院長の休日

アカシアの花

 この道はいつか来た道
 ああ_そうだよ
 あかしやの花が咲いてる
 「この道」という歌の一節です。
 北原白秋がうたった、
 「この道」は札幌の道です。
      ■         ■
 札幌美容形成外科のある、
 札幌駅前通りにも、
 アカシアの並木がありました。
 残念なことに…
 地下歩道の建設工事で、
 大部分が移植されてしまいました。
      ■         ■
 でも…
 しぶとく生き残っている木がありました。
 昨日あたりから…
 通勤途中に、あまい香りがします。
 上を見上げてみると、
 アカシアの花が咲いていました。
 6月の札幌はとてもよい季節です。
 ‘よさこい’が終わり、
 今週末からは、札幌祭りといわれる、
 北海道神宮例大祭があります。
      ■         ■
 昔は、札幌祭りの時は、
 小学校も早く終わり、
 医院も休診のところがありました。
 今は、‘よさこい’が有名で、
 お祭りは影が薄いのですが、
 中島公園には出店が並びます。
 私は、このアカシアの咲く季節が好きです。
 緑がキレイな時期です。
      ■         ■
 北海道には梅雨がありません。
 さわやかな季節です。
 アカシアの花と、
 札幌駅前通りの写真を撮ってきました。
 航空運賃も安い時期です。
 さわやかカントリー北海道へいらしてください。
 お待ちしております。
      ■         ■
 


アカシアの花

 


札幌駅前通り
雪印パーラーのビルの3階が
札幌美容形成外科です
ビルの左側にある木が
アカシアの木です
下を通るとあまい香りがします

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院長の休日

生協の白石さん

 平成20年6月8日、朝日新聞朝刊の記事です。
 ブログ「生協の白石さん」に幕
 火付け役の学生就職で更新終了
 東京農工大(東京都小金井市、府中市)で3年前、
 学生からの質問に対するユニークな回答が話題になった
 「生協の白石さん」。
 新聞やテレビにも採り上げられ、
 学生とのやりとりをまとめた本
 「生協の白石さん」(講談社)は
 93万部のベストセラーになった。
 このブームの火付け役となったプログが、
 運営していた同大学生の卒業と同時に
 今春に終了した。
      ■         ■
 「生協の白石さん」とは
 東京農工大生協職員の白石昌則さん(38)。
 学生が生協への要望や質問を寄せる
 「ひとことカード」で、
 「問 愛は売っていないのですか…?
 答 どうやら、愛は非売品のようです。
 もし、どこかで販売していたとしたら、
 それは何かの罠かと思われます。
 くれぐれもご注意ください」
 など軽妙な回答が反響を呼んだ。
      ■         ■
 当時工学部2年生だっだ上条景介さん(23)が
 2005年、白石さんの了解を得てプログで回答を紹介し、
 多い日には10万件のアクセスを数える
 人気プログとなった。
 上条さんは生協に通って数日に1度の割で
 「ひとことカード」の回答を紹介していたが、
 この春大学を卒業、
 就職するため、
 3月末でプログの更新をやめた。
      ■         ■
 3年間で取り上げた回答は320件。
 最後のページには
 「いつもとても癒やされた」
 「上質の笑いを提供してくれてありがとう」
 「もう白石さんの律義なコメントが楽しめないのかと思うと、
 とっても悲しい」
 など約270件の書き込みが寄せられた。
      ■         ■
 4月からネット関連の会社に勤める上条さんは
 「さびしいけれど区切りは必要。
 学ぶことの多い3年間でした」
 と振り返る。
 白石さんは
 「外に発信してもらったことで、
 自分も視野が広がった。
 業務の一環として
 ひとことカードは今も書いております」。
 プログ(http://shiraishi.seesaa.net/)は
 閉鎖していないため閲覧はできる。
             (芳垣文子)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 北大生協にもひとことカードがあります。
 白石さんのようなカードはありませんが、
 北部店の食堂のカードには、
 生協も変わったものだ…
 と思わせる、的確なカードがありました。
 学生さんの要望に真摯に答えていました。
      ■         ■
 私も「白石さん」を読んでみました。
 さすがに面白い。
 また毎日が短いので読みやすい。
 参考にさせていただきます。
 一部を引用させていただきます。
 ひとことカード 2006年12月17日
 Q:なぜうちの生協の職員の方には
 美人の女性が多いのですか?(吉田さんラブ)
 A:(白石さん)ありがとうございます。
 当生協にて勤務する全ての女性にとっての
 励みとなりました。
 日頃クールなさすがの吉田も、
 口角が上がっておりました。
 何でも農工大生の皆さんは矯正視力の方々が多いとの事。
 眼力が確かであるという裏付けでもあり、
 喜ばしい限りです。
 このようなお褒めのお言葉が、
 美を保つことに不可欠だと思う次第です。(白石)

