昔の記憶

麻酔科研修の想い出④

 麻酔科は外科系の科から、
 麻酔の依頼があると、
 麻酔をかける科です。
 当たり前のようですが、
 これが大変なことなのです。
 患者さんを選んで…
 麻酔をかけるのではなく、
 依頼があれば引き受けるのが原則です。
      ■         ■
 中には、
 生死にかかわるような手術もあります。
 麻酔をかけただけでも、
 生命の危険を伴うこともあります。
 私も札幌医大形成外科に勤務していた時に、
 心臓の機能が低下していて、
 麻酔科と相談して、
 手術を一度は諦めた患者さんが
 いらっしゃいました。
      ■         ■
 私が北大形成外科で研修をしていた頃、
 北大病院手術部では、
 毎週金曜日のお昼に、
 手術場(しゅじゅつば)会議というのがありました。
 各科から出された、
 翌週の手術予定を調整する会議でした。
 手術室看護師の数や、
 麻酔科医の数には限りがあります。
 全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
 人的な余裕がありませんでした。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、
 看護師さんの数が足りないので…
 直接介助は無しでお願いします。
 【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
 【看護師の代わりは研修医です】
 とか
 この手術は次週にまわしてください。
 という調整の会議でした。
 この会議に出るのが、
 形成外科ではチーフレジデントでした。
 私も半年間出席しました。
      ■         ■
 この会議で手術が(予定に)入らなくなると…
 患者さんに説明をして…
 『申し訳ございません。』
 『手術室の都合で来週の手術は延期になりました。』
 と謝るのも、
 チーフレジデントの仕事でした。
 幸い、私の時には断られて…
 中止になった例は無かったと思います。
 ただ、毎週気の重い会議でした。
 患者さんへの説明も、
 金曜日の手術部の会議の後で
 最終的な手術日程を説明していました。
      ■         ■
 麻酔科研修をした札幌医大では、
 手術部の人員の関係で、
 手術ができないとか…
 麻酔科医が足りないので、
 手術ができないとかいうことは…
 まったくありませんでした。
 手術が必要な患者さんを
 手術が必要な時に引き受けるのが、
 麻酔科と手術部の仕事でした。
 優秀な看護師や麻酔科医が、
 たくさんいたのでできたのだと思います。
      ■         ■
 現在の保険医療制度では…
 病棟の看護師を増やすと…
 病院に入る収入が
 増えるようになっています。
 ところが…
 手術室の看護師を増やしても、
 麻酔科医を増やしても、
 病院は経費がかかるばかりで、
 直接の収入増にはなりません。
 私たちが安心して医療を受けるためにも、
 国は麻酔科医や手術部の看護師にも、
 目を向けてほしいと思います。

