昔の記憶
同期会と眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)
昨夜、札幌西高校の同期会がありました。
輔仁会(ほじんかい)という同窓会の後で、
23期(昭和48年:1973年)卒業の同期だけが、
約30人程度集まる会です。
集まるメンバーはだいたい同じで、
年に1~2回程度あります。
■ ■
高校の同期なので、
全員同年代です。
昭和29年(1954年)か昭和30年(1955年)の早生まれです。
53歳か54歳の
おじさんやおばさんの集まりです。
白髪になった人や、
頭頂部が薄くなった人など、
同年代でもさまざまです。
■ ■
大きな会社に勤めていて、
偉くなった同期もたくさんいます。
ただ、世の中は不景気で、
同期で景気が良い話しをしている人は、
一人もいませんでした。
『管理職手当がカットになった』
『リストラの対象になりそうだ』
などなど…
どこも大変です。
■ ■
元気な女性からは、
『本間君、どうやったら若返れるの?』
『手術は痛いんでしょう?』
などなど…
ご質問をいただきました。
『でもねぇ、灯油もまだ高いし…』
『この先どうなるかわからないから?』
『美容整形にかけるお金の余裕はないのょねぇ…』
ごもっともな、ご意見です。
■ ■
同期の一人からは…
『本間!お前!同期生割引つくれ!』
と厳しいご意見がありました。
でもねぇ~
うちはもともと安いからねぇ…
同期生割引は難しいです。
ただ、他の美容外科ではできない治療があります。
54歳ともなると、
瞼が下がってものが見えにくい、
眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)の方が
男女を問わずいらっしゃいました。
■ ■
私は携帯のサイトを出してお見せしました。
こうして黒目が隠れているでしょう…
これだと保険適応になります。
初診と採血で、4,350円
手術の日が43,900円
抜糸の日が760円
再診の日が520円
合計49,530円
(使用する薬剤の量などで若干料金が変わることがございます)
■ ■
この方は生命保険に加入していたので、
眼瞼下垂症手術眼瞼挙筋前転法という手術で、
手術給付金がもらえました。
生命保険の診断書料が5,250円
手術給付金が50,000円もらえました。
支払ったのが49,530円と診断書料の5,250円だったので、
差し引き、4,780円で
手術が受けられたことになります。
■ ■
『へぇ~』
『これが保険で受けられるの?』
『しかも、手術給付金まで?』
『私、瞼の上が窪んで、肩こりも強いのよねぇ…』
『夕方になると、目が疲れて…』
『週に一度は必ずマッサージに通っているの…』
こういう方は眼瞼下垂症の疑いがあります。
美容目的の手術には保険は適応できませんが、
コンタクトレンズや年齢による瞼の下垂(かすい)には
健康保険が適用されます。
■ ■
世の中は…
景気後退やリストラなど、
元気がないことだらけです。
少し時間に余裕がある方は、
この機会に眼瞼下垂症手術を考えられてはいかがでしょうか?
