昔の記憶

父の誕生日

 今日、3月4日は、私の父(本間寛ユタカ)の誕生日です。
 大正15年3月4日に、樺太(カラフト)、今のサハリンで生まれました。
 父方の祖父は、郵便局勤務で樺太に住んでいました。
 豊原→泊居(トマリオロ)と転勤し、泊居で生まれのが父です。
 今日で、82歳になります。
      ■         ■
 父は、5人兄弟の2番目です。
 姉が一人、弟が一人、妹が二人です。
 全員歳をとっていますが、存命です。
 私が子供の頃の父は、短気でよく怒っていました。
 今の私に、よく似ていると思います。
 (私もよく怒ります…)
      ■         ■
 父が生まれて間もなく、祖父は樺太から札幌へ転居。
 勤務先も、郵便局から国鉄に変わりました。
 祖父は、郵便局でも、国鉄でも、通信関係の仕事をしていました。
 父は、子供の頃から、学校の勉強はあまり得意ではなかったと言います。
 普通の中学(今の高校)ではなく、札幌工業高校へ進学しました。
 木材工芸科という、家具などを作る学科で、
 卒業記念に、居間に置く家具(茶箪笥チャダンス)を製作したそうです。
      ■         ■
 父の世代は、第二次世界大戦に徴兵されました。
 父も、通常ですと徴兵されました。
 医学、薬学の学校に進学すると、徴兵免除になったので、
 仙台にあった、東北薬学専門学校へ進学しました。
 父の姉が薬剤師だったことも影響したのでしょうか?
      ■         ■
 仙台で薬学を勉強して、薬剤師になりました。
 戦争も終戦になりました。
 札幌へ戻った父は、終戦の年、昭和20年9月に、
 現在のJA北海道厚生連の前身である、
 北海道農業会本部厚生部に勤務しました。
      ■         ■
 薬剤師として、鵡川(ムカワ)厚生病院などに勤務したそうです。
 北海道農業会を退職して、
 築別炭鉱病院薬局→三菱砿業㈱手稲療養所薬局と
 炭鉱病院の薬局に定年まで勤務しました。
 退職後の昭和61年4月から、
 秋山愛生舘㈱大曲物流センターに管理薬剤師として勤務。
 昭和63年3月31日に秋山愛生舘㈱を退職。
      ■         ■
 その後は、一時、薬剤師人材斡旋会社などで働いていました。
 アポテーカバンク北海道という会社でした。
 一生に一度だけ、そこの社長になりました。
 数年前までは、たまに頼まれて薬剤師の仕事をしていました。
 ここ2~3年は、もっぱらチェリーの散歩が日課になっていました。
 そのチェリーも昨年6月に亡くなりました。
      ■         ■
 薬剤師だけあって、薬のことは何でもよく知っています。
 私は、何かわからないことがあると、すぐに電話で聞きます。
 電話をすると、たいてい母が出ます。
 私「じいちゃんは?」
 かわるね。
 父「あぁ。どうした…?」「あぁ。そうか。」
 会話は短く、用件はすぐに終わります。
 親子の会話はあまりありませんが、
 父も、この日記を読んでくれています。
      ■         ■
 私が、札幌西高校へ進学した、昭和45年から、
 三菱南大夕張炭鉱病院を退職した、昭和61年まで、
 16年間も、父は夕張で単身生活をしていました。
 当時、三菱南大夕張病院には、数人の先生がいました。
 父を含めて、単身赴任が過半数でした。
      ■         ■
 私は、子供の頃はよく父と喧嘩をしていました。
 父が、60歳台~70歳台までは、よく喧嘩をしていました。
 『クソおやじ!』とよく怒っていました。
 さすがに、最近はあまり喧嘩をしません。
 私は、よく父と喧嘩をしていましたが、
 子供の教育のために、
 単身生活をしてくれた父に感謝しています。
 大学に合格した時も
 医師免許を取得した時も
 一番先に報告したのは父でした。
 特に、一浪で、札幌医大に合格した時には喜んでくれました。
 昨年暮れには、急性胆嚢炎になって入院しましたが回復しました。
 このまま、ボケ老人にならず、元気でいて欲しいと願っています。

