昔の記憶

開院5周年③

 お医者さん限定のサイトで、
 m3.com(エムスリー・ドットコム)というのがあります。
 そこには、
 開業医の苦悩がたくさん書かれています。
 開業して一番苦労するのが、
 一緒に働いてくれる職員です。
 どちらの先生も苦労しているようです。
      ■         ■
 その点、
 私は恵まれていると思います。
 こんな、
 わがままな頑固親父と、
 毎日、一緒に働いてくれる、
 私は札幌美容形成外科の職員に…
 ♡感謝♡しています。
 開業した時には、
 先輩の助言に従って
 人材派遣会社から、
 2人のお嬢さんにいらしていただきました。
      ■         ■
 人材派遣会社のベテラン副支社長さんが、
 先生、大丈夫です!
 太鼓判を押してくださった方が、
 一週間でお辞めになってしまいました。
 『私、何か悪いことしました…?』
 というのが正直な感想でした。
 辞められた後も、
 なかなか後任が決まらず…
 その後は私が直接面接をして採用しました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の職員は、
 自分の子どもと同年代の若い人です。
 5年間の間に、
 ♡結婚♡したり…
 ♡子どもさんが産まれたり♡しました。
 とても喜ばしいことです。
 5年前から働いているのは、
 私と家内だけです。
 職員が辞める時は、最初は戸惑いました。
      ■         ■
 ある先輩に相談したところ、
 無理に引き止めても駄目
 ありがとうございました
 快く、辞めていただき…
 引継ぎだけはしてもらってください
 と助言をいただきました。
 北海道医師協同組合の、
 社会保険労務士の田中猛先生には、
 何度もお世話になりました。
      ■         ■
 医師は‘医業’という自分の専門は勉強しますが、
 人事・労務管理など、
 経営者としての基本中の基本は…
 中学校で習ったことも忘れています。
 自分自身には、
 労働基準法はありませんでした。
 就職や失業で…
 苦労したことがなかったことも…
 無知な原因の一つだと思います。
      ■         ■
 5年間はあっという間でした。
 みなさんのおかげで…
 毎日診療を続けられています。
 日記のコメントから、
 毎日元気をいただいています。
 この日記を読んでいただいて、
 私に元気やる気をくださっている、
 たくさんの皆様に♡感謝♡しています。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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昔の記憶

開院5周年②

 開業して苦労することは、
 いかにお客様にいらしていただくか?です。
 美容外科では…
 残念なことに、
 口こみは期待できません。
 広告宣伝費では、
 とても大手美容外科に太刀打ちできません。
 どこの美容外科でも苦労していることです。
      ■         ■
 開業してしばらくは…
 いくつかの媒体に小さめの広告を出しました。
 それでも…
 かなりの広告費がかかります。
 札幌には、
 フリーペーパーがいくつかあります。
 地元の月刊誌もあります。
 どの媒体が費用対効果で最も効率的であるかは、
 しばらく投資をしてみないとわかりません。
      ■         ■
 2006年3月に創刊された、
 リファインというフリーペーパーがあります。
 私は、創刊号から毎回、広告を出しています。
 他の美容外科の広告とは違い、
 形成外科の手術や施術を、
 なるべくわかりやすく解説する広告です。
 この広告には…
 私の形成外科医としての苦労の歴史があります。
      ■         ■
 市立札幌病院皮膚科で、
 形成外科の診療をはじめた時にも、
 最初は閑古鳥が鳴いて困りました。
 皮膚科外来の看護婦さんと、
 先生、ヒマだから…
 チラシでもまいてきましょうか?
 と話したことを覚えています。
 医学部や看護学校で講義をしても…
 わきが手術
 健康保険で受けられる?
 と言うと驚かれました。
      ■         ■
 先生!わきがって病気ですか?
 と何度も聞かれたものです。
 市立病院では…
 さすがに…
 フリーペーパーに広告は出せません。
 私は、形成外科という科を知っていただくのに、
 何十年も苦労しました。
 リファインでは…
 形成外科の手術や治療を、
 マンガで解説しています。
 私はこのマンガファンです。
 ネットではご紹介できないのですが、
 下のマンガの私が解説しています。


