昔の記憶
世界の大浦
何度も書いています。
私は1980年に札幌医大を卒業して、
北大病院の研修医になりました。
当時は卒後すぐに入局(にゅうきょく)といって、
自分が専攻する科に入りました。
私が選んだのが、
大浦武彦先生の形成外科です。
■ ■
何人かの先輩に相談して決めました。
私:形成外科に入ることにしました。
あぁ、大浦先生の…
世界の大浦と呼ばれている先生ですよ、
これからの学問です。
良いところに入られましたね、
がんばってください。
■ ■
こう言ってくださったのが、
北大医学部の高桑栄松(たかくわえいまつ)教授でした。
高桑先生は、
後に公明党から参議院議員なられました。
高桑先生は、
衛生学がご専門です。
医学部長も歴任されました。
■ ■
あとから気づいたことですが…
当時の大浦先生は、
北大医学部の中で、
基礎医学の先生からも信頼されていました。
医学部の偉い先生も、
形成外科はこれからの学問と、
サポートしてくださったのだと思います。
■ ■
大浦先生は、
よく国際学会へ出席されていました。
北大形成外科へは海外からも、
たくさんの先生がいらっしゃいました。
韓国や中国、
ブラジル、
フィリピン、
パプアニューギニア、
モンゴル、
たくさんの留学生が来ました。
■ ■
米国から研修にいらした先生もいました。
形成外科の医局は、
国際色豊かでした。
医局が一つの家庭のようであり、
先輩や後輩は、
兄弟でした。
良い環境だったと思います。
■ ■
昔の医局制度には、
問題もあったと思いますが、
私くらいの年代になると、
古き良き時代に感じます。
大浦武彦先生から教えていただいたのは、
形成外科の技術だけではなく、
世界中の人と仲良くし、
常に広く世界を見るという目です。
昔の記憶
医師2年目
結婚式の写真を見て思い出しました。
当時の私は医師2年目でした。
奥さんは、
短大卒業後4年間勤めて…
専業主婦になりました。
■ ■
卒後2年目の私は、
医師としては…
何もできませんでした。
救急搬送された患者さんを診ても…
ただおろおろするような…
ひよっこ医師でした。
■ ■
形成外科医とは名ばかりで、
大学病院の業務は、
検査の伝票を書いたり
(昔の検査オーダーは手書きでした)、
処方箋を書いたり
(処方箋も手書きでした)、
患者さんの写真を撮ったり
(これだけは自信がありました)、
医師とは関係のない業務でした。
■ ■
手術室では、
メスは持てませんから、
術野の消毒をしたり、
被布(おいふ)という布をかけたりするのが、
新米医師の仕事でした。
カンファレンスの資料を揃えたり、
患者さんのスライド整理も、
重要な仕事でした。
■ ■
上の先生が手術した患者さんの、
ガーゼ交換をしたり、
軟膏処置をしたりするのが、
新米形成外科医の仕事です。
最初から、
切ったり縫ったりはできません。
今から考えると、
こうした時間があってよかったと思います。
■ ■
先輩が手術をしても、
経過が良い患者さんばかりではありません。
困った時にどうする?
どう対処する?
