医学講座

日焼けマシンの危険性

 朝日新聞のWEBページ、
 asahi.comからの引用です。
 同じ内容の記事が平成21年7月31日の
 北海道新聞朝刊にも掲載されていました。
 日焼けマシン、発がんリスク最高レベル
 世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)は、日焼けサロンやスポーツジムで使われ、人工的に紫外線を出す「日焼けマシン」の使用は発がんリスクを確実に高めるとして、発がんリスク分類でもっとも危険性の高い「グループ1」に引き上げた。
      ■         ■
 IARCは、日焼けマシンと皮膚がん(メラノーマ)との関係を調べた19論文を分析。30歳未満で日焼けマシンを使った経験のある人は、使ったことのない人より75%もリスクが高いことがわかった。日焼けマシンの使用による、眼球の色素細胞にできるがんのリスクも高かった。
      ■         ■
 従来、紫外線のうちB紫外線(UVB)にだけ発がん性があると考えられていたが、A紫外線(UVA)もUVBと同じように発がん性があることもわかったという。地上に降り注ぐ紫外線の95%がUVAだ。
      ■         ■
 日焼けマシンは5段階の発がんリスク分類で危険性が2番目に高いグループだった。危険性が一番高いグループにはアスベストやたばこ、X線、太陽光などがある。
      ■         ■
 紫外線に詳しい名古屋市立大の森田明理(あきみち)教授(皮膚科)は、「黄色人種は白人に比べて紫外線によるがんのリスクは数分の1だとされるが、油断はできない。屋外で浴びる紫外線の量が、欧米の多くの都市よりもかなり多いからだ。外出のときは、皮膚が赤くなるような日焼けをしないように、日焼け止めや日傘で予防すべきだ」と警告する。(大岩ゆり)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 2008年7月5日の日記にも書きました。
 私は平成7年(1995年)1月から平成10年(1998年)3月まで、
 3年3ヵ月間、
 JA帯広厚生病院形成外科に勤務しました。
 帯広がある、
 北海道十勝地方は、
 日照時間が長く、
 北海道の穀倉地帯の一つです。
      ■         ■
 十勝地方で長い間、農業に従事された方、
 漁業で長い間、紫外線にあたった方には、
 皮膚がんができることがありました。
 お仕事で紫外線にあたったためにできた癌でも、
 労災保険の適応もなく、
 年をとってから、
 顔の皮膚を切除する手術は、
 ほんとうにお気の毒でした。
      ■         ■
 農業や漁業、
 ゴルフ場に勤務される方は、
 くれぐれも紫外線防御対策をしっかりなさってください。
 カバーマークも効果的です。
 小麦色の肌にあこがれて…
 お金を払って日焼けサロンに行かれる方が、
 今でもいらっしゃいます。
 皮膚科医の管理下にする、
 治療としての紫外線は別として、
 素人が安易に日焼けマシンを使うのは危険です。
 くれぐれも日焼けには注意してください。

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医学講座

デブリードマン

 デブリードマン、
 通称デブリといいます。
 英語表記はdebridementですが、
 もともとは、フランス語が語源だそうです。
 外科学の講義で習う、
 最初の医学用語の一つです。
 簡単に言うと、
 皮膚や組織などが、
 死んでしまった時【壊死(えし)といいます】に、
 その死んでしまった部位を、
 外科的に切除することをいいます。
      ■         ■
 人間や動物の身体は、
 血液が循環して生きています。
 元気な組織は、
 キレイなピンク色をしています。
 ホッペがピンクだったり、
 爪の色がピンクだと、
 健康な証拠です。
 血流が悪くなって、
 組織が死んでしまうと、
 どす黒い色になります。
      ■         ■
 かなり前になりますが、
 脂肪吸引手術の後で、
 感染症のために…
 皮膚や皮下脂肪が壊死になってしまい、
 大きな後遺障害が残った方がいらっしゃいました。
 PRSという米国形成外科学会誌に、
 症例報告として掲載されています。
 2007年5月15日の院長日記でご紹介しています。
      ■         ■
 そちらの写真を見ていただくとわかりますが、
 組織が死んでしまった部位(下腹部~大腿)は、
 黒く変色しています。
 この黒くなった部位をそのままにしておくと、
 感染症が拡大して…
 最悪の場合は亡くなってしまいます。
 そのために、
 その‘死んだ’部分を切除する必要があります。
 深いヤケドの場合も同じです。
      ■         ■
 全身麻酔で手術をして、
 壊死(えし)になった部分を切除します。
 切除した部位はキズになり、
 血が出てきますので、
 その部分を覆う必要があります。
 そのために、
 他部位から皮膚移植をします。
 皮膚移植のことを植皮(しょくひ)といいます。
 私は数多くデブリードマンと植皮手術をしました。
 どんなに丁寧に手術をしても後遺障害が残ります。
      ■         ■
 山形大学の患者さんの場合は、
 手術後にコンパートメント症候群になり、
 下腿の組織が一部壊死になったか、
 壊死になりそうな状況だったと推測します。
 そのような場合は、
 手術で縫合したところを開放し
 (縫ったキズを開き)
 パンパンに腫れた下腿を、
 少しでも楽にしてあげるようにします。
 これがコンパートメント症候群に対する、
 デブリードマンと植皮です。
      ■         ■
 患者さんは、
 キレイに治してほしいので、
 形成外科の先生に手術をお願いしたと思います。
 形成外科の手術で、
 コンパートメント症候群になることは、
 極めてマレなケースです。
 コンパートメント症候群は、
 形成外科医よりも、
 整形外科医や救急医が、
 遭遇することが多い病態です。
 手術後に変色した下腿を発見した先生は、
 何とか救済しようと努めたはずです。