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医療問題

診断書

 北海道で、医師の診断書が原因となった事件が2件問題となっています。
 一件目は、滝川市の2億円にも上る、タクシー代金の不正請求。
 こちらは、暴力団と関係がある夫婦が、 
 滝川から札幌まで一回数十万円の介護タクシーで通院が必要という
 北大病院の‘先生’が書いた診断書が原因です。
      ■         ■
 北大の先生は、おそらく一回の通院費が数十万円とは、
 ‘知らないで’書いたと思います。
 生活保護(医療保護)で治療を受けるには、医師の意見書が必要です。
 私も、区役所の保護課から依頼されて書くことがあります。
 幸い、札幌美容形成外科を受診なさる方は、
 本当に‘医療’が必要な方で、何の問題もありません。
      ■         ■
 高額納税者の方でも、
 滝川から札幌まで一回数十万円のタクシーは使いません。
 逆に、一回数十万円のタクシーを使っている人は、
 高額納税者にはなれません。
 滝川市の近くには、砂川市立病院という総合病院があります。
 だいたいの治療は砂川で受けられる筈です。
      ■         ■
 もう、一件は、札幌市内の耳鼻科の‘先生’が書いた、
 障害認定の診断書です。
 身体障害者福祉法という法律で、指定された先生しか書けません。
 指定医といいます。
 かなりの書類を揃えて審査に出して、認定を受けて初めて指定医になれます。
 平成20年3月3日の北海道新聞朝刊に、
 以前、この耳鼻科の先生のところで働いていたという女性の‘告白’が掲載されていました。
      ■         ■
 それが事実とすると、
 どんなに優秀な弁護士がついていても、
 その耳鼻科の先生の責任は免れないと思います。
 医師の診断書は、重みのある書類です。
 診断書があれば、会社も学校も休めます。
 入学試験も、再試験を受けられる場合があります。
 それだけに、私たちは慎重に書きます。
      ■         ■
 医学部で診断書の書き方を正式に教える時間は多くはありません。
 せいぜい、数時間だと思います。
 私の頃は、医事法制という講義がありました。
 そこで、ある程度の知識を得たと思いますが、定かではありません。
 だいたいは、卒業してから、実際に書類を前にして
 ‘先輩’から教えてもらって書き方を学びます。
      ■         ■
 最先端の医学研究ではないので、
 あまり熱心に診断書の書き方を教える先生もいません。
 ‘診断書の書き方’なんて本があって、
 それを見るのが一番です。
 私は、医学部で、もう少し診断書の持つ重みとか、
 もし、虚偽の診断書を書いたら、
 このような処罰があるとかということを教えるべきだと思います。
      ■         ■
 私が、労災病院に勤務していた時のことです。
 ある科の先生が怒っていました。
 仕事ができないなんて診断書を書けるか!?
 病院に来た時は、痛いいたいと言ってるのに、
 診察室を出たとたんに、元気100%。
 病院の後で、
 新装開店になったパチンコ屋に行くって
 仲間と話していたそうだ。
 その‘患者’は、
 診断書を書いてくれない先生に悪態をついて、
 こんな病院、二度と来ねぇぞ~~
 と出て行ったそうです。
 私は、医師たるものは、
 毅然とした態度で診断書を書かなければならないと思います。

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昔の記憶

医師としての価値

 世の中は医師不足です。
 特に地方の医療機関は、医師不足で困っています。
 昨日まで、3回にわたり、
 北海道新聞に掲載された、
 市立札幌病院NICUのことを記載しました。
 私の心のどこかに、
 美容外科医なんて
 形成外科医なんて
 新生児科医や救急医に比べて、
 価値の低い医師さ。
 という自分を卑下した意識があります。
      ■         ■
 国は、医師不足解消のために、医師養成を急いでいます。
 北海道では、札幌医大と旭川医大の入学定員を
 2009年度入学生から増員しました。
 私は、国の政策に懐疑的です。
 かつて、国策で作った、
 防衛医科大学校卒業生のうち、
 現在まで、防衛医官として、
 防衛省職員のままの‘先生’は
 何%いらっしゃるのでしょうか?
      ■         ■
 もちろん、防衛医科大学校を卒業後は、
 最低9年間は、防衛省に勤務しなくてはならないという、
 ‘義務年限’がありました。
 ところが、現実には、
 お金を払って義務年限を免除してもらい、
 晴れて自由の身になった‘先生’が
 何人もいらっしゃいました。
 そのため、
 義務を免除するために必要な‘お金’を
 増やしたという話しを聞いたことがあります。
      ■         ■
 なぜ、防衛医大出身の先生は
 防衛省を退職したのでしょうか?
 医師として働く魅力が乏しいから、
 防衛省を退職して、
 民間の医療機関に就職したり
 ご自分で開業したりしたのではないでしょうか?
      ■         ■
 人間は、やりがいがあって、
 仕事に見合った報酬を得られれば、
 簡単には、職場を変えないものです。
 市立札幌病院新生児科の先生は、
 助からないと思われた、500㌘の赤ちゃんを救命して、
 立派に育っていく様子を、お母さんとともに喜ぶことができて、
 両親や祖父母からも感謝されて…
 だから、36時間勤務でも、辞めないで働けるのだと思います。
      ■         ■
 私は、毎日、朝から深夜まで仕事をしています。
 日記の更新やメールの返事は、
 午前0時を過ぎていることもよくあります。
 私が、市立札幌病院に勤務していたのは、30歳台後半でした。
 当時は、今よりもっと働いていたと思います。
 北大に通って、研究もしていました。
 自分にとって、医師としての青春時代だったと思っています。
      ■         ■
 私は、その頃に、救急部や未熟児センターへ行くのが好きでした。
 自分にとって未知の世界だった救急医療の現場や
 触っただけで、壊れそうな赤ちゃんを助けることに
 少しでも、医師としてお手伝いできることに、魅力を感じていました。
 皮膚のキズが少しでもよくなると、
 お母さんと一緒に喜びを共有できました。
      ■         ■
 今は、形成外科や美容外科の手術をしています。
 もう、総合病院の形成外科医として働くことはありません。
 私は形成外科の手術も美容外科の手術も好きです。
 人をキレイにして、喜んでもらえるのは嬉しいことです。
 遠くから、この日記を読んでくださって、
 メールでご相談を受けることもあります。
      ■         ■
 面識がない方から、ご相談を受けても、
 できる限りのご返事を差し上げているつもりです。
 ただ、どんなにキレイに手術をしても、
 どんなに丁寧に手術をしても、
 わたしたち、美容形成外科医ができることは、
 体表面のキズや形を治すことです。
 人の命を助ける‘医師’よりも、
 価値が低いような気がしています。
 私はもう救急医にも新生児科の医師にもなれません。
 自分の美容形成外科医としての職責を
 できるだけ誠実に果たしたいと考えています。