マンガの私です


リファインより引用
札幌市内のローソンなどにあります

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昔の記憶

開院5周年①

 平成16年(2004年)8月3日(火)に開院して、
 もう5年になりました。
 みなさまに支えられて、
 何とか頑張って来られました。
 こころから御礼を申し上げます。
 この5年間に世の中は大きく変わりました。
      ■         ■
 まず、私の年齢が49歳→54歳となりました。
 私が美容外科医を志し、
 帯広厚生病院を退職したのが、
 平成10年(1998年)でした。
 その時は43歳でした。
 下の子どもが、
 ちょうど中学校1年生になった時でした。
 その息子が23歳ですから…
 年のたつのは早いものです。
      ■         ■
 私が帯広厚生病院を辞める前年、
 平成9年11月17日に、
 拓銀(北海道拓殖銀行)が破綻しました。
 帯広厚生病院を辞めることは、
 一年前に、
 大学や周囲に伝えていましたので…
 この大変な時期に辞めなくても…
 と心配してくださった、
 親しい方もいらっしゃいました。
      ■         ■
 今の時代は、
 昨年秋からの100年に一度の大不況です。
 拓銀が破綻した、
 平成9年は…
 北海道以外の地域はまだ元気がありました。
 平成21年(2009年)は、
 経済危機に加えて、
 新型インフルエンザによる観光客の落ち込み。
 航空会社の搭乗率も軒並みダウンです。
      ■         ■
 私が利用しているANAも、
 秋から新聞の無料提供を中止。
 (以前は朝刊も夕刊もありましたが、
 いつの間にか夕刊のサービスがなくなり、
 週刊誌もなくなりました。)
 収益源だった…
 国際線ビジネスクラスの落ち込みが激しく、
 今期は赤字の予想です。
 路線の大幅な見直しをするそうです。
      ■         ■
 美容外科は不況に弱い業種です。
 美容外科のお客様は、
 激安チェーン店に流れているようです。
 私が開業する時に考えた…
 経験豊富な院長が
 リーズナブルな料金で
 最高の治療を提供しています
 ワキガ・眼瞼下垂・陥没乳頭などは…
 保険適応もOK
 という方針は、
 不況下でも健闘しています。
      ■         ■
 チェーン店にはできない、
 親切丁寧で、
 しっかりとした治療をしています。
 保険診療による手術は、
 医療費控除を受けたり、
 生命保険の手術給付金をいただいたりできます。
 経営は楽ではありませんが、
 患者さんに、
 先生、ありがとうございました
 と喜んでいただけるように、
 毎日頑張っています。
 これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

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医学講座

日焼けマシンの危険性

 朝日新聞のWEBページ、
 asahi.comからの引用です。
 同じ内容の記事が平成21年7月31日の
 北海道新聞朝刊にも掲載されていました。
 日焼けマシン、発がんリスク最高レベル
 世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)は、日焼けサロンやスポーツジムで使われ、人工的に紫外線を出す「日焼けマシン」の使用は発がんリスクを確実に高めるとして、発がんリスク分類でもっとも危険性の高い「グループ1」に引き上げた。
      ■         ■
 IARCは、日焼けマシンと皮膚がん(メラノーマ)との関係を調べた19論文を分析。30歳未満で日焼けマシンを使った経験のある人は、使ったことのない人より75%もリスクが高いことがわかった。日焼けマシンの使用による、眼球の色素細胞にできるがんのリスクも高かった。
      ■         ■
 従来、紫外線のうちB紫外線(UVB)にだけ発がん性があると考えられていたが、A紫外線(UVA)もUVBと同じように発がん性があることもわかったという。地上に降り注ぐ紫外線の95%がUVAだ。
      ■         ■
 日焼けマシンは5段階の発がんリスク分類で危険性が2番目に高いグループだった。危険性が一番高いグループにはアスベストやたばこ、X線、太陽光などがある。
      ■         ■
 紫外線に詳しい名古屋市立大の森田明理(あきみち)教授(皮膚科)は、「黄色人種は白人に比べて紫外線によるがんのリスクは数分の1だとされるが、油断はできない。屋外で浴びる紫外線の量が、欧米の多くの都市よりもかなり多いからだ。外出のときは、皮膚が赤くなるような日焼けをしないように、日焼け止めや日傘で予防すべきだ」と警告する。(大岩ゆり)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 2008年7月5日の日記にも書きました。
 私は平成7年(1995年)1月から平成10年(1998年)3月まで、
 3年3ヵ月間、
 JA帯広厚生病院形成外科に勤務しました。
 帯広がある、
 北海道十勝地方は、
 日照時間が長く、
 北海道の穀倉地帯の一つです。
      ■         ■
 十勝地方で長い間、農業に従事された方、
 漁業で長い間、紫外線にあたった方には、
 皮膚がんができることがありました。
 お仕事で紫外線にあたったためにできた癌でも、
 労災保険の適応もなく、
 年をとってから、
 顔の皮膚を切除する手術は、
 ほんとうにお気の毒でした。
      ■         ■
 農業や漁業、
 ゴルフ場に勤務される方は、
 くれぐれも紫外線防御対策をしっかりなさってください。
 カバーマークも効果的です。
 小麦色の肌にあこがれて…
 お金を払って日焼けサロンに行かれる方が、
 今でもいらっしゃいます。
 皮膚科医の管理下にする、
 治療としての紫外線は別として、
 素人が安易に日焼けマシンを使うのは危険です。
 くれぐれも日焼けには注意してください。

