院長の休日
57歳になりました
今日は私の誕生日です。
57歳になりました。
札幌駅周辺で…
ポケットから…
イヤホーンの線が出ていて…
英語会話を聴きながら通勤している…
神経質そうな顔をしたおじさんが…
私です。
■ ■
お祝いのメールやカードをいただき、
ありがとうございました。
私の友人は、
60歳定年だとあと3年。
支店長などの役職に就いていた人は、
すでに役職定年を迎えて…
関連会社に役員として出向した友人もいます。
■ ■
かなりくたびれてきましたが…
私でも役に立てそうなことは…
もう少しがんばろうと思います。
昨日いただいたゆきだるまさんからのコメントです。
世界仰天ニュースという番組で、
フェイスリフト手術をした…
英国の女性が…
顔面神経の障害で…
右眉を動かすことが出来なくなっていました。
■ ■
顔面神経麻痺になった人は、
日本にもいます。
大きな病院で、
フェイスリフト手術をしてなった人もいます。
たとえ神経を切っても…
上手に再建すると…
動くようになります。
こんなことは、
形成外科医→美容外科医になった人でなければ…
なかなかわかりません。
■ ■
私のようなじじでも、
お役に立てる間は…
もう少しがんばろうと思います。
私を応援してくださる…
たくさんの方々のおかげです。
心から♡感謝♡しています。
健康に気をつけて…
無理をしないで
働きたいと思います。
スタッフからいただいたお花とそら君です
医学講座
景気と美容外科
私が毎日聴いている、
NHKの実践ビジネス英語。
先週のビニエットに出ていました。
What caught my eye was an article that said the number of cosmetic surgeries in the United States has risen to its highest level since the start of the financial crisis. Increased spending on tummy tucks and nose jobs is seen as a harbinger of returning consumer confidence.
アメリカ国内での美容整形手術の件数が、金融危機の勃発以降では最多になったという記事が目に留まったのです。おなかや鼻の整形手術への支出が増えたことは、消費意欲が回復している兆しと考えられますからね。
■ ■
美容外科のことが、
ビジネス英語で取り上げられました。
形成外科と美容外科の違いについても、
番組の中で解説されていました。
形成外科はPlastic Surgery(プラスティック_サージェリー)、
美容外科はCosmetic Surgery(コスメティック_サージェリー)
です。
■ ■
番組では、
美容外科手術とは言わず…
美容整形手術と言っていました。
やはり美容整形(びようせいけい)がより一般的です。
美容整形手術は、
FaceLift(フェイスリフト)手術などが代表。
形成外科の手術は、
交通事故などでダメージを受けた部分を再建する手術。
…と紹介されていました。
■ ■
美容整形手術は、
化粧品、ブランドもののハンドバッグといった、なくても困らない商品
Sales of nonessential items like cosmetics and designer handbags
と話されていました。
化粧品がなくても困らない商品かどうか?
異論があるところかも…?
