昔の記憶
山形大学職員組合からのお知らせ2015
休診日に富良野へ行っていた間に、
山形大学職員組合からメールが届いていました。
2015年7月14日
荻野教授の裁判を支援する会にご支援くださった皆様へ
支援する会 元世話人代表 渡邉誠一
(元山形大学職員組合委員長)
荻野先生のご逝去のお知らせ
支援する会をが解散してしばらく経っていますが、この度大変残念なご報告をしなければならなくなりました。去る5月22日に荻野先生がご逝去された旨の情報が、医学部所属の元会員から届けられました。
先ずもって、かってご支援いただいた皆様にご報告申し上げます。
荻野先生の山形大学医学部のみならず我が国さらには世界における整形外科学界におけるご貢献は、支援する会に、我が国のみならず、世界各国からたくさんの方々からご賛同していただいたことからもよくわか ります。ただ、それは単に先生のご業績に因るだけでなく、先生のお人柄によるものであることは言うまでもありません。
先生は、山形大学医学部附属病院の遅れていた診療体制、杜撰(ずさん)な管理運営と闘ってくれました。私たち支援する会は、先生の訴えを機に、病院の診療体制不備の下で、一方的に先生に責任を押しつけた不当な処分の撤回を要求するとともに、その診療体制と管理運営の問題を指摘し、その改善を求めてきました。
裁判では、残念ながら我々の要求は認めてもらえませんでしたが、医学部は、従来に杜撰(ずさん)に行われていた診療科を越えて行われる診療、いわゆる一種のチーム医療について、担当者に手当を支給すると同時に責任の所在を明確にした規則を制定しました。
昨今、チーム医療が広く行われる中で、山大医学部附属病院も、荻野先生の訴えを契機に、チーム医療における関係者の責任をより明確にしたことは、支援する会の運動が、診療体制と管理運営の改善に一定の貢献をしたものと考えています。
支援する会は、既に裁判の終了を機に解散しましたが、荻野先生の訃報に接して、ここに、皆様とともに、荻野先生の遺徳を偲び、そしてまた、荻野先生のご冥福お祈りしたいと思います。
合掌
山形大学職員組合 書記局
〒990-8560
山形市小白川町1-4-12
■ ■
渡邉誠一先生、
お言葉をありがとうございました。
敗訴した後で、
山形大学医学部が変わったことは知りませんでした。
日本全国の医学部で、
チーム医療という名の下で、
他科と合同で手術をする形成外科医はたくさんいますが、
担当者に手当は聞いたことがありませんでした。
■ ■
大学医学部の教員や研修医の多くは、
深夜におよぶ再建手術でも、
時間外手当ももらっていないのが現状だと思います。
荻野先生の訃報はとても残念です。
先日送られてきた、
北海道大学医学部同窓会の会報にも、
荻野利彦先生の死亡が載っていました。
あらためてご冥福をお祈りしています。

院長の休日
富良野のラベンダー2015
今日は休診日を利用して、
富良野へ行ってきました。
お天気もよく、
最高のラベンダー日和でした。
先日お亡くなりになった、
ラベンダー一筋の
富田忠雄さんを偲んできました。
■ ■
ファーム富田のグループ会社、
富田プランニングの元専務で、
北海道新聞にコメントが掲載された、
浦田吉(よし)さん(62)のお店、
くるみ割りに伺って、
浦田さんからお話しをお聞きしてきました。
北海道新聞に掲載された、
浦田さんのコメントです。
■ ■
情熱があふれる「花人」
コミュニティーカフェ経営・浦田吉(よし)さん(62)=グループ会社「富田プランニング」元専務で、長く親交
ラベンダーの魅力を知ってもらいたい、地域に根付かせたいという情熱を持っていました。亡くなった奥さん(幸子さん)の支えも大きかったと思います。花をめでる人たちを『花人』と呼ぶことを私から提案したのですが、忠雄さんはその先頭で、まさに花人でした。
(以上、北海道新聞_富良野版より引用)
■ ■
浦田さんのお話しでは、
奥様がお亡くなりになってから約20年。
富田さんはラベンダーを愛し、
学生たちにも、
ラベンダーのお話しをよくされたそうです。
ファーム富田には、
目が不自由な方もいらしたり、
心の癒しを求めて来る方も多くいらしたそうです。
