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弁護士特約
毎日、日記を書くのは、正直なところ大変です。
ネタを見つけるのが容易ではありません。
新聞をよく読むようになりましたし、
他の方が書いたブログもよく読んでいます。
私のお気に入りは、塩谷先生のブログと
弁護士の高橋智先生のSammy通信です。
■ ■
お二人とも、毎日更新なさっています。
先日、
高橋先生の日記に、弁護士特約のことが掲載されていました。
私は、自分で交通事故を起こして、
弁護士さんのお世話になったことはありませんが、
帯広厚生病院時代に、帰宅途中に車に轢かれたことがあります。
足を轢かれました。
■ ■
その時は、被害者でした。相手方の過失割合が100%でした。
私の自動車保険の弁護士特約は、
被害者でも相談できるシステムでした。
夜でしたが、フリーダイヤルに電話しました。
担当の弁護士さんが出てくださいました。
とても親切で心強かったです。
それ以来、少し保険料が高くても、
三井住友海上に保険契約をお願いしています。
詳しく計算はしていませんが、弁護士特約をつけても
保険料は年間で数千円高くなるだけだったと記憶しています。
■ ■
高橋智先生は、とてもご立派な先生です。
北大法学部の講師もなさっていらっしゃいます。
私も北大が好きなので、
先生の日記を読んで共感するところがたくさんあります。
講義の後で、生協の食堂で昼食を食べるところが好きです。
私も北大生協の食堂が好きです。
学生さんの中で食べると、自分の若い頃を思い出します。
■ ■
庶民派の高橋先生の日記で気になったのが、
弁護士報酬の着手金です。
先生は、
『(交通事故では)どんな事件でも着手金は10万円しかいただいていない。』
『着手金が少ない分報酬は通常より高額に設定されている』
と書かれています。
確かに、他の弁護士さんにお願いすると、
もっと高額の着手金を取られるケースも多いと思います。
■ ■
10万円は、ビンボーな学生などには大金です。
なかなか払える額ではありません。
誤解して欲しくないのは、相談料と着手金の違いです。
着手金は、契約をして、お願いする時に払う金額です。
相談料は、事故を起こして、困っている時に、
まず相談するだけの費用です。
素人には、相談料と着手金の区別がつきません。
私の記憶違いでなければ、
高橋先生の事務所では、簡単な相談でしたら無料のはずです。
これでしたら、ビンボーな大学生でも相談できます。
■ ■
医者や弁護士は、とかく‘高い!’という印象を持たれます。
私も、美容外科の相談だけでしたら無料でお引き受けしています。
また保険診療ができるものは、出来る限り保険診療で治療しています。
これは、自分が学生時代にビンボーだったからです。
私の学生時代は、自分でアルバイトをして、
父親から車を借りて、
使ったガソリンは、自分で入れていました。
高橋先生も、カップヌードルを食べながら、
北大法学部の給湯族として勉強をして、
司法試験をパスされました。
私が、先生を信頼しているのは、
そのような下積みの時代を経験なさっていて、
庶民感覚でお仕事をされているからです。
困ったことがあれば、高橋智先生にご相談なさってください。
医療問題
受刑者の入院
刑務所でケガをした受刑者を入院させることになりました。
刑務官は、管理面から個室を希望しています。
受刑者が入院中に脱獄しては、大変なことになります。
刑務所は、入院中24時間、
刑務官2名を監視のために貼り付けます。
無線で刑務所に定時連絡をします。
刑務官は、医療に関しては素人です。
ただ、しっかり管理していてくれるので、
脱獄する恐れも、暴力を振るわれる恐れもありません。
■ ■
受刑者のように問題がある方を入院させる時、
真っ先に相談しなければいけないのは、病棟婦長(現在は師長)です。
どの研修医マニュアルにも書いていませんが、
相談する順番を間違えると、大変なことになります。
私は病棟婦長を外来へ呼び、受刑者を見てもらいました。
その病棟で、受刑者を入院させるのははじめてでした。
■ ■
私:婦長さんどうだろう、個室は空いてないよね。
婦長:○○号室は◎◎さんの容体が悪いので移せませんし…。
先生、放射線科の患者さんが、退院になっていますので
○○号室はいかがでしょうか?
私:はぁ、悪いね。放射線科の○○先生には、ボクからお願いします。
婦長:でも先生、もし放射線科の患者さんの容体が悪くなったら、大部屋でもいいですか?
