院長の休日

父の日

 今日は『父の日』です。
 私の父親は83歳になりますが、
 まだ元気です。
 毎年年末になると…
 『○○が死んだ』とか
 『残っているのはあと○人だ』
 とかよく言っています。
 私の父親は大正15年(1926年)生まれです。
      ■         ■
 父親の世代は、
 級友の多くが第二次世界大戦へ、
 徴兵されたそうです。
 父親は、
 札幌工業高校の木材工芸科という、
 家具などをつくる学科へ進学しました。
 薬学専門学校へ行くと、
 徴兵免除になったので、
 仙台の東北薬学専門学校へ進学しました。
      ■         ■
 戦争中の仙台で空襲に遭(あ)い、
 山へ避難して難を逃れたと、
 私が子どもの頃に聞きました。
 途中の防空壕(ぼうくうごう)で、
 学生さんここに入りなさいと、
 親切に言ってくれた人がいたそうです。
 父はその防空壕へは入らず、
 山へ逃げたそうです。
      ■         ■
 空襲が終わって、
 山から下りる時に、
 その防空壕は焼夷弾(しょういだん)に撃たれ
 防空壕の人たちは亡くなっていた。
 あの時、
 逃げていなかったら死んでいたと、
 聞かされた覚えがあります。
 子どもの頃に聞いた話しを
 何故かよく覚えています。
      ■         ■
 父親は煙草を吸い、
 酒もよく飲んでいました。
 さすがに高齢なので、
 酒も煙草も止めました。
 『お前は、(患者さんが来るから…)
 酒も飲めないで可愛そうになぁ~』
 と言われたこともありました。
 酒を飲まないのは、
 身体に合わないからで、
 別に可哀想とは思いませんでした。
      ■         ■
 父親と私は…
 好みも性格も違うと思っていました。
 ところが…
 DNAとは恐ろしいもので…
 年齢を重ねる毎に、
 父親のDNAを受け継いでいることに気付きます。
 体質はよく似ています。
 お腹が弱いところも似ています。
 短気なのも似ています。
 嫌になりますが、
 DNAには逆らえません。
      ■         ■
 短気だった父親も、
 年齢とともに温厚になりました。
 よく喧嘩もしていましたが、
 最近は喧嘩をしなくなりました。
 今日の父の日には、
 両親と家内の母親も誘って、
 琴似の鮓佐(すしさ)さんへ、
 回らないお鮨を食べに行きました。
 また来年も行きたいと願っています。


私と83歳の父です

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医学講座

第6回北海道臨床創傷治癒研究会

 昨夜、札幌パークホテルで、
 第6回北海道臨床創傷治癒研究会がありました。
 昨日の特別講演は、
 市立札幌病院形成外科医長の、
 堀内勝己先生でした。
 チームアプローチによる
 糖尿病性足病変の治療
 ―米国の現状ならびに当院での取り組み―
 という興味深い内容でした。
      ■         ■
 堀内勝己先生は、
 1991年に福島県立医科大学をご卒業。
 北大形成外科へ入局され、
 北海道大学大学院をご卒業になった、
 素敵な形成外科医です。
 奥様は内科医で、
 福島県立医大の同級生です。
 私はJA帯広厚生病院で
 一年間ご一緒に働きました。
 とても優秀な先生です。
      ■         ■
 堀内勝己先生は、
 一昨年秋から、
 一年間、米国へ留学されました。
 ワシントンにある創傷治癒センターで、
 糖尿病などによる、
 足の治療を勉強されてきました。
 糖尿病は怖い病気です。
 足が腐って…
 壊死(えし)になってしまいます。
 足の趾(ゆび)だけではなく、
 膝から下を切断しなければならないこともあります。
      ■         ■
 堀内先生が講演で述べられていましたが、
 糖尿病の患者さんが増えています。
 ちょっと古いですが、
 平成20年12月26日、読売新聞の記事です。
 2,210万人に糖尿病の疑い
 10年で6割増…厚労省調査
 厚生労働省は2008年12月25日、
 2007年の「国民健康・栄養調査結果」を発表し、
 糖尿病の疑いがある人は
 全国で推定2,210万人に上るとした。
      ■         ■
 2006年調査(1,870万人)と比べ
 300万人以上増えた。
 同省は
 「運動不足や食生活の乱れが
 改善されていないことが原因」
 と分析している。
 調査は2007年11月、
 全国約6,000世帯の
 約1万8000人を対象に実施。
 糖尿病については成人約4,000人の
 血液検査結果をもとに推計した。
      ■         ■
 それによると、
 糖尿病が強く疑われるのは890万人で、
 可能性が否定できない1,320万人を合わせると
 2,210万人に上った。
 1997年調査(1,370万人)と比べると6割も増加。
 年代別の人口に占める割合は
 70歳以上が約38%、
 60代約35%、
 50代約27%、
 40代約15%、
 30代約6%、
 20代が1%だった。
 (以上、読売新聞から引用)
      ■         ■
  糖尿病になると、
 目が見えなくなり(糖尿病性網膜症)
 腎不全から人工透析を受けなればならなくなり
 (糖尿病性腎症)
 足の血管が詰まって、
 キズができると壊死になります。
 (糖尿病性足病変)
 神経も侵されるので
 男性は高率にインポテンツになります。
      ■         ■
 私も形成外科医時代に
 足趾切断(足のゆびを切断する)の
 手術は何例もしました。
 堀内先生は膝下の切断まで、
 形成外科でなさるそうです。
 切断した後の、
 義肢装具の調整も、
 義肢装具士の方と一緒になさっています。
      ■         ■
 糖尿病は内科の病気ですが、
 眼科や形成外科など、
 さまざまな科の医師や看護師、
 理学療法士、作業療法士、
 義肢装具士が
 力を合わせて治療しなければ、
 良い結果は得られません。
 堀内勝己先生のご尽力で、
 お一人でも多くの方が快適な生活をおくれるように
 祈念しています。
 堀内勝己先生ありがとうございました。

