医療問題
山形大学の事件④
北海道には、
北海道大学医学部、
札幌医科大学、
旭川医科大学の
3つの医育機関があります。
旭川医科大学には形成外科はありません。
形成外科専門医もいません。
■ ■
東北には、
青森県→弘前大学医学部、
岩手県→岩手医科大学、
秋田県→秋田大学医学部、
山形県→山形大学医学部、
宮城県→東北大学医学部、
福島県→福島県立医科大学
の医学部があります。
このうち、秋田大学医学部と
山形大学医学部には形成外科がありません。
■ ■
日本の医学部や医科大学には、
形成外科専門医すらいないところがあります。
何回か書いたことがありますが、
もともと形成外科は、
皮膚科や整形外科の一部から独立しました。
北大に形成外科ができたのが、
昭和53年でした。
私の恩師である、
大浦武彦先生が血の出るような努力をされて、
北大に形成外科をつくられました。
■ ■
北大に形成外科ができたのは、
大浦先生の恩師である、
北大皮膚科教授の三浦祐晶先生のおかげだと
私は大浦先生から何度もお聞きしました。
大学や大きな総合病院に新しい診療科をつくることは、
大変なことだというのは、
私自身が肌で感じてきたことです。
北大では、皮膚科から別れて形成外科ができました。
当時の詳しいことはわかりませんが、
一般的には形成外科ができるということは、
皮膚科の教官が減るということです。
■ ■
私の推測では、
三浦先生は皮膚科の教官数が減っても、
形成外科という新しい科をつくって、
手術が必要な患者さんを助けたいと思われたのです。
三浦先生のような、
よき理解者がいないと、
形成外科のような新しい診療科はできません。
もちろん、北海道大学医学部付属病院長や
北海道大学総長の英断もあったと思います。
■ ■
北大と同じ昭和50年代前半から、
形成外科があった国立大学は、
東大、
京大、
長崎大学
だけだったように記憶しています。
私は、30年近く形成外科を専門としてきました。
私自身が、市立札幌病院で、
平成元年から平成6年まで、
皮膚科医師として形成外科の診療を、
6年間も担当しました。
■ ■
交通事故で顔の骨を骨折した患者さんが搬送されました。
救急部へ行って、
『手術が必要です』
『手術は○○のように行います』と
ご家族に説明しました。
何も状況がわからないご家族から、
『失礼ですが…、
皮膚科の先生に顔の骨の手術ができるのですか?』
というようなことを聞かれたことがありました。
■ ■
山形にも、
脚のキズをキレイに治したい。
脚にある、アザをキレイに治したい。
という患者さんが必ずいると思います。
形成外科がないので、
患者さんはどこを受診したらよいかわかりません。
病院の受付で聞いてもわかりません。
皮膚のキズだから皮膚科?
なんて感じで皮膚科をすすめられたことも
実際にありました。
■ ■
もし、山形大学医学部に形成外科があれば、
形成外科専門医が最初から診察し、
入院・手術計画を立て、
患者さんやご家族に説明していたと思います。
そうすれば、形成外科の中で
手術法についてカンファレンスがあり、
術後も形成外科専門医がチェックできたはずです。
患者さんがご不幸だったのは、
しっかりとした形成外科の診療体制がなかったことです。
形成外科専門医として本当に申し訳なく思います。
医療問題
山形大学の事件③
ここからの記載は、一般的な術後経過です。
私は山形大学と何の関係もなく、
手術に入ったわけでもありません。
ひとりの形成外科専門医の推測です。
山形大学の先生は、
下腿のキズを丁寧に縫合したと思います。
手術終了時には何の問題もなく、
無事に終了してよかったよかった!
と手術を終わりました。
■ ■
手術のトラブルは手術後に起こります。
術後出血、
術後感染、
術後の肺合併症、
など
手術の後の管理が大切です。
外科医は、
研修医時代に先輩からイヤというほど叱られて
術後管理を覚えます。
■ ■
手術が終わると、
患者さんは入院していた皮膚科病棟へ帰りました。
ご家族が心配してお待ちになっています。
ふつうの一般的な大学病院でしたら、
患者さんの術後管理は入院している病棟、
すなわち皮膚科病棟で行います。
問題はそこからです。
■ ■
病棟へ戻ってから、
手術後の腫れが出てきます。
手術直後は問題がなくても、
手術後の腫れ(医学用語で腫脹(しゅちょう)といいます)
によって、血流障害が出ることがあります。
病棟では、担当の看護師が
術後の観察をします。
■ ■
麻酔が切れて、
腫れが強くなってくると、
患者さんは痛みを訴えます。
術後の一過性の痛みか?