富良野で富田忠雄さんのご冥福をお祈りしてきました。


医学講座
責任は医師にあります
新米形成外科医師への助言
…に書きました。
指導してくれるベテランの先生もいない、
大手○○美容外科
頼りになるのは、
先生ではなく、
ベテランの看護師さんだったりすることもあります。
雇う時には甘い言葉で誘います。
■ ■
鼻を高くする注入剤で、
鼻が壊死になってしまったとか、
失明寸前になったとか、
そんなこわいことは言いません。
実際には、
死亡事故も起きていますし、
鼻の壊死症例も学会で報告されています。
執刀したり、
注射をした先生の責任になります。
■ ■
米国医療訴訟
医療事故を防ぐには①
医療事故を防ぐには②
医療事故を防ぐには③
医療事故を防ぐには④
医療事故を防ぐには⑤
こちらの院長日記を読んでください。
■ ■
たとえば、
お給料がとてもよいけれど、
無謀な運転をしなければならない会社があったとします。
どんな労働条件で働いていたとしても、
事故を起こしたら、
運転していた人の責任です。
会社もある程度責任は取るでしょうが、
事故を起こした本人の責任は重いです。
■ ■
美容外科も同じです。
医師免許取得後3年目の先生ができることと、
何十年も経験を積んだベテラン医師とは違います。
航空機事故の時には、
機長は経験○万時間のベテランです
…と報道されます。
経験○万時間のベテラン機長でも、
事故を起こしたら最後です。
■ ■
私が若い先生に言いたいのは、
経営者の言うままに働いて、
せっかく苦労して得た医師免許証に、
傷をつけるようなことはおやめなさい。
患者さんを傷つけたら、
患者さん本人や家族から訴えられます。
うらまれます。
あなたのご両親も悲しみます。
■ ■
残念なことですが、
報道されていないだけで、
日本の美容外科では死亡事故も起きていますし、
鼻が壊死になってしまった患者さんや、
不幸な例があります。
甘い言葉で誘われて、
簡単でもうかるなんて思って、
美容外科医や美容皮膚科医にならないことです。
事故を起こしたら、
責任は医師本人にあります。
交通事故と同じです。
医学講座
新米形成外科医師への助言
昨日の院長日記、
日本美容外科学会第123回学術集会(東京)②に、
さくらんぼさんからコメントをいただきました。
先生のブログは新米形成外科医師に色々アドバイスしている内容ですね。
ちょっと 素人には難しいです。
生きているうちに新米形成外科医師に
本間先生の持っている知識を伝授するおつもりなんですね
■ ■
ありがとうございます。
私の院長日記は、
同業の先生にもよく読んでいただいています。
私は今年61歳になります。
日本の形成外科教授で、
私より若い先生がたくさん増えました。
同年代の教授は学会会長など、
日本形成外科学会の要職を務めています。
■ ■
国立大学、
公立大学、
私立大学を問わず、
最近の形成外科教授は大変です。
若い先生が入局しても、
○○大学形成外科で研修という、
一行の経歴のためだけに入局し、
すぐに辞めてしまう先生がいるからです。
■ ■
昔から、
専門医も取らずに辞めてしまう先生や、
専門医を取得したら、
速攻で辞めてしまう先生はいました。
最近は臨床研修制度のために、
大学の医局に入る先生が減った上に、
辞めてしまう若い先生が多いようです。
多くの形成外科教授が嘆いています。
■ ■
辞めた先生が行き着く先は、
なんちゃって美容外科医です。
初期研修の何倍もの給料や、
豪華な宿舎など、
魅力的な言葉で先生を勧誘します。
大手美容外科が、
○○美容外科札幌院を出店しようとすれば、
必ず医師免許を持った先生が必要になります。
少しでも安い給料で若い先生を雇うと、
経営者はもうかります。
■ ■
指導してくれるベテランの先生もいない、
大手○○美容外科
頼りになるのは、
先生ではなく、
ベテランの看護師さんだったりすることもあります。
雇う時には甘い言葉で誘います。
■ ■
鼻を高くする注入剤で、
鼻が壊死になってしまったとか、
失明寸前になったとか、
そんなこわいことは言いません。
実際には、
死亡事故も起きていますし、
