医学講座
形成外科医の現実
大学を卒業して、
臨床研修を終えた若い先生。
形成外科を選ぶ人が増えているそうです。
形成外科医になったら、
美容外科でアルバイトができて、
楽で儲かる
…と幻想を抱(いだ)くようです。
■ ■
現実はそんなに甘くはありません。
大学病院の形成外科医局から、
チェーン店の美容外科へアルバイトへ行っている…?
…なんて…
少なくとも私は知りません。
○○美容外科の今日の担当医。
先月、臨床研修を終えたばかりの、
若くてイケメンの△☐先生です。
美容外科の手術はしたことがありません。
■ ■
そんなアルバイトの先生に…
手術を任せる経営者はいません。
どんなに愛想が良い先生でも、
技術が未熟では訴訟になります。
お客さんも見る目があります。
自分の大切な顔の手術を、
アルバイトドクターに任せる人はいません。
■ ■
私が知っている、
形成外科専門医で、
現在、バリバリの美容外科医は、
大学病院や関連病院で、
専門医を取得した先生です。
頭蓋顎顔面外科
つまり顔の骨の手術を専門とした先生もいます。
顔のことは表面から脳の手前まで、
知り尽くした先生です。
■ ■
形成外科の関連病院では、
美容外科手術は多くありません。
大学病院を離れてから…
市中の美容外科で、
たくさん手術をして…
美容外科をきわめた先生が多いです。
大学病院や公立病院の…
美容外科患者数は、
チェーン店の美容外科より
ずっと少ないのが現実です。
■ ■
私が知っている形成外科研修医は、
だいたいアルバイト先としては、
老人病院などの当直をしていました。
美容外科へ行ったとしても、
せいぜい見学です。
とてもお給料がいただけるような…
仕事はできません。
■ ■
形成外科には入ったけれど…
仕事は汚いキズの処置ばかり。
手術は上の先生がして、
自分は縫合すらやらせてもらえない。
そんな生活に嫌気がさして…
辞めてしまう先生が多いとも聞きます。
楽で儲かる仕事なんて…
ありません。
昔の記憶
形成外科医の兼業(けんぎょう)
大学病院に勤務する医師の給与は、
想像以上に低いものです。
医師の給与という、
2007年2月4日の院長日記に書きました。
私が研修医になった昭和55年(1980年)頃は
研修医の給料が一番安かったのが、
なんと慶応病院でした。
あの有名な‘王選手まで手術した’
慶応義塾大学病院の研修医の月給が約3万円。
北大病院の研修医が約10万円でした。
慶応病院はお給料が安くても
たくさんの研修医が集まるため
高くする必要がなかったのだと思います。
■ ■
研修医だけではなく…
医学部の教授職でも…
大学からいただくお給料は高くありません。
大学病院のお医者さんは、
学会出張もありますし、
高価な外国雑誌の年間購読料。
高価な医学書。
高価な学会参加費。
たくさん入っている学会の年会費。
お金がいくらあっても足りません。
■ ■
独身のうちや、
共働きだと大丈夫ですが…
子どもの教育費がかかるようになると…
生活はとても大変になります。
私は家内から…
大学のお給料ではやって行けませんと…
何度も言われました。
それほど薄給でした。
■ ■
結婚が決まってから、
北大病院の給与明細を見せた時に…
絶句されたのを覚えています。
私の研修医としての給与は、
手取り10万円未満。
ボーナスも無しでした。
家内が勤めていた会社は、
大手のお給料が良い会社でした。
短大卒後4年目で、
私の2倍以上の手取りがありました。
■ ■
大学病院に勤務する医師が、
海外出張にも行けて、
学会にも参加して、
何とか生活して行けるのは、
兼業(けんぎょう)というアルバイトのおかげです。
国公立大学ですと、
兼業届(けんぎょうとどけ)というのを提出して、
許可を得てアルバイトへ行きます。
■ ■
医師不足の世の中ですから…
地域医療のため。
高度な技術が必要なため。
他に手術ができる医師がいないため。
技術指導のため。
さまざまな理由をつけて、
兼業を許可してもらいます。
不許可になることはまずありません。
■ ■
ところが…
チェー店の○○美容外科で、
美容外科研修のために、
兼業を許可してください…
という兼業願はいかがでしょうか?