合併症による痛みか?
の判断が重要になります。
持続硬膜外麻酔という麻酔が効いていると、
痛みを訴えないことがあります。
その時は、足先の血流を見て判断します。
■ ■
ベテランの看護師が夜勤をしていると、
すぐに判断ができて、医師へ報告されます。
報告先は、皮膚科の当直医です。
皮膚科の当直医は患者さんを診察して、
異常が認められれば、主治医へ報告します。
主治医は、診察をして、
自分で対応ができなければ、
手術を手伝ってくれた形成外科専門医へ報告します。
これが、大学病院のごく一般的な流れです。
■ ■
病棟での責任者は、
①主治医
②病棟医長(ふつうは皮膚科の准教授か講師)
③皮膚科診療科長(皮膚科教授)
④附属病院病院長
となるのが一般的です。
実際に毎日回診して、キズを診るのが、
研修医+指導医(皮膚科)
何か問題が生じたら…
整形外科の形成外科専門医に連絡!
というのが、
日本における平均的な医学部附属病院です。
■ ■
白い巨搭でおなじみの教授回診。
浪速大学医学部第一外科では、
外科の財前教授が回診をしていました。
内科の里見助教授は、外科の回診には来ません。
山形大学の患者様は、
皮膚科に入院されていたので、
ふつうの医学部附属病院であれば、
診療科長である皮膚科教授が責任者です。
皮膚科病棟の教授回診は皮膚科教授がします。
教授が不在の時は、准教授がします。
■ ■
医療事故の報告も同じです。
このような、事故があった際には、
まず担当した診療科の皮膚科医師から
診療科長の皮膚科教授に報告が上がり、
そこから病院長へと報告が上がるのが
一般的なルールです。
■ ■
山形大学の患者様の主治医は
皮膚科医師であり、
手術に際して、
皮膚科から整形外科に組織的な要請はなく、
整形外科の所属である形成外科専門医に
直接執刀をお願いしたことで、
結果的に、整形外科内でのカンファレンスがおこなわれず、
整形外科長(荻野教授)に状況が伝えられないまま
医療事故になりました。
■ ■
私は、
患者様が、
もし整形外科病棟へ入院されていたら…
この事故は防げたと考えます。
整形外科の病棟では、
術後に下肢の状態をチェックするのは…
日常茶飯事。
どんな新人のナースでも、
患者さんの訴えを見逃すはずはありません。
■ ■
荻野教授の指揮監督下であれば、
必ず教授回診で善処されたと思います。
この事故は、
荻野教授の守備範囲以外の部署で起こりました。
ですから、
処置が後手後手になったのだと推測します。
私は荻野教授の手術を知っています。
とても丁寧でキレイな手術をなさる先生です。
問題なのは山形大学医学部の診療体制なのです。
その理由を次に書きます。
医療問題
山形大学の事件②
報道発表によると、
20代の女性患者さんの医療事故の原因は
コンパートメント症候群です。
コンパートメント症候群?って何?
ネットで検索すると、いろいろな説明がでてきます。
どの説明を読んでも、あまりピンときません。
■ ■
話しをわかりやすくするために、
ブーツを例にとってお話しします。
女性が冬に履くブーツ。
いろいろなデザインがあります。
たいていのブーツに、ファスナーがついています。
体重が増えて、脚(下腿)が太くなったとします。
昨年は履けたブーツがきつくて入りません。
ショックです。
■ ■
気に入っていたブーツで、
あまり痛んでもいないので、
無理やりファスナーを引っ張り上げて…
ブーツが裂けそうになるくらい…
無理矢理ブーツを履きます。
ようやく入りました。
パンパンになったまま、朝お出かけします。
■ ■
最初はなんとかガマンできていても、
そのうち痛みで耐えられなくなってきます。
でもファスナーを緩めると、
ブーツが脱げてしまい歩けません。
仕事中に靴屋さんに行くこともできません。
痛みをガマンして歩いていると、
そのうち感覚が麻痺してしまいます。
■ ■
仕事で外回りをしている。
通勤に長時間かかる。
きついブーツを長時間履いて、
歩いていると、脚がパンパンになってきます。
感覚が麻痺しても歩いていると、
脚がしびれて、最後には血流が止まってしまいます。
これがコンパートメント症候群の原理です。
■ ■
つまり、脚をしめつけて血流が悪くなる病態です。
ブーツで…
そこまでガマンする人はいないでしょうが、
真冬の寒い時期などにガマンしていると
足先の感覚がなくなってしまうのと同じです。
痛みを感じているうちは大丈夫ですが、
きついブーツを履いたまま、
酔って泥酔してしまったりすると…
大変なことになります。
脚が壊死(えし)してしまいます。
■ ■
日本救急医学会HPの説明です。()内は私の捕捉です。
(下腿のように)複数の筋肉がある部位では,
いくつかの筋ごとに,
骨,筋膜,筋間中隔などで
囲まれた区画に分かれて存在する。
その区画のことをコンパートメントという。
■ ■
骨折や打撲などの外傷が原因で
筋肉組織などの腫脹(しゅちょう)がおこり,
その区画内圧が上昇すると,
その中にある筋肉,血管,神経などが圧迫され,
循環不全のため壊死や神経麻痺をおこすことがある。
これをコンパートメント症候群という。
