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裁判所というところ

 私の父は、
 私が子どもの頃に、
 自分の叔父と裁判をしていました。
 土地の取得をめぐっての裁判でした。
 父親は薬剤師ですが、
 法律を知らないばかりに、
 土地をだまし取られたと…
 私が小学1年生の頃に、
 NHKの大学講座で、
 法律を勉強していました。
      ■         ■
 その父親の影響か?
 私は社会科の中では、
 政治経済が好きでした。
 地理、
 日本史、
 世界史、
 はまったくダメでしたが、
 政治経済だけは、
 札幌西高校でも、
 10段階評価の10でした。
      ■         ■
 私は理系クラスでしたが、
 10段階評価で10を取ったのは、
 現代国語と政治経済だけでした。
 英語、
 数学、
 化学、
 生物、
 医学部の受験に必要な科目は…
 残念ながら10は取れませんでした。
 政治経済の担当は平野先生でした。
 物静かで温厚な先生でした。
 東大をご卒業と噂されていました。
      ■         ■
 政治経済が好きだった私でも、
 裁判所のことは知りませんでした。
 裁判が公開の法廷で行われることも、
 何となく知っていましたが、
 実際に行ったことはありませんでした。
 一民間人としては、
 できれば裁判所には行きたくないものです。
 昨年10月8日に、
 弁護士の高橋智先生の日記で教えていただき、
 はじめて医療裁判の傍聴に行きました。
      ■         ■
 裁判所というところは、
 実際に行ってみると、
 案外入りやすいところでした。
 事務的に、
 裁判を処理しているという印象でした。
 法廷は静かなところです。
 傍聴人は、
 椅子に座って黙って聞いています。
 甲(こう)とか
 乙(おつ)とか
 丙(へい)というような、
 あまり聞き慣れない日本語が出てきます。
      ■         ■
 裁判員制度ができて、
 裁判所も一般人を意識しています。
 ただ、
 携帯電話の写メは駄目だそうです。
 法廷内はもちろん、
 携帯は駄目だと思っていました。
 私が注意を受けたのは、
 一階の掲示板のところでした。
 裁判の予定表が、
 大学の学生用掲示板のように、
 紙にプリントされて貼ってありました。
      ■         ■
 法廷を間違えないように…
 写メに撮ろうとして注意されました。
 掲示板にコピーが貼ってあるので、
 部屋番号を忘れないように…
 撮っただけでしたが、
 裁判所内ではカメラは禁止と、
 衛視(ガードマンのような人)に言われました。
 よく見ると
 入口近くに撮影禁止と
 注意が書いてありました。
 荻野先生の傍聴に、
 たくさんの方が行っていただけると幸いです。
 7月28日13:10より山形地裁です

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医療問題

荻野先生の第7回公判

 山形大学の
 荻野先生を支援する会、
 世話人代表 渡邉誠一先生から、
 メールが来ました。
 第7回公判に多数の傍聴を!
 荻野先生を支援する会
 世話人代表 渡邉誠一
 荻野教授に対する懲戒処分無効を求める裁判もいよいよ山場を迎えました。
 来る7月28日の午後1時10分より山形地裁において第7回目の公判が開かれます。今までは、原告・被告相互の陳述書の交換で淡々と進みましたが、今回は、いよいよ裁判の争点についての証人尋問が行われます。
 証人として、事故処理等に関する規則を制定した医学部教授及び手術を担当した医師、そして荻野先生が申請した荻野先生本人及び手術担当医(大学側が申請した医師と同一人)、計3人が予定されています。時間は一人当たり40分、計2時間余が予定されています。
 基本的には、既に提出した陳述書についての事実確認についての尋問が中心になると口頭による陳述は、裁判官の心証に少なからず影響を与えると思われますので、荻野先生が心静か気を楽にしてに証言できるよう、多数の方の応援の傍聴よろしくお願いします。
       ■         ■
 私がさくらんぼさんと知り合うきっかけとなった事件です。
 この事件については、
 昨年6月に
 シリーズで取り上げています。
 山形大学の事件①
 山形大学の事件②
 山形大学の事件③
 山形大学の事件④
 山形大学の事件⑤
 山形大学の事件⑥
      ■         ■
 事件の概要は次の通りです。
 2005年5月一人の女性患者さんが、
 下肢の手術のために、
 山形大学病院の皮膚科に入院しました。
 主治医は皮膚科の先生です。
 手術を引き受けて、
 入院の指示をした皮膚科には、
 形成外科専門医はいませんでした。
 もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
 経緯はわかりませんが、
 整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
      ■         ■
 手術の結果が思わしくなく、
 結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は推測します。
 その事実については、一人の形成外科医師として、
 患者様に本当に申し訳なく思います。
 皮膚科に入院していた患者様は、
 2005年8月山形県外の病院に転院。
 2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
 2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
 事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
 初めて明るみに出ました。
      ■         ■
 2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
 荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
 2007年11月山形大学教育研究評議会が
 荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
 この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
 それは手術を執刀した形成外科専門医が
 整形外科の所属だったからです。
 荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
      ■         ■
 昨年の日記には書きませんでしたが、
 事故が起こった際の治療費は、
 病院会計の【皮膚科】の、
 入院治療費として患者さんに請求されています。
 つまり、
 治療を行った主体は、
 【皮膚科】です。
 【整形外科】の荻野教授は、
 皮膚科の患者さんの手術や処置を知る立場にありません。
      ■         ■
 事故の当事者である、
 患者さんにはほんとうに申し訳なく思います。
 事故原因は、
 山形大学が、
 形成外科という診療科を作らなかったことにあります。
 処分されるべきは、
 医学部長であり、
 附属病院長です。
 私は公判へは行けませんが、
 一人でも多くの方に関心をもっていただきたいです。 
 皮膚科医として、
 形成外科診療を担当した私の正直な気持ちです。