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医学講座

臓器移植法

 臓器移植法が衆議院を通過しました。
 河野洋平衆議院議長は、
 ご子息の河野太郎衆院議員から
 肝臓移植を受けられました。
 万感の思いで、
 採決を行なわれたことと思います。
 私のように、
 組織すべてを提供しますという人もいれば、
 臓器は提供しませんという人もいます。
 個人の考え方の問題です。
      ■         ■
 2009年4月8日に書いた、
 死後の願いという日記には、
 たくさんのコメントをいただきました。
 何度も繰り返しているように、
 私自身も、
 医師免許を取得してから数年間は、
 臓器提供には否定的でした。
 現在の医学教育では、
 医師、看護師ともに、
 脳死になった患者さんを長期間にわたって、
 ケアーしたり観察する実習はありません。
      ■         ■
 私の死生観が変わったのは、
 市立札幌病院救急部で、
 連日のように…
 脳死となった患者さんを診てからでした。
 私の遠縁にあたる人は、
 ご主人が…
 急性心筋梗塞で救命救急センターへ搬送され、
 亡くなるまでの、
 約1年以上を、
 毎日、病院へ通いました。
 とうとう意識が戻ることなく
 帰らぬ人となりました。
      ■         ■
 その人は、
 ご主人が亡くなった後で、
 尊厳死協会へ入り、
 自分には、
 『人工呼吸器はつけないでください。』
 『延命治療もしないでください。』
 と署名され…
 ご自分が亡くなる時は、
 安らかに眠りについたそうです。
      ■         ■
 臓器移植は医学の進歩によって可能となりました。
 また、
 脳死になった人も、
 医学の進歩によって生きることができるようになりました。
 私が医学生だった…
 30年前には、
 人工呼吸器が今ほど普及していませんでした。
 ですから、
 在宅で人工呼吸器をつけることなど、
 考えも及びませんでした。
      ■         ■
 医学が進歩したことにより、
 今までは救えなかった命が救えるようになりました。
 ロシアから来たヤケドの、
 コンスタンチンちゃんを手術したのは、
 旭川赤十字病院形成外科の
 阿部清秀先生です。
 阿部先生が東京から、
 亡くなった方の皮膚の提供を受けて、
 コンスタンチンちゃんは救命されました。
      ■         ■
 皮膚は心臓停止後にも採取できます。
 ドナーカードに皮膚はありませんが、
 その他に
 その他(すべて)と書いてあれば、
 皮膚も提供できます。