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医学講座

500㌘の赤ちゃん㊦

 平成20年2月27日、北海道新聞朝刊の記事です。
 500グラムの命みつめて
 高度新生児医療の現場から㊦
 危機乗り越え母の腕に
 知識集積し「23週後半」可能
      ■         ■
 赤ちゃんは母親を目で追い、
 「ウー、ウー」とおねだりするような声を上げた。
 母親は
 「抱いてほしいのね」
 と語りかけ、優しく両腕で包み込んだ。
      ■         ■
 妊娠24週の緊急帝王切開で誕生した女児。
 市立札幌病院総合周産期母子医療センター
 新生児集中治療室(NICU)では当時、
 522㌘と最小だったが、
 生後5ヵ月で体重3㌔、
 身長は二倍の50㎝に成長した。
 NICUの保育器を出て、ベツドに移った。
      ■         ■
 出生後、1000㌘未満の超低出生体重児に多い
 慢性肺疾患が3回悪化した。
 担当した平尾文音看護師は
 「慢性肺疾患の危機を三度も乗り越えた赤ちゃんは、初めて」
 と振り返った。
      ■         ■
 同センターでは今、
 妊娠23週後半で赤ちゃんを誕生させることが可能になった。
 「23週」は1990年まで人工妊娠中絶が許された期間。
 同センターの服部司・新生児科部長は
 「新生児医療は、かつて赤ちゃんが生存不能だった領域に踏み込んだ」
 と語る。
      ■         ■
 新生児医療は、
 超低出生体重児の未熟な肺の機能を補う薬
 「人工肺サーファクタント」の開発や、
 人工呼吸器など医療技術の発達で大きく進歩した。
 その過程で、NICUの新生児科医らが赤ちゃんと向き合い、
 新生児の生理と病態に関する知識を集積してきたことが、
 進歩を支えている。
      ■         ■
 同センターでは五人の新生児科医が、
 当直から連続36時間にも及ぶ厳しい勤務を、
 月数回こなす。
 看護師とともに、
 各種モニター装置を監視し、
 体温測定や輸液管理、
 たんを取り除くための気管内吸引などの仕事は、
 ほぼ一時間ごと。
 保育器の中で大半は自ら泣くことのできない、
 声なき赤ちゃんのサインを読み取る。
      ■         ■
 NICU加算が付いた赤ちゃんの医療費は
 一日8万5千円。
 乳幼児医療費助成制度があり、
 家族負担には直結しないが、
 社会的には大きなコストを強いる。
      ■         ■
 新生児科専門医となるにも
 医学部卒業後、8年間の研修が必要だ。
 障害が残る恐れのあるかもしれない赤ちゃんの発達を、
 退院後も見守る態勢も重要だ。
      ■         ■
 服部部長は
 「高度な周産期医療は公的支援がなければ立ちいかない。
 赤ちゃんを出生直後から治療するNICUのコストは、
 その後の疾病や障害に費やす社会的資源を抑制できると考えれば、高くはない。
 何より、社会の構成員として元気な赤ちゃんを送り出す意義は大きい」と話す。
      ■         ■
 市立札幌病院で約30年、
 新生児医療一筋に歩んだ服部部長は、
 NICUにいた子どもたちの力強い未来を確信する。
 「私が担当して、成人になった子は大勢いる。
 一方で障害がある子や身体や知能の発達が遅れる子もいるが、
 家族の愛情を受けて課題を克服し、
 自分なりの人生を歩んでいるのです」
      ■         ■
 522㌘で生まれた赤ちゃんは退院に向け、
 肺の発達を待っている。
 両親は娘に、
 人に優しく、
 そして希望を持って生きてほしいという願いを込めて
 「優希奈」
 という名前を付けた。
 母親は言う。
 「無事に生まれるかどうかさえ難しいと言われたのですから、
 心配するときりがありません。
 今はただ、生まれてくれて、ありがとう」と。
      ■         ■
 <メモ>
 1999年に中村肇・神戸大学医学部小児科教授(当時)らが、
 1990年出生の超低出生体重児の9歳児の全国調査を集計した。
 それによると、就学状況は
 普通学級が87%、
 障害児学級が4.3%、
 養護学級が5.6%、
 盲学校が3%。
 小学校入学時に60%の親が不安を持ったが、
 最終的に97%の親が
 「子は楽しく学校に通っている」
 と答えている。
      ■         ■


市立札幌病院のNICUで
初めて保育器を出て母に抱かれた
超低出生体重児の赤ちゃん
(伊丹恒撮影)
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■

 先日いらした患者様です。
 お母さんと、ご一緒にいらっしゃいました。
 紹介者の欄に○○と書いてありました。
 私:「ひょっとして、○○◎◎ちゃんのご紹介ですか…?」
 「覚えていらっしゃるのですか?」
 私:「えぇ……」
 「もう、短大生になりました。元気です。」
 私の姪になります。
 私:「あぁ……」
 「病棟が違うのに、よく往診にいらしていただいた。」
 と姉が申しておりました。
      ■         ■
 ◎◎ちゃんは、
 私が市立札幌病院で治療させていただいた赤ちゃんでした。
 もう短大生になったんだぁ!
 と感慨深いものがありました。
 ちょうど、その後で、北海道新聞にこの記事が連載されました。
      ■         ■
 毎日まいにち当直をして、36時間勤務の先生。
 服部先生も中島先生もとても素晴らしい方です。
 新生児科の専門医は、
 美容形成外科医より、ずっと立派に見えます。
 地味なお仕事ですが、
 たくさんの子供たちを救ってくれています。
      ■         ■
 北海道新聞に掲載された、優希奈ちゃん。
 酸素を投与するチューブが少し痛々しいです。
 私の友人や同僚の子供さんも、かつてこのような赤ちゃんでした。
 もう、立派に高校生や大学生になっています。
 赤ちゃんの顔の左側に見えているのが、
 お母さんがかぶった、NICU用の帽子です。
 最初は、
 手を洗って、
 帽子をかぶって、
 予防衣を着て、
 自分の赤ちゃんと対面します。
      ■         ■
 この記事を書いてくれた、
 北海道新聞社の山本哲朗さんという記者さんも、
 市立札幌病院新生児科の素晴らしさに驚かれたことと思います。
 妊娠・出産は、女性だけに神様が与えられた特権です。
 男は、どんなに偉そうにしていても、子供は生めません。
 赤ちゃんを産んで、育てるというのは大変なことです。
 普段から健康管理に気をつけて、
 元気な子供を生むことが一番大切です。
 もし万が一、母体や赤ちゃんに異常があった時に、
 最先端の医学で助けてもらえるシステムが、
 日本のどこに住んでいても、
 平等に受けられるといいのに…と思います。

