医学講座
試験の朝は炭水化物を
北海道新聞の毎週水曜日の朝刊に、
札幌医大医学部長の
當瀬規嗣(とうせのりつぐ)教授が
「生きる」仕組みというコラムを連載されています。
今日で113回目です。
私を札幌医大から追い出してくれたJ教授とは違い、
當瀬教授はとてもよい先生です。
ご専門は心臓の筋肉である
心筋イオンチャネル機能という難しい学問ですが、
やさしく体の仕組みを解説されています。
■ ■
當瀬医学部長は北大医学部を
1984年にご卒業。
北大60期の先生です。
北大形成外科の山本有平教授と同期です。
私が札幌医大の学生だった頃は、
教授の半数以上は、
北大医学部の出身でした。
札幌医大出身の教授は数えるほどでしたが、
今は、学長以下大多数が札幌医大の卒業生です。
その中で北大出身の教授が医学部長になるのは、
とても人望が厚い証拠なのです。
■ ■
今日のコラムのテーマは
試験の朝はしっかり、
炭水化物の朝食を摂りましょう!
という受験生に必読のものでした。
試験は朝からはじまるので、
夜型→朝型への切り替えをして、
脳の働きをよくするために、
エネルギー不足にならないようにしましょう!
という貴重なアドバイスです。
■ ■
今朝のコラムで私が特に気になったのが…
當瀬先生でも、
『いまだに入試に落ちた夢をみる』
と書かれていたことです。
私は試験に落ちた夢はみませんが、
『あぁ!明日試験なのに何も勉強していない!』
『どうしよう、間に合わない!』
という夢を50歳になってもみていました。
傑作なのは、
教員になって試験を作る側になってから、
‘試験なのに勉強していない!’
という夢をみたことです。
夢から覚めてビックリしました。
■ ■
以下が北海道新聞から引用した
當瀬先生のコラムです。
受験生ばかりでなく、
朝食を食べない若い人に読んでいただきたいです。
脳のエネルギー
試験の朝は炭水化物を
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
新年を迎えると、
間近に控えた大学入試センター試験を皮切りに、
入学試験シーズンに入るので、
大学は大忙しです。
■ ■
私たちは毎年ですが、
受験生の皆さんには、
人生の大きな関門です。
私もいまだに入試に落ちた夢をみるぐらいです。
普段の実力が発揮されることを祈るばかりです。
■ ■
ところで、夜遅くまで自室にこもって
受験勉強という受験生が多いようです。
夜の静寂の中の方が集中できて、
勉強がはかどるかもしれません。
でも、入学試験は朝から昼間に行われます。
試験に備えて、
そろそろ夜型から昼型の生活リズムに
戻さなければなりません。
■ ■
一日の生活のリズムを整えるコツは、
規則正しく食事することです。
特に、朝食を食べることです。
寝ている問に食べることはありませんから、
朝起きたときには、
体は相当にエネルギー不足になっています。
ここで、朝食抜きでいると、
昼までエネルギー不足が続き、
特に糖分しかエネルギー源にできない脳は
はたらきがすっかり落ちてしまいます。
■ ■
朝食抜きの受験は、
まず間違いなく失敗するでしょう。
ですから、試験の朝は、
炭水化物をたくさん取るのがいいようです。
ただし、砂糖分では、お昼まで持たないで、
昼前に逆にエネルギー不足になることがあります。
でんぷんで炭水化物を取るのがお勤めです。
■ ■
ご飯、パン、バナナに
体を温めるタンパク質が豊富な
みそ汁、牛乳、卵です。
脂肪の多い肉類は控えめに!