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昔の記憶

記憶力と昔のこと

 さくらんぼさんに褒めていただきましたが、
 年齢とともに記憶力は悪くなっています。
 不思議なことに…
 昔のことはよく覚えていますが…
 人の名前とか…
 病院の名前とか…
 顔は思い出せるのに…
 名前が出てくるまで、
 時間がかかることが多くなりました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の職員には、
 あれでわかってもらえるので、
 感謝しています。
 仕事をする上での…
 ミスやトラブルはありませんが、
 記憶力が悪くなったと思います。
 50歳を過ぎてから…
 医師国家試験に合格した方がいらっしゃいます。
 私には絶対にできないことです。
      ■         ■
 私の経験では…
 記憶力が一番よかったのは、
 予備校の頃だったと思います。
 人生で一番勉強をした頃です。
 医師国家試験の前も、
 必死で勉強しましたが、
 予備校の時の方が…
 記憶力がよかったと思います。
      ■         ■
 講義の中で…
 一番記憶に残っているのが、
 予備校の矢野先生の講義です。
 先生の声まで覚えています。
 私が医師になれたのは、
 矢野先生のおかげだと…
 今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
 自分が講義や講演をする時には、
 少しでも…
 矢野先生に近づきたいと思ってしています。
      ■         ■
 私は医師としては、
 残り10年…というような、
 中高年の部類に入っています。
 今年で55歳になるので、
 昔だったら定年退職の時期です。
 今は、
 自分ができることを精一杯して、
 少しでも人様のお役に立てればと…
 考えています。
      ■         ■
 記憶力は悪くなりましたが、
 昔のことはよく覚えており…
 経験に基づいた判断には、
 若い人に負けない自信があります。
 同じことを30年もしていると、
 さまざまな困難にぶち当たります。
 その困難をどう乗り切ったか?
 先輩はこんなことをしていた…
 同僚や後輩はこんなことで躓(つまづ)いた…
 などなど
 中高年の医師でなければわからないこともあります。
      ■         ■
 私は、
 あと10年くらいの間…
 無理をせずに…
 自分のペースで、
 得意な手術をして…
 人様のお役に立てればいいなぁ~
 と思っています。
 記憶力は落ちても、
 まだまだ役に立つところはあります。

