昔の記憶

いじめられた経験を生かす

 お医者さんは…
 お金持ちで…
 生活が安定していて
 これ以上、楽な商売はない
 …とお考えの方がいらしたら…
 大きなおおきな誤解です。
 失業することもあります。
      ■         ■
 医師とストレスという…
 2007年9月15日の院長日記に書いてあります。
 ある開業医の奥様がおっしゃいました。
 『主人はストレスが多く、
 ちょっとでも触ると破裂しそうな風船のようです』と。
 ちょっと油断すると…
 病院も倒産の危機です。
      ■         ■
 小さな診療所(クリニック)から…
 大きな病院まで…
 クレームがない医療機関はありません。
 一瞬でも油断すると…
 医療事故が起きます。
      ■         ■
 こちらに落ち度がある場合は仕方がないですが…
 根も葉もないことで…
 責められることもあります。
 どんなに最高の治療をしても…
 助けてあげられない患者さんもいます。
      ■         ■
 ストレスに強くなければ…
 医師はつとまりません。
 幼稚園から大学まで…
 エリート街道をまっしぐらに進んで…
 優秀な成績で医師国家試験をパスした先生もいます。
      ■         ■
 意外とちょっとしたことでへこたれます。
 いじめられた経験がある人、
 病気でつらい経験をしたことがある人、
 へこたれても回復します
 回復力が強いです。
      ■         ■
 何がちからになるかというと…
 今は大変でも…
 がんばっていれば…
 何とかなるさという根性です。
 だれか…
 お助けマンがやって来て…
 何とか助けてくれるさという気持ちです。
      ■         ■
 私の人生の中で、
 中学校時代にいじめられて…
 警察署に相談に行こうか?
 …と思った経験が生きています。
 朝日新聞のいじめと君という特集を、
 毎日、とても興味深く読んでいます。
 ちょっと読んでみてください。

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昔の記憶

いじめられそうな子を守る

 私は小さい頃から体が弱く、
 幼稚園の時には、
 ペルテスという病気になりました。
 この病気でいじめられたことはありません。
 コルセットという高価な装具をつけました。
 ロボットみたいなので、
 鉄人28号のようだと言われました。
      ■         ■
 幼稚園の時に住んでいたのは手稲です。
 家は病院の住宅でした
 近所はみんな仲良しでした
 『けんちゃんは鉄人28号みたい』
 『かっこいいね』
 私は正義の味方鉄人28号と言われて、
 悪い気分ではありませんでした。
      ■         ■
 鉄人28号は…
 誰がつけたのかわかりません。
 この年齢になって考えてみると、
 マーちゃんのおばさん
 (小山和子さん、小山昌正おやまよしまさ先生の奥様)
 (小山正美おやままさみ先生、のお母様)
 …が…
 けんちゃんはコルセットをつけてかわいそうだから…
 鉄人28号みたいでかっこいい
 …って言ってあげようね。
 と作戦を立ててくださったのでは?と考えます。
      ■         ■
 平成24年7月19日(木)の朝日新聞、
 『声』の欄に次の投稿がありました。
 先生の根回しでいじめ防止
 税理士 大島裕子(東京都港区44歳)
 私の中学時代、クラスにいじめはなかった。これには少々からくりがあったかもしれない。
 中3のある日、担任の女性の先生に呼び出され、「口外しないでほしいが、明日転校してくる女子生徒は前の学校で不登校だった。あなたはその子が登校しやすいよう、そしていじめに遭わないよう、それとなく気を配ってほしい」と言われた。
 私はその子と家が近かったので一緒に登校した。「あの子、休みが多いよね」という級友の会話を聞けば、「体が弱いんだって。仕方ないよ」と言うようにした。その子は休みがちだったが、不登校にはならずに私たちと一緒に卒業した。
 その子に対してではなかったが、女子の間では「○○を無視しよう」という空気になることがあった。しかし、ふと気づくとそんな空気は消えていて、いじめが起きることはなかった。
 今になって思う。あれは先生が水面下でその都度、生徒の誰かにひそかに根回しをして、いじめを未然に防いでいたのではないかと。
 そうだとすると、あの先生は教師としてプロだった。少なくとも、「じゃれあっていたのか、いじめだったのか、わからなかった」などという甘い仕事はしていなかった。
      ■         ■
 大人のちょっとした気づかいで、
 いじめられそうな子を守れます。
 教育職の現場は大変だと思いますが、
 私たちじじばば世代も…
 パパママ世代も…
 ちょっと知恵を働かせて…
 子どもを守るのが良いと思います。