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医療問題

他科再建(たかさいけん)

 他科再建(たかさいけん)
 他科手術(たかしゅじゅつ)
 聞き慣れない言葉だと思います。
 私が形成外科医になった、
 30年前には無かった言葉です。
 形成外科医が、
 自分が所属している科
 (つまり形成外科とか整形外科など)
 以外の科から依頼されて、
 再建手術を行うことを言います。
      ■         ■
 形成外科のことを、
 英語では、
 Plastic and Reconstructive Surgery
 (プラスティック アンド リコンストラクティブ サージェリー)
 といいます。
 プラスティックはプラスチックのことです。
 形をつくるという意味です。
 リコンストラクティブは、
 再建するという意味です。
      ■         ■
 再建という言葉は、
 赤字再建団体
 の夕張市にも使います。
 医学で再建というと、
 ガンや腫瘍(しゅよう)を取った後で、
 その部分を修復(しゅうふく)することを言います。
 形成外科には、
 私のように美容形成外科学といって、
 二重まぶたを作ったりするような分野と、
 再建外科学という、
 元に戻す修復手術の分野があります。
      ■         ■
 私の経験上、
 他科再建で一番多いのが、
 耳鼻科や口腔外科からの依頼でした。
 耳鼻科の先生が、
 顔や喉(のど)のガンを取って、
 その後を修復する手術です。
 形成外科の組織移植の技術や
 マイクロサージャリーという、
 血管吻合の技術が生かされます。
      ■         ■
 一般的な大学病院では、
 内科、外科、整形外科、皮膚科というは、
 それぞれ独立しています。
 教授を頂点とする教員も、
 病棟も、
 研究室もすべて別です。
 つまり、大学病院という大きな市場
 たくさんの商店が集まっていると考えてください。
      ■         ■
 一般の企業や商店でも…
 他の企業と合同事業をすることがあります。
 商店が忙しい時に、
 派遣会社に応援を頼むこともあります。
 そういう時には…
 もし、不測の事態があったら、
 責任は誰がどの割合で取るとか、
 費用はどのように分担するとかを、
 契約書で詳しく決めてからはじめます。
      ■         ■
 ここ10年くらいの間に、
 大学病院や大病院には、
 リスクマネージャーという制度ができました。
 医療安全委員会などもあります。
 つまり医療を安全に行うために、
 どのように業務を進めるか?ということを、
 詳しく決めています。
 ところが、
 私の知る限りでは…
 他科再建の責任をどちらの診療科が、
 どのように分担するか?
 というような取り決めは無いと思います。
      ■         ■
 大部分の大学病院や大病院では、
 他科再建の依頼は、
 電話か院内の‘他科受診’の手紙で、
 形成外科医の犠牲的精神で行われています。
 つまり…
 他科から頼まれて、
 12時間もかかるような手術をしても…
 時間外手当も、
 休日出勤手当ももらえないのが、
 私が勤務した大学病院であり大病院でした。
      ■         ■
 増えるのはストレス
 医療事故を起こさないように…
 という心配です。
 唯一、得られるのは…
 手術が成功して、
 患者さんが元気に退院される時の、
 先生、ありがとうございました。
 というお言葉による、
 満足感だけです。
 こんな状況下で、
 一人の形成外科医に責任を押しつける、
 山形大学の姿勢に問題があります。
 荻野先生には何としても
 勝訴していただきたいです。 