とくに多くの筋が存在する
前腕,
下腿や
大腿部で起きやすい。
■ ■
骨折や打撲だけではなく
ランニングやジャンプなどの
激しい運動によってもおこりうる。
強い疼痛が特徴であり,
他に
腫脹(しゅちょう),
知覚障害,
強い圧痛などがみられる。
処置が遅れれば筋肉壊死や神経麻痺をおこす。
筋区画内圧が40mmHg以上であれば,
筋膜切開(減張切開)が必要となる。
■ ■
コンパートメント症候群は珍しい病態ではありません。
整形外科医、
救急医、
外科医、
形成外科医
であれば、
必ず知っているべき病態です。
■ ■
救急医学会HPにあるように、
処置が遅れれば後遺障害が残ります。
逆に処置が早ければ
後遺障害を残さずに治癒することもあります。
きついブーツだって、
早く脱げば脚はしびれませんし、
後遺障害が残るようなことはありません。
残念なのは、
山形大学医学部付属病院で
どうして早く処置ができなかったか?です。
この理由は、別の日に書きます。
医療問題
山形大学の事件①
さくらんぼさんが、
何回かコメントしてくださっている事件のことです。
私が山形大学の事件を知ったのは、
さくらんぼさんからの、一通の相談メールでした。
最初に、
手術を受けながら、後遺障害が残ってしまった患者様に、
一人の形成外科医として、心からお詫びいたします。
詳細は
山形大学職員組合ホームページに
荻野先生の裁判を支援する会として記載されています。
この医療事故は形成外科に関係があります。
新聞記事や職員組合HPによると次の通りです。
■ ■
2005年5月一人の女性患者さんが、
下肢の手術のために、
山形大学病院の皮膚科に入院しました。
主治医は皮膚科の先生です。
手術を引き受けて、
入院の指示をした皮膚科には、
形成外科専門医はいませんでした。
もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
経緯はわかりませんが、
整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
■ ■
手術の結果が思わしくなく、
結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は思います。
その事実については、一人の形成外科医師として、
患者様に本当に申し訳なく思います。
皮膚科に入院していた患者様は、
2005年8月山形県外の病院に転院。
2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
初めて明るみに出ました。
■ ■
2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
2007年11月山形大学教育研究評議会が
荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
それは手術を執刀した形成外科専門医が
整形外科の所属だったからです。
荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
■ ■
その結果、さくらんぼさんが書かれていたように、
ある日、大学病院へ行ったら、
突然、荻野教授の名前がなくなっていた…
という事態になったのです。
皮膚科の担当医は2007年8月までに
定年退職および転出。
何の処分も受けなかったようです。
■ ■
私は、
もし山形大学に形成外科があって、
形成外科の担当教官がいれば、
この事故は防げたと思います。
山形大学の診療体制が事故の原因です。
荻野教授を処分しても、
何の問題解決にもなりません。
荻野先生を頼っている、
たくさんの患者さんが心配しています。
この事件に関して数回に分けて記載します。
院長の休日
チェリー1周忌
愛犬のチェリーが亡くなって、
6月18日で一年になりました。
18日は、特に何も行事はしませんでした。
チェリーが亡くなって一年だね…
と話した程度です。
■ ■
6月19日に知り合いのお宅へ伺いました。
そのお宅では、
シェルティーを3匹飼っていらっしゃいました。
チェリーと同じ位の年令の
お母さんワンコとその仔犬たちでした。
残念なことに、
3匹ともチェリーより先に旅立ってしまいました。
■ ■
チェリーにも
一匹、子どもがいました。
メスのクッキーという名前でした。
北見の知人のお宅で、
大切に飼っていただいていましたが、
チェリーより早く亡くなってしまいました。
人間の世界より、
イヌの世界の方が、
親より先に亡くなる仔犬が多いようです。
■ ■
シェルティーを3匹飼っていらしたお宅では、
奥様がすっかり元気をなくされていました。
最後のワンコが亡くなってから…
約2年間、ペットがいませんでした。
そのお宅に、仔犬がやってきました。
まだ、4ヵ月のシェルティーです。
東京のブリーダーさんが大切に育てたワンコです。
■ ■
19日に、そのワンコと遊ばせていただきました。
ともておりこうなワンコでした。
まだ、4ヵ月なのに…
とてもおりこうでした。
チェリーが4ヵ月の時はどうだったかなぁ~?
