医学講座
第55回日本形成外科学会(東京)⑤
今回の第55回日本形成外科学会で、
私が一番印象に残った発表です。
一般演題418
前頭筋を利用した瞼裂狭小症の手術治療
名古屋形成クリニック
上 敏明(かみ_としあき)、加納康裕
瞼裂狭小症(けんれつきょうしょうしょう)は先天的に内眼角部の形態異常と眼瞼下垂を呈する疾患である。形態ばかりでなく、視野が狭くなるなど、機能面においても障害となる可能性がある。そのため早期の治療が望まれる。治療開始はその重大性を我々医師が認識せずに、漫然と先送りをしがちであるが、昨今の小児、児童の間におけるいじめ、本人が人と異なる顔貌をしていることに起因する劣等感などを考慮すると一層、早期の治療が望ましい。我々の方針として、唇裂と同様に生後3ヶ月を経過した時点で、患者さんや保護者の希望があったら手術をすることとしている。
手術について
本症例は挙筋機能が著しく廃絶されていたり、挙筋そのものが発育不全をきたしている症例が多い。眼瞼挙筋短縮や腱膜固定等、挙筋を利用した手術では限界がある。以前より有効な手術例として、筋膜やゴアテックス、テフロンを介在させ、前頭筋と瞼板との間にスリングを作り、上眼瞼を引き上げる方法である。しかしながら、これらの方法は強制的に眼瞼を引き上げるため、非生理的で、不自然さを伴う場合が多かった。ドナーを身体の他の部位に求めたり、人工物を使用するというリスクも考えなければならない。約30年前Songらが前頭筋の起始をはずし直接瞼板に縫合する眼瞼下垂の手術を行なった。この方法は当初ヽ眼瞼を挙上する力が強すぎると思われていた、下垂の程度の著しい症例、くり返しの下垂の手術を受けた症例等に行なわれていた。結果は良好とのことであった。最近、我々はこの方法による眼瞼下垂手術を幼小児期の瞼裂狭小症の症例に対して行ない、良好な結果を得ている。本報告では手術法の詳細とともに、若干の検討を加え述べることとする。
■ ■
上(かみ)先生は形成外科・美容外科の大先輩です。
毎年学会にも必ず参加されています。
笑顔が優しい先生で、
お会いすると必ず声をかけてくださいます。
今回のご発表は…
すばらしかったです。
■ ■
瞼裂狭小症は治療が難しい疾患です。
私は…
大学病院の眼科と形成外科が治療する病気?
…と考えていました。
でも…
考えてみると…
子どもさんでも…
美しく仕上げるのは美容外科の知識と技術です。
■ ■
上敏明先生のご発表によると…
大きな病院の眼科へ行っても…
形成外科へ行っても…
もう少し大きくなるまで手術を待ちましょう。
まだ小さいので手術は無理です。
…と延々待たされるだけ。
集団生活をはじめるようになると…
気持ち悪いといじめられる子もいます。
■ ■
赤ちゃんが生まれたのに…
子どもが一番可愛い時期に…
写真も撮ってあげられない。
お母さんの気持ちとしては…
一日でも早くよくしてあげたい。
ご両親もおじいちゃんおばあちゃんも…
一日も早く治してあげたいと願っています。
■ ■
私のいままでの考えでは…
赤ちゃんの時期に目の手術は無理…
…と思っていました。
もし失敗したら…
取り返しがつかなくなる…
…と考えていました。
でも同じ生まれつきの病気でも…
唇裂は生後3ヵ月で手術をしています。
■ ■
上敏明先生のすごいところは…
大学病院でもなく、
総合病院でもないのに…
小さいうちから手術をしちゃうところです。
名古屋形成クリニックでは、
保険診療で瞼裂狭小症の手術をしてくれます。
札幌美容形成外科ではまだ無理ですが…
将来の検討課題として…
子どもさんの手術も考えたいと思いました。
瞼裂狭小症なら名古屋の上(かみ)先生です。
医学講座
第55回日本形成外科学会(東京)④
第55回日本形成外科学会で…
私が感動した特別講演です。
早稲田大学名誉教授、
木村利人(りひと)先生、
バイオエシックスは何故必要なのか
―Learning from History―
■ ■
恥ずかしながら…
バイオエシックスと聞いても…
すぐに生命倫理と…
ピンと来ませんでした。
私の頭の中に…