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昔の記憶

茶志内(ちゃしない)の今野先生

 昨夜、北海道新聞夕刊を読んでいました。
 美唄(びばい)の米作農家、阿部義一さんが、
 『おぼろづきを育てて』という連載で、
 今野巌(こんのいわお)先生のことを
 書いていらっしゃいました。
 今野先生は、
 私が卒業した、
 美唄市(びばいし)茶志内(ちゃしない)にあった、
 日東美唄(にっとうびばい)小学校の
 先生でした。
      ■         ■
 今野先生のお宅は田んぼの中にあり、
 昨日の新聞によると、
 小学校の教員を定年退職されてから、
 お米を作っていらしたと書かれていました。
 今野先生は、
 中国大陸で一時期を過ごされ、
 美唄に戻ってから、
 小学校の教員をなさったと伺っていました。
 スケールの大きな考えの先生で、
 他の先生が『今野先生は違う…』
 と話されていたのを覚えています。
      ■         ■
 今野先生のご子息は、
 私の札幌医大の先輩です。
 私が小学生の時に、
 美唄東高校から、
 札幌医大に進まれました。
 今野先生が、
 うちの息子は漢字を一つ間違えて
 札幌医大の入学試験に失敗した。
 漢字はしっかり覚えなさい。
 と言われたのを覚えています。
      ■         ■
 PTAの会合か何かで、
 私の母親に、
 息子さんはお医者さんにしなさい
 と言っていただいたそうで、
 母親は、
 今野先生がおっしゃっていた
 美唄を離れた後も言っていました。
 先生の何気ない一言が、
 心に残ることがあるものです。
      ■         ■
 北海道新聞に連載されている、
 阿部義一さんも、
 米の減反政策で、
 一時期は米作りを減らされたそうです。
 周囲の白い目を気にしながら、
 阿部さんだけが米を作られました。
 その時に、
 頑張りなさいと言ってくださったのが、
 今野先生だったそうです。
      ■         ■
 私も北海道産の
 おぼろづきを食べています。
 昔は北海道の米は美味しくない!
 といわれたそうですが、
 とても美味しいお米です。
 自分がお世話になった先生が、
 新聞で取り上げられていると、
 懐かしく嬉しく思います。
 私は今野先生のおかげで…
 しっかり漢字を覚えたので、
 入学試験の漢字では困りませんでした。
 今野先生、ありがとうございました。

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医学講座

眼の左右差

 履歴書には得意科目を書く欄があります。
 私の得意科目は…?
 今だったら、
 美容形成外科学、
 特に眼の手術、
 とでも書くでしょうか…?
 得意科目でも、
 症例数が増えて、
 手術が増えれば増えるほど、
 難しいと感じます。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術は得意科目の一つですが、
 微妙な左右差を調節するのは、
 何度やっても難しいと感じます。
 特に難しいのが、
 片側性先天性眼瞼下垂症です。
 片方の目だけが、
 生まれつき筋力が弱いので、
 どうしても左右差が出ます。
 もちろん手術中に確認します。
 それも何度も確認します。
      ■         ■
 手術してしばらくは調子がよくても…
 次第に筋力が弱くなることがあります。
 そうすると左右差が出ます。
 ハードコンタクトレンズで、
 眼瞼下垂症になった方にも、
 左右差がある方がいらっしゃいます。
 手術後に…
 またハードコンタクトを使うと…
 また眼瞼挙筋という筋肉が弱り…
 瞼が下がることがあります。
      ■         ■
 一般的に眼科や、
 コンタクトレンズの販売業者は、
 ハードコンタクトを長期間着用すると…
 将来、眼瞼下垂症になる可能性があります…
 とは言わないようです。
 札幌美容形成外科を受診される、
 大部分の方は、
 ハードコンタクトによる
 眼瞼下垂症を知りませんでした。
      ■         ■
 現在の医学教育では、
 医学部でも
 看護学部でも、
 ハードコンタクトと
 眼瞼下垂症の関係については教えません。
 医師国家試験にも
 看護師国家試験にも出ません。
 看護師さんでも…
 ハードコンタクトを使っていらっしゃる方は、
 たくさんいらっしゃいます。
      ■         ■
 ハードコンタクトを使うと、
 全員が眼瞼下垂症になるのではありません。
 私の印象では、
 眼球が少し出ていて、
 コンタクトによって、
 瞼の裏側が摩擦される方に多い印象です。
 眼が大きくて、
 キレイな方です。
      ■         ■
 微妙な眼の左右差は…
 誰にでもあるものです。
 どこまでを正常範囲と考え、
 どこからが異常で、
 どの程度だったら手術適応とするかは、
 医師の判断に委(ゆだ)ねられます。
 どこまで治したらよいかを判断するのも、
 なかなか難しいものです。
 眼の手術は得意科目でも、
 100点を取るのは難しいと感じます。