少なくとも…
私が知っている先生で、
堂々とチェーン店の美容外科へ行った先生はいません。
だいたいは、
休日である土日などに、
こっそりと行っていました。
■ ■
国公立大学の場合は、
土日でも営利企業でのアルバイトは禁止です。
スタッフと呼ばれる、
助手以上の教員は、
この兼業規定が厳しくなります。
症例数が多い、
チェーン店の美容外科で、
美容外科を研修しようとしても、
なかなか難しいのが現実です。
私がアルバイトに行っていたのは、
函館にある病院でした。
褥瘡(じょくそう)の処置などをしていました。
医学講座
形成外科専門医と美容外科
私はもともと形成外科医でした。
形成外科医=美容外科医
ではありません。
今でも、美容外科医ではない…?
…かもです。
形成外科から美容外科への転向は、
簡単ではありません。
やっている仕事の内容が違います。
■ ■
日本形成外科学会の認定施設は、
毎年、学会へ手術件数を報告します。
手術内容による分類があります。
その中に…
美容外科という項目があります。
形成外科学会認定施設は、
大部分が大きな病院です。
保険診療が大多数です。
■ ■
皮膚腫瘍の手術という
2007年7月29日の院長日記に書いてあります。
学会認定施設で、
圧倒的に手術件数が多いのが、
皮膚良性腫瘍の手術です。
つまり…
形成外科の先生は、
日常診療では、
皮膚のできものを取る手術を多くしています。
美容外科手術の件数はわずかです。
■ ■
美容外科手術に健康保険は適用できません。
国公立病院で、
自費診療の美容外科手術をするのは、
なかなか大変です。
病院によって違いますが、
公立病院では、
料金徴収に関する条例を、
定めなくてはならないところもあります。
ヒアルロン酸などの未承認薬は、
大部分の公立病院で使えません。
■ ■
形成外科学会認定施設で、
美容外科を標榜する病院は少しずつ増えてはいます。
ただ、手術件数に関しては、
チェーン店の美容外科にかないません。
美容外科手術をして欲しいと、
大きな病院へ行く人はまれです。
日本の美容外科手術は、
形成外科認定施設以外で行われている数が、
大多数です。
■ ■
形成外科専門医で、
美容外科にも精通している先生がいらっしゃいます。
バリバリの美容外科医として、
大活躍している先生もいらっしゃいます。
その先生たちは、
大学病院以外の、
美容外科で、
美容外科を勉強された先生です。
■ ■
これから美容外科医へ転向したい、
形成外科専門医の先生が、
どこで美容外科を勉強したらよいか…?
とても難しい問題です。
一つ確実に言えることは、
腕の良い先生につくことです。
一流を学ぶことが、
将来、役に立ちます。
昔の記憶
解雇通告と就職活動
私は2002年3月7日木曜日に、
札幌医科大学医学部長室で、
神保孝一医学部長から解雇通告を受けました。
公務員なので…
『辞めろ』とは言えません。
周到に準備された、
【本間追い出し計画】により、
形成外科医局の女医さんが文章を準備していました。
■ ■
私は皮膚科教授の神保孝一が、
医学部長に再選された時から、
札幌医大を辞める決意をしていました。
私は、対立候補を応援していました。
神保が再選されたら、
自分が辞める決意をしていました。
■ ■
そのまま放置すれば、
私から辞めたものを…
よほど追い出したかったのか…?