私:仕方ないよね。
私:刑務所の方も、もし病室がなくなった時は、大部屋でお願いします。
刑務官:わかりました。
■ ■
入院が決まったら、次は手術室へ連絡です。
手術室も婦長に連絡をします。
私:あぁ~。婦長さん。形成の本間です。
臨時をお願いします。
[緊急で手術室で手術することを、臨時手術(通称臨時)と呼びます。]
手の外傷で、取れた皮膚を移植します。
麻酔は、ロカール(局所麻酔のこと)でもできるのですが、
患者さんが受刑者なんです。
手術室婦長:先生、○○時に手術室が一つ空きます。
器械の準備は、手の外科セットでよろしいですか?
私:はい、それでお願いします。
電メス(電気メスのこと)はバイポーラーもお願いします。
手術室婦長:承知しました。先生、申し込み(手術申込書)を出してください。
■ ■
入院・手術はこのようにして決まります。
医師といえど、総合病院で働くには、
他の部署(特に看護師さん)の協力がないとできません。
私が入院を決めても、病棟婦長からNO(ノー)と言われては、
入院できないでのです。
こうして上半身に立派な刺青が入った患者さんは、
入院できることになりました。
■ ■
受刑者の手術は順調に終わりました。
手術は成功しました。
ただ、皮膚が安定するまでに指を少しでも動かすと、
移植した皮膚がくっつきません。
前腕から手にかけてギプスで固定し、指が動かないようにします。
受刑者は、治療に協力的でした。
挨拶もしっかりしてくれました。
回診の度に、お礼を言ってくれました。
看護婦さんの評判も極めて良好で、
婦長も私も内心ホッっとしていました。
■ ■
可哀想なのは刑務官でした。
受刑者は病院のベッドで寝ることができます。
病院食も3食出ます。
検温も、清拭も、若くて美人の看護婦さんが
他の患者さんと何の差別もなく、丁寧にしてくれました。
それに比べて、刑務官は床に簡易ベッドか、マットを敷くだけです。
24時間監視が原則です。
患者さんは、夜グーグー寝ていても
刑務官は起きて監視です。
食事もコンビニの弁当を食べていました。
■ ■
一週間を過ぎた頃から、刑務官に疲労の色が濃くなってきました。
刑務官:先生、キズの具合はいかがでしょうか?
私:とても良好ですよ。
刑務官:入院は、あとどの位必要ですか?
私:最初に、診断書に書いた通りではダメですか?
刑務官:実は……
われわれ、入院に付き添ってから、休みも取れず、全員参っています。
受刑者は、術後経過も良好で、回診の時も楽しそうにしています。
それに比べて、刑務官は、可哀想なくらい疲れていました。
■ ■
私は、術後経過が良好であったことから、
予定より早く退院していただきました。
皮膚は無事に生着し、指の機能障害も残りませんでした。
最後に診察に来た時に、受刑者は丁寧にお礼を言ってくれました。
その後、出所して真人間になったかどうかはわかりません。
ただ、その手で悪いことはしていないような気がしてます。
受刑者にも人権があることは理解できます。
私は受刑者だからといって、治療で差別はしません。
■ ■
悪いことをした人は、罪を償う(つぐなう)べきです。
罪を償う場所は、刑務所です。
病院は医療を提供する場所です。
医療が必要な人に医療を提供するのが、われわれ医療者の役目です。
精神に異常があるから、無罪にするのは納得できません。
刑務所に入れて、必要に応じて、精神も治すことはできないのでしょうか?
病院と刑務所では、
対応や待遇が違うということをお伝えしたかったので、
昨日と今日の日記を書きました。
医療問題
受刑者の手術
私は刑務所に入っている受刑者の手術をしたことがあります。
また殺人犯の手術もしたこともあります。
受刑者といえど、ケガをしたら手術が必要になります。
刑務所内では、作業があります。
刑務所内で作業中の事故は、労災にはなりませんが、
刑務所(法務省)が治療費を払ってくれます。
■ ■
大きな刑務所には、矯正医官というお医者さんがいます。
北海道で、専任の矯正医官がいるのは、おそらく札幌刑務所だけです。
他の、地方都市にある刑務所は、嘱託医が対応しています。
私が受刑者の手術をしたのも北海道の地方都市です。
作業中に手をケガしました。
嘱託医の先生が診察をして、
専門的な治療が必要と判断したので私に紹介されました。
■ ■
混雑している病院の外来に、
囚人服を着て、腰縄をつけられた受刑者が来ました。
少し異様な風景です。
お隣の眼科の患者さんが不安そうに見ています。
診察室に刑務官と一緒に入ってきました。
患者さんは、一見してその筋の方とわかる外見です。
囚人服を脱ぐと、胸と腕には立派な刺青が入っていました。
私:いつ、どうやってケガをしました?