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未分類

裁判所というところ

 私の父は、
 私が子どもの頃に、
 自分の叔父と裁判をしていました。
 土地の取得をめぐっての裁判でした。
 父親は薬剤師ですが、
 法律を知らないばかりに、
 土地をだまし取られたと…
 私が小学1年生の頃に、
 NHKの大学講座で、
 法律を勉強していました。
      ■         ■
 その父親の影響か?
 私は社会科の中では、
 政治経済が好きでした。
 地理、
 日本史、
 世界史、
 はまったくダメでしたが、
 政治経済だけは、
 札幌西高校でも、
 10段階評価の10でした。
      ■         ■
 私は理系クラスでしたが、
 10段階評価で10を取ったのは、
 現代国語と政治経済だけでした。
 英語、
 数学、
 化学、
 生物、
 医学部の受験に必要な科目は…
 残念ながら10は取れませんでした。
 政治経済の担当は平野先生でした。
 物静かで温厚な先生でした。
 東大をご卒業と噂されていました。
      ■         ■
 政治経済が好きだった私でも、
 裁判所のことは知りませんでした。
 裁判が公開の法廷で行われることも、
 何となく知っていましたが、
 実際に行ったことはありませんでした。
 一民間人としては、
 できれば裁判所には行きたくないものです。
 昨年10月8日に、
 弁護士の高橋智先生の日記で教えていただき、
 はじめて医療裁判の傍聴に行きました。
      ■         ■
 裁判所というところは、
 実際に行ってみると、
 案外入りやすいところでした。
 事務的に、
 裁判を処理しているという印象でした。
 法廷は静かなところです。
 傍聴人は、
 椅子に座って黙って聞いています。
 甲(こう)とか
 乙(おつ)とか
 丙(へい)というような、
 あまり聞き慣れない日本語が出てきます。
      ■         ■
 裁判員制度ができて、
 裁判所も一般人を意識しています。
 ただ、
 携帯電話の写メは駄目だそうです。
 法廷内はもちろん、
 携帯は駄目だと思っていました。
 私が注意を受けたのは、
 一階の掲示板のところでした。
 裁判の予定表が、
 大学の学生用掲示板のように、
 紙にプリントされて貼ってありました。
      ■         ■
 法廷を間違えないように…
 写メに撮ろうとして注意されました。
 掲示板にコピーが貼ってあるので、
 部屋番号を忘れないように…
 撮っただけでしたが、
 裁判所内ではカメラは禁止と、
 衛視(ガードマンのような人)に言われました。
 よく見ると
 入口近くに撮影禁止と
 注意が書いてありました。
 荻野先生の傍聴に、
 たくさんの方が行っていただけると幸いです。
 7月28日13:10より山形地裁です