幸運を祈ります。
(とうせ・のりつぐ=札医大医学部長)
昔の記憶
パイロットへの夢
以前にも書いたことがあります。
私が高校生の時になりたかったのは、
パイロットでした。
大空を飛んでみたいという…
単純な少年の夢です。
一浪した時に、
運輸省航空大学校の入学試験を受けました。
北大農学部が試験会場でした。
一次試験は秋にあった記憶があります。
■ ■
英語の試験問題に、
ライト兄弟の話しが出てきました。
さすが航空大学校だなぁ~
と思ったのを今でも覚えています。
当時は高校卒で受験資格がありました。
現在は規則が変わって、
①4年制大学に2年以上在学し、全修得単位数が62単位以上。
②短期大学又は高等専門学校を卒業した者。
③専修学校の専門課程の修了者に対する専門士及び高度専門士。
となったようです。
■ ■
ライト兄弟の英語ができたからか?
航空大学校の一次試験には、
運よく合格できました。
2次試験(身体検査)が
東京の慈恵医大であるので、
東京まで来るようにという通知が来ました。
当時、東京まで行くのは、
函館から連絡船に乗り、
列車で行くのが受験生の主流でした。
航空運賃は高く、
貧乏だった私たちには高嶺の花でした。
■ ■
ちょうどその頃、
航空大学校の練習機が、
仙台空港で事故を起こしました。
父親に2次試験のことを話したところ…
事故のこともあり、
2次試験に行くのを諦めました。
視力は2.0だったので自信がありましたが、
はっきり言って‘体力?’には、
あまり自信がありませんでした。
■ ■
オッサンになってから、
大手航空会社の国際線の機長になった友人を見ると、
私の体力でも大丈夫だったかなぁ?
と思いました。
もう一つの懸念材料は、
航空大学校を卒業しても、
航空会社に入社できない卒業生がいたことでした。
私くらいの年代は、
ちょうど大量輸送時代に入る過渡期でした。
■ ■
田中角栄首相が、
ロッキード社とトライスターという航空機を、
全日空に納入するのにお金をもらったとか?
そういう時代でした。
ジャンボ機ができたのも、
そのあとでした。
私たちの少し前には、
パイロットになったけれど…
就職できないので…
もう一度大学に入学して、
学校の先生になった人もいました。
■ ■
私の高校の同期には、
大学に入学後に、
航空会社が募集した、
自社養成のパイロットとなり、
大手航空会社の幹部パイロットもいます。
今と同じようにオイルショックがあり、
トイレットペーパーが街から無くなった時代でした。
私も、もし航空大学校に入り、
無事に卒業していたら…
おそらく就職できたと思います。
■ ■
当時は父親の判断で、
航空大学校を諦め、
再び、医学部への道を進みました。
それが正しかったかどうか?
どちらが幸せだったか?
なんてことは考えても仕方のないことです。
■ ■
ある時、
パイロットになって、
国際線を飛んでいる友人に言いました。
『オレ、パイロットになりたかったんだ』
機長の友人は
『オレは医者になりたかったんだ』
人生なんてこんなものかも?です。
医者もパイロットも大変です。
医療問題
美容外科の大不況
昨年秋からの100年に一度の大不況。
実は…
美容外科の不況は、
今回の不況より早くはじまっていました。
美容外科は一見、
華やかなようですが、
医療の中では、
一番、
景気に影響を受けやすい診療科目です。
■ ■
美容外科大不況の原因は、
価格競争です。
今から10年前は…
10万円以上がふつうだった…
二重まぶた埋没法が、
あっという間に1万円を切りました。
これは明らかに異常です。
■ ■
健康保険で行う、
眼瞼内反症手術というのがあります。
さかさまつげの手術です。
これですら、
手術点数(料金)だけで1,660点
16,600円(片目)です。
この‘さかさまつげの手術’が、
そもそも二重手術の原点です。
一点留め(保証なし)に相当する手術です。
■ ■
健康保険の場合は、
この手術点数に、
初診料、
再診料、
薬剤料、
検査料、
判断料、
などが加算されます。
■ ■
ですから、
健康保険の手術でも、
片目で最低2万円以上の‘売上’になります。
二重術スーパークイック法(完全埋没法)
※1点留め 保証制度なし 9,800円
の手術だけをしていては、
美容外科は赤字です。
チェーン店同士の価格競争で、
この9,800円という価格が出てきました。
■ ■
美容外科業界では、
この価格競争を仕掛けた、