…という…
教科書に書いていないことを、
身をもって体験できるのは、
こんな時しかありません。
■ ■
北大形成外科は、
大浦武彦先生を頂点として、
優秀な先輩がたくさんいらっしゃいました。
卒後2年目の私が得意だったことは、
やけどの患者さんの風呂入れでした。
熱傷浴室という日記に書いてあります。
若い女性の顔にメスをいれるなんて…
とても考えられませんでした。
院長の休日
彼の美点は100個以上
平成23年5月12日、朝日新聞朝刊、ひとときへの投稿です。
彼の美点は100個以上
「自分の良いところを百個見つけると自分に自信がつき、明るくなれる」と本に書いてあった。私の大切な人は自分に自信がないと言っていたので、自信を持ってもらうために、私が彼の良いところを探し始めた。
2ヵ月後。案外あっさりと百個見つかり、今では113個になった。一度に全部知らせてしまってはつまらないと思い、毎月一通のはがきに10~20ぐらいずつ書いて送りつけている。
この作業をしてみて、意外なことに気づいた。百個見つけた時の私のこの達成感は何なんだ、見つけた私に自信がついていると。
悪口というのはすぐに広まるものだ。人の悪いところを一つでも見つけてしまうと、離れてしまう人もいる。だが、百個見つけた私は、相当なことがない限り、彼を嫌いになることはないだろう。たとえ欠点が見つかっても、百個以上良いところを知っていることが、一つの欠点を打ち消すだろう。
春の日差しとレジャーシート。これに彼を加えるだけで、とても穏やかで幸せな空間になる。
欠点ではなく良いところを見つけること。この作業を私は心から勧める。
(茨城県小美玉市_井坂香織_保育士_25歳)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
今朝は久しぶりに、
楽しい投稿を見つけ、
おじさんは嬉しくなりました。
25歳の保育士さんの彼は、
きっと自信がついているでしょう。
若い人はいいなぁ~
最近の私の口ぐせです。
■ ■
私たちの年齢になると、
あちこち痛くなったり、
年齢を感じたり、
とても良いところ100個なんてありません。
悪いところなら、
いくつでも出てきそうです。
■ ■
30年前に結婚した頃は、
幸せいっぱいでしたが、
結婚30年にもなると…
お互いに良いところなんて見えず…
悪いところを見ないように…
努力している毎日です。
■ ■
今日はとても良い方法を、
若い保育士さんに教えていただいたので、
老体に鞭打って、
自分の良いところ
奥さんの良いところ
…を探してみようと思います。
ありがとうございました。
昔の記憶
大浦武彦先生のお誕生日
今日、5月11日は、
私の恩師であり、
私たちの仲人でもある、
大浦武彦先生のお誕生日です。
先生は1931年(昭和6年)生まれ。
今年で80歳です。
ほんとうにおめでとうございます。
■ ■
大浦先生は、
北海道大学形成外科の創始者です。
日本形成外科学会の重鎮です。
先生のすごいところは、
80歳になられても、
学会に出席され、
しっかり発言もなさいます。
■ ■
今でも、
世界中を飛び回って、
国際学会で発表され、
英文論文を書かれ、
著書まで出されています。
世界中さがしても、
80歳でこれだけ活躍なさっている形成外科医は、
他にいらっしゃいません。
■ ■
私は札幌医大の学生だった時に、
大浦先生の特別講義をお聴きし、
形成外科の素晴らしさを知りました。
最初は何もできず、
自分には無理か?
…と思ったこともありました。
今の自分があるのは、
大浦武彦先生のおかげです。
■ ■
大浦先生の奥様も素晴らしい方です。
大浦先生が大学院生だった頃、
デートの時間もなかったので
研究室で実験を手伝ってもらった
…とお聞きしたこともありました。
お料理が上手で、
お庭の手入れもプロ級の奥様です。
■ ■
私たち夫婦も、
今年で結婚して30年です。
何度も離婚の危機がありました。
平坦ではない人生です。
大浦先生ご夫妻を見習って、
これからも生きて行こうと思っています。
大浦先生、
いつまでもお元気でご活躍ください。
恥ずかしながら、30年前です
院長の休日
花の便り③
春が遅い札幌でも、
ようやく桜が満開になりました。
道庁横の歩道では、
芝桜のつぼみが、
ピンク色になっています。
スズランの芽が、
出てきています。
■ ■
山形のさくらんぼさんの果樹園では、
ラ・フランスと
無加温ハウスのさくらんぼの花が満開。
りんごは未だかつてないほど遅い開花で
昨年の猛暑の影響を受け
花数も 極端に少ない。
とコメントをいただきました。
■ ■
自然相手の職業は大変です。
でも、
果樹園には、
つくるよろこびがあります。
以前、
果物を送った先生から、
『本間、最高にうまかった』
『あんなにうまいのはじめて食べた』
…と絶賛していただきました。
■ ■
美味しいもの、
最高の果物をつくるのは、
ほんとうに大変ですが、
さくらんぼさんにしかできない、
素晴らしい技術です。
ご両親やご主人といっしょに、
今日も花摘みをなさって、
大きなりんごを作られるだと思います。
■ ■
真っ赤なさくらんぼの花が真っ白で、
白っぽい王林の花が赤いのは、
ちょっと不思議な感じがします。
山形からの、
花の便りをご紹介します。
さくらんぼ、2011年5月8日
王林、2011年5月9日
院長の休日
花の便り②
20年以上も前の患者さんから、
お花を送っていただきました。
本間先生、奥様、ごぶさたいたして居ります。
今朝、畑を見に行きましたら、
水仙がきれいに咲いて居りました。
めずらしい花ではないのですが、
お送りいたします。
花もちはしませんです。
一目ながめて下さいませ。
___かしこ
■ ■
私にとって、
水仙はめずらしい花です。
都心では、
なかなか目にすることがありません。
土地がいいのでしょうか?