 管理人:
 女性は褒めれば褒めるほどキレイになる、
 そんなことを先日教えられ、
 早速仲の良い友人で実験し始めたのは、
 つい1週間前。
 ボキャブラリーが少ない私は、
 かける言葉がなくなり早くもダウンしかけています。
 しかし、
 できるのならこの機会に褒め上手な男になりたい、
 そんな下心丸出しの野望を持つ今日この頃です。
 そう、目標は石田純一。
 私の憧れの存在です。

      ■         ■
 めでたく社会人となられた、
 管理人の上条景介さんは、
 石田純一さんになれたでしょうか?
 この生協の白石さんも
 毎日真面目に仕事をしていらした方です。
 学生さんの、不躾な質問にも
 真摯(しんし)に回答していたので、
 後世に残る、本まで出版されました。
      ■         ■
 私は、お会いしたことはなく、
 本も買っていませんが、
 ブログを拝見しただけで
 その姿勢が伝わってきました。
 私の日記も、いつかどこかで、
 誰かのお役に立てるように…
 と思って、毎日書いています。
 今日も最後まで読んでいただき、
 ありがとうございました。

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院長の休日

「ありがとう」で変わる

 平成20年6月6日、朝日新聞夕刊の記事です。
 「ありがとう」で変わる
 語る人
 京セラ名誉会長 稲盛和夫さん
 心地よく、周囲も優しく、生活潤う
 勝つか負けるか。
 厳しい競争でぎりぎりの日常は、
 「ありがとう」という言葉で変えられると、
 京セラ名誉会長で僧侶の稲盛和夫さん(76)は言う。
 自分以外のすべてに感謝することで、
 挫折続きの人生が本当に一変したという。
 (織弁優佳)
      ■         ■
 ――苦しい時に「ありがとう」なんて言えるでしょうか。
 不平、不満が募る悪循環から抜け出す時が、
 一番大変です。
 空襲で丸焼けになった鹿児島から、
 私が京都に出てきたのは1955年。
 家は貧しい。
 受験はことごとく失敗。
 大学を出たら就職難。
 やっと入った会社はつぶれそう。
 これが不平を言わずにおれますか。
      ■         ■
 同期がみんな辞めて不満を言う相手もなくなり、
 仕方なく仕事に気持ちを向けた。
 エレクトロニクス用の絶縁材料の開発です。
 本気になると時間が惜しくなって研究室に泊まり込む。
 上司が様子を見に来る。
 良いデータが出れば、
 「よかったね」と声がかかる。
 いよいよ張り切る。
 こうして新しいファインセラミックス材料の合成に成功し、
 それがテレビのプラウン管部品に採用された。
 逆境のままでしたが、
 ここから「善の循環]が始まりました。
      ■         ■
 ――好調だと今度はおごりが出そうです。
 努力の結果だとうぬぼれたい時も、
 幸運には感謝できるでしょ?
 いい時も悪い時も、
 ウソでもいいから「ありがとう」と言ってみる。
 まず自分が心地よい。
 明るくなって周囲も優しくなり、
 生活にうるおいが満ちてくる。
 この快感は、
 欲望を満たした時とは違ってさわやか。
 これが心を磨くことなんです。
      ■         ■
 人生とは一生かけて心を磨くこと。
 だから死に旅立つ前に、
 宗教の本を読み、
 じっくり人間を勉強する静かな時間を持ちたかった。
 65歳でようやく、
 京都の寺で得度を果たす
 (仏門に入る)と、
 尊敬する老師に
 「あなたは社会に出て役立つことが仏の道」
 と言われた。
 それで経営の一線を退き、
 学術・文化を応援する財団の運営や、
 家庭に恵まれない子を支える施設づくりなどに
 力を入れています。
      ■         ■
 ――お金がないとできませんね。
 懸命の努力で京セラが成長し、
 私は「お金持ち」になりました。
 たまたま手にした財産は預かり物だと思うから、
 どんどん世の中に還元する。
 心も磨かれる。
 でも、少ない中から少し寄付しても同じことです。
      ■         ■
 ――日常に追われ、
 心を思う余裕がありません。
 私も現役時代は忙しく、
 重圧がかかる毎日でした。
 でも、
 会社が急速に発展していった40代半ばから、
 瞑想のまねごとをした。
 毎晩寝る前に深呼吸して声に出して
 「ありがとうありがとう……]と唱える。
 それだけで波だった心が静まりました。
      ■         ■
 若いころ、
 来る日も来る日もセラミックの材料を
 砕いて焼いて、
 一生このままうだつが上がらないのかと
 思い悩んだこともありました。
 でも、
 地味な仕事を積み上げるしかないと、
 今では分かる。
 こういう真理は、
 経験した者が若い人にこんこんと教えるしかない。
      ■         ■
 ――思いが伝わらない相手もいると感じてしまいます。
 研究が難航していた時、よそからきた上司と衝突しました。
 すると仲間7人が私と一緒に退社し、
 出資者を探し、
 「稲盛の技術を世に問う」と会社をつくってくれた。
 おりがたくて、懸命に頑張りました。
 これが京セラの始まりです。
 まだ20代の終わりでした。
      ■         ■
 「自分の夢」から「従業員の生活」に
 ところが創業3年目に、
 若い社員たちに将来の待遇を保証しろと要求された。
 全力を尽くすからついてきてくれとしか約束できない、
 と説くうちに
 「技術で勝負」という気負いが消え、
 「自分の夢より、従業員の生活を守るのが経営者だ」
 と思うようになった。
 思えば、それは利己から利他への転換でした。
 それからは社員に媚びなくなった。
 「お前らのためにこっちは頑張ってるのに、
 さぼるとは何事だ!」と言えるわけ。
      ■         ■
 ――「全力」を求めるのは、競争に勝つためですか。
 努力は「負けないため」ではなく「生きるため」。
 先日、道ばたの石垣で咲く小さな花を見つけ、
 わずかなすき間に根を生やした命のたくましさに
 胸を打たれました。
 自然界は必死でないと生き残れない。
 私は必死の努力で、
 不可能が可能になる瞬間を味わってきた。
 「強者に負けた」ようでも、
 「生きる努力が足りない」から敗者になる。
 敗れても人生が終わるわけじゃない。
 そこで気付くことがあれば、
 次は必死になり、
 生きていることを実感できます。
 (以上、朝日新聞から引用)