2つのクリニック名を合わせて、
S-S戦争と呼ばれています。
もう一つのS美容外科では、
ナチュラルベーシック法
両目(1点)9,800円保障なし
と呼んでいます。
チェーン店の店長(院長)は、
9,800円のつもりで来院した方に、
いかに高い手術を受けてもらうかで、
給料の歩合が決まります。
■ ■
この価格競争に疲弊したクリニックは、
美容外科は儲からないので…
眼科の近視矯正手術に転向してきています。
二重手術を9,800円で、
100人手術しても、
一日の売上は100万円になりません。
医師・看護師・受付はクタクタです。
看護師の数や、
テナントの賃貸料、
高額の広告宣伝費を払うと、
儲けはわずかにしかならないというのが、
美容外科→眼科への商売替えの理由と考えます。
■ ■
美容外科チェーン店だったはずが…
いつの間にか…
高給優遇で眼科専門医を募集しています。
私は、
医療は儲け優先の商売とは違うと考えます。
手術の必要がない人には、
手術はすすめない。
安全で確実な手術や治療、
自分の家族にもできる治療だけを、
適正な料金で施術する。
これが札幌美容形成外科の方針です。
過度な価格競争には参加しません。
医療問題
2009年の予測
今日は2009年の仕事はじめです。
大不況にもかかわらず、
デパートや家電量販店は、
お正月からたくさんの人で賑(にぎ)わっていました。
2009年はどのような年になるでしょうか?
私の見方は、
残念ながら…
悲観的です。
■ ■
美容外科とは関係ありませんが、
一番の問題点は為替相場だと思います。
日本という国を支えてきたのは、
自動車、家電、ITなどの輸出産業です。
現在の一ドル90円近くの相場が続くと、
日本の製造業は、かなり厳しい状況となります。
超一流企業と言われてきた、
トヨタやソニーを見るとよくわかります。
■ ■
昨年末には、
派遣労働者の首切りや
非正規社員の首切り、
採用内定者の採用取消しなどが…
大きな社会問題となりました。
このまま企業の業績不振がつづくと、
間違いなく正規社員の首切りが起こります。
夏のボーナスが支給されないか、
大幅に減額される企業も増えそうです。
■ ■
米国に端を発した、
世界恐慌が2009年は吹き荒れます。
私たち消費者は、
間違いなく財布のヒモを絞めます。
美容外科業界も厳しい状況が続くと思います。
ほんとうの意味で、
安くて価値があるところしか残らなくなります。
■ ■
かつて札幌には、
大手美容外科が進出して、
撤退した時期がありました。
昨年も神奈川クリニックが閉院しました。
利益率が下がり、
赤字を出してまで継続する経営者はいません。
リース会社への支払いや、
銀行への返済が滞れば、
閉院は時間の問題です。
■ ■
安心して食べられる果物作りに
頑張りたいと思います。と
さくらんぼさんがコメントされたように、
商売の原点に戻って、
お客様に喜ばれるものづくりをして、
喜んでいただけるサービス
を提供する企業が生き残れます。
この厳しい時代を乗り越えられれば、
どんな恐慌が来ても大丈夫です。
今年もいままで以上にがんばります!
院長の休日
2009年の目標
100年に一度の大不況ではじまった2009年。
私の目標は、
少しでも社会のお役に立つこと。
お客さんの不を取ることです。
2007年9月21日に書いた、
イオン㈱元専務取締役の
阪本美樹(サカモトヨシキ)先生から教えていただいた、
商売の極意に書いてあります。
■ ■
商売の極意は、
お客さんの‘不’をとること。
お客さんの
不満、
不信、
不安
を取るのが商売の極意です。
イオンの前身である
三重県四日市の岡田屋さんという老舗呉服店の家訓です。
■ ■
私は、
この不を取るという言葉が気に入って、
何度も想い出しています。
私たち医療者も、
患者さんの不を取るのが仕事です。
病気になって困っている人の
病気への不安
医療不信
病院への不満
を取ってあげるのが、
真の意味での医療改革だと思います。
■ ■
診断をつけて、
治療をすることで、
患者さんの痛み
患者さんの苦しみ
患者さんの不安
という不の要因を
少しでも楽にしてあげるのが、
医療の原点だと思います。
■ ■
私たち美容外科や形成外科は、
直接痛みや苦しみを
とることはあまりありませんが…
本人が悩んでいる…
ワキガの臭い
まぶたの垂れ下がり
を少しでも改善することにより、
元気で働こう!