今日、○○の作業中に○○でケガをしました。
■ ■
診察をすると、片手の手掌(手のひら)側の皮膚が、
ベロッととれて血が出ています。
嘱託医の先生が、ガーゼを当ててくれていました。
ガーゼは血だらけです。
ベロッと取れた皮膚は、拾って来てありました。
嘱託医の先生が、生理食塩水につけてくれたのでビンに入っていました。
患者さん(受刑者)への説明です。
私:手にケガをして、皮膚がなくなってしまっています。
ここに拾ってきた皮膚がありますが、くっつけるのは難しいです。
手術をしても、くっつかないこともあります。
一番、簡単なのは、
断端形成術といって、指を短く詰めてしまう手術です。
■ ■
私:もし、痛いのがイヤで、早く治したいなら、
指を短くするのが確実です。
あなたたちの世界では、指が短いのはよくあることでしょう?
受刑者:先生お願いです。
どうか、この拾ってきた皮膚をくっつけてください。
痛いのはガマンします。
刑期を終えたら、ちゃんと真人間になります。
もう悪いことはいたしません。
どうか治してください。お願いします。
■ ■
私たち医師は、相手がたとえ受刑者であろうと、
『どうか治してください。お願いです。』
という言葉には弱いのです。
私:そんなことを言って、
刑務所を出たら、またこの手で悪いことをするのでしょう?
短くした方が、早く治りますよ。
痛いのも短くて済みますよ。
(ちょっと意地悪な言い方です…)
■ ■
受刑者:痛いのもガマンします。
たとえ皮膚がくっつかなくても、文句は言いません。
ちゃんと先生や看護婦さんの言うことも聞きます。
どうか治してください。お願いします。
刺青が入っているのに、怖そうなところはありません。
確かに、私が手術をすれば皮膚がくっつくかもしれません。
ただ、もし皮膚がうまくくっつかなければ、後遺障害も残ります。
痛みもかなり続く可能性があります。
また、くっつけた皮膚が化膿してしまうリスクもあります。
早く治すには、指を短く詰めるのが一番です。
■ ■
私は、診察室の奥へ行って、刑務官と話しました。
受刑者は、皮膚をくっつけてくださいと話しています。
もし、皮膚をくっつける手術をすると、入院が必要になります。
入院期間は、最低2~3週間は必要です。
刑務官は困った顔をしています。
結局、その取れた皮膚をくっつける手術をすることになりました。
刑務所では、受刑者が入院して手術をすることを認めてくれました。
手術が必要になったのはいいのですが、それからが大変でした。
何がどう大変だったのかは、明日の日記に書きます。
医療問題
精神と犯罪
各地で凶悪な犯罪が目立っています。
優秀な弁護士さんは、‘責任能力’を強力な武器として、
無罪を主張してきます。
そうすると、‘犯罪者’の中には、刑務所ではなく、
精神病院へ入院させてもらえる人が出てきます。
■ ■
刑務所と精神病院では待遇に雲泥の差があります。
食事一つとっても、
‘犯罪を犯した患者’だからといって、
差別されることはありません。
一般の入院患者さんと同じ、病院食が出されます。
希望すれば、おかわりもできます。
■ ■
私は学生時代に、真剣に精神科医になろうと思った時期がありました。
理由は、簡単です。
‘血を見るのが怖かったから’です。
今の私を知る人は、
『えぇ~???』と驚かれるに違いありません。
毎日、血を見て仕事をしていますから…。
■ ■
私が精神科を諦めた理由も簡単でした。
治らない、
治せない、
患者さんが実に多いからです。
どこの精神病院にも、
人生の大半を病院で過ごしている方がいらっしゃいます。
他の診療科では考えられないことです。
■ ■
大部分の方は、生活保護を受けていらっしゃいます。
すなわち、税金が使われています。
患者さんの中には、医師免許証を持った人もいました。
医師免許証を持っていても、
人生の大半を精神病院で過ごしていました。
そこの病院の治療方針が悪くて治らないのではありません。
ある割合で、どうしても治せない患者さんがいるのです。
悲しいことですが、これが精神医学の限界です。
■ ■