“麻酔科研修の想い出④”へのコメントを見る

昔の記憶

麻酔科研修の想い出③

 私が麻酔科研修を受けた時に、
 私に直接、麻酔技術を指導してくださったのは、
 高橋長雄教授ではありませんでした。
 私に喉頭鏡(こうとうきょう)という器具を使って、
 口から麻酔の管(くだ)
 【挿管(そうかん)チューブと言います】
 を入れる手技を教えて下さったのは…
 当時の講師や助手・研究生の先生でした。
      ■         ■
 そのうちのお一人が、
 風のガーデンで、
 麻酔科の指導をなさった、
 旭川医科大学の岩崎寛教授でした。
 岩崎先生は大学院生で、
 博士号を取得するために、
 日夜研究をなさっていらっしゃいました。
 その他にも、
 当時、助手や研究生だった先生が、
 日本全国で、
 麻酔科教授としてご活躍中です。
      ■         ■
 麻酔科の朝は早く、
 夜は遅くまで研究室で勉強をしていました。
 ほぼ全員…
 夕食は出前でした。
 札幌医大近くのラーメン屋さんだったり、
 食堂だったりしました。
 夜の勉強は強制ではありませんでしたが、
 教室全体が勉強をする雰囲気でした。
 勉強の途中で、
 医局でコーヒーを飲んだり、
 雑談もしました。
      ■         ■
 そこら中に、
 教科書を執筆するような‘先生’が、
 何人もいました。
 医局には本や論文などの資料も、
 豊富にありました。
 わからないことがあれば、
 何でも気軽に質問できる雰囲気がありました。
 この豊富な人材こそが、
 高橋長雄教授が築かれた…
 貴重な財産であり、
 札幌医大麻酔科が、
 多くの教授を輩出した、
 原動力だと思います。
      ■         ■
 私は麻酔科研修で、
 点滴の刺し方から、
 中心静脈カテーテルの入れ方。
 心肺蘇生の基礎。
 とにかく…
 医師として、
 いざという時に必要な手技や知識を
 すべて教えていただきました。
 麻酔科研修を終えた後は、
 医師としての自信が数倍にもなった気がしました。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科で教えていただいたのは、
 技術だけではありませんでした。
 事故を起こしてはいけないという、
 極めて基本的なことを何度も言われました。
 医師賠償責任保険にも加入しました。
 依頼があった麻酔は、
 断らないというのも、
 札幌医大麻酔科の特徴でした。
      ■         ■
 われわれは、
 北海道が作った公立大学の職員で、
 札幌医大は道民のための大学病院。
 手術を必要としている患者さんのために、
 最善を尽くすのが当然…と
 当時の並木助教授(現名誉教授)に、
 教えていただきました。
 麻酔の手技とともに…
 私の心の中に生涯、残っている、
 札幌医大麻酔科のスピリットです。

“麻酔科研修の想い出③”へのコメントを見る

昔の記憶

麻酔科研修の想い出②

 私が札幌医大の学生だった頃と、
 麻酔科研修をさせていただいたのは、
 昭和50年代でした。
 高橋長雄先生が作られた、
 札幌医大の麻酔科は、
 日本の草分け。
 新進気鋭の麻酔学教室でした。
      ■         ■
 当時は、すでに中央手術室という、
 手術部門が独立していました。
 手術室の中で、
 麻酔科医と、
 麻酔科の看護婦さんは、
 薄い水色の術衣を着ていました。
 外科系の先生と
 看護婦さんは緑色の術衣でした。
      ■         ■
 たかが術衣の色と思いますが…
 これは実にすごいことだと…
 医者になって何十年も経ってから気づきました。
 そもそも…
 麻酔科の看護婦さんが、
 手術部門で独立していたのは、
 札幌医大の他は、
 あまり無かったのでは…?
 と思います。
      ■         ■
 私が平成10年(1998年)に、
 札幌医大に赴任した時には、
 残念ながら…
 水色の術衣は無くなっていました。
 麻酔科医も緑色の術衣でした。
 麻酔科の看護婦さんは、
 その存在が無くなっていました。
 何でも…
 新病院を建築した際に、
 手術部門の看護婦さんに統一されたそうです。
      ■         ■
 確かに…
 現在の看護師不足や、
 手術部門での…
 夜勤を含めた勤務を考えると…
 仕方のないことかと思います。
 ただ、
 麻酔科の看護婦さんは、
 素晴らしかった!
 新米の研修医以上に、
 何でも麻酔のことをご存知でした。
      ■         ■
 風のガーデンに出てきた、
 主人公が麻酔科医でした。
 麻酔科准教授・白鳥貞美(中井貴一)先生は、
 素敵でしたね。
 麻酔科は、
 痛みをとるエキスパートです。
 麻酔は、
 手術を安楽に受ける魔法のような手技ですが、
 医療事故が多いのも麻酔です。
 医療安全のことが最近取り上げられてますが、
 私が医療安全の基礎を教えていただいたのが、
 この麻酔科研修でした。
      ■         ■
 手術室内で、
 水色の服を着た、
 麻酔科医と
 麻酔科専従の看護婦さんが、
 札幌医大中央手術部の、
 医療安全を担(にな)っていたと思います。
 麻酔科の看護師さんを専従にするのは、
 確かに大変なことだと思います。
 ただ、大学病院クラスになると…
 もう一度、麻酔科の看護師さんを見直しても?
 よい時期なのでは?と思います。
 麻酔科研修を受けた、
 古きよき時代のことを想い出します。

