医学講座

車の運転と手術

 昨日の更新時講習で、
 交通事故は…
 注意力散漫(さんまん)が原因と
 教えていただきました。
 手術はどうでしょうか?
 手術中に、
 注意力散漫で…
 医療事故が起こるとお考えですか?
      ■         ■
 医療事故の種類にもよりますが、
 医師に関して言えば、
 手術中の事故の原因は経験不足で起きます。
 手術中は常に注意力散漫にしています。
 術者(じゅつしゃ)は手術中に、
 術野(じゅつや)を常に見ています。
 切開をして、
 剥離(はくり)をして、
 血を止めて(止血)…
 などの操作の間は、
 常に術野を注視しています。
 原則として目を離しません。
      ■         ■
 ここは車の運転で…
 常に前を見るのと同じです。
 ところが…
 耳からは常に別の情報をキャッチしています。
 一番注意するのは、
 モニターの音です。
 麻酔科の先生に麻酔をお願いしている時でも、
 術者はモニターの音を聞いています。
 ピッ…ピッ…ピッ…
 という音が規則正しく聞こえていれば、
 安心できます。
      ■         ■
 私のように局所麻酔で手術をしていると…
 患者さんの反応を気にしながら手術をしています。
 痛がっていないか?
 腰や首は辛くないか?
 痒いところはないか?
 時々大丈夫ですか?
 声をかけながら手術をします。
 その間も目は顕微鏡を見たままです。
 たまに局所麻酔の患者さんが、
 手術中に眠ってしまうこともあります。
 痛みがなくて、
 緊張がほぐれると眠ることがあります。
 その時は寝息を聞いています。
      ■         ■
 手術は車の運転とは違います。
 定期航空路を操縦するようなものです。
 ベテランのパイロットは、
 さまざまな気象条件に対応して、
 旅客機を安全に飛ばしてくれます。
 どこでどんな雲がよくでるか…?
 どこの空港で、何に気をつけるべきか?
 を熟知しているのがベテランパイロットです。
 急な変化にも対応できます。
      ■         ■
 ベテランの外科医は、
 どこで出血しやすいか?
 次は何に気をつけて手術をすれば良いか?
 を熟知しています。
 手術の後には何に気をつけるべきか?
 までを完璧に理解しています。
 私のように眼瞼下垂症手術など、
 同じ手術を数千例もすると、
 定期航空路がよく見えるようになります。
      ■         ■
 航空機も100%安全とは言えません。
 でも、
 よく整備された機体で、
 ベテランパイロットが操縦すると…
 安全性が高まります。
 手術も同じです。
 経験豊かな外科医が、
 細心の注意を払って行う手術は、
 安全性も快適性も高まります。
 患者さんは、
 いかに安全で快適な航空会社を選ぶかが、
 大切なポイントとなります。