私は、犯罪を犯した人を、精神を理由に無罪にするのには反対です。
無罪にして、精神病院へ入れたとしても社会はよくなりません。
精神病院では、刑務所ほど厳重に患者さんを管理しません。
いや、管理なんてできません。
タバコを吸うのも自由です。
中には、病院で妊娠しちゃう人も出てきます。
他の病棟と比較すると、看護職員の数が少ないのが精神科です。
看護職を増やすと、それだけお金がかかるからです。
国の方針です。
■ ■
精神科勤務の職員には、程度に応じて、
‘危険手当’が支払われる場合があります。
閉鎖病棟で、凶暴性のある患者さんを看護する職員などです。
私が、知っている看護職の方で、
患者から暴行を受けて意識不明の重体となった男性がいます。
残念なことに、後遺障害も残ってしまいました。
精神科勤務は、時に命がけです。
■ ■
医学生は全員精神神経科を履修します。
選択科目ではありません。
実習へ行くと、分厚い辞書のようなカルテを目にします。
何十年も、精神科に入院していた患者さんのカルテです。
そのカルテを見ただけで、精神医療の難しさを痛感できます。
■ ■
私は、司法修習生など、法曹界の方が、
精神神経科に実習に来ているの見たことがありません。
もし、私が間違っていたら、ごめんなさい。
弁護士さんや裁判官、検察官になる方は、
日本の精神医学の状況や精神病院の現実を見るべきだと思います。
どうしたら、日本を安全で住みやすい国にできるか?
‘犯罪を犯した患者’を精神病院に入れるだけでは、
決して、安全な国はできないと思います。
■ ■
形成外科や美容外科も万能ではありません。
私が手術をしても、治せないキズもあります。
私が手術をしても、満足していただけないこともあります。
でも、それは治療前に説明していますし、
納得していただかなくては、手術をお引き受けしていません。
まさか、美容外科に行ったら、
どんな人でも美人になれるとは考えていないと思います。
でも、ひょっとすると、法曹界では?
精神病院に入院したら、
‘犯罪を犯した患者’が治ると思っているのでしょうか?
医学講座
犬に咬まれる
飼い犬に手を咬まれるという言葉があります。
実際に飼い犬に手を咬まれる人がいます。
私も、チェリーが仔犬の時に咬まれました。
医学用語では、犬咬傷(イヌコウショウ)と呼んでいます。
‘犬咬傷’で検索すると、かなりひどいケガの写真が出てきます。
勇気のある方はチャレンジしてみてください。
■ ■
私は、美容形成外科医になる前は、
総合病院の形成外科医を20年以上していました。
今から、20年以上前のことです。
釧路労災病院形成外科に勤務していました。
毎年、春になると、
犬に咬まれたという患者さんが増えました。
一緒に働いていた、
藤岡浩賢(ふじおかひろたか)先生に調べてもらいました。
■ ■
藤岡先生は、とても真面目で優秀な先生でした。
釧路労災病院形成外科を開設してから、
10年近くのカルテを丹念に調べてくれました。
その結果、釧路労災病院形成外科では、
毎年、春と秋に犬に咬まれてケガをし、
受診する人が多いことがわかりました。
藤岡先生は詳しく調べてくれましたが、
春と秋に多い原因は不明でした。
当時は、まだ今ほど室内で飼うのは一般的ではなかったと思います。
ただ、犬の発情期と何らかの関係があるようでした。
■ ■
私はチェリーに手を咬まれました。
それは、仔犬の時にしつけをしている最中でした。
私は散歩こそ、チェリーの晩年にしませんでしたが、
チェリーの歯磨きと歯石取りは最期まで私の仕事でした。
家内や子供がすると、
最期まで「う~」っとうなって抵抗しました。
私がしても嫌がって逃げ回りましたが、
つかまると観念しておとなしくさせてくれました。
■ ■
形成外科で外傷を診ていると、犬の他に
人間に咬まれて受診する方も、マレにいらっしゃいました。
たいていは、喧嘩か痴情のもつれによるものです。
犬に咬まれても、人間に咬まれても、
咬まれた傷は汚くなります。
これは、口の中には想像以上に雑菌が多く、
どんなに可愛い仔犬でも、
どんなに美しい女性でも、