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昔の記憶

母の唯一の同窓会

 平成24年7月17日、朝日新聞朝刊、
 『ひととき』への投稿です。
 母の唯一の同窓会
 我が家の近くで一人暮らしをする85歳の母に、小学校の同窓会の通知が届いた。うれしそうにはがきを見せる母をいぶかしく思い、「行くつもりなの?」と聞いた。生まれ育った静岡県袋井市で開催とある。視力の落ちた母が1人で行くには近いとは言えない。
 でも、「これが最後だと思うから、どうしても行きたい。新幹線のホームまで送ってくれればいい」と、温和な母が珍しく引かない。それほど言うのならと、夫に頼んで会場まで車で送ることにした。
 車が故郷に近づくにつれ母はおしゃべりになった。幾度となく聞かされた昔話。17歳で母親を亡くし、5人の弟妹の世話や農作業に追われ、青春を過ごした。大変でなかったはずはないのだが、思い出はみな温かく懐かしいのだろう。
 会場の前まで来ると、「ありがとう」を繰り返し、「私はね、小学校しか出てないから、同窓会はこれだけなんだよ」と、つぶやいて車から降りた。
 小さな後ろ姿に、「いっぱい楽しんできてね」と声援を送った。そして「行くつもりなの?」と意地悪く聞いたことをわびた。
 母にとって、たった一つの同窓会なのだ。
 東京都調布市 山崎正江_主婦_62歳
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私の祖母、太田キヨも小学校しか出ていません。
 和裁の学校へ行ったようですが、
 最終学歴は小学校です。
 札幌市北区茨戸(ばらと)が…
 祖母が育ったところです。
      ■         ■
 祖母が小学校の同窓会に行ったかどうか…?
 私には記憶がありません。
 85歳というと私の両親の年代です。
 もう亡くなってしまった人が、
 生きている人より多いと聞いています。
      ■         ■
 私が卒業した小学校は、
 北海道美唄市の炭鉱の街にありました。
 炭鉱が閉山して…
 小学校も閉校してしまいました。
 小学校の同級生とは…
 何年も会ったことがありません。
      ■         ■
 85歳になって、
 小学校の同窓会に出席できるのはすばらしいことです。
 もっと素敵なのは、
 近くにお嬢様がいらして、
 同窓会の会場まで車を運転してくださる、
 素敵なご主人がいらっしゃることです。
 きっと…
 大切にされているおばあちゃんだと思います。
 いつまでもお元気で!

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昔の記憶

《いじめを見ている君へ》江川紹子さん

 今日の院長日記は、
 私の懺悔(ざんげ)です。
 後悔しています。
 私も悪いことをしました。
 それだけに…
 58歳のおっさんとして…
 考えたいと思っています。
      ■         ■
 平成24年7月16日、朝日新聞朝刊の連載記事です。
 ■声をあげて 自分のためにも
 いじめを見たり聞いたりしても、誰かにそれを伝えるのは大変かもしれません。今度は自分がいじめられるかもって、不安になりますよね。でも、気がついた人が言わないと、その子は助からないんです。
 中学校のころ、クラスで少し避(さ)けられている女の子がいました。男子から容姿(ようし)をからかわれていました。仲良しの女の子が1人いたことで、深刻ないじめにはなりませんでした。
 でも、卒業後しばらくたった後の同窓会で、仲良しだった子が言ったんです。「あの子、亡くなったよ」。場がシーンと静まりかえりました。原因は病気でしたが、みんな心のどこかに、あのころのことが痛みとしてあったんです。
 いじめられた子が自殺したり後遺症(こういしょう)を残すけがをしたりしたら、周りの人たちはすごく後悔することになります。いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなかったことでしんどい思いをしないためにも、声をあげてほしい。
 イスラエルという国で、兵役(へいえき)を拒み、パレスチナ人への迫害をやめようと声をあげた若い女性がいました。周囲から無視され、批判もされたけれど、私にこう言いました。「自分自身に正直であることが一番ハッピーなんだ」って。
 大人の社会にも不正はあります。だから偉そうなことは言えませんが、いじめを知ったなら、信頼できる大人に知らせてほしい。
 子どもの世界のことは、子どもが一番よく知っているでしょう? 担任が信じられなかったら他の先生でもいい。学校以外の人でも構わない。あなたの声に耳を傾けている人はきっといますから。(ジャーナリスト)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 夕張市立鹿島中学校の時です。
 同じクラスではありませんでしたが、
 同学年に避けられている子がいました。
 40年以上前なのに…
 苗字も…
 名前も…
 しっかり覚えています。
 申し訳ないことをしました。
      ■         ■
 男子も…
 女子も…
 その女の子を避けていました。
 理由ははっきりわかりません。
 その子を避けるのが…
 儀式というか…
 掟(おきて)のようでした。
      ■         ■
 今から考えると…
 私には…
 その子を助けるとか…
 その子のために何かをする…
 …という意識はありませんでした。
 他の級友と同じように避けていました。
      ■         ■
 中学校一年生の時に…
 いじめられていた私も…
 中学校三年生になると…
 クラスの評議員になりました。
 ある日の学校からの帰り道に…
 避けられていた子から…
 (本間君は)評議員なのに…
 (私を避けて)そんなことをして…
 …と言われたことがありました。
      ■         ■
 ほんとうにごめんなさい
 申し訳ないことをしました。
 幸い、
 その避けられていた子にも…
 一人だけ仲良しの女の子がいました。
 やさしい人だったと思います。
 そのやさしい女性は、
 私の同級生の奥さんになりました。
      ■         ■
 夕張市立鹿島中学校のクラス会はありませんが、
 もし、機会があれば…
 私はその避けられていた子に会って、
 昔は、
 ほんとうに悪いことをしました
 ごめんなさい
 …とお詫びしたいと…
 ず~っと40年以上思っています。

