医療問題

受刑者の手術

 私は刑務所に入っている受刑者の手術をしたことがあります。
 また殺人犯の手術もしたこともあります。
 受刑者といえど、ケガをしたら手術が必要になります。
 刑務所内では、作業があります。
 刑務所内で作業中の事故は、労災にはなりませんが、
 刑務所(法務省)が治療費を払ってくれます。
      ■         ■
 大きな刑務所には、矯正医官というお医者さんがいます。
 北海道で、専任の矯正医官がいるのは、おそらく札幌刑務所だけです。
 他の、地方都市にある刑務所は、嘱託医が対応しています。
 私が受刑者の手術をしたのも北海道の地方都市です。
 作業中に手をケガしました。
 嘱託医の先生が診察をして、
 専門的な治療が必要と判断したので私に紹介されました。
      ■         ■
 混雑している病院の外来に、
 囚人服を着て、腰縄をつけられた受刑者が来ました。
 少し異様な風景です。
 お隣の眼科の患者さんが不安そうに見ています。
 診察室に刑務官と一緒に入ってきました。
 患者さんは、一見してその筋の方とわかる外見です。
 囚人服を脱ぐと、胸と腕には立派な刺青が入っていました。
 私:いつ、どうやってケガをしました?
 今日、○○の作業中に○○でケガをしました。
      ■         ■
 診察をすると、片手の手掌(手のひら)側の皮膚が、
 ベロッととれて血が出ています。
 嘱託医の先生が、ガーゼを当ててくれていました。
 ガーゼは血だらけです。
 ベロッと取れた皮膚は、拾って来てありました。
 嘱託医の先生が、生理食塩水につけてくれたのでビンに入っていました。
 患者さん(受刑者)への説明です。
 私:手にケガをして、皮膚がなくなってしまっています。
 ここに拾ってきた皮膚がありますが、くっつけるのは難しいです。
 手術をしても、くっつかないこともあります。
 一番、簡単なのは、
 断端形成術といって、指を短く詰めてしまう手術です。
      ■         ■
 私:もし、痛いのがイヤで、早く治したいなら、
 指を短くするのが確実です。
 あなたたちの世界では、指が短いのはよくあることでしょう?
 受刑者:先生お願いです。
 どうか、この拾ってきた皮膚をくっつけてください。
 痛いのはガマンします。
 刑期を終えたら、ちゃんと真人間になります。
 もう悪いことはいたしません。
 どうか治してください。お願いします。
      ■         ■
 私たち医師は、相手がたとえ受刑者であろうと、
 『どうか治してください。お願いです。』
 という言葉には弱いのです。
 私:そんなことを言って、
 刑務所を出たら、またこの手で悪いことをするのでしょう?
 短くした方が、早く治りますよ。
 痛いのも短くて済みますよ。
 (ちょっと意地悪な言い方です…)
      ■         ■
 受刑者:痛いのもガマンします。
 たとえ皮膚がくっつかなくても、文句は言いません。
 ちゃんと先生や看護婦さんの言うことも聞きます。
 どうか治してください。お願いします。
 刺青が入っているのに、怖そうなところはありません。
 確かに、私が手術をすれば皮膚がくっつくかもしれません。
 ただ、もし皮膚がうまくくっつかなければ、後遺障害も残ります。
 痛みもかなり続く可能性があります。
 また、くっつけた皮膚が化膿してしまうリスクもあります。
 早く治すには、指を短く詰めるのが一番です。
      ■         ■
 私は、診察室の奥へ行って、刑務官と話しました。
 受刑者は、皮膚をくっつけてくださいと話しています。
 もし、皮膚をくっつける手術をすると、入院が必要になります。
 入院期間は、最低2~3週間は必要です。
 刑務官は困った顔をしています。
 結局、その取れた皮膚をくっつける手術をすることになりました。
 刑務所では、受刑者が入院して手術をすることを認めてくれました。
 手術が必要になったのはいいのですが、それからが大変でした。
 何がどう大変だったのかは、明日の日記に書きます。