…ですが、確かになくても生きて行けます。
■ ■
なぜ今日の日記で取り上げたか?…というと…
ビジネス英語で紹介されたアメリカとは反対に、
日本の美容外科業界は、
震災以降大変なことになっています。
札幌市内では…
昨年から4軒の美容外科が閉院しました。
どこも大変そうです。
■ ■
美容外科で使う材料を扱う業者さんに聞くと…
東日本大震災以降、
日本の美容外科はどこも大幅な売り上げ減です。
ブランドもののバッグがどうかわかりませんが、
大変な状況はしばらく続きそうです。
これから開業を考えている先生へのアドバイスです。
楽でもうかると思うなら、
間違いなく美容外科はおやめなさい。
先輩からの助言です。
昔の記憶
北海道地方大雨2011-09-06
今日の北海道地方は、
記録的豪雨のおそれがあります。
ネットで検索したTBS系ニュースです。
台風12号から変わった温帯低気圧などの影響で、北海道は記録的な豪雨となるおそれがあり、気象庁は警戒を呼びかけています。
温帯低気圧や太平洋側の台風13号の影響で、北日本は大気の不安定な状態が続いています。
北海道の南部などで6日未明、多いところで1時間に30ミリ以上の激しい雨が降りました。この影響で、帯広市内では住宅数軒が床下浸水しました。
このほか、神恵内村(かもえないむら)とニセコ町の合わせて27世帯に避難勧告が出されています。また、苫小牧市では3100戸が停電となっています。
気象庁は、土砂崩れや河川の氾濫などへの厳重な警戒を呼びかけています。
■ ■
北海道に台風が来ることはまれです。
来ても…
温帯低気圧に変わっています。
私の記憶で、
暴風雨はあまりありません。
暴風雪はよくあります。
■ ■
北海道は、
雨、
風に弱いです。
私が結婚した、
昭和56年(1981年)8月上旬に、
大雨で石狩川が氾濫しました。
■ ■
札幌美容形成外科を開院した、
平成16年(2004年)9月8日に、
台風18号が札幌を襲いました。
北大のポプラ並木が倒れ、
札幌駅前通りの並木が折れて、
道庁の木も倒れました。
私の50歳の誕生日でした。
■ ■
今日の大雨は、
台風から変わった温帯低気圧と、
別の台風に、
北海道が襲撃されています。
大雨でも…
札幌美容形成外科は手術をしています。
■ ■
今朝、
今日の患者さんからお電話がありました。
JRが止まっているので、
バスで参ります。
雨の中を遠くからいらしていただきました。
手術は無事終わり…
夕方お帰りいただきました。
無事に着いていらっしゃることと思います。
開院して7年…
台風でも、
大雪でも、
手術は無事に成功しています。
昔の記憶
まみ子師長さんへお見舞い
まみ子師長さん、
腰の具合はいかがですか?
お見舞い申し上げます。
私の医師仲間にも…
腰の悪い先生も、
首の悪い先生もいます。
首の手術をなさった先生もいました。
■ ■
無理するんでないが、
亡くなった祖母の口癖でした。
私の母方の祖父は、
40歳代で亡くなりました。
祖母は30歳代で未亡人となり、
5人の子どもを育てました。
明治の人ですが、
偉い人だと思います。
■ ■
祖母の無理するんでないには、
無理をすると…
夫のように…
早死にするから…
…という想いが込められていたように思います。
亡くなった祖父は、
沖電気の社員で、
中国に単身赴任していて亡くなったそうです。
■ ■
医師、
看護師、
医療関係者、
病気のプロでも…
意外と…
自分の病気には弱いです。
偉い先生も亡くなっています。
■ ■
さくらんぼさんのコメントのように…
もう少し大丈夫を
少し早めに休もうに
…にすることが、
大切だと思います。
ゆっくり静養なさって、
お元気になってください。
院長の休日
気をつけています
ゆきだるまさんから、
コメントをいただきました。
洗面コーナー、
玄関、
トイレの清潔感とか
見ちゃいます
ご指摘の通りです。
■ ■
私も回転ずしに行くと…
トイレがきれいか見ます。
男性用トイレでも…
清掃担当○○。
○○時に清掃しました…とか
清掃担当者の印が押してあります。
■ ■
先輩開業医の先生に教えていただきました。
トイレの電球が切れていても、
院長の責任。