必要なのは…
健康保険証、
ちょっとチャレンジしてみる勇気、
顔貌が変わっても平気という気持ちだけです。
■ ■
同期生割引はありませんが、
どなたでも同期生や家族だと思って、
丁寧に一生懸命手術をしています。
目がよく見えるようになり、
世の中が明るく見えます。
みなさまのご予約をお待ちしています。
昔の記憶
住み込み奉公
平成20年10月18日、北海道新聞朝刊、
『いずみ』への投稿記事です。
■ ■
住み込み奉公
雪がしんしんと降りつもる寒い夜のことだった。
裏の戸をたたく音がするので母が出てみると、
同じ市内の洋服店に
住み込み奉公に出ていた2番目の姉がいた。
「今日仕事場の裁ち台から親方のはさみを落とした。
怒った親方に物差しでたたかれ
晩ご飯を食べさせてもらえなかった。
もうあんな所へは帰らない」。
姉が泣きじゃくって事情を話した。
■ ■
母は「そうか、そうか」と聞いていたが、
「あそこの店には4年という年季の約束がある。
泊まらせてやりたいが、
今日泊まったら明日帰りづらいだろう。辛抱してや」。
そう論した母も泣いていた。
今来た道をトボトボ帰る姉の後ろ姿を見て
私は母をうらんだ。
■ ■
「女もこれから経済力を持たんとあかん」
と娘4人全員に洋裁を仕込んだ母だったが、
私は姉の姿があまりにあわれで、
「住み込みは行かん。洋裁学校へ行く」と我を張った。
月謝は縫い物をもらい、
その仕立て代であてた。
姉は年季を務め上げ一流洋服店に就職、
その腕をたたえられた。
母はよく姉が仕上げた洋服を手にとって、
「やっぱり泣いて覚えた腕は素晴らしい」
とほめ喜んでいた。
■ ■
今はすぐ給料がもらえて
楽な仕事を希望する若い人が多いが、
歯を食いしばって頑張っている人たちに伝えたい。
「身についた技術はどんな時代になっても離れないし、
きっと花咲く時が来るからね」と。
中山和子(82歳・洋裁師)=旭川市
以上、北海道新聞より引用
■ ■
私の母方の祖母、
太田キヨは30台半ばで沖電気の技師だった夫と死別。
東京から第二次世界大戦がはじまる前に
郷里の札幌へ5人の子どもと帰ってきました。
札幌市北1条西10丁目の借家に住み、
親や兄弟からの援助をうけながらも…
自分で身につけた和裁の技術で、
男4人女1人の子どもを育てました。
■ ■
5人の子どものうち、
3人は大学に進学しています。
私が子どもの頃は、
ふぅ~んと聞いていましたが…
自分が子どもを持って、
大学に進学させるというのが、
いかに大変なことかよくわかりました。
■ ■
家内の母、片寄登喜子(74歳)は、
島根県で洋裁学校に通い、
洋裁の技術を身につけました。
結婚後は内職で洋裁をしました。
コシノヒロコさんの仕立てをするほどの
技術力になりました。
私がはじめて家内の実家に行った時に、
工業用ミシンがあったのを覚えています。
■ ■
札幌美容形成外科で使用している、
手術用の被布(おいふ)
(手術の時に使うグリーンの布)
はすべて、家内の母に縫ってもらいました。
職員が着ている制服の、
丈(たけ)を直してくれるのもの、
家内の母です。
若い時に身につけた技術は生涯役立ちます。
■ ■
私は『おしん』というTV番組が好きでした。
今の若い人には通用しないと思います。
医師免許を取得しても、
厳しい修行時代が待っています。
一流の技術を身につけて、
それを維持するには努力が要ります。
私も修行時代に…
形成外科を辞めようか?と
何回か思ったことがありました。
■ ■
私は、
今朝、北海道新聞のこの投稿を読んで、
82歳になられても、
お元気で、
洋裁の技術を生かした
仕事をなさっていらっしゃる
中山和子さんのことを思い浮かべてみました。
きっと素敵なご婦人だと思います。
いつまでもお元気でご活躍なさってください。
院長の休日
風のガーデン②
昨夜、風のガーデンの二回目を見ました。
一回目を見ていない、さくらんぼさんへ
番組HPを引用しながら解説します。
主人公は中井貴一さんが扮する、
東京の有名医大病院の
麻酔科准教授・白鳥貞美先生です。
番組では、高林医大病院となっています。
