医学講座
風のガーデン
今日からフジテレビ系で、
『風のガーデン』がはじまりました。
私は倉本聰さんのファンです。
富良野へ毎年行くのも、
北の国から以来です。
私が結婚した、1981年(昭和56年)に、
北の国からがはじまりました。
■ ■
新婚で、釧路労災病院形成外科へ赴任しました。
毎日夜遅くまで仕事をしていた病棟婦長が
金曜日は楽しみにしているTVがあるから、
22:00に間に合うように帰りたいと言われたのを
記憶しています。
それだけ、忙しい病院でした。
北の国からがはじまったのが、
1981年10月でした。
今から27年前です。
■ ■
今日からはじまった、
風のガーデンは麻酔科医が主人公です。
番組HPの記載です。
東京の有名医大病院の麻酔科准教授・白鳥貞美(中井貴一)。
死期の迫った患者を楽にする
緩和医療(かんわいりょう)のエキスパートでもある貞美は、
麻酔学界の権威である。
麻酔科は手術中の痛みをとるために、
さまざまな薬剤を使って麻酔をかけるのが仕事です。
麻酔薬にはもちろん麻薬も含まれます。
■ ■
ガンの痛みから、
患者を救ってくれるのが、
緩和医療(かんわいりょう)です。
麻薬であるモルヒネが使われます。
このモルヒネの使い方が、
この20年近くで大きく変わりました。
古くからあるモルヒネが、
使い方によってとてもよいことがわかりました。
その他にフェンタニルという麻薬もあります。
このフェンタニルにはテープになった貼り薬もあります。
■ ■
麻酔科では、手術中の痛みの他に、
手術後の痛みの管理もします。
手術で使用した硬膜外麻酔という麻酔の、
細い管から、麻薬を入れることで、
手術後の痛みが劇的に緩和されます。
麻酔科は、
痛みをとるエキスパートです。
麻薬を含めた薬を上手に使えるのが麻酔科医です。
病院の中で一番多く麻薬を使い、
麻薬の使い方が上手なのが麻酔科医です。
私も麻酔科研修を受けた時に、
麻薬免許証をいただきました。
■ ■
第一回目の放送を見た感想です。
富良野のガーデンがキレイでした。
緒形拳さんの演技も最高でした。
まさか亡くなってしまうとは、
拳さん、ご自身も考えてもみなかったことと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
今日のドラマの麻酔科医は、
ほんものの麻酔科医でした。
ただ、手術や仕事を終わった後で、
糊のきいたYシャツを着て、
ネクタイをしていたのは現実離れしていました。
手術の時に着ている、
青い術衣も、実際にはもっとヨレヨレです。
■ ■
医療指導をなさったのが、
旭川医大麻酔科の岩崎寛教授だと、
ドラマの最後にちょっとだけ出ました。
岩崎先生は、
札幌医大麻酔科のご出身で、
私が麻酔学を実際に習った先生です。
上富良野のご出身だったと記憶しています。
岩崎先生のご指導があったので、
医師が見てもリアルな手術室だったのだと思います。
来週からの番組も楽しみです。
医学講座
裁判の傍聴
昨日、診療の合間に、
高橋智先生が担当されている、
医療裁判を札幌地裁で傍聴してきました。
先生の日記に書かれていたので、
勉強のために行きました。
私も知らなかったのですが、
裁判は公開が原則。
裁判所一階に大学の学生掲示板のようなボードがあり、
その日に行われる裁判のプリントが貼ってあります。
何階の○法廷で何時から○○の裁判があると記載してあり、
それを見て傍聴に行けます。
■ ■
はっきり言って衝撃的でした。
被告席は訴えられた側の弁護士さんと、
手術を担当した先生でした。
カルテより分厚い、
膨大な資料ファイルを弁護士さんが準備されて、
それを先生が説明していました。
手術記録の大切さと、
カルテ(診療録)の大切さがわかりました。
■ ■
医療に関する裁判だったので、
医学生が解剖学を勉強する、
解剖の教科書のカラーコピーがありました。
そのコピーと手術記録から、
どこにどうやって麻酔をして、
手術を進めたかを説明していました。
私が傍聴できたのは、
被告側の証人尋問だったので、
被告側の先生が説明をしていました。
■ ■
あってはならないことですが、
私が今までに勤務した総合病院で、
医療訴訟を抱えていない病院はありませんでした。
明らかに医療側のミスと言えるものから、
誰が手術をしても、
今の医学レベルでは避けようがない、
不可抗力のような事故までありました。
■ ■
厚生労働省は、最近になってようやく、
医療安全などに力を入れるようになってきました。
ところが、国がやることと言えば、
マニュアル作りなどの政策ばかり。
これで本当に事故が減るのだろうか?