神保医学部長は、
満面の笑みを浮かべて、
女医さんが準備した書面を読み上げました。
横で下を向いて聞いていたのが、
信じてはいけない人である助手でした。
■ ■
2002年3月7日以降は、
私はすべての業務から外されました。
飼い殺しとはまさにこのことです。
私の就職活動はそこからスタートしました。
私の考えは甘すぎました。
大学病院の形成外科講師だったら、
すぐに美容外科へ就職できると考えていました。
■ ■
これから転職を考えている形成外科の先生に言います。
美容外科や医療機関の経営者が欲しいのは、
肩書きではありません。
経歴でもありません。
美容外科の経営者が欲しい先生は、
大学病院で論文をたくさん書いた先生ではなく、
患者さん受けがよくて、
スタッフや他の先生と協調性の良い医師です。
たくさん売上を稼げるともっと良いです。
■ ■
私は、昨日の神奈川クリニックを含めて、
何軒かの美容外科に面接に行きました。
開業資金もなく、
美容外科経営のノウハウも知りませんでした。
私にあったのは、
形成外科の知識と技術だけでした。
札幌医科大学形成外科講師の肩書きより、
元札幌中央形成外科副院長の経歴が、
就職活動では有利でした。
■ ■
チェーン店の美容外科に勤務することを…
批判的な目で見る形成外科医がいます。
確かに…
問題があるチェーン店もあります。
絶対に就職してはいけない美容外科もあります。
神奈川クリニックの山子大助先生を批判する人もいますが、
神奈川クリニックからは、
たくさんの美容外科医が育ちました。
立派に活躍されている先生もたくさんいらっしゃいます。
私は一つの時代だったのだと思っています。
みねぎしクリニックの成功を祈念しています。
昔の記憶
神奈川クリニックの思い出
昨日の院長日記に、
平成22年5月に神奈川クリニックが倒産したことを書きました。
ネットで検索してみると…
現在も…
神奈川クリニック
みねぎしクリニック
として診療していらっしゃいました。
院長は峯岸祐之(みねぎし_まさゆき)先生です。
東大形成外科にいらした、
形成外科専門医です。
■ ■
峯岸先生は、
神奈川クリニックの院長をなさっていらっしゃいました。
勤務していた、
前の神奈川クリニックが倒産したために、
みねぎしクリニックとして、
引き継がれたように思います。
優秀な形成外科医で、
美容外科医としての経験も豊富な先生です。
■ ■
倒産したのは、
医療法人社団博美会_神奈川クリニックで、
オーナーは山子大助先生でした。
大きな先生です。
私も札幌医大をクビになった時に、
神奈川クリニックへ面接へ行きました。
新宿の立派な事務局で
山子先生の面接を受けました。
■ ■
当時の神奈川クリニックは、
全国にチェーン店を次々と開店していました。
神奈川クリニック札幌院も
新札幌から札幌市中央区の一等地である、
名門、札幌グランドホテル別館へ移転し、
札幌で一番広くて…
立派なクリニックでした。
朝9:00~夜21:00までの営業でした。
■ ■
私が面接に伺った時にも…
かなりの好条件を提示してくださいました。
ただ、私は朝9:00~夜21:00まで働き、
繁忙期には…
深夜まで残業する元気がありませんでした。
何軒かの美容外科に面接に行き、
私は中央クリニック札幌院の院長として、
中央クリニックへ就職しました。
■ ■
私が中央クリニックへ就職した理由は、
札幌で働けるということと、
経営者の方が医師ではなく、
診療や手術内容については、
医師の裁量に任せるということでした。
私が就任してからも、
多くの患者さんがいらしてくださいました。
手術のしすぎで、
手にまめができました。
■ ■
その当時…
神奈川クリニックの山子先生と、
品川美容外科の綿引先生は、
日本の高額納税者にいつも出ていました。
信じられないほどの税金を、
毎年、払っていらっしゃいました。
当時はそれほど儲かったようです。
経営が傾いたのは、
安売り競争が原因だと思います。
■ ■
美容外科はひとつひとつが…
手づくりです。
海外で生産して、
安く大量に売ることはできません。
過度の安売りと、
多額の広告宣伝費で、
あっという間に経営は悪化します。
■ ■
たくさんの店舗を抱えると、
それだけコストがかかります。
いいときは、
高額納税者になるほど所得があっても、
転落しはじめると…
坂道を転げ落ちるのも早いようです。
■ ■
現在の神奈川クリニックは、
みねぎしクリニックとして診療されています。
峯岸先生が…
お一人でなさっていらっしゃるので、
安心だと思います。
峯岸先生は、
大変だと思いますが、
困っている患者さんを助けていただきたいです。
医学講座
目がごろごろします
○○美容外科で5年前に埋没法をしました。
ラインが消えて…
目がごろごろします。
そちらでまた埋没法を受けようと思いますが、
無料で診てもらえますか?
