医療問題
荻野先生の裁判2010-5月
今日、山形大学職員組合から、
荻野利彦先生の裁判について報告が届きました。
【荻野先生の裁判を支援する会ニュースNo.13】
発行日:2010年5月26日
【第12回公判傍聴報告】
2010年5月25日(火)午後2時から山形地裁民事部第3号法廷において第12回公判が行われ、今回をもって結審しました。以下に、簡単に報告いたします。
原告側からは荻野教授夫妻、山形大学職員組合の岩田執行副委員長の他、支援する会会員の方8,9名が、被告大学側からは総務担当事務職員ら4,5名が傍聴しました。
まず裁判長より、これまでの主張を網羅的にまとめた第7および第8準備書面と証拠および証拠説明書が被告側から提出されたこと、上記書面への反論となる最終準備書面が原告側から提出されたことが確認されました。最終準備書面の内容に関し裁判長から照会があり原告側弁護団から説明がなされたあと、原告・被告両弁護団に対し審理の尽くされたことが確認され弁論終結が宣言されました。
最後に、判決は8月24日(火)午後1時15分に言い渡されることが伝えられ、5分ほどで公判が終了しました。
どのような判決になるのか未だに予断を許さない状況ですが、今後ともご支援よろしくお願いいたします。
以上
山形大学職員組合_書記局
■ ■
裁判は時間がかかります。
裁判の原因となる事故が起きたのが、
2005年5月でした。
私がさくらんぼさんから、
荻野先生の窮地を知らせていただいたのが、
2007年12月末でした。
2008年6月25日から、
山形大学の事件① ② ③ ④ ⑤ ⑥ を日記に書いています。
■ ■
医療事故で、
医学部の教授が懲戒処分を受け、
職員組合が支援して…
裁判になるのは異例です。
それだけ…
この処分が不当であり、
山形大学の教職員が、
大学当局に不信感を抱いていることの表れです。
■ ■
大学の教員といえど…
懲戒処分を受けて当然の人もいます。
誰が見ても…
『あぁ~』
『あの先生なら…』
『いつか捕まると思っていた…』
という人もいます。
荻野利彦先生は、
一番、処分とは縁遠い先生です。
■ ■
山形大学は不当な処分をしました。
不幸な医療事故は、
形成外科の診療体制ができていれば、
防げた可能性があります。
事故から5年が経過しましたが、
形成外科の診療体制は整備されていません。
私は、
裁判長に、
私の日記を読んでいただきたいと願っています。
キズをきれいに治したい患者さんが、
最善の医療を受けられるようにしていただきたいです。
“荻野先生の裁判2010-5月”へのコメント
コメントをどうぞ
ご丁寧な解説をありがとうございます。
お礼を申し上げるのが、大変遅くなってしまいました。
確かに培養表皮は優れた技術であると思っています。
先生のお話しを読み、まずは救命させることが第一です。
そのためには、早急な処置
「スキンバンク」「屍体の表皮」がやはり最優先
になるのは、当たり前のことだと思います。
しかし、拒絶反応が起きたときに、自家培養表皮が役に立つのでしょうか。
一刻も争う救命処置ですので、もっと早い期間で培養表皮ができれば
変わってくるのでしょうか?
私自身、最近重症熱傷患者の事を調べて、色々な思いを感じました。
日々の生活の中で、気をつけないといけません。
「スキンバンク」については今回初めて知りました。
私も登録することを考えます。
またコメントさせて頂きます。
ありがとうございました。
本間先生、ありがとうございます。なんの知識もなく ただ あんなにいい荻野先生がなんで あんな処分を受けなければならなかったのか、医学や法律の知識のない私にもわかりやすく説明してくださり 力になっていただきました。今回25日が最後だと思っておりましたが、春先の果樹の成育が遅れていた分 いっきに忙しくなったのと、体調が思わしくなかったので今回の傍聴には行けませんでした。なぜか、その結果を真っ先に教えてくださるのは、山形の人ではなく、いつも 本間先生が どんなにお忙しくても私に真っ先にメールをくださいます。本当に ありがたく、先生が どんな方か 私が思っていた通りの、人間的に 素晴らしい先生だと思います。
ただ 月日は 事件を風化させ あの当時の医師もいなくなり、医学部長様でさえ 国立癌センターの初代理事長に栄転されました。けれど 形成外科が独立した科になったわけでもなく 何年経っても 何も変わりません。今一度 みなさんや 裁判長にも この日記の山大の事件がなぜ起こり、どうすればよくなるのか読み返していただき、次回は必ず結審するので、なんとしても勝訴していただきたく思います。 私は本間先生に巡り会え本当によかったです。 文章が下手で 思っている事が伝えられなかったかもしれません。 ありがとうございました。