昔の記憶

忘れられない味

 北大病院近くの、
 札幌市北区北13条西4丁目の角に
 味の広龍(あじのこうりゅう)というお店があります。
 開店してから、もう45年くらいになるそうです。
 私が北大病院の研修医になったのが、
 1980年(昭和55年)でした。
 当時は土曜日も外来診療がありました。
 札幌市内の総合病院で形成外科があったのは、
 北大だけでした。
      ■         ■
 当時の北大形成外科は、
 患者さんであふれていました。
 手術を申し込んでも、
 手術日は未定。
 まともに待っていると、
 手術を受けられるのは、
 2~3年先でした。
 (2~3ヵ月ではなく、‘年’です)
      ■         ■
 医師免許証をいただいても、
 手術ができるわけではなく…
 研修医の私は、朝9:00から、
 上の先生がいらっしゃる前に、
 予診(よしん)という問診をして、
 ポラロイド写真を撮って、
 外来診療の準備をします。
 上の先生がいらした後は、
 処置をしたり、
 手術や入院の説明をしたり…
 何もできないけれど、一生懸命に働いていました。
      ■         ■
 当時は25歳でした。
 とにかく外来は混んでいました。
 順調に終わって、
 土曜日でも13:30とか14:00までかかりました。
 外来が終わってからも、
 新患台帳という厚い台帳に記入したり、
 手紙の返事を代筆で書いたり…
 とにかく、忙しく働いていました。
      ■         ■
 今でこそ、
 15:00頃まで昼食を食べなくても平気ですが、
 当時は若かったのか、
 とにかく‘腹ペコ’になりました。
 最後の方になると…
 ‘腹へったなぁ~’しか考えられなくなります。
 そんな時、
 当時、講師だった
 ‘杉さん’こと、杉原平樹(すぎはらつねき)先生が、
 『腹へっただろう、出前とってやるよ』
 と私たち研修医に、
 広龍から出前をとってくださいました。
      ■         ■
 私が頼んだのが、中華飯でした。
 出前が早く来たので、
 私が食べる頃には冷めていましたが、
 丁寧にラップがかかっていました。
 ラップを取って食べた
 その中華飯の美味しかったこと。
 今でも杉原先生にご馳走になった
 その味が忘れられません。
      ■         ■
 昨夜、15年ぶりくらいで
 その中華飯を食べました。
 おじさんは少し歳をとっていらっしゃいましたが、
 味は昔のままでした。
 北大病院でかつて働いていた偉い先生も
 たまにいらっしゃるそうです。
 忘れられない味は誰にでもあるようです。
 私は今でも…
 冷たくなった中華飯が好きです。

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医学講座

高須克弥先生

 昨日の日記(信じてはいけない人)に
 たくさんのコメントをいただきありがとうございました。
 一番最初に…
 思いもかけない先生からコメントをいただきました。
 高須クリニックの高須克弥先生です。
 東大形成外科教授のお名前を知らない人でも、
 高須先生をご存知ない方はいないと思います。
 今週号の週刊文春には、
 麻生首相の口を治した漫画まで掲載されています。
      ■         ■
 高須先生まで…
 この日記を読んでいただいているとは…
 夢にも思いませんでした。
 高須先生、
 心あたたまるコメントをありがとうございました。
 高須先生は、
 私が大学をクビになって、
 美容外科医になってから、
 学会であたたかく私を迎えてくださいました。
      ■         ■
 残念なことですが、
 日本形成外科学会の中には、
 高須先生に批判的な方もいらっしゃいます。
 でも、実際に学会でお会いして、
 お話しをしてみると…
 高須先生は、
 ほんとうの意味での、
 『真の美容外科医』だと思います。
      ■         ■
 世界中探しても、
 高須先生ほど、
 ご自分の身体にメスを入れている美容外科医はいません。
 私自身も、
 高須先生と同じようにできるか?
 と問われると自信がありません。
 それほど、
 高須先生はすごい先生です。
      ■         ■
 また、高須先生は愛妻家です。
 私など、家内にいつも言われています。
 『院長日記の中でだけ愛妻家ぶっている!』
 確かに、仕事も忙しいし、
 日記のネタを考えている時に話しかけられると…
 『うるさい。静かにしてて!』
 と声が大きくなります。
 高須先生の奥様はお医者さんです。
 もの静かに見えますが、
 すごい内助の功だとお聞きしたことがあります。
      ■         ■
 高須ファミリーはお医者さんと歯医者さんです。
 一族でクリニックを経営するのは、
 他人同士よりも大変だと思います。
 高須クリニックがうまく運営されているのは、
 家庭円満の証拠です。
 11月15日から、
 東京のホテルニューオータニで
 高須先生が主催される、
 第5回国際美容外科学会があります。
 学会で先生にお会いできるのを楽しみにしています。
 高須先生ありがとうございました。