“麻酔科研修の想い出②”へのコメントを見る

昔の記憶

麻酔科研修の想い出①

 私は医師になって3年目の、
 昭和57年5月から、
 札幌医大麻酔学教室で、
 研究生として麻酔学を研修をさせていただきました。
 当時は、
 北大⇔札幌医大の間で、
 研修医が行き来して、
 研修をするというのはマレでした。
 私のわがままを…
 大浦武彦教授が聞いてくださり、
 札幌医大麻酔科の
 高橋長雄教授にお願いしてくださり、
 特例として認められました。
      ■         ■
 当時、北大形成外科医局長であられた、
 現、市立札幌病院院長の吉田哲憲先生には、
 研修先の変更で大変ご迷惑をおかけしました。
 今でも大変申し訳ないことをしたと…
 反省しております。
 しかし、私の人生にとって、
 札幌医大麻酔科での研修は、
 何ものにも代えがたい…
 貴重な財産となっています。
      ■         ■
 よき指導者の下で勉強することが、
 いかに大切かがよくわかりました。
 私は卒後3年目でしたが、
 新卒の先生と一緒に研修を受けました。
 まず最初に、
 同門の偉い先生が、
 交代で講義をしてくださいました。
 講義の合間には、
 こんなことで苦労したというような…
 教科書には書いていない、
 苦労話や体験談を聞かせていただきました。
      ■         ■
 麻酔科研修医の朝は、
 病院内で最も早いと言われていました。
 私は当時、
 北区新琴似の公団住宅に住んでいました。
 (まだ新婚でした…)
 麻生発6:00頃の
 地下鉄の始発で通いました。
 つまり…
 5:00過ぎには起きて、
 顔を洗って、
 朝食を食べて、
 車で麻生まで送ってもらい、
 始発の地下鉄に乗りました。
      ■         ■
 学生時代を含めて、
 始発の地下鉄で通ったのは、
 この麻酔科研修の時代だけでした。
 朝の地下鉄には、
 早朝から働く、
 清掃関係の方など、
 毎日、ほぼ決まった顔がありました。
 この早朝からの‘研修’が
 私の医師としての生涯で、
 とても役に立ちました。
      ■         ■
 大学病院に着くのは、
 午前7:00前でした。
 そこで、
 早出の麻酔科の看護婦さんから、
 器械や薬剤の準備を教わりました。
 当日の予定に合わせて、
 点滴や薬剤を準備します。
 麻酔器のパイピングや、
 モニターの準備などを、
 看護婦さんに教えていただきながら、
 (看護婦さんの仕事の邪魔になりながら…)
 一つひとつ覚えました。
      ■         ■
 医師免許を取得する前も、
 取得した後も、
 医師が
 点滴の準備を自分ですることはマレです。
 何本もの点滴を、
 間違えずに素早く準備するのは大変です。
 下手な自分がすると、
 点滴の管に空気が入ります。
 空気の抜き方も教えていただきました。
 注射のバイアルも、
 何本も失敗して壊しました。
      ■         ■
 点滴も注射も、
 バイアルから出してしまうと、
 無色透明な液体です。
 これを間違わないように…
 一つひとつしっかりラベルを貼ることを、
 教えていただきました。
 私が医療事故を起こさないで、
 30年近く医療を続けられるのは、
 この麻酔科研修で、
 一つひとつのことを確実にするという、
 実に単純なことをしっかり教わったからでした。
 親切に教えてくださった、
 麻酔科の看護婦さんには、
 今でも感謝しています。