私の保険証の裏です

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医学講座

眼科と形成外科の違い

 米国や韓国には、
 眼形成外科、
 Oculoplastic surgery (オキュロプラスティク サージェリー)
 または
 Oculoplastics (オキュロプラスティク)
 という科があります。
 学会もあります。
 残念ですが日本にはまだありません。
 私を韓国へ招待してくださった先生は、
 この眼形成外科の先生たちでした。
      ■         ■
 私が学生時代に眼科を習ったのは、
 中川喬(なかがわたかし)先生でした。
 札幌医大眼科の教授を退職され、
 現在は、
 医大前中川眼科を開業なさっていらっしゃいます。
 中川先生は、
 眼科の中でも、
 斜視や流涙症などがご専門です。
 お若い頃に、
 ニューヨークに留学され、
 カンバースという有名な形成外科医の下で、
 指導を受けたと伺ったことがありました。
      ■         ■
 私が形成外科医になるきっかけとなった、
 医学部6年生の時の、
 形成外科の特別講義は、
 中川教授が担当されました。
 中川先生は、
 日本でも形成外科に造詣(ぞうけい)が深い、
 眼科医のお一人だと思います。
 私のような若輩者とは大違いです。
 私は斜視や流涙症などは、
 必ず中川先生をご紹介しています。
 中川先生から眼瞼下垂症をご紹介いただくこともあります。
      ■         ■
 一度、私が眼瞼下垂症を手術した方を、
 斜視の疑いで、
 中川先生にご紹介したことがありました。
 斜視は手術をするまでもなく、
 経過観察だけでよいことになりました。
 その時に、
 中川先生から、
 私の眼瞼下垂症手術を褒めていただき、
 とても嬉しかった思いがあります。
      ■         ■
 眼形成外科は、
 眼科医がしても、形成外科医がしても、
 まったく問題はありません。
 一部の眼科医の間では、
 形成外科医が眼瞼下垂症手術をするのを、
 非難されていらっしゃるのを
 目にすることがあります。
 確かに形成外科医は、
 より形態(見た目)を重視するのは確かです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術を、
 眼科で受けるか、
 形成外科で受けるかは、
 手術を受ける方に選ぶ権利があります。
 HPなどを参考にして、
 自分がなりたい目を選んでください。


手術前です


手術直後です


手術3週間後です


まぶたが下がってものが見えません
手術前です


手術一ヵ月後です


手術3年後です

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医学講座

麻酔器の点検

 今日は麻酔器の点検日です。
 自動車は車検や定期点検が法律で決められています。
 医療器械の法定点検については、
 自動車のような法律は無いと思います。
 薬事法などの規定があるようですが、
 病院や診療所が自主的に
 点検整備しているのが現状だと思います。
 大規模な病院では、
 臨床工学士という方がいるところもありますが、
 クリニックでは、まだ一般的ではありません。
      ■         ■
 これから開業を考えていらっしゃる先生や、
 開業されて日が浅い先生は、
 おそらく医療器械の定期点検まで、
 頭が回らないと思います(失礼ですが…)。
 医学部の講義や
 臨床研修でも、
 医療器械の定期点検については、
 教えていないし、
 医師国家試験にも出ません。
      ■         ■
 私のような小さなクリニックでも、
 医療用レーザー装置、
 麻酔器、
 滅菌機など、
 さまざまな医療機器があります。
 滅菌機は、
 診療に必須のものなので、
 予備機も置いてあります。
      ■         ■
 一番メンテナンス費用がかかるのが、
 医療用レーザー機器です。
 次が麻酔器でしょうか?
 手術用顕微鏡は高価ですが、
 めったに故障はしませんし、
 電球が切れることもマレです。
 安全のことを考えると、
 麻酔器の点検整備は欠かせません。
      ■         ■
 開業する前には、
 金融機関に資金計画や、
 事業計画を提出して審査を受けます。
 銀行が融資をしてくれなければ、
 クリニックを開業することはできません。
 (スポンサーがいる場合とか)
 (自己資金が豊富な先生が別ですが…)
 この資金計画が狂うこともあります。
 メンテナンス費用は資金計画の
 意外な盲点になることもあります。
      ■         ■
 医療費抑制政策や
 100年に一度の不況で、
 医療機関の経営も大変です。
 ただ、安全にかける費用は、
 事故防止の観点からも惜しんではいられません。
 お医者さんもなかなか大変なのです。
 今日の麻酔器の点検は、
 3時間以上もかかりました。
 結果をドイツにまで送るそうです。
 担当の及川様お疲れ様でした。