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昔の記憶

小さい頃の私

 恥ずかしながら…
 小さい頃の私です。
 昨日は、
 でべその私を紹介しましたが、
 この写真は、
 叔父(母の弟)と写っている写真です。
 母は5人兄弟の2番目です。
 母以外は全員男です。
 父親(私の祖父)が40歳代で亡くなったため…
 お父さんが生きていたら…
 というのが母の口癖でした。
      ■         ■
 30歳代で未亡人となり、
 5人の子どもを育てた、
 私の祖母(太田キヨ:平成10年に死亡)は、
 ほんとうにすごい人だったと、
 自分が50歳を過ぎてから思います。
 和裁で収入を得て、
 一人で子どもを5人も育てました。
 どうやって暮らしていたのだろう…?
 と今になって思います。
      ■         ■
 私の母は、
 お父さんが生きていたら…
 (自分も上の学校(大学)へ行けたかも…)
 (もっと苦労しなくてもよかったかも…)
 というようなことをよく言っていました。
 子ども心に覚えています。
 それと反対に、
 祖母からは、
 (夫が生きていたら…)
 というようなことは聞いたことがありませんでした。
 明るい人で、
 いつも笑い声が聞こえていました。
      ■         ■
 晩年は特別養護老人ホームでお世話になりましたが、
 施設でも、職員の方に、
 太田さん、おおたさんと、
 とても可愛がっていただだきました。
 一度は、職員の方が、
 祖母のために回転寿しに連れて行ってくださいました。
 施設の車に、
 車椅子を積んで、
 祖母が好きだったお鮨を食べさせてあげたいと、
 わざわざ行ってくださいました。
      ■         ■
 下の写真は、
 昭和30年5月、
 私が8ヵ月の時です。
 母の弟(太田雄造といいます)は、
 まだ20代だったと思います。
 私は、
 この雄造おじさんに、
 とても可愛がってもらいました。
 私が乗りもの好きなのは、
 この叔父さんに…
 小さい時から、
 オートバイや車に乗せてもらったためです。
      ■         ■
 私は長男で、
 初孫だったので、
 小さい頃の写真がたくさんあります。
 おじさんになって気恥ずかしいですが、
 私にも可愛い時代があったようです。


8ヶ月の頃
けんちゃんです

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昔の記憶

でべそ【臍ヘルニア】

 私は赤ちゃんの時に、
 一時期、でべそになったらしいです。
 赤ちゃんの頃のアルバムに、
 そのでべその写真がありました。
 子ども心に…
 少年けんちゃんは…
 そのでべその写真を見るのがイヤでした。
      ■         ■
 両親は出てきた臍を、
 懸命に治したのでしょう…
 記録の一つとして撮っておいたと思います。
 今だから… 
 こうして公開しても、
 恥ずかしくも何ともありませんが、
 少年けんちゃんだった頃は、
 この写真を捨てたいと思っていました。
      ■         ■
 赤ちゃんのでべそを、
 医学的には、
 臍(さい)ヘルニアといいます。
 多くは私のように…
 手術をしなくても治ります。
 今の私の臍は…
 ふつうです。
 何の異常もありません。
 ですから…
 特に心配することがないのが、
 赤ちゃんのでべそです。
      ■         ■
 ところが…
 形が悪くなるでべそがあります。
 小児科や
 小児外科の先生は
 これは問題ないので…
 手術の必要はありませんょ
 というでべそでも、
 幼稚園のお泊り会やプールで
 おへそを出すのが…
 絶対にイヤという子どもさんがいます。
      ■         ■
 幼稚園児といえど…
 傷ついて親にも話さない子もいます。
 おへそのちょっとした、
 出っ張りをでべそと言われて、
 はじめて気付く子もいます。
 大人になっても、
 ビキニの水着は着れずに…
 ボディピアスで
 でべそを隠そうとする女性もいます。
      ■         ■
 あるチェーン店の美容外科のHPには、
 でべそは簡単に治ると書いてあります。
 確かに、
 出っ張っているところを切除するだけで、
 簡単に治るでべそもあります。
 ところが…
 簡単には治らないでべそもたくさんあります。
 特に難しいのが、
 臍が無い状態から、
 深い臍を作る技術です。
      ■         ■
 小児外科の専門家ですら…
 難しいことがあります。
 深い、
 形の良い臍を作るには、
 皮弁(ひべん)という技術が必要になります。
 形成外科専門医でも、
 経験が豊富で、
 技術力がある先生でなければできません。
 深い臍を維持するためには、
 手術後のケアーが必要になります。
      ■         ■
 見えない場所にある臍(へそ)ですが、
 見えないところで…
 人知れず悩んでいる方は…
 意外と多いものです。
 でべそで困ったら、
 形成外科医に相談してください。
 多くは健康保険で手術ができます。
 でべそで悩んだことがある、
 おじさん先生からのアドバイスです。