花の色がとてもあざやかです。
さっそく飾らせていただきました。
■ ■
大きな手術をしたのはありませんが、
毎年、お便りをいただき、
お花まで送っていただき、
とても心豊かになります。
お元気でお過ごしのこと、
とてもうれしく思います。
■ ■
私は通勤途中にも、
花に目が行きます。
ごみの間に咲いたクロッカス。
手入れもされていないのに…
けなげに咲いているチューリップ。
そんな花でも、
十分に楽しめます。
■ ■
花は人の心を穏やかにし、
疲れをいやしてくれます。
北海道はこれから花の季節です。
疲れた日本人の心をいやすのに、
北海道の自然と花は、
とても効果的です。
さわやかな北海道へ、
是非いらしてください。
お待ちしております。
いただいた水仙です。4日目なのに元気です。
院長の休日
花の便り①
私は花好きです。
作るのも…
見るのも…
好きです。
最近は作れないので、
もっぱら見るほうです。
花好きの私にとって、
花の便りはうれしい知らせです。
■ ■
山形のさくらんぼさんからは、
毎年、果樹の花の写真を
送っていただきます。
いつか…
山形の果樹園に行きたいと思っています。
同期の阿部先生も、
米沢で活躍しています。
■ ■
私は果樹園のことは…
まったく知りませんでした。
美味しい果物を作るために…
こんなにも手がかかるとは…?
夢にも考えませんでした。
摘花といって、
花芽を摘む作業があって…
果物が大きくなることを知りました。
■ ■
私が知っている果物は、
秋に、
スーパーやデパートに並んでいる、
パック入りの果物です。
今では一年中リンゴを売っています。
さくらんぼさんにいただいてから、
りんごを食べると…
お腹の調子が良いことに気付きました。
■ ■
今では…
毎朝、必ずりんごを食べています。
An apple a day keeps the doctor away.
1日1個のリンゴで医者いらずは、
ほんとうだと思います。
あんなに好きだったイチゴより、
今はりんご好きになりました。
■ ■
果物作りは重労働です。
重いコンテナを持たなければならず、
畑は陽当たりの良い山です。
美味しい果物を…
作っていただきたいですが…
さくらんぼさんの腰も心配です。
お身体に気をつけて、
働いていただきたいです。
ラ・フランスの花
2011年4月28日の果樹園
院長の休日
鹿部リゾート
今回泊まったのは、
鹿部ロイヤルホテルというホテルです。
大和ハウス工業㈱系列のホテルです。
行ってみて…
びっくりしました。
私が知っている鹿部町ではなく、
リゾート地でした。
■ ■
昔の鹿部町は、
漁港のある町でした。
砂原(さわら)町も、
鹿部(しかべ)町も、
道南の漁港というイメージでした。
鹿部には、
間欠泉(かんけつせん)という、
時間毎に自噴する温泉がありました。
■ ■
函館に住んでいた時に、
家内と行ったことがありました。
家内は覚えていないようでした。
鹿部漁港で、
とれたての蟹を買って、
生きたまま函館まで持って帰り、
茹でて食べたことがありました。
■ ■
鹿部漁港の周辺は、
昔の面影がありました。
JR鹿部駅近くは別世界でした。
大和ハウス工業㈱が分譲した、
別荘地が広がっていました。
ホテルの方に伺うと、
‘別荘’としてではなく、
‘住宅’として永住される方が多いそうです。
■ ■
ホテルには、
立派なゴルフ場がありました。
別荘地には温泉も付いているそうです。
きれいな家が並んでいて、
花や野菜を育てている家庭がありました。
どの家も、
とても素敵に見えました。
■ ■
米国やオーストラリアには、
会社を退職した後に生活する、
‘Retirement Village’
‘退職者の村’とでもいう街があると、