■ ■
番組の最後に協力施設が出てきます。
東京医科大学八王子医療センターの名前がありました。
また旭川医科大学病院の名前もありました。
手術室などの医療施設は、
とてもスタジオのセットとは思えない、
実物そっくりにできていました。
おそらくどこかの病院を借りて撮影したと思います。
■ ■
この先生、番組HPによると…
貞美は、女性関係のもつれから
妻・冴子を自殺に追いやった過去があり、
そのことから父に勘当され、
子供たちに会うことも許されていなかった。
この息子を勘当した父が、
緒形拳さんが扮する貞三先生です。
二人の子供は
ルイ(黒木メイサ)
と岳(神木隆之介)
です。
■ ■
このドラマはフィクションです。
と書かれています。
おそらく実話ではないと思います。
美しいガーデンは
富良野の、
新富良野プリンスホテルと
富良野プリンスホテルの間にある、
元はゴルフコースだった場所に作られたようです。
この2つのプリンスホテルは、
歩いては行けないくらい離れています。
■ ■
数年前に富良野を訪れた際に、
プリンスホテルがガーデンを作ったというので、
一度、散策したことがありました。
ピクニックガーデンという名前です。
森の中にあります。
かなり長い森の中のコースでした。
このコースと
富良野プリンスホテルの間に
風のガーデンがあると思います。
■ ■
このガーデンを作られたのが、
北海道のガーデニングでは有名な、
旭川市で英国式ガーデン
「上野ファーム」を運営する
上野砂由紀さん(33)です。
英国で勉強されて、
お母様と上野ファームを経営なさっていらっしゃいます。
来年から、
風のガーデンが公開されるそうです。
院長の休日
職員募集
職員の産前・産後の産休と、
子どもが生まれてから、
一年間の育児休業のため、
契約社員を募集しています。
アルバイト北海道にも掲載しています。
平成22年の春までですが、
一度、美容外科で働いてみたいという、
意欲がある方を募集しています。
■ ■
受付・カウンセラーは4年ぶりの募集です。
保険請求業務があるため、
医療事務の資格があることが条件になります。
実務経験は不要です。
PCの操作は必須です。
メールでのやり取りが多く、
これから電子カルテを導入するためです。
手術の説明用紙などもPCで手づくりです。
そのため、
ワードとかエクセルの操作ができることが必要です。
■ ■
美容外科に興味があって、
自分でも施術を受けてみたい方を希望します。
他院で埋没法を受けた方でも大歓迎です。
逆に、
医療事務の資格があって、
PCの操作もベテランだけれど…
『埋没法って何?』
という方はダメです。
■ ■
レーザー脱毛を受けてみたい方も歓迎です。
自分は毛深くて…
全身のレーザー脱毛をしたい…
でも…
お金がない!
という方は是非いらしてください。
あなたの腕や脚がそのまま商品見本になります。
『私も悩んでいたけれど、こんなにキレイになりました』
これ以上、説得力がある説明はありません。
悩んだことがない人に、
他人の悩みはわからないものです。
■ ■
未経験者でもOKです。
他の美容外科に勤務した経験は、
札幌美容形成外科では…
あまり役立たないかもしれません。
ノルマもないですし、
売上によってお給料が増えたり減ったりもありません。
手術が不要な方には、
無理に手術をすすめることもありません。
必要なのは…
意欲、笑顔、やる気です。
■ ■
年齢を若い方にしているのは、
教える立場の職員が若いからです。
札幌美容形成外科の求人情報は、
ハローワーク、
アルバイト北海道でも
ご覧いただけます。
皆様のご応募をお待ちしております。
院長の休日
携帯紛失
広島からの帰りの飛行機で携帯を紛失しました。
疲れていたのか?
広島→東京便で、
爆睡してしまいました。
気がつくと…
飛行機は羽田空港に到着し、
他の乗客は通路に立っていました。
■ ■
いつもでしたら、
着陸した時の軽いショックで、
目覚めるのですが…
トホホ…
着陸したのにも気付かず寝ていました。
隣の人が、
ようやく目覚めた?