生後3ヵ月頃の私です

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院長の休日

インターネットの普及

 私が平成7年(1995年)1月に、
 札幌から帯広へ赴任する時、
 一番、心配だったのが、
 いろいろな情報が少なくなるのでは…?
 情報から取り残されるのでは…?
 ということでした。
 でも、それは杞憂(きゆう:無用な心配)でした。
      ■         ■
 当時から私は、
 PCやネットには関心が深く、
 帯広厚生病院に勤務していた、
 平成8年(1996年)に、
 形成外科の外来で、
 Macに電話回線をつないで、
 院内ではじめてインターネットをはじめました。
 その頃は、
 LANの配線もなく、
 電話のモデムでした。
      ■         ■
 北大図書館のデーターベースにアクセスし、
 医学文献検索ができる?
 という北大の先生の情報から、
 ネット検索をはじめました。
 結局、北大へはつながらず…
 PubMedという米国のサイトを利用しました。
      ■         ■
 平成8年は、
 インターネットは普及していませんでした。
 家庭の大部分は…
 アナログ回線。
 電話機もダイアル式でした。
 プッシュホンという電話がありましたが
 基本料金が少し高かったので、
 ボタン型電話機でも、
 ツツツツ…という発信音が出るのが大部分でした。
      ■         ■
 その頃、
 NTTが盛んに宣伝していたのが、
 ISDN回線でした。
 64ロクヨン128イチニッパ、
 という回線速度を‘売り’にしていました。
 BUGという会社が発売したMN128という機器は、
 すごい人気で、
 納品待ちに数ヵ月もかかりました。
 私は自宅にISDN回線を引き、
 Macでインターネットをはじめました。
      ■         ■
 このインターネットのおかげで、
 世界の最先端のレーザー脱毛機器や、
 最新の医療情報、
 さまざまな情報を帯広で入手できました。
 その頃に、
 PHSや携帯電話をはじめました。
 携帯でTVが見れたり、
 検索がここまでできるようになるとは、
 さすがの私でも予想していませんでした。
      ■         ■
 札幌へ戻ってからは…
 光ファイバーを自宅へ引くのも、
 近所では一番早かったと思います。
 インターネットのおかげで、
 札幌にいながら…
 山形のさくらんぼさんとも知り合うことができました。
 ニューヨークからの相談電話には、
 さすがに参りましたが…
 遠くからも、
 私の日記をご覧になって、
 ご相談を受けることがあります。
      ■         ■
 返信はできる限り…
 真摯(しんし)に書くように心がけています。
 メールで困るのが…
 届いたかどうかの確認です。
 相談フォームからメールをいただいた場合は、
 セキュリティも確保されていますし、
 必ず自動返信メールが届きます。
 たまにドメイン規制によるエラーがあります。
 自動返信メールが届かない時は…
 メルアドやドメイン規制をご確認ください。

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院長の休日

北大生協の牛とろ丼

 今日は休診日だったので、
 北大生協の食堂へお昼を食べに行きました。
 日曜・祝日は、
 理学部と工学部の間にある、
 中央食堂が営業しています。
 私は、
 北海道の大学生協オリジナルの
 牛とろ丼を食べました。
 Mサイズで450円と、
 生協メニューの中ではちょっと高いです。
      ■         ■
 実は…
 この牛とろは、
 十勝の清水町にある、
 斉藤さんという方が育てた牛です。
 私は3年間帯広に住んでいました。
 十勝は農業王国で、
 美味しいものがたくさんあります。
 帯広に住んでいた時には、
 この斉藤さんの牧場を知りませんでした。
      ■         ■
 牛とろは、
 お鮨のネギトロとは違います。
 冷凍された牛とろのフレークが、
 海苔をのせた、
 熱いごはんにふりかけられて出てきます。
 上にネギがかかっています。
 最初はちょっと凍っています。
 すぐに、ごはんの熱で溶けます。
 そのフレークをご飯と混ぜて食べます。
      ■         ■
 ふつうの牛肉とは違います。
 バターが溶けるように…
 スーッと溶けます。
 大学生協のHPによると、
 脂肪酸組成が一般流通の牛肉と全然違います。
 コレステロールは半分、
 良質の脂肪の目安となる不飽和脂肪酸が多く、
 脂肪の融点が低いので柔らかい。
 だから体に優しくて美味しい。
      ■         ■
 こちらの、
 牛とろドットコムに、
 牛とろの秘密が詳しく書かれています。
 楽天でも販売されているようですが、
 何回見ても売り切れです。
 生協メニューにしては、
 ちょっと高いですが、
 一度、召し上がってみてください。
 健康的で美味しい北海道の味です。