明日もがんばるぞ~!
という意欲を出すことができます。
■ ■
55歳という私の年齢は、
あと20年も働ける歳ではありません。
これから10年くらいの間に、
私にできる社会貢献が、
どの位あるかわかりませんが、
暗い世の中を少しでも
明るくするお手伝いが
できるといいなぁ~
と考えています。
医学講座
セカンド・オピニオン
さくらんぼさんから
セカンド・オピニオンについてご質問をいただきました。
セカンドオピニオンは大学病院や総合病院でも、
保険外の自由診療で…
料金も数万円と高額のところが多いようです。
私は、有名な教授や准教授だけが、
セカンド・オピニオンを求める相談相手として、
適しているとは思いません。
■ ■
身近に自分が信頼できる‘先生’を持つことが、
一番頼りになることだと思います。
よい先生には、
よい先生のネットワークがあります。
高いお金を払って、
有名病院の先生に意見を求めるだけが、
正しいセカンド・オピニオンの求め方ではないと、
私は考えます。
■ ■
次にご紹介する文章は、
私が札幌医大形成外科に在籍していた時にいただいた、
貴重な文章です。
私の生涯の財産として大切にしているものです。
ネットで検索することもできますので、
実名を入れたまま公開させていただきます。
文中のS市立病院は市立札幌病院。
ベテラン医師は院長の吉田哲憲先生です。
■ ■
第19回「心に残る医療」私の体験記コンクール
平成13年3月2日表彰式、記念パーティー(於・帝国ホテル)
入選作品 佳作
「セカンド・オピニオン」
中田ひさえ(38)
札幌市・主婦
医師の診断に異議申し立てをする事はなかなか難しい。医学に関して全くの素人は、素直に診断に従うしかないのだ。では、医師の診断に「それ以外の考え方はありませんか」と尋ねるならどうだろう。ある医師は、「私に何か文句があるのか」と怒るかもしれない。ある医師は、「そう思うなら、ヨソへ行けば」と突きはなすかもしれない。しかし私の出会った医師は違っていた……。
ことの起こりは今年六月、七歳の娘のわきの下にできた、小さなできものだった。「ママ、何かプチッとしたものがあるの」「大きなニキビみたいね。痛い?」「別に痛くないけど、何か気になるんだ」。近所の皮膚科で診てもらい、気になるなら取りましょう、という事になった。「まあ取った方が、その組織を調べて、良性のできものかどうか確認もできますしね」。医師のその言葉がやけに耳に残り、ひどく不安な思いにとらわれた。
切除は局所麻酔で三十分ほどで終わった。それから五日後、嫌な予感が現実のものとなる。
病理検査の結果が出たのだ。あの小さなできものは「隆起性皮膚線維肉腫」。皮膚にできる悪性の腫瘍だった。すぐに大きな病院で診てもらうよう勧められた。
紹介されたS医大病院では、皮膚に腫瘍が残っている可能性が高いので、もう少し広範囲に切除する必要があること、全身麻酔による切除手術を行い、二週間程度の入院が必要なこと、転移、再発の恐れの比較的少ない病気であることなどの説明を受けた。
「できるだけ早い方がいいですね」。医師はコンピューターの画面とにらめっこしながら、手術日のやりくりをしている。「患者を見ずに、コンピューターばかり見ている、なんて批判されちゃうんですが……」と言いながら、娘の手術を少しでも早く組み込めるよう奮闘している様子だ。その気持ちをありがたく思う反面、そんなに大変な病気なのかと、改めてやるせない思いにもなった。
