医学講座
第5回国際美容外科学会⑤
今回の学会発表で、
今までとは違った発表がありました。
‘先生の奥様のご発表’です。
Hopping Steven先生は、
ワシントンで開業していらっしゃる、
超ベテランの美容外科医です。
先生の奥様が、
Julia様です。
■ ■
奥様のご発表のタイトルは、
The 2008 Cosmetic Surgery Practice:
Office Challenges and Solutions.
高須先生の日本語訳が、
最新式美容外科クリニック経営:
あっという間に成功する開業術でした。
私が日本語訳とつくると、
米国の美容外科2008
経営の問題点とその解決法
■ ■
高須先生のネーミングの方が、
ずっと魅力的な内容に聞こえます。
さすがは、‘プチ整形’を発明した先生です。
名前はともかく、
発表内容はとても示唆に富んでいました。
素晴らしいものでした。
世界中のたくさんの聴衆が聴いていました。
米国のワシントンですら…
美容外科の競争はとても激しいそうです。
■ ■
クリニック成功の秘訣は、
スタッフにかかっています。
‘お客様’に
いかに安心感を与え、
よい第一印象をもっていただけるか?
それは、
最初の問い合わせの電話で決まります。
第一印象は、
一度しか与えられない。
その第一印象でいかに信頼を得られるか?
まず、電話応答が大切だと…
Julia様は強調されました。
■ ■
食事を摂りながらの、
電話応対はダメ。
チューイングガムもダメ。
当たり前のようで、
なかなか実践するのは大変です。
クリニックの中も…
常に清潔で快適に!
枯れた花や植物があってもダメ。
さっそく、
休診中に植物が枯れていないかチェックしました。
世界中どこへ行っても、
経営者は大変なようです。
他にもためになるお話しがたくさんありました。
Hopping Steven先生
奥様のJulia様
学会HPより引用
医学講座
第5回国際美容外科学会④
学会は昨日で終了しましたが、
今日は、西新宿の神奈川クリニックで、
ライブサージェーリーがありました。
中国や韓国の学会では、
ライブサージェリーが盛んです。
手術を実際に見学して、
その場で討論をするやり方です。
とても勉強になりますが、
実施するのはとても大変なことです。
■ ■
まず、患者さんに、
協力していただかなくてはできません。
大勢の前に出てもよい。
‘実験台?’になってもよい。
という方を見つけるのが大変です。
術者と患者さんの、
強い信頼関係がなければ実現できません。
手術室には、
大勢は入れないので、
隣室でビデオで見学しました。
■ ■
今日の最初のライブサージェリーは、
名古屋の鶴舞公園クリニックの
深谷先生でした。
深谷先生は、
糸を使った若返り手術がお得意です。
元は国立病院で
アトピー性皮膚炎などを治療していた
皮膚科の先生でした。
■ ■
深谷先生の患者さんは、
先生のクリニックの職員の方でした。
年齢を聞いた会場の先生から、
『若い!』
と感嘆の声が上がりました。
実際の年齢よりも、
10歳以上、若く見える方でした。
この方は、
先生の患者さんでもあり、
すでに糸の手術を受けていらっしゃったので、
若く見えたのだと思います。
■ ■
深谷先生は、
昨日も発表されました。
驚いたことに、
日本語、
英語、
ロシア語、
の3ヵ国語で発表されました。
もちろん、
発表資料(パワーポイントというPC)の画像も、
言葉も3ヵ国語でした。
録音とか通訳以外で、
3ヵ国語を聴いたのははじめてでした。
■ ■
ロシア語で発表なさったのは、
座長をなさっていた、
APTOSの発明者である、
スラマニーチェ先生が、
ロシア人だからです。
ロシア語が出て、
感激していらっしゃいました。
今日のライブサージェリーでも、
スラマニーチェ先生から
適切なコメントがありました。
■ ■
午後のライブサージェリーでは、
高須克弥先生の、
ランチタイムにできる若返り手術
がありました。
高須先生が、
昨年11月に自ら受けられた手術です。
耳の前を少し切って、
たるんだ皮膚を引き上げる手術でした。
会場のペルー人の先生が、
ランチタイムより短い時間でできるので、
コーヒーブレイクでできる手術?
と名前を変えたら?