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医学講座

500㌘の赤ちゃん㊥

 平成20年2月26日、北海道新聞朝刊の記事です。
 500グラムの命みつめて
 高度新生児医療の現場から㊥
 『横綱』
 呼吸維持に細心の配慮
 慢性肺疾患の進行抑制
      ■         ■
 市立札幌病院9階の、
 総合周産期母子医療センターの新生児集中治療室(NICU)。
 妊娠24週で生まれた女の子の体重「522㌘」は、
 その時入院していた赤ちゃん20人の中で一番小さかった。
 身長26㎝の体はコードに覆われ、
 顔の表情も人工呼吸器用チューブを固定する装具のため、
 よく見えない。
 人工呼吸器が規則的に酸素を送る音や、
 監視モニターのアラームが鳴り響く室内で、
 泣き声も上げずに静かに横たわる。
      ■         ■
 「横綱だね」。
 服部司(ハットリ サトシ)・同センター新生児科部長(59)は、
 慈しみ(イツクシミ)を込めてそう思った。
 最も手がかかるという意味。
 20台の保育器のうち、最もナースステーションに近い場所に寝かされた。
      ■         ■
 息を吸う時、肋骨が引き込まれる陥没呼吸が続く。
 乱れる呼吸は体力を奪う。
 体重は一日10㌘ずつ増えたかと思うと、反対に減る日もあった。
 超低出生体重児の赤ちゃんは、
 体温の喪失を防ぐため温度36度、
 湿度100%近い保育器で管理する。
      ■         ■
 さらに呼吸管理が課題だ。
 500㌘台の赤ちゃんは肺が成熟しておらず、
 人工呼吸器での管理が長くなるためだ。
 唇から身長の3分の1、
 7㎝も挿入したチューブは、
 赤ちゃんが動くと気管を傷つける恐れがある。
 痰(タン)も除去しなければならない。
 「口からの気管挿管が痛々しくて」。
 両親は、直視できなかった。
      ■         ■
 この赤ちゃんも超低出生体重児に多い
 「慢性肺疾患」を発症した。
 人工呼吸器で、
 肺に高濃度酸素が直接、
 しかも強く吹き付けられることで肺組織を傷つけ、
 線維化を進め肺の機能を損なってしまう。
      ■         ■
 この治療のため、
 主治医は特効薬「ステロイド」(副腎皮質ホルモン)を3回、投与した。
 ステロイドは線維化を抑制する劇的な効果があるが、
 成長を抑制、免疫力を落とすなど副作用も強い。
 両親には
 「もろ刃の剣。本当は使いたくない」
 と隠さず説明。
 そのつど承諾を得た。
      ■         ■
 自発呼吸できるようになった53日目、
 人工呼吸器が外された。
 体重は854㌘に。
 鼻から空気圧を送り呼吸を楽にする
 CPAP(シー・パップ)(持続気道陽圧呼吸)装置が付いた。
 のどに管を入れる人工呼吸器に比べ肺への負担が軽く、
 なにより慢性肺疾患の進行を抑えた。
      ■         ■
 生後3ヵ月、
 体重が1500㌘を超えたころを最後に、
 ステロイド投与の必要がなくなった。
 「これでヤマを越えた」。
 NICUにホッとした空気が流れた。
      ■         ■
 〈メモ〉
 市立札幌病院のNICUには、
 早産や出産後になんらかの異常が認められた赤ちゃんを含め、
 年間約300人が入院する。
 その中で、
 リスクの高い1000㌘未満の超低出生体重児は
 年間30人前後で、
 2007年は過去最高の37人。
 その「生存退院率」は
 2001年以降の平均で94.6%。
 全国で200ヵ所を超えるNICUでも、
 高い数字となっている。


 保育器、人工呼吸器や各種医療モニター装置が
ぎっしりと並ぶ市立札幌病院のNICU
(伊丹恒撮影)
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■

 私が、市立札幌病院に在職していた時に、
 担当させていただいたのは、
 主に体表面に何らかの異常がある新生児。
 最初は、
 正直なところ…、
 触るのも…、
 おっかなびっくりでした。
      ■         ■
 新生児室に入る前には、手術前のように入念に手洗い。
 予防衣を着用して、
 帽子を被りマスクをして入りました。
 保育器(確かコットと呼んでいました)の中に手を入れると…
 温かく、湿度もあって、ちょっと別世界でした。
      ■         ■
 ある日、生後間もない赤ちゃんを手術することになりました。
 生まれつきの病気で、すぐに手術をする必要がありました。
 保育器の中で手術はできないので、
 手術室一部屋を保育器と同じ環境にしました。
      ■         ■
 室温36℃。
 医師も看護師も全員汗だく。
 サウナの中の手術のようでした。
 昨日の日記に、
 産婦人科の先生が手術をしている写真がありました。
 右端の先生が、鉢巻をしています。
 ‘市OR’と書いてあります。
 市立札幌病院、Operating Roomの略です。
 鉢巻は、汗が額から落ちるのを防ぐためにします。
 とても懐かしく、見ていました。
      ■         ■
 産婦人科、新生児科、中央手術室、NICUと
 多くの設備、人的資源を必要とします。
 特に、NICUのナースは…
 内径2㎜の気管内チューブから、
 痰を吸引するというとても繊細な仕事を要求されます。
 汗まみれになって、手術を担当する先生。
 夜も寝ないで、手当をするNICU担当の先生、ナース。
 私は、母体や赤ちゃんに異常があれば、
 一番に市立札幌病院をおすすめします。