咬んだ歯に、バイ菌がついているからです。
■ ■
犬で問題になるのが、パスツレラという菌腫です。
私は一度しか診たことがありませんが、
パスツレラに感染すると、痛くて赤く腫れ上がって、
それはそれはひどいキズになります。
そうなるとキズを治すプロの形成外科医でも難しくなります。
■ ■
実は、犬に咬まれたキズで一番困るのが顔のケガです。
私もよくしていましたが、
犬に顔を近づけて‘よしよし’をします。
チェリーはよく私の顔をペロペロしていました。
この時に、犬が間違って咬むと大変です。
口唇がちぎれてなくなった人もいます。
鼻の頭が、食いちぎられてしまった人もいます。
■ ■
若い女性や子供さんには、絶対に、
犬にペロペロは避けていただきたいです。
私が今までに診た患者さんの中で、
一番重症だったのは、
女性に鼻の頭を食いちぎられた男性でした。
‘男だからしょうがないさ’と簡単に片付けられない状態でした。
修復するのに何年もかかりました。
春はうきうきして楽しい季節ですが、
‘不慮の事故’が多いのも春です。
くれぐれも気をつけてください。
医療問題
精神鑑定
平成20年3月23日、北海道新聞の記事です。
香山リカのひとつ言わせて⑬
精神鑑定ってなんだろう
東京・渋谷の夫殺害事件の精神鑑定が話題となっている。
検察側、弁護側、双方の鑑定医が
「被告は短期精神病状態にあり、責任能力はなかった」
という鑑定結果を公判で述べたのだ。
■ ■
特に検察側の鑑定医が
被告の罪が軽くなるような鑑定結果を述べることは異例、
と言われている。
精神科医には「文系」と「理系」のタイプがいるが、
検察側の鑑定医は、
日本でも珍しい「文系、理系どちらも得意」のひとり。
精神医学の世界の中にも、
「あの彼が言うなら」
と鑑定結果を支持する人も少なくない。
■ ■
大学で学生たちにこの件について意見を聞いたら、
「殺人を犯して責任能力がないから無罪や減刑、というのはおかしい」
という声とともに、
「そもそも、検察側の鑑定医だからといって厳しいことを言え、というのはどうして」
という声があった。
確かに客観的でなければならない精神鑑定で、
「弁護側だから」
「検察側だから」
という主観が入るのはおかしな話のような気もする。
■ ■
とはいえ、
「短期精神病という一過性の病名で、夫を殺しても無罪?」
と疑問に思う人がいるのも当然だ。
裁判のスピードアップが要求され、
精神鑑定のあり方も変わってくると言われている。
この「異例の鑑定結果」は、
私たちにもう一度、「精神鑑定ってなに」
と問いかけているのではないだろうか。
(精神科医)
(以上、北海道新聞から引用)
■ ■
秋田の児童殺害事件でも、
精神鑑定が問題になっています。
そもそも、精神状態が普通の人は、
自分の子供や夫を殺しません。
自殺を図って、救命救急センターに搬送される方も、
精神疾患がベースにある方が多いと言われています。
■ ■
それでは、精神鑑定が出て、
複数の精神科医が、
『この人が犯罪を犯したのは、病気のためです』
と鑑定書を出せば、無罪にしてよいものでしょうか?
私は、そうは思いません。
精神病院に入院している患者さんの中には、
『オレは○○で人を殺した』と、
大っぴらに公言している人もいました。
■ ■
その患者さんが言っていることが、
ウソかホントかはわかりません。
ただ精神病院に入れたからといって、
‘完治’させられる訳ではありません。
精神疾患は再発率も高く、
一番治しにくい病気の一つです。
■ ■
犯罪者は犯罪者です。
精神疾患を免罪符にして、
無罪放免だけは勘弁してください。
子供を殺された親の気持ちはおさまりません。
精神科医といえども万能ではありません。
ウソを言われても、わかりません。
オウム真理教の教祖様を‘精神疾患’で無罪にできますか?
仮病(けびょう)を見分けるのは、難しいのです。
精神医学にも限界があります。
犯罪者は犯罪者として刑務所に入れて、
死刑にするのは法律家の仕事です。
‘医学’が関与すべきではないと思います。
横綱だって、‘病気’を理由にしていたではありませんか!