トイレが汚れていても…
もちろん院長の責任です。
洗面所の汚れも、
玄関のスリッパも院長の責任です。
■ ■
玄関のスリッパは抗菌スリッパです。
使い終わったスリッパは、
きれいしてから、
次の方に使っていただいています。
美容外科が汚かったら…
イメージが悪いので、
かなり気をつけています。
■ ■
玄関を入った時に、
よい香りがするようにしています。
アロマオイルも選んでいます。
せっかくいらしていただいたのに、
少しでも快適なように…
毎日気をつけています。
お気づきの点があれば、
ご指摘いただけると幸いです。
医療問題
滅菌の実習
昨日の院長日記に書いた…
ずぼらな性格で、
(滅菌が)面倒くさくなった
…は違うような気がします。
ほんとうは…
患者さん多くなりすぎて…
滅菌している時間がなくなったのだと思います。
■ ■
手術に必要な滅菌(めっきん)という作業。
大きな病院では…
中央材料部(通称:中材ちゅうざい)という部署の担当です。
朝から晩まで…
釜(かま)と呼ばれる…
高圧蒸気滅菌器が作働しています。
■ ■
一見すると…
銀行の大きな金庫のようです。
厚い扉がついていて、
その中に滅菌する医療器材を入れます。
入れる前に、
洗浄、
乾燥、
パッキングという作業があります。
■ ■
中材で働くのは、
医師ではありません。
通常、看護師と多くの看護助手が担当します。
今は外部業者が入って、
滅菌部門を独立させる病院もあるようです。
蒸気を使うので、
エアコンがついていても暑いです。
■ ■
よほど進んだ医学部でも、
この中材(ちゅうざい)で実習する医学生はまれです。
医師が、
自分の手で、
手術器械を滅菌することは、
きわめてまれです。
大部分の医師は、
手術器具が…
手術室に準備されたところからしか知りません。
■ ■
TVで見ても、
手術が終わってから…
手術器械を洗っている先生なんて…
見ることはありません。
ところが…
開業すると…
自分でしなくてはいけません。
■ ■
私は北大で医学博士を取得する実験をしました。
この滅菌の重要性を…
イヤというほど身に染みて感じました。
動物実験といえど…
滅菌をしっかりしないと…
実験動物は感染してしまいます。
■ ■
私は市立札幌病院の中央材料部へ行って…
親切な男性職員の方から、
滅菌のいろはを教えていただきました。
正直に言って…
滅菌を教えていただかなくては…
私は博士号を取得できませんでした。
■ ■
この院長日記を読んでくださっている…
医学生、
臨床研修医、
開業準備をしていらっしゃる先生、
一度でいいから…
中央材料部へ行って…
滅菌の実習をしてください。
必ず役に立ちます。
北海道には中材研究会という学会もあります。
医療問題
銀座眼科元院長「滅菌 面倒になった」
平成23年9月2日、朝日新聞朝刊の記事です。
銀座眼科元院長「滅菌_面倒になった」
レーシック集団感染公判
検察側、禁錮3年を求刑
「銀座眼科」(東京都中央区)で近視を矯正するレーシック手術を受けた患者が角膜炎に集団感染した事件で、業務上過失傷害の罪に問われた元院長・溝口朝雄被告(49)の公判が9月1日、東京地裁で結審した。検察側は禁錮3年を求刑し、弁護側は「被害弁償に努める」と寛大な判決を求めた。判決は9月28日。
検察側は論告で、手袋をつけず、器具の滅菌や交換も怠ったことについて、「医師の責務を完全に無視した悪質な犯行。衛生管理を度外視して経済的利益を優先させた」と指摘した。
起訴状によると、溝口被告は2008年9月~2009年1月、不衛生な手術をした7人に細菌性角膜炎の傷害を負わせたとされる。
起訴内容を認めている溝口被告はこの日の被告人質問で、「ずぼらな性格で、面倒くさくなった」と述べた。
■ ■
札幌市内に配達された、
朝日新聞の朝刊に、
ずぼらな性格で、
面倒くさくなった
…と書かれていました。
信じられない思いです。
■ ■
確かに…
ずぼらな性格の医師はいます。
もうちょっと言わせてもらうと…
ずぼらな性格の看護師もいます。
国家試験では…
医師も
歯科医師も
看護師も
ずぼらな性格でも通ります。
■ ■
医療系の国家試験は、
マークシート式の問題です。
