医学講座

試験の朝は炭水化物を

 北海道新聞の毎週水曜日の朝刊に、
 札幌医大医学部長の
 當瀬規嗣(とうせのりつぐ)教授が
 「生きる」仕組みというコラムを連載されています。
 今日で113回目です。
 私を札幌医大から追い出してくれたJ教授とは違い、
 當瀬教授はとてもよい先生です。
 ご専門は心臓の筋肉である
 心筋イオンチャネル機能という難しい学問ですが、
 やさしく体の仕組みを解説されています。
      ■         ■
 當瀬医学部長は北大医学部を
 1984年にご卒業。
 北大60期の先生です。
 北大形成外科の山本有平教授と同期です。
 私が札幌医大の学生だった頃は、
 教授の半数以上は、
 北大医学部の出身でした。
 札幌医大出身の教授は数えるほどでしたが、
 今は、学長以下大多数が札幌医大の卒業生です。
 その中で北大出身の教授が医学部長になるのは、
 とても人望が厚い証拠なのです。
      ■         ■
 今日のコラムのテーマは
 試験の朝はしっかり、
 炭水化物の朝食を摂りましょう!
 という受験生に必読のものでした。
 試験は朝からはじまるので、
 夜型→朝型への切り替えをして、
 脳の働きをよくするために、
 エネルギー不足にならないようにしましょう!
 という貴重なアドバイスです。
      ■         ■
 今朝のコラムで私が特に気になったのが…
 當瀬先生でも、
 『いまだに入試に落ちた夢をみる』
 と書かれていたことです。
 私は試験に落ちた夢はみませんが、
 『あぁ!明日試験なのに何も勉強していない!』
 『どうしよう、間に合わない!』
 という夢を50歳になってもみていました。
 傑作なのは、
 教員になって試験を作る側になってから、
 ‘試験なのに勉強していない!’
 という夢をみたことです。
 夢から覚めてビックリしました。
      ■         ■
 以下が北海道新聞から引用した
 當瀬先生のコラムです。
 受験生ばかりでなく、
 朝食を食べない若い人に読んでいただきたいです。
 脳のエネルギー
 試験の朝は炭水化物を
 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いします。
 新年を迎えると、
 間近に控えた大学入試センター試験を皮切りに、
 入学試験シーズンに入るので、
 大学は大忙しです。
      ■         ■
 私たちは毎年ですが、
 受験生の皆さんには、
 人生の大きな関門です。
 私もいまだに入試に落ちた夢をみるぐらいです。
 普段の実力が発揮されることを祈るばかりです。
      ■         ■
 ところで、夜遅くまで自室にこもって
 受験勉強という受験生が多いようです。
 夜の静寂の中の方が集中できて、
 勉強がはかどるかもしれません。
 でも、入学試験は朝から昼間に行われます。
 試験に備えて、
 そろそろ夜型から昼型の生活リズムに
 戻さなければなりません。
      ■         ■
 一日の生活のリズムを整えるコツは、
 規則正しく食事することです。
 特に、朝食を食べることです。
 寝ている問に食べることはありませんから、
 朝起きたときには、
 体は相当にエネルギー不足になっています。
 ここで、朝食抜きでいると、
 昼までエネルギー不足が続き、
 特に糖分しかエネルギー源にできない脳は
 はたらきがすっかり落ちてしまいます。
      ■         ■
 朝食抜きの受験は、
 まず間違いなく失敗するでしょう。
 ですから、試験の朝は、
 炭水化物をたくさん取るのがいいようです。
 ただし、砂糖分では、お昼まで持たないで、
 昼前に逆にエネルギー不足になることがあります。
 でんぷんで炭水化物を取るのがお勤めです。
      ■         ■
 ご飯、パン、バナナに
 体を温めるタンパク質が豊富な
 みそ汁、牛乳、卵です。
 脂肪の多い肉類は控えめに!
 幸運を祈ります。
 (とうせ・のりつぐ=札医大医学部長)