昔の記憶
春の訪れ
札幌はすっかり雪がなくなりました。
一ヵ月前の大雪がうそのようです。
昔は、春になると、道路の雪を割る、
『雪割り』という作業がありました。
道路に小さな川ができて、池のようになります。
その池のようになった水溜りから、
低いところへ流れるように、‘道’をつくります。
■ ■
暖かな日差しで溶けた雪は、
ちょろちょろと流れて、低いところへ広がります。
いつの間にか、小さな流れが少しずつ大きくなり、
水溜りが消えた頃には、水の‘道’の跡形もなくなります。
そこには、雪の下で眠っていた道路が出てきます。
道路が出ると、大好きな自転車を持ち出します。
半年ぶりに乗る自転車は爽快で、
いくつになっても気分がよいものです。
■ ■
私は、小さい頃に足を悪くしたためか…
スポーツは苦手でした。
唯一得意科目だったのが、スキーでした。
走るのもダメ、
球技もダメ、
一番嫌いだったのが、体育のマット運動などでした。
4月に学校が始まると、
マット運動から始まるのでイヤでした。
自転車だけは、運動神経と関係なく好きでした。
■ ■
はじめて自転車に乗ったのは、
小学校入学前だったと思います。
補助車という、支えをつけてもらって、
親に後ろを支えてもらって練習しました。
あまり苦労せず、
痛い思いもせずに乗れたと思います。
だから自転車が好きになったのでしょう。
■ ■
最初の自転車は16インチ。
次に買ってもらったのが、丸石自転車の24インチ。
お小遣いをためて、貯金して、
親にもお金を足してもらって買ったのが、
ミヤタ自転車の26インチ。
外装5段変速のついた、カッコいい自転車でした。
嬉しくて、毎日ピカピカに磨いていました。
■ ■
私が茶志内にいた頃、
小学校6年生くらいで買ってもらった記憶があります。
生協から買ったので、
私が買う前に展示してありました。
他の子供たちも、その自転車が欲しかったと思います。
今のようにホームセンターに
何十台も山積みになっているのではありません。
そのカッコいい自転車は一台限りでした。
■ ■
どこへ行くのも自転車でした。
茶志内から美唄までは、
路線バスがありましたが、
休日には一家で自転車に乗り、
美唄の公園まで行きました。
自家用車なんてありませんから、自転車でも最高でした。
茶志内周辺には、
石狩川の河川改修でできた三日月湖がたくさんありました。
そこへ、父親と釣りに行きました。
■ ■
この50年で、自転車の価格は驚くほど安くなりました。
札幌駅周辺では、指定場所でしか自転車をとめられません。
しかも駐輪場は有料です。
自転車はいたるところに放置されています。
誰もが、自転車を大切にしなくなりました。
自転車好きの私にはとても残念なことです。
もう少し、自転車を大切にする世の中になって欲しと思います。
CO2を排出するのは、乗る人だけです。
医療問題
診察券
平成20年3月21日の朝日新聞朝刊、
声の欄(読者からの投稿)に掲載されていた記事です。
奥さんが、心筋梗塞を発症して救急車を呼んだ。
救急隊員から、最近かかった病院の診察券がないか聞かれた。
健康保険証と一緒にしてあった、大病院の診察券を見せた。
救急隊員は、その診察券をひったくるようにして取り上げ、
病院へ連絡。
すると、即座に入院のOKが出た。
■ ■
この男性投稿者が言いたいのは、
診察券の有無で、受け入れが決まってもよいものだろうか?
病院としては、医療費不払いを防ぐために、
診察券の有無で、救急患者を振り分けているのでは?
道義に反しているのではないだろうか?
診察券の有無にかかわらず、
目の前の救急患者を受け入れるべきではないだろうか?