      ■         ■
 平成18年11月15日の日記、ニトリ寄附講座で、
 ニトリの似鳥昭雄社長が、
 社員や奥様に声を出して、
 「ありがとう」と言われると書きました。
 大物の社長さんは、
 しっかりと「ありがとう」と言えるのが条件のようです。
 確かに、いい言葉です。
 今日も、この新聞記事を手にして
 家内に言われました。
 『あんたは、私にありがとうと言わない!』
      ■         ■
 娘の件で、最近、またゴタゴタしています。
 家内と口論もあります。
 こうも言われます。
 『あんたは、病院ではいい顔ばかりしているけど…』
 『家では、何も言わない。』
 『機嫌が悪く、日記の中とは別人だ!』
 まあ、こう言われても仕方がないところもあります。
 とにかく、休みなく働いていて、
 娘のことでゴタゴタしているので疲れます。
      ■         ■
 手術をしている時は、
 それなりに緊張感があり、
 手術がうまくいって、
 「ありがとうございました」と言われると
 疲れも吹き飛びます。
 職員もテキパキ働いてくれるので、
 感謝して『ありがとう』と自然に言えます。
 開業してからは、自然と、お客様に
 『ありがとうございました。』
 『お気をつけてお帰りください。』
 と言えるようになりました。
      ■         ■
 昨日の日記に、娘のことを書いたら、
 たくさんのコメントをいただきました。
 さくらんぼさんをはじめ、
 ご心配いただき、
 本当にありがとうございます。
 私のガンコDNAが娘にも遺伝しているので、
 簡単には回復しそうにありません。
 こうして、日記に書くことで
 少しでも冷静に分析・判断をしてみたいと考えています。
 稲盛さんのように、 
 温和な顔になるには時間がかかりそうですが、
 生きる努力をしてみようと思います。


いなもり・かずお
1932年生まれ。
鹿児島大工学部卒。
京セラ名誉会長、
KDDI最高顧問、
稲盛財団理事長。
京セラ本社には、
仲間7人と創業した時に掲げた
「敬天愛人」の額が今も
=京都市、伊ケ崎忍撮影
(以上、朝日新聞より引用)