と疑ってしまいます。
事故は、
ほんの一瞬の判断ミスから起こります。
事故を防ぐためには、
経験や教育が大切です。
同じようなミスは誰でも起こす可能性があります。
■ ■
過去に起きた事故は、
これからも起こる可能性があるのです。
経験を積んだ医師や看護師は知っています。
残念なことですが、
そのような事故を公表する施設や先生は少ないのです。
裁判記録とか判例を
大学の授業や学会で教えることもありません。
昨日、裁判を傍聴させていただいて…
医学生や医療関係者は、
一度は医療裁判を傍聴すべきだと思いました。
また過去の裁判記録を勉強して、
同じような過ちを繰り返さないようにすることが、
医療側に必要だと感じました。
医学講座
性器の手術について
見えないところで、
見せることもない部位。
なんでそんなところ…
手術なんかするの?
という人は幸せな方です。
人に相談もできず、
悩んでいる人は、
男女を問わずいらっしゃいます。
■ ■
男性でしたら包茎の手術です。
仮性包茎なんて手術する必要ない!
と堂々と生きていらっしゃる方は、
生涯そのままで、構いません。
ただ、
どんなに社会的地位が高くても、
どんなにお金持ちでも、
気になる人は気になります。
■ ■
スポーツクラブや
ゴルフ場の浴室。
温泉でもそうです。
タオルで隠す人は、
だいたい包茎の人です。
日本人だけではなく、
外国人にも包茎の人がいます。
海外でも性器の悩みはあるようです。
■ ■
女性で多いのが小陰唇の肥大です。
その程度も人によってさまざまです。
他人がどうであろうと…
自分が気になってイヤでしたら、
手術で改善できます。
必要なのは、
勇気とお金だけです。
■ ■
他院の手術メニューに、
クリトリス包茎という言葉が出てきます。
正式な医学用語ではないと思います。
もともと‘正常’な女性の陰核は、
包皮に包まれているものです。
ですから、無理に手術をすることはありません。
■ ■
ところが…
小陰唇が肥大して大きな方の中には、
小陰唇だけを切除しても、
クリトリスから上の部分が、
大きくはみ出してしまう方がいらっしゃいます。
そうすると、
小陰唇を切除したことにより、
かえって目立つようになります。
■ ■
そういう場合には、
クリトリス周囲とその上部の皮膚を切除します。
これが‘クリトリス包茎’の手術です。
この部分を手術すると、
手術時間が余計にかかります。
手間もかかります。
一番難しいのが、
性感を損ねないように…
神経を傷つけないように…
丁寧に手術操作をすることです。
■ ■
ある意味…
男性の包茎手術より難しい手術です。
人によって皮膚の余り具合が異なります。
見られない場所ですが、
見られた時に…
わからないように、
キレイに作るのが難しい部位です。
私はよく、
『芸術祭参加作品』と言います。
そのくらいキレイに作ります。
■ ■
この手術で…
幸せになってほしいなぁ…
と考えながら手術をします。
キレイに完成した時は嬉しいものです。
札幌美容形成外科では、
小陰唇の手術に追加料金なしで、
クリトリス包茎の手術を行っています。
他院で、追加○○万円と言われた方は、
ちょっと考えてご相談にいらしてください。
昔の記憶
はじめての子ども
さくらんぼさんから、
平成20年10月3日の日記、
赤ちゃんが生まれたら…
にコメントをいただきました。
初めての子は 神経質になりがちです。
哺乳瓶はミルトンで消毒したり
紙おしめを嫌がる息子だったので
私は布おしめで 育てました。
さすがに
私も主人も初めて自宅でお風呂に入れる時は
コワくて 父や母に入れてもらいました。
一人で頑張ってるお母さんもいますが、
お父さん お母さんがいらっしゃるなら
少し甘えて 手伝ってもらってください。
■ ■
小児科の先生は別として、
医学部で習った知識も、
自分の子どもには役立ちませんでした。
(というより忘れていました…)
私は形成外科医だったので、
唇顎口蓋裂の子どもさんの術後管理や、
アザのレーザー治療をした子どもさんの管理、
ヤケドの処置なんかは得意でしたが、
おしめやミルクは不得意分野でした。
■ ■
わが家でも、
哺乳瓶はミルトンで消毒してたように思います。
ネットで検索すると、
今はレンジでチンでしょうか?