と思い出していました。
■ ■
私の小さい頃からの夢は、
戸建の家に住んで、
イヌを飼うことでした。
昨年までは、チェリーがいました。
一軒家に住んでいました。
チェリーが亡くなって、
家も引っ越しました。
家内はもうイヌは飼わないと言っています。
■ ■
わが家は、まだ当分イヌを飼う雰囲気ではありません。
もうしばらく、喪に服して、
他に楽しみを見つけて暮らします。
シェルティーを見るとチェリーを想い出します。
かわいいワンコでした。

チェリーの子ども
クッキーの写真です
昔の記憶
切断指再接着
平成20年6月21日の日記に、
北海道で最初に、
切断指再接着を成功させたのが、
薄井正道先生と書きました。
切断した指を、
世界ではじめてつないだのが、
1965年、
奈良医大整形外科の玉井先生と小松先生でした。
これは今でも、欧米の教科書に記載されています。
■ ■
北海道で最初の成功例は、
1974年、
北海道大学整形外科の薄井正道先生でした。
1974年3月(昭和49年3月)でした。
当時、私は一浪の末に、
札幌医大から合格通知をいただいていました。
ようやく試験勉強から開放され、
毎日、ぼ~っとしていました。
■ ■
当時は朝日新聞を購読していました。
夕刊の記事だったと思います。
『せっちゃん、指くっついた!』
という見出しで、
写真入りの記事が掲載されました。
何気なく、読んでいると…
その記事に載っていたのは、
私の夕張市立鹿島中学校の同級生でした。
■ ■
間違いなく、
鹿島中学3年A組で、
渡辺煕(わたなべひろし)先生のクラスで、
同級生だった、○○勢津子さんでした。
新聞記事を見た第一印象。
『キレイになったなぁ!』
■ ■
私が大夕張で同級生だったのは、
15歳の時でした。
面倒見のよい、明るい子でした。
目がパッチリと大きかった印象があります。
それから4年が経過していました。
私19歳、彼女も19歳です。
同じ班だったこともあり、
中学校ではよく話していました。
■ ■
彼女は、南大夕張の木工場で作業中、
誤って指を切断してしまいました。
南大夕張から、北大まで搬送され、
薄井正道先生に手術を受けました。
切断された、
おや指の血管と神経をつないで、
再接着術に成功しました。
■ ■
札幌医大に合格したばかりで、
私には何の医学的知識もありませんでした。
新聞に掲載されていた彼女を見て
ただただ驚きました。
笑顔で『先生ありがとう!』と言っているのは
4年前に同じクラスで勉強していた子でした。
すごいなぁ。
痛かっただろうなぁ。
そんな思いが頭をめぐりました。
■ ■
お見舞いに行こうかなぁ?