生命倫理=(いこーる)難しい
…という拒否反応がありました。
■ ■
木村利人(りひと)先生のご講演をお聴きして…
もっと早く知っていればよかったと思いました。
私がこの特別講演を聞こうと思った理由は、
会長の内沼先生の紹介文に…
木村先生は…
幸せなら手をたたこうの作詞者と書かれていたからです。
■ ■
木村先生は1934年(昭和9年)生。
とてもお若く見える先生です。
10歳は若くみえました。
とても大きな声で…
実に明快な講演でした。
居眠りしている人はいませんでした。
■ ■
木村先生は、
日本にインフォームドコンセントを紹介なさった先生です。
医師国家試験の出題委員に…
医師以外ではじめて任命された先生です。
インフォームドコンセントに関する過去問は、
木村先生が出題された問題です。
■ ■
ご自身がベトナムのサイゴン大学で教授をなさっていらした時期に、
尿管結石を発症されました。
急遽日本へ帰国して…
緊急手術を受けられました。
その後、米国で尿管結石が再発。
その時にハーバード大学で医師から受けた説明が丁寧で、
日本との違いに驚かれたそうです。
■ ■
講演の内容は…
生命倫理学という難しい学問ではなく、
なぜ患者さんにしっかりと説明をして…
きちんと同意を得て…
医療を行うことが大切なのか
とてもよく理解できました。
■ ■
私は医学部や看護学部の学生さんに、
是非、木村利人先生の講演を聴いていただきたいです。
とても明快な講義です。
幸せなら手をたたこうの医療です。
医療者側も患者側も…
幸せに手をたたくためには…
バイオエシックスが必要だと感じました。
YouTubeで木村先生の講義がお聴きになれます。
医学講座
第55回日本形成外科学会(東京)③
4月12日(木)のランチョンセミナーで、
ナグモクリニック総院長、
南雲吉則先生の講演をお聴きしました。
タイトルは、
新時代の乳房形成術
低吸収ヒアルロン酸
培養脂肪移植
乳房再建一回法
です。
■ ■
いつも感心するのですが…
南雲先生は若い。
とても私と同年代とは思えない。
髪もふさふさしていて、
目もぱっちりしている(手術で治していない)。
肌もつやつやしている。
■ ■
講演内容も素晴らしかった。
南雲先生のお父様は高名な美容外科医です。
以前、南雲先生から…
『父を尊敬している』
…と伺ったことがありました。
親子2代の美容外科医、
2代目の南雲吉則先生は…
ナグモクリニックを大きく発展させました。
■ ■
今回のご発表では、
われわれ形成外科医があまり得意ではない、
超音波診断機器を使って、
実にきれいな胸を作っていらっしゃいました。
ヒアルロン酸でも…
上手に使えば…
こんなにキレイになるのか…?
と感動しました。
■ ■
乳癌で無くなった胸を再建するのも…
ナグモ方式で再建すれば…
社会復帰までの期間が短縮できると思いました。
今回の発表をお聴きして…
なぐちゃんはすごいと…
あらためて実感しました。
医学講座
第55回日本形成外科学会(東京)②
私が熱心に聴いているのは…
眼瞼下垂症についての発表です。
今回の学会では、
ガイドラインシンポジウムがあります。
日本形成外科学会として、
治療指針を作成するため討論会です。
■ ■
4月11日(水)9:00から、
信州大学形成外科の松尾清先生が座長で、
眼瞼下垂症ガイドラインシンポジウムがありました。
シンポジウムを聴いた感想…
眼瞼下垂(がんけんかすい)の診断一つにしても、
難しいです。
診断基準を決めることすら…
かなり難しいです。
■ ■
ガイドラインを決めるには…
エビデンス(証拠)が確かな論文が必要です。
このエビデンスがある論文がないのです。
シンポジストの先生は、
全員、大変苦労して調査されました。
世界中探しても…
しっかりとした証拠がある論文がありません。
■ ■
ですから…
眼瞼下垂症の診断には…
これこれの検査で…
瞳孔と瞼(まぶた)の距離が…
何ミリ以下だったら…
眼瞼下垂症ですという診断基準がありません。
■ ■
どの程度の眼瞼下垂症には、
どんな手術をすると改善するか?