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医学講座

500㌘の赤ちゃん㊤

 平成20年2月25日(月)から、3日間にわたり、
 北海道新聞生活欄に
 「500㌘の命みつめて」という記事が連載されました。
 山本哲朗さんの署名記事です。
 私がかつて勤務した、市立札幌病院で取材されています。
 NICU(エヌ・アイシーユー)という、新生児の集中治療室のお話しです。
 私が20年前に実際に、新生児医療の現場を見た経験から、
 とても興味深く読ませていただきました。
 今日から、3日間にわたり、記事を引用して、日記に掲載します。
      ■         ■
 平成20年2月25日(月)北海道新聞朝刊の記事です。
 500グラムの命みつめて
 高度新生児医療の現場から㊤
 24時間懸命のリレー
 医師が連携 処置手早く
      ■         ■
 母、36歳、妊娠24週目。
 札幌市内の病院から
 市立札幌病院「総合周産期母子医療センター」に救急搬送された。
 重度の妊娠高血圧症候群と、
 胎盤が子宮口をふさぎ出血の恐れがある前置胎盤で、
 母子ともに生命が危ぶまれた。
 「帝王切開が、母子の命を救う唯一の道だ」。
      ■         ■
 診察した医師の決断は速かった。
 赤ちゃんは、体重が522㌘、
 身長は26㌢。
 執刀した産科医の片方の手のひらに載る女の子。
 だが、産声は響かなかった。
 ぐったりして、自発呼吸がない。
 早産の赤ちゃん特有の、
 鮮紅色で体内が薄く透けて見えるような皮膚が、
 酸素不足から暗紫色のチアノーゼ状態になり始めていた。
      ■         ■
 通常の出産は妊娠40週。
 24週の胎児は、仮に生まれても、育つことはできないといわれる。
 体の機能が不十分で細菌への抵抗力もない。
 最も問題なのは、肺が未成熟で自ら呼吸ができないことだった。
      ■         ■
 産科医は、へその緒を切った赤ちゃんを、
 待機していた新生児集中治療室(NICU)の新生児科医に託し、
 母体の治療を進めた。
 総合周産期母子医療センターは、
 産科の母体・胎児集中治療室(MFICU)と新生児科のNICUからなる。
 国の基準を満たす施設がセンターに指定され、
 危険なお産や赤ちゃんに問題が想定される妊婦を受け入れる。
      ■         ■
 道内では、市立札幌病院と釧路赤十字病院の二施設で、
 さらにもうーヵ所が指定の申請中だ。
 市立札幌病院の本来の受け入れ範囲は道央圏だが、
 稚内や帯広など各地から患者が集中し、
 6床あるMFICU、9床のNICUとも満床状態が続く。
      ■         ■
 産婦人科部長の晴山仁志理事(58)は言う。
 「危険度の高い妊娠や出産の処置は、
 産科医と新生児科医が24時間連携し、
 母体と胎児の管理、
 緊急帝王切開と新生児救命にあたることができる、
 当院のような施設でないと無理。
 MFICUとNICUの空きがある限り、
 受け入れるのが私たちの使命です」
      ■         ■
 産科医から赤ちゃんを託された新生児科医は、
 すぐに蘇生処置に取りかかった。
 鼻と目にマスクを当て、
 伸縮製のパッグを握って濃度100%の酸素を肺に送り込み、
 しぼんでいる肺を広げようとした。
      ■         ■
 30秒ほど酸素を送ると、
 人工呼吸器用チューブを気管に入れる。
 内径2㎜のチューブを、
 赤ちゃんの薄く小さな口から正確に7㌢、
 声門と気管分岐点との中間まで挿管する。
 「よし届いた」。
 新生児科医は安堵(アンド)のつぶやきを漏らす。
      ■         ■
 一連の処置はわずか5分。
 赤ちゃんは手術室に持ち込まれた移動式保育器に横たえられた。
 保育器は手術室のある4階から9階のNICUに向かった。
 体重500㌘未満の赤ちゃんはかつて、
 医学的に生存不能とされていた。
 新生児医療の現場では今、
 その生存不能の領域で、「命のリレー」を懸命に続けている。
 (山本哲朗が担当します)
      ■         ■
 〈メモ〉
 出生体重により、
 2500㌘未満を「低出生体重児」、
 1500㌘未満を「極低出生体重児」、
 医学的に最も危険な1000㌘未満を「超低出生体重児」と分ける。
 日本小児科学会が
 主要医療施設で調査した500㌘以上の超低出生体重児の死亡率は
 1980年の55.3%が、
 2000年には15.2%まで減少した。
      ■         ■
 医師不足、診療休止―。
 過疎化する医療現場の一方に、
 数百㌘の赤ちゃんの命を見守る先端の医療がある。
 道内に2ヵ所ある総合周産期母子医療センターの一つ市立札幌病院から、
 「500㌘」の命の誕生を報告する。
      ■         ■


 市立札幌病院の総合周産期母子医療センターで行われた帝王切開手術
 母体搬送などハイリスク妊婦の出産は、帝王切開となるケースが多い
 (伊丹恒撮影)
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■