“麻酔科研修の想い出①”へのコメントを見る

昔の記憶

高橋長雄(たけお)先生の死を悼(いた)む

 札幌医科大学名誉教授(麻酔学)、
 高橋長雄(たかはしたけお)先生が
 6月3日(水)午前7:55、
 87歳でお亡くなりになりました。
 こころからご冥福をお祈りいたします。
 高橋先生は、
 大正11年3月4日小樽市に生まれ、
 北大医学部を
 昭和20年(1945年)にご卒業なさいました。
      ■         ■
 1957年から1987年まで、
 30年間にわたり、
 札幌医大麻酔科の教授をなさいました。
 私は学生の時に高橋先生に麻酔学を習い、
 医師免許を取得後、3年目に、
 札幌医大麻酔学教室の研究生として、
 麻酔学をご指導していただきました。
 高橋先生は、
 地方の公立大学である、
 札幌医大が誇る素晴らしい先生です。
      ■         ■
 若くして米国へ留学され、
 当時は日本に普及していなかった、
 全身麻酔を米国から導入されました。
 札幌医大麻酔科からは、
 日本全国に多数の麻酔科医を出されました。
 高橋先生が育てられた麻酔科医の数は、
 世界でもトップクラスで、
 日本全国で多数の先生が、
 ご活躍なさっていらっしゃいます。
      ■         ■
 今日は高橋先生の告別式に参列して参りました。
 遺影を拝見して、
 先生の優しい声を想い出しました。
 私たちが医学部の6年生だった時です。
 臨床実習で麻酔科を回りました。
 高橋先生は、
 学生全員に、
 『君たちは、来年から医師として活躍します。』
 『全身麻酔とはどういうものか…』
 『体験しておくとよいです。』
 と…
 教授自らマスクを持って、
 一人ひとりの学生に
 笑気と酸素で麻酔をかけてくださいました。
      ■         ■
 自分が医師や指導医となって思ったことは、
 たとえ数分の麻酔でも、
 教授自らが学生に全身麻酔をかけてくださるのは、
 とてもすごいことです。
 北大や他大学を卒業した先生に聞いても…
 高橋先生のように、
 麻酔科の教授が自ら、
 マスクを持って一人ひとり麻酔をかけてくれるのは、
 あまり聞いたことがありませんでした。
 私は笑気麻酔でとても気持ちがよくなり、
 見えていた天井の蛍光灯が…
 次第に見えなくなったのを覚えています。
      ■         ■
 高橋先生のご自宅は、
 札幌西高校の近くにあり、
 私が高校生の頃に、
 確か?
 西高のPTA会長をなさっていらっしゃいました。
 札幌医大を退職後も、
 西野学園で校長をなさっていらしたそうです。
 人を育てるのがお好きで、
 とても上手な先生でした。
 頣神院博仁大雄禅居士
 勲三等旭日中綬章
 高橋長雄先生ありがとうございました。

“高橋長雄(たけお)先生の死を悼(いた)む”へのコメントを見る

医学講座

第35回日本熱傷学会④

 昨日まで、日本熱傷学会に参加し、
 今朝7:00発のANAで帰ってきました。
 学会に参加すると、
 専門分野以外の講演も聴けます。
 昨日は、
 日本大学医学部法医学教授、
 押田茂實先生の、
 『救急医療とリスクマネジメント』という、
 教育講演がありました。
      ■         ■
 とても有意義な講演で、
 一時間があっという間に過ぎました。
 押田教授は有名な法医学者で、
 「足利事件」のDNA鑑定で、
 釈放された菅家利和さんのTV放送があったので、
 朝のテレビ朝日に生出演した後で、
 講演にいらしてくださいました。
 押田先生のご専門は、
 医療事故です。
 私たちが起こしてはいけない医療事故。
 押田先生の講演はとても勉強になりました。
      ■         ■
 講演の内容です。
 医療行為を合法的に行うには、
①免許を有する資格者が治療を目的に行うこと。
②患者がその医療行為を承諾していること。
③医療行為が現在の医療水準に達していること。
 の3条件が必要です。
 ところが、
 救急で搬送される患者さんには、
 意識がなく医療行為を承諾できない人がいます。
 救急の場合には、
 病歴が明らかではなく、
 専門外の特殊な診断困難な場合もあります。
      ■         ■
 医療というのは、
 病気を持った人に、
 場合によると大きな手術をしたり、
 危険性のある薬をつかうこともある
 専門的な行為です。
 つまり、
 もともと病気を持っている人に手を加えるので、
 結果的には
 病気のために具合が悪くなる患者さんもいますし、
 予想外の結果が生じる場合もあります。
      ■         ■
 詳しい内容は
 医療事故知っておきたい実情と問題点
 祥伝社、2005年発行_本体760円
 ISBN4-396-11006-5
 に書かれています。
 押田茂實先生は、
 医療事故を防ぐために、
 学生の教育はもちろん、
 全国の大学病院などを回っていらっしゃいます。
 病院職員と一緒に劇までして、
 いかに医療事故を防ぐかを、
 精力的に講演していらっしゃいます。
      ■         ■
 医学に関係する人には、
 是非一度聴いていただきたい講演です。
 祥伝社新書の本もとても参考になります。
 全国の病院で押田先生の講演を…
 お聞きになると…
 医療事故が減ると思いました。
 素晴らしい学会を開催してくださった、
 日本大学医学部形成外科の
 佐々木健司先生、
 東京女子医大形成外科の皆さん、
 ありがとうございました。