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昔の記憶

信じてはいけない人

次の文章は2008年度版、北大形成外科年報(教室発行の小冊子)に投稿して、内容不適切でボツになった原稿です。いつか、このHPで公開することにしていました。
関堂充教授就任祝賀会の翌日にあえて掲載します。教授と講師では立場が大きく違いますが、同じことが繰り返されないように、私が犯した人生で最大の失敗をここに記載します。

信じてはいけない人
医療法人札幌美容形成外科 理事長 本間賢一

この同門会・教室年報は、北大形成外科の同門だけではなく、日本全国の形成外科学教室へ配布されます。
私の原稿は、私のことを、快く思っていない人に読まれることも覚悟の上で、書いています。
自分の、人生で最大の失敗について、私からのメッセージです。どうか同じ過ちを繰り返さないでください。

医療は、医師と患者間の信頼関係があって、はじめて成り立ちます。
医師と医師、医師とパラメディカルの間にも信頼関係が必須です。
外科は、チーム医療です。チームの仲間を信頼しなければ、手術はできません。
術者は、助手が採取してくれる皮弁の血管に異常がないことを信じています。
病棟では、しっかりと術後管理をしてくれていることを信じています。
医療人として生きていく上で、同僚を信頼することは、すべてのはじまりです。

私は、1974年(昭和49年)に札幌医大に入学し、1980年(昭和55年)に卒業しました。
1980年に北大形成外科へ入局。1998年(平成10年)に帯広厚生病院を退職するまで、18年間、北大と北大の関連病院にお世話になりました。
1998年9月から、札幌医大形成外科に勤務しました。卒業以来18年ぶりでした。

札幌医大形成外科は、1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)まで、15年間にわたり、阿部清秀先生が基礎をつくられました。
私が札幌医大に呼ばれたのは、阿部先生が旭川赤十字病院へ転出され、唇顎口蓋裂の手術ができる医師がいなくなったためでした。北大形成外科と比べて、当時の札幌医大形成外科のスタッフはマイクロを使った再建もできませんでした。
私を札幌医大に呼んだのは、当時の皮膚科教授で形成外科教授を兼務していた人でした。
『英文論文をあと2編書いたら、助教授にする』というのが、私を誘った時の言葉でした。

私が、1998年(平成10年)9月に赴任した時は、形成外科は附属病院の診療科で、講師1、助手1(皮膚科から借り)の定員でした。そこへ私が赴任して、講師2、助手1となりました。
卒業後18年も経っていましたが、母校だけあって、手術症例はすぐに集まりました。耳鼻科の再建手術が多く、英文論文になった手術症例もありました。
私は、もともと教育職に就く気はありませんでした。札幌医大では、北大形成外科の先生の助けをお借りして、教育や研究に情熱を傾けました。私なりに努力していました。

札幌医大へ赴任して、2年も経つと、私は教授と合わないことに気づきました。
教授は学内で権力を得て、医学部長に就任しました。任期は2年でした。
2期目の医学部長選挙の時に、私は対立候補に投票しました。
残念なことに、私が支持した対立候補の先生は落ちました。
2002年(平成14年)1月のことでした。

私は、札幌医大を去って、開業する道を模索しはじめていました。
そんな中、2002年(平成14年)3月7日(木)21:00に、私は医学部長室に呼ばれました。
医学部長は得意そうな笑顔で、医局員が書いたという手紙を読み上げました。
医学部長の傍には、私が札幌医大に赴任以来、‘信頼’していた助手がいました。