鼻の壊死症例も学会で報告されています。
執刀したり、
注射をした先生の責任になります。
■ ■
私は形成外科が好きです。
○○大学形成外科入局という、
一行の経歴のためだけに、
形成外科を利用されるのは心外です。
若いうちは苦労して、
いい指導者について、
しっかり勉強するのがいいと私は思います。
事故を起こしてから後悔しても、
患者さんは元に戻りません。
医学講座
日本美容外科学会第123回学術集会(東京)②
昨日の日本美容外科学会第123回学術集会、
わざわざ東京まで行った甲斐がありました。
私が一番勉強になったのが、
下眼瞼疾患(眼瞼内反症、睫毛内反症)治療における私の考え
日本医科大学武蔵小杉病院形成外科教授、
村上正洋先生のご発表でした。
とても勉強になりました。
■ ■
村上正洋教授は、
形成外科の先生です。
腕の良い形成外科医です。
講演の冒頭で、
『私の発表は、美容外科には合わないかもしれない』
…とお話しになりました。
確かに美容目的の手術ではありませんが、
まぶたを理解する上で、とても勉強になりました。
■ ■
村上先生は、
日本医大をご卒業された形成外科の先生です。
日本医大の先輩である眼科の先生から、
患者さんの顔にできたホクロをとって欲しいと、
依頼されたのがはじまりだそうです。
村上先生のお言葉です。
『他の先生が美容外科から眼瞼の手術に進んだのとは違い、
私は眼科診療所からまぶたの手術をはじめました』
■ ■
形成外科医は、
切ったり、
縫ったりする、
手術が得意です。
縫合も上手です。
皮弁という技術も使えます。
でも…
眼球の表面を見るのは不得意です。
■ ■
村上先生は、
眼科で使う、
細隙灯さいげきとうという機器で、
角膜の表面や、
睫毛や、
眼球を診ることができる、
形成外科医です。
■ ■
年をとると、
下まぶたが変形して、
下まぶたのまつ毛が、
眼球に当たるお年寄りがいます。
白髪なった、
細い毛が一本当たっただけで、
目がしょぼしょぼします。
眼科でまつ毛を抜いてくれます。
■ ■
この変形が重度になると、
手術で治すことになります。
この手術がなかなか大変です。
ベテランの医師が手術をしても、
再発したり、
治らなかったりします。
村上先生は正直な先生です。
ご自分の手術結果を正直に発表されていました。
■ ■
私が村上先生のご発表をお聴きして感じたことは、
下まぶたが『たるんだ』といって、
下手な手術をすると、
80歳とか
90歳になった時に、
まつ毛が刺さってしまって、
目がしょぼしょぼするようなことにならないかなぁ~?
…と感じました。
■ ■
下まぶたの手術も難しいです。
村上先生は、
超アトラス
眼瞼手術
―眼科・形成外科の考えるポイント―
の編集者です。
ISBN:978-4-86519-205-6 C3047
この本は内容が充実しているいい本です。
私も買いました。
目の手術をする形成外科医におすすめします。
9800円+税です。

医学講座
日本美容外科学会第123回学術集会(東京)①
今日は東京で日本美容外科学会
第123回学術集会があるため、
日帰り出張です。
札幌は初夏のよい気候です。
正直なところ、
この季節に北海道から出たくないです。
でも勉強のために行きます。
■ ■
行ってみたら、
東京は思ったほど暑くありませんでした。
東京ではあたり前なのかもしれませんが、
地下鉄のホームでも、
冷房が効いていました。
冷気が出ているところに来ると、
気持ちよかったです。
■ ■
今日の学会プログラムです。
13:00からのパネルです。
座長 倉片 優(クリニカ市ヶ谷)
「下眼瞼の手術」
①加齢に伴う下眼瞼の変化
小室裕造 (帝京大学医学部形成外科)
②睫毛下切開アプローチによる下眼瞼形成術の治療成績向上のために必要なKnack &Pitfalls を理解する
渡辺頼勝 (東京警察病院形成外科・美容外科)
③経結膜的眼窩脂肪移動術を基本とした下眼瞼形成術について
百澤明 (山梨大学医学部形成外科)
④下眼瞼疾患(眼瞼内反症、睫毛内反症)治療における私の考え
村上正洋 (日本医科大学武蔵小杉病院形成外科)
⑤下眼瞼下制術で目の印象はどこまで変えられるか?