よく考えてみると…
自然界にいる哺乳動物では、
消毒しなくても
ちゃんと病気にならずに育ってますね。
過度に神経質になる必要はないように思いますが…
レンジなどの熱で消毒するのが、
いいのでしょうか?
■ ■
わが家は、9月生まれだったので、
子どもが寒くないようにと…
とにかく着せすぎ!
部屋をあたたかくしすぎました。
その結果、赤ちゃんの顔や頭に…
たくさんの‘あせも’ができました。
皮膚科も勉強したはずなのに…
こんな状態が、はじめての子どもでした。
■ ■
これからお母さん、お父さんになる人は、
さくらんぼさんのご指導のように、
ご両親にお手伝いしていただくとよいと思います。
近くにご両親がいない方は、
私のように孫が欲しくてもいない、
じいちゃんや
ばあちゃんを見つけて、
相談なさるとよいと思います。
海外では、
このような子育て支援ボランティアがいることを、
何かで見た記憶があります。
日本にも
子どもが育てやすい社会が来ると、
ほんとうの少子高齢化対策になりますね。
昔の記憶
忘れられない患者さん
私が医師になったのが、28年前でした。
昭和55年、1980年です。
私は札幌医大を卒業して、
北大形成外科へ入局しました。
実は…
北大形成外科をよく知らずに…
北大へ来てしまいました。
■ ■
私は、形成外科というのは、
事故のキズをキレイに治したり、
顔や体の表面を治す外科だと思っていました。
それは、間違ってはいませんでした。
私の予想外だったのは、
皮膚ガンの診断と治療でした。
北大形成外科は、
もともと皮膚科から独立したので、
皮膚ガンの診断、治療(手術や抗癌剤治療)も
形成外科でしていました。
■ ■
悪性黒色腫(あくせいこくしょくしゅ)
通称:メラノーマ
というホクロのガンがあります。
今でも難しいガンの一つです。
皮膚ガンの中では、
もっとも怖いガンの一つです。
足の裏のホクロが
突然黒く大きくなってきたら要注意です。
リンパ節や肺に転移して、
亡くなってしまう方もいらっしゃいます。
■ ■
私が、免許取立ての新米医師の時に、
このホクロのガンができて、
北大形成外科にいらした患者さんが
いらっしゃいました。
残念なことに、
その方は外来にいらした時に、
ガンがかなり大きくなっていました。
その上、リンパ節にまで転移していました。
■ ■
本人はガンだと知っていましたが、
まさかそんなに重体とは思っていませんでした。
混んでいた北大病院でも、
大至急手術が必要なので、
最優先で入院待ちとなりました。
入院前に、全身の検査をします。
もちろん会社も休まなくてはなりません。
本人には、
『○○さん、大至急入院して手術が必要です。』
『会社も3ヵ月以上休まなくてはなりません。』
外来チーフの先生が説明しています。
■ ■
『冗談じゃない、こんなおできで3ヵ月も入院できません。』
『私は8月に大事な国家試験がある、そのためにずっと勉強してきました。』
本人は黒いおできができたので、
それを切ってもらえば治ると思っています。
本人への説明の後で、
奥さんへの説明がありました。
『悪性のガンです。』
『手術をしても、リンパ節に転移があるので、
進行が早い方もいらっしゃいます。』
『早い方は、6ヵ月程度で…』
と上の先生が説明しています。
■ ■
新米医者の私は…
まだお若いのに、ガンになって死んでしまう…???