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医療問題

精神と犯罪

 各地で凶悪な犯罪が目立っています。
 優秀な弁護士さんは、‘責任能力’を強力な武器として、
 無罪を主張してきます。
 そうすると、‘犯罪者’の中には、刑務所ではなく、
 精神病院へ入院させてもらえる人が出てきます。
      ■         ■
 刑務所と精神病院では待遇に雲泥の差があります。
 食事一つとっても、
 ‘犯罪を犯した患者’だからといって、
 差別されることはありません。
 一般の入院患者さんと同じ、病院食が出されます。
 希望すれば、おかわりもできます。
      ■         ■
 私は学生時代に、真剣に精神科医になろうと思った時期がありました。
 理由は、簡単です。
 ‘血を見るのが怖かったから’です。
 今の私を知る人は、
 『えぇ~???』と驚かれるに違いありません。
 毎日、血を見て仕事をしていますから…。
      ■         ■
 私が精神科を諦めた理由も簡単でした。
 治らない、
 治せない、
 患者さんが実に多いからです。
 どこの精神病院にも、
 人生の大半を病院で過ごしている方がいらっしゃいます。
 他の診療科では考えられないことです。
      ■         ■
 大部分の方は、生活保護を受けていらっしゃいます。
 すなわち、税金が使われています。
 患者さんの中には、医師免許証を持った人もいました。
 医師免許証を持っていても、
 人生の大半を精神病院で過ごしていました。
 そこの病院の治療方針が悪くて治らないのではありません。
 ある割合で、どうしても治せない患者さんがいるのです。
 悲しいことですが、これが精神医学の限界です。
      ■         ■
 私は、犯罪を犯した人を、精神を理由に無罪にするのには反対です。
 無罪にして、精神病院へ入れたとしても社会はよくなりません。
 精神病院では、刑務所ほど厳重に患者さんを管理しません。
 いや、管理なんてできません。
 タバコを吸うのも自由です。
 中には、病院で妊娠しちゃう人も出てきます。
 他の病棟と比較すると、看護職員の数が少ないのが精神科です。
 看護職を増やすと、それだけお金がかかるからです。
 国の方針です。
      ■         ■
 精神科勤務の職員には、程度に応じて、
 ‘危険手当’が支払われる場合があります。
 閉鎖病棟で、凶暴性のある患者さんを看護する職員などです。
 私が、知っている看護職の方で、
 患者から暴行を受けて意識不明の重体となった男性がいます。
 残念なことに、後遺障害も残ってしまいました。
 精神科勤務は、時に命がけです。
      ■         ■
 医学生は全員精神神経科を履修します。
 選択科目ではありません。
 実習へ行くと、分厚い辞書のようなカルテを目にします。
 何十年も、精神科に入院していた患者さんのカルテです。
 そのカルテを見ただけで、精神医療の難しさを痛感できます。
      ■         ■
 私は、司法修習生など、法曹界の方が、
 精神神経科に実習に来ているの見たことがありません。
 もし、私が間違っていたら、ごめんなさい。
 弁護士さんや裁判官、検察官になる方は、
 日本の精神医学の状況や精神病院の現実を見るべきだと思います。
 どうしたら、日本を安全で住みやすい国にできるか?
 ‘犯罪を犯した患者’を精神病院に入れるだけでは、
 決して、安全な国はできないと思います。
      ■         ■
 形成外科や美容外科も万能ではありません。
 私が手術をしても、治せないキズもあります。
 私が手術をしても、満足していただけないこともあります。
 でも、それは治療前に説明していますし、
 納得していただかなくては、手術をお引き受けしていません。
 まさか、美容外科に行ったら、
 どんな人でも美人になれるとは考えていないと思います。
 でも、ひょっとすると、法曹界では?
 精神病院に入院したら、
 ‘犯罪を犯した患者’が治ると思っているのでしょうか?