ガイドラインがあると便利です。
ところが…
症状も人によって異なり、
視力も違います。
■ ■
ドライアイの人もいれば、
なみだ目の人もいます。
なかなか統一した基準を作るのが難しいです。
大学で専門に研究をしている先生でも、
診断基準は微妙に違います。
■ ■
再発の問題もあります。
術式によっては…
再発率が20%もある手術があります。
眼瞼痙攣(がんけんけいれん)という病気があります。
ボトックス注射が効きますが、
一度注射すればずっと効くのではありません。
対症療法として有効という結論でした。
まだまだ研究が必要な病気です。
医学講座
第55回日本形成外科学会(東京)①
今日から日本形成外科学会です。
東京のホテルニューオータニで開催されています。
東京はあたたかいです。
まだ桜も咲いています。
北海道とは一ヶ月くらい違います。
今年の学会長は、
北里大学形成外科の内沼栄樹教授です。
■ ■
今日の学会で印象に残った発表は、
特別講演_塩谷信幸先生の、
『形成外科の裏街道』でした。
塩谷先生は北里大学名誉教授。
私の恩師である、
大浦武彦先生と同年代の先生です。
お二人ともとてもお元気で現役です。
■ ■
塩谷先生が毎日更新されているブログは、
2005年5月26日のlivedoor Blogから始まり…
もう7年…
おそらく形成外科医で…
これだけ長く続いているブログは、
世界中探しても塩谷先生だけだと思います。
■ ■
特別講演の座長は、
東京女子医大名誉教授の、
野﨑幹弘先生でした。
野﨑先生が、
塩谷先生は…
旧制一高(今の東大教養学部)に…
主席で入学された秀才とご紹介されました。
■ ■
塩谷先生の奥様は先生の幼馴染で、
日比谷の外国人記者クラブで、
奥様と仲良くお食事をなさっているなど…
私たちが知らない塩谷先生のことも、
野﨑先生のご紹介で知ることができました。
ブログで書かれていらっしゃるように…
素晴らしいご家庭です。
■ ■
塩谷先生は素晴らしい形成外科医を育てられました。
学会長の内沼栄樹教授。
私の主治医である聖路加国際病院の大竹尚之先生。
クリニック宇津木流の宇津木龍一先生。
福岡大学形成外科の大慈彌裕之教授。
湘南鎌倉病院形成外科の山下理絵先生。
他にもたくさんの優秀なお弟子さんがいらっしゃいます。
■ ■
今日の形成外科の裏街道で印象に残ったのは、
2つの日本美容外科学会のことでした。
形成外科を標榜科目として国に認めさせる。
当時の日本形成外科学会理事長が…
学会員の名簿に細工をして提出したなど、
記録として残せないこともお話しくださいました。
■ ■
国会で正式に決まる直前に…
美容整形外科にするのか…
美容外科にするのか…
どのような経緯で決まったのか…
私の世代でも知らないことでした。
現在の日本形成外科学会や日本美容外科学会の歴史がわかりました。
■ ■
塩谷先生が講演の冒頭で、
過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる
…は誰が言った言葉か知っていますか?
