医療問題

マスコミの力

 偉そうに見える?
 大学の先生も、
 マスコミには弱いのです。
 2009年9月7日の日記に書きました。
 信じてはいけない人に騙された私は、
 札幌医大を追い出されました。
 大学には何の未練もありませんでした。
 今でも…
 泥靴で私の背中を蹴って…
 追い出してくれた教授に感謝しています。
      ■         ■
 私は…
 札幌医大に形成外科を作ろうと思いました。
 学長にもできなかった形成外科創設。
 大胆にも…
 雇われ院長になった私が…
 札幌医大に形成外科を作る計画を立てました。
 考えたのは…
 まず、反対勢力を退治することでした。
 形成外科を自分の支配下に置き、
 私を騙(だま)した教授を、
 医学部長の席から引きずり下ろそうと考えました。
      ■         ■
 私は告発をしました。
 大学関係者は…
 ごく当たり前に思って…
 自分たちが違法行為をしているという認識が
 ありませんでした。
 大学の教員には…
 いい加減な人もいるものです。
 新聞によく出ている…
 研究費の不正など…
 そこら中でしていました。
      ■         ■
 私が内部告発した‘事件’は、
 朝日新聞の記者である、
 加賀元さんによって、
 詳細にまとめられました。
 不思議なことに…
 NHKも他からの情報により、
 同じ事件を調査していたようでした。
 私が札幌医大を退職した翌年2003年1月6日に、
 大々的に報道されました。
 歴史に残る医師名義貸し事件は、
 私の告発をきっかけとして…
 全国に波及しました。
      ■         ■
 当時、学長の座を狙っていた医学部長は、
 次の選挙で落選しました。
 札幌医大は、
 ようやく形成外科の教授選考をはじめました。
 なかなか応募者が集まらず、
 選考委員会は苦労したようです。
 ようやく、
 現在の四ツ柳高敏教授が…
 弘前大学から赴任されました。
      ■         ■
 今回の…
 札幌医大高度救命救急センターの問題も…
 加賀さんが取材をはじめて…
 わずか数週間で…
 あっという間に解決しました。
 2月27日の…
 日本熱傷学会北海道地方会で、
 札幌医大救急の浅井教授が残念そうに…
 札幌医大で治療できなくて、
 申し訳ございません。
 と話されてから1ヶ月でした。
      ■         ■
 加賀さんは…
 私と同年代のおじさん記者です。
 温厚そうに見える目の奥に…
 正しいものをしっかりと見分ける…
 鋭い眼力をお持ちです。
 私は高校生の時から…
 40年もの間…
 毎日…
 朝日新聞を読んでいます。
      ■         ■
 今の若い人は…
 新聞を読みません。
 新聞の活字の奥には…
 素晴らしい力があります。
 世の中を変えてくれます。
 新聞を読んでください。
 きっと役に立つことがたくさんあります。
 加賀さんありがとうございました。