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医療問題

荻野先生の第7回公判

 山形大学の
 荻野先生を支援する会、
 世話人代表 渡邉誠一先生から、
 メールが来ました。
 第7回公判に多数の傍聴を!
 荻野先生を支援する会
 世話人代表 渡邉誠一
 荻野教授に対する懲戒処分無効を求める裁判もいよいよ山場を迎えました。
 来る7月28日の午後1時10分より山形地裁において第7回目の公判が開かれます。今までは、原告・被告相互の陳述書の交換で淡々と進みましたが、今回は、いよいよ裁判の争点についての証人尋問が行われます。
 証人として、事故処理等に関する規則を制定した医学部教授及び手術を担当した医師、そして荻野先生が申請した荻野先生本人及び手術担当医(大学側が申請した医師と同一人)、計3人が予定されています。時間は一人当たり40分、計2時間余が予定されています。
 基本的には、既に提出した陳述書についての事実確認についての尋問が中心になると口頭による陳述は、裁判官の心証に少なからず影響を与えると思われますので、荻野先生が心静か気を楽にしてに証言できるよう、多数の方の応援の傍聴よろしくお願いします。
       ■         ■
 私がさくらんぼさんと知り合うきっかけとなった事件です。
 この事件については、
 昨年6月に
 シリーズで取り上げています。
 山形大学の事件①
 山形大学の事件②
 山形大学の事件③
 山形大学の事件④
 山形大学の事件⑤
 山形大学の事件⑥
      ■         ■
 事件の概要は次の通りです。
 2005年5月一人の女性患者さんが、
 下肢の手術のために、
 山形大学病院の皮膚科に入院しました。
 主治医は皮膚科の先生です。
 手術を引き受けて、
 入院の指示をした皮膚科には、
 形成外科専門医はいませんでした。
 もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
 経緯はわかりませんが、
 整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
      ■         ■
 手術の結果が思わしくなく、
 結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は推測します。
 その事実については、一人の形成外科医師として、
 患者様に本当に申し訳なく思います。
 皮膚科に入院していた患者様は、
 2005年8月山形県外の病院に転院。
 2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
 2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
 事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
 初めて明るみに出ました。
      ■         ■
 2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
 荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
 2007年11月山形大学教育研究評議会が
 荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
 この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
 それは手術を執刀した形成外科専門医が
 整形外科の所属だったからです。
 荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
      ■         ■
 昨年の日記には書きませんでしたが、
 事故が起こった際の治療費は、
 病院会計の【皮膚科】の、
 入院治療費として患者さんに請求されています。
 つまり、
 治療を行った主体は、
 【皮膚科】です。
 【整形外科】の荻野教授は、
 皮膚科の患者さんの手術や処置を知る立場にありません。
      ■         ■
 事故の当事者である、
 患者さんにはほんとうに申し訳なく思います。
 事故原因は、
 山形大学が、
 形成外科という診療科を作らなかったことにあります。
 処分されるべきは、
 医学部長であり、
 附属病院長です。
 私は公判へは行けませんが、
 一人でも多くの方に関心をもっていただきたいです。 
 皮膚科医として、
 形成外科診療を担当した私の正直な気持ちです。

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昔の記憶

記憶力と昔のこと

 さくらんぼさんに褒めていただきましたが、
 年齢とともに記憶力は悪くなっています。
 不思議なことに…
 昔のことはよく覚えていますが…
 人の名前とか…
 病院の名前とか…
 顔は思い出せるのに…
 名前が出てくるまで、
 時間がかかることが多くなりました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の職員には、
 あれでわかってもらえるので、
 感謝しています。
 仕事をする上での…
 ミスやトラブルはありませんが、
 記憶力が悪くなったと思います。
 50歳を過ぎてから…
 医師国家試験に合格した方がいらっしゃいます。
 私には絶対にできないことです。
      ■         ■
 私の経験では…
 記憶力が一番よかったのは、
 予備校の頃だったと思います。
 人生で一番勉強をした頃です。
 医師国家試験の前も、
 必死で勉強しましたが、
 予備校の時の方が…
 記憶力がよかったと思います。
      ■         ■
 講義の中で…
 一番記憶に残っているのが、
 予備校の矢野先生の講義です。
 先生の声まで覚えています。
 私が医師になれたのは、
 矢野先生のおかげだと…
 今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
 自分が講義や講演をする時には、
 少しでも…
 矢野先生に近づきたいと思ってしています。
      ■         ■
 私は医師としては、
 残り10年…というような、
 中高年の部類に入っています。
 今年で55歳になるので、
 昔だったら定年退職の時期です。
 今は、
 自分ができることを精一杯して、
 少しでも人様のお役に立てればと…
 考えています。
      ■         ■
 記憶力は悪くなりましたが、
 昔のことはよく覚えており…
 経験に基づいた判断には、
 若い人に負けない自信があります。
 同じことを30年もしていると、
 さまざまな困難にぶち当たります。
 その困難をどう乗り切ったか?
 先輩はこんなことをしていた…
 同僚や後輩はこんなことで躓(つまづ)いた…
 などなど
 中高年の医師でなければわからないこともあります。
      ■         ■
 私は、
 あと10年くらいの間…
 無理をせずに…
 自分のペースで、
 得意な手術をして…
 人様のお役に立てればいいなぁ~
 と思っています。
 記憶力は落ちても、
 まだまだ役に立つところはあります。