半年も前から、周到に準備された計画であったことを後から知りました。
私を札幌医大に呼んだのも、私を札幌医大から追い出したのも、同じ人でした。
私は、最初からその教授を信用していませんでした。
いつかは、そのような日が来ることを予測していました。

ただ、同じ形成外科の助手がグルとは…
同じ形成外科の講師がグルとは…
半年も前から周到に準備されていたとは…
愚かな私は、全く気づいていませんでした。

自分を追い出したい人がいると、自分に味方してくれる人もいるものです。
失意のどん底から救ってくれたのは、自分を慕ってくれた‘仲間’でした。
私は、約4ヵ月の間、診療・教育から一切外されました。
一日も早く出て行ってくれという態度が見えていました。
48歳にして、職を失いました。

そんな時に、私の力になってくれたのが、北大形成外科の先輩やかつての同僚でした。
『本間先生が、そんなこと、するはずがない』
『札幌医大も、よほど追い出すネタがなかったんだね』
『本間ちゃん、元気出せよ』
どんなに私を元気づけてくれたことでしょうか。

人生には、いろいろなことがあります。
自分を引っ張ってくれる人がいて、出世できることもあります。
自分を陥れる人のために、職を失うこともあります。

失意のどん底に落ちた時に、助けてくれた恩は一生忘れられません。
今、私は、札幌医大を追い出されて、本当によかったと思っています。
何の未練もありません。
泥足で、蹴られて、追い出されたようなものですが、背中を押してくれた人に感謝しています。

私は、北大形成外科という、とても良い環境で育ちすぎました。
純培養で育ったので、仲間を疑うことを知りませんでした。
外科医は、仲間に嘘をついたり、裏切ったりしないと思っていました。
世の中には、信じてはいけない人がいます。
自分の最愛の妻でさえ、平気で嘘をついて騙すような人は、簡単に他人を騙します。
そのことに気づいたのは、自分が騙された後でした。

世の中には、良い人もいれば、悪い人もいます。
論文に嘘を書く人も、データーを捏造する人もいます。
権力のトップに立った人は、権力を行使すれば何でもできると思っています。
ただ、嘘をついたり、人を陥れる人は、自分も仕返しをされると気づくべきです。
科研費の不正。所得税の不正申告。
権力の座から、引き摺り下ろされる材料はいくらでもあります。

残念なことに、私の同期で、私を助けてくれた人が…
私と同じような目に遭ってしまいました。
陥れられた、悔しい思いは、当事者でなければわかりません。
私は声を大にして言います。
『元気出せよ』
『先生がそんなことするはずないよ!』
『今にきっといいことがあるよ!』
『俺たち、北大形成外科の同期じゃないか!』

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院長の休日

関堂充先生教授就任祝賀会

 北大形成外科ご出身の
 関堂充(せきどうみつる)先生が
 筑波大学大学院人間総合科学研究科臨床医学系形成外科教授
 (通称:筑波大学形成外科教授)に
 平成20年7月16日付けでご就任されました。
 今日は、その祝賀会が、
 ルネッサンス札幌ホテルで開催されました。
      ■         ■
 関堂充先生は、
 私が平成7年1月1日付けで、
 JA帯広厚生病院形成外科に赴任した際に、
 吉田哲也先生(現:苫小牧日翔病院形成外科医長)とともに
 私をあたたかく迎えてくれた先生でした。
 帯広厚生病院では、
 3ヵ月しかご一緒に仕事をできませんでしたが、
 とても優秀で温厚な先生です。
      ■         ■
 今も昔も…
 医学部の卒業生にとって、
 最高の出世は‘教授就任’と言っても
 過言ではないと思います。
 同級生が100人いたとすると、
 教授になれるのはせいぜい数人です。
 教授になるには、
 大学卒業後も一生懸命勉強をして、
 英文論文をたくさん書かないとなれません。
      ■         ■
 形成外科の場合は、
 最近は実技試験もあるようです。
 応募した大学の選考委員の教授が、
 勤務先の病院まで、
 手術を見に来るそうです。
 そうして、
 本当に手術が上手な先生かどうかを判断します。
      ■         ■
 大学によって選考方法は違いますが、
 最終選考まで残る人はだいたい3人程度です。
 その中から、
 教授会の投票によって決められます。
 大学を卒業した時から、
 『俺は将来は教授になる!』
 と決めて、
 ず~っと…勉強を続ける人もいます。
 そんなに勉強をしてもなれるものではありません。
      ■         ■
 関堂先生のすごいところは、
 ず~っと大学で勉強をしていたのではなく、
 ガンセンターや地方の病院などで、
 臨床経験を積んで、
 大学に戻ってから、
 医学博士の学位を取得されたことです。
 とても面倒見のよい先生で、
 下の研修医からも慕われていました。
      ■         ■
 筑波大学へ行かれても、
 優しい明るい笑顔で、
 新しい形成外科を築かれることと思います。
 ただ、最近は国立大学の教授だからといって…
 安心していられる時代ではありません。
 人のいい教授ほど、
 理不尽な不遇に遭遇することがあります。
 下の人が起こした、
 思わぬ医療事故に巻き込まれることもあります。
 どうか身体に気をつけて
 筑波の地で頑張っていただきたいと願っています。