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院長の休日

運転免許証の更新

 今日は運転免許証の更新に行ってきました。
 私は一応ゴールド免許なので、
 5年毎の更新です。
 前回は、
 ちょうど札幌美容形成外科を開業したばかりでした。
 5年間はあっという間でした。
 自分では気づいていませんが、
 5年間で年をとりました。
 49歳から54歳になり、
 来月で55歳です。
      ■         ■
 今日の更新時講習は、
 川口先生という男性の方でした。
 安全運転学校の先生です。
 川口先生の講習は、
 有意義でした。
 30分という短い時間でしたが、
 熱演で、居眠りする人もいませんでした。
 ところどころで、
 笑いが聞こえました。
 警察も変わったと思いました。
 川口先生の口調は穏(おだ)やかでした。
      ■         ■
 最初に…
 皆さん免許証をいただいたら…
 内容を確認してください。
 記載事項に誤りがあれば、
 今日訂正いたします。
 数日後に訂正となると…
 申し訳ございませんが、
 裏に訂正事項と印を押すだけになります。
 今日でしたら免許証自体を新しくできますので、
 何卒よろしくお願いいたします。
      ■         ■
 みなさん、
 免許証をいただいたら、
 一番気になるのは写真ですね。
 昨年、年配の女性の方が、
 免許証の写真をながめながら退室され、
 ドアにぶつかってメガネを壊してしまいました。
 私がもう少し…
 注意して差し上げればよかったのですが、
 申し訳ないことをいたしました。
 今日、免許証をいただいたらどうぞ注意なさってください。
      ■         ■
 交通事故も、
 ちょっとしたことで起こります。
 大部分の事故は、
 ちょっとした不注意で起こります。
 テレビを見ながら、
 家族に話しかけられることがあります。
 話し終わったら、
 テレビの内容を忘れてしまうことってありませんか?
 運転中に他のことに気をとられると、
 注意力が散漫(さんまん)になり事故が起こります。
      ■         ■
 運転中に危険なのが携帯電話です。
 携帯が鳴る→
 誰からの電話か確認する→
 お得意様から?→
 彼氏から?→
 携帯を取り出して確認している間に…
 自動車は動いています。
 ちょっとした注意不足で、
 事故が起こります。
 運転中の携帯電話は危険です。
      ■         ■
 夜間、黒い服を着ている人は、
 見えにくいので発見が遅れます。
 道路左側にコンビニがあると、
 明るいコンビニに目が行きます。
 道路右側から、
 黒い服を着たお年寄りが、
 コンビニへ行こうと横断していると、
 発見が遅れます。
 歩行者との事故は、
 道路の右側から来る人が危険です。
 どうしても左側を注視するからです。
      ■         ■
 ご自分が、
 お嬢様に迎えに来てもらった時に、
 彼氏からの携帯電話が鳴ったお話しなどを交えて、
 受講者が眠くならないように、
 講習をしてくださいました。
 私も年齢とともに判断力が鈍ります。
 交通事故を起こさないようにしようと、
 川口先生の講習を受けて思いました。
 5年後はどうなっているか…?
 また元気でゴールド免許を持っていられるように、
 交通安全に気をつけたいと思いました。


2004年


2009年

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院長の休日

登別温泉

 休診日を利用して、登別温泉に行って来ました。
 前に行ったのはいつ頃だったか?
 記憶にないくらい昔です。
 もう20年以上は行っていなかったように思います。
 残念ながら…
 天気は小雨と曇りでした。
 温泉にゆっくりとつかり、
 疲れを癒してきました。
      ■         ■
 登別温泉に行って驚いたこと。
 日本人の親子だと思ったら、
 話している言葉は韓国語だったり、
 中国語だったりしました。
 韓国人の小さな男の子が、
 お父さんにしがみつくようにして、
 大浴場へ来ていました。
 私も子どもが小さい頃に、
 温泉に行ったのを思い出しました。
      ■         ■
 韓国や中国から、
 わざわざ登別温泉にいらっしゃるのは、
 富裕層の方なのかなぁ~?
 と思って眺めていました。
 家内が女湯で‘観察’
 したとろこによると、
 日本人以外は、
 前を隠さないで…
 堂々と歩かれるそうです。
 習慣の違いなのか?
 知っている人がいないためか…?
      ■         ■
 本間家は温泉好きです。
 函館に居た頃は、
 よく湯の川温泉の家族風呂に行きました。
 帯広に行ってからは、
 温泉の銭湯とか…
 銭湯よりちょっと高い、
 確か…?
 大人が600円くらいの温泉に行きました。
 子どもが大きくなっていたので、
 私は長男と、
 家内は長女と入っていました。
      ■         ■
 温泉に行っては、
 よく一回100円のマッサージ器を使いました。
 昔のマッサージ器と比べて、
 今のマッサージ器は進歩しました。
 私は肩や腰が痛くなるので、
 自宅にもマッサージ器を置いています。
 ふだんはよくマッサージ器の上で、
 そのまま眠ってしまいます。
 眠ってしまっても、
 15分で自動的に切れます。
      ■         ■
 登別温泉では、
 ゆっくりといろいろなお湯に入りました。
 源泉が何種類もあり、
 いろいろなお湯があるのが、
 登別温泉の特徴のようです。
 さくらんぼさんも、
 いらしていただいたのが、
 洞爺湖温泉だったでしょうか?
      ■         ■
 駐車場にとまっていた車は、
 大部分が『わ』ナンバーの、
 レンタカーでした。
 韓国や中国の方は…
 観光バスでいらしていました。
 ハングル文字や
 中国語が書かれたバスがとまっていました。
 海外からもいらしていただき、
 ありがたいことです。
 機会があれば
 是非、登別温泉にもいらしてください。

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医療問題

無料カウンセリングの罠(わな)