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医学講座

犬に咬まれる

 飼い犬に手を咬まれるという言葉があります。
 実際に飼い犬に手を咬まれる人がいます。
 私も、チェリーが仔犬の時に咬まれました。
 医学用語では、犬咬傷(イヌコウショウ)と呼んでいます。
 ‘犬咬傷’で検索すると、かなりひどいケガの写真が出てきます。
 勇気のある方はチャレンジしてみてください。
      ■         ■
 私は、美容形成外科医になる前は、
 総合病院の形成外科医を20年以上していました。
 今から、20年以上前のことです。
 釧路労災病院形成外科に勤務していました。
 毎年、春になると、
 犬に咬まれたという患者さんが増えました。
 一緒に働いていた、
 藤岡浩賢(ふじおかひろたか)先生に調べてもらいました。
      ■         ■
 藤岡先生は、とても真面目で優秀な先生でした。
 釧路労災病院形成外科を開設してから、
 10年近くのカルテを丹念に調べてくれました。
 その結果、釧路労災病院形成外科では、
 毎年、春と秋に犬に咬まれてケガをし、
 受診する人が多いことがわかりました。
 藤岡先生は詳しく調べてくれましたが、
 春と秋に多い原因は不明でした。
 当時は、まだ今ほど室内で飼うのは一般的ではなかったと思います。
 ただ、犬の発情期と何らかの関係があるようでした。
      ■         ■
 私はチェリーに手を咬まれました。
 それは、仔犬の時にしつけをしている最中でした。
 私は散歩こそ、チェリーの晩年にしませんでしたが、
 チェリーの歯磨きと歯石取りは最期まで私の仕事でした。
 家内や子供がすると、
 最期まで「う~」っとうなって抵抗しました。
 私がしても嫌がって逃げ回りましたが、
 つかまると観念しておとなしくさせてくれました。
      ■         ■
 形成外科で外傷を診ていると、犬の他に
 人間に咬まれて受診する方も、マレにいらっしゃいました。
 たいていは、喧嘩か痴情のもつれによるものです。
 犬に咬まれても、人間に咬まれても、
 咬まれた傷は汚くなります。
 これは、口の中には想像以上に雑菌が多く、
 どんなに可愛い仔犬でも、
 どんなに美しい女性でも、
 咬んだ歯に、バイ菌がついているからです。
      ■         ■
 犬で問題になるのが、パスツレラという菌腫です。
 私は一度しか診たことがありませんが、
 パスツレラに感染すると、痛くて赤く腫れ上がって、
 それはそれはひどいキズになります。
 そうなるとキズを治すプロの形成外科医でも難しくなります。
      ■         ■
 実は、犬に咬まれたキズで一番困るのが顔のケガです。
 私もよくしていましたが、
 犬に顔を近づけて‘よしよし’をします。
 チェリーはよく私の顔をペロペロしていました。
 この時に、犬が間違って咬むと大変です。
 口唇がちぎれてなくなった人もいます。
 鼻の頭が、食いちぎられてしまった人もいます。
      ■         ■
 若い女性や子供さんには、絶対に、
 犬にペロペロは避けていただきたいです。
 私が今までに診た患者さんの中で、
 一番重症だったのは、
 女性に鼻の頭を食いちぎられた男性でした。
 ‘男だからしょうがないさ’と簡単に片付けられない状態でした。
 修復するのに何年もかかりました。
 春はうきうきして楽しい季節ですが、
 ‘不慮の事故’が多いのも春です。
 くれぐれも気をつけてください。

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医療問題

精神鑑定

 平成20年3月23日、北海道新聞の記事です。
 香山リカのひとつ言わせて⑬ 
 精神鑑定ってなんだろう
 東京・渋谷の夫殺害事件の精神鑑定が話題となっている。
 検察側、弁護側、双方の鑑定医が
 「被告は短期精神病状態にあり、責任能力はなかった」
 という鑑定結果を公判で述べたのだ。
      ■         ■
 特に検察側の鑑定医が
 被告の罪が軽くなるような鑑定結果を述べることは異例、
 と言われている。
 精神科医には「文系」と「理系」のタイプがいるが、
 検察側の鑑定医は、
 日本でも珍しい「文系、理系どちらも得意」のひとり。
 精神医学の世界の中にも、
 「あの彼が言うなら」
 と鑑定結果を支持する人も少なくない。
      ■         ■
 大学で学生たちにこの件について意見を聞いたら、
 「殺人を犯して責任能力がないから無罪や減刑、というのはおかしい」
 という声とともに、
 「そもそも、検察側の鑑定医だからといって厳しいことを言え、というのはどうして」
 という声があった。
 確かに客観的でなければならない精神鑑定で、
 「弁護側だから」
 「検察側だから」
 という主観が入るのはおかしな話のような気もする。
      ■         ■
 とはいえ、
 「短期精神病という一過性の病名で、夫を殺しても無罪?」
 と疑問に思う人がいるのも当然だ。
 裁判のスピードアップが要求され、
 精神鑑定のあり方も変わってくると言われている。
 この「異例の鑑定結果」は、
 私たちにもう一度、「精神鑑定ってなに」
 と問いかけているのではないだろうか。
                 (精神科医)
 (以上、北海道新聞から引用)
      ■         ■
 秋田の児童殺害事件でも、
 精神鑑定が問題になっています。
 そもそも、精神状態が普通の人は、
 自分の子供や夫を殺しません。
 自殺を図って、救命救急センターに搬送される方も、
 精神疾患がベースにある方が多いと言われています。
      ■         ■
 それでは、精神鑑定が出て、
 複数の精神科医が、
 『この人が犯罪を犯したのは、病気のためです』
 と鑑定書を出せば、無罪にしてよいものでしょうか?
 私は、そうは思いません。
 精神病院に入院している患者さんの中には、
 『オレは○○で人を殺した』と、
 大っぴらに公言している人もいました。
      ■         ■
 その患者さんが言っていることが、
 ウソかホントかはわかりません。
 ただ精神病院に入れたからといって、
 ‘完治’させられる訳ではありません。
 精神疾患は再発率も高く、
 一番治しにくい病気の一つです。
      ■         ■
 犯罪者は犯罪者です。
 精神疾患を免罪符にして、
 無罪放免だけは勘弁してください。
 子供を殺された親の気持ちはおさまりません。
 精神科医といえども万能ではありません。
 ウソを言われても、わかりません。
 オウム真理教の教祖様を‘精神疾患’で無罪にできますか?
 仮病(けびょう)を見分けるのは、難しいのです。
 精神医学にも限界があります。
 犯罪者は犯罪者として刑務所に入れて、
 死刑にするのは法律家の仕事です。
 ‘医学’が関与すべきではないと思います。
 横綱だって、‘病気’を理由にしていたではありませんか!