本当に娘は悪性の腫瘍に侵されているのか、切除するしか仕方ないのか、そんな思いを抱えながら、手術の前に必要な心電図、レントゲン、血液検査を終え、入院手続きの説明も受けた。最後に、医師は娘に優しく話した。「悪い所を取ってしまえば心配はいらないからね。でも退院した後も、体育は半年ぐらいお休みしなくちゃならないよ。動くと傷口が汚くなっちゃうんだ。傷の大きさは十センチぐらいになるかなと思う」
話を聞いているうちに、手のひらに汗がじっとりとにじんできた。自分の身の上に何が起こったのか、まだよく理解できていないような娘の横顔を見ていると、「もうこれしか方法はないのか」という思いが、また頭をもたげてきた。この小さな体から、皮膚をはぎとらなければならないのか。走ることが何より大好きな娘に、半年も運動を禁じなくてはならないのか。
次の瞬間、思うより先に言葉が出ていた。「先生、大変失礼ですが、乳がんでは病院によって、切除する、しないの見解も違うと聞きます。この子の場合、もうこれしか方法がないんでしょうか」医師は、びっくりしたように私を見つめた。が、すぐにうなずいて答えた。「お母さんのお気持ち、わかります。親ならそう思って当然です。それはセカンド・オピニオンを求めるといって、全然かまわないことなんですよ」。思いがけない返答だった。セカンド・オピニオンという言葉も初めてであった。
「S市立病院に、悪性腫瘍に詳しい先生がいます。私の師匠です。そちらでもう一度診てもらいますか。検査結果はすべてお渡ししますから」と、すぐに紹介状を書いてくれた。さらに、「こちらでの手術の予約はそのままにしておきますので、どちらでするか決まったら、できるだけ早く連絡を下さい」とも言ってくれた。その親身な対応には、驚きにも似た深い感謝の思いがこみあげた。
すぐに紹介されたS市立病院を受診し、改めて病理検査の結果を見直してもらった。新たに、組織を染色する検査も行った結果、切除範囲はもう少し小さくてもよいとの判断が出た。この症状を数多く見てきたベテランの医師の存在、入院中も快適に過ごせそうな新しくきれいな病棟、私は、この病院に娘の手術を託した。
たとえ同じ診断結果であろうと、患者やその家族にとって、「自分が納得して選んだ病院」という思いがあるのとないのとでは、病気に向かう気持ちに大きな違いが出てくると思う。娘の入院中は、自分が信頼した医師に任せているのだから……。という思いが不安を抑えてくれた。その意味でも、セカンド・オピニオンを勧めてくれた医師に感謝している。
娘は、術後一か月から、元気に走り回って毎日を過ごしている。
院長の休日
謹賀新年2009
みなさま、あけましておめでとうございます。
私は、31日まで仕事をしていました。
紅白歌合戦は、
途中で居眠りしてしまい…
平原綾香さんのノクターンから
目が覚めて聞きました。
その後は、
‘さだまさし’さんの、
年の初めはさだまさしを見ました。
■ ■
その中で、
さださんが中学生の頃(昭和40年代のはじめ)に、
東京から長崎まで、
急行列車で帰った時のお話しがありました。
毎年、年の暮れに…
お父さんが帰省旅費として…
5,000円を送ってくれていたそうです。
■ ■
ある年、
お金がなかったのか…?