 眼瞼下垂症のカウンセリングをお願いします
 というお電話です。
 眼瞼下垂症は保険診療になりますので
 カウンセリングではなく診察になります。
 初診料がかかりますがよろしいですか?
 あら?カウンセリングは無料じゃないんですか?
 もし無料カウンセリングをご希望でしたら
 大手美容外科に行かれることをおすすめします。
      ■         ■
 最近、このようなお問い合わせがあります。
 大学病院の美容外科外来で、
 無料カウンセリングはないと思いますが…
 日本の大手美容外科は
 無料カウンセリングが主流です。
 無料カウンセリングには、
 罠(わな)があります。
 ただほど怖いものはありません。
      ■         ■
 そもそもカウンセリングとは、
 相談という意味合いが強いと思います。
 クリニックによっては、
 医師が行う診察ではなく、
 有能な営業社員である、
 女性カウンセラー
 高価な手術をすすめるだけの、
 無料カウンセリングもあります。
      ■         ■
 2008年12月12日にも書いていますが、
 大手美容外科は、
 月に数百万円もの広告宣伝費を使います。
 札幌市内のフリーペーパーで、
 一ページあたり一回数十万円。
 女性週刊誌ですと、
 一ページあたり百万円以上します。
 ネットのスポンサーサイトも高額で、
 一ヶ月に数百万円という
 課金がかかるサイトもあります。
      ■         ■
 このようなサイト
 広告
 引っかけて!
 無料カウンセリングの甘い罠(わな)で、
 いらしたお客様に、
 いかにお金を使っていただくかが、
 有能な受付カウンセラーの条件です。
 何も手術予約を取れずに、
 むざむざと返してしまうと、
 罰金まで取られる…
 チェーン店があると聞いたことがあります。
      ■         ■
 大手美容外科で眼瞼下垂症手術を受けると、
 自由診療で50万円です。
 美容目的の手術と解釈されると、
 医療費控除も受けられません。
 札幌美容形成外科では、
 初診→血液検査→手術→抜糸
 までしても、
 3割負担の方で約5万円。
 1割負担の方でしたら約1万8千円です。
      ■         ■
 札幌美容形成外科では、
 初診料は3割負担の方で1,000円以内です。
 70歳以上の1割負担の方でしたら300円程度です。
 大きな病院へ行って…
 先生に診察をしていただいて、
 ただで…
 という方はいないと思います。
 カルテを作って、
 医師が診察をするのですから、
 無料ではなく、
 せめて初診料くらいは負担する方が、
 安心だと私は思います。
      ■         ■
 札幌美容形成外科では、
 美容目的のレーザー脱毛などは、
 テスト照射をしても無料です。
 皮膚炎などには、
 保険診療でお薬も差し上げています。
 せいぜい2千円程度です。
 ある程度のお金を払って、
 安心して診察を受けるのが、
 賢明だと私は考えています。

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院長の休日

先祖の供養

 私は本間家の長男でありながら、
 先祖の供養には疎(うと)く、
 お盆でも墓参りに行かない年もあります。
 盆も正月も仕事だった…
 というのは口実です。
 先祖を供養するという習慣がありません。
 私を一番かわいがってくれたのは、
 母方の祖母、太田キヨでした。
      ■         ■
 この祖母のお墓は、
 東京の谷中にあります。
 日蓮宗の妙圓寺(みょうえんじ)という、
 お寺の境内に古いお墓があります。
 亡くなってから、
 一度だけお参りに行きました。
 東京には年に何度か行きますが、
 学会などで行くため、
 なかなかお墓へは行けません。
 この祖母のことはよく想い出します。
      ■         ■
 祖母は、
 夫が42歳の厄年で亡くなり、
 女手一つで四男一女を育てました。
 夫は沖電気の社員で、
 中国へ単身赴任中に亡くなりました。
 (無理をするとおじいさんのように早死にするので…)
 無理をするんでないょ~
 というのが
 私への口癖でした。
 (祖母に背いていつも無理をしています)
      ■         ■
 本間家のお墓は、
 札幌の平岸霊園にあります。
 私の祖父母と祖父の姉が眠っています。
 祖父は私が中3の1月に亡くなりました。
 一緒に暮らしていなかったので、
 あまり記憶にありません。
 祖父はクリスチャンだったのですが、
 父は教会へは行かず、
 私もクリスチャンではありません。
 キリスト教のため?か
 本間家には法事がありません。
      ■         ■
 濱本淳二先生は、
 遺言で、
 自分の葬儀は宗教色を無くして、
 家族葬でと生前に指示されたそうです。
 さすが濱本先生だと思いました。
 私も宗教色は無しで、
 線香の代わりに、
 ラベンダーの香りが良いです。
 濱本先生は、
 亡くなった人を思い出し語るのが一番の供養
 とご子息にお話しされたそうです
      ■         ■
 私も法事などはしなくてもよいので、
 亡くなった人を思い出して、
 語ったりお酒を飲んだりしてくれるのが、
 故人にとっての供養だと思います。
 (これを正式にするのが法事でしょうか?)
 今日は休診日だったので、
 亡くなった家内の父を思い出して…
 家内と家内の母の3人で、
 昼食を食べました。
 これも供養の一つだと思います。