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医学講座

デブリードマン

 デブリードマン、
 通称デブリといいます。
 英語表記はdebridementですが、
 もともとは、フランス語が語源だそうです。
 外科学の講義で習う、
 最初の医学用語の一つです。
 簡単に言うと、
 皮膚や組織などが、
 死んでしまった時【壊死(えし)といいます】に、
 その死んでしまった部位を、
 外科的に切除することをいいます。
      ■         ■
 人間や動物の身体は、
 血液が循環して生きています。
 元気な組織は、
 キレイなピンク色をしています。
 ホッペがピンクだったり、
 爪の色がピンクだと、
 健康な証拠です。
 血流が悪くなって、
 組織が死んでしまうと、
 どす黒い色になります。
      ■         ■
 かなり前になりますが、
 脂肪吸引手術の後で、
 感染症のために…
 皮膚や皮下脂肪が壊死になってしまい、
 大きな後遺障害が残った方がいらっしゃいました。
 PRSという米国形成外科学会誌に、
 症例報告として掲載されています。
 2007年5月15日の院長日記でご紹介しています。
      ■         ■
 そちらの写真を見ていただくとわかりますが、
 組織が死んでしまった部位(下腹部~大腿)は、
 黒く変色しています。
 この黒くなった部位をそのままにしておくと、
 感染症が拡大して…
 最悪の場合は亡くなってしまいます。
 そのために、
 その‘死んだ’部分を切除する必要があります。
 深いヤケドの場合も同じです。
      ■         ■
 全身麻酔で手術をして、
 壊死(えし)になった部分を切除します。
 切除した部位はキズになり、
 血が出てきますので、
 その部分を覆う必要があります。
 そのために、
 他部位から皮膚移植をします。
 皮膚移植のことを植皮(しょくひ)といいます。
 私は数多くデブリードマンと植皮手術をしました。
 どんなに丁寧に手術をしても後遺障害が残ります。
      ■         ■
 山形大学の患者さんの場合は、
 手術後にコンパートメント症候群になり、
 下腿の組織が一部壊死になったか、
 壊死になりそうな状況だったと推測します。
 そのような場合は、
 手術で縫合したところを開放し
 (縫ったキズを開き)
 パンパンに腫れた下腿を、
 少しでも楽にしてあげるようにします。
 これがコンパートメント症候群に対する、
 デブリードマンと植皮です。
      ■         ■
 患者さんは、
 キレイに治してほしいので、
 形成外科の先生に手術をお願いしたと思います。
 形成外科の手術で、
 コンパートメント症候群になることは、
 極めてマレなケースです。
 コンパートメント症候群は、
 形成外科医よりも、
 整形外科医や救急医が、
 遭遇することが多い病態です。
 手術後に変色した下腿を発見した先生は、
 何とか救済しようと努めたはずです。

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医療問題

他科再建(たかさいけん)