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未分類

子どもの教育

 平成20年6月7日、北海道新聞朝刊の記事です。
 札幌圏、親の懐苦しくて
 私大生仕送り年91万円
 2007年入学、2番目の低さ
 道私大助成推進協議会(札幌)は6月6日、
 2007年春に札幌圏の私立大に入学した
 学生の親の年収が平均で732万円、
 仕送り額は年91万6千円と、
 ここ10年では2006年に次ぎ
 二番目の低い水準になったと発表した。
      ■         ■
 同協議会は
 「親の経済状況の悪化で授業料滞納や中退が急増し、
 私大経営を直撃している」として、
 私大助成の増額を訴えている。
 調査は北海学園大や札幌学院大など
 同協議会を構成する5大学・4短大の
 入学者7,042人の親を対象に実施。
 1,083人から回答を得た。
 回収率は15%。
      ■         ■
 親の年収は1998年の833万円をピークに減少に転じ、
 2006年に最低の673万円を記録。
 仕送り額も1998年の年129万円から
 2006年に87万6千円まで落ち込んだ。
 同協議会は道内の不況に加え、
 少子化による「大学全入」時代の到来で
 低所得層からの進学が増えている影響とみている。
      ■         ■
 2007年は年収、仕送り額ともに
 増加したことについては
 「調査した昨夏の時点では
 景気回復局面にあった影響もある。
 長期的には減少傾向に
 歯止めがかかっていない」としている。
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 親にとって子どもの学資を出すのは大変です。
 私の親は、
 私と私の弟の学資を出すのに…
 父親は大夕張で単身赴任して寮生活。
 母親は、
 森永製菓のお菓子工場のパート(不況でリストラ)→
 生命保険の外交員→
 財形貯蓄の勧誘員という、
 仕事をしながら、生活費を稼いでくれました。
      ■         ■
 私の父親は、私と弟の教育のために
 16年間も夕張の炭鉱病院で一人暮らしで働いてくれました。
 父親とは、よく喧嘩をしましたが、
 子どもの教育のために、
 自分の生活を犠牲にして働いてくれたことに、
 感謝しています。
 米国では、
 大学生は自分の学費をローンで払うのが当たり前。
 そのローンを返済するのが大変と、
 NHKのビジネス英語会話で聞きました。
      ■         ■
 米国流に、成人しているのだから…
 自分の学資くらい、自分で稼ぐのが当たり前。
 という考えも正しいと思います。
 札幌美容形成外科で採用した多くの看護師さんは、
 奨学金をもらって、資格を取得していました。
 とても立派なことだと思います。
 そういう人は、お金のありがたみをよく知っています。
 無駄遣いもしません。
      ■         ■
 私は、自分の学資や教科書代は、
 親に出してもらいました。
 ですから、自分の子どもの教育費も私が払いました。
 医師といえども、教育費を払うのは大変です。
 特に、私立大学の授業料は高く、
 入学時だけで200万円近くかかりました。
 私は、学資を稼ぎ出すために、
 休みの日も当直をして働きました。
      ■         ■
 私の友人の医師も、
 子どものためにたくさんお金を使っています。
 子どもは気づいていないと思いますが、
 お金を稼ぐのは大変なことです。
 本間家では、
 私が命令して学校へ行かせたのではありません。
 子どもが学校へ行きたいと言ったので、
 少しでも社会の役に立つような人間になれるよう、
 援助したのです。
      ■         ■
 娘と言い合いなった時に、
 子どもの学資を出すのは親として当然。
 というようなことを言われました。
 娘は頭が悪かった上に、満足に勉強をしませんでした。
 志望校には到底合格できる学力がありませんでした。
 勉強ができなかったので、
 家庭教師の先生をお願いして、
 ようやく合格できたのが娘でした。
 高校では、奇跡の合格と言われたそうです。
      ■         ■
 成人したら何をしようと本人の自由だそうです。
 何をしても、本人の自己責任。
 ただ、
 成人した後も、
 学資や生活費を出したのは親の私です。
 少なくとも、
 学校へ行かせてもらったこと、
 資格を取得させてもらったこと、
 については感謝してもらって当然だと思います。
      ■         ■
 私は、曲がったことや間違ったことは大嫌いな人間です。
 たとえ実の娘でも許しません。
 家内は育て方を間違ったと言っています。
 私は今からでも、お金の大切さ、
 働いてお金を得ることの大変さを
 娘に知らしめる考えです。
 それが、信頼の絆を切られても、
 親としてしなければならないことだと固く信じています。
 親を怒らせたり、悲しませたりする娘は最低です。