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昔の記憶

パイロットへの夢

 以前にも書いたことがあります
 私が高校生の時になりたかったのは、
 パイロットでした。
 大空を飛んでみたいという…
 単純な少年の夢です。
 一浪した時に、
 運輸省航空大学校の入学試験を受けました。
 北大農学部が試験会場でした。
 一次試験は秋にあった記憶があります。
      ■         ■
 英語の試験問題に、
 ライト兄弟の話しが出てきました。
 さすが航空大学校だなぁ~
 と思ったのを今でも覚えています。
 当時は高校卒で受験資格がありました。
 現在は規則が変わって、
 ①4年制大学に2年以上在学し、全修得単位数が62単位以上。
 ②短期大学又は高等専門学校を卒業した者。
 ③専修学校の専門課程の修了者に対する専門士及び高度専門士。
 となったようです。
      ■         ■
 ライト兄弟の英語ができたからか?
 航空大学校の一次試験には、
 運よく合格できました。
 2次試験(身体検査)が
 東京の慈恵医大であるので、
 東京まで来るようにという通知が来ました。
 当時、東京まで行くのは、
 函館から連絡船に乗り、
 列車で行くのが受験生の主流でした。
 航空運賃は高く、
 貧乏だった私たちには高嶺の花でした。
      ■         ■
 ちょうどその頃、
 航空大学校の練習機が、
 仙台空港で事故を起こしました。
 父親に2次試験のことを話したところ…
 事故のこともあり、
 2次試験に行くのを諦めました。
 視力は2.0だったので自信がありましたが、
 はっきり言って‘体力?’には、
 あまり自信がありませんでした。
      ■         ■
 オッサンになってから、
 大手航空会社の国際線の機長になった友人を見ると、
 私の体力でも大丈夫だったかなぁ?
 と思いました。
 もう一つの懸念材料は、
 航空大学校を卒業しても、
 航空会社に入社できない卒業生がいたことでした。
 私くらいの年代は、
 ちょうど大量輸送時代に入る過渡期でした。
      ■         ■
 田中角栄首相が、
 ロッキード社とトライスターという航空機を、
 全日空に納入するのにお金をもらったとか?
 そういう時代でした。
 ジャンボ機ができたのも、
 そのあとでした。
 私たちの少し前には、
 パイロットになったけれど…
 就職できないので…
 もう一度大学に入学して、
 学校の先生になった人もいました。
      ■         ■
 私の高校の同期には、
 大学に入学後に、
 航空会社が募集した、
 自社養成のパイロットとなり、
 大手航空会社の幹部パイロットもいます。
 今と同じようにオイルショックがあり、
 トイレットペーパーが街から無くなった時代でした。
 私も、もし航空大学校に入り、
 無事に卒業していたら…
 おそらく就職できたと思います。
      ■         ■
 当時は父親の判断で、
 航空大学校を諦め、
 再び、医学部への道を進みました。
 それが正しかったかどうか?
 どちらが幸せだったか?
 なんてことは考えても仕方のないことです。
      ■         ■
 ある時、
 パイロットになって、
 国際線を飛んでいる友人に言いました。
 『オレ、パイロットになりたかったんだ』
 機長の友人は
 『オレは医者になりたかったんだ』
 人生なんてこんなものかも?です。
 医者もパイロットも大変です。