広比利次 (リッツ美容外科東京院)
■ ■
この他に、
韓国からの50分の招待講演
“High SMAS Facelift with release of retaining ligaments for Asian”
Dr. RYU, Min-Hee(柳民熙)
Oracle Plastic Surgery Clinic,
Seoul, KOREA
特別企画が50分、
「日本の美容外科専門医制度について考える」
①日本専門医機構と美容外科専門医制度について
朝戸裕貴(獨協医科大学 形成外科・美容外科)
②米国の美容外科事情
クレカツヒロ・ロバート(プラザ形成外科・東京女子医大東医療センター形成外科)
最後に一般演題が8題ありました。
■ ■
半日の学会ですが、
中味が濃い学会でした。
会場も快適でした。
毎日新聞社のビルで、
地下鉄東西線竹橋駅と直結していて、
羽田空港からも便利でした。
組織会長の、
帝京大学医学部形成外科
小室裕造先生ありがとうございました。
スターバックスのコーヒーも美味しかったです。
新千歳空港から札幌へ向かう列車で書いています。
昔の記憶
形成外科ひとすじ
ラベンダー一筋
ファーム富田の富田忠雄さんの生涯を書いた、
北海道新聞の記事の日記に、
さくらんぼさんから、
先生も 形成外科一筋の素晴らしい先生だと思います。
…とコメントをいただきました。
ありがとうございます。
自分が亡くなった時にそう言われたいです。
■ ■
私はもともと形成外科医なので、
やっぱり形成外科が好きです。
美容目的で二重にする手術より、
生まれつき開きが悪い目を、
苦労して見えやすい目にする手術が好きです。
札幌美容形成外科では保険の眼瞼下垂症手術が多いです。
■ ■
私の基本的な考えです。
眼瞼下垂症の開きにくい目も、
わきがの臭いも、
赤ちゃんが吸えない陥没乳首も、
患者さん本人には何の責任もありません。
変なところに行って、
悪い病気をもらうのとは違います。
■ ■
どうしても保険適応で手術ができない、
小陰唇縮小手術などもあります。
これも、
本人にはまったく何の落ち度もありません。
手術で治して快適にして差し上げたいと思います。
重症度にかかわらず、
時間がかかる手術でも同じ料金設定です。
『あなたは重度だから○○万円余計にかかります』
…という大手美容外科によくある課金はありません。
■ ■
私も経営者の端くれですから、
赤字経営が続けば困ります。
よく働いてくれる従業員にも、
お給料を払わなくてはいけません。
でも…
うさんくさいとか、
いんちきとか、
そんな美容形成外科にはなりません。
形成外科ひとすじに生きてよかったと思える人生にしたいです。
今年は北大形成外科創立50周年です。
恩師の大浦武彦先生に感謝しています。


医学講座
わきがに悩んでいます
平成27年7月8日水曜日、
北海道新聞朝刊に掲載された記事です。
毎週水曜日の朝刊、生活面に、
医療関係の記事が掲載されます。
私の記憶が正しければ、
この質問コーナーで、
わきがが取り上げられ、
形成外科専門医が、
保険適応で手術ができると書いたのははじめてです。
とてもうれしいです。
■ ■
斎藤典子先生はベテランの形成外科医です。
この記事を読んで、
少しでも多くの人に、
わきが手術のことについて知っていただきたです。
わきがに悩んでいます
手術で汗の分泌腺切除も
質問20代女性。中学生のころからわきがに悩まされています。特に薄着になる夏は、嫌でたまりません。何ごとに対しても消極的になってしまいます。手術で治療できると聞きました。どんな治療で、費用はどのくらいかかるのでしょうか。また、手術以外にも治せる方法はありますか。
回答わきが(腋臭(えきしゅう)症)は、脇の下に独特の臭気を放つものです。その原因は、脇の下にあるアポクリン腺という汗の分泌腺から、汗が盛んに出て、その汗が皮膚の表面にある細菌で分解されつくられた脂肪酸とされています。
思春期に現れ、夏ににおいが強くなるため、相談者のように10代後半から20代で気にされている方は少なくないと思います。