“第35回日本熱傷学会④”へのコメントを見る

医学講座

第35回日本熱傷学会③

 昨日は‘低温やけど’についてご報告しました。
 今日はやけどの治療法です。
 2007年の日本熱傷学会からお知らせしている、
 フィブラストスプレーというお薬です。
 科研製薬㈱という会社が発売しています。
 一般名をトラフェルミンといいます。
 まだ、正式に保険で認可はされていませんが、
 このお薬がやけど治療の主役になりそうです。
      ■         ■
 このお薬のすごいところ…
 バイオ技術で作った…
 世界初の…
 線維芽細胞増殖因子
 (せんいがさいぼう_ぞうしょくいんし)。
 bFGF(べーしっく_えふ_じー_えふ)
 (basic fibroblast growth factor)
 を主成分とする薬です。
 主成分は小さな瓶に入っている、
 白い粉状の物質です。
      ■         ■
 この白い粉を
 溶解液で溶かして、
 付属品のスプレーをつけます。
 目薬の瓶より少し大きめになります。
 コロンをスプレーするような感じで…
 このお薬をやけどした部位へ噴霧します。
 噴霧したままだと痛いので、
 軟膏ガーゼや
 創傷被覆剤(そうしょうひふくざい)という
 通常のやけど治療に使う材料で覆います。
      ■         ■
 そうすると…
 軟膏ガーゼだけで治すより、
 早くキレイに治ります。
 私はこの製品を…
 大学に勤務していた10年前に、
 ネズミの実験に使わせていただきました。
 私の実験でも…
 このお薬はとても効果がありました。
      ■         ■
 日本熱傷学会の学会誌には、
 複数の先生が…
 このフィブラストスプレーが
 効果的であると発表しています。
 日本発の…
 画期的な…
 新しいやけど治療法です。
      ■         ■
 低温やけどは、
 キズが深くなってしまうために、
 治りにくいのが特徴です。
 治りにくいやけどでも、
 このお薬を使って
 上手な先生に治していただくと
 早くキレイに治ります。
 できるだけ早く…
 専門医にみせることが大切です。