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医療問題

病院の休止問題

 銚子市立総合病院の休止問題が
 朝日新聞に掲載されていました。
 他人事(ひとごと)ではありません。
 私たち、札幌市民が利用する、
 市立札幌病院も赤字です。
 救命救急センターや
 新生児医療で
 札幌市民をサポートしてくれている、
 市立札幌病院も大変そうです。
      ■         ■
 一番悪いのは、
 国の医療費抑制政策です。
 確かに、
 一部の医療機関が儲けていた時代もありました。
 今は、まともにやっている、
 ‘病院’は儲かりません。
 それどころか、厄介なお荷物です。
 今頃になって、
 急に医師の養成数を1.5倍に増やしたところで、
 その学生さんが一人前になるには、
 あと15年はかかります。
      ■         ■
 国の制度改革の前に、
 ‘病院’では、
 さまざまな経費節減策が取られてきました。
 一番最初になくなったのは、
 病院長専用車だったと記憶しています。
 経費削減は、もう20年近くになります。
 総合病院へ行って受付をして、
 保険証を出して、
 紹介状を出して、
 カルテを作成してもらって、
 順番を待っています。
 ○○病院医事課という名札をつけた女性。
 実は、大部分が派遣社員さんです。
      ■         ■
 派遣社員でも、
 医療事務のベテランなので、
 窓口で苦情が出たり、
 カルテの入力ミスがあったりすることはありません。
 市立○○病院や○○市民病院の
 医事課長になるような方は、
 公務員です。
 転勤があるので、
 札幌市の場合ですと、
 区役所からの転勤もあります。
      ■         ■
 私が市立札幌病院に勤務していた、
 20年前は、
 医事課長就任前オリエンテーションなんて…
 ありませんでした。
 医事課長就任前に、
 医療事務実務講座、
 促成栽培コース受講

 なんてシステムもありませんでした。
 確かに、医事課長には…
 それ相応の経験を積んだ方がいらっしゃいます。
 苦情処理の対応なんかは、
 さすがは行政のベテラン!
 と思わせる方もいらっしゃいました。
 でも医療事務のことについては素人でした。
      ■         ■
 医事課の職員は、
 大部分が派遣の女性社員
 区役所の窓口に行って、
 そこのフロアーの半分が派遣社員なんてありません。
 医事課を派遣にしたのは、
 病院の経費削減のためです。
 私は、今でも派遣で働いてくれていた、
 担当者のお名前と顔をよく覚えています。
 とても、しっかりとした方でした。
 レセプト(診療報酬明細書)の返戻もゼロでした。
 公務員にしてあげたいと思っていました。
      ■         ■
 これだけ病院が経費を節減しても、
 なかなか黒字にできないのは、
 医療費のシステム上、
 どうしても赤字になる部門があるからです。
 赤字の病院はいらないから、
 札幌市交通局のバス部門のように、
 民間に委託しよう…
 なんて考えていると…
 白石区の中央バスのような問題になりますょ。
      ■         ■
 人間が安心して暮らせるというのは、
 私たちの生活に欠かせないことです。
 建物だけ立派な病院をつくる必要はありませんが、
 そこへ行けば、
 あぁ、○○病院へ来てよかった!
 これで助かった!
 という病院を持つことは、
 私たちの暮らしに必要不可欠なことだと思います。