手術による治療は可能です。横切開せん除法という方法が簡便で一般的です。これは、脇毛の生えている範囲を2等分あるいは3等分するようにしわの方向に一致させて皮膚を切開し、脇毛の範囲の皮膚の下にあるアポクリン腺を切り取る方法です。
この方法は保険診療で受けることができます。当院は、5日ほど入院していただいて両脇を同時に手術しています。当院では行っていませんが、手術日を分けて片方ずつを日帰りで行う施設もあります。
入院か日帰りか、全身麻酔か局所麻酔かによって治療費は異なります。患者さんの自己負担額(3割負担の場合)は、入院・全身麻酔・両方行う場合が12~13万円程度、日帰り・局所麻酔・片方行う場合が2万円くらいでしょう。
この手術を受けると、においはかなり減ります。でも100%はとれません。また、切開した時の線状の傷痕は残ってしまいます。
手術以外の治療法としては、脇につける制汗剤や、脇毛の脱毛などがあります。アポクリン腺からの汗は毛穴に分泌されるため、脱毛することでにおいを少なくすることができます。でも、これは保険診療ではありません。
わきがの治療は、形成外科や、外用剤の治療であれば皮膚科でも受けられます。通常の診察では、脇にガーゼを挟んで、数分後ににおいを確認して腋臭症の程度を判断します。受診する時は制汗剤などを使用しないで来てください。
(市立札幌病院形成外科・斎藤典子さん=札幌市中央区)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私が20年前に市立札幌病院に勤務していた時も、
同じように入院していただいて、
全身麻酔で手術をしていました。
手術前の診察は、
ガーゼを脇にはさんでいただき、
その臭いを嗅いで、
手術が必要かどうか診察する方法でした。
申し訳ないことに
この方法で誤診をしたことがありました。
■ ■
また、
においはかなり減ります。
でも100%はとれませんとも説明していました。
切除範囲が足りなくて、
再手術をしたことがありました。
それからは、
できるだけ臭いが無くなるように、
切除範囲を広く手術をしています。
■ ■
昔の北海道新聞に、
わきが手術について書かれたことがありました。
残念なことに、
わきが手術に保険が使えないと書いてありました。
それを読んだお母さんが、
子供にわきが手術を受けさせたいけれど、
とても数十万円も出して、
美容整形で手術はできないと諦めたと話していらっしゃいました。
■ ■
その患者さんは、
市立札幌病院で、
私が手術をさせていただきました。
お母さんから、
保険が使えるなんて知らなかった、
道新に保険が使えないって書いてあったから、
ずっと諦めていましたと話してくださいました。
わきがは恥ずかしいことではありません。
悩んでいないでしっかりとした病院で手術を受けてください。

昔の記憶
ラベンダー一筋
平成27年7月7日、北海道新聞朝刊の続きです。
昨日の院長日記と今日の院長日記は、
どうしん電子版からの引用です。
今朝の朝日新聞朝刊の全国版にも、
冨田忠雄さんの訃報が掲載されていました。
偉大な方でした。
北海道新聞に掲載された、
富田忠雄さんの生涯です。
■ ■
ラベンダー一筋
「花の町」けん引
【中富良野、富良野】ラベンダー観光の先駆者として知られる富田忠雄さんが亡くなった。壊滅寸前のラベンダー栽培を守り抜き、花畑の観光地化に加えて、香水などの製造にも取り組んだ83年の生涯。早咲きのラベンダーの花が満開を迎えた時期に息を引き取ったことに、生前を知る人たちから「忠雄さんらしい最期」との声が上がっている。
富良野市内でコミュニティーカフェを営む浦田吉(よし)さん(62)は、富田さんが庭園や香水づくりの構想を話す姿に心を打たれ、設立時にファーム富田の専務に就き、資金集めにも尽力。「ロマンチストで夢をかなえようとする姿に共感しました」と、当時を振り返る。
長男均さん(53)によると、富田さんは3年ほど前から入退院を繰り返していたが、体調の良い日には花畑に出て、自らが「花人(はなびと)」と呼んだ観光客との交流を続けたという。均さんは「夢を追い続ける少年のような人でした」と話す。