というようなご相談を受けます。
■ ■
他院で埋没法を受けて、
目がごろごろする場合は、
まず、手術を受けたクリニックに相談してください。
カルテや手術記録は、
法律によって5年間の保存義務があります。
どんな方法で受けたかにもよっても、
ごろごろの原因が違います。
■ ■
埋没法を受けたクリニックが、
閉院してしまっていることもあります。
チェーン店大手だった、
神奈川クリニックは、
平成22年5月に倒産しました。
札幌院は札幌グランドホテルにありました。
立派なクリニックで、
たくさんの患者さんがいらっしゃいました。
■ ■
そのような場合は、
ごろごろする目の診察は、
保険診療で行っています。
埋没法が原因とも限りません。
目に霰粒腫(さんりゅうしゅ)という、
できものができていることもあります。
瞼の炎症でごろごろすることもあります。
■ ■
眼科で目を診ていただく時に、
初診料がかかるのと同じです。
他院で行った、
二重手術のアフターケアーを、
無料ではできません。
美容外科相談とは違います。
公立病院の形成外科や眼科にかかっても、
診察料はかかります。
■ ■
私が釧路労災病院形成外科に勤務していた時です。
昔、二重瞼の手術を受けたという女性が来院されました。
細い釣り糸のような糸が出てきました。
私がはじめて埋没法の糸を見た時でした。
東京の美容外科で二重の手術を受けて、
何十年もしてから糸が出たそうです。
■ ■
眼瞼下垂症手術の際には、
埋没法の糸を除去しています。
もともと眼瞼下垂症だったことを知らずに、
埋没法の手術を受けて、
二重にならなかったり、
二重が取れたりすることがあります。
眼瞼下垂症の手術時に、
糸を除去する理由は目に悪いからです。
保険の規定で糸を抜去しても…
追加料金はかかりません。
除去するのは私のボランティアです。
マンガも参考になさってください。
医療問題
子育てと当直
私が20年以上前に…
勤務していた病院でのことです。
一人で子育てをしていらした…
女性の先生がいらっしゃいました。
小さな子どもさんが一人いました。
両親に頼らずに…
一人でがんばっていらっしゃいました。
■ ■
その病院には当直がありました。
小さな子どもさんがいるという理由で、
当直免除にはなりませんでした。
院内保育施設もありませんでした。
当時、多くの女医さんが利用していたのは、
無認可の保育所や…
ベビーシッターでした。
夜遅くまで預ってくれる、
認可保育所はありません。
■ ■
女医さんたちがよく言っていた言葉です。
保育料が高くて…
何のために働いているのかわからないゎ。
当直が当たると…
完全に赤字ょ
今はどうかわかりませんが、
女性医師が就業したくても…
子育てと当直はなかなか両立しません。
■ ■
一人で子育てをしていた女医さんは、
子どもさんを連れて、
当直室でいっしょに泊まっていたこともありました。
ベビーシッターの手配がつかなかったのでしょうか?