一人では行きにくいなぁ…
シャイな私は、友人に頼んで、
一緒に北大病院まで行ってもらいました。
北大病院の整形外科病棟まで行きました。
病棟の看護婦さんに、
『あのぅ~、指の○○さんのお見舞いに…』
と言ったところ、
『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
と言われました。
■ ■
『あっ、それじゃこれ渡してください。』
と
持って行った、お菓子を置いて、
シャイな私は逃げるように帰ってきました。
看護婦さんが、
『ちょっと待っててくれればいいのに…』
『きっと残念がるゎ…』
と言われたのを覚えています。
新聞に出ていた○○さんが、
とてもキレイになっていたので、
私は会うのが恥ずかしかったのです。
■ ■
その後、35年が経過しました。
私は○○さんにお会いしたことがありません。
医師になってから、
薄井先生に、話したことがあります。
先生もよく覚えていらして、
『あぁ、せっちゃんいい子だった。』
『確か、天理市へ行かれてその後診ていない…』
というようなことを話した記憶があります。
■ ■
日記に書いた、
土田芳彦先生は薄井先生の弟子。
薄井正道先生は、
現在、釧路市の東北海道病院院長をなさっていらっしゃいます。
もし、山形で切断指や重症四肢外傷になったら、
山形大学医学部整形外科に
荻野利彦教授がいらっしゃいます。
山形大学整形外科は、
一度に多数の指の再接着に成功し、
TVや新聞で報道されたこともあります。
荻野教授も
薄井先生と同じ、北大整形外科上肢班でした。
さくらんぼさん、
北海道まで来なくても大丈夫ですょ。
医療問題
北大形成外科同門会
昨夜、北大形成外科同門会の会議がありました。
同門会というのは、
北大形成外科で修行をした仲間医師の集まりです。
今は、北大形成外科には所属していなくて、
病院勤務や開業をしている医師が
同門会の主要メンバーになります。
OBによる親睦団体というところです。
北大形成外科では、
現在、北大形成外科に在籍している医局員も
教室会員となります。
教授や准教授、講師、助教というスタッフの他に
研修医も教室会員です。
■ ■
北大で研修した仲間の会ですから、
30年近くも、ずっと顔見知りです。
遠い親戚よりも、自分にはずっと身近な存在です。
自分にいろいろなことを教えてくれた、
大切な先輩であり、
自分が手術を教えた、
かわいい後輩も同門会員です。
業界の親睦団体と違うのは、
師弟関係であったり…
よき相談相手であったり…
私に言わせると、
形成外科という、自分にとってかけがいのない
もう一つの‘親兄弟・親戚’以上の関係が同門会です。
■ ■
最近の若い先生は、
卒後に大学病院の医局に入らず、
すぐに市中病院や民間病院で臨床研修をします。
結果的に、大学に残る人が少なくなっています。
確かに、昔から医局制度には問題もありました。
ただ、私にとっては良い制度で
良い時代でした。
採血や点滴すら満足にできなかった私が、
手術ができるようになったのは、
北大形成外科のおかげです。
■ ■
私は、大浦武彦教授が率いる、
北大形成外科へ入局しました。
現在の私があるのは、
大浦武彦先生や北大形成外科の先輩のおかげです。
いつも感謝しています。
札幌医大から北大へ行くことは少し勇気がいりました。
私が北大へ行けたのは、
松本敏明先生、
大岩彰先生という、
お二人の札幌医大の先輩がいらしたからでした。
■ ■
特に大岩彰先生は、
私が札幌医大に入学した時に、
熱心に弓道部へ誘ってくださった先生でした。
大岩先生の、
『私でもやっているんだから大丈夫だょ』
『おいで!』
という一言で、
私は安心して北大形成外科へ来ました。
大岩先生はお忘れになっていると思いますが、
私が北大を訪ねた時に、
生姜焼き定食をごちそうしてくださいました。
■ ■
松本先生は、アクティブで激しい先生です。
レーザーのスペシャリストです。
大岩先生は、穏やかで優しい先生です。
巻き爪という、手術が難しい爪の病気に、
独自の大岩法という、手術法を考案されました。
あまり知られていませんが、
私は今でも素晴らしい手術法だと思っています。
大岩先生は現在は形成外科を離れていらっしゃいますが、
同門会にはいつもいらしてくださいます。
■ ■
同門会の会議で、
最近、医局を離れる先生のことが話題になりました。