 私の友人や、同僚の奥さんも、
 市立札幌病院で極低出生体重児を出産しました。
 子供たちは、全員大きく立派に育っています。
 ほんとうに、1000㌘もなかった赤ちゃんが、立派に育っています。
 もう成人式を迎えた子供もたくさんいます。
      ■         ■
 私が、市立札幌病院に勤務したのは、もう20年前です。
 その当時は、1000㌘未満の子供が助かると‘すごい’と言われていました。
 当時は新生児科という‘科’はなく、小児科の未熟児センターと呼ばれていました。
 5階の小児科病棟の一角にありました。
 私は、服部先生や中島先生に呼んでいただき。
 よく往診に出かけていました。
      ■         ■
 市立札幌病院の新生児科は、すごいところです。
 先生とスタッフの‘神業’ともいえる、
 まさに神の手で、
 助かりそうもない赤ちゃんを助けてくれます。
 私は、公立病院はこういうところにお金をかけるべきだと思います。
 あと2回、新生児科のNICUについてご紹介します。

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院長の休日

今日のわんこ

 私はあまりTVを見ません。
 TVを見る時間がなかったですし、
 今もゆっくりTVを見る時間はありません。
 楽しみにしている番組が、
 朝の‘めざましテレビ’に出てくる今日のわんこです。
 フジテレビ系列(北海道ではUHB)で、
 朝7:54頃から、 毎週月曜日~木曜日に放送されます。
      ■         ■
 日記に書こうと思って、Googleで検索して、
 昨日の放送分までのわんこがHPに載っているがわかりました。
 今日(2月27日)に放送されたのは、
 華子と大助という、2匹のコーギーで、
 みかん農家で飼われている、わんこでした。
 みかんの皮を上手にむいて食べていました。
 毎日、かわいいわんこを見て、癒されています。
      ■         ■
 愛犬のチェリーが天国へ旅立ったのが、
 昨年の6月18日でした。
 かわいい雌のシェルティでした。
 晩年は、あまり世話も散歩もさせてやらず、
 家内と私の父が、もっぱら面倒をみてくれていました。
      ■         ■
 15歳3ヵ月という、イヌとしては大往生の年齢でした。
 悪性リンパ腫ができましたが、
 苦しむこともなく、安らかに天国へ旅立ちました。
 今は、西区琴似の雪の下で眠っています。
      ■         ■
 幸い、家内も私もペットロスにもならず…
 次のイヌを飼うこともなく生活をしています。
 最近、たまにペットショップを覗いています。
 やはり、気になるのがシェルティです。
      ■         ■
 チェリーが小さい時に似ている…
 チェリーの眼に似ている…
 などなど、
 チェリーのことをよく想い出します。
 ペットショップでシェルティを見かけることは、
 あまり多くありません。
      ■         ■
 今のところ、次のイヌを飼う予定もないので、
 しばらくは、
 今日のわんこや
 よそのわんこ
 を見て、癒されようと思っています。


今日のわんこ
フジテレビより引用

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医学講座

口臭

 平成20年2月24日、朝日新聞日曜版beの記事です。
 元気のひけつ
 口臭
 舌のブラッシングで清潔に
 ある時、鏡の前で思い切り舌を出してみると、
 舌の中ほどから奥にかけて白っぽくなっていることに気づきました。
 普段から口臭がするのでは、
 と気になっているので鏡に口の中をよく映して見ます。
 白っぽいのは何?
 ひょっとしたらこれがー。
      ■         ■
 日本歯科大の八重垣健教授は
 「虫歯や歯周病のない健康な人で
 口がにおうのは、
 舌苔と呼ばれるものが大きな原因と考えられます」
 と言う。
      ■         ■
 舌苔は、
 はがれ落ちた口腔の粘膜の細胞や細菌が
 舌に付いてできる。
 鏡で見つけた白っぽいものがそうだという。
 読んで宇のごとく、
 舌の表面に苔のように張り付く。
      ■         ■
 舌は、
 糸状乳頭という、
 凹凸のある組織で覆われているので、
 細菌が引っかかりやすい。
 この舌苔が分解されると、
 硫黄化合物になる。
      ■         ■
 やっかいなのは、
 揮発性で、
 息と一緒に口から出て不快なにおいが
 人の鼻に届く。
 例えると、
 「夏場、生ゴミを腐らせちゃったにおい」
 と八重垣さん。
      ■         ■
 口臭は大なり小なり誰にでもある。
 人は普段からかいでいるにおいには慣れてしまうから、
 自身の口臭には気づきにくい。
 でも、自分の口からそんなにおいが出ていると思うと、
 ぞっとする。
      ■         ■
 ますます不安を募らせて、
 新潟大医歯学総合病院の口臭測定器で口臭を測ってもらった。
 ストローのようなものを口でくわえて約1分。
 硫化水素とメチルメルカプタンが検出された。
 ともに、
 においの原因となるが、
 「他人がにおいを感じるほどの量ではない」
 と言われてほっとした。
      ■         ■
 もっとも体調の変化でにおいの強さは変わる。
 朝起きた時に自分で口臭に気づくのは、
 睡眠中は唾液の量が減ってつばをのみ込む回数も減り、
 細菌が増えやすいから。
      ■         ■
 においの元になる舌苔を除去するにはどうしたらいいのだろうか。
 日本歯科大新潟病院の大森みさき准教授に聞いてみた。
 「舌専用ブラシを使ってブラッシングすることです」。
 舌専用ブラシは、
 最近ではドラッグストアなどでも手に入る。
      ■         ■
 「歯ブラシは毛が硬くて舌が傷つきやすい。
 また、毛の長さがあって舌の奥の方まで入れにくいので、
 やはり、舌専用ブラシがいいですね」
 鏡を見ながら舌を出し、
 舌苔が付着している部分にブラシを入れて、
 奥から手前へ引いてかき出す。
 これを数回繰り返すが、
 力を加え過ぎて舌の表面を傷つけないように注意する。
 こすりすぎて
 乳頭を傷つけることのないようにしなければいけない。
      ■         ■
 実は、よくかんで食べることも、
 口臭を予防することになる。
 食べ物が舌の上を通る時、
 舌苔を削り取るからだ。
      ■         ■
 新潟大学大学院医歯学総合研究科の宮崎秀夫教授は、
 介護を受ける高齢者の口の健康管理の必要性を説く。
 抵抗力が下がると、
 口で繁殖しだ菌が体内に入って肺炎などを引き起こす危険性があるからだ。
 「寝たきりの人にとって、
 おいしく食べて、
 周囲の人と会話することこそ大事なリハビリ。
 口臭が原因で会話が滞らないようにするには、
 介護者の協力が不可欠です」と強調する。(宮島祐美)
      ■  プラスα  ■
 「口臭外来」を受診する患者の中には、
 測定器で測っだ結果、
 におわないと判定されてもなお口臭に過敏になって
 「自分は口臭がある」
 と訴える人がいるという。
      ■         ■
 においをなくすのではなく、
 弱める意識で舌のブラッシングをすることが大切だ。
 においにまず気づくのは、
 日頃、最も近い距離にいる家族だ。
 「『お父さんの口、におうよ』
 と言える家庭環境こそ、口臭予防の第一歩です」
 と宮崎さん。
      ■         ■