というのが、投稿の主旨です。
■ ■
この投稿者が不思議に思われるのはもっともです。
ただ、医療費不払いを怖れて、
診察券の有無で振り分けているのではありません。
診察券を持っているということは、
現在その病院で治療を受けているか、
過去に治療を受けたことがあることの証明です。
■ ■
診察券の番号がわかると、すぐにカルテが出てきます。
その方の病歴もわかります。
入院癧があると、詳細な記録が残っています。
病院は、『一見(いちげん)さんお断り』の高給店とは違います。
診察券を持っていらっしゃる方に治療上の責任があるので、
たとえ急病になっても診てもらえるのです。
ですから、たとえ2時間待ちの3分診療でも、
大病院の診察券を持っていると役に立ちます。
■ ■
私が勤務していた時代の市立札幌病院も同じでした。
まず、通院中の患者さんと一般の救急患者さんは
担当する当直医が違います。
通院中の患者さんの容態が悪くなって
病院へ電話が来た時は、
まず、‘一般当直’の看護師・医師が診察します。
‘一般当直’は、私のように、
救急医療部以外の診療科の医師や看護師が、
輪番制で当直をします。
医師は、当直をしても、翌日に通常の診療や手術をします。
■ ■
一番多かったのが、喘息患者さんでした。
患者さんが苦しそうに、
『先生、いつもの点滴をお願いします』
と言われます。
カルテにも主治医から、
救急外来を受診した際には、
○○の点滴をしてくださいと指示が書いてあります。
何度か当直をしていると、主治医ではないのに
喘息患者さんと顔見知りになることもありました。
■ ■
専門外の私でも、指示があれば、その通りに点滴はできます。
救命救急センターとは、救急のレベルが違いました。
突然、通院中の患者さんの容態が極端に悪くなることもあります。
その時は、一般当直の当直医が診察し、
必要に応じて、主治医と連絡をとって対処します。
小児科や循環器内科などは、担当医を呼ぶこともありました。
■ ■
たとえ札幌市民が作った
札幌市民のための市立札幌病院でも、
無条件に夜間の救急患者を受け入れると、
パニックになります。
札幌市の夜間救急は、夜間急病センターが担当。
急病センターで手に負えない方が、
二次救急、三次救急の病院へ来られます。
それが、札幌市が決めたルールです。
■ ■
朝日新聞へ投稿された読者の奥様は
「もう少し処置が遅かったら危なかった」と言われながら、
10日後に無事に退院できたそうです。
日本の救急医療現場は大変です。
一瞬の判断が、生死やその方の予後を大きく変えます。
救命救急センターに、風邪の患者さんまで来ては
助かる患者さんも助からなくなります。
受診する方のモラルも必要なのが救急医療です。
昔の記憶
お葬式
今から50年近く前のことです。
私は、札幌郡手稲町に住んでいました。
父が勤務していた、三菱砿業㈱手稲療養所の職員住宅です。
幼稚園へ入園する前に、
近所の、仲良しだった男の子が亡くなりました。
内科の先生の一人息子でした。
■ ■
お湯で大ヤケドをして、亡くなってしまいました。
私は、ヤケドの治療をたくさんしました。
受傷直後から、どのような経過をとって亡くなったかよくわかります。
子供がヤケドをすると、最初は痛いいたいと泣いています。
救命処置をしないと、そのうちグッタリしてきます。
大ヤケドをした時には、まず点滴をします。
子供はショックになりやすいので、まず点滴をします。
■ ■
現在は、子供でも、大ヤケドの治療は救急部が担当します。
今から50年も前のことです。
当時、どんな点滴があったかわかりません。
小さな子供に点滴をするのは、難しいことです。
その子にどんな治療をしたかもわかりません。
■ ■
父の話しですと、当時、先生は北大で研究をしていて、
北大から手稲の社宅に帰って来て事故が起きました。
先生は、すぐに車を手配して、
子供を札幌医大に搬送したそうです。
一晩、札幌医大で治療をしましたが、
残念なことに、子供さんは帰らぬ人になってしまいました。
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私より、少しお兄ちゃんだったと思います。
その子のお通夜に、母に連れられて行きました。
当時は、自宅に祭壇を作って、自宅でお通夜をしました。
祭壇には、その子の写真といっしょに、
大きなリンゴが供えてありました。
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私は子供だったので、その子の死が、
どういうものなのか、わかりませんでした。
母親に、もう○○ちゃんとは遊べないんだよ。
と言われた程度の記憶しかありません。
お通夜がどういう意味を持っていたのかも、
理解していませんでした。
私は無邪気に、あのおリンゴ美味しそうだね。
と言ったのだけ覚えています。
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両親の話しですと、
一人息子を亡くした先生は、ずっと亡くなるまで、
息子を助けられなかったことを
悔やんでいたそうです。
私の父を含む同僚や医師仲間も、
子供を助けられなかったことを悔やんでいました。
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私が、手稲から美唄へ引越し、
小学校3年生程度になった頃です。
その先生が、ひょっこりと自動車で遊びにいらっしゃいました。
当時、自家用車は珍しく、
子供の私は、その先生の自動車を触ったり、眺めたりしていました。
後部の窓に、『模範者』と書かれた、
赤いステッカーが貼られていたのを覚えています。
無事故無違反だと、ゴールド免許証ではなく、
ステッカーをくれた時代でした。
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先生は、車から降りると、
しきりに私の頭を撫でてくれました。
『けんちゃん、大きくなったなぁ!』
『こんなに大きくなったんだぁ。もう足は大丈夫?』
私は、当時どうして○○ちゃんのおじさん(先生)が、
こんなに私の頭を撫でてくれるのかわかりませんでした。
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自分がおじさんになってわかりました。
先生は、 私を見て、
自分の亡くなった一人息子を想い出していたのです。
○○も、生きていたら、こんなになっていたのだろうなぁ!
