院長の休日
インターネットの普及
私が平成7年(1995年)1月に、
札幌から帯広へ赴任する時、
一番、心配だったのが、
いろいろな情報が少なくなるのでは…?
情報から取り残されるのでは…?
ということでした。
でも、それは杞憂(きゆう:無用な心配)でした。
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当時から私は、
PCやネットには関心が深く、
帯広厚生病院に勤務していた、
平成8年(1996年)に、
形成外科の外来で、
Macに電話回線をつないで、
院内ではじめてインターネットをはじめました。
その頃は、
LANの配線もなく、
電話のモデムでした。
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北大図書館のデーターベースにアクセスし、
医学文献検索ができる?
という北大の先生の情報から、
ネット検索をはじめました。
結局、北大へはつながらず…
PubMedという米国のサイトを利用しました。
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平成8年は、
インターネットは普及していませんでした。
家庭の大部分は…
アナログ回線。
電話機もダイアル式でした。
プッシュホンという電話がありましたが
基本料金が少し高かったので、
ボタン型電話機でも、
ツツツツ…という発信音が出るのが大部分でした。
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その頃、
NTTが盛んに宣伝していたのが、
ISDN回線でした。
64ロクヨン128イチニッパ、
という回線速度を‘売り’にしていました。
BUGという会社が発売したMN128という機器は、
すごい人気で、
納品待ちに数ヵ月もかかりました。
私は自宅にISDN回線を引き、
Macでインターネットをはじめました。
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このインターネットのおかげで、
世界の最先端のレーザー脱毛機器や、
最新の医療情報、
さまざまな情報を帯広で入手できました。
その頃に、
PHSや携帯電話をはじめました。
携帯でTVが見れたり、
検索がここまでできるようになるとは、
さすがの私でも予想していませんでした。
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札幌へ戻ってからは…
光ファイバーを自宅へ引くのも、
近所では一番早かったと思います。
インターネットのおかげで、
札幌にいながら…
山形のさくらんぼさんとも知り合うことができました。
ニューヨークからの相談電話には、
さすがに参りましたが…
遠くからも、
私の日記をご覧になって、
ご相談を受けることがあります。
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返信はできる限り…
真摯(しんし)に書くように心がけています。
メールで困るのが…
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