お父さんからの5,000円が届かず、
寂しくなったさださんは…
東京駅から長崎行きの急行‘雲仙’に、
入場券で乗ったそうです。
列車に乗ると、
長崎の言葉が車内に響き、
すぐに降りるつもりが…
列車が発車してしまいました。
■ ■
大学生のお兄さんが、
さださんの向かいに座りました。
お兄さんと話しをしていると…
車掌さんが検札に来ました。
『おくつろぎのところ、恐れ入ります』
『乗車券と急行券を拝見させていただきます』
入場券しか持っていなかった…
さだ少年は、
咄嗟(とっさ)に、
『切符を落とした…』
と嘘をついたのです。
■ ■
お金もないし、
万事休すと思っていたら、
向かいに座っていた大学生のお兄さんが、
ポンとお金を貸してくれて、
長崎までの乗車券と急行券を買えました。
その後も、静岡や名古屋で駅弁を買ってくれて、
熱いうどんまでご馳走してくれた、
親切なお兄さん。
■ ■
嘘をついていたさださんは、
気が気でありませんでした。
長崎についてからも、
お金がないので歩いて帰ろうとした、
さださんを追いかけてきて、
電車賃までくれました。
このお兄さんの親切のおかげで、
さださんのその後の人生観が変わったと
番組で発言されていました。
■ ■
さだまさしさんのコンサートは、
昨年3月にはじめて行きました。
苦労されただけに、
言葉のひとつひとつに
優しさと
あたたかみ
がありました。
またコンサートに行きたくなりました。
私も、
少しでも人さまのお役に立てる…
2009年にしたいと思いました。
院長の休日
2008年大晦日
今年も今日でおしまいです。
拙(つたな)い文章を読んでいただき、
ありがとうございました♪
100年に一度の大不況で、
大変な年の瀬となりました。
職や家を失った方には、
心からお見舞い申し上げます。
■ ■
私にとっても多難な一年でした。
札幌美容形成外科が入居している、
スノー会舘ビルの建替え問題も、
弁護士の高橋智(さとる)先生にお願いしています。
解決はしていませんが、
私は補償交渉などに煩わされることなく、
本業に専念できるので安心しています。
お客様にもご迷惑がかからないようにいたします。
■ ■
この院長日記も、
一日も休まずに続けました。
さくらんぼさんという、
強力なサポーターに、
毎日励ましていただきました。
美容外科医というと、
何にも不自由していない…
幸せそうなおじさんだと思われそうですが…
実は、孤独です。
■ ■
医業は厳しいですが、
美容外科医には
美をつくる楽しみがあります。
手術で困ることは、まずありません。
作品である患者さんから
元気をいただきます。
経営のこと…
人事のこと…
医業以外で困ることがたくさんあります。
■ ■
どんなに自分でがんばって努力しても…
自分一人の力ではどうにもならないことがあります。
日記を書いても、
読んでいただいた方は…?
どうお感じになったのだろうか…?
反応がわからないので不安になります。
毎日、日記を書く先生もすごいけど…
毎日、コメントをくださる方もすごい…
と言われたこともあります。
■ ■
さくらんぼさん
函館の看護師さん
まみ子師長さん
名前を出せない応援団の方
ほんとうに♥ご声援♥ありがとうございました。
男はどんなに強そうにしていても、
女性がいないとダメなのです。
■ ■
古代から
卑弥呼(ひみこ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
自由の女神
勝利の女神
世の中を制したのはみな女性です。
美しい女性の力で世の中を明るくしてください。
微力ながら美しくするお手伝いをさせていただきます。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。
医学講座
医者は横暴?
私の父は約30年近くもの間、
病院勤務の薬剤師をしていました。
北海道厚生連というJA系列の厚生病院から始まり、
築別炭鉱(留萌管内)→
三菱鉱業の
手稲療養所(ここで私が生まれました)→
茶志内炭鉱病院(美唄市)→
大夕張炭鉱病院(夕張市鹿島)→
南大夕張炭鉱病院(夕張市南部)
で定年を迎えました。
■ ■
私が子どもの頃は、
病院の職員住宅に住んでいました。
近所には、
お医者さんの家があり、
家族ぐるみでお付き合いをしていました。
私の兄貴分だった、
マーちゃんのお父さんは、
内科の小山昌正(オヤマヨシマサ)先生でした。
子どもの頃には、
楽しい想い出がたくさんあります。
私の周囲にいらしたお医者さんは、
みんなとても親切で優しい先生でした。
■ ■
私が医師免許を取得した後だったでしょうか?