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院長の休日

あと何年生きられるか?

 平成21年8月11日に、
 さくらんぼさんからいただいたコメントです。
 若い時は考えませんでしたが
 50歳を過ぎると
 あと何年生きられるか、
 自分はいったい どう生きてきたのか、
 とか考えるようになりますよね、先生・・・
 亡くなって49日目に三途の川を渡り
 生前の行いを鏡に写しだされ
 天国から地獄まで何段階かにわけられると聞きました。
 49日までは 亡くなった方の魂は家の回りにいるそうです。
      ■         ■
 ほんとうに…
 考えるようになります。
 特に、親しい方が亡くなったり、
 自分と同い年の知人の訃報を聞くと…
 考えてしまいます。
 私は不信心なので…
 仏教のこととか…
 お盆とか…
 あまり詳しくありません。
      ■         ■
 神様を信じていないことはありません。
 神道でも、
 仏教でも、
 キリスト教でもありません。
 結婚式はホテルの神社でしたが…
 初詣に行く以外は、
 厄払いでお世話になる程度です。
 困った時だけ、
 『神様…』では、
 神様にも見放されますね。
      ■         ■
 信仰のことは詳しくありません。
 他の職業よりは、
 人の死と直面することが多いのが、
 医師や看護師などの医療関係者です。
 どんな死に方をしたいか…?
 と聞かれたら…
 人工呼吸器も、
 気管内挿管もいりません。
 苦しまないように、
 麻薬などを上手に使ってください。
 とお願いすると思います。
      ■         ■
 自分はどう生きてきたか?
 という記録を残すために…
 この日記を書いてます。
 いつの間にか…
 1,000件を超えました。
 私の形成外科に対する想い。
 私の医療に対する考え方を、
 少しでも書き留めるために、
 毎日書いています。
      ■         ■
 家内は、
 日記の中だけいい夫ぶり
 に腹が立つので、
 日記は読まないそうです。
 今、読まなくても…
 私が死んでからでも読めれば… 
 退屈しのぎになると思っています。
 30年前は♡最高♡と思っていたのに…
 人生なんてこんなものです。
      ■         ■
 昔は…
 開業医の先生は、
 裕福で…
 患者さんから信頼されて…
 最高なんだろうなぁ~?
 と思っていたのですが、
 実際にやってみると大変なものです。
 私の労働時間は一ヶ月250時間以上です。
 メールの返事が深夜のこともザラです。
 楽しいこともありますが、
 辛いこともたくさんあります。
      ■         ■
 日記にコメントをいただいたり、
 私の考えにご意見をいただいたりすると、
 やっててよかったと嬉しくなります。
 あと何年生きられるか?
 今の私にはわかりません。
 毎日まいにちを精一杯がんばっています。
 患者さんに対しては、
 最高の手術を提供しようと努力しています。
 天国へ行く前に振り返った時に、
 人間として…
 恥ずかしくない人生を送りたいと考えています。