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院長の休日

父親の姿

 平成20年6月4日(水)、ソノダバンドの報告です。
 まず、最初にお詫びです。
 葉加瀬太郎(はかせたろう)さん
 の雰囲気には似ていませんでした。
 似ていると言ったのは、家内です。
 実際のコンサートを聴いてみると、
 バイオリンのメンバーがいる意外は、
 葉加瀬太郎さんの雰囲気ではありませんでした。
 訂正してお詫びいたします。
      ■         ■
 会場のクラップスホールは、
 駐車場ビルの1階にありました。
 私は、このようなコンサートに行ったことはなく、
 若いミュージシャンが、
 どのような場で活躍しているのか知りませんでした。
 大学でいうと、少し広めの講義室という広さでした。
 Kitaraや北海道厚生年金会館といような、
 いわゆるコンサートホールではありませんでした。
      ■         ■
 イスは可動式。全部で100席くらいだったでしょうか?
 お客様は、私の家内やもう少し若いくらいの…
 女性客が大部分でした。
 つまり…
 牧瀬崇之くんのお母さんと同年代の女性。
 中学・高校が一緒だった、
 お母さん世代が、会場を盛り上げていました。
 自分の息子と同期だった、
 牧瀬くんが素敵になって…
 というお母さんたちが多い印象でした。
      ■         ■
 私の家内も間違いなく、その一人でした。
 牧瀬くんが一番素敵で…
 その次が、ギターの子とか言っていました。
 確かに、素敵な若者たちでした。
 私が、ソノダバンドを聴いた印象。
 東大生にも、いろんな人がいるなぁ~。
 全員、頭がよさそうだなぁ~。
 育ちもよさそうで、みんなスマートだなぁ~。
 音楽は?
 あまりよくわからなかったなぁ~。
 でした。
      ■         ■
 このコンサートを聴きに行って、
 一番印象に残ったのが、
 お父さんの牧瀬博先生でした。
 救急部でも、物静かで穏やかな先生です。
 ただ、いくら優しい性格でも、
 救命救急センターは病院の戦場のような部門です。
 生死を分ける、一分一秒の世界です。
 常に緊張して、
 毎日モニターのアラーム音が耳に残る場所がICUです。
 救命救急センターに配属されたナースは、
 モニターアラームの音の区別で、
 瞬時に何が起こったかを判断しなくてはなりません。
 夜、家に帰って就寝しても、
 ‘モニターの音が耳に残っている’
 という人も珍しくなく、
 うつになる人もいます。
      ■         ■
 その救命救急センター部長の、
 牧瀬博先生が、実に‘いい顔’をしていました。
 会場の最後部で、ビデオ撮影をしていました。
 息子の晴れ姿をじっと見守っていました。
 羨ましいほど、楽しそうでした。
 牧瀬先生は子どもさんが小学生の頃から、
 私よりずっと子煩悩でした。
 授業参観や学校行事には、よく出席なさっていました。
      ■         ■
 牧瀬崇之くんが、挨拶で言っていました。
 はじめての札幌公演で、
 親と親戚しか集まらないかと心配していました。
 こんなにも大勢の人にいらしていただき、
 本当にありがとうございます。
 お父さんの牧瀬先生も、
 日頃の仕事の時の厳しい顔とは別人でした。
 とても嬉しそうでした。
      ■         ■
 以前にも書いたように、
 私は実の娘に‘信頼の絆(キズナ)’を切られました。
 まだ切られたままです。
 回復の見通しはありません。
 ですから余計、
 牧瀬先生が羨ましく思えたのでしょう。
 また、コンサートでも聴きに行って、
 癒されたいと思っています。

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院長の休日

北大祭

 今日は休診日だったので、
 北大祭に行って来ました。
 6月5日(木)から8日(日)まで、
 札幌市北区の北海道大学構内で開催されています。
 北大病院で研修医をしていた頃は、
 北大祭といっても、
 ゆっくり参加する時間はありませんでした。
 今は、時間に余裕ができたのでしょうか?
 休診日にのんびりと北大を散策しながら、
 若い人のお祭りを楽しませていただきました。
      ■         ■
 北大祭HPによると…
 北大祭とは
 北海道大学全体で
 色々な各祭が合わさってできています♪
 今年の北大祭では、
 獣医学祭、
 楡陵祭(ゆりょうさい)、
 医学展、
 歯学祭、
 保健学科祭、
 理学祭、
 農学祭、
 インターナショナルフードフェスティバル、
 という合わせて8つものお祭りが
 大学の至る所でそれぞれ行われます。

      ■         ■
 こんなにたくさんのお祭りがあるとは知りませんでした。
 私は北大正門から入って、
 北大を南北に走るメインストリート沿いに
 模擬店を見ながら歩きました。
 毎年楽しみにしているのが、
 広島県人会がやっている、
 広島焼きの模擬店です。
      ■         ■
 今年は、メインストリートの北端にありました。
 広島焼きは、
 広島風お好み焼き。
 関西では、モダン焼きというそうです。
 Wikipediaによると、
 広島焼きとモダン焼きは違うと書いてありました。
 特徴は、焼きそばをはさんだお好み焼き。
 キャベツがたくさん入っていて美味しいです。
 毎年、行列ができる模擬店です。
 今日も10分以上は待って買いました。
 かなりボリュームがあり、400円です。
      ■         ■
 一生懸命作っていた学生さんに聞きました。
 広島県人会は、ふだんはあまり活動しておらず、
 この模擬店のために、全学から集まるそうです。
 全員、広島出身の学生さんです。
 家内と一つずつ買って食べました。
 お腹がいっぱいになりました。
 デパートの物産展では、
 400円では絶対に買えないと家内が言っていました。
      ■         ■
 広島焼きでお腹がいっぱいになったので、
 獣医学部の展示を見に行きました。
 愛犬のチェリーが一時お世話になった、
 動物病院がある、北大獣医学部です。
 動物のお医者さんという
 マンガのモデルになった場所です。
      ■         ■
 教室で、3年生の学生さんが説明をしてくれました。
 動物の骨格標本が展示してありました。
 同じ哺乳類でも、種によって違うものだと驚きました。
 イヌやヒツジの骨格がありました。
 人間の骨には慣れていますが、
 動物の骨を見ることはなく、勉強になりました。
 獣医さんは、爬虫類から牛などの大動物まで、
 すべてを勉強すると聞き、
 人間以上に大変だなぁ~と思いました。
      ■         ■