とてもやり切れない気持ちになりました。
その方は、北大形成外科へ入院して手術を受けました。
リンパ節郭清(かくせい)の手術もしたので、
手術の後はパンパンに腫れていました。
その上、抗癌剤治療も受けていました。
ふつうの人でしたら、手術だけで音をあげます。
■ ■
驚いたことに、
その患者さんは、
手術後にパンパンに腫れて、
しかも吐き気がすごい抗癌剤治療まで受けながら、
病室で毎日消灯まで、
国家試験の受験勉強をしていました。
私は、
こんなに勉強しても…
余命6ヵ月とか言われていたのに…
と思いながら、
上の先生に指示された抗癌剤の点滴をしていました。
■ ■
病理検査の結果も悪性黒色腫で、
リンパ節にも複数の転移が見つかりました。
今でも救命が難しいケースだと思います。
ところが、
その患者さんは見事に国家試験に合格。
そのパワーに驚かされたのか?
ガンも再発せず、
私が知っているだけで、
その後15年はお元気でした。
■ ■
私は30年近くたった今でも、
その患者さんのことが忘れられません。
人の命は、はかないものですが、
医学でも説明できない奇跡も起こります。
1%でも可能性があるのなら、
最後まで望みを捨てないというのは、
とても大切なことのように思います。
私が同じ立場だったら、
病室で勉強ができるかどうか?は
わかりませんが、
主治医を信じて治療を受けると思います。
医学講座
お医者さんの奥さん
旦那が医者だと、安心できると思うのは間違いです。
医師が、一番最初に診なければならないのは、自分の患者さんです。
家族は後になります。
どこの先生の奥さんも、‘母子家庭’を経験していると思います。
私も、‘いい旦那さん’ではありません。
家内には、
‘院長日記の中だけ愛妻家ぶっている’と非難されています。
家内はこの院長日記を…
‘腹が立つから見ない!’と言っています。
■ ■
私が高校生の時に、
同級生にお医者さんの娘さんがいました。
その人のお父さんは、
たまたま私の父と小学校の同級生だったそうです。
○○さんの家はすごいねぇ。
お父さんがお医者さんだから…
というような話しをした記憶があります。
■ ■
『あら、そんなことないわょ』
『小さい時から、たくさんさびしい思いをしたわょ』
『例えば、今度の日曜日は動物園に行こう!』
『楽しみにしていたのに、患者さんの容態が悪くなって…』
『動物園に何回行けなかったことか…』
本間家では、動物園に行けなかったことはありませんが、
札幌で勤務した時も、
地方病院に勤務した時も、
スーパーへ買い物へ行っても、
必ずポケットベルを持っていました。
今の先生は携帯ですね。
■ ■
子どもが生まれると…
夜もミルクを飲ませなければなりません。
家内には、申し訳ないですが、
私は一度も子どもにミルクを飲ませていません。
ミルクの後の、
『げっぷ』の出し方は、教えたことがありましたが、
哺乳瓶でミルクを飲ませたことはありません。
■ ■
釧路労災病院形成外科に勤務していた時です。
子どもは2人になっていました。
上の子が2歳、
下の子が0歳でした。
家内の母もいませんし、
私の両親も札幌でした。
ある日、家内が、
美容室へ行きたいから、ちょっと子どもを見ていて
と言いました。
■ ■
『だめだよ、急患が来て、病院から電話がかかってきたらどうするの?』
それじゃ、私は美容室へも行けないの?
『託児所付きの美容室へ行けばいいじゃないか』
これで大喧嘩になりました。
その後、家内がどうやって美容室へ行ったか?