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昔の記憶

濱本淳二先生の想い出⑤

 濱本淳二先生がお亡くなりになってから、
 今日でちょうど一週間です。
 昨日が初七日でした。
 濱本先生は、
 昭和7年3月20日生。
 私と22歳違いです。
 22歳の年齢差は、
 ちょうど自分の20年後の姿を、
 重ね合わすことができます。
      ■         ■
 家庭では、
 両親の姿を見て子どもが育ちます。
 大学の医局という社会では、
 常に先輩の姿を見て、
 若い医師が育ちました。
 濱本先生は、
 良き医師であったと同時に、
 良き父親であり、
 良き夫であったと、
 私は思っています。
      ■         ■
 私が結婚した頃に、
 濱本先生のお宅に、
 家内と招いていただいたことがありました。
 小さなお子様がいらして、
 あたたかい家庭がありました。
 自分もいつかは、
 戸建の家を持って、
 こうして暮らしてみたいと思いました。
 (当時は2DKの公団住宅でした)
      ■         ■
 濱本先生は真面目で、
 すすきのへ通うこともなく、
 家族のために…
 一生懸命働いていらっしゃいました。
 函館中央病院で、
 私がご一緒に働いていた時に、
 三男の方が、
 医学部に合格されました。
 その時の先生の満面の笑顔は、
 今でも忘れることができません。
      ■         ■
 病棟の看護婦さんからも…
 ♡先生!おめでとうございます!♡
 ♡先生!よかったですね!♡
 と 
 最高の祝福を受けていらっしゃいました。
 濱本先生の3人のご子息は、
 皆さん立派に成長されました。
 先生の遺影は、
 ご長男が撮影された白衣姿でした。
 最高の写真でした。
      ■         ■
 先生のご長男は、
 プロの報道カメラマンとして活躍中です。
 時々、新聞で署名入りの写真を拝見します。
 晩年の濱本先生は…
 奥様と京都旅行を楽しまれたり、
 お好きな映画を、
 思う存分、鑑賞なさっていらっしゃいました。
 とても羨ましいご夫妻でした。
 私も濱本先生のようになりたいと思っていました。
      ■         ■
 次男の濱本伸夫さんと長男の濱本道夫さんから、
 美容の杜へコメントをいただきました。
 お二人のコメントを掲載させていただき、
 私の濱本先生の想い出シリーズを終わります。
 濱本先生、
 医師として、
 人生の先輩として、
 たくさんのことを教えていただき、
 ありがとうございました。
 心からご冥福をお祈りいたします。
      ■         ■
投稿順に掲載させていただきます。
濱本淳二の次男、濱本伸夫です。

先日は自宅まで御参りに来ていただきありがとうございました。いただいた胡蝶蘭、本人に見せてやりたいほど綺麗に咲いています。

先ほど小田原に帰宅しネット検索で、本間先生のブログで亡父の掲載を知り感激しました。

本人は生前に
「亡くなると灰になり無になるが、残された人の心の中に生き続ける。だから、亡くなった人を思い出し語るのが一番の供養」と申しておりました。

なので、本人のホームページかと思うくらいの立派な記事をブログに載せていただくことは嬉しい限りです。
本当にありがとうございます。

ベストエッセイは、本人も楽しみにしておりましたが、
09年版は、一歩間に合わず本当に残念です。
私は随筆に疎く、今回初めてベストエッセイを知り、昨年版を取り寄せましたが最相葉月さんや泉麻人さん等そうそうたる作家が名を連ねており、びっくりしています。
本人が掲載連絡を受けた6月にやや元気になったのも頷けます。
死の3日前、かなり意識は弱まっていましたが、枕元で96年版の文庫本の藤本義一さん随筆を朗読したら微かに頷いていてくれたことが、私の最後の思い出です。独りで付き添った夜の事でしたが、我ながら下手な朗読で小さい頃に音読をしっかりやっておけば良かったと、後悔しました。そういえば、父は朗読も好きで「『が』は『んが』と読むと響きが良い」と幼少期に言っていたことを思い出します。

昨年版の単行本は棺桶に入れました。
本は火の通りが悪いとの事で、斎場のベルコの方に各々のページを半折にして見開いた状態で入れていただきました。
焼いた後、本は見開いた状態で灰になっていました。棺桶は跡形もないのに。昨年版を読みながら召しのかも知れません。

時々、父の事を思い出していただければ幸いです。

生前含め、お世話になり本当にありがとうございました。

取り急ぎお礼まで。
      ■         ■
濱本淳二の長男、道夫です。

このたびは素晴らしい想い出を綴っていただき、感謝に堪えません。弟の連絡で先生のブログの存在を知り、読み終えさせていただいたところです。

父としての浜本淳二は、私どものよく知るところなのですが、医師としての浜本淳二は、知っているようで知らないことばかりだったのだと、先生のブログを読んで気づかされました。生き生きとした父のエピソードにふれることが出来、感激しております。