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医療問題

札医大重症熱傷受け入れ再開

 平成22年4月1日、朝日新聞の記事です。
 重症熱傷受け入れ再開
 札医大病院 院内感染問題で2年ぶり
 設備改良、喜ぶ関係者
 サハリンで大やけどを負ったコンスタンチン君の治療などをした札幌医大付属病院の高度救命救急センターが、院内感染問題をきっかけに重症の熱傷患者の受け入れを2年以上も休止していたが、3月29日から再開に踏み切った。休止中、ほかの三次救急機関の負担が増え、昨年8月には大やけどを負った11歳の女児が札幌市内では受け入れできずに、東京都内の病院に搬送される事態も起きていた。(加賀元
 札幌市西区で昨年8月上旬、物置火災が起きた。女児が熱傷面積が約70%という大やけどを負い、市立札幌病院に運ばれた。
 しかし当時、同病院はすでに熱傷患者3人を抱え、うち2人は皮膚移植手術という緊急治療を控えていた。
 担当医は十分な医療体制が確保できないと判断。札幌医大病院の受け入れ休止が続いていることなどもあり、道外での救命の可能性を探った。
 翌朝、女児は自衛隊機で杏林大学高度救急救命センター(東京都三鷹市)に搬送され、一命をとりとめた。
 この事例は2月27日に札幌市内で開かれた「日本熱傷学会北海道地方会」で、市立札幌病院救命救急センターの牧瀬博医師(55)と遠藤昇生医師(37)が紹介した。理由について、牧瀬医師は「地域内での患者受け入れの必要性を訴えたかった」と話す。
 2008年2月から続いた札幌医大病院の重症熱傷患者の受け入れ「休止」で、市立札幌病院では年間10人前後だった患者が、09年度は21人にのぼっていたという。
 進内で唯一の高度救命救急センターである札幌医大病院は、これまで年間20人前後の重症熱傷患者を受け入れてきた。道内で同程度の医療レベルなのは、市立札幌病院と北大病院先進急性期医療センターの2施設とされている。
 しかし、札幌医大病院は08年2月8日、院内感染問題を公表。これに伴い、重症熱傷患者の受け入れを休止した。重症熱傷患者は院内感染リスクが最も高いためだった。
 札幌医大病院の塚本泰司病院長(61)は「2度と同じことを繰り返さないためにも、再開に向けては極めて慎重なステップを踏んだため」と説明している。
 08年4月、感染経路予防策の徹底など改善提言が出された。これを受け、病院側は病床の仕切りや、処置設備の動線の見直し、シャワー室の改修など設備面の改良を昨年9月末に済ませた。交通事故などの重傷患者の受け入れを「制限なし」としたのは昨年11月以降で、今回の再開は「感染制御部と救急集中治療部による再開の判断を待っていた」 (塚本病院長)という。
 札幌市内のある医師(55)は「設備も人材もそろった札幌医大病院の『再開』はありがたい。札幌医大は道民が築いた医療機関だけに、その役割をこれからも果たしてほしい」と話している。
      ■         ■
 札幌医大病院の院内感染問題
 同病院高度救命救急センターで、2006年9月から07年6月に入院した患者13人から抗生物質が効きにくい多剤耐性緑膿菌(MDRP)が検出され、60~70歳代の重症患者5人が死亡した。08年2月、同病院が公表した。
 当初、病院側は「原因は院内感染とは考えにくい」としたが、同年4月の外部の専門家を含めた調査では
①06年9月~08年1月に重いやけどなどで入院した23人が保菌者や感染者でうち8人が死亡。
②8人中5人はMDRP感染が原因とは考えられない。
③残る3人は病状悪化や死因の可能性が否定できない、とした。
 (以上、朝日新聞から引用)
      ■         ■
 2010年2月28日の院長日記で取り上げた、
 札幌医大の熱傷患者受入中止問題が、
 解決しました。
 ご声援をいただた…
 さくらんぼさん他、
 院長日記の読者の方に、
 感謝いたします。
 この記事は、
 加賀元(かがげん)さんの署名記事です。
 残念なことに…
 北海道版なので山形版には掲載されません。
      ■         ■
 救命救急の仕事をしていると…
 どんなことがあっても…
 (自分が)1ヵ月くらい家に帰れなくても…
 なんとか助けてあげたい!
 という患者さんが運ばれて来ます。
 11歳の女児は、
 東京まで搬送されて救命されました。
 札幌医大にも…
 東京と同じレベルの設備も人員もあります。
      ■         ■
 高度救命救急センターには、
 たくさんの税金が使われています。
 貴重な医療設備です。
 不慮の事故に遭った人を助けてください。
 学生さんの教育もできます。
 立派なお医者さんを育ててください。
 55歳のある医師はほっとしてます。
 記事を書いてくださった加賀さんに感謝しています。