 舌ブラッシングの注意点
 ①鏡を見ながら、前方に舌を出す
 ②吐き気を起こさないよう、ブラッシング時は息を止める
 ③舌を出した際、頂上の位置から ブラシを当てる
 ④ブラシを舌の奥に入れ、手前に 引いて舌苔をかき出す
 ⑤数回磨いたら、ブラシについた舌苔を洗い流す

      ■         ■
・硫化水素…温泉卵のようなにおい
・メチルメルカプタン…生ゴミのようなにおい
・ジメチルサルファイド…野菜の腐ったにおい

頂上部分からブラシをあてて手前にかき出す


(日本歯科大学新潟病院大森みさき准教授らの話に基づき作製)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■

 口臭で悩んでいる方は、ワキガ以上に多いのではないでしょうか?
 口臭と入力して検索すると、さまざまなページが出てきます。
 サプリメントや怪しげな薬まであります。
 口臭に一番関係があるのが、歯科です。
 歯周病や口腔内の疾患でも口臭の原因になります。
      ■         ■
 医科で関係が深いのが、耳鼻咽喉科。
 舌の病気や
 扁桃腺、
 中咽頭(チュウイントウ)という喉(ノド)の奥。
 ここにガンができることもあります。
 私は耳鼻咽喉科の先生と
 たくさんのガン患者さんの手術をしました。
 舌の奥に、
 見慣れないできものができて…
 痛くないので放置していたら、
 ガンだった…という方もたくさん診察しました。
      ■         ■
 唾液分泌が少なくなる病気もあります。
 シェーグレン症候群といいます。
 こうの内科の河野通史先生がご専門です。
 [札幌市中央区大通西24丁目1-10円山公園メディカルビル3F]
 [電話:011-631-1181]
 [元市立札幌病院リウマチ血液内科部長]
 唾液分泌が少なくなると…
 口腔内がカラカラになり、
 細菌が繁殖して臭います。
 交感神経の過緊張でも、
 唾液分泌が少なくなります。
 緊張していると臭いがする人は、これが原因と考えられます。
      ■         ■
 顔にガンができて
 放射線治療を受けると、唾液が出なくなります。
 とても辛い症状です。
 小さなペットボトルに水を入れて携帯し、
 常に、口を潤(ウルオ)していると症状がよくなります。
 ポカリスエットの200mlボトルがおすすめです。
 中味は水がよいと思います。
 口臭で悩んでいる方は、
 かかりつけの歯科、耳鼻咽喉科などでご相談なさってください。


ポカリスエット200mlボトル
小さいので携帯に便利です
大塚製薬HPより引用

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医学講座

HIV検査

 平成20年2月24日朝日新聞日曜版beからの引用です。
 HIV
 増える検査法、不安なら相談を
 昨年、国内のH工V(エイズウイルス)の感染者とエイズ患者が
 計1,448人と過去最高を記録した。
 1千人を超えたのは4年連続だ。
 感染者だけでも初めて1千人を突破し、
 献血で感染がわかった人も初めて3けたになった。
      ■         ■
 厚生労働省のエイズ動向委員会委員長の
 岩本愛吉東大医科学研究所教授は
 「新たな感染者は20~40代に広がり、
 なかでも40代は大幅に増えた。
 社会全体に拡大しないか監視が必要だ」
 と警告する。
      ■         ■
 保健所などで無料検査を受ける人は2007年に15万4千人と、
 5年前の2.5倍。
 土日や夜間に検査してもらえるようになったほか、
 採血から30分以内に結果が出る
 即日検査が受けられる保健所が増えたためだ。
      ■         ■
 2003年には全国で一ヵ所だった即日検査が、
 昨年は保健所全体のほぼ半数にあたる約220ヵ所が導入した。
 ほかにも、米国で認可された自己診断キットをネットで購入し、
 感染しているかどうかを自分で調べる人も増えている。
 ただ、厚労省研究班の調べでは、
 こうしたキットの約半数に、
 偽造品や有効期限切れなど何らかの問題があったという。
 注意が必要だ。
      ■         ■
 一方、どのような検査でも、
 本当は陰性なのに「陽性」という結果が出ることがある。
 偽陽性といい、
 1週間後に結果が出る一般的な検査では受検者の0.3%、
 即日検査では1%前後が
 陰性なのに誤って「陽性」と出てしまう。
 確定には、確認検査が必要になる。
      ■         ■
 妊婦の9割以上が受けているHIV検査でも、
 年間に数千人が最初の検査で「陽性」と出ている。
 このうち、本当に陽性なのは1割以下だ。
 偽陽性と判定された妊婦の不安は大きく、
 赤ちゃんに悪影響がないか気になる。
 厚労省も昨年、妊婦検診で、
 HIV検査への十分な説明と相談を行うよう都道府県などに通知した。
      ■         ■
 エイズは、早期に発見して適切な治療をすれば発症を抑えることができる。
 厚労省研究班班長で神奈川県衛生研究所の今井光信所長は
 「検査法の選択肢が広がり、
 自分にあった検査も選べる時代になった。
 少しでも不安があれば、積極的に検査をして」
 と呼びかけている。(石田勲)
      ■         ■
 HIV検査は、
 感染の危険がある行為の直後だと正しい結果が出ないことがある。
 感染していることを示す目印となる抗体が体内で十分にできるまで、
 1~3ヵ月ほどかかるからだ。
 この期間に検査しても、
 感染しているのに「陰性」となる可能性がある
 不安な行為があれば、3ヵ月以上たってから検査を受ける必要がある。
 どこで、どんな検査が受けられるのか、厚労省研究班のサイト(www.hivkensa.com)が便利だ。
 有料で夜間、即日検査ができる民間クリニックも多数、紹介されている。