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昔の記憶

春の訪れ

 札幌はすっかり雪がなくなりました。
 一ヵ月前の大雪がうそのようです。
 昔は、春になると、道路の雪を割る、
 『雪割り』という作業がありました。
 道路に小さな川ができて、池のようになります。
 その池のようになった水溜りから、
 低いところへ流れるように、‘道’をつくります。
      ■         ■
 暖かな日差しで溶けた雪は、
 ちょろちょろと流れて、低いところへ広がります。
 いつの間にか、小さな流れが少しずつ大きくなり、
 水溜りが消えた頃には、水の‘道’の跡形もなくなります。
 そこには、雪の下で眠っていた道路が出てきます。
 道路が出ると、大好きな自転車を持ち出します。
 半年ぶりに乗る自転車は爽快で、
 いくつになっても気分がよいものです。
      ■         ■
 私は、小さい頃に足を悪くしたためか…
 スポーツは苦手でした。
 唯一得意科目だったのが、スキーでした。
 走るのもダメ、
 球技もダメ、
 一番嫌いだったのが、体育のマット運動などでした。
 4月に学校が始まると、
 マット運動から始まるのでイヤでした。
 自転車だけは、運動神経と関係なく好きでした。
      ■         ■
 はじめて自転車に乗ったのは、
 小学校入学前だったと思います。
 補助車という、支えをつけてもらって、
 親に後ろを支えてもらって練習しました。
 あまり苦労せず、
 痛い思いもせずに乗れたと思います。
 だから自転車が好きになったのでしょう。
      ■         ■
 最初の自転車は16インチ。
 次に買ってもらったのが、丸石自転車の24インチ。
 お小遣いをためて、貯金して、
 親にもお金を足してもらって買ったのが、
 ミヤタ自転車の26インチ。
 外装5段変速のついた、カッコいい自転車でした。
 嬉しくて、毎日ピカピカに磨いていました。
      ■         ■
 私が茶志内にいた頃、
 小学校6年生くらいで買ってもらった記憶があります。
 生協から買ったので、
 私が買う前に展示してありました。
 他の子供たちも、その自転車が欲しかったと思います。
 今のようにホームセンターに
 何十台も山積みになっているのではありません。
 そのカッコいい自転車は一台限りでした。
      ■         ■
 どこへ行くのも自転車でした。
 茶志内から美唄までは、
 路線バスがありましたが、
 休日には一家で自転車に乗り、
 美唄の公園まで行きました。
 自家用車なんてありませんから、自転車でも最高でした。
 茶志内周辺には、
 石狩川の河川改修でできた三日月湖がたくさんありました。
 そこへ、父親と釣りに行きました。
      ■         ■
 この50年で、自転車の価格は驚くほど安くなりました。
 札幌駅周辺では、指定場所でしか自転車をとめられません。
 しかも駐輪場は有料です。
 自転車はいたるところに放置されています。
 誰もが、自転車を大切にしなくなりました。
 自転車好きの私にはとても残念なことです。
 もう少し、自転車を大切にする世の中になって欲しと思います。
 CO2を排出するのは、乗る人だけです。