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医療問題

美容外科の大不況

 昨年秋からの100年に一度の大不況。
 実は…
 美容外科の不況は、
 今回の不況より早くはじまっていました。
 美容外科は一見、
 華やかなようですが、
 医療の中では、
 一番、
 景気に影響を受けやすい診療科目です。
      ■         ■
 美容外科大不況の原因は、
 価格競争です。
 今から10年前は…
 10万円以上がふつうだった…
 二重まぶた埋没法が、
 あっという間に1万円を切りました。
 これは明らかに異常です。
      ■         ■
 健康保険で行う、
 眼瞼内反症手術というのがあります。
 さかさまつげの手術です。
 これですら、
 手術点数(料金)だけで1,660点
 16,600円(片目)です。
 この‘さかさまつげの手術’が、
 そもそも二重手術の原点です。
 一点留め(保証なし)に相当する手術です。
      ■         ■
 健康保険の場合は、
 この手術点数に、
 初診料、
 再診料、
 薬剤料、
 検査料、
 判断料、
 などが加算されます。
      ■         ■
 ですから、
 健康保険の手術でも、
 片目で最低2万円以上の‘売上’になります。
 二重術スーパークイック法(完全埋没法)
 ※1点留め 保証制度なし 9,800円
 の手術だけをしていては、
 美容外科は赤字です。
 チェーン店同士の価格競争で、
 この9,800円という価格が出てきました。
      ■         ■
 美容外科業界では、
 この価格競争を仕掛けた、
 2つのクリニック名を合わせて、
 S-S戦争と呼ばれています。
 もう一つのS美容外科では、
 ナチュラルベーシック法
 両目(1点)9,800円保障なし
 と呼んでいます。
 チェーン店の店長(院長)は、
 9,800円のつもりで来院した方に、
 いかに高い手術を受けてもらうかで、
 給料の歩合が決まります。
      ■         ■
 この価格競争に疲弊したクリニックは、
 美容外科は儲からないので…
 眼科の近視矯正手術に転向してきています。
 二重手術を9,800円で、
 100人手術しても、
 一日の売上は100万円になりません。
 医師・看護師・受付はクタクタです。
 看護師の数や、
 テナントの賃貸料、
 高額の広告宣伝費を払うと、
 儲けはわずかにしかならないというのが、
 美容外科→眼科への商売替えの理由と考えます。
      ■         ■
 美容外科チェーン店だったはずが…
 いつの間にか…
 高給優遇で眼科専門医を募集しています。
 私は、
 医療は儲け優先の商売とは違うと考えます。
 手術の必要がない人には、
 手術はすすめない。
 安全で確実な手術や治療、
 自分の家族にもできる治療だけを、
 適正な料金で施術する。
 これが札幌美容形成外科の方針です。
 過度な価格競争には参加しません。

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医療問題

2009年の予測

 今日は2009年の仕事はじめです。
 大不況にもかかわらず、
 デパートや家電量販店は、
 お正月からたくさんの人で賑(にぎ)わっていました。
 2009年はどのような年になるでしょうか?
 私の見方は、
 残念ながら…
 悲観的です。
      ■         ■
 美容外科とは関係ありませんが、
 一番の問題点は為替相場だと思います。
 日本という国を支えてきたのは、
 自動車、家電、ITなどの輸出産業です。
 現在の一ドル90円近くの相場が続くと、
 日本の製造業は、かなり厳しい状況となります。
 超一流企業と言われてきた、
 トヨタやソニーを見るとよくわかります。
      ■         ■
 昨年末には、
 派遣労働者の首切りや
 非正規社員の首切り、
 採用内定者の採用取消しなどが…
 大きな社会問題となりました。
 このまま企業の業績不振がつづくと、
 間違いなく正規社員の首切りが起こります。
 夏のボーナスが支給されないか、
 大幅に減額される企業も増えそうです。
      ■         ■
 米国に端を発した、
 世界恐慌が2009年は吹き荒れます。
 私たち消費者は、
 間違いなく財布のヒモを絞めます。
 美容外科業界も厳しい状況が続くと思います。
 ほんとうの意味で、
 安くて価値があるところしか残らなくなります。
      ■         ■
 かつて札幌には、
 大手美容外科が進出して、
 撤退した時期がありました。
 昨年も神奈川クリニックが閉院しました。
 利益率が下がり、
 赤字を出してまで継続する経営者はいません。
 リース会社への支払いや、
 銀行への返済が滞れば、
 閉院は時間の問題です。
      ■         ■
 安心して食べられる果物作りに
 頑張りたいと思います。
 さくらんぼさんがコメントされたように、
 商売の原点に戻って、
 お客様に喜ばれるものづくりをして、
 喜んでいただけるサービス
 を提供する企業が生き残れます。
 この厳しい時代を乗り越えられれば、
 どんな恐慌が来ても大丈夫です。
 今年もいままで以上にがんばります!