と感慨深く私を見ていらしたのです。
その先生とは、その後お会いした記憶はありません。
昭和54年7月にお亡くなりになりました。
私の父と同年代でしたが、
父よりずっと若くしてお亡くなりになりました。
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人間の幸せなんて、わからないものです。
お医者さんになって、裕福に暮らしていても
自分の子供を亡くすると、突然、不幸になります。
平凡でも、
親子そろって、晩御飯を食べられる家庭が一番です。
私たち、医師がお手伝いできるのは、
人間の生活のほんの一部です。
もうヤケドの子供を助けることはできませんが、
少しでも、他人に喜ばれる仕事をしたいと考えています。
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神さま!
私は、クリスマスには教会の賛美歌に耳を傾け、
大晦日(おおみそか)には、お寺の除夜の鐘を聞き、
お正月には神社に初詣(はつもうで)に行きます。
外国人が聞いたら驚くような、‘信心深い’日本人です。
結婚式は、ホテルの結婚式場で、
二礼二拍手一礼の作法で、
玉串(たまぐし)を奉げ(ささげ)ました。
私たち夫婦の神様は、
三吉神社(みよしじんじゃ)という
札幌市内中心部にある神社の、ホテル内出張所でした。
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こんな信心のない、不心得な私でも、
困ったことや、辛いことがあると…
『神さま!』と思うことがあります。
『おぉ、神よ!神さまよ!』
『あなたは、どうしてこのように惨い(むごい)ことをなさるのか?』
と思うことがあります。
せっかく、自分や自分の家族が楽しみにしていたことを…
あなたは、なぜ無残なことをなさるのか…
と、神を思うこともあります。
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医学なんて偉そうにしていても、無力なものです。
一番力をもっているのは、自然の摂理(せつり)。
自然の力にはかないません。
世の中は、楽しいことばかりではありません。
辛いつらいことも、たくさんあります。
つらいことに出会った時に、人間は神頼みをします。
自分の力では、どうにも、どう努力しても、
かなわないことがあります。
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私たち医師は、人の死と対面します。
葬儀屋さんの次に、
人の死と多く接する職業かもしれません。
私たち医師でも、
自分の家族の死を受け入れなければならないことがあります。
私の人生の中で、何度か、
つらい、悲しいお葬式に出たことがあります。
それは、子供の死です。
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私は救急医療の現場で多くの人の死を見ました。
朝、元気で家を出て行った人が、
ある日、突然救急ホールに搬送されて来て、
治療の甲斐なく帰らぬ人となってしまうことがあります。
その死が予期せぬことであればあるほど、
人の心に深い悲しみを残します。
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医師といえど、
最愛の子供を亡くした親の気持ちは同じです。
私が知っている人の例です。
自分の後継者になると喜んでいた息子が、
山で遭難して、若くして亡くなってしまった。
東京の大学で勉強していた息子が、
湘南海岸で水死してしまった。
可愛い子供にガンができて、
手術をしたけれど転移して亡くなってしまった。
どの子供の死も、ごく身近な先生に起こりました。
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子を亡くした親の気持ちは悲しいものです。
私の場合は、少し状況が違いますが、
自分の娘が私のもとからいなくなりました。
こんな‘クソ真面目なおやじ’から、
どう突然変異して、あんな娘になったのか?
私は深く傷つき、怒りと悲しみで気が変になりました。
その時に、私を救ってくれたのは、
『先生、かわいそう…』という言葉でした。
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どんなに真面目に一生懸命に生きていても
『どうして?』
『なぜ?』
『どうして、神さまはこんなことをするの?』
ということに遭遇します。
私の友人の韓国の先生が言いました。
『運命です』
私は、その先生の言葉が忘れられません。
人間には、
人生には、
つらいことがたくさんあります。
それを乗り越えて、人は生きていかなければなりません。
悲しい時は、思いっきり泣いて…
泣いて…泣いて…
涙が枯れるまで泣いて…
そうして、時間とともに少しずつ、回復できるのだと思います。