という呆れた顔で見ていました。
■ ■
私は、あわてて立ち上がり、
座席を確認もせずに降りました。
ズボンのポケットに入っていた携帯を、
どうやら寝ている間に落としたようです。
いつもでしたら、
座席も、荷物棚も、
必ず確認するのですが、
あわてていたのでしませんでした。
■ ■
気付いたのは、
羽田→札幌への便を待っている間でした。
広島空港で、
家内に‘帰るメール’をしたのまでは覚えていましたが、
空港で落としたのか?
機内で落としたのか?
すらわかりませんでした。
困りました。
■ ■
そういえば…
契約する時に、
GPSがついているので、
検索サービスがあると聞いたっけなぁ…?
と思い出しては、みたものの…
どこに電話をかけたらよいかわかりません。
ドコモへ電話すると…
携帯をロックしてくれる機能があったっけなぁ…?
ドコモの電話番号がわかりません。
■ ■
携帯がないので…
公衆電話を探しました。
ふだん使わないので、
どこに公衆電話があるか?わかりません。
最近は札幌駅でも、
公衆電話の数がめっきり少なくなりました。
昔は、駅に必ず公衆電話と電話帳がありました。
今は見つけるのも一苦労です。
■ ■
困り果てた私は、
ANA地上係員のお嬢さんに頼みました。
てきぱきと電話をしてくださいました。
広島空港では、
遺失物の届出がないことがわかりました。
到着した広島→羽田便の遺失物は、
まだコンピューターに入力されていないので、
わかり次第、連絡してくださることになりました。
正直、助かりました。
■ ■
札幌行きの便に搭乗して座っていると…
CAのお嬢さんが、
『本間様、お探しの携帯が見つかりました』
『詳しいことは、札幌へ到着してからお知らせいたします』
と知らせてくれました。
新千歳空港に着くと、
地上係員のお嬢さんが、
私の携帯は、
この後の便で私を追いかけてきてくれると、
親切に知らせてくださいました。
■ ■
私たちの生活の一部になっている携帯。
失くすると大変です。
ドコモの携帯を紛失した時は、
0120-524-360(24時間受付)にダイヤル。
ここで携帯の通話・通信機能を停止できます。
位置検索サービスも同じ番号ですが、
事前設定が必要だそうです。
■ ■
初期設定はGPS機能がついていれば、
検索サービスは可になっています。
ただ、携帯の電源が切れていると…
この位置検索サービスはできません。
通話・通信機能の停止は電源が切れていても可能です。
何より、紛失しないように気をつけるのが一番です。
親切なANA職員の皆様、ありがとうございました。
■ ■
おまけです。
ドコモ以外の盗難・紛失の連絡先です。
auは、
0077-7-113 (無料) 受付時間:24時間
SoftBankは、
0088-241-113(24時間受付)
WILLCOMは、
0120-921-156(携帯電話・PHSからもかけられます)
未分類
緒形拳さん
平成20年10月10日、朝日新聞の天声人語です。
歌舞伎役者のように虚空をにらんで、
緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。
臨終に立ち会った津川雅彦さんは、
その時を
「おれもあんな死に方をしたいと思うほど
格好いい最期だった」とまとめた
▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、
71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。
ひとしきり仕事の話をし、
「治ったらウナギ食いに行こうな。
白焼きをな」。
この誘い、
津川さんの激励ではなく、
緒形さんの言葉というから驚く。
淡いユーモアがにじむ、
骨太の幕である
▼照れ、愁い、狂気。
どれも一流だったが、
影をまとうほど輝きは増した。
「楢山節考」で背負われ、
山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは
「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。