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昔の記憶

ピアノの発表会

 『先生、今度、市民文化会館で』
 『娘のピアノ発表会があるんです。』
 『よかったら、いらしてください。』
 とピアノ発表会のチケットをいただきました。
 もう20年以上も前のことです。
 そのお嬢さんは、
 生まれつき手が不自由でした。
      ■         ■
 手の先天異常は…
 山形大学整形外科の荻野利彦教授がご専門です。
 形成外科でも…
 生まれつき、
 指が多い多指症(たししょう)とか
 指と指がくっついている合指症(ごうししょう)の
 手術をしています。
 そのお嬢さんは、
 北大形成外科で手術をした方でした。
      ■         ■
 私が釧路労災病院形成外科へ勤務していた時、
 外来で経過を診ていました。
 指の異常があっても、
 ピアノは弾けます。
 障害の程度は人によってさまざまですが、
 練習を重ねると、
 ピアノも弾けるし、
 パソコンのキーボードも打てます。
      ■         ■
 土曜日の夜だったので、
 釧路労災病院から、
 歩いて釧路市民文化会館へ行きました。
 幼稚園か小学生だった、
 そのお嬢さんは、
 とても上手にピアノを弾いて、
 終わった後で、
 ちょっと恥ずかしそうにしていました。
 会場から大きな拍手がありました。
 もちろん手に障害があることはわかりませんでした。
      ■         ■
 お母さんは、
 手が不自由だったので、
 少しでもリハビリになれば…
 と思ってピアノを習わせたと、
 お話しくださいました。
 そのお嬢さんも、
 今は成人して、
 立派になられていることと思います。
      ■         ■
 小さい時に病気をしたので、
 看護師さんになったお嬢さんもいらっしゃいます。
 自分に障害があることで、
 他人の痛みが、
 健常者よりよくわかることもあります。
 父親の目が見えなかったので、
 眼科医になった先生もいます。
 ふつうの人よりも…
 よく理解できることもあると思います。
 病気に負けず頑張ってください♪

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院長の休日

辻井伸行さんのピアノ

 今朝のとくダネ!で
 辻井伸行さんのピアノをお聴きしました。
 朝からとても感動しました。
 小学校6年生の時に、
 ご自身が作曲されたという、
 ロックフェラーの天使の羽
 という曲がよかったです。
 お父様は産婦人科のお医者さんです。
      ■         ■
 医院のHPに書かれていました。
 当院は、
 家庭的な暖かな雰囲気を大切にし、
 納得して頂けるような治療を心がけています。
 どんな事でも結構ですから
 お気軽な気持ちで来院してください。
      ■         ■
 別のインタビュー記事
 先生が回答なさっていらっしゃいました。
 思い出に残っている患者さんとのエピソードをお聞かせください
 産婦人科=おめでたい科というイメージがありますが、決しておめでたいことばかりではなく、流産や死産など、悲しい結末を迎えなくてはならないことも少なくありません。そのようなときに、できる限り力になり、サポートしたいと思っています。
      ■         ■
 思い出に残っていると言えば、ダウン症のお子さんを持ったお母さんのことが忘れられません。お子さんがダウン症だと知ったときはとてもショックを受けていましたが、数年経ってお子さんを連れて来てくださり、元気に子育てをなさっている様子が伝わってきて嬉しくなったものです。私自身もハンディキャップを持つ息子の父ですが、ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、悲しむこともないのだと息子に教えてもらいました。私の経験を活かして、医療面からも精神面でもお母さんをサポートしたいと思っています。
      ■         ■
 ご長男の辻井伸行さんはピアニストとしてご活躍されていますね
 息子は目が見えないというハンディキャップがありますが、周囲の方々の協力もあり、ピアニストとして活躍する場を与えていただいています。コンサートの舞台に立つ息子の姿を見るのが一番の楽しみです。家族全員で行ければ良いのですが、父と私の二人が医院を空けるわけにはいきませんので、父と交代でコンサートに行っています。


田園都市.comより引用

     ■         ■

 辻井先生がお話しになっていらっしゃる通りです。
 ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、
 悲しむこともないのです。
 逆に私たちが、
 励ましていただくこともたくさんあります。
 辻井伸行さんのピアノは、
 天賦の才能に…
 本人の努力、
 素晴らしい指導者、
 そしてご両親やご家族の愛情によって、
 育(はぐく)まれたのだと思います。
      ■         ■
 ピアノの音色も素晴らしかったですが、
 辻井さんの明るい表情。
 素晴らしい指の動き。
 ピアノを弾き終えた後の、
 満足そうな笑顔。
 これらすべてが、
 日本中の人を引きつける魅力なのだと思います。
 これからも、
 ますますご活躍されることを、
 心から願っています。