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院長の休日

床屋さん

 今日は休診日だったので、
 床屋さんに行ってきました。
 私がお世話になっているのは、
 札幌市西区琴似にある福原さんという
 理容室です。
 今は琴似から引っ越して、
 北区に住んでいますが、
 床屋さんは琴似まで行っています。
      ■         ■
 私のストレス解消の一つが床屋さんです。
 髪が伸びてくるとイライラします。
 さっぱりと散髪をしていただくと、
 身も心もすっきりとします。
 いつも、椅子にかけて、
 数分すると眠ってしまいます。
 髪を切りにくいだろうなぁ…
 申し訳ないなぁ…
 と思っているうちに爆睡です。
      ■         ■
 福原さんは、
 ご主人と息子さん、
 従業員のお兄ちゃん、
 奥さんの
 4人で、
 椅子3台の理容室です。
 息子さんは、大学を卒業後に
 一度、会社員になられて、
 それから、理容師になられた努力家です。
 今日は、息子さんに散髪をしていただきました。
      ■         ■
 明るく、家庭的な床屋さんです。
 息子さんには、
 3歳になる坊やがいます。
 少し離れたマンションから、
 通勤されています。
 私がわざわざ、JRや車で、
 琴似まで散髪に行くのは、
 ここのお店に行くとリラックスできるからです。
 いつも、私の髪を切ってくださる、
 福原さんご一家に感謝しています。
      ■         ■
 福原さんにお世話になる前は、
 約30年近くも、
 西区八軒の‘むつみ’さんという
 理容室にお世話になっていました。
 高校生の時から、
 47歳くらいまでだったでしょうか?
 残念なことに、
 ご主人が病気で他界されてしまいました。
 家族のようなお付き合いをさせていただいていました。
      ■         ■
 加藤さんという、
 とても真面目なおじさんでした。
 こちらの理容室も、
 ご主人と奥様の2人で
 経営なさっていらっしゃいました。
 おじさんが亡くなった時には、
 火葬場まで行って、
 骨も拾わせていただきました。
 ほんとうに、いいおじさんでした。
 結婚式の前の日にもお世話になりました。
      ■         ■
 髪は毎日伸びるので、
 私は一ヵ月に一度は必ず床屋さんに行きます。
 小さいときは、床屋嫌いだったようです。
 祖母の家の近くにあった、
 橋本さんという理容室で、
 よく泣いていた記憶があります。
 美容外科は、
 月に一度とか行くところではありません。
 私は、同じサービス業として、
 札幌美容形成外科にいらしていただいたお客様に、
 安心して
 リラックスして、
 いただけるような
 ‘店’にしたいと思っています。