…と会場に問いかけられました。
残念なことに…
私も思い出せませんでした。
ヴァイツゼッカ第8代ドイツ連邦大統領が、
1985年5月8日の連邦議会で述べられた言葉です。
形成外科や美容外科の過去を知り、
とても勉強になった一日でした。
昔の記憶
金井くんに会いました
FaceBookで見つけましたでご紹介した、
沖縄で牧師をしている、
金井創(かないはじめ)くんに会いました。
昨夜、仕事を終えてから…
福よしさんという、
焼き鳥屋さんへ行きました。
■ ■
JR札幌駅、西改札口で待っていると…
牧師さんらしくない…
金井くんがやって来ました。
遠くから見ていましたが…
歩き方と背の高さで…
すぐにわかりました。
■ ■
FaceBookに感謝しています。
もう30年近くも会っていませんでした。
それでも…
声は昔のままでした。
同級生はいいものです。
彼はお父さんのお見舞いにやって来ました。
お父様も立派な牧師さんです。
■ ■
お父様の体調がよくないと聞き…
昔、お世話になったので心配しています。
金井君の家には、
ローリーという犬がいました。
ダックスでした。
私も家で犬を飼ってみたいと思っていました。
■ ■
金井君の家は牧師さんだったので、
食事の前には…
必ずお祈りをしていました。
とても優しいお母さんで、
お料理が上手でした。
私の憧れの家庭でした。
いろいろな話しをしていたら…
あっという間に時間が過ぎてしまいました。
昔の記憶
不合格の原因をさぐる
4月から希望の学校へ進学した人もいれば、
念願かなわず…
予備校に行かれた人もいると思います。
無理に予備校へ行くことはありませんが、
私は浪人は無駄ではない
…と考えています。
■ ■
予備校時代に矢野雋輔先生が言われた、
受験生は人生で一番ロマンチックな時期
という言葉を想い出します。
人生で一番ロマンチックな時期
必死で勉強していて、
彼女もいない不遇な青春時代でした。
こんなに辛いのに、
どうしてロマンチックなのだろう…?
と不思議に思っていました。
どんなに勉強しても、
成績はそれほどUPしないし。
来年、合格できるという保証もない。
自分の周囲を見回すと…
偏差値75で落ちた人がいる。
■ ■
勉強をして、
自分の実力を知れば知るほど…
不安になっていたものでした。
自分の実力がわからない時は、
偏差値60ちょっとでも合格した人もいるから、
自分もひょっとしたら…?
合格できるかも…?
なんて考えたこともありました。
■ ■
今年、受験に失敗した人は…
不合格の原因をさぐってください
成績開示制度がある学校でしたら、
自分の成績を調べてください。
あと一点で合格という人もいます。
ちくしょう!あと一点か…?
…なんて思わないでください。
■ ■
一点でも不合格は不合格です。
一点足りなかった原因をさぐってください。
私が受験に失敗したのは…
数学でした。
完全に学力不足でした。
勉強の方法も誤っていました。
今も昔も勉強で苦労するのは同じです。
■ ■
失敗は人生につきものです。
失敗の原因をしっかりと調べ…
分析して…
対処することです。
一点で落ちた人は、
あと20点多く取れるようにがんばることです。
しっかり勉強すれば…
今年落ちた学校より難しいところへも入れます。
■ ■
観察→分析→判断
…という2007年7月に北海学園大学のニトリ講座で習ったことに書いてあります。
商売でも…
しっかりと観察して、
現状を分析して…
どう判断するかで変わります。
不合格の原因をさぐる
失敗の原因をさぐる
ことは…
成功への第一歩です。
どうかがんばってください。
医学講座
英語会話のすすめ
4月は新しいことをはじめるチャンスです。
私は若い人にNHKの英語会話をすすめます。
私のおすすめはラジオです。
私は毎日、NHKの杉田敏先生の声を聴いています。
もう20年近くになります。
これだけ長い間、
毎日、同じ人の声を聴くのは…
おそらく杉田先生だけです。
■ ■
私は高校生の頃…
英語が苦手でした。
札幌西高校へ入学して…
はじめての中間テストでは…
あと数点で赤点でした。
英語さえなければ…
英語の暗記さえなければ…
どんなに学校が楽しいか…?