と言われるほど、手早い手術でした。
■ ■
高須先生の患者さんも、
長年のお付き合いがある方とお見受けしました。
実年齢は不詳ですが、
20歳近く若く見えるとのことでした。
中国や韓国の先生が、
熱心に聴いて質問していました。
患者さんが、
会場にいらしてくださり、
実際にキズを見せてくださいました。
高須先生との強い信頼関係を感じました。
■ ■
他に、神奈川クリニックの、
伊澤先生と峰岸先生の手術がありました。
神奈川クリニックのご協力で、
ライブサージェリーが実現できました。
院長の山子先生、
会場や食事、
コーヒーや飲みものまで
準備してくださった、
神奈川クリニックのスタッフの皆様に、
心から感謝いたします。
とても有意義な3日間でした。
医学講座
第5回国際美容外科学会③
今日は、6:00前に起床して、
7:40からのモーニングセミナーに参加しました。
モーニングセミナーとは、
正規の学会の前にある、
朝の勉強会です。
テーマは最新式の脂肪吸引です。
VASERという
超音波を利用した脂肪吸引システムです。
■ ■
南米のコロンビアで、
この器械を開発し、
今はアメリカに移住して、
開発と販売をしている形成外科の
HOYOS先生が、講演なさいました。
ミケランジェロの彫刻
という名の脂肪吸引です。
■ ■
とにかく素晴らしい脂肪吸引でした。
筋肉の形がわかるほど、
脂肪が無くなっていました。
日本人で施術を受けた第一号が、
なんと高須克弥先生でした。
米国からいらしたミラード先生と
息子さんのお嫁さんである
高須けい子先生が執刀されました。
■ ■
高須先生は、
1982年にフランスのフルニエ先生のクリニックで
はじめて脂肪吸引をご覧になったそうです。
その後、日本に脂肪吸引を導入され、
積極的に脂肪吸引をなさっていらっしゃいました。
脂肪吸引の特許も取得されました。
先生ご自身も…
いままでに、
さまざまな脂肪吸引を受けられたそうです。
残念ながら、今までの脂肪吸引では、
ぽっこりと出たお腹を引っ込めるまでには、
到達しなかったそうです。
■ ■
ところが、
今回は、
本当に、
筋肉の形が出ていました。
今までの脂肪吸引とは、全く違いました。
手術後のケアーも大変そうでしたが、
思わず目が点になりました。
この最新式脂肪吸引は、
日本では高須クリニック他、
ごく限られた施設でだけで
手術が受けられるそうです。
■ ■
特殊な技術を要するので、
トレーニングを受けた先生にしか、
器械を販売しない方針と伺いました。
安全のためには、
一番よい方法だと考えます。
札幌美容形成外科では、
導入予定はございません。
ご希望の方には、
高須クリニックをご紹介いたします。
■ ■
夜は、
神奈川クリニックの、
山子大助先生が主催してくださった、
会員懇親会が、
銀座のケントスという
ライブハウスでありました。
山子先生と高須先生の踊りを拝見しました。
とても楽しく充実した一日でした。
明日は、
神奈川クリニックで
手術のデモンストレーションがあります。
高須克弥先生
銀座みゆき通り美容外科
水谷和則先生より
医学講座
第5回国際美容外科学会②
今日から
第5回国際美容外科学会がはじまりました。
午前8:00から受付開始。
8:45から高須克弥先生の
ご挨拶がありました。
学会はABCの3会場に分かれています。
一人で全部を聴くことはできないので、
私が行かない会場へは
家内に行って聴いてもらいました。
■ ■
日本人よりも、
外国人の方が多い印象です。
学会での公用語は英語です。
高須先生のご挨拶も英語でした。
日本人同士で話す時は、
もちろん日本語ですが、
韓国の先生と話す時も、
中国の先生と話す時も英語です。
英語の重要性を再認識しました。
■ ■
今回の学会で印象に残ったこと!
韓国の美容外科の技術レベルが高い!
はっきり言って、
安売り競争をしていると…
日本は韓国に負けます。
(もう、負けているかもです?)