まったく記憶にありませんが、
お医者さんの奥さんなんてこんなものです。
経済的に困ることは、
他業種の人よりも少ないとは思いますが、
孤独に強くて、忍耐強い人でないと、
なかなか大変かもしれません…
昔の記憶
赤ちゃんが生まれたら…
私は26歳の時、
1981年(昭和56年)に結婚しました。
形成外科の同期3人の中では、
一番早く結婚しました。
家内は24歳でした。
結婚したのは、研修医2年目の時でした。
まだ、何もできない若者でした。
■ ■
『本間君、結婚してもね…』
『2年間くらいは、奥さんと二人だけがいいょ』
『二人で、いろいろなところへいったり…』
『二人だけの時間を楽しんだらいいょ…』
『子どもができると、大変だからね…』
北大形成外科の先輩のあたたかいお言葉です。
私はとても恵まれていました。
2DKの家賃4万2千円の公団住宅で、
幸せな新婚生活を送っていました。
■ ■
子どもが生まれたのは、
先輩のご指導通り、
結婚して2年後の、
1983年(昭和58年)でした。
当時、私は函館中央病院形成外科に勤務していました。
とても素晴らしい病院でした。
函館中央病院に勤務して、
そこで積んだ経験は私の財産となっています。
子どもも函館中央病院で生まれました。
■ ■
函館中央病院形成外科はとても忙しい病院でした。
当時は土曜日も診療があり、
日曜日も交替で回診をしていました。
私の両親は札幌。
家内の両親は兵庫県西宮市に住んでいました。
私は、子どもが生まれてから、
家内の両親に頼んで、
家内の母親に函館まで来てもらいました。
■ ■
函館で住んでいたのが、
病院が借りてくれた、
キャッスル富岡という賃貸マンションでした。
エレベーターなしの3階だったと思います。
赤ちゃんが生まれて、
生活は一変しました。
すべてが赤ちゃん中心の生活です。
楽しい反面、
いろいろと大変だったことも事実です。
■ ■
私の担当は主として、
風呂入れでした。
早く帰ってきた日は、
私がお風呂に入れていました。
私の方が手が大きいので、
片手で楽に子どもを持って、
身体を洗ったり、頭を洗ったりできました。
でも、それ以外は何もせず…
家内は一人で子育てをしていました。
■ ■
函館では、
家内の母親は産後約1ヵ月いてくれました。
10月の紅葉がキレイなころに、
家内の父親が迎えに来てくれて、
そのまま関西に帰りました。
その後も、
引越しや2人目の子どもの誕生など、
何かある度に、
家内の母親に来てもらいました。
ほんとうにお世話になりました。
■ ■
医師という職業は、
急患や当直もあり…
私自身が、
育児休業とか育児休暇なんて…
考えたこともありませんでした。
家内の母親は、
今は札幌に住んでいます。
本間家の子育ては、
家内の母親のサポートではじまりました。
院長の休日
新しい生命(いのち)の誕生
札幌美容形成外科を開業して4年になります。
勤続4年の職員は、
その間に結婚をして、
家庭を持った人もいます。
職員2人に新しい生命(いのち)が誕生しました。
本人の了解を得て、日記で公開します。
私は、おじいちゃんになった心境です。
最近、あまりいいことがなかったのですが、
とても楽しみにしています。
■ ■
毎日一緒に仕事をしていると、
家族以上に長い時間を過ごすのが職場の仲間です。
少子高齢化で日本が困っている時代に、
新しい生命(いのち)が誕生するのは、
ほんとうに嬉しいものです。
職員のおなかが少しずつ大きくなってきました。
先日、マタニティーの制服も届きました。
おなかが大きくなっても、
調節できるようになっています。
■ ■
来年になると、
産前6週間、
産後8週間の産休がはじまります。
その後、子どもさんが満1歳になるまでは、
育児休業が取得できます。
札幌美容形成外科としては、
はじめてのケースです。
職員と一緒にいろいろと勉強をしました。
■ ■
国も少子化対策のために、
子どもを生みやすくするように力をいれています。
私は、初孫の誕生を控えて、
じいちゃんとして、
できるだけの支援をしようと考えています。
子どもを生んで育てるのは、
大変なことです。
家族や周囲のサポートが必要です。
小さなクリニックですが、
私自身は初孫の誕生を楽しみにして取り組んでいます。
■ ■
産休に入る職員がいるため、
契約社員を募集します。
まず、看護助手が一名。
その後で受付が一名です。
看護助手には資格は要りません。
しいて言えば、
血を見ても大丈夫な人です。
受付には医療事務の資格が要ります。
医療事務は未経験でも可能です。
PCの操作ができることが、
受付の条件の一つです。
年齢は24歳程度までの若い方を希望します。
みなさんのご応募をお待ちしています。
医学講座
講義の持つ意義
私が尊敬する、
弁護士の高橋智(さとる)先生の日記に、
北海道大学ロースクール医療訴訟法の授業が開始した。
と書いてありました。
来年1月まで全15回もの講義はすごいと思います。
受講生の中には、
医師や歯科医師までいらっしゃると書かれていました。
受講資格があれば、私も是非受講したいと思いました。
■ ■
私は、不遇な形で札幌医大を追い出されましたが、
4年間の教員生活で得たものもありました。
それは、私の講義を通じて、
形成外科とはどんなものか?