…と思ったものでした。
■ ■
それが今では…
毎日楽しく実践ビジネス英語を聴いています。
この楽しくがポイントです。
内容が興味深いからです。
世の中の流れがわかります。
毎月、中身の濃いテキストを作られる、
杉田先生に感謝しています。
■ ■
私が杉田先生のファンになったのは、
JA帯広厚生病院に勤務していた時に、
十勝プラザというホールで講演をお聴きしてからです。
それまでもNHKラジオを聴いていましたが…
実際に講演をお聴きしてから…
ますますファンになりました。
実践ビジネス英語
…という2010年4月17日の院長日記に書いてあります。
■ ■
はっきり言って杉田先生のコースは難しいです。
最初はちんぷんかんぷんの人も多いと思います。
でも…
継続は力なりです。
昔、函館中央病院に勤務していた頃…
上司の濱本淳二先生が毎日聴いていらっしゃいました。
私は通勤途中にICレコーダーで聴いています。
NHKにはもっとやさしい英語会話もあります。
自分が興味を持てるクラスから聴かれることをおすすめします。
英語会話は必ず役に立ちます。
院長の休日
大丸札幌店長_柚木和代さん
平成24年4月6日、北海道新聞朝刊の記事です。
新人だったころ
大丸札幌店長 柚木和代(ゆのき・かずよ)さん(51)
突破口開くのは自分
店長になった時も執行役員になった時も社内では「女性初」と言われながら働いてきました。新人時代は考えてもみなかったことです。大学でテザインを学んだので広告をやりたいと思い、百貨店に入りましたが、今も昔も最初は売り場からです。研修後、開業したての梅田店(大阪)の紳士洋品売り場に配属されました。
新人の1ヵ月はめまぐるしいけれど、任される仕事は単調なもの。何でもやれそうな気でいたのに、現実とのギャップに直面しました。開店前の雑巾がけをしながら、「こうしていて、いつか人生が切り開かれるんだろうか」と焦りました。
入社5年で転機
2年後、宣伝部に移っても今度は「百貨店を動かしているのは現場では」と悩み、他人が生き生きと見えて仕方ありませんでした。でも入社5年目、転機が訪れました。従業員食堂の前に大丸フランスでの研修生募集の張り紙があったのです。
要件は満たしていませんでしたが、大胆にも「私なら学ぶだけでなくこんな貢献ができる」と訴えて合格。1988年から1年間、革命200年祭に沸くパリで夢中で見聞を広めました。
この時集めた情報を雑誌風にスクラップしていたのが注目され、今度は女性初の海外駐在員に声がかかりました。突破口を開くのは他の誰でもない、自分の行動だと痛感しました。
組織には○○畑一筋という人もいます。私はそうではなく、常に″新人″でした。30代半ばでマネジャーとして売り場に出た時は右も左も分からず戸惑いましたが、心掛けたのは、知らないものは素直に教わるということでした。
ツボを押さえる
もう一つは、仲間と認めてもらうためのツボを押さえることです。パリではフランス語を習得し、マネジャーになった時は必死でレジ打ちを覚え、店長になると、従業員食堂でおしゃべりしながら皆の顔と名前、プロフィルを頭にたたき込みました。
百貨店は人気商売。就活生には「友達に大丸を受けると言ってごらん。向いてるよ、と言われたら挑戦してください」と言います。仲間に愛されないで、お客さまに愛されるわけがありませんよね。
雑巾がけにもんもんとしていたころ、新人研修での助言を思い出して、初めてのお客さまに礼状を書きました。ドキドキしながら接客し、何度も書き直した手紙を、本当に喜んでくださいました。
やりたいことにとらわれていた私が、お客さまとのやりとりで満たされることを学んだ。つらいとき支えになる体験は、日々の仕事の中にあります。今日まで続けてこられた原点として、30年たった今も思い出すのです。
(聞き手・寺町志保)
1960年東京生まれ、兵庫県西宮市育ち。京都精華大美術学部を卒業後、大丸入社。パリ駐在などを経て2004年、初の女性店長(兵庫・芦屋店)に。2008年1月から札幌店長。2009年に年間売上高で道内百貨店首位に導いた。大丸松坂屋百貨店執行役員。
「百貨店で働く者として、好奇心は大事。去年はKホップのライブにも随分行きました」と笑う柚木和代さん
(以上、北海道新聞より引用)
柚木和代(ゆのき・かずよ)さん(51)
■ ■
以前から…
不況の札幌で…
前年比売上をUPしている…
大丸札幌店の女性店長さんは…
どんな方なのだろう…?