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院長の休日

2009年の目標

 100年に一度の大不況ではじまった2009年。
 私の目標は、
 少しでも社会のお役に立つこと。
 お客さんの不を取ることです。
 2007年9月21日に書いた、
 イオン㈱元専務取締役の
 阪本美樹(サカモトヨシキ)先生から教えていただいた、
 商売の極意に書いてあります。
      ■         ■
 商売の極意は、
 お客さんの‘不’をとること。
 お客さんの
 不満、
 不信、
 不安
 を取るのが商売の極意です。
 イオンの前身である
 三重県四日市の岡田屋さんという老舗呉服店の家訓です。
      ■         ■
 私は、
 この不を取るという言葉が気に入って、
 何度も想い出しています。
 私たち医療者も、
 患者さんの不を取るのが仕事です。
 病気になって困っている人の
 病気への不安
 医療不信
 病院への不満
 を取ってあげるのが、
 真の意味での医療改革だと思います。
      ■         ■
 診断をつけて、
 治療をすることで、
 患者さんの痛み
 患者さんの苦しみ
 患者さんの不安
 という不の要因
 少しでも楽にしてあげるのが、
 医療の原点だと思います。
      ■         ■
 私たち美容外科や形成外科は、
 直接痛み苦しみ
 とることはあまりありませんが…
 本人が悩んでいる…
 ワキガの臭い
 まぶたの垂れ下がり
 を少しでも改善することにより、
 元気で働こう!
 明日もがんばるぞ~!
 という意欲を出すことができます。
      ■         ■
 55歳という私の年齢は、
 あと20年も働ける歳ではありません。
 これから10年くらいの間に、
 私にできる社会貢献が、
 どの位あるかわかりませんが、
 暗い世の中を少しでも
 明るくするお手伝い
 できるといいなぁ~
 と考えています。

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医学講座

セカンド・オピニオン

 さくらんぼさんから
 セカンド・オピニオンについてご質問をいただきました。
 セカンドオピニオンは大学病院や総合病院でも、
 保険外の自由診療で…
 料金も数万円と高額のところが多いようです。
 私は、有名な教授や准教授だけが、
 セカンド・オピニオンを求める相談相手として、
 適しているとは思いません。
      ■         ■
 身近に自分が信頼できる‘先生’を持つことが、
 一番頼りになることだと思います。
 よい先生には、
 よい先生のネットワークがあります。
 高いお金を払って、
 有名病院の先生に意見を求めるだけが、
 正しいセカンド・オピニオンの求め方ではないと、
 私は考えます。
      ■         ■
 次にご紹介する文章は、
 私が札幌医大形成外科に在籍していた時にいただいた、
 貴重な文章です。
 私の生涯の財産として大切にしているものです。
 ネットで検索することもできますので、
 実名を入れたまま公開させていただきます。
 文中のS市立病院は市立札幌病院。
 ベテラン医師は院長の吉田哲憲先生です。
      ■         ■
第19回「心に残る医療」私の体験記コンクール
平成13年3月2日表彰式、記念パーティー(於・帝国ホテル)
入選作品 佳作
「セカンド・オピニオン」
中田ひさえ(38)
札幌市・主婦
 医師の診断に異議申し立てをする事はなかなか難しい。医学に関して全くの素人は、素直に診断に従うしかないのだ。では、医師の診断に「それ以外の考え方はありませんか」と尋ねるならどうだろう。ある医師は、「私に何か文句があるのか」と怒るかもしれない。ある医師は、「そう思うなら、ヨソへ行けば」と突きはなすかもしれない。しかし私の出会った医師は違っていた……。
 ことの起こりは今年六月、七歳の娘のわきの下にできた、小さなできものだった。「ママ、何かプチッとしたものがあるの」「大きなニキビみたいね。痛い?」「別に痛くないけど、何か気になるんだ」。近所の皮膚科で診てもらい、気になるなら取りましょう、という事になった。「まあ取った方が、その組織を調べて、良性のできものかどうか確認もできますしね」。医師のその言葉がやけに耳に残り、ひどく不安な思いにとらわれた。
 切除は局所麻酔で三十分ほどで終わった。それから五日後、嫌な予感が現実のものとなる。
 病理検査の結果が出たのだ。あの小さなできものは「隆起性皮膚線維肉腫」。皮膚にできる悪性の腫瘍だった。すぐに大きな病院で診てもらうよう勧められた。
 紹介されたS医大病院では、皮膚に腫瘍が残っている可能性が高いので、もう少し広範囲に切除する必要があること、全身麻酔による切除手術を行い、二週間程度の入院が必要なこと、転移、再発の恐れの比較的少ない病気であることなどの説明を受けた。
 「できるだけ早い方がいいですね」。医師はコンピューターの画面とにらめっこしながら、手術日のやりくりをしている。「患者を見ずに、コンピューターばかり見ている、なんて批判されちゃうんですが……」と言いながら、娘の手術を少しでも早く組み込めるよう奮闘している様子だ。その気持ちをありがたく思う反面、そんなに大変な病気なのかと、改めてやるせない思いにもなった。
 本当に娘は悪性の腫瘍に侵されているのか、切除するしか仕方ないのか、そんな思いを抱えながら、手術の前に必要な心電図、レントゲン、血液検査を終え、入院手続きの説明も受けた。最後に、医師は娘に優しく話した。「悪い所を取ってしまえば心配はいらないからね。でも退院した後も、体育は半年ぐらいお休みしなくちゃならないよ。動くと傷口が汚くなっちゃうんだ。傷の大きさは十センチぐらいになるかなと思う」
 話を聞いているうちに、手のひらに汗がじっとりとにじんできた。自分の身の上に何が起こったのか、まだよく理解できていないような娘の横顔を見ていると、「もうこれしか方法はないのか」という思いが、また頭をもたげてきた。この小さな体から、皮膚をはぎとらなければならないのか。走ることが何より大好きな娘に、半年も運動を禁じなくてはならないのか。
 次の瞬間、思うより先に言葉が出ていた。「先生、大変失礼ですが、乳がんでは病院によって、切除する、しないの見解も違うと聞きます。この子の場合、もうこれしか方法がないんでしょうか」医師は、びっくりしたように私を見つめた。が、すぐにうなずいて答えた。「お母さんのお気持ち、わかります。親ならそう思って当然です。それはセカンド・オピニオンを求めるといって、全然かまわないことなんですよ」。思いがけない返答だった。セカンド・オピニオンという言葉も初めてであった。
 「S市立病院に、悪性腫瘍に詳しい先生がいます。私の師匠です。そちらでもう一度診てもらいますか。検査結果はすべてお渡ししますから」と、すぐに紹介状を書いてくれた。さらに、「こちらでの手術の予約はそのままにしておきますので、どちらでするか決まったら、できるだけ早く連絡を下さい」とも言ってくれた。その親身な対応には、驚きにも似た深い感謝の思いがこみあげた。
 すぐに紹介されたS市立病院を受診し、改めて病理検査の結果を見直してもらった。新たに、組織を染色する検査も行った結果、切除範囲はもう少し小さくてもよいとの判断が出た。この症状を数多く見てきたベテランの医師の存在、入院中も快適に過ごせそうな新しくきれいな病棟、私は、この病院に娘の手術を託した。
 たとえ同じ診断結果であろうと、患者やその家族にとって、「自分が納得して選んだ病院」という思いがあるのとないのとでは、病気に向かう気持ちに大きな違いが出てくると思う。娘の入院中は、自分が信頼した医師に任せているのだから……。という思いが不安を抑えてくれた。その意味でも、セカンド・オピニオンを勧めてくれた医師に感謝している。
 娘は、術後一か月から、元気に走り回って毎日を過ごしている。