 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 札幌美容形成外科では、
 二重埋没法やレーザー脱毛など以外の
 メスを使う手術では、全員にHIV検査をお願いしています。
 これは、私が勤務した、
 市立札幌病院、
 帯広厚生病院、
 札幌医大病院のすべてがエイズ拠点病院であり、
 そこで、院内感染対策委員を経験したからです。
      ■         ■
 私が今までに実施した、
 おそらく一万人近くの方は全員陰性でした。
 偽陽性もありませんでした。
 札幌美容形成外科では、
 BMLという一流の検査会社に検査をお願いしています。
      ■         ■
 HIV感染は急速に拡大しています。
 HIV感染リスクの高いことをしない。
 HIV感染リスクの高い人と仲良しにならない。
 もし、HIVに感染すると、
 自分自身だけではなく、自分の家族にも迷惑がかかります。
 僕が(私が)HIVになったのは、お母さんのせいだ!
 なんて子供に言われないように、
 くれぐれも、お気をつけ下さい。

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昔の記憶

国公立大学前期試験

 低気圧による悪天候のため、
 2月25日に予定されていた、国公立大学の前期試験が変更になりました。
 北大が25日の試験を26日に延期。
 札幌医大医学部は、開始時刻を午後1時からに変更しました。
      ■         ■
 一年間、準備してきた受験生の皆さんには、
 とんだ災難だったと思います。
 災い転じて福となすという言葉があります。
 午前中からの試験が午後からになった、
 札幌医大の受験生の方、
 まる一日延びた、北大の受験生の方は、
 もう一度、参考書を見なおす時間ができたと思ってください。
      ■         ■
 私が受験した、30年以上前は、
 3月3日のひな祭りの頃が、入学試験でした。
 2月・3月は悪天候で、交通機関が乱れます。
 私は大学受験(一浪したので2年間)では、
 天候が乱れた記憶がありませんが、
 函館ラサール高校を受験した時(昭和45年)には、
 悪天候だった記憶があります。
      ■         ■
 私の人生ではじめての受験は、札幌の北海道新聞社でありました。
 受験番号は1129番。
 合格電報が、合格の第一報でした。
 『ハエアルゴウカクヲシュクシ、マスマスベンガクヲイノル、ラサール』全文カタカナです。
 『栄えある合格を祝し、ますます勉学を祈る、ラサール』でした。
 当時は、大夕張という、夕張市のさらに山奥に住んでいました。
 札幌までは、路線バスで約2時間15分程度でした。
 前日に夕張を出て、札幌近郊に住んでいた、
 叔父の家に泊めてもらいました。
      ■         ■
 札幌へは、何回か模擬試験を受けに来ていました。
 それでも、試験当日は緊張したものでした。
 思えば、それから何回も試験を受けました。
 何回受けてもイヤなのが試験です。
      ■         ■
 一浪で受験した、札幌医大の試験日は緊張しました。
 現役で受けた受験生が制服で、
 浪人生は私服だったので、容易に区別できた時代でした。
 今は、制服がない高校が増えたので、
 こんなこともないと思います。
      ■         ■
 一年間、頑張ったのだから大丈夫と、
 自分に言い聞かせていました。
 それでも、数学の問題でとんでもない勘違いをしていて、
 最後に見直して、気づきました。
 もし、その問題を訂正していなければ、
 私は不合格でした。
 最後の最後まで油断しないでください。
      ■         ■
 受験技術が医療に役立つことはありません。
 数学も役に立ちません。
 ただ、何度も確認して慎重に対処するという‘技術’は、
 必ず、医療現場で役立ちます。
 医療はちょっとしたミスで重大事故になります。
 受験もちょっとしたミスで、一年間の努力が水の泡になります。
      ■         ■
 私が受験した時は、桑園予備校でした。
 その後は、札幌予備学院。
 昨年までは、河合塾札幌校。
 今年の受験会場は、
 札幌駅近くの秀英予備校札幌校です。
 河合塾札幌校が移転のためでしょうか?
 時代が変わって、受験会場が変わっても
 受験生の気持ちは一緒です。
 最後まで、気を引き締めて、
 ミスがないように頑張ってください。
 皆さんを応援しています♪

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