センター試験を連想してください。
選択肢から選ぶ試験です。
ずぼらな性格でも、
同じ問題を繰り返し勉強すると…
合格します。
■ ■
ずぼらな性格の先生を指導するのは…
とても疲れます。
指導医が疲弊して辞めるのは、
ずぼらな先生が、
繰り返し事故を起こした時です。
患者さんに謝って済むものではありません。
■ ■
ずぼらな性格をただすには…
訓練しかありません。
指導する方は疲れますが、
何度も注意して、
その人がやったことをチェックして、
指導します。
■ ■
はっきり言って、
49歳までずぼらな性格だった先生は、
治らないと思います。
同じ医師として…
とても情けなく思います。
もう二度とメスは持たないで欲しいです。
滅菌が面倒な人は、
外科医として失格です。
院長の休日
今日から2011年9月
今日から9月です
早いものです。
残り4ヵ月で今年もおしまい。
今日の札幌は9月なのに…
暑い一日でした。
休診日だったので、
北大生協へ行って医学書を買いました。
■ ■
私は休日に北大へ行くのが好きです。
生協の食堂もよく利用します。
緑がきれいで、
空気もさわやかです。
10月になると、
イチョウ並木が紅葉します。
■ ■
北大構内は広いので、
生協へ行く時は自転車です。
医学書は、
医学部に近い、
北部店(昔の教養店)にあります。
30年前と同じ建物ですが、
内部は変わりました。
■ ■
北大病院で研修をしていた頃は、
北大構内を…
自転車で走る余裕はありませんでした。
朝早く行って…
帰りは暗くなっていました。
年齢を重ねてからの方が…
北大を楽しんで見ています。
■ ■
9月1日になって…
弁護士の高橋智(さとる)先生のHPが変わりました。
新しいHPは見やすくなっています。
Sammy’sダイアリー
も毎日更新されています。
ぜひご覧になってください。
昔の記憶
劔物修(けんもつおさむ)先生への想い
私は1980年(昭和55年)に札幌医大を卒業し、
その年に北大形成外科へ入局しました。
当時は今のような臨床研修制度はなく、
医学部を卒業したら、
そのままどこかの医局に入局するのが、
一番オーソドックスな道でした。
■ ■
札幌医大は北海道が設立した、
公立大学です。
北海道出身の学生が大部分でした。
その関係もあってか?
卒業生の大部分は、
そのまま自分が卒業した札幌医大へ入局しました。
■ ■
私のように…
北大へ行った卒業生は、
私を含めて4人でした。
北大を卒業しても、
札幌医大を卒業しても、
医師免許証は同じです。
どこの自動車学校で免許を取っても、
道路を走る時は同じです。
■ ■
ところが…
医師の世界は車の運転とは違います。
はじめて行った北大病院。
トイレの場所も、
検査室の場所も、
霊安室の場所もわかりません。
一番困ったのが…
他科の先生の顔がわかりません。
■ ■
『あの先生が…』
『国家試験出題委員の葛西先生だょ』
廊下ですれ違った時に、
小声で教えてくれたのが、
同期の井川浩晴(いがわひろはる)先生です。
北大出身の新人医師は、
講義や実習でお世話になっているので、
偉い先生の名前と顔がすぐにわかります。
■ ■
私は、
広い北大病院の中を…
迷子にならないように…
ただ同期や先輩の後を歩くだけでした。
たまに…
札幌医大の同期に会うと…
とても懐かしく思ったものです。
■ ■
医学部や医科大学には、
入試のランキングがあります。
一番、偏差値が高いのが、
東大理Ⅲ(りさん)といわれる東大医学部。
関東だと慶應医学部、
関西だと京大医学部が難関校です。
北海道では、
トップが北大医学部です。
■ ■
私も夢は北大でしたが、
学力が及ばず札幌医大へ入学しました。
偏差値が高い大学が…
いいお医者さんを育てるとは限りません。
ただ、
偏差値の低い札幌医大を卒業して、
偏差値の高い北大に入った私は、
北大の卒業生に負けたくない
北大の卒業生よりやぶになりたくない
…という想いがありました。
■ ■
簡単に言うと…
札幌医大はばかだなぁ~
…と思われたくない…
…とずっと思っていました。
今でもそう思っています。
だから学会へも行くし、
勉強もしています。
■ ■
北大形成外科は家庭的で…