広島県人会の広島焼き
広島県出身の学生さんが作っています


毎年行列ができる人気の模擬店です


北大は緑豊かでキレイなキャンパスです
札幌へいらしたら、是非寄ってください

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医学講座

69歳女、結婚詐欺、40代と偽る

 平成20年6月4日、朝日新聞朝刊の記事です。
 69歳女、40代と偽り結婚詐欺
 100万円詐取容疑
      ■         ■
 結婚すると偽って100万円をだまし取ったとして、
 栃木県警真岡署は6月3日、
 茨城県桜川市西飯岡の
 農業深谷ハツエ容疑者(69)を詐欺の疑いで逮捕した。
 真岡署によると、
 深谷容疑者には約15年間連れ添った夫(67)がいたが、
 被害者の男性(49)に対しては、
 40代前半の独身を装っていたという。
      ■         ■
 調べでは、深谷容疑者は2007年1月上旬に
 栃木県内の結婚相談所を通じて知り合った
 同県真岡市の男性派遣社員に対し、
 結納を交わすなど結婚するそぶりを見せた上で、
 「義兄が金が必要になった。
 100万円ほど貸してほしい」
 などと言って借用書を作り、
 同年2月15日ごろに100万円をだまし取った疑い。
      ■         ■
 同署によると、
 深谷容疑者と男性は同年2月8日に
 結納を交わした直後から男性宅で同居を始めた。
 しかし、1カ月余りがたち、
 普段の生活ぶりを不審に思った男性が
 深谷容疑者が通う自動車教習所に問い合わせ、
 偽名を使っていたことが分かった。
 まもなく同居を解消したという。
 深谷容疑者が返金しないため、
 男性は今年3月、
 「偽名の女に金をだまし取られた」
 と同署に届け出ていた。
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 今朝、この新聞記事を見て驚いた方は多いと思います。
 美容外科をしていると、
 69歳でも40歳代に見える方はいらっしゃいます。
 この女詐欺師が
 美容外科手術を受けていたかどうかはわかりません。
 私の推測では、
 おそらく美容外科手術は受けていないと思います。
 フェイスリフトを受けるような方は、
 100万円程度の詐欺はしないと思います。
      ■         ■
 どうやったら、69歳が40歳代に見えるか?
 そのうちワイドショーで写真が出てくると思います。
 まず、顔以外の身体機能が正常であること。
 体重も、平均かそれ以下。
 メタボ体型では若く見られませんし、
 逆に、痩せすぎでもシワが目立ちます。
 糖尿病や高血圧もダメ。
 食事は意外と質素で、
 あまり食べない人という印象です。
      ■         ■
 あと、歯が健康で入れ歯ではない。
 口周囲の筋肉も衰えていないことです。
 歯の悪い方は、老けて見えます。
 視力も悪くないと思います。
 目の悪い方はよく目を細めて見るので、
 眉の周囲にシワがたくさんできます。
 また瞼に眼瞼下垂はないと思います。
      ■         ■
 いつも身ぎれいにしていて、
 化粧が上手な人のような気がします。
 職業が農業になっていましたが、
 農業はあまりしていなかったのでは?
 と思います。
 農業をなさっている方は、
 どうしても日焼けをしてしまい、
 日焼けが原因で、シミやシワになりやすくなります。
 もし農業を何十年もしていたのでしたら、
 日焼け止めや遮光はしっかりしていた筈です。
      ■         ■
 以上、書いたことをしっかり守っていれば、
 美容外科のお世話にならなくても、
 69歳でも40代に見えるようになれます。
 詐欺師の被害に遭われた男性は、
 本当にお気の毒だと思います。
 キレイになることはよいことですが、
 人を騙(ダマ)したり、欺(アザム)いてはいけません。
 そんなことをしていると、
 いつか天罰が下ります。
 ワイドショーでこの女詐欺師が出てきたら、
 私の推測と比較してみてください。