生協HPより引用

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医学講座

臆病者と言われる勇気

 平成21年7月19日朝日新聞、天声人語からの引用です。
 悪天下に河原でキャンプをしていた十数人が増水した川に流される惨事が、10年前の夏休みにあった。そのとき小紙夕刊のコラム「窓」に、航空界で語り継がれてきた「臆病者(おくびょうもの)」の話を書いたのを、北海道・大雪山系での遭難を聞いて思い出した。
 ▼1966年、日本の空は大事故が相次いだ。3月にはカナダの旅客機が濃霧の羽田への着陸に失敗して炎上し、64人が犠牲になった。その事故の直前に、羽田への着陸を断念して福岡に向かった日航機があった。
 ▼ハワイから飛んできた瀬戸号である。降りるにはぎりぎりの気象だった。2度着陸を試みたが滑走路がよく見えない。安全に自信の持てなかった機長は行き先を変更する。東京を目の前にしての事態に、乗客からは落胆の声が上がったそうだ。
 ▼福岡での入国手続きが手間取ったために不満は募った。だが、機内で待たされてロビーに出た乗客はそこで、炎上するカナダ機のテレビ映像を目にする。不満は一転して機長への感謝に変わっていったという。
 ▼そして、「臆病者と言われる勇気を持て」という格言が航空界に広まっていった。人間や、人間の造った文明をひねりつぶすことなど、自然には造作もない。空に限らず海でも山でも、謙虚な勇気が必要な時は少なくないはずだ。
 ▼あすの「海の日」へ続く連休で、今年も夏休みシーズンの幕が開いた。北海道の遭難は悪天をついての強行が大きな原因と聞く。今年だめでも山は逃げず、海も逃げない。臆病なほど相手の機嫌をうかがう構えが、自然との遊びには肝要である。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 医療の現場でも同じことが言えます。
 たとえば美容外科のチェーン店には、
 売上目標や売上ノルマがあります。
 ないところでも…
 利益が出ていないと…
 院長の給与はゼロか大幅にダウンします。
 不景気になると、
 次々と‘閉店’する美容外科もあります。
 次の話しは架空の作り話です。
      ■         ■
 この患者さん…
 お腹も…
 腕も…
 太もも全周も…
 全部脂肪吸引して…
 がっつり5リットル以上吸引して…
 なんて言ってる…
 こんなに吸引したらヤバイよなぁ…
      ■         ■
 でも、
 これだけ脂肪吸引したら…
 180(万円)は取れる…
 ローンの審査もパスしている。
 今月の売上は低迷…
 受付からのプレッシャー
 先生、お願いします♡
 悪魔のささやきが聞こえてきて…
      ■         ■
 はいはい、脂肪吸引は簡単ですょ。
 眠っている間にすぐ終わりますょ。
 2~3日休めば、お仕事もすぐにできますょ。
 がっつり脂肪をとりますから…
 見違えるように細くなりますょ。
 みなさん、していらっしゃいますょ。
 心配なんて、いりませんょ。
 キズは残りませんょ。
 さぁ、手術をしましょう!
      ■         ■
 こんな美容外科は…
 実在しないと思いますが…
 広告を見ていると、
 多少やばいと思っても、
 強引に着陸してしまいそうな…
 美容外科も目につきます。
 医療も航空業界も…
 安全第一です。
      ■         ■
 私は臆病者と言われようと、
 感じが悪いと言われようと、
 無理な手術は絶対にしない主義です。
 日本国内で、
 脂肪吸引の手術によって、
 何人もの方が命を落としているのは、
 意外と知られていない事実です。
 JALの機長さんの
 「臆病者と言われる勇気」は
 医療界にも通じるものがあります。