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院長の休日

高須シヅ先生の死を悼む

 昨日(平成22年3月30日)、
 FAXが届きました。
 告別式御案内
 医療法人社団福祉会並びに高須クリニック理事_高須シヅ儀_かねてより病気療養中のところ3月29日午後9時35分急逝いたしました。
 ここに生前のご厚情を深謝し謹んでご通知申し上げます。
 通夜並びに葬儀は親族のみで行います。
 追って告別式は下記の通り執り行います。
 ________________
 告別式_4月4日_午後1時~
 場所_赤羽別院_親宣寺
 愛知県幡豆郡一色町大字赤羽上中郷14番
 電話_(0563)72-2308
 平成22年3月30日
 愛知県幡豆郡一色町赤羽上郷中124番地
 喪主
 医療法人社団福祉会_高須病院_理事長
 高須クリニック_院長
 高須克弥
      ■         ■
 心から哀悼の意を表し、
 ご冥福をお祈りいたします。
 高須クリニックHPによると、
 シヅ先生は
 昭和44年 昭和大学医学部卒業
 昭和44年 昭和大学病院勤務
 昭和49年 高須病院勤務
 昭和57年 高須クリニック勤務
 日本美容外科学会専門医 日本レーザー医学会認定医 サーマクール認定医 日本産婦人科学会専門医 母体保護法指定医 アメリカ美容外科学会会員 アメリカレーザー学会会員 アメリカ脂肪吸引学会会員
 です。高須幹弥先生のお母様です。
      ■         ■
 高須克弥先生のブログには、
 シヅ先生のことがよく載っていました。
 学生時代に、
 ドライブをしたこととか…
 サイドカーにシヅ先生を乗せてとか…
 楽しそうな、
 青春時代が書かれていました。
 毎日更新されていた…
 高須先生のブログが…
 今年になって更新されなくなりました。
      ■         ■
 愛犬チャッキーの死が
 平成22年2月25日。
 最愛のシヅ先生が、
 平成22年3月29日。
 前日まで…
 診療の指示を出されていたと…
 伺いました。
 突然の訃報に…
 言葉もありません。
      ■         ■
 2008年11月に東京で開催された、
 第5回国際美容外科学会では…
 学会場のホテルニューオータニで、
 シヅ先生、
 ご子息、
 お嫁さん、
 お孫さんを拝見しました。
 お孫さんを抱っこされていらっしゃる…
 シヅ先生優しい笑顔を思い出します。
 奥様の内助の功があり、
 家庭が円満だから、
 高須クリニックが繁栄されたのだと思います。
      ■         ■
 2008年11月17日(月)
 学会最終日はライブサージェリーがありました。
 赤坂見附のホテルニューオータニから…
 西新宿の神奈川クリニックまで、
 朝早くにバスで移動しました。
 私はバスの後部に座っていました。
 私の後ろが高須先生ご夫妻でした。
 シヅ先生は高須先生に、
 体調のことなど…
 優しく気遣っていらっしゃいました。
      ■         ■
 何気ない会話でしたが…
 耳に入ってくる言葉から、
 仲の良いご夫妻を感じました。
 医師であり、
 母であり、
 経営者でもある、
 シヅ先生のご苦労は、
 大変なことだったと思います。
      ■         ■
 どんなに医学が進歩しても…
 人の死にはかないません。
 無力感を感じます。
 65歳というのは…
 どう考えても若すぎます。
 シヅ先生のありし日を偲び、
 心からご冥福をお祈りいたします。
 高須家の皆様にも、
 謹んでお悔やみ申し上げます。
 合掌


 高須シヅ先生
 高須クリニックHPから

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医学講座

恥ずかしいです

 男性でも…
 女性でも…
 性器の手術は恥ずかしいです。
 自分が患者の立場だったら…
 穴があったら…
 入りたい心境だと思います。
 私でも(おっさんでも…)
 恥ずかしいです。
      ■         ■
 でも…
 考えてみてください。
 私たちは…
 医療従事者です。 
 法律で規定された…
 守秘義務があります。
 治してもらうためには…
 多少、恥ずかしいのは…
 じっとガマンです。
      ■         ■
 私のところへいらっしゃる方は、
 何年も悩んでいます。
 以前、さくらんぼさんからいただいたコメントに、
 若い方で、
 彼氏など に
 気になるような事をいわれて
 一人で悩んでいる
 親には話せない
 こんな方がたくさんいらっしゃいます。
      ■         ■
 女性ばかりではなく…
 男性も同じです。
 女性よりも悩みが深刻なこともあります。
 男性はデリケートなので…
 ちょっとした…
 彼女のひとことで、
 深く傷つくこともあります。
 かわいそうな性は、
 勃たなくなることもあります。
      ■         ■
 ネットにはさまざまな情報が氾濫してます。
 正しい情報もあれば、
 誤った情報もあります。
 なかなか手術を受けた人の声も聞けません。
 私たちの業界では…
 同業者の嫌がらせすらあります。
 広告もいい加減です。
 軽微な仮性包茎に限る
 という広告も目につきます。
      ■         ■
 私たちは…
 医療従事者であり、
 その道のプロです。
 少しでも…
 恥ずかしく無いように…
 気をつけています。
 パートナーに見られても…
 恥ずかしくない
 ように手術で改善して差し上げます。
 恥ずかしいのは…
 いっときだけです。

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医学講座

他にもいらっしゃいますか…?