全国どこの大学の形成外科でも、
専門医も取らずに、大学を去る先生がいらっしゃいます。
どこへ行くのも、
職業選択の自由という、
日本国憲法が定めた基本的人権です。
形成外科や自分の将来のことを考えてのことです。
私は、北大形成外科は円満退局しましたが、
札幌医大は追い出されました。
■ ■
前にも書いたことがありますが、
48歳にして職を失い、
路頭に迷いました。
子どもにもお金がかかる時期だったので、
本当に困りました。
私は幸いなことに、
中央クリニックの社長さんに拾っていただきました。
中央クリニックも円満に退職させていただき、
札幌美容形成外科を開業できました。
■ ■
私は自分の生き方が正しいとか、
大学を辞めて美容外科医になるのが悪いとか、
言うつもりはまったくありません。
一度しかない人生ですから、
自分の思うように生きるのがいいと思います。
ただ、
私が札幌医大を追い出された時に、
精神的な力になってくれたのが、
北大形成外科の先輩や後輩でした。
■ ■
医師にもたくさんの悩みや苦しみがあります。
悩んだり苦しんだりした時に、
相談できる先輩がいるのは、
本当にありがたいことです。
これは苦しんだ人にしかわかりません。
そんな時に相談できる先輩を持つには、
北大形成外科同門会は最適なところだと思います。
私は、自分が一度、
奈落の底へ落ちて助けてもらったので、
後輩が困っていたら、
できるだけのことをしたいと思っています。
医学講座
札幌東徳洲会病院外傷センター
昨夜、札幌パークホテルで、
第5回北海道臨床創傷治癒研究会がありました。
昨年は、時計台記念病院、
循環器センター長の浦澤一史先生の特別講演がありました。
浦澤先生の講演は、
血管に細いカテーテルという管を刺して、
詰まった血管開通させるという技術でした。
この日記でご紹介したのが、ご縁で、
浦澤先生に治療を受けて快くなった方がいらっしゃいました。
■ ■
昨日の特別講演は、
札幌東徳洲会病院、
外傷センター、センター長の
土田芳彦先生でした。
土田先生は、北大医学部をご卒業後、
東京で麻酔科研修。
その後、札幌医大整形外科へ入局され、
薄井正道先生の下で、
マイクロサージャリーのスペシャリストになられました。
■ ■
札幌医科大学高度救急救命センターで
講師としてご活躍。
重症の四肢外傷を、
神業のような手術で再建されていました。
その手術の腕は、まさにブラックジャック以上。
通常でしたら、切断になる腕や下肢を、
見事につなげて、
社会復帰させていらっしゃいます。
■ ■
指を切断したら…
再接着という手術でつなげます。
この程度の知識は、一般的になっています。
つなげるのは容易ではありません。
細い血管や神経を手術用顕微鏡で縫い合わせます。
使う糸は髪の毛よりも細く、
目の良い人が肉眼でようやく見える程度です。
北海道で一番最初に、
指の再接着に成功したのが、
当時、北大整形外科にいらした薄井正道先生でした。
■ ■
土田先生の得意技は、
ダンプに轢かれた…
機械に腕を巻き込まれた…
交通事故で足がグチャグチャになった…
などなど、
専門医ですら、
これ…
どうしましょう???
というような重度の外傷を治す技術です。
■ ■
そのような、重症の患者さんは、
たいてい頭部外傷や肺損傷という、
生命にかかわる、合併症を持っています。
頭部や肺の状態が悪いため、
手術をためらっているうちに、
下肢の治療が遅れることがあります。
逆に、頭部の状態が悪いのに無理に手術をして、
骨折は治ったのに、脳死になることもあります。
■ ■
患者さんの意識がない中で、
同意書も取れない状態で
緊急手術をする必要があることも
マレではありません。
昨日の講演の最初は、
『やってはいけない治療』という内容でした。
われわれ医療者に衝撃的な内容でした。
是非、医学生に聴いて欲しい内容でした。
■ ■
その次が、土田先生の手術症例でした。
私の印象に残ったのが、
機械に腕を巻き込まれて、
肘から先が、グチャグチャになってしまった女性でした。
機械から腕を抜き取れなかったので、
なんと機械ごと救急車で搬送されてきました。
病院で機械を壊して、
腕を引き抜くと、筋肉もグチャグチャ。
腕は完全に取れていました。。。
■ ■
普通でしたら、どう考えても切断です。
本人の意識はあるものの、
完璧なパニック状態。
とにかくつないでみます…!