“第35回日本熱傷学会③”へのコメントを見る

医学講座

第35回日本熱傷学会②

 今日から日本熱傷学会がはじまりました。
 『やけど』は一番身近な外傷(けが)です。
 私自身も小さなやけどをしたことがあります。
 今日の発表で参考になったこと…
 湯たんぽによるやけどです。
 経済不況になり、
 部屋が寒いので、
 寝る前に湯たんぽを使う方が増えたそうです。
      ■         ■
 北海道から九州の先生まで、
 最近、湯たんぽによるやけどが増えたと…
 発表されていました。
 湯たんぽは、
 古くからある便利な道具ですが、
 使用方法を誤ると…
 やけどをします。
 最近…
 女性と
 小さな子どもさんの、
 湯たんぽによる、
 低温やけどが増えています。
      ■         ■
 『低温やけど』をネットで検索すると、
 いろいろなサイトが出てきます。
 やけどは高温の液体とか物体に、
 人の皮膚が触れて起こります。
 天ぷら油がはねた…
 髪を整えるアイロンが触れた…
 ハワイで日焼けして赤くなった…なんてのもヤケドです。
 天ぷら油も、
 アイロンのコテも、
 ヤケドをした瞬間に痛みがあります。
 熱い!⇒痛い!でわかります。
      ■         ■
 ところが…
 低温ヤケドが厄介(やっかい)なのは…
 この熱い!⇒痛い!が無いのです。
 寒い夜に…
 一人で冷たい布団に入って、
 足が冷たいのは辛いものです。
 あたたかい湯たんぽは、
 とても気持ちがよいものです。
 ついつい湯たんぽ
 ぴったりと足をくっつけてしまいます。
 疲れていると…
 そのまま爆睡してしまうこともあります。
      ■         ■
 そうすると…
 温かくて気持ちがよかった湯たんぽ
 凶器に変わります。
 人間の皮膚も蛋白質でできています。
 蛋白質は熱に弱く、
 皮膚も卵のように焼くと白く固まります。
 ゆで卵を作る時に、
 沸騰したお湯に短時間入れると、
 半熟卵になりますが、
 少し低温で時間を長くすると、
 黄身まで固い完熟卵になります。
      ■         ■
 気持ちがよいと思っていた
 湯たんぽの温度でも、
 長時間当たっていると、
 皮膚が損傷されてしまいます。
 これを‘低温やけど’と言います。
 湯たんぽの他に、
 ホカロン、
 暖房便座、
 床暖房、
 ホットカーペットなど、
 あらゆる温かいもの
 低温やけどをする可能性があります。
      ■         ■
 注意していただきたいのは、
 ‘低温やけど’をしても、
 すぐには気づかないこともあります。
 痛みがないこともあります。
 夜勤明けの看護師さん、
 睡眠薬で爆睡してしまう方、
 お酒に酔って意識が薄い方、
 下肢の知覚障害がある方。
 低温やけどになりやすい方は、
 意外と多くいらっしゃいます。
 子どもさんにも注意が必要です。
 安全な湯たんぽ
 添い寝をしてくれる…
 温かい親の脚です。