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医療問題

美容外科勤務の魅力

 私のつたない日記に、
 コメントをいただきありがとうございます。
 また、励ましのお言葉をいただき、
 感謝しております。
 看護師不足で、
 優秀な看護師さんを確保するのは、
 なかなか難しいのが現実です。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の求人情報は、
 アルバイト北海道、
 ハローワーク、
 看護協会の求人案内
 e-ナースセンター
 掲載しています。
 1年前ですと、
 掲載すると、
 必ず数件のお問い合わせをいただきました。
 ところが、最近は苦戦しています。
 同業の先生も繰り返し掲載しているのを見ると、
 どこも苦労しているなぁ~
 と変に納得しています。
      ■         ■
 アルバイト北海道では、
 大手美容外科との逆価格競争になっています。
 札幌美容形成外科が22~24万円。
 大手美容外科は…
 前回出ていたS心美容外科が29万円。
 今回出ているS川美容外科が34万円。
 完全にうちの負けです。
 ちなみに、
 M皮フ科クリニックは18~26万円。
 これが札幌市内の
 平均的な開業医の看護師給与だと思います。
      ■         ■
 大手美容外科が給与を上げているのは、
 ここも看護師の求人難だからだと思います。
 1年前は、
 高くても30万円未満が
 札幌の美容外科の‘相場’でした。
 確かにお給料が高いのは魅力です。
 私も、
 前任の雇われ院長時代が最高でした。
      ■         ■
 私が自分で開業したのは、
 自分で納得ができる医療をしたかったからです。
 形成外科医として働いていた時のように、
 健康保険でできる手術は保険でして、
 機能的にも整容的にも(見た目のこと)よくしたい。
 自由診療の美容外科よりキレイに治したい!
 こうやって、
 毎日、日記を書いているのも…
 自分のメッセージを伝えたいからです。
      ■         ■
 しなくてもよい手術はすすめない。
 ワキガの臭いがしない人には、
 ワキガの手術はすすめない。
 形成外科医として
 総合病院で働いていた時に
 実践していたことをそのまま続けています。
 ありがたいことに…
 私のような偏屈オヤジでも何とかやっています。
      ■         ■
 美容外科勤務の一番の魅力は、
 自分が手術(施術)をした、
 お客様(患者さん)から、
 元気をいただけることです。
 自分も歳をとったら、
 あんな素敵なご婦人になりたいなぁ~
 というような方にめぐり会えることです。
 決して、お金だけではありません。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の診療開始は
 11:00です。
 早い職員は10:00前には出勤してくれます。
 繁忙期以外は、
 19:30前に帰ることもできます。
 一ヵ月の実働時間は
 150~160時間程度です。
 日勤者が7:00に出て、
 看護計画を立てて帰るのが
 20:00過ぎになる総合病院とは
 大きく違います。
 自分もキレイになりたい方は
 是非応募してください。
 お電話をお待ちしております。

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院長の休日

秋分の日

 今日は秋分の日です。
 平成20年4月から、
 祝日を休診とさせていただきました。
 理由はいくつかありますが、
 一番大きな理由は職員確保の難しさです。
 クリニックを開業してみると…
 一番難しいのが、
 優秀な人材の確保です。
      ■         ■
 ありがたいことに、
 一番長い人は、
 もう4年近く勤務してくれています。
 私の宝物です。
 最初のうちは、
 お客様も少なかったので、
 少人数でも対応できました。
 今は、おかげさまで、
 毎日ある程度、
 一定数の方にいらしていただいています。
      ■         ■
 私たちのような、
 美容形成外科は、
 医業の中でも究極のサービス業です。
 いらしていただくのは、
 患者さんではなく、
 お客様です。
 サービスのレベルを落とさないように、
 いらしていただいたお客様に、
 満足していただけるようにするには、
 できるだけ決まったスタッフで、
 丁寧に対応するのが一番です。
      ■         ■
 週休2日で、週40時間労働を維持するには、
 木曜日以外の休日を作る必要があります。
 そのため、
 祝日は休診とさせていただきました。
 ハッピーマンデー制度と振り替え休日により、
 月曜日が祝日となるのが
 2008年では15回の祝日のうち
 8回にもなります。
 月曜日がお休みの方には、
 大変申し訳ございません。
      ■         ■
 1.元日
 2.成人の日
 3.建国記念の日
 4.春分の日
 5.昭和の日
 6.憲法記念日
 7.みどりの日
 8.こどもの日
 9.海の日
 10.敬老の日
 11.秋分の日
 12.体育の日
 13.文化の日
 14.勤労感謝の日
 15.天皇誕生日
      ■         ■
 土日月と3連休が続くと、
 一番忙しいのが、
 土曜日の手術です。
 その前の金曜日と
 日曜日も手術はありますが、
 さすがに月曜日の手術は少なくなります。
 これも祝日を休診日にした理由の一つです。
 ふだんは日曜日も出勤してくれるスタッフも
 祝日はゆっくり休んでもらっています。