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医療問題

診察券

 平成20年3月21日の朝日新聞朝刊、
 声の欄(読者からの投稿)に掲載されていた記事です。
 奥さんが、心筋梗塞を発症して救急車を呼んだ。
 救急隊員から、最近かかった病院の診察券がないか聞かれた。
 健康保険証と一緒にしてあった、大病院の診察券を見せた。
 救急隊員は、その診察券をひったくるようにして取り上げ、
 病院へ連絡。
 すると、即座に入院のOKが出た。
      ■         ■
 この男性投稿者が言いたいのは、
 診察券の有無で、受け入れが決まってもよいものだろうか?
 病院としては、医療費不払いを防ぐために、
 診察券の有無で、救急患者を振り分けているのでは?
 道義に反しているのではないだろうか?
 診察券の有無にかかわらず、
 目の前の救急患者を受け入れるべきではないだろうか?
 というのが、投稿の主旨です。
      ■         ■
 この投稿者が不思議に思われるのはもっともです。
 ただ、医療費不払いを怖れて、
 診察券の有無で振り分けているのではありません。
 診察券を持っているということは、
 現在その病院で治療を受けているか、
 過去に治療を受けたことがあることの証明です。
      ■         ■
 診察券の番号がわかると、すぐにカルテが出てきます。
 その方の病歴もわかります。
 入院癧があると、詳細な記録が残っています。
 病院は、『一見(いちげん)さんお断り』の高給店とは違います。
 診察券を持っていらっしゃる方に治療上の責任があるので、
 たとえ急病になっても診てもらえるのです。
 ですから、たとえ2時間待ちの3分診療でも、
 大病院の診察券を持っていると役に立ちます。
      ■         ■
 私が勤務していた時代の市立札幌病院も同じでした。
 まず、通院中の患者さんと一般の救急患者さんは
 担当する当直医が違います。
 通院中の患者さんの容態が悪くなって
 病院へ電話が来た時は、
 まず、‘一般当直’の看護師・医師が診察します。
 ‘一般当直’は、私のように、
 救急医療部以外の診療科の医師や看護師が、
 輪番制で当直をします。
 医師は、当直をしても、翌日に通常の診療や手術をします。
      ■         ■
 一番多かったのが、喘息患者さんでした。
 患者さんが苦しそうに、
 『先生、いつもの点滴をお願いします』
 と言われます。
 カルテにも主治医から、
 救急外来を受診した際には、
 ○○の点滴をしてくださいと指示が書いてあります。
 何度か当直をしていると、主治医ではないのに
 喘息患者さんと顔見知りになることもありました。
      ■         ■
 専門外の私でも、指示があれば、その通りに点滴はできます。
 救命救急センターとは、救急のレベルが違いました。
 突然、通院中の患者さんの容態が極端に悪くなることもあります。
 その時は、一般当直の当直医が診察し、
 必要に応じて、主治医と連絡をとって対処します。
 小児科や循環器内科などは、担当医を呼ぶこともありました。
      ■         ■
 たとえ札幌市民が作った
 札幌市民のための市立札幌病院でも、
 無条件に夜間の救急患者を受け入れると、
 パニックになります。
 札幌市の夜間救急は、夜間急病センターが担当。
 急病センターで手に負えない方が、
 二次救急、三次救急の病院へ来られます。
 それが、札幌市が決めたルールです。
      ■         ■
 朝日新聞へ投稿された読者の奥様は
 「もう少し処置が遅かったら危なかった」と言われながら、
 10日後に無事に退院できたそうです。
 日本の救急医療現場は大変です。
 一瞬の判断が、生死やその方の予後を大きく変えます。
 救命救急センターに、風邪の患者さんまで来ては
 助かる患者さんも助からなくなります。
 受診する方のモラルも必要なのが救急医療です。