“第35回日本熱傷学会②”へのコメントを見る

医学講座

第35回日本熱傷学会①

 日本熱傷学会へ出席するため、
 東京へ来ています。
 熱傷学会はやけどの学会です。
 形成外科の先生、
 救急の先生、
 看護師さん、
 が参加する学会です。
 まみ子師長さんも、
 明日からの学会に参加なさるそうです。
      ■         ■
 今日は学会の評議員会がありました。
 99人の評議員がいます。
 私は市立札幌病院に在籍中に、
 評議員にしていただきました。
 学会の予算や方針などを決める会です。
 大学教授などの偉い先生の中で、
 私のような開業医はちょっと場違いです。
 でも、懐かしい先生に会えるのが楽しみです。
      ■         ■
 今日は学術講習会などもありました。
 一般市民向けに…
 市民公開講座もありました。
 この公開講座で、
 特別講演をなさった、
 キャセイ産業㈱代表取締役
 大島修治様のお話しが
 懇親会でありました。
 とても感動的なお話しでした。
      ■         ■
 大島様は、
 1996年7月会社に押し入った暴漢に、
 ガソリンを頭からかけられて
 火をつけられました。
 全身の60%のⅢ度熱傷。
 医師からは、
 命の保証はできないと告げられたそうです。
 5度の危篤状態と
 十数回の移植手術を乗り越えて、
 不屈の精神で再起されました。
      ■         ■
 命は助かったものの…
 首はやけどの傷のために動かず…
 【瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)といいます】
 右手は指が焼けてなくなってしまい、
 ものをつかむことすらできなかったそうです。
 九州から…
 東京女子医大形成外科の
 野﨑幹弘教授を紹介していただきました。
      ■         ■
 今回の学会長である佐々木健司先生、
 女子医大東医療センターの仲沢弘明先生、
 女子医大の教授に就任された櫻井裕之先生、
 素晴らしい
 東京女子医大形成外科スタッフの手術で、
 見事に顔貌と手の再建が成功しました。
 ご自身の辛い体験を…
 著書/「人生逃げたらあかん
 NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、
 お話しされ、多くの人を勇気づけていらっしゃいます。
      ■         ■
 私もお話しさせていただきましたが、
 HPを拝見して、さらに勇気づけられました。
 大島様がお話しになる大切なことは、
 (1) ありがとうの心
 (2) すみませんの心
 (3) 感謝の心
 (4) 素直な心
 (5) 正直な心
 (6) 他人を思いやる心
 (7) 何でも良い一つ得意なものを持とう。
 (8) 親や先輩を尊敬しよう。
 (9) あいさつ、返事、後始末
      ■         ■
 他人に感謝して、思いやる心を持とう!!
 そして自分の成長の為には
 厳しさやストレスも必要だと認識しよう。
 自分を好きに成り、
 他人を好きになろう。
 自分も喜び、他人も喜ばせよう。
 自分も楽しみ、他人も楽しめるように成ろう。
 楽して生きるのではなく、楽しく生きよう!
 辛い事も、苦労も、嫌な事も、
 自分の成長の為に
 神様が与えて下さった勉強だと思って感謝しよう。
 その感謝する心が幸せをつかむ入口の門です。
      ■         ■
 人生は自分の好きな事や得意な事を一生懸命やって、 
 その事が
 直接他人の喜ぶ事に結びつく生き方が
 もっとも幸せで輝かしい人生だと思う。
 苦労や困難は自分の成長の為にあります。
 厳しさやストレスも必要です。
 ストレスも善玉 と悪玉があります。
 悪玉は残ります。
 善玉は吹き飛びます。
 悪玉ストレスを善玉にして楽しく生きよう。
 その為には何か一つでも
 得意な事、好きな事を見つけよう。
 (以上、HPから引用)
      ■         ■
 生死の境をさまよって、
 何度も辛い手術を受け、
 奇跡的に快復され…
 ご自分の事業も軌道に乗せ、
 他人のために、
 勇気を与える講演活動をされている、
 大島修治社長に、
 ほんとうに心を打たれました。
 女子医大形成外科の先生が、
 足の指を移植して再建された、
 大島社長の右手と握手できました。
 とてもあたたかな手でした。