土田先生のブラックジャック以上の腕で
腕はつながりました。
問題は、その後です。
■ ■
指の再接着でしたら、
多少曲がりが悪いことがあっても、
まず、機能が問題になることはありません。
腕は大変です。
動かない手、
動かない腕、
があると、
義肢より使い勝手が悪いことがあります。
感覚が悪いと、ヤケドやケガをすることもあります。
■ ■
土田先生が手術をされたその女性は、
懸命にリハビリをして、
『先生、今日はこんなことができました』
『先生、お鍋が持てるようになりました』
と先生を逆に励ましてくれたそうです。
土田先生は、ここが男性と女性の違うところ…
とおっしゃっていました。
私も同感です。
女性は、辛抱強くリハビリを続けられました。
■ ■
重症の交通外傷、
労働災害、
などの不慮の事故で、
腕や足がもげたら…
救急病院で切断と言われたら…
四肢再建スペシャリストの、
土田芳彦先生を思い出してください。
札幌東徳洲会病院外傷センター
011-722-1110です。
腕のよい、優しい先生です。
医療問題
刑務所の医療
平成20年6月20日、北海道新聞朝刊の記事です。
医務官診療拒む 福岡
「刑務所に戻らぬよう苦痛与える」
福岡刑務所(福岡県宇美町)の受刑者が
「医務官から投薬や診療を拒否されたり、
差別的、侮辱的な暴言を受けたりした」と
福岡県弁護士会に人権救済を申し立てるケースが相次ぎ、
2002年以降少なくとも70件に上っていることが6月19日、
関係者の話で分かった。
■ ■
ほとんどは医師資格を持つ同刑務所第2医務課長の言動に集中。
この課長は、
法務省が福岡県内の大学教授や弁護士らに委嘱した
福岡刑務所視察委員会の調査に対し
「二度と刑務所に来させないためにも、
受刑者には苦痛を与えなければならない」
という趣旨の説明をしたという。
■ ■
特定非営利活動法人(NPO法人)監獄人権センター(東京)は
「自らに加罰権限があると思っている医務課長の発想はおかしい。
全国の刑務所に根差している問題ではないか」と指摘している。
福岡刑務所の広報担当者は
取材に対し「コメントすることはない」と話した。
刑務所を管轄する福岡矯正管区は
「福岡刑務所に問題があるとは考えていない」、
法務省矯正局は「事情を把握していない」としている。
■ ■
関係者によると、
第二医務課長は投薬や診療を求める受刑者に対し
「仮病だろう」
「帰れ」
「日本で盗みをする中国人は診ない」
とたびたび発言したとされる。
県弁護士会や
監獄人権センターには
「詐病と決めつけられた」
「人工透析を受けさせてもらえない」
「診察要請に一切応じてくれない」
などの訴えが寄せられている。
■ ■
関係者によると、
課長は自らを
「コスト力ッター(経費を削減する人)」と公言。
刑務所の薬剤費は
2005年度に約5千万円だっが
2007年度には約3千万円に減ったという。
■ ■
昨日の朝日新聞の投稿記事で、
受刑者一人に年間300万円の経費がかかるとありました。
受刑者の医療水準をどの程度にするか、
とても難しい問題です。
コストがかかるのは、
外科手術。
人工透析。
抗癌剤治療。
などなど、さまざまな治療があります。
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覚醒剤依存症で、服役したとします。
覚醒剤を注射する時に、
注射器を使いまわしして、
高い確率で、
ウイルス性肝炎になります。
肝炎の治療にはお金がかかります。
新薬ですと、一ヵ月の薬代が数万円。
インターフェロンの注射なんかをすると、
数十万円にもなります。
■ ■
もし刑務所でこのような‘治療’が認められると、
お金がなくなったら、
悪いことをして、
刑務所に入れてもらい、
医療刑務所で治療してもらう…
なんて人が増えたらどうしましょうか?
税金で数百万円もかけて、
‘治療’してあげる必要があるのでしょうか?
■ ■
私たちは、中学校までの義務教育で、
悪いことをしたら刑務所に入れられることを教えられます。
でも、普通の国民は、
刑務所の中がどうなっているか?
刑務所の中で病気になったらどうなるのか?
まったく知識がありません。
■ ■
受刑者の人権もわかりますが、
刑務所で、
普通の病院と同等か
それ以上の医療を求めるのは…?