私が眼瞼下垂症に行っている、
小切開による眼瞼形成術があります。
今日、発表された、
韓国のChoi先生の結果は、
とてもキレイで、
発表内容も素晴らしいものでした。
■ ■
Choi先生はもともと眼科の先生です。
韓国では眼科の先生で、
眼の形成外科を専門にしていらっしゃる
エキスパートの先生が多数いらっしゃいます。
Choi先生は、
韓国のカトリック医科大学の臨床教授です。
発表内容は、
米国の学会で発表してもよいくらい、
レベルの高いものでした。
発表後に先生とお話しをしました。
私のことを覚えていてくださいました。
■ ■
フェイスリフトの発表もたくさんありました。
インドのVijay先生の発表が素晴らしかったです。
よい発表をすると、
世界中の先生から活発に質問があります。
私はインドの美容外科を見直しました。
とても、ハイレベルです。
Vijay先生のご発表は、
口角やアゴ・首から、
細い管で余分な脂肪を吸って、
すっきりさせ、
その脂肪をホホに注入する手技でした。
とても良くなっていました。
これから普及する手術だと思います。
■ ■
夜は、会長招宴会でした、
最後に郷ひろみさんのショーが
約1時間ありました。
家内は私と知り合う前から、
郷さんのファンだったそうです。
とても楽しそうに聴いていました。
こんなに素晴らしい学会を開いてくださった、
高須克弥先生に感謝いたします。
会場では、
先生の奥様、
ご子息、
お嫁さん、
お孫さんを拝見しました。
■ ■
奥様の内助の功があり、
家庭が円満だから、
このような学会を開催できるのだと思います。
明日も朝から学会があります。
とても充実した一日でした。
高須克弥先生
APTOSの発明者スラマニーチェ先生
医学講座
第5回国際美容外科学会①
明日から、東京のホテルニューオータニで、
第5回国際美容外科学会が開催されます。
今から8年前の2000年に、
第3回国際美容外科学会が、
今回と同じ、
ホテルニューオータニで開催されました。
■ ■
当時、私は札幌医大形成外科の講師をしていました。
高須先生が、
ニューオータニで国際美容外科学会を開催していたのと、
ほぼ同時期に、
ニューオータニから少し離れた、
都市センターホテルで、
同名の国際美容外科学会が開かれていました。
こちらの学会は、
形成外科系の国際美容外科学会でした。
■ ■
残念なことですが、
世界中で、
形成外科系と
非形成外科系の
美容外科学会があり、
どこの国でも仲が悪い傾向にあります。
私も、2000年の国際美容外科学会は、
形成外科系にだけ参加しました。
■ ■
今だから白状しますが、
高須先生の学会会場の前まで行きました。
形成外科系の国際美容外科学会が、
質素な学会であったのに対し、
高須先生の国際美容外科学会は、
絢爛豪華でにぎやかでした。
受付の華やかさを見て圧倒され、
学会に入ることはしませんでした。
■ ■
現在、日本の美容外科学会では、
形成外科系と非形成外科系が、
少しずつ仲良くなろうとしています。
高須先生は形成外科専門医ですし、
ご子息の幹弥先生も、
形成外科学で医学博士の学位を取得された
形成外科専門医です。
■ ■
今でも、高須先生に批判的な形成外科医もいます。
批判的な先生は、
高須先生がTVに出演したり…
マスコミで取り上げられたりしている、
表の部分だけを見て批判しているように思います。
私は、
高須先生こそ、
自分で何度も自分の体にメスを入れ、
美容外科が本当に好きな、
真の美容外科医だと尊敬しています。
■ ■
今回の学会にも、
APTOS(アプトス)を発明した、
Sulamanidze(スラマニーチェ)先生がいらっしゃいます。
高須先生の大のお友だちです。
今晩の飛行機で東京へ行き、
月曜日まで勉強してきます。
今月末に私を招待してくださった、
韓国のJung(ジョン)先生もいらっしゃいます。
明日、土曜日の夜には、
郷ひろみさんのショーもあります。
高須先生と郷ひろみさん
医学講座
手あれと手袋②
私たちヒトの手は、
たくさんのことをします。
ものをつくるのも手。
字を書くのも手。
自分自身で、
食事をするのも手。
お化粧をするのも、
歯をみがくのも、
顔を洗うのも手です。
■ ■
2007年10月28日の日記に
『手のぬくもり』を書きました。
私たちの手は実に精密に作られています。
手の構造を見ると、
手のこう(手背側)と
手のひら(手掌側)では、
皮膚の厚さや構造がまったく違います。
手のこうの皮膚は薄く、
手のひらの皮膚は厚いのです。
手のひらの皮膚と同じ構造は、
足の裏の皮膚です。
■ ■
体重を支えて歩くために、
足の裏の皮膚は
厚く固くなっています。
手のひらの皮膚も
いろいろなものを持ったり、
触ったりするために、
厚く丈夫につくられています。
■ ■
同じヒトの手でも、
重いものを持ったり、
包丁で固いものを切る
作業をするヒトの手は、
鍛えられて丈夫になります。
手を見るとその人の人生がわかります。
■ ■
昔から…
トイレに行ったら手を洗う!