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昔の記憶

《いじめられている君へ》内藤大助さん

 平成24年7月13日、朝日新聞朝刊の記事です。
 いじめられている君へ》内藤大助さん
 ■相談はカッコ悪くない
 いいか、絶対にあきらめるな。いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。
 俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。
 北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。
 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。
 中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだ」って叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだけど……。
 高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。
 強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。暴走族に誘われたら、入っていたよ、たぶん。
 そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。
 入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
 ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
 「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
 俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。(ボクシング元世界王者)
 
 このシリーズは、2006年11~12月の連載の続編です。大津市のいじめ問題を受け、改めて全国の子どもたちへメッセージを届けます。ツイッターでは、担当記者がつぶやきます(@asahi_school)。6年前の連載も読めます
 
 

内藤大助さん
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 今朝のとくダネにも、
 内藤さんが出演していらっしゃいました。
 私も中学校一年生の時にいじめられました
 美唄市茶志内(びばいし_ちゃしない)の…
 茶志内中学校(ちゃしないちゅうがっこう)から、
 夕張市鹿島(ゆうばりし_かしま)の…
 鹿島中学校へ転校した時です。
      ■         ■
 人生ではじめていじめられました。
 いじめてくれたのは…
 同級生だった花田君です。
 今でも覚えています。
 赤ちゃんの舌先がW字形という…
 2009年1月25日の院長日記に書いてあります。
      ■         ■
 昔の鹿島中学校は…
 男子生徒は丸刈りでした。
 丸刈りでない子もいましたが…
 半数近くは丸刈りでした。
 転校して行った私は、
 もちろん丸刈りではありません。
 ごくふつうでした。
      ■         ■
 私の髪が気に入らなかったのか…
 何が原因だったのか?わかりません。
 廊下で組伏せられたり…
 学校帰りにつり橋で揺らされたり…
 言語障害(げんごしょうがい)と言われたり…
 つけられたあだ名は、
 下くちびるが出ていたので、
 いかりや長介でした。
      ■         ■
 つり橋から落ちそうになった恐怖で、
 学校帰りに警察に行こうと思ったこともありました。
 結局、警察にも先生にも相談しませんでした。
 私を助けてくれたのが…
 『花田やめれ~
 …と言ってくれた、
 飛田昭くんでした
      ■         ■
 新聞報道でいじめられた子どもさんのことを読むと、
 ほんとうに自分のことのように心が痛みます。
 私も飛田(とびた)くんがいなければ…
 どうなっていたことかと思います。
 いじめの問題は、
 社会全体で考えなくてはいけません。
 亡くなった子どもさんのご冥福をお祈りいたします。