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昔の記憶

小さい頃の私

 恥ずかしながら…
 小さい頃の私です。
 昨日は、
 でべその私を紹介しましたが、
 この写真は、
 叔父(母の弟)と写っている写真です。
 母は5人兄弟の2番目です。
 母以外は全員男です。
 父親(私の祖父)が40歳代で亡くなったため…
 お父さんが生きていたら…
 というのが母の口癖でした。
      ■         ■
 30歳代で未亡人となり、
 5人の子どもを育てた、
 私の祖母(太田キヨ:平成10年に死亡)は、
 ほんとうにすごい人だったと、
 自分が50歳を過ぎてから思います。
 和裁で収入を得て、
 一人で子どもを5人も育てました。
 どうやって暮らしていたのだろう…?
 と今になって思います。
      ■         ■
 私の母は、
 お父さんが生きていたら…
 (自分も上の学校(大学)へ行けたかも…)
 (もっと苦労しなくてもよかったかも…)
 というようなことをよく言っていました。
 子ども心に覚えています。
 それと反対に、
 祖母からは、
 (夫が生きていたら…)
 というようなことは聞いたことがありませんでした。
 明るい人で、
 いつも笑い声が聞こえていました。
      ■         ■
 晩年は特別養護老人ホームでお世話になりましたが、
 施設でも、職員の方に、
 太田さん、おおたさんと、
 とても可愛がっていただだきました。
 一度は、職員の方が、
 祖母のために回転寿しに連れて行ってくださいました。
 施設の車に、
 車椅子を積んで、
 祖母が好きだったお鮨を食べさせてあげたいと、
 わざわざ行ってくださいました。
      ■         ■
 下の写真は、
 昭和30年5月、
 私が8ヵ月の時です。
 母の弟(太田雄造といいます)は、
 まだ20代だったと思います。
 私は、
 この雄造おじさんに、
 とても可愛がってもらいました。
 私が乗りもの好きなのは、
 この叔父さんに…
 小さい時から、
 オートバイや車に乗せてもらったためです。
      ■         ■
 私は長男で、
 初孫だったので、
 小さい頃の写真がたくさんあります。
 おじさんになって気恥ずかしいですが、
 私にも可愛い時代があったようです。


8ヶ月の頃
けんちゃんです

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昔の記憶

でべそ【臍ヘルニア】

 私は赤ちゃんの時に、
 一時期、でべそになったらしいです。
 赤ちゃんの頃のアルバムに、
 そのでべその写真がありました。
 子ども心に…
 少年けんちゃんは…
 そのでべその写真を見るのがイヤでした。
      ■         ■
 両親は出てきた臍を、
 懸命に治したのでしょう…
 記録の一つとして撮っておいたと思います。
 今だから… 
 こうして公開しても、
 恥ずかしくも何ともありませんが、
 少年けんちゃんだった頃は、
 この写真を捨てたいと思っていました。
      ■         ■
 赤ちゃんのでべそを、
 医学的には、
 臍(さい)ヘルニアといいます。
 多くは私のように…
 手術をしなくても治ります。
 今の私の臍は…
 ふつうです。
 何の異常もありません。
 ですから…
 特に心配することがないのが、
 赤ちゃんのでべそです。
      ■         ■
 ところが…
 形が悪くなるでべそがあります。
 小児科や
 小児外科の先生は
 これは問題ないので…
 手術の必要はありませんょ
 というでべそでも、
 幼稚園のお泊り会やプールで
 おへそを出すのが…
 絶対にイヤという子どもさんがいます。
      ■         ■
 幼稚園児といえど…
 傷ついて親にも話さない子もいます。
 おへそのちょっとした、
 出っ張りをでべそと言われて、
 はじめて気付く子もいます。
 大人になっても、
 ビキニの水着は着れずに…
 ボディピアスで
 でべそを隠そうとする女性もいます。
      ■         ■
 あるチェーン店の美容外科のHPには、
 でべそは簡単に治ると書いてあります。
 確かに、
 出っ張っているところを切除するだけで、
 簡単に治るでべそもあります。
 ところが…
 簡単には治らないでべそもたくさんあります。
 特に難しいのが、
 臍が無い状態から、
 深い臍を作る技術です。
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 小児外科の専門家ですら…
 難しいことがあります。
 深い、
 形の良い臍を作るには、
 皮弁(ひべん)という技術が必要になります。
 形成外科専門医でも、
 経験が豊富で、
 技術力がある先生でなければできません。
 深い臍を維持するためには、
 手術後のケアーが必要になります。
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 見えない場所にある臍(へそ)ですが、
 見えないところで…
 人知れず悩んでいる方は…
 意外と多いものです。
 でべそで困ったら、
 形成外科医に相談してください。
 多くは健康保険で手術ができます。
 でべそで悩んだことがある、
 おじさん先生からのアドバイスです。


生後3ヵ月頃の私です

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