小さいころよく、大学の医局に連れて行ってもらったことを思い出します。家でリラックスして笑っている父が、白衣に着替えた途端に鋭い目つきに変わり、「何だかカッコいいね」と申したことを思い出します。父は少し照れておりましたが、子どもの目には颯爽とした「昼間のパパ」ぶりでありました。

その後父の写真好きが遺伝したのか、私自身がカメラマンの道を歩むことになりました。遺影は今年2月、札幌雪まつり会場の救護室にて、白衣で待機する父の姿を私がスナップしたものです。現場に出ていると楽しい、そう言っていたのを昨日のことのように思い出します。

こうして本間先生に取り上げていただき、父がどれほど喜ぶかと思います。本当にありがとうございました。まずは取り急ぎ御礼まで

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昔の記憶

濱本淳二先生の想い出④

 私が1980年に北大形成外科へ入局した時、
 教授が大浦武彦先生、
 助教授が濱本淳二先生、
 講師が杉原平樹(つねき)先生でした。
 大浦先生はおおうら先生
 濱本淳二先生ははまさん
 杉原平樹先生はすぎさん
 と呼ばれていました。
      ■         ■
 新入医局員の私が…
 直接はまさん
 とお呼びすることはありませんでしたが、
 医局内では、
 親しみを込めてはまさん
 と呼ばれていました。
 濱本先生のサインは…
 まるの中にの字で、
 大洋漁業のマークと同じ、
 マルハでした。
      ■         ■
 濱本淳二先生は、
 何でも真面目に…
 こつこつとなさるタイプの先生でした。
 北大形成外科の外来には、
 濱本先生が取られた、
 唇裂の子どもさんの、
 歯の石膏模型がたくさんありました。
 唇裂の患者さんの、
 顎(あご)の発育を調べるためでした。
      ■         ■
 今はデジタルカメラで写真を撮りますが、
 昔はカラースライドでした。
 スライドが出来上がってから、
 一枚いちまい名前を記入します。
 これが大変でした。
 新入医局員の仕事で…
 一番大変だったのがスライド整理でした。
 私たち新入医局員と、
 医局の秘書さんが整理をしていました。
      ■         ■
 術者になると、
 自分自身でもカメラを持って…
 写真を撮って、
 自分で整理するようになります。
 形成外科医は、
 手術室でカメラバッグを持っているので、
 どこの手術室へ行っても、
 形成外科医だとわかる…
 といわれていたものです。
      ■         ■
 自分の家のアルバムを見るとわかりますが、
 写真の整理というのは…
 実に大変なものです。
 本間家のアルバムも…
 しっかり整理されているのは、
 最初に生まれた長女だけです。
 濱本先生のスライドは、
 形成外科で一番しっかり整理されていました。
      ■         ■
 濱本先生は、
 スライドが出来上がって来ると…
 その日のうちに整理なさっていらっしゃいました。
 決してスライドをためませんでした。
 私たちは…
 たまってから…
 当直の日にしよう…
 とか思ってついついためてしまい…
 結局大変な思いをしていました。
 私が毎日日記を書くのも、
 メールの返事をすぐに書くのも…
 濱本淳二先生の教えのおかげです。

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昔の記憶

濱本淳二先生の想い出③

 濱本淳二先生は、
 函館中央病院診療部長から、
 札幌東保健所の所長にご就任されました。
 今から、20年くらい前のことでした。
 先生がちょうど50代の半ば頃…
 つまり…
 今の私と同年代でした。
      ■         ■
 私たち、北大形成外科の同門にとって…
 衝撃的な出来事でした。
 濱本先生が…
 保健所長…?
 どうもピンときませんでした。
 私たちが知っている…
 濱本先生は、
 唇裂の患者さんの記録を、
 丹念にとっていらっしゃる先生でした。
      ■         ■
 私のイメージでは、
 保健所の先生は、
 公衆衛生の先生とか?
 ず~っと…
 行政職に就かれていた先生…
 というイメージがありました。
 ところが、
 実際には…
 外科医から、
 衛生行政に‘転職’された先生が、
 かなりいらっしゃることを知りました。
      ■         ■
 濱本先生が、
 保健所長にご就任されてから、
 お会いしたことがありました。
 先生はとてもさわやかな笑顔で…
 講演が多くて…
 と楽しそうでした。
 濱本先生は、お話し上手でした。
 STVラジオの…
 巻山晃(まきやま あきら)の
 オハヨー!ほっかいどう
 に毎週水曜日8:30頃に出演されていました。
 17年半も休まずに続きました。
      ■         ■
 先生自身のご努力と、
 勉強熱心で、
 博識で、
 お話し上手という才能のために、
 濱本先生は、
 札幌市の衛生行政でご活躍されました。
 私の知人の保健所の医師から聞きました。
 濱本先生は、人望が厚く、
 最後は札幌市役所本庁の、
 衛生局理事にまで昇進されました。
      ■         ■
 濱本淳二先生の生き方は、
 私たち北大形成外科の同門にとって、
 形成外科医が…
 メスを下ろしても、
 活躍の場があるということを…
 身をもって示してくださいました。
 今の私に…
 保健所長は絶対に無理ですが、
 濱本先生という偉大な先輩が残してくれた、
 生き方の軌跡は、
 私たちの心にしっかりと残っています。