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院長の休日

謹賀新年2009

 みなさま、あけましておめでとうございます。
 私は、31日まで仕事をしていました。
 紅白歌合戦は、
 途中で居眠りしてしまい…
 平原綾香さんのノクターンから
 目が覚めて聞きました。
 その後は、
 ‘さだまさし’さんの、
 年の初めはさだまさしを見ました。
      ■         ■
 その中で、
 さださんが中学生の頃(昭和40年代のはじめ)に、
 東京から長崎まで、
 急行列車で帰った時のお話しがありました。
 毎年、年の暮れに…
 お父さんが帰省旅費として…
 5,000円を送ってくれていたそうです。
      ■         ■
 ある年、
 お金がなかったのか…?
 お父さんからの5,000円が届かず、
 寂しくなったさださんは…
 東京駅から長崎行きの急行‘雲仙’に、
 入場券で乗ったそうです。
 列車に乗ると、
 長崎の言葉が車内に響き、
 すぐに降りるつもりが…
 列車が発車してしまいました。
      ■         ■
 大学生のお兄さんが、
 さださんの向かいに座りました。
 お兄さんと話しをしていると…
 車掌さんが検札に来ました。
 『おくつろぎのところ、恐れ入ります』
 『乗車券と急行券を拝見させていただきます』
 入場券しか持っていなかった…
 さだ少年は、
 咄嗟(とっさ)に、
 『切符を落とした…』
 と嘘をついたのです。
      ■         ■
 お金もないし、
 万事休すと思っていたら、
 向かいに座っていた大学生のお兄さんが、
 ポンとお金を貸してくれて、
 長崎までの乗車券と急行券を買えました。
 その後も、静岡や名古屋で駅弁を買ってくれて、
 熱いうどんまでご馳走してくれた、
 親切なお兄さん。
      ■         ■
 嘘をついていたさださんは、
 気が気でありませんでした。
 長崎についてからも、
 お金がないので歩いて帰ろうとした、
 さださんを追いかけてきて、
 電車賃までくれました。
 このお兄さんの親切のおかげで、
 さださんのその後の人生観が変わったと
 番組で発言されていました。
      ■         ■
 さだまさしさんのコンサートは、
 昨年3月にはじめて行きました。
 苦労されただけに、
 言葉のひとつひとつに
 優しさと
 あたたかみ
 がありました。
 またコンサートに行きたくなりました。
 私も、
 少しでも人さまのお役に立てる…
 2009年にしたいと思いました。