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医療問題

病院の食事

 病院に入院すると、食事が出されます。
 この病院の食事…
 大部分の方は、
 病院が食材を選んで、
 病院の職員が…
 手づくりで作ってくれている…
 と思っていませんか?
      ■         ■
 病院が出してくれるのだから、
 安全性にも十分に配慮して、
 国産の食材を使って、
 変なものが混じっていないか?
 病院の検査室でしっかり検査して、
 一番、安全で確実な食事だと…
 思っていませんか?
      ■         ■
 家で誰かが病気になったとします。
 そうすると、
 早く快くなってね!
 という願いをこめて、
 本人が一番好きそうな…
 一番栄養がありそうな…
 そんなものを作って食べさせてあげる…
 これが、ごくふつうの家庭だと思います。
      ■         ■
 昔~むかし~の病院には、 
 食事がありませんでした。
 炊事場があって、
 そこで家族が作って
 食べさせていた時代もあったようです。
 健康保険で食事が出るようになって、
 基準給食という方式になりました。
 国が認めた基準の食事を出していれば、
 給食費を徴収してもよろしいですよ。
 というやり方です。
      ■         ■
 この給食費が、安いのです。
 食材が値上がりして、
 職員の人件費も値上がりしても、
 給食費は上がっていません。
 実は、もう20年近くも前から、
 病院の食事(給食といいます)は
 外注になっています。
 病院の中で調理はしていますが、
 給食を作ってくれる人も
 食材を選ぶ人も
 すべて外部の委託業者です。
      ■         ■
 外注することにより、
 病院は食事のコスト管理が容易になります。
 残念なことですが、
 安全性よりも、
 まず価格になります。
 病院の検査室には、
 食材を検査する設備も決まりもありません。
 もちろん、委託業者の人でも
 丁寧に一生懸命に作ってくれています。
      ■         ■
 私も中国製の牛乳や乳製品が
 化学物質メラミン汚染されていて問題になった、
 日清医療食品(東京)の給食を食べました。
 カップラーメンの日清食品とは関係のない会社です。
 病院の給食は医師による検食(けんしょく)
 が義務づけられています。
 当直の時に食べて
 外注された食事でも、
 私は美味しいと思いましたし、
 怪しげな食材はなかったと信じています。
      ■         ■
 ただ、国が医療費や給食費をケチると…
 病院に入院して出される食事は
 どんどん怪しくなります。
 私は、さくらんぼさんのような、
 日本の農家の方が作った
 安心して食べられる食材を食べたいと思います。
 ある程度、高くても…
 安心して食べられる食べ物を
 信頼できる店で買うしかないと思います。
 でも病院に入院すると、
 選べないのです…
 国が決めた基準給食の規定には…
 国産の食材を使いなさいという
 決まりはありません。

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医療問題

医療機関の経営

 米国で大手証券会社
 リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが
 経営破綻したニュースが大きく報道されています。
 日本の医療機関(特に病院)の経営も
 かなりヤバイと思います。
 今年になってから、
 病院の運営に必要な、
 重油、灯油などの燃料。
 給食の材料となる、
 食材が大きく値上がりしています。
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 看護師は国が決めた政策で、
 大病院が大量に採用して、
 大幅に不足しています。
 医師も過重労働の病院を辞めて、
 自分で開業する人が増えています。
 看護師も医師もいないと…
 病院は病床というお金を稼いでくれる
 病室を閉鎖しなければなりません。
 病床を閉鎖すると…
 当然、病院に入る収入は激減します。
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 病院の収入は、
 診療報酬という国が決めた医療費で決まります。
 病院経営に必要な、
 重油や灯油などの燃料代。
 給食をつくる食材費。
 職員(特に看護師さん)の人件費。
 これらがすべて上がっています。
 あぁ、それなのに…
 病院に入る収入は減り、
 これでどうやって黒字にしろ!
 というのでしょうか?
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 昔は、大病院の院長職に就くと、
 『先生、院長ご就任おめでとうございます!』
 と言ったものです。
 今は、
 『先生、おつとめご苦労様です!』
 『身体に気をつけてくださいね』
 だそうです。
 定年前に院長職をお辞めになる先生も…
 いらっしゃるとか?
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 私たちのような診療所(クリニック)も
 経営は大変です。
 保険診療は診療報酬が増えません。
 自由診療は過当競争で、
 ダンピング合戦です。
 この5年間で最も値下がりしたのが
 二重まぶた埋没法の手術代金です。
 一番安いところは、9,800円です。
 うかうか、ぼんやりしていられません。
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 クリニックの特徴がないと…
 生き残れません。
 うちでしかできない…
 という手術や治療がなければ倒産です。
 私が得意とするのは、
 繊細で丁寧な手術です。
 簡単に、マネのできない手術なので…
 まだ、もう少し生きのびれそうです。

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