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院長の休日

美瑛町の青い池

 今年は…
 中富良野から美瑛町(びえいちょう)へも行きました。
 MacのWallPaperとして採用された…
 青い池です。
 地図で見ると…
 中富良野(なかふらの)
 ↓
 上富良野(かみふらの)
 ↓
 美瑛(びえい)
 は近いのですが…
 実際には、かなり距離があります。
      ■         ■
 青い池まで行かれるのでしたら…
 レンタカーをおすすめします。
 中富良野から…
 公共交通機関で、
 美瑛町の青い池に行くのは、
 かなり不便です。
      ■         ■
 青い池については、
 美瑛町観光協会HPに記載があります。
 美瑛白金(びえいちょう_しろがね)と読みます。
 青い池
 アルミニウムを含んだ水が、
 えん堤でせき止められ、
 目に見えないコロイドが生成されるためだそうです。
      ■         ■
 駐車場から池まで、
 未舗装の道を5分ほど歩きます。
 歩いている途中、
 右手の木立の間に…
 青い池が見えてきます。
      ■         ■
 終点まで来ると…
 美瑛川の大きな本流にあたります。
 この川のコンクリート製のえん堤ができたため、
 流れ込む水がせき止められて…
 青い池になったそうです。
 一度行く価値はあると思います。

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院長の休日

2012年のラベンダー

 実は…
 今年のラベンダーは少し元気がありませんでした。
 中富良野だけではなく…
 富良野地方全体だそうです。
 原因は冬の大雪らしいです。
 今年の北海道は記録的な大雪でした。
      ■         ■
 春になってからは好天に恵まれました
 そのおかげで…
 例年より早く開花しました。
 ところが…
 大雪の影響で…
 春先、土に水分が多く含まれていました。
      ■         ■
 じめじめしたところより…
 乾いたところが好きなラベンダーです。
 この水分のために…
 春先にグーンと芽が伸びる時期に…
 茎が育たなかったようです。
      ■         ■
 毎年、剪定をして、
 草取りをして、
 懸命にラベンダーを育てているプロの花人でも、
 記録的な大雪にはかないません。
 それでも…
 みごとに開花させてくださった、
 ファーム富田のみなさんに感謝です。
      ■         ■
 今日からの3連休、
 大勢の人がラベンダー畑を訪れることでしょう。
 私は毎年ファーム富田のカレンダーを買います。
 一年中、毎日カレンダーで花を眺めて…
 また来年行くことを楽しみにしています。
 
 

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院長の休日

ファーム富田2012

 私はファーム富田の大ファンです。
 ラベンダー開花という、
 2007年7月2日の院長日記に書いてあります。
 私がラベンダーを知ったのは高校生の時に偶然聴いたNHKラジオの放送でした。昭和47年頃だったと思います。
 内容は忘れてしまいましたが、合成香料の普及と輸入自由化でラベンダー栽培が苦境に立たされている。北海道が主産地だというような内容だった気がします。その頃から、いつかラベンダーを育ててみたいと思っていました。
 結婚した頃(昭和56年)から、毎年家内と中富良野の富田ファームへラベンダーを見に行ってました。
      ■         ■
 ファーム富田が全国的に有名になったのは、
 TVドラマ北の国からのおかげです。
 それまでの富良野は、
 スキーシーズンが一番の繁忙期でした。
 ワールドカップも開催されました。
      ■         ■
 FURANOと
 NISEKOは
 スキーで有名でした。
 今は夏が一番の繁忙期です。
 時代も変わったものです。
      ■         ■
 北の国からは、
 昭和56年(1981年)10月にはじまりました。
 毎週金曜日22:00からでした。
 当時、私は新婚でした。
 人生で一番しあわせな時期でした。
 釧路労災病院形成外科に勤務していました。
      ■         ■
 Dr.コトーという…
 2006年12月14日の院長日記に書いてあります。
 北の国からがはじまったのが、私が結婚して釧路労災病院へ赴任した年でした。仕事熱心な看護婦長さんが『今日は楽しみにしているテレビがあるから10時までには帰りたい』と言っていたのを覚えています。その当時は夜9時位まで平気で仕事をしていました。
      ■         ■
 当時は土曜日も診療をしていました。
 日曜日にも回診がありました。
 毎週金曜日に…
 純くんと蛍(ほたる)ちゃんを見るのが…
 楽しみでした。
      ■         ■
 ファーム富田のすごいところは、
 何度行ってもあきないことです。
 時には雨の日もありますが…
 ラベンダー香水をつくる
 香水の舎(こうすいのいえ)も、
 ドライフラワーの舎(どらいふらわーのいえ)もあります。
      ■         ■
 富良野の楽しみ方
 ファーム富田の楽しみ方① 
 ファーム富田の楽しみ方②
 ファーム富田の楽しみ方③
 ↑こちらの院長日記を読んでください。
 私は毎年、富良野へ行くことを楽しみにして…
 朝から夜まで働いています。
 疲れた身体を癒してくれる富良野と中富良野の人に感謝しています。 
 
 