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院長の休日

大雪山の遭難事故

 大雪山系で痛ましい遭難事故がありました。
 亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
 今年は行っていませんが、
 2007年7月に旭岳へはじめて行きました。
 旭岳温泉から、
 ロープウェイで
 姿見駅(標高1,600m)まで上がることができます。
 そこから、
 すぐそこに旭岳が見えます。
      ■         ■
 私は山を甘く見た…
 典型的な中高年登山者の一人でした。
 北海道の大雪山系には、
 本州からたくさんの
 中高年登山者がいらっしゃいます。
 旭岳の登山コースにも、
 たくさんの登山者がガイドさんと登っています。
 最初は私もツアーのしんがりについて上がりました。
 山や自然が好きな方が多いので、
 皆さんとても楽しそうです。
      ■         ■
 羽田から飛行機で旭川空港に着いて、
 そのままバスでいらしたと伺ったこともあります。
 今回のツアーは、
 山を縦走するツアーでした。
 大雪山系は美しく、
 なだらかな稜線に登山道があります。
 旭岳から見ると、
 遠くにたくさんの山が見えます。
 私もいつか行ってみたいと思っていました。
      ■         ■
 事故があった16日は、
 札幌でも肌寒い一日でした。
 私は休診日に、
 クリニックで一日仕事をしていました。
 家内がお昼近くに来ましたが、
 寒い寒いと言っていました。
 札幌ですら肌寒かったのですから、
 山の上はどんなに寒かったことでしょうか?
      ■         ■
 報道によると、
 風と寒さによる低体温症による死亡とありました。
 私は自分で行った経験から、
 登山道の足もとが悪く、
 うまく進めないので、
 予想以上に時間がかかり、
 それで体力を消耗して、
 動けなくなり→低体温症になったのでは?
 と推測します。
      ■         ■
 自分もそうでしたが、
 疲れてくると足がもつれます。
 靴が水で重くなります。
 足が冷えるととたんに体が寒くなります。
 避難する場所もありません。
 引き返そうにも、
 引き返せなくなり、
 遭難されたのではないか?と思います。
      ■         ■
 苫小牧東病院副院長の
 船木上総(ふなきかずさ)先生が、
 フランスのモンブランでスキー滑降中にクレバスに落下し
 16時間も宙吊りになった後に救助された経験から書かれた、
 「凍る体」という本が山と渓谷社より発行されています。
 そのときの体温は28度で、
 あと1度低ければ心臓が止まる寸前だったそうです。
 私は船木先生を存じていますが、
 物静かで優しい先生です。
 機会があればご一読ください。


苫小牧東病院HPより引用

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院長の休日

NTT東日本に感謝!

 私はIP電話を利用しています。
 OCNというプロバイダーを利用して、
 インターネットとIP電話を使っています。
 IP電話は同じプロバイダーであれば、
 通話料金がかかりません。
 クリニック⇔自宅は、
 すべてIP電話で通話料無料です。
 このOCNのIP電話が、
 突然つながらなくなり困っていました。
      ■         ■
 私は戸建に住んでいた頃から、
 光ファイバーを自宅へ引いていました。
 NTTにお願いして工事をしました。
 ‘つうけん’という会社が、
 工事を担当してくださいました。
 光ファイバーを自宅へ引き込むのが、
 一番大変でした。
 光にしてから、
 回線速度が速くなり、
 快適にネットを使っています。
      ■         ■
 マンションに引越してからも
 光電話を使っています。
 一昨日の朝から、
 光電話は通じますが、
 困ったことに、
 IP電話が通じなくなりました。
 どうやら自宅の通信機器が壊れたようです。
 いろいろ試してみましたが、
 通話ができません。
      ■         ■
 以前はヨドバシカメラにも売っていた
 IP電話用の端末が、
 製造中止で入手できなくなりました。
 困って…
 プロバイダーのOCNへ電話をしました。
 OCNから、
 NTT東日本のテクニカルサポートを紹介されました。
 昨日の21:00頃のことです。
 サポート時間は21:00までなのに、
 担当された‘とみた様(若い男性)’は、
 丁寧に調べてくださいました。
 いままでで一番親切なサポートさんでした。
      ■         ■
 サポートでは…
 少々お待ちくださいと…
 延々と保留音で待たされることがあります。
 ‘とみた様’は…
 『お調べいたしますので、
 一度切らせていただいてよろしいでしょうか?』
 と調べてくださいました。
 私は、もう遅いからいいですよ…
 と申し上げたのですが…
 2回もかけ直してくださいました。
      ■         ■
 NTTのサポートからかかってきた番号は、
 なんと市外局番が011
 つまり札幌からでした。
 札幌にはコールセンターがたくさんあると聞いていましたが、
 まさかNTTのサポートが札幌とは思いませんでした。
 担当のとみた様は、
 22:30頃までいろいろ原因を調べてくださいました。
 とみた様のおかげで、
 原因がわかりました。
      ■         ■
 21:00までのサポートなのに、
 1時間半もかけて原因を調べてくださり、
 ほんとうに感謝しています。
 同じ札幌に、
 こんなに優秀なサポートさんがいらっしゃると、
 とても誇りに思います。
 ちょっとした装置の不具合で、
 インターネットはつながらなくなります。
 NTT東日本のサポートさんは、
 とても親切で優秀でした。
 こころから感謝しています。
 夜遅くまでありがとうございました♪

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