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昔の記憶

お葬式

 今から50年近く前のことです。
 私は、札幌郡手稲町に住んでいました。
 父が勤務していた、三菱砿業㈱手稲療養所の職員住宅です。
 幼稚園へ入園する前に、
 近所の、仲良しだった男の子が亡くなりました。
 内科の先生の一人息子でした。
      ■         ■
 お湯で大ヤケドをして、亡くなってしまいました。
 私は、ヤケドの治療をたくさんしました。
 受傷直後から、どのような経過をとって亡くなったかよくわかります。
 子供がヤケドをすると、最初は痛いいたいと泣いています。
 救命処置をしないと、そのうちグッタリしてきます。
 大ヤケドをした時には、まず点滴をします。
 子供はショックになりやすいので、まず点滴をします。
      ■         ■
 現在は、子供でも、大ヤケドの治療は救急部が担当します。
 今から50年も前のことです。
 当時、どんな点滴があったかわかりません。
 小さな子供に点滴をするのは、難しいことです。
 その子にどんな治療をしたかもわかりません。
      ■         ■
 父の話しですと、当時、先生は北大で研究をしていて、
 北大から手稲の社宅に帰って来て事故が起きました。
 先生は、すぐに車を手配して、
 子供を札幌医大に搬送したそうです。
 一晩、札幌医大で治療をしましたが、
 残念なことに、子供さんは帰らぬ人になってしまいました。
      ■         ■
 私より、少しお兄ちゃんだったと思います。
 その子のお通夜に、母に連れられて行きました。
 当時は、自宅に祭壇を作って、自宅でお通夜をしました。
 祭壇には、その子の写真といっしょに、
 大きなリンゴが供えてありました。
      ■         ■
 私は子供だったので、その子の死が、
 どういうものなのか、わかりませんでした。
 母親に、もう○○ちゃんとは遊べないんだよ。
 と言われた程度の記憶しかありません。
 お通夜がどういう意味を持っていたのかも、
 理解していませんでした。
 私は無邪気に、あのおリンゴ美味しそうだね。
 と言ったのだけ覚えています。
      ■         ■
 両親の話しですと、
 一人息子を亡くした先生は、ずっと亡くなるまで、
 息子を助けられなかったことを
 悔やんでいたそうです。
 私の父を含む同僚や医師仲間も、
 子供を助けられなかったことを悔やんでいました。
      ■         ■
 私が、手稲から美唄へ引越し、
 小学校3年生程度になった頃です。
 その先生が、ひょっこりと自動車で遊びにいらっしゃいました。
 当時、自家用車は珍しく、
 子供の私は、その先生の自動車を触ったり、眺めたりしていました。
 後部の窓に、『模範者』と書かれた、
 赤いステッカーが貼られていたのを覚えています。
 無事故無違反だと、ゴールド免許証ではなく、
 ステッカーをくれた時代でした。
      ■         ■
 先生は、車から降りると、
 しきりに私の頭を撫でてくれました。
 『けんちゃん、大きくなったなぁ!』
 『こんなに大きくなったんだぁ。もう足は大丈夫?』
 私は、当時どうして○○ちゃんのおじさん(先生)が、
 こんなに私の頭を撫でてくれるのかわかりませんでした。
      ■         ■
 自分がおじさんになってわかりました。
 先生は、 私を見て、
 自分の亡くなった一人息子を想い出していたのです。
 ○○も、生きていたら、こんなになっていたのだろうなぁ!
 と感慨深く私を見ていらしたのです。
 その先生とは、その後お会いした記憶はありません。
 昭和54年7月にお亡くなりになりました。
 私の父と同年代でしたが、
 父よりずっと若くしてお亡くなりになりました。
      ■         ■
 人間の幸せなんて、わからないものです。
 お医者さんになって、裕福に暮らしていても
 自分の子供を亡くすると、突然、不幸になります。
 平凡でも、
 親子そろって、晩御飯を食べられる家庭が一番です。
 私たち、医師がお手伝いできるのは、
 人間の生活のほんの一部です。
 もうヤケドの子供を助けることはできませんが、
 少しでも、他人に喜ばれる仕事をしたいと考えています。

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未分類

神さま!