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院長の休日

ソノダバンド

 平成20年6月4日(水)午後7時から、
 札幌市中央区南4条西6丁目の
 クラップスホール(資生館小学校前駅)で、
 コンサートがあります。
 キーボード、バイオリン、チェロ、ギターなどの楽器演奏からなる、
 6人組・インストゥルメンタルバンド。
 ソノダバンド
 初夏にリリース予定のセカンドアルバム収録曲を中心に。
 入場料3,000円、高校生以下1,500円。
      ■         ■
 明日の夜、家内とこのコンサートに行く予定です。
 メンバーの牧瀬崇之さんが
 山の手小学校時代から、息子の同級生でした。
 牧瀬家は、お父さんもお母さんもお医者さん。
 お父さんの牧瀬博先生は、
 北大医学部56期で、
 私と同世代です。
 昔、医師になりたての頃に、
 北大病院の手術室で、ご一緒でした。
      ■         ■
 牧瀬先生は、麻酔科。
 私は形成外科。
 その後、市立札幌病院でもご一緒でした。
 牧瀬先生は、
 現在、市立札幌病院救命救急センター部長。
 怖そうな肩書きとは別人のように…
 温厚で物静かな先生です。
 先月、奥様とご一緒に…
 ポスターご持参でクリニックへいらしてくださいました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の玄関に貼ってあるポスターです。
 この、ソノダバンドは、
 メンバー全員が現役東大生。
 牧瀬崇之さんも、ストレートで東大に合格。
 家内と、牧瀬さんのお家はDNAが違うから…
 と話していたのが、つい数年前です。
      ■         ■
 先日の松本敏明先生のお嬢さんのコンサートも、
 明日の牧瀬先生の息子さんのコンサートも、
 あの小さかった、崇之(たかゆき)ちゃんが…
 大きくなってコンサートなんてすごいね。
 という、おじさんおばさん心理で聴きに行きます。
 もちろん、CDで聴いた音も超一流。
 私の好きな葉加瀬太郎(はかせたろう)さん
 の雰囲気に似ています。
 (似ていなかったらごめんなさい)
 もしお時間がある方は、
 是非コンサートにいらしてください。
      ■         ■
 どんな音楽か?はメンバーが次のように答えていました。
 「ジャンルは何ですか?」という質問には、
 僕自身でも答えられません(笑)。
 ロックもジャズもラテンもクラシックも、
 とにかく色んな要素の入ったサウンドなので。
 ただ、常にポップさを失わないように心がけています。
 難解なサウンドでは無くて、何気なく聴いてみて、
 「お、いいじゃん」って思ってもらえるような、
 そんな音楽を目指しています。
 そんなわけで最近は
 「このバンドはポップバンドです」
 と答えています。
 半分本気、半分冗談、です。

 明日の夜は、音楽で癒されてきます。


ソノダバンド
向かって左から三人目が牧瀬さん

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医療問題

キャンデラユーザーズミーティング

 昨日、平成20年6月1日(日)に、
 第9回キャンデラユーザーズミーティングに出席してきました。
 昨年の第8回の時(平成19年5月27日)は、
 ANAのシステム障害で一日ダイヤが乱れ、
 新千歳空港で2時間以上待たされました。
 今日は、1時間前に会場に到着し、
 ゆっくりと機器やビデオを見て待ちました。
      ■         ■
 このキャンデラ社は、真面目な会社です。
 参加する先生も、真面目な先生が多く、
 私に合っている会社だと思いました。
 今日の講演は、
 みやた形成外科・皮ふクリニック(東京、虎ノ門)の
 宮田成章先生からスタートしました。
 タイトルは、
 美容医療メーカー全盛期;
 それでも私がキャンデラを選択する理由。
 メーカーのやらせではなく、先生の本音でした。
      ■         ■
 医療機器メーカーにも、
 効果が定かではないのに、
 盛んに売り込む会社があります。
 データーそのものが捏造(ねつぞう)なんて…
 信じられないこともあるようです。
 私たちは、それを見極める目と
 情報網を持たなくてはなりません。
 1千万円以上もする高価な機器を購入したのに、
 さっぱり効果が無ければ倒産します。
      ■         ■
 今年は、私の友人である、
 名古屋のはせがわクリニック
 長谷川隆先生も講演されました。
 長谷川先生は、元名古屋大学形成外科講師。
 年齢も私と同年代です。
 私と同じ、2004年に開業されました。
 形成外科医で、マイクロサージャリーなど再建外科の名手です。
 北大形成外科で、一緒に仕事をしました。
 私の微小血管造影の手技も、
 長谷川先生に教えていただきました。
      ■         ■
 平成20年4月9日の日記にも書きました。
 形成外科学会で評判がよかったので
 長谷川先生が再度発表されました。
 昨日のユーザーズミーティングは、
 形成外科よりも、皮膚科などの先生が多いのが特徴です。
 形成外科医の数は少なかった印象でした。
 毎年参加していると、
 他科の先生とも顔なじみになれます。
      ■         ■
 皮膚科の先生とも親しくなりました。
 神戸で開業なさっていらっしゃる、
 まるぐち皮膚科医院
 丸口幸也先生ともこのミーティングで知り合いました。
 丸口先生は、
 灘中学、灘高校、
 京都大学医学部(昭和60年卒)、
 京都大学医学部大学院卒業。
 京都大学付属病院、
 国立京都病院、
 神戸市立中央市民病院
 を経てご開業。
      ■         ■
 PRSという米国形成外科学会誌に、
 素晴らしい論文を書かれていらしたので、
 お名前だけは存じていました。
 私など逆立ちしても入れない、
 灘高→京大医学部→京大学医学部大学院卒業
 という素晴らしい経歴です。
 ‘本物’の先生は、
 笑顔の優しい、とても親しみやすい先生です。
 神戸で皮膚科にかかるのでしたら、
 まるぐち皮膚科医院がおすすめです。
 このように、他科の先生と知り合えるのも、
 こうした研究会に出席する楽しみです。