 他科再建(たかさいけん)
 他科手術(たかしゅじゅつ)
 聞き慣れない言葉だと思います。
 私が形成外科医になった、
 30年前には無かった言葉です。
 形成外科医が、
 自分が所属している科
 (つまり形成外科とか整形外科など)
 以外の科から依頼されて、
 再建手術を行うことを言います。
      ■         ■
 形成外科のことを、
 英語では、
 Plastic and Reconstructive Surgery
 (プラスティック アンド リコンストラクティブ サージェリー)
 といいます。
 プラスティックはプラスチックのことです。
 形をつくるという意味です。
 リコンストラクティブは、
 再建するという意味です。
      ■         ■
 再建という言葉は、
 赤字再建団体
 の夕張市にも使います。
 医学で再建というと、
 ガンや腫瘍(しゅよう)を取った後で、
 その部分を修復(しゅうふく)することを言います。
 形成外科には、
 私のように美容形成外科学といって、
 二重まぶたを作ったりするような分野と、
 再建外科学という、
 元に戻す修復手術の分野があります。
      ■         ■
 私の経験上、
 他科再建で一番多いのが、
 耳鼻科や口腔外科からの依頼でした。
 耳鼻科の先生が、
 顔や喉(のど)のガンを取って、
 その後を修復する手術です。
 形成外科の組織移植の技術や
 マイクロサージャリーという、
 血管吻合の技術が生かされます。
      ■         ■
 一般的な大学病院では、
 内科、外科、整形外科、皮膚科というは、
 それぞれ独立しています。
 教授を頂点とする教員も、
 病棟も、
 研究室もすべて別です。
 つまり、大学病院という大きな市場
 たくさんの商店が集まっていると考えてください。
      ■         ■
 一般の企業や商店でも…
 他の企業と合同事業をすることがあります。
 商店が忙しい時に、
 派遣会社に応援を頼むこともあります。
 そういう時には…
 もし、不測の事態があったら、
 責任は誰がどの割合で取るとか、
 費用はどのように分担するとかを、
 契約書で詳しく決めてからはじめます。
      ■         ■
 ここ10年くらいの間に、
 大学病院や大病院には、
 リスクマネージャーという制度ができました。
 医療安全委員会などもあります。
 つまり医療を安全に行うために、
 どのように業務を進めるか?ということを、
 詳しく決めています。
 ところが、
 私の知る限りでは…
 他科再建の責任をどちらの診療科が、
 どのように分担するか?
 というような取り決めは無いと思います。
      ■         ■
 大部分の大学病院や大病院では、
 他科再建の依頼は、
 電話か院内の‘他科受診’の手紙で、
 形成外科医の犠牲的精神で行われています。
 つまり…
 他科から頼まれて、
 12時間もかかるような手術をしても…
 時間外手当も、
 休日出勤手当ももらえないのが、
 私が勤務した大学病院であり大病院でした。
      ■         ■
 増えるのはストレス
 医療事故を起こさないように…
 という心配です。
 唯一、得られるのは…
 手術が成功して、
 患者さんが元気に退院される時の、
 先生、ありがとうございました。
 というお言葉による、
 満足感だけです。
 こんな状況下で、
 一人の形成外科医に責任を押しつける、
 山形大学の姿勢に問題があります。
 荻野先生には何としても
 勝訴していただきたいです。 

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昔の記憶

茶志内(ちゃしない)の今野先生

 昨夜、北海道新聞夕刊を読んでいました。
 美唄(びばい)の米作農家、阿部義一さんが、
 『おぼろづきを育てて』という連載で、
 今野巌(こんのいわお)先生のことを
 書いていらっしゃいました。
 今野先生は、
 私が卒業した、
 美唄市(びばいし)茶志内(ちゃしない)にあった、
 日東美唄(にっとうびばい)小学校の
 先生でした。
      ■         ■
 今野先生のお宅は田んぼの中にあり、
 昨日の新聞によると、
 小学校の教員を定年退職されてから、
 お米を作っていらしたと書かれていました。
 今野先生は、
 中国大陸で一時期を過ごされ、
 美唄に戻ってから、
 小学校の教員をなさったと伺っていました。
 スケールの大きな考えの先生で、
 他の先生が『今野先生は違う…』
 と話されていたのを覚えています。
      ■         ■
 今野先生のご子息は、
 私の札幌医大の先輩です。
 私が小学生の時に、
 美唄東高校から、
 札幌医大に進まれました。
 今野先生が、
 うちの息子は漢字を一つ間違えて
 札幌医大の入学試験に失敗した。
 漢字はしっかり覚えなさい。
 と言われたのを覚えています。
      ■         ■
 PTAの会合か何かで、
 私の母親に、
 息子さんはお医者さんにしなさい
 と言っていただいたそうで、
 母親は、
 今野先生がおっしゃっていた
 美唄を離れた後も言っていました。
 先生の何気ない一言が、
 心に残ることがあるものです。
      ■         ■
 北海道新聞に連載されている、
 阿部義一さんも、
 米の減反政策で、
 一時期は米作りを減らされたそうです。
 周囲の白い目を気にしながら、
 阿部さんだけが米を作られました。
 その時に、
 頑張りなさいと言ってくださったのが、
 今野先生だったそうです。
      ■         ■
 私も北海道産の
 おぼろづきを食べています。
 昔は北海道の米は美味しくない!
 といわれたそうですが、
 とても美味しいお米です。
 自分がお世話になった先生が、
 新聞で取り上げられていると、
 懐かしく嬉しく思います。
 私は今野先生のおかげで…
 しっかり漢字を覚えたので、
 入学試験の漢字では困りませんでした。
 今野先生、ありがとうございました。