心では今も親子のままです」と語る
▼肝臓がんのことは、家族限りとしていた。
遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、
玄米食で半年の長丁場を耐えた。
倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。
訪問医役の緒形さんには
死を語る台詞(せりふ)も多い。
万感を込めたであろう仕事を結び、
制作発表の5日後に逝った
▼あったかい味の書をたしなんだ。
絵手紙を交わした
東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、
「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。
別の一葉には
「牛はのろのろとあるく」
▼そんな墨跡の通り、
武骨に、ゆっくりと大きく、
役者道を全うした。
坂本さんの感慨に寄り添えば、
演じた役のすべてが本物の緒形拳である。
最後はあの白髪で、
優しげな背中で、
秋の夕景の一部になりきった。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
フジテレビの風のガーデンで、
拳さんが演じる、
白鳥貞三先生の台詞(せりふ)があります。
『生きているものは必ず死にます。』
『死ぬ…ってことはね、』
『生きているものの必ず通る道です。』
白髪の老先生が、
静かに話す言葉に重みがあります。
■ ■
名優でも、
医師でも、
お金持ちでも、
勝てない病気があります。
私たちは、いつかは死にます。
自分が死んだ後で、
お金とか財産ではなく…
何かを遺(のこ)したいと、
50台も半ばになって考えるようになりました。
偉大な俳優、
緒形拳さんのご冥福をお祈りします。
医学講座
日本美容外科学会(広島)③
今年の日本美容外科学会は、
広島の宮本義洋先生が会長でした。
宮本先生は、
広島で医療法人宮本形成外科を、
ご開業なさっていらっしゃいます。
奥様も形成外科専門医です。
私より10歳も上の大先輩です。
■ ■
広島大学医学部助教授(皮膚科)を歴任され、
現在は、
岡山大学医学部医学科形成再建外科の
臨床教授をなさっていらっしゃいます。
毎年、
学会にご夫妻で参加なさいます。
学会発表も活発にされている先生です。
■ ■
毎年の学会には、学会長のカラーが出ます。
今年の学会のテーマは、
『安全で効果がある』でした。
5つのシンポジウムのうち、
4つのシンポジウムのテーマに
『安全で効果ある美容外科治療を求めて』
という題名がついていました。
シンポジュウム1
安全で効果ある美容外科治療を求めて:
眼瞼形成術の長期結果と合併症
シンポジュウム3
安全で効果ある美容外科治療を求めて:
フラクショナルレーザーの適応と効果
シンポジュウム4
安全で効果ある美容外科治療を求めて:
レーザー治療の効果と合併症
シンポジュウム5
安全で効果ある美容外科治療を求めて:
ノンサージカル治療(フィラー、Botox、自家脂肪注入など)
の効果と合併症
■ ■
確かに、どこの美容外科のHPを見ても、
この手術でこんなにキレイになりますょ!
とは、書いてありますが、
こんな副作用がありますょ!
とか、
失敗したらこんなになっちゃいますょ!
とは書いてありません。
学会発表も、
私はこの手術をしてこんな失敗をしました…
なんてのはありません。
■ ■
今回の学会で印象に残った発表は、
大阪大学美容外科の
矢野先生と高田先生のご発表でした。
阪大は白い巨塔のモデルといわれる大学病院です。
ここに美容外科講座があります。
残念なことに、
阪大に美容外科があることは‘宣伝’できず、
患者さんの数は一年間で28人だったそうです。
大手美容外科でしたら、
半日で28人くらいになりそうです。
■ ■
また、せっかく阪大病院に美容外科がありながら…
保険診療しかできないために、
自由診療で手術が必要な患者さんは、
阪大以外のクリニックで手術をしているそうです。
阪大で手術をしたのは、
美容外科で受けた‘治療’によって、