 私は、クリスマスには教会の賛美歌に耳を傾け、
 大晦日(おおみそか)には、お寺の除夜の鐘を聞き、
 お正月には神社に初詣(はつもうで)に行きます。
 外国人が聞いたら驚くような、‘信心深い’日本人です。
 結婚式は、ホテルの結婚式場で、
 二礼二拍手一礼の作法で、
 玉串(たまぐし)を奉げ(ささげ)ました。
 私たち夫婦の神様は、
 三吉神社(みよしじんじゃ)という
 札幌市内中心部にある神社の、ホテル内出張所でした。
      ■         ■
 こんな信心のない、不心得な私でも、
 困ったことや、辛いことがあると…
 『神さま!』と思うことがあります。
 『おぉ、神よ!神さまよ!』
 『あなたは、どうしてこのように惨い(むごい)ことをなさるのか?』
 と思うことがあります。
 せっかく、自分や自分の家族が楽しみにしていたことを…
 あなたは、なぜ無残なことをなさるのか…
 と、神を思うこともあります。
      ■         ■
 医学なんて偉そうにしていても、無力なものです。
 一番力をもっているのは、自然の摂理(せつり)。
 自然の力にはかないません。
 世の中は、楽しいことばかりではありません。
 辛いつらいことも、たくさんあります。
 つらいことに出会った時に、人間は神頼みをします。
 自分の力では、どうにも、どう努力しても、
 かなわないことがあります。
      ■         ■
 私たち医師は、人の死と対面します。
 葬儀屋さんの次に、
 人の死と多く接する職業かもしれません。
 私たち医師でも、
 自分の家族の死を受け入れなければならないことがあります。
 私の人生の中で、何度か、
 つらい、悲しいお葬式に出たことがあります。
 それは、子供の死です。
      ■         ■
 私は救急医療の現場で多くの人の死を見ました。
 朝、元気で家を出て行った人が、
 ある日、突然救急ホールに搬送されて来て、
 治療の甲斐なく帰らぬ人となってしまうことがあります。
 その死が予期せぬことであればあるほど、
 人の心に深い悲しみを残します。
      ■         ■
 医師といえど、
 最愛の子供を亡くした親の気持ちは同じです。
 私が知っている人の例です。
 自分の後継者になると喜んでいた息子が、
 山で遭難して、若くして亡くなってしまった。
 東京の大学で勉強していた息子が、
 湘南海岸で水死してしまった。
 可愛い子供にガンができて、
 手術をしたけれど転移して亡くなってしまった。
 どの子供の死も、ごく身近な先生に起こりました。
      ■         ■
 子を亡くした親の気持ちは悲しいものです。
 私の場合は、少し状況が違いますが、
 自分の娘が私のもとからいなくなりました。
 こんな‘クソ真面目なおやじ’から、
 どう突然変異して、あんな娘になったのか?
 私は深く傷つき、怒りと悲しみで気が変になりました。
 その時に、私を救ってくれたのは、
 『先生、かわいそう…』という言葉でした。
      ■         ■
 どんなに真面目に一生懸命に生きていても
 『どうして?』
 『なぜ?』
 『どうして、神さまはこんなことをするの?』
 ということに遭遇します。
 私の友人の韓国の先生が言いました。
 『運命です』
 私は、その先生の言葉が忘れられません。
 人間には、
 人生には、
 つらいことがたくさんあります。
 それを乗り越えて、人は生きていかなければなりません。
 悲しい時は、思いっきり泣いて…
 泣いて…泣いて…
 涙が枯れるまで泣いて…
 そうして、時間とともに少しずつ、回復できるのだと思います。

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医療問題

外国人看護師

 日本の医師・看護師不足対策の一つとして
 外国人看護師の活用を図る方法が取り上げられています。
 弁護士の高橋智先生Sammy通信
 平成20年3月18日の朝日新聞に掲載されています。
      ■         ■
 特に、今朝の朝日新聞の記事が気になりました。
 フィリピンでは、
 医師・看護師の海外流失が深刻な問題となっています。
 フィリピンの医師の月給が5万8千円程度。
 米国で看護師の資格を取得して、
 看護師として働くと、月給が40万円になる。
 フィリピンの医師国家試験に
 一番で合格した優秀な先生が米国の看護師になって
 社会問題になったそうです。
      ■         ■
 私の友人の先生が、
 国際協力事業団の仕事で数年間フィリピンに滞在しました。
 彼は医師で、フィリピンの医療問題を担当していました。
 朝日新聞にも書かれていましたが、
 フィリピンの僻地医療は、日本の比ではないそうです。
 とにかく、医師も看護師もいない。
      ■         ■
 フィリピンの医科大学を卒業した、‘優秀な’医師が、
 高給を求めて、海外で看護師として働きます。
 米国、英国、アラブなど、お金持ちの国へ流失です。
 この上、日本が円高を背景に、
 フィリピンから看護師を‘輸入’してしまうと…
 新たな国際問題となりそうです。
      ■         ■
 私は、フィリピン人が嫌いではありません。
 人種差別もありません。
 ただ…
 日本人看護師でも、指示を間違えて注射をして…
 医療事故が起きています。
 言葉の違いは、医療では致命的な事故になる可能性があります。
 看護は、微妙な意思疎通が必要な領域です。
 病んでいる、苦しんでいる患者さんの
 一番近くにいるのが看護師さんです。
 『ちょっと、お願い!』
 と言われただけで、ピンと来る勘が必要です。
      ■         ■
 2月にあった、JAL機の離陸事故も
 Expect immediately takeoff.
 のExpectを聞き逃し
 Immediateだけが聞こえたための事故です。
 あらためて、国際線の機長をしている知人に聞きました。
 私が日記で書いた通りに、
 外国の航空管制官は、Immediateという言葉は
 絶対にtakeoffとペアーで使う
 つまり、『ただちに離陸しなさい』としか使わないそうです。
 だから、千歳の管制官が
 『ただちに離陸指示がでることを予測しなさい』
 という表現を使ったことが、事故の誘因になっています。
      ■         ■
 航空機の外国人パイロットや客室乗務員を雇用するのと
 外国人医師や外国人看護師を雇用するのは
 医療の安全を考えた時に、まったくレベルが違う問題です。
 外国人客室乗務員が乗った飛行機に、搭乗することがあります。
 日本人CAが来てくれると、ほっとするのは私だけでしょうか?
      ■         ■
 日本の医療を考える時に、安易に外国人に頼るのは誤りです。
 外国人を雇うと、その外国人の母国では
 それだけ医師や看護師が減ります。
 私は医療分野だけは、
 日本語を母国語とする、
 医師や看護師が担う(ニナウ)べきだと考えています。