以前のビジネス英語会話で聴いたことがありました。
そんな街を想像しました。
■ ■
ホテルの温泉は、
日本人ばかりでした。
親子連れや…
老夫婦にお孫さんも見かけました。
ツアーバスは一台だけ。
温泉の湯船も、
朝食のバイキング会場も静かでした。
■ ■
どの家庭も、
震災の恐怖や不安から、
いやしを求めて、
温泉に来ているようでした。
残念なことに、
桜は咲いていませんでしたが、
ホテルにはたくさんの桜の木がありました。
またいつか泊まってみたいと思いました。
院長の休日
砂原(さわら)の想い出
奥野商店の奥様、
突然おじゃまして申し訳ございませんでした。
行くことに決めたのが、
前日の5月3日でした。
天気がよくなさそうだし…
桜も咲いていなかったら…
…と迷っていました。
■ ■
GWだけあって、
函館市内の温泉はどこも満室でした。
最後の一室だけ空いていたのが、
鹿部ロイヤルホテルでした。
鹿部(しかべ)町は、
駒ヶ岳の近くにある、
漁業の街でした。
■ ■
私の幼なじみの、
小山正美先生のお父様が、
となり町の砂原(さわら)町で、
長い間、
国保病院の院長先生をなさっていらっしゃいました。
小山昌正(おやまよしまさ)先生。
もうお亡くなりになってしまいましたが、
北大医学部25期(昭和24年卒業)。
砂原町名誉町民です。
■ ■
私が小学生の頃に、
夏休みに一週間近く、
小山先生の家に遊びに行きました。
『けんちゃん、砂原に遊びにおいで』
『毎日、海に行けるよ』
『海まで歩いて行けるよ』
マーちゃんのおばさんが呼んでくださいました。
■ ■
私は母親と弟といっしょに、
マーちゃんの家に行きました。
毎日、
マーちゃん、
妹のはるみちゃん、
…といっしょに遊びました。
とても楽しい懐かしい想い出です。
■ ■
後から父親も来て、
小山昌正先生が、
車で函館まで案内してくださいました。
今から思うと、
お忙しいのに、
よく案内してくださっと感謝しています。
函館空港もはじめて見ました。
■ ■
一週間、
毎日見ていたのが、
駒ヶ岳でした。
砂原側から見るのを、
砂原岳と呼んでいました。
山は昔のままでしたが、
鹿部には立派なゴルフ場とホテルがありました。
■ ■
小山先生がいらした、
砂原の病院は閉鎖されていましたが、
別の場所に、
新しい病院ができていました。
道路も立派になり、
道の駅もありました。
50年前を想い出して、
楽しい一日となりました。
駒ヶ岳です
院長の休日
函館の桜2011
GWの休みを利用して、
函館の桜を見に行ってきました。
2009年5月に行ってから、
2年ぶりです。
札幌の桜が咲きはじめたので、
函館も咲いていると思ったら…
ちょっと早かったようです。
■ ■
今年は、
桜ヶ丘通りという、
住宅地にある、
桜並木を見ました。
道の両側に、
桜が植えられています。
ちょうどアーチのようになります。
■ ■
住民の方が、
丹精して育てられたのでしょう。
観光コースになって、
迷惑かなぁ…?
…と思いながら、
迷惑をかけないように…
見てきました。
■ ■
函館では、
中島廉売(なかじまれんばい)という、
商店街にある、
奥野商店にもおじゃましました。
奥野商店では、
ご主人が鮭を切ってくだいました。
■ ■
奥野商店の奥様と、
函館の病院で働いたことがあります。
お店が火災で焼けてしまい、
その後、近くで再開されました。
いつか行ってみたいと思っていました。
ご主人の包丁さばきは、
さすがプロでした。
さっそく帰って来ていただきました。
スーパーで売っているのとはまったく違う
とっても美味しい鮭でした。
ご主人と奥様、ありがとうございました。
桜ヶ丘通り
奥野商店
函館市中島町26−16
0138-51-7352