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院長の休日

2008年大晦日

 今年も今日でおしまいです。
 拙(つたな)い文章を読んでいただき、
 ありがとうございました♪
 100年に一度の大不況で、
 大変な年の瀬となりました。
 職や家を失った方には、
 心からお見舞い申し上げます。
      ■         ■
 私にとっても多難な一年でした。
 札幌美容形成外科が入居している、
 スノー会舘ビルの建替え問題も、
 弁護士の高橋智(さとる)先生にお願いしています。
 解決はしていませんが、
 私は補償交渉などに煩わされることなく、
 本業に専念できるので安心しています。
 お客様にもご迷惑がかからないようにいたします。
      ■         ■
 この院長日記も、
 一日も休まずに続けました。
 さくらんぼさんという、
 強力なサポーターに、
 毎日励ましていただきました。
 美容外科医というと、
 何にも不自由していない…
 幸せそうなおじさんだと思われそうですが…
 実は、孤独です。
      ■         ■
 医業は厳しいですが、
 美容外科医には
 美をつくる楽しみがあります。
 手術で困ることは、まずありません。
 作品である患者さんから
 元気をいただきます。
 経営のこと…
 人事のこと…
 医業以外で困ることがたくさんあります。
      ■         ■
 どんなに自分でがんばって努力しても…
 自分一人の力ではどうにもならないことがあります。
 日記を書いても、
 読んでいただいた方は…?
 どうお感じになったのだろうか…?
 反応がわからないので不安になります。
 毎日、日記を書く先生もすごいけど…
 毎日、コメントをくださる方もすごい…
 と言われたこともあります。
      ■         ■
 さくらんぼさん
 函館の看護師さん
 まみ子師長さん
 名前を出せない応援団の方
 ほんとうにご声援ありがとうございました。
 男はどんなに強そうにしていても、
 女性がいないとダメなのです。
      ■         ■
 古代から
 卑弥呼(ひみこ)
 天照大神(あまてらすおおみかみ)
 自由の女神
 勝利の女神
 世の中を制したのはみな女性です。
 美しい女性の力で世の中を明るくしてください。
 微力ながら美しくするお手伝いをさせていただきます。
 みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。

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医学講座

医者は横暴?