外から帰ったら手を洗う!
とにかく、
私たちは子どもの頃から、
よく手を洗うように躾け(しつけ)られます。
院内感染で、
MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)などを、
患者さんから患者さんへ移すのも、
私たち医療従事者の手が原因といわれます。
そのため、
手洗いやグローブの着用を指導されます。
■ ■
皮膚が強い人と弱い人がいます。
山には、ウルシという植物があります。
ウルシオールという成分が含まれ、
これが原因で皮膚炎を起こします。
子どもの頃に山に行くと、
必ず、これに触ってはダメと教えられます。
ふだん、食べているものでも、
手で触ると皮膚炎になるものもあります。
日本皮膚科学会HPには、
シソ(オオバ)による手の皮膚炎が
掲載されています。
■ ■
手はいろいろなものに触るので、
炎症を起こしやすい部位の一つです。
原因となる物質に触れないことが、
一番よい対策です。
そんなこと言ったって無理!
と叱られそうです。
主婦が
炊事や洗濯をしないわけにはいきません。
■ ■
ネットで‘手あれ’と検索すると、
たくさんのサイトが出てきます。
ハンドクリームやオイルの宣伝もあります。
私がおすすめする、
手あれ対策は、
手を洗い過ぎない!
石鹸を使いすぎない!
軟膏やクリームで手を守る!
です。
症状が強い方は、
必ず信頼できる皮膚科専門医
を受診なさることです。
■ ■
高価なハンドクリームだけがよいのではありません。
何も添加物が入っていない、
白色ワセリンという薬があります。
ベトベトするのが難点ですが、
これで皮膚表面を保護することで、
かなり楽になります。
ニオイもないので食品製造の方も安心です。
■ ■
皮膚科へ行くほどでもない方は、
市販のハンドクリームもよいと思います。
一日、一回多量に塗るよりは、
薄く何回か塗る方がよいです。
私は、皮膚科専門医ではありませんので、
ご相談いただければ、
信頼できる皮膚科専門医をご紹介いたします。
まみ子師長さん、
これでよろしいでしょうか?
医学講座
手あれと手袋①
さくらんぼさんからご質問をいただきました。
手荒れと手袋の関係です。
私たち医療従事者(特に手術をする分野)は
必ず手袋をします。
手術室勤務になった看護師さんは、
手洗いという手の消毒を
毎日、何回もすることになります。
■ ■
手術をする外科系医師も同じです。
医師と看護師の違いは、
手洗いの頻度です。
総合病院や大学病院では、
手術日が診療科によって決まっています。
そのため、
医師が手洗いをするのは、
多くて週に3日程度です。
病院では、
手術室の看護師さんが、
一番、手を荒い、
手袋をつけることになります。
■ ■
手あれには、
もともと個人差があります。
アトピー肌の方や
アレルギー体質の方は、
手も敏感で、
大部分の方が何ともない、
ふつうの手術用手袋で、
手が真っ赤になる人もいます。
■ ■
私は診察したことも、
自分で経験したこともありませんが、
アナフィラキシーといって、
手術用手袋をしただけで、
ショックになって倒れた人も
報告されています。
TV番組のERで
題材となったこともあります。
■ ■
これらのアレルギーは、
ゴム手袋のゴムに含まれる、
ラテックスという物質に対するアレルギーです。
手袋以外に、
コンドームなど、
ゴムを使った製品に触れることにより、
アレルギーを起こします。
こういう方は、
ラテックスフリー(ゴム無し)の製品を使用すると
アレルギーが防げます。
■ ■
医療用には、
低アレルギーの製品。
ラテックスフリーの製品など、
ゴムアレルギーの方にも使える製品があります。
ところが…
ラテックスフリーでも、
手が赤くなる人がいます。
■ ■
手袋には、
すべりをよくするために、
タルクという粉を使用します。
主成分は鉱物の粉のようです。