ということを医学部の学生さんに伝えられたことでした。
こうして日記を書いているのも、
何らかの形で形成外科や美容外科を伝えたいという、
私からの情報発信です。
■ ■
他人(ひと)にものを教えるというのは、
想像以上に難しいものです。
有名大学の教授の講義が100%おもしろくて、
ためになるか?
ということはないと思います。
私が学生時代に一番印象に残っているのが
予備校時代にお世話になった、
生物の矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生でした。
■ ■
形成外科医になった大きなきっかけの一つが、
札幌医大6年生の時に、
北大から特別講義にいらしていただいた、
形成外科の大浦武彦教授の講義でした。
北大の教官が、
札幌医大に来て講義をするというのは、
当時では珍しいことでした。
6年間で数回しか覚えていません。
■ ■
その特別講義では、
口腔外科の小浜教授、
眼科の中川教授、
北大形成外科の大浦教授、
北大形成外科の濱本助教授、
の講義がありました。
私が学生時代に形成外科を教わったのは、
この一回だけでした。
わずか2時間程度の特別講義でしたが、
これで私の人生が決まりました。
■ ■
高橋智先生の北大での講義でも、
きっと将来、先生の後継者になるような、
立派な弁護士さんが育つと思います。
ひとを育てるのは難しいものですが、
自分の講義を通じて、
感動とか生きがいを伝えられるのは、
すごいことだと思います。
私も3回の講義を担当しますが、
今年もしっかりと準備をして臨みます。
昔の記憶
忘れられない味
北大病院近くの、
札幌市北区北13条西4丁目の角に
味の広龍(あじのこうりゅう)というお店があります。
開店してから、もう45年くらいになるそうです。
私が北大病院の研修医になったのが、
1980年(昭和55年)でした。
当時は土曜日も外来診療がありました。
札幌市内の総合病院で形成外科があったのは、
北大だけでした。
■ ■
当時の北大形成外科は、
患者さんであふれていました。
手術を申し込んでも、
手術日は未定。
まともに待っていると、
手術を受けられるのは、
2~3年先でした。
(2~3ヵ月ではなく、‘年’です)
■ ■
医師免許証をいただいても、
手術ができるわけではなく…
研修医の私は、朝9:00から、
上の先生がいらっしゃる前に、
予診(よしん)という問診をして、
ポラロイド写真を撮って、
外来診療の準備をします。
上の先生がいらした後は、
処置をしたり、
手術や入院の説明をしたり…
何もできないけれど、一生懸命に働いていました。
■ ■
当時は25歳でした。
とにかく外来は混んでいました。
順調に終わって、
土曜日でも13:30とか14:00までかかりました。
外来が終わってからも、
新患台帳という厚い台帳に記入したり、
手紙の返事を代筆で書いたり…
とにかく、忙しく働いていました。
■ ■
今でこそ、
15:00頃まで昼食を食べなくても平気ですが、
当時は若かったのか、
とにかく‘腹ペコ’になりました。
最後の方になると…
‘腹へったなぁ~’しか考えられなくなります。
そんな時、
当時、講師だった
‘杉さん’こと、杉原平樹(すぎはらつねき)先生が、
『腹へっただろう、出前とってやるよ』
と私たち研修医に、
広龍から出前をとってくださいました。
■ ■
私が頼んだのが、中華飯でした。
出前が早く来たので、
私が食べる頃には冷めていましたが、
丁寧にラップがかかっていました。
ラップを取って食べた
その中華飯の美味しかったこと。
今でも杉原先生にご馳走になった
その味が忘れられません。
■ ■
昨夜、15年ぶりくらいで
その中華飯を食べました。
おじさんは少し歳をとっていらっしゃいましたが、
味は昔のままでした。
北大病院でかつて働いていた偉い先生も
たまにいらっしゃるそうです。
忘れられない味は誰にでもあるようです。
私は今でも…
冷たくなった中華飯が好きです。