幸い、
夜間に急患が来るような病院ではなかったので、
子連れ当直でも…
何とかなったのだと思います。
■ ■
20年以上たってから…
たまたま成人した子どもさんに会う機会がありました。
たくましい青年に成長しており、
一瞬、昔、当直室に泊まった子とはわかりませんでした。
『お母さんは苦労して僕を育ててくれた』と…
その子は話してくれました。
さすがに当直室に‘お泊り’したことは…
覚えていないようでした。
■ ■
とても優しい青年になっていました。
私はその苦労された先生の顔と…
たくましく育った青年を見比べて…
『大変だったけど…』
『こんなに立派に成長されて…』
『よかったですね』
と心の中でつぶやきました。
院長の休日
育児休業後の復職
現在の国の制度では、
育児休業は原則として1歳までです。
特例として…
1歳6ヵ月まで認められることもあります。
厚生労働省HPによると…
1歳6ヵ月まで延長できるのは、
次の場合です。
■ ■
1歳6か月まで育児休業ができるのは、
次の(1)、(2)のいずれかの事情がある場合です。
(1)保育所に入所を希望しているが、入所できない場合
(2)子の養育を行っている配偶者であって、1歳以降子を養育する予定であったものが、死亡、負傷、疾病等の事情により子を養育することが困難になった場合
育児休業中の労働者が継続して休業するほか、子が1歳まで育児休業をしていた配偶者に替わって子の1歳の誕生日から休業することもできます。
■ ■
お役所の文章はわかりづらいです。
①保育所に入所できない時。
②お母さんが亡くなるか病気になる。
③お父さんが亡くなるか病気になる。
ということだと思います。
復職するどころの話しではありません。
■ ■
保育所は…
どこもすごい順番待ちです。
保育所に入れるかどうかも…
ギリギリまでわかりません。
札幌市の保育所の場合は、
親の収入によって保育料も違います。
■ ■
子どもさんが1歳になった頃は…
よく熱を出します。
私が北大形成外科の病棟チーフだった時、
1歳頃の子どもの患者さんが、
手術当日に熱を出して…
よく手術が中止になりました。
■ ■
大学病院は、
手術室を使える日が科によって違います。
熱を出して手術が中止になると…
次の手術はいつになるかわかりませんでした。
せっかく期待して手術に臨んだのに、
両親もがっかりということがありました。
■ ■
1歳でお母さんが復職したとたんに…
子どもさんが病気がちになり、
その度に、保育園から呼び出される…
というのがよくあります。
保育園としても…
病気の子どもは預かれません
他の子にうつると困ります
という方針です。
■ ■
病気で保育園を休んでも…
保育料はしっかり定額を取られます。
復職後に…
子どもが熱を出しても、
安心して職場に出られるように、
病気の子をみてくれる…
おばあちゃんでもいなければ、
安心して働くことはできません。
■ ■
昨日の院長日記に引用させていただいた、
勝ち負けと違う幸せの方が
退職された理由はわかりません。
働く女性が安心して子育てができる政策が必要です。
病気の子どもでもみてくれる、
保育園などの整備ができていません。
子どもは熱を出すものです。
お母さんが出張中でも、
子どもを安心して預けられる…
そんな施設が必要だと思います。
院長の休日
勝ち負けと違う幸せ
平成22年10月10日、朝日新聞朝刊、ひとときへの投稿です。
勝ち負けと違う幸せ
7年勤めた会社を先日、やめた。出産後に復職し、家事も育児も仕事も必死にこなしてきた1年だったが、諸事情から退職を選択せざるを得なくなった。会社や大学の同期がバリバリ働く姿を見て、少し負けたような気持ちにもなった。
さて、初めての専業主婦。2歳の娘とべったりの毎日。何をして過ごしたらいいのだろうと戸惑い、手始めに夫のワイシャツを洗うことから始めた。