日本薬局方という
薬事法に定めた製品があります。
この粉に対するアレルギーもあります。
アレルギーの先生は、
さくらんぼさんのように
綿の手袋に重ねたりします。
■ ■
作業用の手袋には、
内面に抗菌剤などの物質が含まれることもあります。
この抗菌剤にアレルギーを起こす人もいます。
結論をいうと、
アレルギーで手があれる人は、
自分に合った製品を見つけるまで、
何回も試行錯誤を繰り返して、
一番、反応の少ない手袋を見つけるのです。
価格が高い製品がよいとも限りません。
明日は、
手あれに対する、
手のケアーについて解説します。
昔の記憶
矢野先生の想い出
毎年、秋になると受験生の頃を思い出します。
矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生は、
私が高3の秋から受けた、
予備校の夜間ゼミでお世話になりました。
医学部を目指していましたが、
成績は低迷。
とても…
現役合格できるレベルではありませんでした。
■ ■
当時の高校では、
生物は一年生で履修しました。
生物は好きでしたが、
模試の成績は…
いま一つ…
パットしませんでした。
北海道新聞の広告か何かで、
桑園予備校という予備校が、
夜間ゼミを開講するというのを知りました。
■ ■
親に頼んで、
この夜間ゼミを受講しました。
当時は、
夏期講習や冬期講習など、
札幌にあった、
札幌予備学院(現、河合塾札幌校)と
桑園予備校(現在はありません)
の2校が
現役受験生向けの講習を開いていました。
■ ■
当時の私の家は裕福ではありませんでした。
父親は夕張で単身寮生活。
母親は生命保険の外交員をしていました。
贅沢(ぜいたく)はしていませんでしたが、
子どもの教育費だけは、
何とか捻出してくれていました。
西高の授業が終了した後で、
バスで予備校へ通学しました。
■ ■
授業は17:00開講。
19:00までの2時間でした。
矢野先生の授業(講義)は、
あっという間に2時間が過ぎました。
今でも先生の顔、声、授業内容を
とても鮮明に覚えています。
授業は
入試に出る生物100というタイトルでした。
桑園予備校には、
当時としては最新鋭のコンピューターがありました。
先生は、
このコンピューターで過去の入試を分析。
入試に出る生物100を抽出し、
その講義をしてくださいました。
■ ■
講義内容は素晴らしく、
培風館(ばいふうかん)という会社の、
生物精義という参考書以上の内容でした。
私が不得意だった、
生物の分類も、
(生物の)名前は
お経(きょう)のように…
何度も口に出して、となえて…
覚えるしかありません…
トイレに紙を貼って覚えなさい!
とご指導していただきました。
■ ■
原索動物(げんさくどうぶつ)例えば…
ギボシムシ(現在は半索動物に分類)
ホヤ
ナメクジウオ
と今でもスラスラ出てきます。
矢野先生の夜間ゼミのおかげで、
私は冬の校内模試で、
生物が一番になりました。
後にも先にも、一番をとったのは
この生物だけでした。
一浪して予備校時代にも、
札幌予備学院で先生にお世話になりました。
■ ■
人間とは不思議なもので、
それまでダメだった私が、
矢野先生の生物の講義のおかげで、
他の科目の成績まで伸びました。
いま、こうして医師免許を取得し、
医師として生活できるのも、
矢野先生と出会ったからだと…
一度も忘れたことはありません。
■ ■
残念なことに、
矢野先生がお亡くなりになったと、
私の日記を読んだ方から
お知らせをいただきました。
先生がお亡くなりになっても、
私や予備校でお世話になった、
医師仲間は、
生涯、先生のことを忘れません。
同期と合った時にも、
矢野先生の想い出を話すことがあります。
矢野先生、
本当にありがとうございました。
合掌
昔の記憶
ボーナスの想い出
世の中は不景気です。
今年の冬のボーナスは?
どうなるだろう…?