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院長の休日

地雷除去機

 平成20年5月31日、朝日新聞、be on Saturdayの記事です。
 フロントランナー
 山梨日立建機社長
 雨宮 清(あめみや きよし)さん(61歳)
 アフリカの地雷根絶したい
      ■         ■
 山梨の町工場のオヤジが、世界の地雷と闘っている。
 経験ゼロから奮起一番、
 たたき上げの技で悪魔の兵器と渡り合う。
 反感にも、爆風にも、戦禍にもめげず、
 地雷除去機を手がけて15年。
 今度の舞台はアフリカだ。
      ■         ■
 -アンゴラに地雷除去機を持ち込みました。
 国家地雷除去院という政府機関があって、
 昨年夏に2台持ち込み、
 使い方を覚えてもらいました。
 世界で最も地雷に汚染された国で、
 国土の3分の1にあたる約42万平方㌔が地雷原。
 日本全土より広いんですよ。
 2001年に来日したドスサントス大統領に誘われ、
 内戦終結を待って訪ねました。
 電線を守るために地雷が道路に埋められ、
 往来が寸断されている。
 投票すら行けないという状況です。
      ■         ■
 -そもそも、なぜ除去機を作ったんですか。
 1994年、仕事のついでに足を延ばしたカンボジアで、
 幼女をおぶった老婆に出会いました。
 右ひざから先がなく松葉づえをつき、
 焼けただれだほおをスカーフで隠していた。
 地雷で家族はみな亡くなったそうです。
 「カンポジアを助けて」と訴えられ、
 耳から消えなくて。
      ■         ■
 -整備業だから、新機種の開発は初めてでした。
 1号機の完成に4年半ですよ。
 まず地雷の仕組みがわからない。
 カナダの軍人やNGO(非政府組織)など、
 いろいろな人から聞きました。
 初めはショベルカーを改造していましたが、
 いまは機体も含めてすべて作っています。
 採算は度外視。
 もう10億円は使ってるかな。
      ■         ■
 -既に他メーカー製の機械があったのでは?
 最初に見たのはカナダ製だったけど、
 オレも技術屋だからね、
 すぐ使えないとわかりました。
 カンボジアは低木が多く、
 地雷を掘る前に刈り取らなきやいけないが、
 パワー不足でカッターはもろい。
 現場で本当に役立つ機械を、
 と開発に踏み切りました。
      ■         ■
 -機械は壊れやすく狭い場所にも入れない、
 手作業が一番だと言う人もいます。
 世界80カ国以上に1億個を超える地雷が埋められています。
 手作業は危険だし、
 いつまでも終わりません。
 操縦席にいれば蚊を防げるから、
 マラリアにやられる危険も減る。
 機械の押しつけにならないよう、
 現地の人と同じテントに寝て、
 メシを食い、
 何が必要か聞いてきました。
 カンポジアは雨が多く地盤が軟らかいから
 機械が重いとはまっちやう。
 アフガニスタンは一見砂漠だけど、
 少し掘るとガチガチの岩盤。
 場所ごとに機械は開発し直します。
 メンテナンスにも力を注ぎ、
 欧米製の機械は半分は動かなくなってるけど、
 うちは1号機からすべて現役です。
      ■         ■
 -アンゴラの状況はいかがですか。
 30年近く続いた内戦が終わって間もないから、
 ほとんどの地雷が生きています。
 ワイヤで引っかける悪質な仕掛け地雷が多いですね。
 広々としていて大型の機械も比較的入りやすいんですが、
 岩がちで処理が難しい。
 まだ課題は山積みです。
 でも、手応えはあります。
 昨年夏に一カ月滞在したんですが、
 今後の担い手になる若者たちは明るくて勤勉だし、
 なにより母国を良くしようと一生懸命。
 自分の若い頃を思い出しました。
 アフリカは、これからですよ。
 文・神田大介、写真・山谷勉
      ■         ■
 ●プロフィル
 1947年、山梨県山梨市生まれ。
 中学を卒業後、東京の建設機械メーカーに就職。
 1970年に自動車修理業として独立した。
 その後、建機販売・整備へ業務を拡大。
 1997年に日立グループ入り。
 本社は同県南アルプス市。
 従業員67人、
 2006年度の売上高は17億3千万円。
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 世の中には、すごい人がいらっしゃるものです。
 私は、この雨宮さんに、
 ノーベル平和賞を差し上げたいと思いました。
 日立建機を見直しました。
 中学校しか出ていないというと失礼ですが、
 そこが、この雨宮さんのすごいところです。
      ■         ■
 私は、この社長さんのように、
 この道一筋、何十年という人を尊敬します。
 こういう立派な方たちが、
 今の日本を作ってきました。
 フリーターやニートの若者に、
 是非、見習っていただきたいです。
 私は地雷除去はできそうもないので、
 将来、時間ができたら、
 地雷でケガをした人を、
 治すお手伝いをしようと思いました。


カッターは1千度の爆風に耐え、
地雷を残らず爆発させる。
「わが子同然」の機体に寄り添う=山梨県南アルプス市


(写真は独立した当時、自宅で妻の里子さんと)
(以上、朝日新聞より引用)

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