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院長の休日

香るストライプ_中富良野

 平成24年7月12日、北海道新聞朝刊の記事です。
 香るストライプ 中富良野
 【中富良野】上川管内中富良野町の観光花園「ファーム富田」で、ラベンダーの花が見ごろの時期を迎えた。間もなく満開となり、7月末ごろまで観光客の目を楽しませる。
 花畑は全部で約10㌶あり、そのうち6㌶がラベンダー。薄紫色の花が一面に広がり、爽やかな香りを漂わせる。ほかに、赤や青、紫のサルビア、黄色やオレンジのマリーゴールドなどが丘を鮮やに染め上げている。
 今年は昨年より花の開花、観光客の出足とも早め。先週末の7日からは連日1万人以上が来園し、花畑や十勝岳連峰をバックに写真を撮ったり、名物のラベンダーソフトクリームなどを食べたりしている。
 14~16日の3連休には計約4万人の来園が見込まれる。
 (以上、北海道新聞から引用)
      ■         ■
 北海道新聞社のヘリが、
 下の写真を撮影していた頃、
 私と家内はちょうど…
 ファーム富田にいました。
 今年は良いお天気でした。
      ■         ■
 ヘリが低空で飛んで来ました。
 私
 ドクターヘリかなぁ~
 家内
 遊覧飛行じゃないの?
 こんなに近くを飛んでいるから…
      ■         ■
 今朝の朝刊を見て…
 北海道新聞社のヘリだとわかりました。
 ゴマ粒のように写っている中の2人が
 私と家内です。
 今年は、
 ちょうどほぼ満開でした。
      ■         ■
 例年に比べると…
 早い開花です。
 雪が多かったのに…
 5月以降の気温が高かったためです。
 ただ、残念なことに、
 雪の影響でラベンダーが弱っていました。
      ■         ■
 今年のお花畑では、
 中国語がたくさん聞かれました。
 外見では、
 日本人と区別がつきにくいです。
 私は気づきませんが、
 家内の観察によると…
 中国の人はとてもおしゃれだそうです。
      ■         ■
 確かに…
 カメラも高級な一眼レフカメラで、
 熱心に子どもさんの写真を撮っていらっしゃいます。
 外国の方にもたくさんいらしていただき、
 北海道民としてうれしく思います。
 ファーム富田は何回来てもいいところです。
 ぜひいらしてください。
 お待ちしています。
 

薄紫色のラベンダーが、他の花々とともに美しいしま模様を描くファーム富田
=7月11日、本社ヘリから(小室泰規撮影)
(以上、北海道新聞から引用)

上をヘリが飛んでいました

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医学講座

服が燃えて大やけど! 知られざる危険「着衣着火」

 着衣着火
 ちゃくいちゃっか
 …と読みます。
 服に火がついて燃えることです。
 命を落とすことがあります。
      ■         ■
 国民生活センターが、
 1997年2月4日に公表した、
 服が燃えて大やけど! 知られざる危険「着衣着火」という報告があります。
 料理を作っていたら、衣服のそで口に火がつき、たちまちのうちに燃え上がりやけどした……、何らかの原因で人が着ている衣服に火がつく「着衣着火」の事故情報が、国民生活センター危害情報システムに多数寄せられている。これらの多くが通院や入院を要する重症事故で、なかには全身大やけどを負い死亡したという痛ましい例もある。
 「着衣着火」は、すべての消費者に起こりうる危険であるにもかかわらず、危険の大きさを知っている消費者は少ないと思われる。そこで、着衣着火の事故を分析し、消費者に事故防止のための注意を呼びかけることにした。
      ■         ■
 服を買う時に…
 かわいいから…
 素敵だから…
 …と選ぶことはあっても…
 燃えにくいから
 …と選ぶことはないと思います。
      ■         ■
 カーテンやカーペットなどには…
 必ず防炎という表示があります。
 病院などで使うカーテンは、
 防炎でなければなりません。
 気をつけたいのが、
 一人暮らしの高齢者です。
      ■         ■
 調理中の火炎、
 仏壇のろうそくなど、
 思わぬところに危険があります。
 ガスコンロは危険なので、
 できればIHの調理器をおすすめします。
      ■         ■
 子どもさんの浴衣(ゆかた)にも注意です。
 燃えやすい繊維でできたゆかたに、
 花火の火がつくと大惨事です。
 かわいい柄のゆかたも大切ですが、
 できれば燃えにくい素材を選んでください。
 もちろん花火をする時には、
 バケツに水、2杯です。
 花火事故の院長日記も読んでください。

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