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院長の休日

さくらんぼありがとうございました♪

 山形から
 さくらんぼをたくさん送っていただきました。
 ありがとうございました。
 昨日いただいたさくらんぼさんのコメントです。
 山形は 梅雨いりしましたが、
 加温佐藤錦サクランボは終わり、
 来週から紅秀峰(べにしゅうほう)他が収穫期に入り
  あと10日間で終わります。
      ♡         ♡
 露地物(露地でもハウスは張ります)は
 今佐藤錦の 葉摘みが忙しく
 (さくらんぼに葉がくっついているとそこだけ青いままになるので、
 最小限くっついてる葉を手かハサミでとります)
 樹の下に太陽の陽が入るように
 銀色の反射シートを敷き詰めます。
 暑くてなかなか大変な作業です。
 が 作業中 実割れしたさくらんぼなど
 おなか いっぱい食べられるのが特権かな。
 食べ過ぎるとお腹の調子がゆるくなるので注意です。
      ♡         ♡
 山形は さくらんぼ狩りで
 これから 空港付近や 高速道路など
 さくらんぼ渋滞が来月初め過ぎまで続きます。
 ぜひ みちのく山形へ お越しください!
 私の家では観光果樹園はしてないですが、
 空港から降りると(千歳から約一時間で着きます)、
 回りは サクランボ狩りの旗がいっぱい たなびいてますよ。
      ♡         ♡
 宝石のようなさくらんぼをいただき、
 幸せな気分になれました。
 ありがとうございました。
 宝石のようなさくらんぼを作るには、
 ハウスをかけたり、
 葉っぱをとったり、
 反射シートを敷いたり、
 それはそれは大変なことを、
 さくらんぼさんと知り合うまで
 まったくわかりませんでした。
      ■         ■
 私の父が、
 孫のため、自宅の裏に、
 さくらんぼの木を2本植えました。
 『じいちゃん家さくらんぼ』は、
 大部分が鳥の餌になり、
 残った実も小さく、
 それを採るのも大変でした。
 ちょっと触っただけでもキズがついてしまう、
 柔らかなさくらんぼ
 一つひとつ手作業で収穫するのは、
 ほんとうに大変なことと思います。
      ■         ■
 さくらんぼさんには…
 毎日コメントをいただいて…
 私が日記を続ける原動力になっています。
 さくらんぼさんからいただく、
 山形のフルーツは最高です。
 私も時間ができたら、
 必ずみちのくのフルーツ王国、
 山形に行ってみたいと思っています。
 ありがとうございました♪


宝石のようなサクランボ


美味しくいただきました


2008年6月18日の
サクランボ

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出⑥

 高橋長雄教授を偲(しの)んで書いた、
 麻酔科研修の想い出シリーズの最後です。
 偉大な教育者とは、
 自分がした失敗を、
 いかに繰り返さないか…?
 ということを正確に教える人のように思います。
 想い出⑤で書いたように、
 私の記憶が正しければ、
 盲腸の手術で患者さんが亡くなったのが、
 高橋先生を麻酔学へと導いたと思います。
      ■         ■
 第35回日本熱傷学会④で書いた、
 日本大学医学部法医学教授、
 押田茂實先生の、
 『医療事故知っておきたい実情と問題点』
 にあったように、
 医療というのは、
 病気を持った人に、
 大きな手術をしたり、
 危険性のある薬を使うことがあります。
 その結果的として…
 予想外の結果が生じる場合があります。
 リスクがある患者さんに麻酔をかけると…
 最悪の結果となることがあります。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科には、
 何人もの優秀な先生がいらっしゃいました。
 私はそこで研修を受けさせていただきました。
 私自身が研修期間中に、
 危うく事故を起こしそうになりました。
 麻酔科の研修を受けるというのは、
 自分自身で麻酔をかけなければ覚えられません。
 中には…
 予想できない事態が起こることもありました。
 事故を防ぐには、
 不測の事態が起きた時に、
 いかに対処できるかが問題となります。
      ■         ■
 大学病院の手術部では、
 同時進行で、
 毎日7~8例の手術がありました。
 麻酔科控え室には、
 各手術室の様子がモニターTVで写ります。
 患者さんの状態も、
 心電図などのモニターでわかるようになっています。
 その控え室には、
 インチャージと呼ばれる、
 麻酔科指導医の超ベテランが控えています。
 何かトラブルがあると…
 この先生がお助けマンとして急行してくれます。
      ■         ■
 私を助けてくれたのは、
 多汗症の交感神経節手術をしていらっしゃる、
 本間英司先生でした。
 本間先生は当時、留学から帰国されて、
 医局長をなさっていらっしゃいました。
 とても頼りになる兄貴分の先生でした。
 本間先生は覚えていらっしゃらないと思いますが、
 私は助けていただいたことを一生忘れません。
 札幌医大麻酔科では、
 私のようなトラブルが起きると、
 かならずケースカンファレンスという、
 症例検討会で発表していました。
      ■         ■
 毎週行なわれるケースカンファレンスでは、
 どうしてトラブルが起きたのか?
 トラブルを未然に防ぐにはどうしたら良いのか?
 などを詳細に調べて発表しました。
 私が起こしたトラブルは、
 他の先生が起こす危険性があるからです。
 熱心に討論が繰り返され、
 容赦ない質問が上の先生からも
 下の先生からもありました。
      ■         ■
 こうした
 失敗から学ぶ
 失敗を共有する
 ということが、
 医学の発展には必須だと思います。
 札幌医大では、
 今、三代目の麻酔科教授の選考中です。
 もうすぐ、新教授が選ばれて…
 高橋先生が築かれた札幌医大麻酔学教室は、
 これからもますます発展することと思います。
 先生のご冥福をこころからお祈りいたします。
 先生、ほんとうにありがとうございました。