重篤な後遺症や合併症が残ってしまった方でした。
阪大では、
この後遺障害の‘手術’を保険診療で行っています。
■ ■
阪大の矢野教授は、
『患者の利益よりも、
自分の利益を優先する、
医師の根本的行動原理に問題がある。』
と指摘なさっていらっしゃいました。
また、
何かが起こっても、
それに対処ができる、
基礎的な知識や技術の欠如した医師
が問題であると話されました。
■ ■
ヒアルロン酸の注入を、
‘安全だと思って’受けた結果として、
大学病院で手術をしなければならなかった、
お気の毒な方が学会で発表されていました。
私が手術や治療をしても、
副作用や後遺障害が
ゼロということはありません。
問題なのは、
何かが起こった時に対処できる
知識と技術力です。
医師は何歳になっても勉強が必要だと感じました。
宮本先生ありがとうございました。
院長の休日
日本美容外科学会(広島)②
私ははじめて広島へ来ました。
会場のリーガロイヤルホテルから、
原爆ドームはすぐ近くにあります。
時間を作って、原爆ドームへ行きました。
8月6日に、毎年、広島が映ります。
私は、原爆ドームと平和記念公園が、
川の傍(そば)にあることを知りませんでした。
■ ■
元安川というキレイな川の横に、
原爆ドームがありました。
昨日の夕方もたくさんの市民や観光客が来ていました。
昨日は、ホテルでたくさんの結婚式もありました。
今は、平和に暮らしている広島市民にも、
被曝二世や三世がたくさんいると伺いました。
ここに来て、
平和の大切さや、
原爆の悲惨さがよくわかりました。
■ ■
広島在住の方から、
広島人の気質について伺うことができました。
原爆で一瞬にして、すべてを失った広島。
その後も、
いつ白血病などを発症するかわからない不安。
生き残った人にも、
ヤケド痕のケロイドが残り、
生涯、その痒みや痛みに苦しんだ被爆者。
■ ■
昭和20年代には、
元気だと思われた人が、
ある日突然、具合が悪くなり、
そのまま亡くなってしまう…
という方が大勢いらしたそうです。
広島人というと、
『放射能が残っている』と誤解を受け、
他人から避けられた嫌な思い出もある。
■ ■
広島の人は、
原爆を落とされて、
すべてを失い、
生きていても、
不安に駆られていました。
そんな広島人に勇気を与えたのが、
野球だったそうです。
広島の人は、
野球をして応援をすることで、
市民が一体となって、
戦後を生きて来られたと伺いました。
■ ■
私たち日本人は、
一度は広島へ来て、
戦争や原爆の悲惨さを考えるべきだと思いました。
高校の修学旅行は、
京都や奈良、
ディズニーランドや海外なんて行かないで、
広島に来るべきだと思いました。
美容外科学会で広島へ来て、
平和の大切さと、
原爆の悲惨さ、
日本人として、
核廃絶を訴える重要性を認識しました。
医学講座
日本美容外科学会(広島)①
広島の日本美容外科学会へ来ました。
今日は3連休の初日。
札幌からの飛行機は満席でした。
早い便に搭乗しようと思いましたが、
私が取れたのはお昼の便でした。
そこで、私は空席待ちをするために、
朝6:00発のJRに乗りました。
■ ■
新千歳空港駅についたら、
地下のJR駅から、カウンターがある2階まで、
混んでいたエスカレーター横の階段を、
ダッシュで駆け上がりました。
54歳になりましたが、
毎日、階段で鍛えたので、
ANAのカウンターには息も切れずに着けました。
■ ■
早い便に変更していただくために、
ここで空席待ちのカードをいただきました。
私は5番目でした。
午前中の東京行きは全便満席。
5人がキャンセルされたらしく…
私は運良く7:30発のANA50便に乗れました。
■ ■
東京で広島行きに乗り換えです。
東京10:05発、ANA675便。
広島着が11:33頃でした。
学会会場のリーガロイヤルホテルに着いたのが、
12:30過ぎでした。
乳房インプラントのランチョンセミナーを
半分だけ聴くことができました。
■ ■
発表はカナダの先生でした。
もちろん英語です。
NHKのビジネス英語で鍛えているので、
英語の講演も大丈夫です。
毎日の勉強が役に立っています。