結婚する前だったようにも思います。
父から『横暴な医者になるな!』
と言われたのを覚えています。
親父なに言ってんの?と…
当時はあまり考えもしませんでした。
医師になって30年近くたつと、
父親が言っていた意味がわかります。
■ ■
形成外科の大先輩である、
北里大学名誉教授の
塩谷信幸先生のブログがあります。
塩谷先生は
医者はともすると欠陥人間になりやすい。
それは、医者はいつも自分より立場の弱いもの、
つまり患者や看護師を相手にしているので、
自分の意思を一方的に押し付ける態度が身についてしまう。
だからよほど心しないと・・・
というのがいつも日野原先生のお諭しの言葉である。
と書かれていらっしゃいます。
■ ■
私は、この日野原先生のお言葉を
若い先生や医学生に伝えたいと思います。
現場の研修医や若い先生は、
看護師さんが医師より弱い立場?
とは思わないでしょうが…
指示を出せるのが医師であり、
指示を受けるのが看護師であることは事実です。
どんなに優秀な看護師長でも、
医師に診療上の指示は出せないのです。
■ ■
不幸な医療事故の多くは、
ちょっとした異常のサインを見落としたことで、
重大な医療事故につながります。
看護師さんからの助言を
素直に聞く医師でなければ、
横暴な医者になり、
いつかは重大な医療事故を起こす危険があります。
患者さんからのメッセージや
パラメディカルからのメッセージを
真摯(しんし)に聞く耳を持つ医師が、
技術的にも向上できると、
自戒を込めて書かせていただきます。
医学講座
患者さんからの教え
医学は万能ではなく、
どんなに優秀な医師でも、
日々勉強と反省をしないと、
成長できません。
一番の勉強は、
自分が担当させていただいた、
患者さんです。
■ ■
内科の先生でしたら、
治療の甲斐なく、
万全の治療をしたのに…
患者さんが亡くなってしまう…
ことがあります。
ご家族にお願いして、
病理解剖をさせていただく…
わからなかった病気が、
病理解剖で解明されることもあります。
■ ■
私は自分が亡くなったら、
主治医から依頼された時は、
病理解剖を承諾するように言っています。
もし、自然死に近い死に方で、
解剖の必要がなければ、
組織すべてを臓器提供するように、
ドナーカードに書いてあります。
医師にとって最大の教科書は、
患者さんなのです。
■ ■
形成外科や美容外科で、
患者さんが亡くなることは、
不幸な事故を除いて…
まずありません。
その代わり…
仕上がりが悪いとか…
思っていた通りではないとか…
苦言をいただくことがあります。
他の病院で手術を受けて、
結果が思わしくないので…
札幌美容形成外科を受診なさる方も、
いらっしゃいます。
■ ■
逆に、私が手術をさせていただいた方で、
他のクリニックへ行かれた方も?
いらっしゃるかもしれません?
結果が思わしくない時に…
いかに対処するかで、
技術の向上や、
よりよい手術法の開発が、
生まれることもあります。
■ ■
些細(ささい)なことでも
改善の余地があります。
昔、植皮手術をした後で、
遮光(しゃこう)をしてください。
そうしないと、色素沈着といって…
植皮した部位が黒くなります。
と看護師さんが、
退院前に遮光指導をしていました。
地方の病院勤務をしていた時です。
■ ■
先生、アルミ箔で遮光してくださいって
看護婦さんが教えてくれたけど…
アルミ箔だと…
これ!すぐにボロボロになって
穴があいて、光が入ってしまう!
トンガリコーンの袋だったら
丈夫だし、穴もあかないから!
と教えていただきました。
■ ■
レーザーでシミの治療をした後も、
遮光をしないと、
炎症後色素沈着という、
厄介なシミになることがあります。
治療前のシミより目立つこともあります。
そのため遮光指導をします。
この遮光指導の時に、
私はいつもトンガリコーンの袋を思い出します。
小さなことでも、
患者さんからの教えは大切にしています。