漂白剤と洗剤をドサッと洗濯機に入れるのをやめ、襟汚れはセッケンと歯ブラシでこすってから。胸ポケットのほこりも丁寧に取り除く。酷暑に負けず、掃除洗濯に毎日大汗を流した。
急に涼しくなった朝、さて今日も襟汚れを……と見ると、それほど汚れていない。そうか、秋が来たんだ。季節の変わり目を夫のシャツで感じたら、とても幸せな気持ちになった。
娘と毎日行く公園でも落ち葉が舞い始めた。砂場で砂のケー牛を作り、どんぐりと枯れ葉で飾った。
今まで通り過ぎてしまっていたことを、感じることができる。勝ち負けで考えていた自分がバカらしくなった。子どもが大きくなれば、こんな時間もまた持てなくなるだろう。
私自身も、また会社勤めに戻りたい。それまでは主婦業に必死に取り組み、今しか感じられない幸せを積み重ねていきたいと思う。
広島市 川上麻子 主婦30歳
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私の子どもが小さい頃に…
高熱が続いて入院しました。
幸いにも、
伝染性単核球症という病気で、
一週間の入院で元気になりました。
当時、
小児科の大先生から、
子どもさんと遊んであげてください
といわれました。
■ ■
函館の想い出③という、
2009年5月13日の院長日記に書きました。
仔犬と同じで、
子どもは小さいうちが一番可愛いのです。
大きくなったら…
どんなに遊ぼうと言っても…
勝手に自分たちでどこかへ行ってしまい…
親とは遊ばなくなります。
そのうち、家にはいなくなります。
自分たちもかつてそうだったことに…
自分が親になって気付きました。
■ ■
子育ては大変です。
24時間365日、休みなし。
有給休暇も代休もありません。
他に代わってくれる人もいません。
保育園に預けて仕事へ出ても…
ちょっとでも熱が出ると…
すぐに保育園から電話で呼び出しです。
同僚や上司に謝って…
保育園までお迎えに行き、
ようやく小児科へ行っても順番待ち。
■ ■
働きながら子育てをするのは、
想像以上に大変です。
投稿者の30歳の主婦の女性も、
きっと仕事がよくできる方だと思います。
仕事は…
子どもさんが大きくなってからでも…
またチャンスはあります。
今は、小さな幸せを見つけて、
二度と得られない貴重な時間を、
大切になさってください。
医学講座
第33回日本美容外科学会(京都)③
学会報告の最後です。
今回の日本美容外科学会は、
いわゆる形成外科系の日本美容外科学会です。
形成外科専門医の先生が多い学会で、
発表してくださった先生も、
大多数が形成外科出身です。
■ ■
学会に参加して感じることは…
先生によって…
実に手術方針が違うことです。
私は、
イメージは自然
自然な仕上がりを大切にします
をコンセプトとして手術をしています。
■ ■
同じ形成外科専門医でも、
その先生の考え方によって、
実にさまざまな手術法があります。
私とは正反対に、
患者(お客)さんの求め(ニーズ)に応じて…
技術的に可能ならば、
どんな手術でも、
引き受ける先生がいらっしゃいます。
■ ■
私たちのような、
ナチュラル派の医師が見ると…
あんな手術やっちゃって…
あの20歳の女性が…
50歳になったら…
どんな顔になるのかなぁ~?
というような手術もありました。
■ ■
私は…
もの足りない…
もう少し二重の幅を広く…
と言われることがあります。
幅の狭い二重は広くすることができますが、
一度、広く全切開された二重を…
元に戻すのは至難のわざです。
■ ■
人間は後悔する生き物です。
整形したけど、
よ~く考えたら…
やっぱり元に戻したい
と思った時に…
回復不可能なほど…
お直しする勇気は、
とても私にはありません。
自分と相性が合った先生を見つけるのは、
彼を選ぶ以上に大切だと思います。