とってもいい環境の医局でした。
恩師の大浦武彦先生は、
北大卒の新人も…
他大学卒の新人も…
まったく差別せずに教育してくださいました。
今でも感謝しています。
■ ■
そんなあたたかい医局で育っていた私でも、
やっぱり卒業したのは札幌医大です。
北大へのコンプレックスがありました。
北大で迷子にならず、
他科の先生の顔もわかるようになって、
チーフレジデントをしていた、
昭和60年11月に、
札幌医大の先輩である、
劔物修先生が北大麻酔科の教授に就任されました。
■ ■
札幌医大の卒業生は、
北大の臨床系教授には…
なれないと言われていた時代でした。
劔物先生と面識はありませんでしたが、
麻酔科の先輩から素晴らしい先生と伺っていました。
正直に言って…
劔物先生やったぁ~と喜んでいました。
■ ■
劔物先生が北大に赴任されてから、
苦労されていらしたのを見ていました。
それでも先生は、
北大病院での全身麻酔件数を
国立大学病院で
全国トップクラスの件数に押し上げられました。
大変なご苦労があったと思います。
もう少しお話しをしたかった…
…と残念に思っています。
心からご冥福をお祈りしています。
昔の記憶
劔物 修(けんもつおさむ)先生のご逝去を悼む
先日の院長日記にコメントをいただき、
麻酔科の劔物修先生が
平成23年3月28日(月)にご逝去されたことを知りました。
葬儀は密葬にて執り行われたそうです。
心からご冥福をお祈りしています。
最後にお会いしたのは、
奥様の弘子様の追悼コンサートでした。
■ ■
北海道大学のHPにお知らせがありました。
訃報
名誉教授 劔物 修氏は,昭和15年に東京に生まれ,疎開先の小樽で幼少期を過ごされました。昭和39年に札幌医科大学を卒業され,昭和51年に札幌医科大学助教授,同52年に旭川医科大学助教授,同54年に北里大学助教授,同56年にアイオワ大学客員教授,同59年に東邦大学教授,そして,同60年に北海道大学医学部麻酔科学講座教授に就任されました。平成15年3月同大学を定年退職され,その後,北海道社会保険病院等で顧問として活躍されておられました。
臨床面では,北大病院での全身麻酔件数を国立大学病院で全国トップクラスの件数に押し上げられ,北海道ならず全国の外科医療のために多大な貢献をなされました。とりわけ,北大病院での集中治療部の開設,ならびに救急部の発展には多大な尽力をなされました。研究面では,心臓麻酔,救急・集中治療,疼痛治療など多岐に渡り,多くの業績を残されました。平成8年には,これらの業績に対して,北海道医師会賞を受賞されています。教育面でも100人近い麻酔指導医を育てられました。
学会では多くの会長や理事を歴任され,平成14,15年には日本救急医学会総会と日本集中治療医学会総会を相次いで主催されました。海外での活躍もめざましく,平成2年には,日本人では初めて,Fellow of American College of Critical Care Medicine(FCCM)に選ばれました。また平成4年からはアジア心臓麻酔学会会長を務めておられました。
最近では,ガン治療推進のためにも尽力されました。札響によるガン治療推進チャリティーコンサートの開催とその収益金の医学研究科への寄付,さらに医学研究科及び北大病院においてガン研究に携わる優秀な若手研究者を育成するHIROKO基金を設立された矢先でした。
現在,日本は大震災という大きな国難に直面し,私たち医療人,特に麻酔や救急に携わる者は,災害救援や復興の牽引者としての役割が求められております。この分野の日本の先駆者かつリーダーでもあった劔物氏を,まさにこの時に失ったことは,誠に惜しみてもあまりある痛恨の極みであります。
最後に,これまでのお導きに感謝し,謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
■ ■
とても残念に思っています。
72歳はまだ若すぎます。
退職後も麻酔をかけていらしたと、
他の先生から伺っていました。
痩せてスマートな先生でした。
眼鏡の奥の厳しい目が…
とても優しい目だったのを覚えています。
心からご冥福をお祈りしています。