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出⑤

 札幌医大麻酔科の高橋長雄教授は、
 麻酔学の他に、
 医学概論(いがくがいろん)という科目を
 担当されていました。
 医学概論は…
 医学部へ入学した学生に、
 お医者さんになるには…
 とか
 医師としての心構え…
 を教える科目です。
      ■         ■
 高校生や予備校生に…
 毛の生えたような…
 まだ解剖実習も始まらず…
 医学生とは言えないような時期に授業がありました。
 偉い先生が何人か交代で、
 数回の講義がありました。
 講義をしていただいた先生には、
 大変申し訳ございませんが…
 どんな内容だったか?
 覚えていません。
 ただ一つだけ覚えていることがあります。
 高橋先生が麻酔科医を志(こころざ)した理由です。
      ■         ■
 高橋先生は、
 北大医学部をご卒業後に、
 外科医を目指されました。
 当時の北大で外科学を学ぶ傍(かたわ)ら、
 薬理学教室で研究をされました。
 外科医として…
 北海道内のある町へ
 出張された時のことだそうです。
 その町の若い方が…
 盲腸(急性虫垂炎)になりました。
      ■         ■
 町の病院で…
 盲腸の手術をしました。
 ところが…
 不幸にもその患者さんが、
 亡くなってしまったそうです。
 時代は昭和20年代のはじめ、
 戦後の混乱期です。
 十分な設備が無かったのかもしれません。
 手術に問題があったのか?
 麻酔の問題だったのか?
 その辺のこともわかりません。
      ■         ■
 町では、
 『病院で盲腸の手術で死んだ』
 と評判になったそうです。
 当時でも、
 盲腸で死ぬのは…
 珍しいことだったのです。
 小さな町です。
 札幌から来た若いお医者さんは…
 すぐにわかります。
      ■         ■
 高橋先生は、
 患者さんが亡くなってから、
 町の食堂へ食事に行っても…
 買い物へ行っても…
 町の人の視線が…
 ずっと気になった。
 とお話しくださいました。
 町の人が何か話していると、
 すべて…
 ‘盲腸’とか
 ‘盲腸で死んだ’
 に聞こえたそうです。
      ■         ■
 6年間の医学部の講義で、
 自分が体験した医療事故の話しを聞いたのは、
 高橋先生の盲腸のことだけでした。
 おそらく今でも…
 自分の医療事故を講義で話す先生は、
 どこにもいないと思います。
 まだ19歳か20歳程度だった私は、
 『ふ~ん、そんなことがあるのか?』
 程度にしか思っていませんでした。
 今、自分が50歳も半ばとなり、
 そんな高橋先生をすごい!と思います。
      ■         ■
 一人の患者さんの死をきっかけとして、
 高橋先生は麻酔学をこころざし、
 若くして渡米され、
 ニューヨークで麻酔学を研鑽されました。
 私が生まれた頃の話しです。
 帰国後に、
 先生は麻酔学教室を開設され、
 多くの優秀な麻酔科医を育てられました。
 私は高橋先生から麻酔学を学んだことを、
 とても貴重な財産だと思っています。
 高橋先生と、
 高橋先生の下で研修することを許していただいた、
 恩師の大浦武彦先生に心から感謝しています。

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