 私のような悩みで…
 手術を受けられる方は…
 他にもいらっしゃいますか…?
 この手術を受けられる方は…
 多いですか…?
 誰にも相談できず…
 一人で悩んでいらして…
 手術を受ける前に…
 よくあるご質問の一つです。
      ■         ■
 2008年1月10日の日記に、
 小陰唇縮小手術のことを書きました。
 小陰唇縮小手術で受診なさる方は、真面目でしっかりした方です。
 ちょっとした他人との違いに、悩んでいらっしゃいます。
 どうってことはない、と思われててもご本人にとっては問題なのです。
 手術を受けられる方は、10代から40代までとさまざまです。
      ■         ■
 大部分の方は、『もっと早く手術を受ければよかった』とおっしゃいます。
 HPにも記載しましたが、婦人科の先生に勇気を出してご相談なさっても、『普通』ですと言われます。
 どこまでが‘普通’という定義はありません。
      ■         ■
 見えない部分だから、気にしなくてよいという人もいます。
 でも、一番気になる部分でもあるはずです。
 何もしていないのに、人より大きくて黒かったら…。
 手術で治るものなら、治してしまえば、一度で済むことです。
      ■         ■
 包茎手術の女性版が小陰唇縮小手術です。
 神様は、どうして包皮や小陰唇を作られたのでしょうか?
 他人より、ちょっとだけ長かったり、大きかったりするだけなのです。
 この1㎝とか5㎜とかが気になるのです。
      ■         ■
 ちょっとした‘出っ張り’のために…
 出ている部分が…
 下着や生理用品に当たります。
 そうすると…
 接触性皮膚炎という状態になります。
 ナプキンにかぶれやすくなり、
 いつも炎症を起こしているので…
 ‘炎症後色素沈着’となり黒くなります。
      ■         ■
 小陰唇だけではなく…
 クリトリスの包皮が余っている方も、
 手術を受ける方の半数以上に認めます。
 その時は…
 その余っている皮膚も切除します。
 そうすると、
 脚を閉じた状態で…
 ‘はみ出なく’なります。
      ■         ■
 手術は、
 局所麻酔でできます。
 できるだけ…
 痛くない麻酔をしています。
 ご希望でしたら、
 眠っている間にすることもできます。
 小陰唇縮小手術を受ける方には、
 看護師さんがたくさんいらっしゃいます。
 他人との違いがわかるからだと思います。
      ■         ■
 ふつうの女性は…
 他人のを見ることはありません。
 何が‘標準’なのかもわかりません。
 ですから…
 私のように悩んで手術を受ける方は…
 他にもいらっしゃいますか…?
 とお聞きになります。
 下の唇も身体の一部です。
 手術を受けて快適な生活ができるように…
 お手伝いして差し上げます。 

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医学講座

褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会2010

 平成22年3月27日(土)に、
 日本褥瘡(じょくそう)学会北海道地方会が、
 札幌コンベンションセンターでありました。
 昨日の札幌は…
 3月末というのに吹雪でした。
 今朝も道路が凍結して…
 つるつる路面です。
      ■         ■
 褥瘡(じょくそう)とは、
 寝たきりの高齢者や…
 脊髄損傷などで…
 動きが制限された方にできる、
 きずのことです。
 私の恩師である、
 大浦武彦先生が、
 平成10年に日本褥瘡学会を設立されました。
      ■         ■
 この10年間に…
 褥瘡治療は大きく変わりました。
 私たち形成外科医は、
 キズを治すプロです
 褥瘡も…
 手術で治していました。
 残念なことですが…
 せっかく手術できれいに治しても…
 褥瘡が再発することがありました。
      ■         ■
 褥瘡は…
 身体が動かなくなったため…
 つまり…自分自身では、
 (身体を)動かせなくなったために…
 できてしまいます。
 動かしてあげないと…
 またすぐにできてしまうことがあります。
 大浦先生は…
 キズを治すだけではなく…
 いかにキズができないようにするか…?
 が大切だということを啓蒙されました。
      ■         ■
 昨日の学会でも…
 動けない人を…
 いかに動けるように介助する…?
 という澤口裕二先生のご講演。
 おむつメーカーとして、
 不快にする
 製品開発をなさっていらっしゃる、
 ユニチャーム
 宮澤清工学博士のご講演もありました。
 私がもし…
 『寝たきり』になっても…
 褥瘡ができないように…
 動かしていただきたい
 と思いました。 

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院長の休日

孫は乙男(おとめん)?