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昔の記憶

濱本淳二先生の想い出②

 濱本淳二先生はエッセイストです。
 2009年8月に文藝春秋社から発行される、
 日本エッセイスト・クラブ編
 2009年版ベスト・エッセイに選ばれました。
 先生がとても喜んでいらっしゃいました。
 まみ子師長さんがご紹介してくださった、
 カルテの独り言が私の手もとにあります。
 そのあとがきに、
 濱本淳二先生のお言葉があります。
      ■         ■
 あとがき
 もし何々だったらという思いが誰にもある。子供の頃から、もし病気をしなかったら、もし健康だったらという意識が、私にはずっと付きまとっていた。
 遠足、運動会に参加できたのは小学校の二年生までで、その後は正規の体育の授業も惨めな思いで見学していた。決定的な闘病は高校二年、十七歳のときからで、長期間の療養生活をし、数回の苦しい大手術を受けた。
 生活したというより、生存していたといいたい日々であった。戦中、戦後のきびしい社会環境、そして私の一家は満州から無一物での引揚者であった。私の命が辛うじて守られたのは、数年前に亡くなった父と、現在八十歳になる母の献身的な慈愛をはじめとした家族全員の愛情によってである。
 大きなハンディを背負い、人より遅れて高校を卒業したとき、どの大学へ進んだら一人前の社会人になれるのか分からなかった。低肺機能者の私が何とか社会で生きていくためには、身体検査というふるいのない職業に進む必要があった。それで医学部を受けた。
 私が医学を志したのは高邁な理想によるものではないし、ヒューマニズムに燃えていたからでもない。ただ医学部を卒業して医師になったとき、最低限、患者の心と目を持った医師であろうと決心した。
 それから二十六年、医師としての生活が医師以前の生活とほとんど同じ長さになろうとしている。かって私か患者であった頃、唾棄した医師と同じ言動をしている自分に気づいて、ときどきはっとすることがある。そんな反省と自戒の思いを込めてエッセイを書きつづけてきた。
 『北海道新聞』には偶然の機会で「カルテ余録」、「朝の食卓」、「カルテの余白」を連載し、『月刊ダン』には「カルテの独り言」を六年間も続けさせていただいた。私は北海道新聞によって種まかれ、この十年間、育てられてきたのである。主としてそこに書いたものでこの本はできている。
 形成外科という臨床医学を媒介にして私を啓発してくださった多くの患者さん、先輩・同僚医師および看護婦さん、そしてすべての面で私を支えてくれた家族に心から感謝したい。
 昭和六十三年六月
                  浜本淳二
 カルテの独り言より引用
 北海道新聞社
 昭和63年6月25日発行
 ISBN4-89363-502-6
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 濱本先生からは、
 文章の書き方を教えていただきました。
 私が、こうして院長日記を書き続けられるのも…
 濱本先生の教えのおかげです。
 本間先生、このセンテンスは長すぎるから、
 ここで、一度区切って、
 『。(まる)』を入れて…
 と教えていただきました。
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 ご自分が、苦しい闘病生活を送られたので、
 濱本先生は、
 常に患者目線で
 患者さんと接するように、
 私たちに指導してくださいました。
 下の本は、
 私が濱本先生からいただいた署名入りの本です。
 札幌美容形成外科に、一冊置いておきます。
 興味がある方は、
 是非お読みになってください。

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