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院長の休日

心を癒す(いやす)

 何度も日記に書いています。
 医師はストレスの多い仕事です。
 決して、楽で、儲かる職業ではありません。
 診療科目や立場によってストレスは違いますが、
 私のように、一人で開業していると、
 医業以外のことで、ストレスがかかります。
      ■         ■
 手術で悩むことは、まずありません。
 クリニックの運営、労務、経理、人事など
 今までの経験が役に立たないことで、
 問題が発生すると悩みます。
 私の先輩が何人か、
 大病院の院長に就任なさいました。
 お気の毒なことですが、
 一番多くマスコミに登場するのは、
 頭を下げているところ…。
 謝罪の記者会見です。
      ■         ■
 大病院の院長ともなると、すべての責任がかかります。
 1,000人近い患者様や、それとほぼ同数の職員のことなど
 いくら頭が良くても、すべては掌握できません。
 近年は、それに経営問題が重くのしかかります。
 国公立病院で‘黒字経営’をするのは、
 並大抵のことではありません。
 私の何倍もストレスが多いことと思います。
      ■         ■
 私は、酒も飲まず。
 タバコも吸わず。
 ススキノに通うこともありません。
 どうやって?
 ストレス解消をしていると思いますか?
 健康管理のために、スポーツクラブに通っています。
 スイミングを、ほぼ毎日、少しずつしています。
      ■         ■
 ストレス解消になっているか?と聞かれると…???
 適度に疲れるので、よく眠れます。
 ただ、あぁ~、
 これは良かったなぁ~、
 というような、感動はありません。
 たまにストレス解消をしたいと思います。
      ■         ■
 一昨日の夜、‘サーカス’のコンサートに行ってきました。
 そして、昨夜は、‘さだまさし’さんのコンサートに行ってきました。
 たまたま、家内が‘さだ’さんのチケットを買った後で、
 サーカスの30周年記念コンサートのことを知り、
 2晩続けてになりました。
 少し、贅沢でしたが、
 いやぁ~~、これはよかったです。
 どちらも、とても心が癒され(いやされ)ました。
      ■         ■
 サーカスのお姉さん、叶正子(かのうまさこ)さんと
 さだまさしさんが、同じ1952年生まれ。
 サーカスの叶高(かのうたかし)くん、
 と私は札幌西高校の同期で1954年生まれ。
 どちらのコンサートも、
 観客は圧倒的に、おじさんとおばさん。
 男女比では女性が多い印象でした。
      ■         ■
 サーカスの叶くんも
 さだまさしさんも
 コンサートに来てくれたお客さんから
 『来てよかった!』
 『歌を聴いて元気が出ました!』
 『また元気を出して頑張ります!』
 と言われるのが、一番の励みになるそうです。
      ■         ■
 さだまさしさんのコンサートは、はじめてでした。
 約3時間近く、途中休憩もなしで、
 歌いっぱなし、
 話しっぱなし、
 でした。
 さだまさしさんのトークが、
 こんなにおもしろいとは知りませんでした。
 さださんは、幼少の頃、
 お坊ちゃまでバイオリンを習っていたそうです。
 その後、お父様の事業がうまく行かなくなり、
 豪邸住まいから、一転しました。
 ご自身でも、
 映画事業の負債から30億円もの借金をかかえられました。
      ■         ■
 コンサートは通算3,500回を超えたとお話しされました。
 とにかく、すごいパワーでした。
 歌を通じて、多くの人の心を癒してくださっています。
 私も心を癒していただきました。
 歌を聴いて、元気をいただくのはよいことだと思います。
 これからも、少しずつ、コンサートに足を運んでみようと思いました。
 自分も、少しでも人の役に立つ仕事をしようと思いました。
 私たちの50歳台という年代は、
 こんな風に考える年頃なのかなぁ…
 とも思いました。

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