上川管内中富良野町の木佐剛三(たけぞう)町長は「6次産業化農家の先駆け的な存在。中富良野が花の町として有名になったのは、富田さんあってこそ」。かつては富良野スキー学校長を務めたこともある富田さんの訃報に、ふらの観光協会の黒岩岳雄前会長(69)は夏はラベンダー、冬はスキーという富良野観光の原型をつくってくれた」と感謝した。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
ラベンダー一筋に83年、
富田忠雄さんの業績は偉大です。
首都圏に行っても、
アジア圏でも、
夏の北海道といえば、
富良野のラベンダーです。
ファーム富田だけではなく、
周辺地域への貢献も莫大なものです。
■ ■
私は、
天皇皇后両陛下がファーム富田にいらした時、
富田忠雄さんが、
嬉しそうにご案内されていたのを、
とてもよく覚えています。
ファーム富田の歴史でも、
一番の思い出だと思います。
■ ■
富田さんのすごいところは、
金儲け主義ではないところです。
入園料も無料、
駐車場も無料です。
金儲け主義の物品販売もありません。
あるのは美しい花、
ラベンダーのよい香り、
ラベンダーを使ったドライフラワーなどの販売だけです。
■ ■
ラベンダーの良さを、
広く世界の人に知ってもらいたいという、
富田忠雄さんの強い思いが伝わってきます。
私は北海道新聞に載っていた、
浦田専務とお話ししたこともあります。
あれだけのお花畑を維持するのは、
とて大変なのだそうです。
■ ■
彩りの畑は、
紫のラベンダー、
白のカスミソウ、
赤のポピー、
ピンクのコマチソウ、
オレンジのカリフォルニアポピーが、
とてもきれいに咲いています。
花の開花時期を合わせること、
白の花畑に、
一本でも赤が混じると大変です。
今年も富良野へ行きます。
富田忠雄さんのご冥福を祈ってきます。
ほんとうにありがとうございました。


昔の記憶
訃報_富田忠雄さん83歳
平成27年7月7日、北海道新聞朝刊のおくやみ広告と、
社会面の記事です。
心からご冥福をお祈りいたします。
ラベンダーに情熱
北海道・中富良野「ファーム富田」会長死去
【中富良野】ラベンダー栽培に情熱を注ぎ、経営する観光農園を年間100万人以上が訪れる名所に育てた「ファーム富田」(上川管内中富良野町)会長の富田忠雄(とみた・ただお)さんが7月4日午前6時43分、急性心不全のため、旭川市内の病院で死去した。83歳。中富良野町出身。自宅は同町中富良野基線北15号。近親者で葬儀を済ませた。喪主は同社社長の長男均(ひとし)さん。後日お別れの会を開く。
中富良野国民学校を卒業後、同町北星地区で農業に従事。後にラベンダー栽培に取り組んだ。
1970年代前半、合成香料の普及などでラベンダーオイルの価格が下落し、ラベンダーの栽培面積が大幅に縮小する中で花畑を守り続けた。トラクターで花畑をつぶそうとしたことも何度かあったが、そのたびに「わが子に手をかけるようでできなかった」との逸話が残る。
1976年に旧国鉄のカレンダーにラベンダー畑の風景が採用されたほか、テレビドラマ「 北の国から 」のロケ地にもなり、全国で知られる存在に。1983年に有限会社「ファーム富田」を設立し、香水やせっけんなどの製造にも取り組んだ。
1990年に、北海道新聞文化賞のほか、南フランスのラベンダー生産組織から功労者に贈られる「ラベンダー・ナイト」の称号を受けた。1999年に道産業貢献賞。
(以上、北海道新聞より引用)


(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
残念です。
私は一度だけ富田社長とお話しをしたことがあります。
毎年富良野へ行くと、
花人の舎の前によくいらっしゃいました。
優しそうな方でした。
ファーム富田には、
直筆で筆でかかれた、
富田社長のお言葉が貼ってありました。
■ ■
奥様を亡くされたと伺っていました。
昔は冬のスキーが有名だった富良野です。
今は冬より夏の花が有名です。
富田社長の偉大な業績です。
天皇陛下がいらした夏に、
富田社長が嬉しそうにご案内されていたのを、
今でも思い出します。
心からご冥福をお祈りいたします。