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医学講座

眼の左右差

 履歴書には得意科目を書く欄があります。
 私の得意科目は…?
 今だったら、
 美容形成外科学、
 特に眼の手術、
 とでも書くでしょうか…?
 得意科目でも、
 症例数が増えて、
 手術が増えれば増えるほど、
 難しいと感じます。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術は得意科目の一つですが、
 微妙な左右差を調節するのは、
 何度やっても難しいと感じます。
 特に難しいのが、
 片側性先天性眼瞼下垂症です。
 片方の目だけが、
 生まれつき筋力が弱いので、
 どうしても左右差が出ます。
 もちろん手術中に確認します。
 それも何度も確認します。
      ■         ■
 手術してしばらくは調子がよくても…
 次第に筋力が弱くなることがあります。
 そうすると左右差が出ます。
 ハードコンタクトレンズで、
 眼瞼下垂症になった方にも、
 左右差がある方がいらっしゃいます。
 手術後に…
 またハードコンタクトを使うと…
 また眼瞼挙筋という筋肉が弱り…
 瞼が下がることがあります。
      ■         ■
 一般的に眼科や、
 コンタクトレンズの販売業者は、
 ハードコンタクトを長期間着用すると…
 将来、眼瞼下垂症になる可能性があります…
 とは言わないようです。
 札幌美容形成外科を受診される、
 大部分の方は、
 ハードコンタクトによる
 眼瞼下垂症を知りませんでした。
      ■         ■
 現在の医学教育では、
 医学部でも
 看護学部でも、
 ハードコンタクトと
 眼瞼下垂症の関係については教えません。
 医師国家試験にも
 看護師国家試験にも出ません。
 看護師さんでも…
 ハードコンタクトを使っていらっしゃる方は、
 たくさんいらっしゃいます。
      ■         ■
 ハードコンタクトを使うと、
 全員が眼瞼下垂症になるのではありません。
 私の印象では、
 眼球が少し出ていて、
 コンタクトによって、
 瞼の裏側が摩擦される方に多い印象です。
 眼が大きくて、
 キレイな方です。
      ■         ■
 微妙な眼の左右差は…
 誰にでもあるものです。
 どこまでを正常範囲と考え、
 どこからが異常で、
 どの程度だったら手術適応とするかは、
 医師の判断に委(ゆだ)ねられます。
 どこまで治したらよいかを判断するのも、
 なかなか難しいものです。
 眼の手術は得意科目でも、
 100点を取るのは難しいと感じます。

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未分類

裁判所というところ

 私の父は、
 私が子どもの頃に、
 自分の叔父と裁判をしていました。
 土地の取得をめぐっての裁判でした。
 父親は薬剤師ですが、
 法律を知らないばかりに、
 土地をだまし取られたと…
 私が小学1年生の頃に、
 NHKの大学講座で、
 法律を勉強していました。
      ■         ■
 その父親の影響か?
 私は社会科の中では、
 政治経済が好きでした。
 地理、
 日本史、
 世界史、
 はまったくダメでしたが、
 政治経済だけは、
 札幌西高校でも、
 10段階評価の10でした。
      ■         ■
 私は理系クラスでしたが、
 10段階評価で10を取ったのは、
 現代国語と政治経済だけでした。
 英語、
 数学、
 化学、
 生物、
 医学部の受験に必要な科目は…
 残念ながら10は取れませんでした。
 政治経済の担当は平野先生でした。
 物静かで温厚な先生でした。
 東大をご卒業と噂されていました。
      ■         ■
 政治経済が好きだった私でも、
 裁判所のことは知りませんでした。
 裁判が公開の法廷で行われることも、
 何となく知っていましたが、
 実際に行ったことはありませんでした。
 一民間人としては、
 できれば裁判所には行きたくないものです。
 昨年10月8日に、
 弁護士の高橋智先生の日記で教えていただき、
 はじめて医療裁判の傍聴に行きました。
      ■         ■
 裁判所というところは、
 実際に行ってみると、
 案外入りやすいところでした。
 事務的に、
 裁判を処理しているという印象でした。
 法廷は静かなところです。
 傍聴人は、
 椅子に座って黙って聞いています。
 甲(こう)とか
 乙(おつ)とか
 丙(へい)というような、
 あまり聞き慣れない日本語が出てきます。
      ■         ■
 裁判員制度ができて、
 裁判所も一般人を意識しています。
 ただ、
 携帯電話の写メは駄目だそうです。
 法廷内はもちろん、
 携帯は駄目だと思っていました。
 私が注意を受けたのは、
 一階の掲示板のところでした。
 裁判の予定表が、
 大学の学生用掲示板のように、
 紙にプリントされて貼ってありました。
      ■         ■
 法廷を間違えないように…
 写メに撮ろうとして注意されました。
 掲示板にコピーが貼ってあるので、
 部屋番号を忘れないように…
 撮っただけでしたが、
 裁判所内ではカメラは禁止と、
 衛視(ガードマンのような人)に言われました。
 よく見ると
 入口近くに撮影禁止と
 注意が書いてありました。
 荻野先生の傍聴に、
 たくさんの方が行っていただけると幸いです。
 7月28日13:10より山形地裁です