身勝手すぎると、私は思います。
どこまで治療するのが、
受刑者に適当なのか、判断に困ります。
■ ■
世の中には、
毎日、
朝早くから、夜遅くまで働いて、
きちんと納税もして、
選挙には投票にも行っているのに…
無医村で、
医療を受けられない人がたくさんいます。
受刑者だけが、
際限なく医療を受けられるというのは、
医療者の一人として、納得できません。
医療問題
障害のある受刑者
平成20年6月18日、朝日新聞朝刊-私の視点-への投稿記事です。
障害のある受刑者
再犯防止へ自立支援を
山本譲司(やまもと じょうじ)
元衆議院議員
わが国の刑務所は今や、
その一部が福祉の代替施設になってしまっている。
犯罪を繰り返して刑務所に何度も入ってくる
障害者が増えているからだ。
■ ■
私は、
国会議員の秘書給与を詐取した罪により、
2001年7月から1年余り、
栃木県の黒羽刑務所に服役した。
私に与えられた作業は、
知的障害者、
精神障害者、
認知症老人など、
心身に障害のある受刑者たちの世話係だった。
自分が今どこにいるのかさえ理解できない
受刑者も少なくなかった。
■ ■
当初、
法務省が障害のある受刑者を
黒羽刑務所に集めたのかと思っていたが、
そうではなかった。
近年の調査では、
全国の刑務所が同じような状態だった。
とくに、
服役が2度目以降の「累犯者」を収容する刑務所では
障害者の割合が高く、
私が最近訪ねた累犯刑務所では、
受刑者の約6割が何らかの障害を抱えていた。
■ ■
彼らの多くは、
実社会で福祉から見放され、
ホームレスに近い生活を続けた揚げ句、
無銭飲食や置き引きといった
軽微な罪で刑務所に送られてくる。
知的障害があるのに
障害者手帳も持っていない受刑者にもよく出会った。
彼らは福祉の支援が届かない環境で生活し、
犯罪者として逮捕されても
取り調べや裁判で自らの境遇を語って
情状酌量を得ることさえ難しい。
もし福祉とのかかわりがあれば、
犯罪そのものを防げた事例も多い。
■ ■
彼らは福祉のセーフティーネットからこぼれ落ちて、
やっと司法という網に引っかかり、
獄中で保護されている。
それが日本の福祉の現実だ。
私はこうした暗澹(あんたん)たる状況を
「累犯障害者」などの著書を通じて訴えてきた。
一方、ここ数年、
障害者福祉をめぐる環境は大きく変化している。
2003年に障害者に対する支援費制度が導入され、
障害者の自立を促し、
施設入所型から地域定住型への
政策転換が始まった。
「脱施設」の流れは、
2006年施行の障害者自立支援法で、
さらに推し進められた。
■ ■
しかし、
障害者を施設でなく地域で支えるシステムは
まだまだ弱い。
福祉の網からこぼれ落ち、
そのうち、
少なからぬ障害者たちが罪を犯してしまう可能性がある。
これは、
同じような障害者福祉政策をとってきた欧米などで顕在化した問題だ。
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そこで私は、
問題意識を共有する関係者らと2006年、
「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究班」
を立ち上げ、
厚生労働省の研究事業になった。
調査だけでなく、
出所した障害者を福祉施設につなぐ実践活動もしている。
今年は、
障害のある受刑者向けの相談窓口として、
「社会生活支援センター」を開設するに至った。
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しかし、民間主導で取り組むには限界がある。
政府はぜひ、自立支援策を制度化してほしい。
例えば、
罪を犯した障害者を受け入れた福祉施設に
助成金を手厚くする制度や、
福祉施設と更生保護施設が相乗りした
「障害者更生保護施設」を新設することなどが考えられる。
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この問題でぜひとも必要なのは、
法務行政と福祉行政の一体化だ。
法務省(矯正)と厚労省(福祉)が
縦割り意識を捨てて連携しないと、
累犯障害者は救い出せない。
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受刑者1人当たりに使われている法務省予算は
年間300万円近い。
刑務所に入る前に福祉の場で支えれば、
それほどお金はかからないし、
再犯防止の効果もあるだろう。
日本の福祉の力が問われている。
(以上、朝日新聞より引用)
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刑務所に勤務する医師を、
矯正医官といいます。
私がはじめて矯正医官を知ったのは、
札幌医大の学生の時でした。
矯正医官を希望する医師は少なく、
30年前から、
奨学金制度などで医学生に呼びかけていました。
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私が大学病院に勤務していた頃は、
札幌刑務所の矯正医官として働きながら、
大学で研究をしている先生がいました。
法務大臣が認めた、‘勉強’だったと思います。
刑務所の受刑者も病気になります。
私はケガをした受刑者しか治療した経験がありません。
受刑者には末期ガンの人も糖尿病の人もいるそうです。
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治療が必要な受刑者には、
‘治療’が施されます。
矯正医官が少ないのに、
どのような‘治療’が行われているのでしょうか?
受刑者には、健康保険がありません。
治療費は全て国庫負担です。
受刑者一人当たり、年間300万円には驚きです。
塀の中に入れておくのにも、
ずいぶんお金がかかるものです。
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私は、この山本譲司さんを直接は知りません。
秘書給与問題が出た時に、
有罪判決を受けて、
服役されたこともはじめて知りました。
私たちは、犯罪のない、
安全な社会に住みたいと願っています。
どうしたら、再犯を防げるか?
どうしたら累犯者をなくせるか?
塀の中のことも情報を開示して、
広く国民が考えるべきだと思いました。

山本譲司さん
(朝日新聞より引用)