の支店長です。
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 今日、40年ぶりにT君と食事をして、中学校時代の卒業記念アルバムを見て、昔話に花を咲かせました。
 一人では、なかなか思い出せないことも、2人揃うとすらすらと想い出します。
 ○○さんは、可愛かったとか。
 ○○さんと、○○が付き合っていたけれど、その後どうなったとか……
 何で本間はいじめられた?とか……。
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 私は高校から、越境入学(5%の特別枠というのがありました)で、札幌西高校へ入学しました。
 T君は、地元の進学校である夕張北高校へ入学し、見事に現役で小樽商科大学へ入学しました。
 私の記憶は中学時代で途切れていますが、T君は高校のこともよく覚えています。
 私たちが通った、夕張市立鹿島中学校は、ダム工事のため、もう少しでダムの底に沈んでしまいます。
 校舎自体も、炭鉱閉山による人口減で、とっくに取り壊されています。
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 育った街が消えてダムの底に沈んでも、私たちの記憶の中では生き続けています。
 T君は支店長、私は院長。
 社会的な立場は違っても、昔に戻ると、
 …だったべ
 …だったなぁ
 と懐かしく話せます。
 昔の友達はよいものです。
 自分が年をとったせいでしょうか?昔の話をしていると、時間を忘れて話せました。
 そのうち、他の仲間にも会ってみたいと思っています。

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被曝線量

私は、ペルテスの診断と治療のために、股関節のレントゲン写真を何枚も撮りました。
 前にも書きましたが、レントゲン写真はじっとしているだけでした。
 注射と違って、何枚撮っても痛くないので子供にとっては安心でした。
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 股関節のレントゲンを撮ると、当然、チンチンにも放射線が当たり被曝します。
 今でしたら、チンチンにプロテクターを当てて、被曝を防ぎますが、当時、子供のチンチンにプロテクターを当てたかどうか、記憶が定かではありませんでした。
 被曝線量を計算すれば、大したことはない値だと思います。
 それでも、結婚して子供ができた時には、一抹の不安がありました。
 家内には話しませんでしたが、何か子供に異常があれば、私の責任かなぁ?と考えていました。
      ■         ■
 私は形成外科医として、たくさんの子供さんの手術をしてきました。
 親は、
 どうして…?
 うちの子供にだけ…?
 神様はこんなむごいことをしたのだろう…?
 と考えます。
 待望の赤ちゃんが生まれて、本来であれば、喜びに包まれているはずなのに……
      ■         ■
 以前、ある患者さんのお父さんから、
 『自分は病気で治療を受けていました』
 『子供に生まれつきの異常があったのは、自分の治療と何か関係があるのでは?』
 と質問を受けたことがあります。
 私は、子供さんの異常とお父さんの治療は関係がないこと。
 先天異常の大部分は、原因がはっきりとわかっていないことをご説明しました。
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 人間は、信じられないような不幸な出来事が起こると、
 『なぜ?』
 『どうして?』
 と考えて、思いを巡らせます。
 私が被曝した線量は、問題になるような量ではなかったと思いますが、自分自身には不安がありました。
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 幸いなことに、私の子供には生まれつきの異常はなく、私はホッとしました。
 もし、何らかの異常があれば、私は自分を責めたり、神を憎んだりしたと思います。
 ペルテスになった原因は今でもわかりません。
 一つだけ心当たりがあるとすれば、私は小さい頃に結構やんちゃで、よく飛び降りて遊んでいたような気がします。
 二軒長屋で育ったので、ソファーの上から飛び降りて遊んでも、階下の人から‘うるさい’と言われることはありませんでした。
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 幸いにも、私はペルテスという病気が治り、レントゲンによる障害も受けませんでした。
 誰にでも、人には話せない悩みや苦悩があります。
 私たち、医療従事者は、他人の悩みや苦しみを少しでも取り除くことを使命としています。
 自分自身が、被曝線量のことを気にしていたので、少しは他人の悩みが理解しやすかったように思います。
 私は自分が受けた治療の恩返しのために、少しでも社会の役に立ちたいと考えて診療をしています。

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