 平成22年3月26日、朝日新聞朝刊、
 『ひととき』への投稿です。
 孫は乙男
 先日、近所に住む娘から電話があり「中3の息子がカップケーキを焼きたいと言うので面倒を見てくれないか」とのこと。男の子が?。意外に思ったが、二つ返事で引き受けた。
 孫の部活にお嬢さんが多いらしく、バレンタインデーのお返しとやらで36人分作るという。いささか不安な気持ちで待っていると、孫は分厚いケーキプックを手に意気揚々とやってきた。すでに試作品も作っており、これがなかなかの出来栄え。そのレシピを採用することにした。
 孫はたちまち身支度を整えた。手順は暗記済みで、粉、砂糖、卵を次々と計量していく。粉のふるい方や生地の混ぜ方のコツを少し教えただけで、どんどんはかどる。私が教えることなど何もない。元気盛りで力が強く、バターと砂糖をガンガン混ぜていく姿に、思わず笑ってしまった。小さなオープンは一度に6個しか焼けないが、孫は一回ごとに工夫を凝らし、デコレーションを変える。
 「これは楽しいね!」と2人ですっかり盛り上がった。半日かけて焼き上げたケーキを冷まして袋に収め、色とりどりのリポンで結んで出来上がり。孫はお茶も飲まず、大きな紙袋を大事そうに抱えて帰った。
 その後、娘が電話□で笑いながら言った。「近ごろ、乙男(オトメン)という人種がいるの」
 東京都文京区_都築華子_主婦71歳
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 71歳になられて…
 中学生のお孫さんと…
 クッキーを焼くなんて…
 うらやましいです。
 乙男(おとめん)という単語も…
 はじめて聞きました。
 力が強く、 
 バターと砂糖を
 ガンガン混ぜていく
 のはすごいです。
      ■         ■
 36個もクッキーを焼くのは…
 きっと女生徒に…
 人気があるからです。
 将来は…
 きっと優しいご主人になります。
 クッキーを焼いたことはありませんが、
 何個も作っていくと…
 少しずつ工夫したくなります。
 私のアップルパイも…
 少しずつ進化しました。
      ■         ■
 最近は、
 スカートや
 男性用ブラを着用する…
 若い男性がいるとTVで見ました。
 そんな趣味は…
 私には理解できませんが…
 お料理や…
 お菓子作りは…
 乙男(おとめん)と言われようと…
 楽しんでみたいと思います。

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昔の記憶

苫小牧東病院開院20周年

 札幌医大の同期、
 橋本洋一先生が経営される、
 医療法人社団平成醫塾(へいせいいじゅく)
 苫小牧東病院が開院されて20年。
 昨夜、記念講演会がありました。
 回復期リハ病棟についての講演でした。
 演者は、
 長嶋茂雄ジャイアンツ終身名誉監督の主治医であり、
 リハビリを担当された、
 石川誠先生でした。
      ■         ■
 石川誠先生は、
 昭和48年に群馬大学医学部をご卒業。
 脳神経外科を専攻されました。
 佐久総合病院、
 虎の門病院を経て、
 昭和61年に高知県の近森病院リハビリテーション科科長、
 平成元年に近森リハビリテーション病院院長。
 平成14年に初台リハビリテーション病院を開設、
 院長・理事長に就任する。
      ■         ■
 現在は、
 在宅総合ケアセンター元浅草
 の理事長もなさっていらっしゃいます。
 演題のタイトルは…
 質の向上を目指す回復期リハ病棟
 内容が濃い有意義なご講演でした。
 これからの日本の医療は、
 365日対応する、
 個別リハサービスです。
      ■         ■
 従来の…
 医師、看護師を中心とした病棟から→
 チームマネージャーを中心とし、
 医師はもちろん、
 看護師、介護福祉士、介護職員、
 理学療法士、作業療法士、言語療法士、
 医療ソーシャルワーカー
 薬剤師、
 管理栄養士
 がチームとなっている病棟が
 理想の回復期リハ病棟です。
      ■         ■
 橋本洋一先生の
 苫小牧東病院は、
 10年前の平成12年12月に
 道内第一号の
 回復期リハビリテーション病棟50床を開設されました。
 橋本洋一先生は、
 私と同じように、
 札幌医大を卒業後に北大へ行き、
 神経内科を専攻され、
 北海道大学大学院で学ばれました。
      ■         ■
 学生時代から、
 行動力と…
 バイタリティーに満ちた先生でした。
 現在は、
 北海道医師会常任理事も引き受けられ、
 公私ともに
 とてもお忙しい先生です。
 昔、写真部の仲間でもありました。
 橋本先生の苫小牧東病院が、
 ますます発展されることを祈念しています。