これから医学を志す学生さんは、
英語を勉強することをおすすめします。
聴けるだけで十分です。
私も昔はわかりませんでした。
NHKラジオ英語会話のおかげです。
■ ■
その後は、レーザーの発表を聞きました。
今年の特徴は、刺青のレーザー治療の発表です。
札幌美容形成外科では刺青のレーザー治療をしていません。
札幌スキンケアクリニックの、
松本敏明先生をご紹介しています。
18歳~20歳頃にいれた刺青を、
25歳~30歳近くになって、
『取って欲しい』と来院される女性が多いようです。
■ ■
取らなければならないのは、
結婚のため…
子どもができたため…
男性でしたら、
自衛隊に入隊するため…
など切羽詰った理由で受診されるそうです。
■ ■
レーザーだけでキレイに治ると思うのは間違いです。
レーザーで黒い色は取れても、
白く抜けた痕が残り、
刺青が入っていたことがバレてしまいます。
松本敏明先生は、
たとえキズが残っても、
刺青があったことを残さないのが大切だと
コメントを述べられていました。
■ ■
一度、刺青をいれてしまうと、
キレイに元通りに治すのはほぼ不可能です。
アートや
おしゃれは
別の方法でして、
刺青だけは入れないで欲しいと思います。
『若気の至り』の代償は、
時間もお金もかかり、
キズ痕も残るのです。
マスコミなどで、
一度取り上げていただきたい題材です。
未分類
白井幸吉さん
私が尊敬する親しい方が、
お亡くなりになりました。
享年65歳でした。
身内や親しい人の死は、
言葉では表現できないほど辛いものです。
その方は、
私の人生の先輩であり、よき相談相手でした。
医師ではありませんが、
会社を経営されていました。
■ ■
今日は、帯広で、お通夜に参列しました。
美容外科学会へは、
明日、朝の飛行機で行くことに変更しました。
親しい人の死はとても辛いものです。
私の親しい方は、
白井幸吉(しらいこうきち)さんです。
帯広市の方です。
私が帯広厚生病院形成外科に勤務していた時に
知り合いました。
■ ■
白井さんご自身も、
ご家族も、
懸命に病魔と闘いました。
残念なことに、
お亡くなりになってしまいました。
私は白井さんに、
経営のこと、
自分自身のことなどを相談していました。
白井さんからは、
医療について、
ご自身の病気について相談を受けました。
■ ■
白井さんの病気は肺ガンでした。
昨年、見つかり、
相談を受けた私は、
私が信頼する先生にお願いし、
その先生から、
主治医となられた、
黒沼幸治先生をご紹介いただきました。
考えられる最高の治療をしていただきました。
そのおかげで、
昨年の発症から、
奇跡的とも言える回復をなさいました。
■ ■
白井さんは、先生に、
『私は事業をしています』
『他人に迷惑をかけることは、できません』
『私は自分があとどれだけ生きられるか、
できるだけ正確に知りたいのです』
こう言われると、
医師としても、
できるだけ正確に話さないわけにはいきません。
■ ■
白井さんは、
担当の先生と治療法について話し、
自分でも医師以上に勉強をして、
情報を集めて、治療を受けられました。
医療者として、
ほんとうにすごいことだと思いました。
治療の効果が出て、
肺ガンの陰が消える程度まで回復され、
その間に、
ご自分の事業の後継者を見つけられました。
■ ■
これから残された時間を、
奥様と過ごそうと考えられていた時に、
ガンが再発しました。
9月には私と食事をするほどお元気だったのに、
わずか2週間余りで容態が急変し、
一昨日、旅立たれてしまいました。
私は平成20年2月6日に書いた、
北大第一内科准教授でいらした、
山崎浩一先生のことを思い出しました。
■ ■
山崎先生と同じように、
白井さんも最後の1%まで望みを捨てずに、
担当の先生を信じて治療を続けられました。
入院先のNTT東日本札幌病院呼吸器内科の
黒沼幸治先生と看護師の皆様には、
大変お世話になりました。
最期までよくしていただきました。
白井さんもお幸せだったと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。