…と思っていました。
新聞を見た印象は…
若い
きれい
■ ■
記事を読んで感じたことは…
なるほど
これじゃ、おじさん店長はかなわないなぁ~
はっきり言ってすごい。
51歳で…
大丸松坂屋百貨店執行役員です。
■ ■
私がすごいと感じたのは…
大丸フランスの研修生に募集し…
パリでフランス語を習得というところです。
ふつうの女の子にはできません。
現地の生活に慣れるだけでも大変です。
常に好奇心を持って…
いつも前向きに生きる人だと感じました。
■ ■
こんなに素晴らしい店長さんでも…
新人の頃は…
焦り
悩み
他人が生き生きと見えて仕方ありませんでした
…と書かれています。
■ ■
今は何もできない…
新人医師や看護師のみなさんも…
努力を続ければ…
必ず得るものがあります。
自分が満たされるのは、
お客さまに喜んでいただけること。
日々の仕事の中にあります。
医療も同じです。
患者さんに感謝されるように…
がんばりましょう。
医学講座
朝日新聞_大浦紀彦先生
平成24年4月6日、朝日新聞朝刊の記事です。
何度か取り上げたことがある、
患者を生きるシリーズです。
今回は重症下肢虚血(かしきょけつ)という…
足が壊死(えし)になってしまう病気です。
3月末からカルーセル麻紀さん(69)の体験などが連載されています。
■ ■
今日の記事は長年透析治療を受けていらした患者さんが、
下肢の血管が詰まってしまって…
膝から切断しなければならない宣告され…
何とか切断しないで治してくれる病院を探した…
という続きです。
昨日から
杏林大病院形成外科
准教授の大浦紀彦(おおうら・のりひこ)先生(49)が登場しています。
大浦紀彦先生は、
大浦武彦先生のご子息です。
■ ■
〈患者を生きる:1847〉指切断 傷口に皮膚移植
■血管の病気 重症下肢虚血:4
詰まった足の動脈の血流を再開させるため、重症下肢虚血の金塚孝美さん(59)は横浜市の菊名記念病院でロータブレーターという治療を受けた。しかし血流は十分に戻らず、壊死(えし)した足先の治療を受けるために昨年9月下旬、東京都三鷹市の杏林大病院の形成外科に転院した。
准教授の大浦紀彦(おおうら・のりひこ)さん(49)はさっそく、足首周辺の血流量を測定した。菊名記念病院で治療を受けた直後より、よくなっていた。
「切断は指の1、2本で済みそうです。必ず歩いて帰れるようにします」。大浦さんの言葉に、一緒に説明を聞いていた長女(35)と「よかった」と顔を見合わせた。
ただ、足の指先への血流はまだ十分ではなかった。壊死した小指の切断は、さらに血流を改善してから行うことになった。1日90分、気圧を高くしたタンク内で酸素を吸入して、足先まで酸素が送られやすくする高気圧酸素療法を10日間続けた。血流量はおよそ2倍になった。
10月12日、小指を根元から切断する手術を受けた。しかし、切断後によくなるはずだった傷の壊死部分が、2週間後には隣の薬指にも広がってきてしまった。調べてみると、広げたはずの足の血管が、また狭くなっていた。
このままでは薬指を切断しても、そこからまた壊死が広がりかねない。今度は薬指の切断直後に血管を広げる治療をして、傷が治る間は血流が保てるようにした。
菊名記念病院でロータブレーター療法が出来る日は、早くても11月9日だった。その前日に杏林大病院で薬指を切断し、9日に菊名記念病院へ転院。18日に杏林大病院に戻ってきた。
傷が治るには、指の切断面に肉芽という組織ができないといけない。高気圧酸素療法に加え、肉芽をできやすくする薬を毎日、切断面にスプレーした。さらに傷の治りを早くするために、12月2日にはおなかの皮膚を数センチ切り取り、傷口に移植する手術も受けた。
その傷も治ってきた12月10日、大浦さんから「次はリハビリだね」と言われた。
「もう足を切断しなくていいんや」
うれしくなった。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
重症下肢虚血(じゅうしょうかしきょけつ)は治療が難しい病気です。
血管が詰まっていると…
傷が治りません。
傷を治すプロの形成外科医でも…
何度も手術を繰り返すことがあります。
大浦紀彦先生は、
傷を治すプロ中のプロです。
■ ■
昨年の創傷外科学会でも…
大浦紀彦先生が活躍されていました。
とても良い発表をなさっていらっしゃいました。
わが家では昨日から家内が…
大浦先生の息子さんが…
朝日新聞に出ている!
すご~い!!
…と喜んでいました。
紀彦先生のますますのご活躍をお祈りしています。
大浦紀彦さんの診察を受ける=杏林大病院
(以上、朝日新聞より引用)