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医療問題

荻野先生の第7回公判

 山形大学の
 荻野先生を支援する会、
 世話人代表 渡邉誠一先生から、
 メールが来ました。
 第7回公判に多数の傍聴を!
 荻野先生を支援する会
 世話人代表 渡邉誠一
 荻野教授に対する懲戒処分無効を求める裁判もいよいよ山場を迎えました。
 来る7月28日の午後1時10分より山形地裁において第7回目の公判が開かれます。今までは、原告・被告相互の陳述書の交換で淡々と進みましたが、今回は、いよいよ裁判の争点についての証人尋問が行われます。
 証人として、事故処理等に関する規則を制定した医学部教授及び手術を担当した医師、そして荻野先生が申請した荻野先生本人及び手術担当医(大学側が申請した医師と同一人)、計3人が予定されています。時間は一人当たり40分、計2時間余が予定されています。
 基本的には、既に提出した陳述書についての事実確認についての尋問が中心になると口頭による陳述は、裁判官の心証に少なからず影響を与えると思われますので、荻野先生が心静か気を楽にしてに証言できるよう、多数の方の応援の傍聴よろしくお願いします。
       ■         ■
 私がさくらんぼさんと知り合うきっかけとなった事件です。
 この事件については、
 昨年6月に
 シリーズで取り上げています。
 山形大学の事件①
 山形大学の事件②
 山形大学の事件③
 山形大学の事件④
 山形大学の事件⑤
 山形大学の事件⑥
      ■         ■
 事件の概要は次の通りです。
 2005年5月一人の女性患者さんが、
 下肢の手術のために、
 山形大学病院の皮膚科に入院しました。
 主治医は皮膚科の先生です。
 手術を引き受けて、
 入院の指示をした皮膚科には、
 形成外科専門医はいませんでした。
 もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
 経緯はわかりませんが、
 整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
      ■         ■
 手術の結果が思わしくなく、
 結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は推測します。
 その事実については、一人の形成外科医師として、
 患者様に本当に申し訳なく思います。
 皮膚科に入院していた患者様は、
 2005年8月山形県外の病院に転院。
 2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
 2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
 事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
 初めて明るみに出ました。
      ■         ■
 2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
 荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
 2007年11月山形大学教育研究評議会が
 荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
 この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
 それは手術を執刀した形成外科専門医が
 整形外科の所属だったからです。
 荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
      ■         ■
 昨年の日記には書きませんでしたが、
 事故が起こった際の治療費は、
 病院会計の【皮膚科】の、
 入院治療費として患者さんに請求されています。
 つまり、
 治療を行った主体は、
 【皮膚科】です。
 【整形外科】の荻野教授は、
 皮膚科の患者さんの手術や処置を知る立場にありません。
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 事故の当事者である、
 患者さんにはほんとうに申し訳なく思います。
 事故原因は、
 山形大学が、
 形成外科という診療科を作らなかったことにあります。
 処分されるべきは、
 医学部長であり、
 附属病院長です。
 私は公判へは行けませんが、
 一人でも多くの方に関心をもっていただきたいです。 
 皮膚科医として、
 形成外科診療を担当した私の正直な気持ちです。

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