と心配な方は少なくないと思います。
私が北大病院の研修医だった…
約30年前のことです。
当時の私の給与は、
日給(時給ではありません)約3,300円。
一ヵ月働いていただいたお給料は、
99,000円程度で10万円になりませんでした。
■ ■
もちろんボーナス(賞与)はありません。
国家公務員(文部教官)である、
助手の先生までは賞与がありました。
助手になれたのは、
卒後15年以上経過した、
上から4人目の先生まででした。
それ以下の非常勤職員は、
日給月給制でした。
■ ■
私が入局した年の、
ボーナス支給日のことでした。
いつものように上の先生について、
朝から外来勤務をしました。
その日も混んでいました。
終わったのは14:00近くでした。
■ ■
当時、医局長で講師だった、
‘杉さん’こと…
杉原平樹(すぎはらつねき)先生が、
『ご苦労さん!』
『一生懸命働いてくれたのに、』
『ボーナスもなくて申し訳ないなぁ~』
『今日はボーナスが出たから』
『お昼をごちそうするょ』
と北大病院前の、
‘そば切り’というお蕎麦(そば)屋さんへ
連れて行ってくださいました。
■ ■
当時の研修医の昼食は、
北大病院協済会の食堂か、
医学部にあった、
北大生協の食堂が定番でした。
北大病院の
道路をはさんで向かい側には、
ラーメン屋さん、
お蕎麦屋さん、
お寿司屋さん、
などがありましたが、
めったに行くことはありませんでした。
■ ■
『何でも好きなものを頼んでいいぞ!』
『俺ができることは、これ位だけどなぁ~』
と杉原先生のありがたいお言葉。
さすが体育会系、元野球部です。
私たち研修医3人は、
『先生、本当に何でもいいんですか?』
『それじゃぁ、いただきます!』
と…
ふだんは食べられない、
大きなエビがついた、
1,400円もした
天ざるソバを注文しました。
しかも大盛りでした。
そのエビ天の美味しかったこと!
ボーナス時期になると、
ボーナスをいただいた想い出よりも、
ボーナスが出なかった時代を思い出します。
北大病院前の
お蕎麦屋さん
未分類
本日休診
この日記をはじめてから、
2年が経過しました。
昨年も‘記念日’である、
10月22日を忘れて通り過ぎ…
今年も気付くと通り過ぎていました。
私が忘れると…
家族(家内は読んでいません)も
職員も忘れて通過してしまいました。
■ ■
365日、一日も休まずによく続けたと、
われながら感心しています。
最初のうちは…
アクセス数の伸びが励みでした。
そこそこ書く材料もありました。
さくらんぼさんが、
コメントをくださるようになってからは、
さくらんぼさんのコメントが励みになりました。
最近は、
函館の看護師さんも
励ましてくださっています。
他にも、コメントを通じて、
たくさんの方に励ましていただいています。
本当にありがとうございます。
■ ■
たまには、本日休診にして、
お休みしようかなぁ~?
と思うこともありました。
でも、なんとか毎日続けています。
私のように一人でクリニックを経営していると、
風邪で休むこともできません。
あの札付きの軟弱児だった私が、
よく休まずに続けているものだと思います。
■ ■
いくら、所得保障保険に入っていても…
自分が病気になったり、
ケガをすると、
困るのは自分であり、
お客様にも迷惑をかけてしまいます。
私はビールもコップ一杯しか飲みませんし、
健康管理には、
気をつけているつもりです。
■ ■
一番重要なのは、
仕事をするぞ!という気持ちであり、
頑張るぞ!というファイトです。
このやる気を持続させるのが、
実に難しいと思います。
さくらんぼさんは、
今日も寒い中、
リンゴの収穫でお忙しいのだろうなぁ…
さくらんぼさんも頑張っているのだから、
自分も頑張らなきゃなぁ…
と考えて仕事をしています。
■ ■
世の中は不景気で、
どちらを向いてもイイことはありません。
美容外科業界にも、
不景気の嵐が押し寄せています。
私は、どんなに不景気になっても、
人間のキレイになりたいという
願望が消えることはないし、
一度キレイになると
それまでとは、
180度違った世界が見えるようになります。
■ ■
確かな技術で、
よい製品を提供すれば、
その店は絶対に潰れないというのが、
私の信条です。
クリニックも、
果樹園も、
弁護士さんも、
同じだと思います。
さくらんぼさん
明日も頑張りましょう!