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昔の記憶

車の想い出

 私も若い頃は、
 が欲しい…
 とか、
 どこかへ行ってみたい…
 とか、
 そんながありました。
 学生時代には、
 父親の古い車を借りて、
 楽しんで乗っていました。
      ■         ■
 当時の本間家は、
 超ビンボーだったので、
 とても新車を買う余裕はありませんでした。
 私は公立大学で、
 授業料は一ヶ月分が3,000円でした。
 それでも予備校1年間+大学6年間は、
 お金がかかったと思います。
 私の弟は、
 芝浦工業大学という、
 東京の私大に行きました。
 仕送りが大変でした。
      ■         ■
 父親も車が欲しかったと思います。
 夕張、札幌の二重生活で…
 とても車を買う余裕はありませんでした。
 母親は生命保険の外交員をしていました。
 オイルショックの前でしたが、
 車はまだまだぜいたく品でした。
 そんな本間家に…
 はじめてのがやってきました。
 私が浪人中で…
 弟は高校生でした。
 父は夕張の炭鉱病院で…
 単身で薬剤師として働いていました。
      ■         ■
 父が勤務していたのは、
 三菱南大夕張炭鉱の、
 炭鉱病院でした。
 病院へは、
 札幌から製薬会社のMRさん、
 (医薬品情報を提供してくださる社員さん)
 がいらしてました。
 ある製薬メーカーのMRさんが、
 廃車になるという車を
 安く譲ってくださることになりました。
      ■         ■
 白いコロナでした。
 トヨタの車です。
 走行距離は10万キロを越えていました。
 それでも…
 しっかり整備されていたので、
 十分に走りました。
 当時走っていたタクシーと同じ型でした。
 父も私も喜んで…
 その車を大切に乗りました。
 札5
 さ・417
 というナンバーでした。
      ■         ■
 タイヤを買うお金がなかったので、
 中古のスパイクタイヤを買いました。
 雪が多い時には…
 タイヤチェーンを巻きました。
 日曜日に…
 父親が夕張へ帰る時…
 あまりにもすごい雪で…
 雪に埋まったら心配なので…
 予備校生の私が乗って行ったこともありました。
      ■         ■
 後輪駆動だったので、
 とにかくよくスリップしました。
 四輪駆動の乗用車など…
 夢のまたでした。
 シートベルトは2点式。
 頭部を保護する枕すら…
 オプションの時代でした。
 ラジオはAMのみ。
 スピーカーは1個でした。
 そんな車を一番よく磨きました。
 今は車があっても…
 乗る時間がなくなりました。

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院長の休日

冬用タイヤの溝

 さくらんぼさんから
 コメントをいただきました。
 冬用タイヤに替える時
 みぞが減っていたので
 替えるようにいいましたが、
 お金がもったいないから
 もう一年乗るという息子、
 安全には替えられないので
 私が新しい冬タイヤを買って
 取り付けました。
      ■         ■
 スタッドレスタイヤの溝が、
 磨り減っている車を見かけます。
 大型トラック…
 観光バスなど…
 夏に溝が無くなるまで…
 スタッドレスタイヤを履いているのを…
 よく見かけます。
 トラック業界も…
 バス業界も…
 経営が大変です。
      ■         ■
 車検を通るぎりぎりまで、
 タイヤを履きつぶす車を見かけます。
 不景気で…
 経営が大変なので…
 仕方のないことだとも思います。
 いくら2種免許を持ったプロでも…
 ツルツルのタイヤでは滑ります。
 長距離トラックの運転手さんは…
 過労で…
 睡魔との闘いとTVで見たことがあります。
      ■         ■
 どんなに安全性が高い車に乗っていても…
 大型トラックや…
 大型バスが…
 対向車線からはみ出して来たら…
 乗用車など…
 ひとたまりもありません。
 道路を走っていて…
 怖い目に遭ったことはありませんか?
      ■         ■
 国の景気対策もいまいちです。
 運送業者さんの経営も理解できます。
 ただ…
 不幸な交通事故を減らすために…
 バスやトラックのタイヤ…
 車のタイヤなど…
 何らかの減税措置があってもいいのでは…
 と思うことがあります。
 高速道路無料化もいいけれど…
 車の安全性に対する援助は…
 ecoカーよりも大切だと思います。

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