 私の父は約30年近くもの間、
 病院勤務の薬剤師をしていました。
 北海道厚生連というJA系列の厚生病院から始まり、
 築別炭鉱(留萌管内)→
 三菱鉱業の
 手稲療養所(ここで私が生まれました)→
 茶志内炭鉱病院(美唄市)→
 大夕張炭鉱病院(夕張市鹿島)→
 南大夕張炭鉱病院(夕張市南部)
 で定年を迎えました。
      ■         ■
 私が子どもの頃は、
 病院の職員住宅に住んでいました。
 近所には、
 お医者さんの家があり、
 家族ぐるみでお付き合いをしていました。
 私の兄貴分だった、
 マーちゃんのお父さんは、
 内科の小山昌正(オヤマヨシマサ)先生でした。
 子どもの頃には、
 楽しい想い出がたくさんあります。
 私の周囲にいらしたお医者さんは、
 みんなとても親切で優しい先生でした。
      ■         ■
 私が医師免許を取得した後だったでしょうか?
 結婚する前だったようにも思います。
 父から『横暴な医者になるな!』
 と言われたのを覚えています。
 親父なに言ってんの?と…
 当時はあまり考えもしませんでした。
 医師になって30年近くたつと、
 父親が言っていた意味がわかります。
      ■         ■
 形成外科の大先輩である、
 北里大学名誉教授の
 塩谷信幸先生のブログがあります。
 塩谷先生は
 医者はともすると欠陥人間になりやすい。
 それは、医者はいつも自分より立場の弱いもの、
 つまり患者や看護師を相手にしているので、
 自分の意思を一方的に押し付ける態度が身についてしまう。
 だからよほど心しないと・・・
 というのがいつも日野原先生のお諭しの言葉である。
 と書かれていらっしゃいます。
      ■         ■
 私は、この日野原先生のお言葉を
 若い先生や医学生に伝えたいと思います。
 現場の研修医や若い先生は、
 看護師さんが医師より弱い立場?
 とは思わないでしょうが…
 指示を出せるのが医師であり、
 指示を受けるのが看護師であることは事実です。
 どんなに優秀な看護師長でも、
 医師に診療上の指示は出せないのです。
      ■         ■
 不幸な医療事故の多くは、
 ちょっとした異常のサインを見落としたことで、
 重大な医療事故につながります。
 看護師さんからの助言
 素直に聞く医師でなければ、
 横暴な医者になり、
 いつかは重大な医療事故を起こす危険があります。
 患者さんからのメッセージや
 パラメディカルからのメッセージを
 真摯(しんし)に聞く耳を持つ医師が、
 技術的にも向上できると、
 自戒を込めて書かせていただきます。

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医学講座

患者さんからの教え

 医学は万能ではなく、
 どんなに優秀な医師でも、
 日々勉強と反省をしないと、
 成長できません。
 一番の勉強は、
 自分が担当させていただいた、
 患者さんです。
      ■         ■
 内科の先生でしたら、
 治療の甲斐なく、
 万全の治療をしたのに…
 患者さんが亡くなってしまう…
 ことがあります。
 ご家族にお願いして、
 病理解剖をさせていただく…
 わからなかった病気が、
 病理解剖で解明されることもあります。
      ■         ■
 私は自分が亡くなったら、
 主治医から依頼された時は、
 病理解剖を承諾するように言っています。
 もし、自然死に近い死に方で、
 解剖の必要がなければ、
 組織すべてを臓器提供するように、
 ドナーカードに書いてあります。
 医師にとって最大の教科書は、
 患者さんなのです。
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 形成外科や美容外科で、
 患者さんが亡くなることは、
 不幸な事故を除いて…
 まずありません。
 その代わり…
 仕上がりが悪いとか…
 思っていた通りではないとか…
 苦言をいただくことがあります。
 他の病院で手術を受けて、
 結果が思わしくないので…
 札幌美容形成外科を受診なさる方も、
 いらっしゃいます。
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 逆に、私が手術をさせていただいた方で、
 他のクリニックへ行かれた方も?
 いらっしゃるかもしれません?
 結果が思わしくない時に…
 いかに対処するかで、
 技術の向上や、
 よりよい手術法の開発が、
 生まれることもあります。
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 些細(ささい)なことでも
 改善の余地があります。
 昔、植皮手術をした後で、
 遮光(しゃこう)をしてください。
 そうしないと、色素沈着といって…
 植皮した部位が黒くなります。
 と看護師さんが、
 退院前に遮光指導をしていました。
 地方の病院勤務をしていた時です。
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 先生、アルミ箔で遮光してくださいって
 看護婦さんが教えてくれたけど…
 アルミ箔だと…
 これ!すぐにボロボロになって
 穴があいて、光が入ってしまう!
 トンガリコーンの袋だったら
 丈夫だし、穴もあかないから!
 と教えていただきました。
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 レーザーでシミの治療をした後も、
 遮光をしないと、
 炎症後色素沈着という、
 厄介なシミになることがあります。
 治療前のシミより目立つこともあります。
 そのため遮光指導をします。
 この遮光指導の時に、
 私はいつもトンガリコーンの袋を思い出します。
 小さなことでも、
 患者さんからの教えは大切にしています。

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