“第35回日本熱傷学会①”へのコメントを見る

医学講座

札幌東豊病院

 週刊文春2529
 2009年6月4日号、
 病院情報ファイル2009の記事です。
 大規模産科診療
 お産主体の大型産婦人科病院。
 規模の利点を活かして、患者本位の診療を実現。
 札幌東豊病院
 〒065-0017
 札幌市東区北17条東15-3-1
 電話011-704-3911
 取材・構成
 恵原真知子
      ■         ■
 産科診療は二十四時間、年中無休の対応が求められる。その過酷な仕事ぶりが世間に知られるようになってはきたが、産科の縮小や閉鎖が相次ぎ、人気の産科には予約が殺到と、とても選べる状況ではない。医師の労働環境改善が一朝一タにゆくものではないだけに、お産難民となる可能性もなかなか解消されない。
      ■         ■
 「どこの産科でも勤務の過酷さは変わらないと思いますが、私どもは昭和59年に開院して以来、殆どの患者さんをお断りすることなく受け入れることができています。スタッフの数が多く、自分たちを支えあっているゆえのことでしょう。
 里帰り出産は女性の社会進出に伴って減りつつありますが、希望していても受け入れ先がなくて諦める方も多い。経験者の親御さんがそばにいることが育児不安の軽減に役立つ里帰り出産はもちろん、本州からのお産難民も大歓迎です」
 心強い一声は札幌東豊病院の前田信彦院長(産科)。
      ■         ■
 昭和終盤といえば既に少子化が顕在化し、産科や小児科を目指す医師が減り始めていたころだ。創設者は、産科診療を続けたいなら個別に開業するより仲間と一緒に病院を運営したほうが、医療側にも患者側にもメリットが大きいと考え、札幌医大出身の医師6人が集まってこの病院を始めたという。
 現在は、常勤の産婦人科医14人、小児科医4人、麻酔科医1人、助産師33人、看護師30人と増え、建物も増築を重ねてきた。この体制で年間平均1,300件前後の分娩に対応。2つの分院を含め札幌市内で生まれる赤ちゃんの6、7人に一人はこの病院で産声をあげているのだ。開院以来の分娩総数は3万3千件になるという。大学病院並みの件数だが、周産期母子医療センターの指定はない。いまのところは、通常の分娩を中心に、不妊症や婦人科疾患を幅広く扱う専門病院ということだ。
      ■         ■
 長期滞在用宿泊施設も
 産科診療における小児科医の存在は、子どもに病気がない母子にとっても大きな安心感となるだろう。しかし、配備しても診療報酬には何も反映されない。
 「もちろん実際に子どもを診療すれば診療費として請求できます。いざというときの対処のために、プロを揃えて医療の質を保障しているということです」とは理事長でもある小児科の若松章夫医師。ところで、この理事長・院長職は持ち回り制で、医療側の働きやすさ、患者のかかりやすさが優先されるらしい。
      ■         ■
 「医師数はまだ足りず、リクルート大歓迎です。万一、増員で賃下げになったとしても、休みや研究の時間がとれます。また、人員や設備(NICUなど)を規定の数に増やし、周産期医療センターの指定を受ける選択肢もあります」(若松理事長)
 産婦人科の外来診療は、8~19時(昼休みを除く)、土・日・祝日も9~17時オープン。仕事をもつ妊婦が助けを借りずに通院するには、夕方と土日に開いていないとニーズに応えられない。当院で働く女性医師や看護師が、妊娠中や育児期間に通院しやすい条件を考慮し、整えられた体制というしだい。
      ■         ■
 病室は、64床中個室が47床。また、遠方の雪深い地域から訪れる患者のための長期滞在施設(自炊できる部屋が2つあり、一泊2千円)も用意。
 “相手の身になった診療“と口にするのは簡単だが、少人数では、志があっても難しい。世に先駆けたチーム運営は、規模の利点が医師の負担軽減ばかりか医療の効率や質の向上につながる好例といえるだろう。
      ■         ■
 昨年1年間の診療内容
 産科
 分娩総数  1,252人(多胎分娩17件)
 帝王切開347人(分娩総数の28.1%)
 吸引分娩120人(分娩総数の9.6%)
 病的新生児の入院数
 入院総数350人
 低出生体重児132人
 人工呼吸管理12人
 他院搬送17人(先天性心臓疾患、難治性低血糖、超低出生体重児、染色体異常など)
 婦人科
 子宮筋腫(集束超音波治療装置もあリ)や卵巣嚢腫、婦人科がんなどの手術を400件以上実施。なお、がんや不妊の治療に欠かせない細胞検査技師も常駐
 (以上、週刊文春より引用)
      ■         ■
 札幌東豊病院が掲載されて…
 とてもうれしく思います。
 札幌美容形成外科の職員のお産も
 札幌東豊病院でした。
 私が赤ちゃんを抱っこしていたのは、
 個室の病室です。
 とてもよい病院です。
 おすすめします。
      ■         ■
 私の弟の子どもも、
 札幌東豊病院で生まれました。
 理事長の若松章夫先生(小児科)は
 私の結婚式の友人代表。
 若松先生は、
 同級生ですが、
 北大理学部をご卒業後に…
 札幌医大に入学なさったので、
 私より年上で、
 私の人生の先輩であり、よき相談相手です。
      ■         ■
 産科・婦人科の先生はもちろん、
 小児科、
 麻酔科と、
 とても優秀な先生がそろっています。
 麻酔科の河東寛(かわひがしひろし)先生は、
 元市立札幌病院麻酔科部長。
 超ベテランの麻酔科医です。
 病院スタッフの皆さんも…
 とても親切で優しい方ばかりです。
 赤ちゃんを産むなら…
 札幌東豊病院です。
 お食事もとても美味しいそうです。
 (職員が言っていました…) 
       ■         ■



産休中の職員と赤ちゃん



赤ちゃん(光希くん)と私です

“札幌東豊病院”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